瑛九

大竹昭子のエッセイ「迷走写真館〜一枚の写真に目を凝らす」第60回

<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第60回

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(画像をクリックすると拡大します)

文章とちがって、写真は一瞬である。
目にしたとたんに、その写真を見つづけるかどうかが決まってしまう。
それはことばの判断を差し挟む間もないほど瞬発的な身体的反応である。

おもしろくないと思った写真が、あとになって何事かを語りかけてくる場合もあるから、はじめの印象がすべての価値を定めるわけではないが、初見のときに何かひっかかるものがある写真は、うちに秘密を隠しもっているとみてまちがいない。

人が去り、家具が運びだされ、不要なものが残された室内に、強力な力が働いた。壁に造り付けられていた棚は跡だけを残して消え去り、そこに入っていた食器類は床に投げされた。

まず手前にある皿が目に飛び込んできた。
大皿がとりわけ気になったのは、裏返って底を見せているからだろうか。降参!という叫びが聞こえてきそうだ。

奥のコーナーに目を移すと、トイレの便器が静かに白い肌を晒している。跳び箱に似た台座の上に、アボガドをまっぷたつに割ってくり抜いた形の便器が載っている。

これらの皿と便器は自らの意志でこのように散乱したのではなく、外からの力によって、偶然にもこのような姿をさらすはめになったのだが、じっと見ているうちに、これまで思ってもみなかった感想がわいてきた。どちらも陶器だな、と。食器をつくる素材が、便器をもつくる。おなじ器でありながら、盛られるものがちがうなと。

日常生活では食器と便器を同時に目にすることはない。トイレとキッチンが隣り合っていても、壁で仕切られ、便器の半径2,3メートルのところに食器があるとはよもや思わないのである。ふたつの関係は巧妙に隠される運命にあるmpだ。

だが、人が住まなくなったいま、そのことを隠す必要はどこにもなくなった。秘密は暴かれたのだった。

食器と便器が同時に写っている奇妙な光景には、人の営みの残滓のようなものが感じられる。
食べて、出して、また食べるという,生命を維持するのに欠くことのできない行いが、無人の空間に染みわたっている。

大竹昭子(おおたけあきこ)

■石内都 Miyako ISHIUCHI
1947年群馬県桐生市生まれ。神奈川県横須賀市で育つ。 1979年に「Apartment」で第4回木村伊兵衛写真賞を受賞。2005年、母親の遺品を撮影した「Mother’s」で第51回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館代表作家に選出される。 2007年より現在まで続けられる被爆者の遺品を撮影した「ひろしま」も国際的に評価され、近年は国内外の美術館やギャラリーで個展を多数開催。2013年に紫綬褒章、2014年に「写真界のノーベル賞」と呼ばれるハッセルブラッド国際写真賞を受賞。2015年、J・ポール・ゲティ美術館(ロサンゼルス)の個展「Postwar Shadows」では「ひろしま」がアメリカの美術館で初公開され、大きな反響を呼んだ。

●写真集のご紹介
昨年10月、石内都さんの写真集『yokohama互楽荘』が蒼穹舎から刊行されました。
cover石内都写真集『yokohama互楽荘』
2017年10月31日
蒼穹舎 刊行  限定550部
A4変型  上製本
モノクロ  ページ数:76
作品点数:63点
編集:大田通貴
装幀:原耕一

かつて横浜にあった集合住宅地・互楽荘。1932年に東京の商人が娘のために建てたが、太平洋戦争後、アメリカ軍兵士のための 赤線第一号の建物となった。「その事実を知ったことで同潤会アパートとはどこか違う影の濃さをはじめに感じたことが納得できた」 (あとがきより)。初期の代表作『APARTMENT』(1978年)と対をなす、もうひとつの「アパートメント」と言えるこの作品集を見ることで、建物が持つひとつの歴史が浮かび上がってくる。(蒼穹舎HPより転載)

●展覧会のご紹介
「石内 都 肌理と写真」
会期:2017年12月9日[土]〜2018年3月4日[日]
会場:横浜美術館
時間:10:00〜18:00
   *2018年3月1日(木)は16:00まで 
   *2018年3月3日(土)は20:30まで
   (入館は閉館の30分前まで)
休館:木曜日、2017年12月28日(木)〜2018年1月4日(木)

石内都(1947年生まれ)は、2014年にアジア人女性として初めてハッセルブラッド国際写真賞を受賞するなど、現在、国際的に最も高く評価される写真家のひとりです。
多摩美術大学で織りを学んだ石内は、1975年より独学で写真を撮り始め、思春期を過ごした街・横須賀や、日本各地の旧赤線跡地などを撮影した粒子の粗いモノクローム写真で一躍注目を集めました。近年は、被爆者の遺品を被写体とする「ひろしま」やメキシコの画家フリーダ・カーロの遺品を撮影したシリーズで、その活動は広く知られています。
2017年は、石内が個展「絶唱、横須賀ストーリー」で実質的なデビューを果たしてから40年を迎える年にあたります。本展は、この節目の年に、石内自らが「肌理(きめ)」というキーワードを掲げ、初期から未発表作にいたる約240点を展示構成するものです。
住人のいなくなったアパート、身体の傷跡、日本の近代化を支えた大正・昭和の女性たちが愛用した絹織物、亡き母や被爆者らの遺品の写真を通して、存在と不在、人間の記憶と時間の痕跡を一貫して表現し続ける石内の世界を紹介します。(横浜美術館HPより転載)

●本日のお勧め作品は、瑛九です。
qei_violin
瑛九《バイオリン》
フォトデッサン
26.6x21.1cm
都夫人のサインあり(裏面)
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●冬季休廊のご案内
ときの忘れものは2017年12月29日(金)〜2018年1月4日(木)まで冬季休廊いたします。
ブログは年中無休、気鋭の執筆陣によるエッセイと忘れてはならない小さな情報を毎日お届けしています。

◆ときの忘れものは「Arata ISOZAKI × Shiro KURAMATA: In the ruins」を開催します。
会期=2018年1月9日[火]―1月27日[土] ※日・月・祝日休廊
磯崎新のポスト・モダン(モダニズム)ムーブメント最盛期の代表作「つくばセンタービル」(1983年)に焦点を当て、磯崎の版画作品〈TSUKUBA〉や旧・筑波第一ホテルで使用されていた倉俣史朗デザインの家具をご覧いただきます。他にも倉俣史朗のアクリルオブジェ、磯崎デザインの椅子なども出品します。

◆埼玉県立近代美術館で新春1月16日〜3月25日の会期で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」が開催されます。
会員制による共同版元として現代版画センターは1974〜1985年に約80作家、700点のエディションを世に送り出しました。全国各地で展覧会、頒布会、オークション、上映会、講演会、パネルディスカッション等を頻繁に開きましたが、今回の展覧会では、その中から埼玉近美が選んだアンディ・ウォーホルなど45作家、約300点の作品と、11年間に発信された機関誌など資料が一部展示換えをしながら展観されます。
パンフレット_04

●書籍のご案内
版画掌誌第2号
版画掌誌第2号
オリジナル版画入り美術誌
2000年/ときの忘れもの 発行
特集1/磯崎新
特集2/山名文夫
B4判変形(32.0×26.0cm) シルクスクリーン刷り
A版:限定35部:120,000円(税別 版画6点入り)  
B版:限定100部:35,000円(税別 版画2点入り)


TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別) *送料250円


安藤忠雄の奇跡安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言
2017年11月
日経アーキテクチュア(編)
B5判、352ページ
価格:2,700円(税別)  *送料:250円
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。日経アーキテクチュア編集長のコラム<建築家・安藤忠雄氏の言葉の力:第3回>で、出江寛先生、石山修武先生の次に紹介されていますので、お読みください。
ときの忘れもので扱っています。
ときの忘れものでは1984年以来の安藤忠雄の版画、ドローイング作品をいつでもご覧になれます。


◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
20170707_abe06新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18〜24頁にときの忘れものが特集されています。
ときの忘れものの小さな庭に彫刻家の島根紹さんの作品を2018年1月末まで屋外展示しています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
 

比田井一良「瑛九の初期印画紙作品について」

「瑛九の初期印画紙作品について」

銀遊堂 比田井一良

小さな写真作品が一点「ときの忘れもの」に入ってきました。
キャビネサイズのそれは、山田光春著『瑛九 評伝と作品』第一章・萌芽期の扉に<「踊り子」フォトグラム ’31>として掲載されている作品と同一のもので、前年にオリエンタル写真学校に入学した瑛九弱冠二十歳の作品ということになります。ちなみにオリエンタル写真学校の修業期間は三ヶ月で、彼の二年後には植田正治が入学しています。
*山田光春著『瑛九 評伝と作品』(1976年 青龍洞)27ページ所収

山田光春瑛九伝600山田光春著『瑛九 評伝と作品』(1976年 青龍洞)

山田光春瑛九伝27ページ600
同書27ページ


01<写真1 オリジナル画像>
ゼラチンシルバープリント(印画紙)
サイズ:14.6×10.6cm

書籍に印刷されていた写真は今回のヴィンテージプリントより濃度があるように見えますが、これは印刷用に使った別なプリントが有ったのかも知れず、またヴィンテージプリントの経年変化によるという理由もあるでしょう。
だがしかし一見してわかるように、これはフォトグラム作品ではありません。むしろ普通にカメラで撮影された作品のように見えます。ではこの不思議なプリントはどういう方法で作られたものかその説明が聞きたい、というのが綿貫さんからの設問でした。
作品を拝見した後、おそらくこういう方法だろうという推定を口頭でご説明したのですが、言葉の説明だけでは十分ではないので、推定に従って実際に同じようなプリントを作ってみましょうという事になりました。
推定した方法は二種類で、撮影時の二重露光と、プリント時のネガの重ね焼きです。

以下、製作実験の過程を、順を追って説明いたします。
まず、プリント制作のための素材を準備します。一つは女性の顔のアップの写真です。背景が黒いものを選びます。

もう一つは踊り子の写真です。瑛九作品では踊り子の別々の写真を三点別々に用意していますが、今回は再現実験なのでそこは簡略化して、同じ写真を三点大きさだけを変えたものを作りました。踊り子の写真は、切り抜いて黒紙の上にレイアウトしてコラージュを作ります。黒紙は普通の黒画用紙を使いました。

02<写真2 踊り子たち複写の様子>


撮影時の二重露光の方法では、「顔アップ」の写真を複写した後、フィルムを巻き上げずにそのまま「踊り子たち」のコラージュを複写します。
ネガシートの一列目中央のネガがその結果で、二つの画像が重なって写っています。

03<写真3 ネガシート>


このネガからプリントしたものが次の写真です。

04<写真4 二重露光>


この方法は手順が簡単なので製作は比較的容易なのですが、二つの画像の位置関係が撮影時に決定されてしまい、あとで修正できないという欠点があります。この作例でも踊り子たちのレイアウトが右に少しずれていて、画面にまとまりがありません。
これに対してプリント時のネガの重ね焼きでは、「顔」と「踊り子たち」を別々に複写します。その際に露光を変えて何種類かのネガを作っておきます。ネガシートの二列目以下がその結果です。
プリントのときに二枚のネガを重ね合わせて引き伸ばし機にセットしますが、そのときに二枚のネガの相対的な位置関係をずらすことができるので、合わせ具合のレイアウトを確認しながらプリントすることができます。

05<写真5 重ね焼き1>


この作例では、ネガシートの二列目左から二枚目のネガと四列目右から三番目のネガを重ね合わせてプリントしています。ネガの重なり具合を調整したので踊り子たちをうまく中央にレイアウトすることができました。この方法にはもう一つ良い点があって、重ね合わせるネガの濃度を変えることでプリントの印象を大きく変えることができます。次の作例では、ネガシートの二列目一番右の薄いネガと、前と同じ四列目右から三番目のネガを組み合わせています。結果は顔が暗くなって、踊り子たちが浮かび上がってきます。このようにしてネガの組み合わせを変えることで、いろいろなトーンのプリントを作ることができます。

06<写真6 重ね焼き2>


二重露光と重ね焼きのこの二つ方法は、手順は違いますが結果はほぼ同じになるので、瑛九がどちらの方法でやったかは残念ですが確定できません。位置合わせの問題も、画家瑛九だったらはじめにコンテを描いて、かなり正確に構図を決める事ができたかも知れません。

この作品のネガが現存しているかは不明だそうですので、以上のことは推測の域を出るものではありません。もしネガを見ることができれば、話は簡単に済んでしまうと思われます。しかし「まったく同じ」とは言えないにせよ「かなり似ている」プリントができたので、今回の推理は大きく的外れではないと思っています。
ひだい かずよし

*画廊亭主敬白
2017年最後のビッグニュース
長いこと瑛九を追いかけていると、珍しい作品に遭遇することがありますが、今回私たちが入手した印画紙作品は間違いなく超弩級、瑛九の最初期の写真作品の発見です。
瑛九が少年の頃からカメラを買ってもらい、多くの写真を撮ったことはよく知られています。撮影された写真は当時の写真雑誌『フォトタイムス』1931年10月号などに掲載されている。
ところが今回ご紹介する「踊り子」という作品、名著の誉れ高い山田光春『瑛九 評伝と作品』第一章の扉にどーんと掲載されているので瑛九に詳しい方なら誰でも知っている(はず)。実物がなかなか見つからなかった。しかも山田さんがつけたキャプションが問題です。
図版の右肩に<「踊り子」フォトグラム ’31>とあります。サイズの表記はありません。
不思議なのは<フォトグラム>と技法を表記していることです。
ご承知のとおり、瑛九が創始した(造語した)フォトデッサンという技法は=フォトグラムです。カメラ(フィルム)を使わず、印画紙に直接光をあてて制作するのがフォトグラム=フォトデッサンです。プリントの専門家比田井一良さんが指摘するごとく、この作品はどう見てもフォトグラム(=フォトデッサン)ではありません。
山田さんの同著には油彩、水彩、リトグラフ、銅版、吹きつけ、フォトデッサン、フォトコラージュなどの画像が多数掲載されていますが、<フォトグラム>としているのは27ページの「踊り子」ただ一点だけです。
山田さん自身この作品が他の印画紙作品と異なる技法によって作られた(らしい)ことを承知していたと思われるのですが、では何なのか、わからなかった(のではないか)。
苦し紛れに<フォトグラム>とつけたのではないかと亭主は邪推しています。
今回名プリンター比田井さんに教えを乞うたところ、再現実験までしてくださいました。感謝の言葉もありません。ありがとうございました。

◆冬季休廊のお知らせ/ときの忘れものは本日12月29日(金)から新年1月4日(木)まで休廊します。
画廊は休みますが、ブログは年中無休。年末年始もどうぞご愛読ください。

◆埼玉県立近代美術館で新春1月16日〜3月25日の会期で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」が開催されます。
会員制による共同版元として現代版画センターは1974〜1985年に約80作家、700点のエディションを世に送り出しました。全国各地で展覧会、頒布会、オークション、上映会、講演会、パネルディスカッション等を頻繁に開きましたが、今回の展覧会では、その中から埼玉近美が選んだアンディ・ウォーホル、瑛九など45作家、約300点の作品と、11年間に発信された機関誌など資料が一部展示換えをしながら展観されます。
パンフレット_04


●書籍のご案内
版画掌誌5号表紙600
版画掌誌第5号
オリジナル版画入り美術誌
ときの忘れもの 発行
特集1/ジョナス・メカス
特集2/日和崎尊夫
B4判変形(32.0×26.0cm) シルクスクリーン刷り
A版ーA : 限定15部 価格:120,000円(税別) 
A版ーB : 限定20部 価格:120,000円(税別)
B版 : 限定35部 価格:70,000円(税別)


TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別) *送料250円
*『瀧口修造展 I』及び『瀧口修造展 II』図録も好評発売中です。


安藤忠雄の奇跡安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言
2017年11月
日経アーキテクチュア(編)
B5判、352ページ
価格:2,700円(税別) *送料:250円
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。
ときの忘れもので扱っています。

国立新美術館の「安藤忠雄展―挑戦―」は、大盛況のうちに終了しました。
展覧会については「植田実のエッセイ」と「光嶋裕介のエッセイ」を、「番頭おだちのオープニング・レポート」と合わせ読みください。
ときの忘れものでは1984年以来の安藤忠雄の版画、ドローイング作品をいつでもご覧になれます。


●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。
ときの忘れものには小さな庭があります。彫刻家の島根紹さんの作品を2018年1月末まで屋外展示していますので、ご来廊の折にはどうぞご覧ください。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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オノサト・トシノブ「べた丸」から「丸の分割」へ

テレビがないので、まったく疎いのですが、BSフジ『ブレイク前夜〜次世代の芸術家たち〜』という人気番組があるようです。
12月5日(火)21:55〜22:00 BSフジで放送中の『ブレイク前夜〜次世代の芸術家たち〜』にときの忘れもののエース光嶋裕介さんが出演します。わずか5分ですが丁寧につくられているそうで、ぜひご覧になってください。
私たちみたいなテレビ無い族は、数週間するとユーチューブにそれが公開されるとのことです。楽しみです。

さて本日11月30日はオノサト・トシノブ先生の命日です。
亡くなられたのは31年前の1986年11月30日でした。お元気ならばいま105歳、亡くなって30年が一つの区切りと良く言われます。

作家は亡くなると市場での価格は必ず下がります。よく「死ぬと高くなる」と思い込んでいる人が多いのですが、間違いです。
どんな作家でも生きているときのオーラが最高で、亡くなればオーラが消え、やがて忘れられていきます。
どんな作家でも逃れられない記憶と忘却というものの宿命です。

例えば、20世紀の日本の代表的画家を10人挙げろと言われれば、このブログをお読みになる方ならほとんどが答えられるでしょう。では19世紀の10人は? 18世紀の10人は? 17世紀の10人は? となったら専門の学者でもない限り無理です。
亭主だって答えに詰まる。

ときの忘れものの二枚看板、瑛九とオノサトですが(二人は生涯の盟友でした)、ほぼ同年で瑛九に比べ、オノサトは市場の評価も、美術界での評価もいまいちですが、どうやらだんだん近づいてきたようです。

オノサト58年二つの丸
二つの丸 黒と赤》 1958年 油彩、キャンバス 16.2x23.2cm サイン・年記あり

オノサト・トシノブ_1963年_1200
1963年  油彩・キャンバス  45.4×53.0cm(10号)  サイン・年記あり

上は典型的な「べた丸」の傑作、1958年ですから、べた丸の絶頂期ですね。
下は「べた丸」の時代から「丸の分割」に進んだ1963年の制作。前年の1962年に久保貞次郎先生の紹介で志水楠男さんを知り、南画廊で一回目の個展を開き注目されます。この年1963年の第7回日本国際美術展で「相似」(福岡シティ銀行所蔵)が最優秀賞(グランプリ)を受賞し、一躍現代美術の最前線に躍り出ました。
それまで日本国際美術展でグランプリを獲得したのは、安井曽太郎、脇田和、鳥海青児、岡鹿之助、福沢一郎、海老原喜之助斎藤義重の7名だけで、前回第6回は受賞者無しでした。いかにオノサト先生の登場が衝撃的だったかがわかります。
べた丸の時代を過ぎ、大きな円(丸)を精緻な正方形で分割し、埋め尽くす、「円の分割」の時代の最高潮の時期の作品です。
この頃から志水さんの尽力で海外に作品が多く売られていきます。この時期の秀作が国内に少ないのはそのためと思われます。
10号サイズの堂々たるこの時期の作品が市場に出るのは珍しく、私も驚きました。

2015年のシンワオークションに、同時期の作品(1961年、30号)が出たことがあるのですが、コンディションが最悪(剥落、ひび割れ)で、専門家から修復不能と言われたほどでしたが、なんと1千万円を超える落札でした。

シンワアートミュージアム 2015年11月20日開催
ロットNO.242 オノサト・トシノブ 72.8x90.0cm キャンバス、油彩 額装
1961年 裏にサイン、年代 「オノサト・トシノブ展」1962年(南画廊)出品作品

その作品は前述の1962年南画廊の個展に出たもので、出品作品の多くが美術館や海外に収蔵されてしまったため、市場に出てくるのは珍しく、希少と思われたのでしょう。「あんなひどい状態の作品を誰が一千万も出して買ったのか」と業界が騒然となりました。

これがひとつのきっかけでしょう。それまで「べた丸」ばかりが高額で、「丸の分割」時代の作品にはそう高い評価は出ませんでしたが、最近では「丸の分割」の名品には海外からも、国内からも引き合いがあるようです。
残された作品点数は圧倒的にオノサト先生の方が多い。
瑛九の油彩は600点前後、おそらく今後の新発見があっても700点は超えないだろうと、調査にあたった宮崎の学芸員さんは証言しています。
オノサトの油彩は、故・藤岡時彦さん(オノサトのコレクター)の推定では3,000点は優に超すだろうとのことです。

作品数が多いほうが市場では有利です。
さてこれから、オノサト先生の評価はどのように推移して行くでしょうか。鍵は若い世代のコレクターの出現、そして海外での評価です。
果報は寝て待て、といいますが、寝てられるほど優雅でもないし、寿命もある、何とか早いうちに嫁入り先を探したいものです。ぜひご注文ください。

◆ときの忘れものは「メキシコ地震被災地支援・チャリティー頒布会」を開催しています。
今回は予想を超える多くの方から予約申し込みをいただきました。ほとんどの作品が抽選となり、結果のご報告が遅れてしまい申し訳ありません。
メールのある方にはご連絡は完了しています。
ファックス、郵便の方には昨日から順次お送りしていますので、しばらくお待ちください。
201711mexico
会期:2017年11月28日(火)〜12月2日(土)
出品100点のリストは11月11日ブログに掲載しました。
全作品、一律8,000円で頒布し、売上金全額を被災地メキシコに送金します。


◆銀座のギャラリーせいほうで宮脇愛子展が開催されています。
201711MIYAWAKI「宮脇愛子展 last works(2013〜14)」
会期=2017年11月20日[月]〜12月2日[土] ※日・祝日休廊
会場=ギャラリーせいほう 
〒104-0061 東京都中央区銀座8丁目10-7 東成ビル1F
電話:03-3573-2468
最後の新作である油彩を中心に立体(ガラス、真鍮)、ドローイング、版画など。


●書籍のご案内
TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別)*送料別途250円
*『瀧口修造展 I』及び『瀧口修造展 II』図録も好評発売中です。


安藤忠雄の奇跡安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言
2017年11月
日経アーキテクチュア(編)
B5判、352ページ
(NA建築家シリーズ 特別編 日経アーキテクチュア)
価格:2,700円+税 *送料:250円
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。
安藤先生のサイン本をときの忘れもので扱っています。

六本木の国立新美術館では「安藤忠雄展―挑戦―」が開催されています。
会期:2017年9月27日[水]〜12月18日[月]
番頭おだちのオープニング・レポートはコチラを、光嶋裕介さんのエッセイ「安藤忠雄展を見て」と合わせてお読みください。
ときの忘れものでは1984年以来の安藤忠雄の版画、ドローイング作品をいつでもご覧になれます。


●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」第21回

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」第20回

富岡市立美術博物館
平成29年度 常設展示
「昭和の前衛―日本のシュルレアリスムと作家たち―」


今回の訪問先は、富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館。その名称のとおり、美術館・博物館・記念館の機能が融合した複合施設である。また、道を挟んだ斜め向かいには、県立自然史博物館もあり、まさに知の集積地となっている場所である。今回は有難いことに、肥留川裕子学芸員から画廊宛に瑛九の作品を展示しているというお知らせを受けて、取材することが叶った。

富岡市立美術博物館_01一面灰色の空から出現したかのような雲形の屋根を持つ建物。聞くところによると、富岡の山(建物のある地形)から着想を得て設計されたという。特徴的な建物であることから、建築を学ぶ学生たちが見学に訪れることもある。設計は、東京都現代美術館の設計も手掛けた建築家柳澤孝彦(1935-2017)である。


富岡市立美術博物館_02入口に続く回廊を歩いていると、来館者を観察するような視線を注ぐ女性像がある。見慣れない者を見て「あら、遠いところよく来たね」と声を掛けてきそうな表情を浮かべている。こちらは、掛井五郎《母》(1991)の作品である。


富岡市立美術博物館_032階ロビーには、開けた休憩スペースが広がっている。天候や季節によって刻一刻と変わる空をガラス越しに望むことが出来る。ここには、コーヒーメーカーも設置されており、展示を観て疲れた身体に嬉しいセルフ式の挽きたてコーヒーを楽しめるサービスもある。この他に館内は、1階に市民ギャラリー、ミュージアムショップ、図書室を配し、2階には、郷土資料展示室、企画展示室、常設展示室、福沢展示室1〜3があり、各展示物にあったスペースを備えている。


富岡市立美術博物館_04展示室入口。本展の開催動機ともいえる、郷土作家の福沢一郎(1898-1992)の存在は大きく、福沢と同世代の画家に着目し、特に1920年代後半から30年代後半にかけての作品に見受けられたシュルレアリスムの表現に注目している。


展覧会の冒頭では、以下のような紹介がなされている。「本展では、当館の収蔵作品から戦前〜戦後にかけて活動し、シュルレアリスムの影響を受けた作家たちとその作品をご紹介します。彼らは昭和という激動の時代の中で、シュルレアリスムを通して何を描き出そうとしたのでしょうか。彼らの作品を通して、昭和期に花開いた日本の前衛絵画の一端に触れていただければと思います」
肥留川学芸員は、日本人画家によるシュルレアリスムの作品を積極的に公開することで、西洋の「シュルレアリスム」についての理解度ではなく、一人一人の作品の特徴を浮き彫りにしていきたいと語り、一点一点の作品について解説していただいた。

富岡市立美術博物館_05右側の120号の大きな油彩は古沢岩美(2012-2000)の作品。戦後に再制作された作品である。古沢は福沢一郎等と共に1939年に立ち上げた美術文化協会の同人である。


左側2点は築比地正司(1910-2007)の作品。彼は群馬県邑楽郡出身で、中学卒業後に上京し、川端画学校を経て1929年東京美術学校に入学した人物である。1938年から約2年間福沢絵画研究所に通っていた。展示中の戦前の作品は、アカデミックでありながらも、シュルレアリスムのような異空間を演出していることから、福沢一郎の影響が考えられる例である。戦後は、農民の生活風景を描いたことから、地元では「群馬のミレー」と称されているという。

富岡市立美術博物館_06右から早瀬龍江(1905-1991)、杉全直(1914-1994)、白木正一(1912-1995)の作品が並ぶ。彼らは福沢絵画研究所に通っていた画家として紹介している。
杉全直は、東京美術学校在学中に所属していたグループ「貌」で、福沢一郎を招いた研究会を開くほど、早くから福沢に傾倒していたようである。1942年制作の《土塊》はシュルレアリスムに興味を持っていた当時の作品である。


富岡市立美術博物館_07こちらは、早瀬龍江と白木正一の作品である。2人は、福沢絵画研究所に通っていた当時に意気投合し、夫婦になった。1958年からはニューヨークに住み、制作活動を展開し、帰国した1989年以降は埼玉県飯能に住み、画廊や美術館で作品を発表した。彼らが夫婦になる前後や渡米する前後の表現の違いにそれぞれ注目して欲しいと肥留川学芸員は語る。特に早瀬の《戯れ》は、それ以前のヒエロニムス・ボス風の奇怪な空想上の生きものを描いていた《楽園》《水の中》の頃とは違い、自己の内面をえぐり出した「自画像」を描き、内向的な視点を外に向かわせようとする試みが見えてくる。


富岡市立美術博物館_08画像は、瑛九の作品《曲乗り》(1955-56年、油彩・カンヴァス、60.5×73.0)および《母》(1953年[1974年刷]エッチング・紙、29.3×24.0)である。《曲乗り》の大きな車輪の下には、「Q.Ei 55-6」という書込みがある。


前者のタイトルである《曲乗り》は、自転車にまたがり曲芸を披露する人物と考えられ、回転する車輪を象徴するような同心円が背景に描かれ、サーカスの高揚感が色彩で以て表現されている。多くのシュルレアリストにとって、サーカスは格好の題材として取り入れられていたが、具体的に新聞やサーカス史を調べてみると、戦前から戦後に掛けて様々なサーカス団が技を競い合っていた時期と重なっていることが分かる。ただの想像や模倣ではなく、実際に実物を見てからイメージを変容していった可能性も否定できないのである。大正2年頃には、自転車がサーカスの演目に加えられていることが、新聞などから辿ることができ、特に「日本アームストロング」という団体は、海外遠征をするほど躍進を遂げていたことが先行研究で明らかになっており、自転車5人曲乗りや一輪車の曲乗りが披露されていた(阿久根巌「木下サーカス草創期の記録を探す」『木下サーカス生誕100年史』2002年)。また、作品が制作された前年1954年については、木下サーカス団が丸テントを設置する興行スタイルをはじめた年であり、一般層も気軽にサーカスを観覧できるようになったと考えられ、新聞などではサーカスに関するニュースが度々報じられた。

富岡市立美術博物館_09参考資料:「日本アームストロング一行木下巡業隊」絵葉書より


なお、瑛九にかんしては、サーカス団員の姿を捉えようとしただけではなく、都夫人の自転車を乗る姿も重ねているともいえないだろうか。というのは、都夫人によるとさいたま市(旧浦和市)にアトリエを構えた1950年代、彼女はよく自転車に乗って野菜を買いに出かけていたのである。特に自転車に乗ることが出来なかった瑛九は、都夫人の自転車を乗りこなす姿を見るうちに、いつしかサーカス団員のイメージを思い浮かべていたとも考えられる。肥留川学芸員による解説パネルでは、「特定のジャンルや表現、イムズに囚われることなく、常に真摯に己の真実を求め続けたその制作態度は、日本のシュルレアリスムの流れの中でもとりわけ異彩を放っていると言えるでしょう」と、瑛九を評価している。確かに瑛九は当時の「イムズ」を学びながらも、自己の身の回りの物事や表現材料をよく見てから作品を制作するため、オリジナリティに溢れている。おそらく、《曲乗り》についても、どこかで見た経験がかたちとなった可能性は十分に考えられる。

富岡市立美術博物館_10画像は、2011年に行われた展覧会『生誕100年記念 瑛九展』(宮崎県立美術館、埼玉県立美術館、うらわ美術館)の図録に掲載されている自転車やサーカスに着想を得た作品群である。
※ No.6-46《自転車にのる女》、No.6-47《(題不明)》、No.6-48《自転車》、No.6-49《自転車のり》、No.6-50《サーカス》


ちなみに、福沢と瑛九の接点は認められないが、読書家である瑛九はアトリエ社発行の福沢一郎著『シュールレアリズム 超現実主義:近代美術思潮講座』(4巻)を手にとっていたはずである。また、山田光春による評伝でも触れられているように、瀧口・福沢の逮捕の一件は前衛芸術界に大きな波紋を呼んだ。当時は、美術家グループ(団体)を作って、作品展示をするのに共産主義の大会として活動をした方が、物事が上手く運んだようであり、瑛九については、1946年日本共産党に入党し、「新宮崎美術協会」を創立、展示を終えるとすぐに離党している。1936年フォト・デッサンを発表した瑛九は、いよいよ大きく羽ばたこうと空を仰いだ途端に、「戦争」という暗雲が立ち込めて視界が遮られてしまった。戦時下の瑛九は、やはり思うように活動が出来なかったようで、鬱積した気持ちを抱えたまま疎開地や友人宅を転々とし、身を隠すような生活を送っていたのである。

***

ちょっと寄道…


富岡市立美術博物館_11福沢一郎記念美術館は同じ建物内にあり、「特集展示 福沢一郎と『本』」と「福沢一郎 物語を描く」が開催されていた。画像は、覘きケースに福沢一郎が手掛けた装丁の図書や雑誌類が展示されている風景である。福沢一郎は富岡市出身であり、1991年93歳にして文化勲章を受章するなど、生前から評価が高かった。そのため、福沢一郎の画業を顕彰し、未来へと作品を引き継ぐ方法として、美術館博物館建設の構想中に個人記念館も設置された。このような複合施設は、今ではそれほど珍しくない空間設計ではあるが、開館した1995年においては画期的な試みであった。創立から20年以上経った今では、認知度も高まり、福沢一郎の作品に関する相談を受けるようになったという。個人の美術館として、アトリエを改装した「私立」が多い中で、「公立」の施設は、長期的な作品の維持管理を考える上では理想的といえる。


富岡市立美術博物館_12こちらは、福沢一郎のアトリエを再現した展示スペースである。戦前から使用されてたイーゼルには、あちこち油絵が付着している。後方の昇降台は、大型の作品制作の時に使用していたようだ。隣には、1992年の絶筆とされる作品が置かれている。
なお、福沢一郎が1898-1992年に使用したアトリエとして、世田谷に今も現存しており、1994年には「福沢一郎記念館」として開館している。さらに、現在は八王子市夢美術館で行われている展覧会「昭和の洋画を切り拓いた若き情熱 1930年協会から独立へ」でも福沢一郎の作品《骨董店》と《寡婦と誘惑》が展示されている。


富岡市立美術博物館_132014年世界遺産に登録された旧富岡製糸場にも足を運んだ。こちらは、表玄関にもなっている「東置繭所」である。現在は、主に展示室として利用されているところである。富岡市では、製糸場を含む関連施設を回遊するバスが走り、観光客向けの店舗が少しずつ増えているようであった。あいにくこの日は雨であったが、赤煉瓦の建物と赤いサルビアの鮮やかさに目を見張った。


富岡市立美術博物館_14東置繭所2階の内部。この場所には、チョークで書いたような落書きがある。現地に訪れた際は探して欲しい。


富岡市立美術博物館_15製糸場の浮世絵が制作されている。20名ばかりの女性が横並びでフランス式の機械を操る様は、たいへん珍しい光景であったと思う。女性の表情や顔の向きはバラバラであることから、隣の人と会話をしたり、仕事ぶりを見に来た男性の事を噂したりしているのかもしれない。
一曜斎国輝《上州富岡製紙場之図》明治5年(1872)頃(富岡市立美術博物館編「錦絵にみる器械製糸―美術博物館の収蔵品から」より)


富岡市立美術博物館_16フランス式繰糸器(復元)の展示と実演の様子。繭をお湯で煮てほぐれた一本の糸口を見つけ出し、機械で巻き取っているところである。繊細で髪の毛よりも細い糸を扱うため、女性の小さい手の方が向いていたのだろう。


富岡市立美術博物館_17巻き取りが終わりそうな繭があると、素早く別の繭の糸を絡ませている。


富岡市立美術博物館_18グレーの巨大な円盤は、UFOではなく鉄製の水槽である。明治8年頃に設置され、その貯水量はおよそ400tにもなる。奥には長い煙突があり、これらで先に紹介したように生糸を巻き取る際のお湯を沸かすために使用されていた。


富岡市立美術博物館_19こちらは、西置繭所の保存修理を見学できる施設である。ヘルメットを借りて、内部に入ることができる。私が見学したときは、素屋根の解体中であった。修理の様子は、行く時期によって変わるようである。滅多に見ることのできない特別な瞬間をぜひとも見学していただきたい。


最後にひとこと書き添えておきたいことがある。富岡製糸場という世界遺産を抱えるようになったことで、同市内にある美術館への来場者は増加したのではないかと、私は想像していたが、どうやらあまり変化はないようであった。理由は、同市であっても製糸場からは距離があり、「車」でしか来られないのである。製糸場の見学者は、どのみち知の集積地である同館にも関心が繋がっているはずであり、製糸場の周辺を回るバスが美術館の方へも行通ってくれたら、かなり行き易くなるのではないかと思う。
なかむら まき

●展覧会のご案内
平成29年度 常設展示
「昭和の前衛―日本のシュルレアリスムと作家たち―」
会期:2017年9月9日[土]〜11月30日[木]
会場:富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館
休館:月曜日(祝日・振替休日にあたる場合はその翌日)
時間:9:30〜17:00(入館は16:30まで)

●中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。

●今日のお勧め作品は、瑛九です。
20171118_qei_115瑛九《風景》
板に油彩
23.7×33.0cm(F4)
サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

*画廊亭主敬白
11日のブログにメキシコ地震被災地支援・チャリティー頒布会出品全100点のリストを掲載した直後から多くの参加の申し込みをいただきました。皆様の暖かなお気持ちに感謝するばかりです。しかし無情にも今度はイラン・イラク国境地帯でM7.3という大地震が襲い、多くの死傷者が出ているようです。少しでも被害が食い止められることを祈らずにはおられません。

●書籍のご案内
TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別)*送料別途250円
*『瀧口修造展 I』及び『瀧口修造展 II』図録も好評発売中です。


安藤忠雄の奇跡安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言
2017年11月
日経アーキテクチュア(編)
B5判、352ページ
(NA建築家シリーズ 特別編 日経アーキテクチュア)
価格:2,700円+税 *送料:250円
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。
ときの忘れものでは1984年以来の安藤忠雄の版画、ドローイング作品をいつでもご覧になれます。

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』刊行

先ずは嬉しいニュースを。
<今週末10月7日(土)から、「MOMASコレクション第3期」が開幕します。今回は、「セレクション:ピサロとか岸田劉生とか」「描かれたこどもの世界」「明治・大正の日本画−江森天寿を中心に」「近代浦和・文化の景色」の4つのテーマで収蔵品を展示します。
そしてもう1つ、新たに収蔵品に加わった瑛九(えいきゅう)の作品「手」を初披露します。
浦和の地で精力的な活動を行った画家・瑛九は、幻想的な表現を含む多くの実験的な作品を制作し、後半は点描による抽象絵画を多く発表しました。「手」は、1957年(昭和32年)に制作され、吹付技法を用いて瑛九独特の夢幻的な色彩と空間が魅力的に描かれています。吹付技法による瑛九の絵画作品は作例が少なく、最晩年の、微細な点描の油彩画への展開を示す貴重な作品です。制作には、写真作品(フォト・デッサン:瑛九独自の写真作品)と同様の型紙が使われており、瑛九におけるフォト・デッサンと油彩画の有機的な関連が明快に示された、極めて重要な作品です。
ぜひご覧ください!!  瑛九《手》1957年

http://www.pref.spec.ed.jp/momas/?page_id=355
埼玉県立近代美術館のfacebookより)>

qei_154瑛九「手」
1957年
板に油彩吹き付け
46.4×38.3cm (F8号)
埼玉県立近代美術館所蔵
※山田光春『私家版・瑛九油絵作品写真集』(1977年刊)No.286
※宮崎県立美術館他『生誕100年記念 瑛九展』図録所収・油彩画カタログレゾネ(2011年刊)No.346


瑛九の「手」は1981年3月渋谷の松濤にオープンした現代版画センターの直営店「ギャラリー方寸」開廊記念展の出品作で、福井県勝山のNさんの旧蔵作品でした。

12月24日まで「2017 MOMASコレクション 第3期」として埼玉県立近代美術館一階に展示されていますので、ぜひご覧になってください。
10月21日からは、同館開館35周年記念展「ディエゴ・リベラの時代 メキシコの夢とともに」が開催されます。20世紀のメキシコを代表するディエゴ・リベラ(1886-1957)はメキシコ革命後の1920年代、リベラはその思想を民衆に伝えるために公共空間に壁画を描く「メキシコ壁画運動」の代表者となり、世界的な注目を集めました。
招待券ご希望の方は、メールにてお申し込みください。
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ときの忘れもので2014年と2015年に開催した「瀧口修造展」の合同図録『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』がようやく完成しました。
作品をお買い上げいただいた皆さん、ご執筆いただいた土渕信彦さん、工藤香澄さんには長いことお待たせしてしまいました。お詫びします。
瀧口修造展 I』、『瀧口修造展 II』よりページ数も増えました。

2017年10月末までにお申し込みいただいた方には特別価格:2,500円(税、送料サービス)でおわけします。メールにてお申し込みください。請求書を同封して代金後払いで発送します。
E-mail. info@tokinowasuremono.com

TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』
2017年
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
ハードカバー
英文併記
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別)、送料250円

「瀧口修造展 III 瀧口修造とマルセル・デュシャン」
会期=2014年11月5日[水]―11月22日[土]
会場:ときの忘れもの(南青山)

「瀧口修造展 IV」
会期=2015年10月17日[土]―10月31日[土]
会場:ときの忘れもの(南青山)

目次(抄):
・Personally Speaking 瀧口修造(再録)
・マルセル・デュシャン語録について 瀧口修造(再録)
・檢眼圖 だれの証拠品、だれが目撃者? 瀧口修造(再録)
・私製草子のための口上 瀧口修造(再録)
・「オブジェの店」を開く構想に関するノート 土渕信彦
・マルセル・デュシャンとマルチプル 工藤香澄

刊行を記念して◎10月27日(金)18時〜中尾拓哉さんによるギャラリートーク<マルセル・デュシャン、語録とチェス>を開催します。
*要予約
:参加費1,000円

〜〜〜〜

●中尾拓哉 著『マルセル・デュシャンとチェス』のご紹介
現代美術の父マルセル・デュシャンの制作論における秘密を、チェスを手がかりに精緻に読み解く、気鋭の美術評論家による力作。
20170930中尾拓哉 著
『マルセル・デュシャンとチェス』

2017年
平凡社 発行
396ページ
21.6x15.8cm
価格:4,800円(税別)※送料別途250円
*著者サイン入り
ときの忘れもので扱っています。


気鋭の美術評論家がチェスとデュシャンの失われた関係を解き明かし、制作論の精緻な読み解きから造形の根源へと至る、スリリングにしてこの上なく大胆な意欲作。生誕130年、レディメイド登場100年!
「チェスとデュシャンは無関係だという根拠なき風説がこの国を覆っていた。やっと霧が晴れたような思いだ。ボードゲームは脳内の抽象性を拡張する」──いとうせいこう氏推薦(本書帯より転載)

目次(抄):
・序章 二つのモノグラフの間に
・第一章 絵画からチェスへの移行
・第二章 名指されない選択の余地
・第三章 四次元の目には映るもの
・第四章 対立し和解する永久運動
・第五章 遺された一手をめぐって
・第六章 創作行為、白と黒と灰と

中尾拓哉(なかお・たくや)
美術評論家。1981年生まれ。多摩美術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。博士(芸術)。2014年に論考「造形、その消失において――マルセル・デュシャンのチェスをたよりに」で『美術手帖』通巻1000号記念第15回芸術評論募集佳作入選。単著に『マルセル・デュシャンとチェス』(平凡社、2017年)。

この秋、瑛九が観られる美術館

中村茉貴さんによる連載「美術館に瑛九を観に行く」もおかげさまで連載が20回を数えました。
当初は全国各地の美術館での瑛九の展示を複数の人にレポートしてもらうことを考えていたのですが、なかなか立候補者がおらず、結果的に中村さん単独での日本縦断・瑛九紀行になりつつあります。
長年、瑛九を研究している中村さんならではの視点で、瑛九の多面的な魅力が読者の皆さんに伝われば嬉しい。今後ともご愛読をお願いするとともに、瑛九に関しての情報をぜひお寄せください。

この秋、瑛九が観られる美術館をいくつかご紹介します。

芦屋市立美術博物館(兵庫県)
『交差するアーティストたち―戦後の関西』
会期:2017年7月15日(土)〜9月18日(月・祝)
自由な表現、創作活動に制限のあった第二次世界大戦期を経たアーティストたちは、終戦の1945年以降、抑圧への反動を大きな力として様々な活動を進めていきました。新たなグループの結成、戦前に活動した団体の再興、今までにない表現の希求など、徐々に美術の動向は活発化します。それらの動きは、彼らが互いに強い影響を与え合って生まれたものと考えられます。本展ではコレクション作品のなかより、阪神間といわれる神戸から大阪を範囲とする地域ゆかりの長谷川三郎、吉原治良、津高和一を柱にして、アーティストたちの活動や交流を紹介します。(芦屋市立美術博物館ウェブサイトより)
出品:瑛九『夜の子供たち(瑛九フォトデッサン集「真昼の夢」)』1951年 ゼラチンシルバー・プリント 芦屋市立美術博物館蔵

宮崎県立美術館
「たんけんミュージアム 夢みるアート」
会期:7月15日[土]〜9月10日[日]

収蔵作品を紹介するコレクション展。
出品:瑛九は19点展示。
〜〜
第3期コレクション展
会期:9月16日[土]〜12月20日[水]
瑛九の代表作品「空の目」など出品。


富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館(群馬県)
会期:9月12日[火]〜11月頃までの予定
出品:瑛九《曲乗り》(1955年)1点を展示。


下関市立美術館(山口県)
「所蔵品展 夢見る版画」
会期:9月28日[木]〜10月22日[日]

出品:瑛九の版画作品


リアス・アーク美術館(宮城県)
戦後日本・発展の光と影展 目黒区美術館コレクション
会期:2017年7月8日(土)〜8月27日(日)
既に会期は終了しています。宮城県気仙沼市にあるこの美術館は石山修武先生の設計で1995年日本建築学会賞に輝いたユニークな美術館ですが、まさかそこで瑛九が展示されたとはうかつにも知りませんでした。亭主はtwitterで知りましたが、既に終了しており後の祭り。

まだほかにも瑛九を展示する美術館があるかも知れません。皆さんからの情報をお待ちしています。

●今日のお勧め作品は、瑛九の初期作品です。
20170823_qei17-005瑛九
《作品》
1936〜39年頃
フォトデッサン
30.3×25.2cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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「ART FAIR ASIA FUKUOKA 2017」に出展します。9月8日〜10日

世界各地で開催されるアートフェアが美術市場の動向を左右する勢いです。
その動きは日本にも及び、東京はじめ、大阪、名古屋、京都、神戸、札幌などでアートフェアが次々と開催されています。
この秋の先陣を切って九州・福岡でART FAIR ASIA FUKUOKA 2017が9月8日から開催されます。

ときの忘れものも参加します(今年で3回目の出展)。
最初(2015年9月)は「絵はいいけれど値段が気に入らない」と言われ、
二度目(2016年9月)は櫛田神社におすがりしたものの「利益あれど少なし」。
さて、今年は三度目の正直となるでしょうか。
老夫婦二人、手を携えて九州まで参ります。どうぞホテルオークラの925号室までおでかけください。

ART FAIR ASIA FUKUOKA 2017
AFAF_logo_TypeB_RED_RGB
会期:2017年9月8日[金] - 9月10日[日]


プレビュー 9月8日[金]11:00-18:00 ※招待者、プレス関係者のみ
一般入場  9月9日[土]- 10日[日] 11:00-19:00(予定)
会場:ホテルオークラ福岡9階 (福岡市博多区下川端町3-2)
主催:ART FAIR ASIA 実行委員会
出品:松本竣介難波田龍起秋葉シスイ瑛九 他

●福岡に持って行く作品の一部を紹介します。
ご来場予定の方で「こんな作品が見たい」というご希望がありましたら、遠慮なくお知らせください。何でもある、とは申せませんが、なるべくご要望に応えたいと存じます。
24松本竣介
《作品》
紙にインク、墨
Image size: 26.4x37.8cm
Sheet size: 27.6x39.0cm

nambata_50難波田龍起
《(コラージュ)》
1974
紙にグワッシュ、コラージュ
16.9×14.9cm
サインと年記あり

nambata_49難波田龍起
《(作品)》
1975
色紙に水彩
Image size: 22.0×20.0cm
Sheet size: 27.0×24.0cm
サインあり、裏に年記あり

nambata_42_morinonaka難波田龍起
《森の中の生物》
1997
銅版
22.5×22.5cm
Ed.100
サインあり
※レゾネNo.144(阿部出版)


04_秋葉シスイ秋葉シスイ
《nocturne》
2017
油彩、カンヴァス
33.3x45.5cm(P8号)
サインあり

09_ray秋葉シスイ
《ray》
2017
油彩、カンヴァス
33.3x45.5cm(P8号)
サインあり


このアートフェアには第1回から地元九州に敬意を表して瑛九を出品しています。今回も油彩、フォトデッサンの名品を持って行きます。
qei_sakuhin-b瑛九
《作品−B(アート作品・青)》
1935年
油彩(ボード)
29.0×24.0cm(F3号)
※山田光春『私家版・瑛九油絵作品写真集』(1977年刊)No.19

qei_photodessin-hukituke瑛九
《作品名不詳》
フォトデッサン+吹き付け
23.0×38.3cm
裏に《瑛九作 都》と記載あり

qei_140_work瑛九
《作品》
フォトデッサン
40.8×31.9cm

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」第20回

中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」第20回

豊田市美術館
特別常設展示「岡乾二郎の認識―抽象の力―現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜」


「抽象芸術」について説明を求められたときに、すんなりと回答を云えるだろうか。一般的に「抽象芸術」とは、モチーフを具体的に表現するよりも色や形(質感、量感)の表現を追求した言語化し難い美術表現のひとつである。また、芸術家の名前を挙げて作品のあるがままを解説しても、聞き手は理解できないかもしれない。しかし、そのような「抽象芸術」のイメージに一石を投ずる画期的な展覧会が行われた。

豊田市美術館チラシ-1豊田市美術館チラシ-2
※本展は既に終了した展覧会であり、掲載時期が大幅に遅れたことを予めお詫びしたい。
なお、本展の担当者である千葉真智子学芸員は、ときの忘れものの2017年5月9日ブログに展示にかんする記事を寄稿している。
また、企画者である岡乾二郎「抽象の力」を併せて参照されたい。
【岡乾二郎:http://abstract-art-as-impact.org/jp-text.html

豊田市美術館_01丘の上に佇む美術館。自然に溶け込むフォルムでありながら、8カ所の展示室、ギャラリー、ミュージアムショップ、レストラン、ライブラリーを備えた広々とした空間がある。表の広場には彫刻が設置され、別棟に茶室もある。


今回、取材にご協力いただいた千葉真智子学芸員は、本展について「作品が生き生きしている」という印象を語られた。美術館で行われる展覧会は、たとえば、「没後50周年記念展」というように作者の生没年を念頭に掲げた記念事業として開催される場合が多々ある。しかし、本展は岡乾二郎氏が担当した展示企画が際立つものであり、岡氏が作品一点一点を選定し、最新の研究成果を取り入れていることで、「抽象」の見方、例えば当時の技法や地域的な広がり、時代性、思想などを考えるきっかけを与えるものであった。そもそも、博物館法に則って運営されている美術館では、当然学芸員が常駐し、展覧会を企画している。本展で変わっていた点は、特別展ではなく常設展(主に同館収蔵の展示物を活用したもの)を外部の人物が企画したということに驚きを感じた。遠巻きに考えれば、同館学芸員がコレクションの新たな活用法を模索した結果であったとしても、この取り組みにより、千葉学芸員が「作品が生き生きしている」と感じたことは、鑑賞者である我々にも通じるものとなった。様々な発見を予感させる、非常にポジティブな雰囲気に包まれた会場であった。

豊田市美術館_02展覧会の入り口はバウハウス、デッサウを思わせるデザイン。


豊田市美術館_03会場では、そこかしこに作品理解を深めるための工夫があった。
壁一面に展示されているのは、明治9年発行の教科書『幼稚園(おさなごのその)』である。玩具を通して色、形、数の基礎について学び、また、整然と並べられた玩具から子供の創造力を養うことを目的とした冊子である。さまざまな幾何学的な図像が教科書にちりばめられ、観ていると好奇心が湧いてくる。


豊田市美術館_04原色で彩られた木製の玩具。背景に展示されている田中敦子《’94B》(1994年、合成樹脂エナメル塗料、カンヴァス)とイメージが重なる。


豊田市美術館_05モジャモジャと絡まりあって球状の形態になった針金は、高松次郎《点》(1961年、ラッカー、針金)の作品である。これも田中敦子の《’94B》とリンクする。それはまた、神経細胞の染色体かシナプスか、宇宙空間に浮かぶ塵をも想像させる。インスピレーションを得た芸術家は手先や頭を動かし、試行錯誤を重ねる。ことばをひとつひとつ紡いで物語がつくられるように、「作品」は制作される。


本展は、これまで位置づけられてきた「抽象芸術」の概念を解きほぐすような展示で抽象芸術に関する作品一点一点と向き合うことに重きが置かれた。一点を集中的にみると、「抽象芸術」として紹介されている作品が、はたして今までそういう位置づけであったかという疑問を感じるだろう。

ところで、作品を理解する方法として体系的に論じているE・パノフスキー『イコロジー研究』は、図像解釈の方法を段階的に示したもので、第一段階の自然的主題は、色や形(質感、量感)等を視覚から得る理解のこと。第二段階の伝習的主題は、作品に表現された図像の具体的なモチーフから意味や物語の理解を深めること。第三段階は、作品が制作された背景に着目するもので、時代・地域・文化(習慣)・思想(宗教)等、作品の着想や根源的なものに迫ることである。とりわけ「美術史」に位置づけられる有名作品は、少なくともこれら三つの段階を見出す事ができる、というのである。近代は「視覚の時代」といわれる。評論家や観衆の客観的な視点が加わり、次第に作品制作へ傾ける美術家の意識やモチベーションは変わっていった。パノフスキーを挙げたのは、図像を解釈しようとする行為そのものに近代の個人主義的なまなざしがあり、その後にあらゆる美術史家や哲学者、批評家、そして美術家に影響を与えることとなったことを頭の片隅に置く必要があると感じているためである。このような環境で芸術作品の表現が深まり、抽象芸術は派生してきたのかもしれない。

たとえば、会場には、熊谷守一《シヂミ蝶》(1958年、油彩、板)が展示され、その隣には、うごめく無数の虫を記録した日記帳(1902–1922年)があった。熊谷守一は、見たものを寝かせてから筆をおろす画家である。実際に日記帳を見返してこの作品を描いたのかどうかは定かではないが、脳裏に焼き付いたイメージであったに違いない。芸術家がどのように作品制作に至ったかを日記帳を通じて視覚的にみることができる。小さな体で石ころの周りをひらひらと舞う紫色のシジミ蝶。そこには、シジミ蝶が見せる穏やかな生の痕跡が美しく表現されている。

豊田市美術館_07壁一面に展示されているバインダーは、『現代建築大観』(1929年頃、個人蔵)の一部が挟み込まれている。元は帙に入っている作品集のようだが、このように一枚一枚展示されているところを見ると、かなりヴォリュームが増して見えた。バインダーを使用した展示は、一見遊び心を感じさせるが、建築デザインを見比べられる機能的な面も備えた展示空間に仕上がっていた。手前には、ドナルド・ジャッドがデザインしたミニマルな形状の《椅子》(1988年制作、マホガニー)が展示されている。


テクノロジーの発達でモノが豊かになり、集団(共同体)ではなく個人で物事を考える社会が「近代」である。個人主義的な発想はモノの見方や創作物にも表れ、次第に個人の「感覚」、「感情」が重要視されるようになった。やがて、個人でありながら万人にも受け入れられる客観的な意識をも作品に込めようとする。岡乾二郎氏は、恩地孝四郎の作品を例に次のように書いている。

『月映』は北原白秋、萩原朔太郎、室生犀星、山村暮鳥という同時代の詩人たちの仕事との共鳴をもって結成されたが、これらの詩人たちの仕事はいまだ表出されなかった感情、思考の流れを強い視覚的イメージによって喚起、結びつけることにおいて、象徴主義からイマジズムへの架け橋をするような新しさがあった。『月映』はそれに呼応し、見慣れた外部世界には対応物をもたない、より喚起力のあるイメージの創出こそを目指したのである。
(中略)
つまり版画は複数の別の画面を重ねて、一枚の画面を作り出す、統合の芸術だということだ。最後に統合されて出現するイメージは元の個々の版木のどこにも存在しない。まさにフレーベルの《恩物》(積み木)の幾何形態を回転したときに現れる像と同様である。イメージは版を刷るという作業の中でのみ現れる僥倖だった、ともいっていいだろう。
(「抽象の力」より)

豊田市美術館_08こちらは、坂田一男《コンポジション》など3点。フランスでポスト印象主義やキュビスムを学んだことが基礎となっているものの、帯状に連続するモノトーンの情景は、抽象ともミニマリズムともいえる。作家独自の表現が展開されている。


豊田市美術館_09向かって右側の熊谷守一の作品の隣には、ハンス・アルプ《灰色の上野黒い形態の星座》(1937年、木)、《ひと、ひげ、へそ》(1928-29年、木)があり、左側に斎藤義重《作品》、《トロウッド》(1973年再制作)が展示されている。色・形が似通ってみえるユーモラスな作品群。覗きケースは、ジョン・ケージによって点・線・面が組み合わされた独特な楽譜《Fontana Mix》(1982年、シルクスクリーン、個人蔵)の展示があった。


豊田市美術館_10長谷川三郎の版木とその作品の《自然》(1953年、木版)。ひと彫りひと彫りの積み重ねで版木が作られ、版木6点が組み合わさって、一つの画面(版画作品)が生まれる。その過程が、視覚的に示されている。


第二次世界大戦後、長谷川は、可変的なトポロジカルな構造を形成する方法として《マルチ・ブロック》という版画技法を開発する[fig.135]。蒲鉾板を使い彫ったブロック状の版木をランダムに画面にばらまき、そのつど異なる画面を構成する手法である。《環境》という用語を長谷川が用いていたように、これは環境デザインや音楽の作曲にも応用できる方法である。戦後、長谷川と交流をもった現代音楽家ジョン・ケージ(1912-1992)の図形楽譜はあきらかに長谷川の絵画の構造を踏襲してもいた。
ところで「新しい写真と絵画」という論考は実はそもそも、長谷川が瑛九の作品に見出した可能性を論じた文章だった。1930年代という重苦しい時代になされた、もっとも奇蹟的な達成は瑛九のフォトデッサンにあったといっていい。
 (中略)
1936年1月、瑛九は長谷川三郎を訪ね、のちに『眠りの理由』(1936)[fig.137]としてまとめられることになる一連のフォトデッサンを見せる(そして、もちろん長谷川はその可能性を見逃さなかった)。その翌年、瑛九を加えて自由美術家協会が結成される。
 瑛九のフォトデッサンの上では、本来、異なる時間に属するモノ(当然、同じ空間尺度も持ちえない)たち、また、そのモノたちを照らした、同じく別の時に輝いたはずの光たちが、一つの画面を充たし、ありえるはずがない一つの光として溶解し互いを反照しあっていた。いつ、どこにも定位できない時間と空間。にもかかわらず、これらの異なる次元にあるモノたちはありえるはずのない同じ《いま、ここ》で一緒に一つの光を呼吸しあっている。その確実性が驚くべき実在感をもって顕現している。
(「抽象の力」より)

岡氏が指摘するように瑛九は意識的に光を駆使して作品を制作していることが分かるテキストがある。瑛九は1930年「フォトグラムの自由な制作のために」(『フォトタイムス』7巻8号)の中で「光にたいする鋭敏なる印画紙の力をかりてかつてなにものをも他の材料の使用をゆるさなかったコンストラクションが生まれ、又ぼうだいなる現実を構成せんとすれば作者の意のままに表現できる」と書いている。若くして核心に触れるこのフォトグラム論は、今では、瑛九の作品評価に欠かせないものである。写真(印画紙)の際限のない可能性と、現実を捉え表現しようと果敢に取り組む意欲が上記の一文に垣間見える。これが長谷川三郎をも巻き込む瑛九作品の根底にあるものなのだろう。

豊田市美術館_11向かって左側には、恩地孝四郎《ポエムNo.22 葉っぱと雲》(1953年、マルチブロックプリント)、隣は瑛九がフォト・デッサンを制作する際に作られた型紙(制作年不詳、紙、個人蔵)と、1936年頃に制作された瑛九のフォト・デッサン(1936年、個人蔵)である。瑛九は、自作の型紙や身の回りの物、ペン書きしたセロファンを印画紙の上に置き、様々な表現を実験的に組み合わせて、ひとつの画面をつくりあげた。切り取る型紙も様々で、印画紙を再利用することもままあった。2011年ときの忘れもので瑛九の型紙が一堂に展示され、うらわ美術館でも2015年「作家の手の内――スケッチ、デッサン、エスキース」展で瑛九の型紙が展示された。


豊田市美術館_12こちらも瑛九の作品。フォト・デッサン集『眠りの理由』表紙の別バージョン(1936年、個人蔵)。また、白い輪と眼鏡のある作品、ぼんやりと車輪のある作品、赤や緑で着彩された作品などひとつとして同じフォト・デッサンはない。何れも実験的に様々な工夫で画面構成を試みている1936年頃の作である。


インターネットの普及や物流の発達により、個人の「感覚」、「感情」が地域や国を超えて表現できるようになった昨今。私たちは別のステージに昇ったのかもしれない。そろそろ俯瞰的に日本で表現活動をした芸術家ついて見直し、当時の「抽象芸術」を再評価する動きがもっと活発になってよい頃である。岡乾二郎氏企画の「抽象の力」展は、そのような気構えが感じられた展覧会であった。


***

ちょっと寄道…



愛知県への取材は、今回で2度目となった。瑛九と何かと縁のある愛知県。前回の訪問では、愛知芸術文化センター内の愛知県美術館やアートライブラリーへお邪魔した。こちらには、瑛九研究の大著『瑛九 評伝と作品』(1976年、青龍洞)の著者山田光春の収集資料が保管されている。山田は1912年愛知県生まれであった。

今回、名古屋市美術館へも足を伸ばす事になったのは、豊田市美術館への取材が叶ったことが大きいが、同館で積極的にコレクションしている作品に関心があった為である。

以下に挙げる展示は、やはり会期が終了したあとで恐縮だが、興味深い内容であった為に紹介したい。それは、常設展示として企画されていた「メキシコ・ルネサンス:日本に与えた影響―北川民次と二科会の画家」展である。

名古屋市美術館は開館以前の1983年から収集をはじめており、1985年以降は、郷土ゆかりの作家である荻須高徳、北川民次、荒川修作、河原温、桑山忠明の5人を重要作家として位置付け、彼らと関係の深い4つのジャンルを収集の柱に据えている。それは、「1、郷土の美術/2、エコール・ド・パリ/3、メキシコ・ルネサンス/4、現代の美術」である。このなかで、北川民次と河原温については、瑛九とも関係があった人物である。特に北川民次については、瑛九が美術教育に関心をもちはじめた当時から一目を置いていた人物であった。

名古屋市美術棺_01名古屋市美術館前。開館30分前に到着し、建物の写真撮影のために公園内を散策した。すると、改修工事に入るという告知が貼られていた。美術館建設ラッシュに開館した建物は、都市部を中心にどこもかしこも老朽化による改修工事ラッシュに突入している。


名古屋市美術館_02こちらは常設展示室の一室で、向かって右側から
フリーダ・カーロ《死の仮面を被った少女》1938年、北川民次《赤津陶工の家》1941年(左下に朱書きで「二千六百一年/北川民次寫/赤津陶工ノ家」とある)、ディエゴ・リベラ《プロレタリアの団結》1933年【部分】。解説パネルには、冒頭次のように書かれていた。「オロスコ、リベラ、シケイロスの三巨匠による壁画運動をはじめ、1920年代から40年代にかけて展開したメキシコ近代美術は、同時代の美術家たちに少なからぬ影響を与えています。」
建物を取り壊す際に撤去されることの多い壁画で、更に中心的人物のひとりであるリベラの作品が、一部でも名古屋市美術館で観覧できるのは、たいへん貴重なことである。


ところで、メキシコの美術運動は、昭和戦前期の1923年に北川民次がメキシコに渡ったことから日本へ伝えられ、影響を受けた芸術家は多い。その中でも、瑛九、藤田嗣治、岡本太郎については壁画の制作にも取り組んでいる。周知のとおり、岡本太郎の作品の中でも格別に大きい《明日の神話》は、渋谷駅構内(JRと井の頭間の連絡通路)で見られる。もとはメキシコにあった壁画で2008年に移設された。また、藤田嗣治が制作した大壁画としられている《秋田の行事》についても、2013年に新設された秋田県立美術館へと移設された。瑛九の代表作のひとつである《カオス》は、元は真岡市の久保ギャラリー(現久保記念観光文化交流館・美術品展示室)の外壁に設置されたが、現在東京都現代美術館に収蔵されている。

北川民次に影響を受けた芸術家の中でも、愛知県出身の竹田鎮三郎は、若い頃から民次に師事し、現在もメキシコで活動を続けている。近年では、2006年跡見学園女子大学花溪記念資料館、2013年プロモ・アルテギャラリー、2015年川崎市岡本太郎美術館で個展が開催された。また、竹田の活動は自身の創作活動だけに留まらず、岡本太郎の《明日の神話》移設に携わった他、児童美術の活動も行っており、非常にバイタリティのある作家である。彼の活動記録を確認できる例である「ガテマラと児童画交換 メキシコにいる、竹田鎮三郎君の世話で神奈川、埼玉の幼小中の児童画五十二点をガマテラに送った。ガマテラの日本児童画展は十月九日より十六日まで開かれ、新聞、TVなどでさわがれ、すこぶる好評だった。引きつづき各地に巡回されるよし」(1964年、創造美育)という記述からは、民次のメキシコでの美術教育を継承し、久保貞次郎の仕事にも協力していたことが分かる。日本から遠く離れたメキシコの地で、地道に活動を行ってきた民次の弟子である竹田鎮三郎が検証される日がくることを期待したい。

名古屋市美術館_03手前は、北川民次《トラルパム霊園のお祭り》1930年
画面にところどころ明るい色を配し、細部にわたって描かれている本作は、民次の作品の中でも比較的珍しい。続いて、マリア・イスキエルド《生きている静物》1947年、ホセ・クレメンテ・オロスコ《メキシコ風景》1932年などが並ぶ。


名古屋市美術館_04右側から、安藤幹衛《守る》1975年、《解放》1957年、北川民次《雑草の如く供1948年。画面を見ると大胆で力強いイメージが描き出される一方で、何度も置いている筆跡からは繊細な一面も併せ持っていることが分かる。特に二次大戦前後に反響のあったメキシコ美術は、庶民の生活を逞しく描く特徴があり、日本においても芸術家を始め多くの人々の心に響いた。大画面にもなるメッセージ性の強い表現から、公共の場における美術の可能性が開け、人種や宗教などの社会問題を体現する美術表現として評価されるようになった。


美術館に伺った際に同時開催していた「異郷のモダニズム−満洲写真全史−」展についても非常に興味深く拝見させていただいた。異国の地での写真撮影で、報道写真や記録写真が充実するのは想像に難くない。しかし、そればかりでなく、幽玄な風景や見慣れない建物や調度品を目の当たりにして撮影されたピクトリアリズム写真も展示されていたことも、この当時の写真の面白いところであった。霞か煙が一面に漂うシルエットの写真、荒れた大地の凹凸をメインに捉えた写真など。瑛九も活動していた1930年頃の写真動向についても何れこの場を借りて言及したい。

今回、豊田市と名古屋市の美術館を訪れたが、何れもコレクションが豊かで、どの会場も鑑賞者が多かった。おそらく、利用者へのサービスが長けており、駅から美術館への導線はもちろんのこと、近隣施設との連携や街歩きのガイドマップも充実しているためであろう。また、まだ日本で定着していない寄付金制度を設けており、リーフレットの作成・配布は好感が持てた。地域の人や他県の人も安心して鑑賞できる展示会場づくりには、従来行ってきた事と時代にあった動向とを吟味しながら、将来を見据えた活動を展開していく必要がある。豊田市や名古屋市は新旧を意識し、しっかりとした軸を持っていることが分かり、美術館としての機能を最大限生かそうという努力が感じられた。

なお、これまで展覧会の会期中に記事を執筆することを第一の目的としていたが、展覧会終了後に記事を掲載することになり、取材先の美術館および読者にお詫び申し上げたい。現在の豊田市美術館では「奈良美智 for better or worse」展、「森千裕-omoide in my head」展を開催している。また、名古屋市美術館は、現在は改修工事のために休館中で10月7日からは「ランス美術館」展、「中村正義をめぐる画家たち」展が開催される予定である。
なかむら まき

●今日のお勧め作品は、瑛九です。
20170830_qei_169瑛九
《(作品名不詳)》
フォトデッサン
27.0×22.0cm
裏面にサインあり


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frgmのエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」第34回

本が「在る」ということ

 知人の写真家、潮田登久子さんが今年三月に三冊の写真集を刊行した。SERIE BIBILIOTHECAと名付けられたシリーズ(幻戯書房刊)で、判型・厚みが異なる三冊のタイトルは「みすず書房旧社屋」「先生のアトリエ」そして「本の景色」である。
 
図1潮田登久子「本の景色」幻戯書房刊


 「本の景色」は、潮田さんが長きにわたり、大学図書館、国立国会図書館、活版印刷所、和本を扱う古書店などを巡り、本を撮り続けてこられた集大成である。この写真集に集められた本は、西洋の古判本を中心に、和書も含んでいる。出版年としては、1900年代の比較的新しい本もあれば、西洋古判本では1600年代の本もある。これらの本を見ていると、その存在感に圧倒される。拙稿を読んでくださっている皆様の中にも、古書店を巡り歩いての古書渉猟を人生の楽しみとされる方が多くおられると思う。古書蒐集の楽しみは、読む為だけでなく、装訂という本の美しさを愛でることにもあるだろう。そのような美しさを含め、改めて「本とはなにか」ということを考えてみた。

図2「恋こそすべて Love is enough」ウイリアム・モリス著
美術史家、故気谷誠氏蔵書(「本の景色」より複写)


 文学、学術書、美術書、宗教書など、もちろん文章や画像といった内容があってこその本ではあるが、物としての一冊一冊がまるで生きもののように存在している。西洋古判本について言えば、ヨーロッパから五百年という時空を越えて、今ここに在るのだ。どのような人の手に渡り、どのような曲折を経て、ここに辿り着いたのか。動物行動学においては「擬人化」という、生きものに対するヒトの行為の意味が問われることがあるが、「古い」本を見る時、人の生涯に擬して、その変遷に思いを巡らせる自分がいる。それは抽象的な思い入れだけではなく、書誌学的な要素、あるいは使われている表装材が羊皮紙である為に反りがでている本、用紙自体が傷んでいたり、虫害による激しい損傷など、どのような環境に合った本なのかという謎解きの興味も含んでいる。以前、ある展覧会で1500年代中頃のパオロ・マヌーツィオ(アルドの三男)印行の同じ書物が二点並べられていた。一方は激しい茶色の変色が見られるのに対し、もう一方は少しのシミもなく、五百年の時間を経たとは思えない用紙の美しさだった。

図3潮田さんの義父、島尾敏雄の日記など。ご主人の島尾伸三さんと奄美大島の家の片付けの際に発見。写真集巻末の「撮影メモ」によれば、この後、かごしま近代文学館により修復が試みられたという(「本の景色」より複写)。


 電子書籍が出回り始めた頃、出版物(物としての本)がやがてなくなるだろうとの悲観論が出た。町中の書店の数が減っているという現実はあるものの、大型書店で売られている本の数を見ると、本当に本が消滅するのだろうかと疑問に思う。それとは別の次元の話として、電子書籍という内容だけのものを、「書籍」と呼べるのだろうかという疑問を持つ。内容とそれを保護する容れ物、つまり「製本された本」があってこその書籍なのではないかと、私は常々思っている(製本家としての立場上、当然のことなのだが)。

 話がわき道にそれるが、今年のカンヌ映画祭のコンペ部門にネットフリックスの二作品がノミネートされ、動画配信が議論になったという。フランス国内の映画館では上映されず、一旦は審査を拒否されたものの、結局審査対象となったらしい。先日読んだ、後日談についての新聞記事によれば、来年からはフランスで劇場公開されない作品はコンペの対象外になったそうだ。最初の記事では、映画の定義を問い直す動きがあったことも書き添えられていた。つまり、「映画は映画館で観るもの」という定義が揺らいでいるということなのだが、私自身は「原則的に、映画は映画館で観るもの」と思っている。このことを最近、友人と議論したが、映画館で観る意味として、劇場に足を運ぶことによる臨場感、中断することができず、暗い環境で大きめのスクリーンで観ることにより、作品と向き合う集中度が違ってくるといった点で意見が一致した。以上の特徴は、作品の良し悪しとは関係ない。しかし、映画を観るという行為が「映画館に行く」ことを含んでいるからこその価値がある、と考える人間もいる。

図4立教大学新座保存書庫の一冊。(「本の景色」より複写)


 字で表現された内容だけが本なのか、容れ物があっての本なのか。映画と映画館の関係とそれに付随する行為は、本の内容と容れ物(製本)の関係性とは意味が違うが、映画や本が存在する上で、それらの関係が必要なのだと、時勢に抗って考える人間もまた存在するのである。
(文:平まどか
平(大)のコピー


●ワークショップのご紹介
ときの忘れものの近くにある東洋文庫で開催されます。
20170827

東洋文庫アカデミア講座
体験・ものづくり講座「糸でかがる 洋製本の世界」

日程:8月27日(日)
時間:13:00〜16:00

リンクステッチという方法で、縦長のノートを作ります。リンクステッチは中世から行われている綴じ方です。折丁と呼ばれる紙の束を麻の糸で綴じ、本の形に仕上げる、製本の基礎を学びます。表紙にはマーブル紙を用い、箔押しを施した革のしおり紐を付けます。製本についてのレクチャー、箔押しの実演も行います。

講師:羽田野麻吏中村美奈子(レ・フラグマン・ドゥ・エム)
回数:全1回(2コマ)
対象:中学生以上
持ち物:カッター
金額:6,200円(別途実費1,900円)
カリキュラム:
1限目/・洋製本の特徴(歴史的背景)
・様々な製本形態などの講義
・折丁や製本用語などの基礎知識
・綴じ
2限目/・背固め、しおり紐の貼り付け
・型紙通りにマーブル紙を切り出し、折り返して本体にかぶせる
・外題を貼る
・箔押しの実演
・質疑応答
問い合わせ先:東洋文庫アカデミア 03-3942-0121(平日9:00〜17:00)
お申込み方法はこちらをごらんください。
http://www.toyo-bunko.or.jp/academia

●作品紹介〜平まどか制作
異国の女に捧げる散文11-1


異国の女に捧げる散文11-2


異国の女に捧げる散文11-3


異国の女に捧げる散文11-4
平まどか 作品10
『異国の女(ひと)に捧げる散文  PROSE POUR L’ETRANGERE 』
ジュリアン・グラック Julien Gracq著
仏日対訳 天沢退二郎訳  挿画 黒田アキ

1998年 思潮社刊

・パッセカルトン 山羊革・カーフ総革装
・手染め紙・カーフ嵌め込み
・手染め見返し
・タイトル箔押し:中村美奈子
・制作年 2016年
・225x150x15mm
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●ルリユール用語集
ルリユールには、なじみのない用語が数々あります。そこで、frgmの作品をご覧いただく際の手がかりとして、用語集を作成しました。

本の名称
01各部名称(1)天
(2)地
(3)小口(前小口)
(4)背
(5)平(ひら)
(6)見返し(きき紙)
(7)見返し(遊び紙)
(8)チリ
(9)デコール(ドリュール)
(10)デコール(ドリュール)


額縁装
表紙の上下・左右四辺を革で囲い、額縁に見立てた形の半革装(下図参照)。

角革装
表紙の上下角に三角に革を貼る形の半革装(下図参照)。

シュミーズ
表紙の革装を保護する為のジャケット(カバー)。総革装の場合、本にシュミーズをかぶせた後、スリップケースに入れる。

スリップケース
本を出し入れするタイプの保存箱。

総革装
表紙全体を革でおおう表装方法(下図参照)【→半革装】。

デコール
金箔押しにより紋様付けをするドリュール、革を細工して貼り込むモザイクなどの、装飾の総称。

二重装
見返しきき紙(表紙の内側にあたる部分)に革を貼る装幀方法。

パーチメント
羊皮紙の英語表記。

パッセ・カルトン
綴じ付け製本。麻紐を綴じ糸で抱き込むようにかがり、その麻紐の端を表紙芯紙に通すことにより、ミゾのない形の本にする。
製作工程の早い段階で本体と表紙を一体化させ、堅固な構造体とする、ヨーロッパで発達した製本方式。

半革装
表紙の一部に革を用いる場合の表記。三種類のタイプがある(両袖装・額縁装・角革装)(下図参照)【→総革装】。
革を貼った残りの部分は、マーブル紙や他の装飾紙を貼る。

夫婦函
両面開きになる箱。総革装の、特に立体的なデコールがある本で、スリップケースに出し入れ出来ない場合に用いる。

ランゲット製本
折丁のノドと背中合わせになるように折った紙を、糸かがりし、結びつける。背中合わせに綴じた紙をランゲットと言う。
全ての折丁のランゲットを接着したあと、表装材でおおい、装飾を施す。和装本から着想を得た製本形態(下図参照)。

両袖装
小口側の上下に亘るように革を貼る形の半革装(下図参照)。

様々な製本形態
両袖装両袖装


額縁装額縁装


角革装角革装


総革装総革装


ランゲット装ランゲット製本


●今日のお勧め作品は、瑛九のフォトデッサンです。
瑛九_フォトデッサン瑛九
《(作品名不詳)》
フォトデッサン
27.0×22.0cm
裏面にサインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
12


◆frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。

駒込Las Casasより、瑛九の初期フォトデッサン

7月7日の七夕にお披露目した新生ときの忘れものですが、青山時代とはまったく異なるコンクリート打ち放し空間に作品をどう展示するか、四苦八苦しました。
その成果やいかに。「移転記念コレクション展」から、順次出品作品をご紹介してまいります。
先ずは、ときの忘れもの最重要作家である瑛九です。

qei_photodessin-hukituke瑛九
作品名不詳
フォトデッサン+吹き付け
23.0×38.3cm
裏に《瑛九作 都》と記載あり

qei17-007瑛九
《作品》
1936年
フォトデッサンに着彩
25.2×30.5cm

qei17-005瑛九
《作品》
1936〜39年頃
フォトデッサン
30.3×25.2cm
裏面に自筆サインあり

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瑛九をどういう場所に展示したかといいますと、
01
ドアを開けるとエントランスホール、右から北郷悟のテラコッタ、舟越直木のブロンズ、尾形一郎・優の大型写真作品

06
圧巻の尾形作品を見ながら、階段を二階に上っていただきます

11
左手に見えるのがお客様専用の「図書室」です。

25
図書室にあるこの壁面、200平米もある建物の中で自由に釘を打てるのはここだけです(トホホ)。展示スタッフの苦衷をお察しください。
左から松本竣介(2点)、オノサト・トシノブ、そして瑛九のフォトデッサン2点。ブルーのテーブルに見覚えのある方は初代青山の一軒家時代からのお客様です。


日本人の油絵信仰(タブロー信仰)はわが敬愛する瑛九にまで及んでいます。
日本の美術市場においては、先ず油彩点描(晩年の作品)へ高い評価が与えられ、サムホールの小品でも500万円近い価格になることもしばしばです。

しかるに瑛九の印画紙作品(フォトデッサン、吹き付け、コラージュなど)となると、まるで評価が低い。
20世紀は映像の時代であったことを疑う人はいないでしょう。
瑛九が1930年代からなしたことを思えば、マン・レイたち先行者と伍して堂々と渡り合える(それも膨大な)印画紙作品を生涯にわたりつくり続けたことは特筆に価いします。
ときの忘れものは瑛九で始まり、瑛九で食っている画廊でありますが、ここ数年の動きを見ると、フォトデッサンの名品はことごとく海外の美術館、コレクター、写真ギャラリーに買われています。
それをよく知っているのは全国の学芸員たちでしょう。
某美術館の学芸員が、「このままじゃあ瑛九の重要なフォトデッサンがみんな海外に行ってしまいますね」と嘆いたのもむべなるかな。
上掲3点をネットで紹介すると問い合わせがあったのはほとんど海外からです。

海外のスターたちの作品をん十億円でお買いになるのも、もちろん素晴らしいことではありますが、せめてその何分の一かをもって自国の作家たちへの敬意を表してくれないものでしょうか。

移転記念コレクション展
会期:2017年7月8日(土)〜7月29日(土) 11:00〜18:00 ※日・月・祝日休廊
※靴を脱いでお上がりいただきますので、予めご了承ください。
※駐車場はありませんので、近くのコインパーキングをご利用ください。
201707_komagome
出品作家:関根伸夫、北郷悟、舟越直木、小林泰彦、常松大純、柳原義達、葉栗剛、湯村光、瑛九、松本竣介、瀧口修造、オノサト・トシノブ、植田正治、秋葉シスイ、光嶋裕介、野口琢郎、アンディ・ウォーホル、草間彌生、宮脇愛子、難波田龍起、尾形一郎・優、他

ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜〜土曜の平日11時〜18時。日・月・祝日は休廊。

12

JR及び南北線の駒込駅南口から約10分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。
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ギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」は建築家をはじめ近現代の作家の写真、版画、油彩、ドローイング等を扱っています。またオリジナル版画のエディション、美術書・画集・図録等の編集も行なっています。
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