揺れる決意

こうさ、
去年の春から夏にかけて、人生最大に精神的に落ち込んでて、
会社休職して、
一人旅してみたり、
実家戻ろうかな、と悩んでみたり、
小説書いてみたり、
自分と向き合う作業をいろいろやってて、
で、
ドタバタの末会社に戻ることになって、
今まで自分を掘り下げることに集中してたけど、
いろいろな人と関わって話を聞いてみようと思って、
twitter始めて、
blog書いてみらり、
コード書いてみたり、
いろいろ楽しい出会いがあって、
幸いなことに転職先もその関連から決まって、
最初は大変だったけど、少しずつ軌道に乗ってきた感じ。

で、ちょっといまが踊り場にいるような気がしていて。
いろいろ考えたんだけど、
やっぱりネットの世界って面白いけど、自分がいるべき場所じゃない。
ネット(特にtwitter)の面白いところは、
アウトプットまでの距離がとても短く簡単にできることで、
それでつらつらアウトプットしてみたりできたのはいい経験になった。
そのこと自体はいいとか悪いとかじゃなくて、
単なる文化・風俗だと思っていて、
自分がそれに対してどのように振舞うのがいいのか、って考えると、
それは僕が望んでいるもではないな、という結論。
僕はもっと、アウトプットまでの距離をしっかりとって、もっと大きな仕事に取り組んでいきたい、と思っている。
それは一見、古臭くて、鈍重で、意味不明なものかもしれないけど、
それをやることが僕にとって何よりも大切で、
やはりそれ以外のものっていうのは、あまり本質的ではない。
本質的じゃないものに労力をかけてやっていく、というのは、
単純に徒労だし、時間の無駄だと思う。
僕も若くはないし。

で、要するに何がいいたいかというと、
このブログも含め、twitterも、他のブログも、一旦辞めます。
自分の中で本質的じゃないと思っていることに依存しちゃうのはものすごく嫌なんです。
逆に言えば、自分の中で本質的だと思うことに時間をかけて取り組んでいきたい。
それが何か、は一旦秘密にするけど、結果が出たときに報告できれば、と思っています。

いろいろ、新しい情報を手にいれたり、人とコミュニケーションをとることを遊んでみてたけど、
ちょっと、自分の中で持っている材料だけでどこまでいけるかをやってみます。
なんか、寄生獣の最後のミギーが去る場面みたいですね。
ま、そういう気持ちで今はいます。


あんまり「辞めます辞めます!」みたいなことを言って回るのは嫌なので、ここでこっそり報告して、なんとなくフェードアウトしていく感じになると思うけど。
とりあえず、自分のパソコンに入ってるtwitは削除。
(Cheebowさんごめんなさい)
ま、twitterはちょこちょこ覗くとは思いますが。

僕はとても気分屋なので。あっさりこう書いて来週には気分が変わっている可能性があります。
まあほんと、未完成な人間なんで、その辺は信用しないでください。

まあとはいえ、このブログはもう更新することはないと思います。
読んでくれた人、本当にありがとう。
そして、twitterで出会えたいろんな人、本当にありがとうございました。
(飲みに誘ってもらえれば、いつでも出掛けますよ)

ということで、さようなら。
またどこかで会いましょう。






どん底

会社から帰りの電車で嫌なことがあった。
音楽聴きながら足組んで座っていたら、通りがかりの人に邪魔だったみたいで思いっきり足をけられた。
明らかに狙って蹴っていた。
別にぜんぜん痛くはなかったけど。
こういうことがあると地の底までテンションが落ちてしまう。
世界ってこんな醜い人ばっかりで成り立ってるんだな、と悲しくなってくる。
音楽を聴く気もうせて、ひたすらずっと虚空を眺めていた。

そんな大したことじゃないのも分かってるし、
世界は醜い人ばかりでないことも知っているけど、
ただ生きているだけでこんなことをされる世の中なんてほんと嫌だ。
もう何もやりたいとか欲しいとか言わないから、頼むから僕のことは放っておいてくれ。
誰にも迷惑かけずに生きていくから、誰も僕に迷惑かけないでくれ。
どんどんそんな気になってくる。

こんな小さいことで感情を左右されるのが嫌で、
何とかそこから逃げ出そうとしてきたけど、
結局どこにも行けてないことに気づいて落ち込む。
結局、自分は誰にもなれないことを考えると塞ぎ込んでしまう。

こういうとき、自分を救ってくれるものがあればいいのに、
残念ながら、じっと目を閉じて時間がたって傷が癒えるのを待つしかない。

いや、本当に全く大したことじゃないし、何だあの野郎バーカって思えばいいだけなのは分かってるんだけど。
本当に醜いな世界は。
なんでこんな世界で生きているんだろう。

嫌な気持ちは寝て忘れます。
おやすみなさい。

自分から明日へ

自分の中から、自分以外のものが出てこないかとずっと思っている。
自分の想像を超えたもの、自分以上のもの。
例えば夢。
夢のようなスリリングで、ナンセンスで、暴力的な想像力。
結局、自分の想像できるものは想像できる範囲のものでしかなくて、
想像外のものは想像できない。
ひどく当たり前の話だけれども、これは同時に悲劇的なもののように見える。

だから僕はすべての他人に嫉妬している。
自分以外の人は、自分が持っていないものをやすやすと手に入れていて、
自分が考えもしないようなことに簡単に手が届く。
いくら努力してそれに近づこうとしたところで、
手に入るものは他人の想像力のまがいものでしかない自分の意識。
カスれていて、汚れていて、ひどく薄っぺらで、何の価値もない。

そもそもの考え方の立脚点が誤っていることは認めざるをえない。
だからといって、このしぶとく憧れ続けてきたものを簡単に捨て去ることもできない。
どうすればいいのか?
結局のところ、自分という虚無の中心に向かってスコップを叩きつけていくしかないのだろう。
あとは覚悟の問題なんだろう。
と言ってしまうのは簡単だけれども、じゃあそのためにどうすればいい?

一度全部捨て去ってしまうか。
むしろ他人の海の中へ溺れていくことが良いのか。
いまはどちらにも判断できない。
そもそも判断することさえ必要なのだろうか?
いつかそういう流れがきたらそういう風になるさ、
という考え方が一番健全なような気もする。

じゃ、結局そういう時期が来るのはいつなのだろうか?
本当にやってくるものなのか?
というと、村上春樹の言ってたこの発言に行き着くのだろうな。

Someone can sing,others not.

希望と絶望。


長く、遠い道

人生に対する真剣さが足りない。
もっと本気で向かい合わないと、求める果実とは決して出会えんわけで。
しかし、いろんなことが漠然としすぎている。
何を求めていくのか、どのように求めていくのか、今分かっていることは何か、かつて分かっていたことはなかったのか。
深い森のなかで、耳を澄まし、目をこらし、暗闇の中をみつめている。
目が慣れることはあるのだろうか?
果たして、見えている人はいるのだろうか?
不安ばかりで、希望があったことがそもそもあったのかさえも分からない。
「人生の目標なんてないさ、がむしゃらに生きていくだけさ、Let it be」
なんて言葉を何度つぶやいたところで、楽にはなれない。
もうそんなごまかしやおためごかしは飽きたんだ。
かといって、他に何か救いはあるのか?
何もないんじゃないか。
結局同じところをグルグルと回って、解答が無いっていう解答に手を触れるのを恐れているだけで。
恐れていることがバレるのも恐れていて、どこにもたどりつけない。
無力感。
どうすればいいのだろうか。

いつか、光が差して道が見えるかもしれない。
そんなことを考えながら、いろんなことに挑戦してみるも、
結局戻るのは同じところ。深い森の中。
一時的にお酒飲んで忘れたりはできるのかもしれないけれど、
結局、同じ場所に引き戻されてしまう。

自分しかないんだから、自分を信じればいいじゃない。
笑ってしまえばいいじゃない。
なんて気楽な自分と、
でもそんな簡単にいかねぇよ、
と呟いている俺がいる。

どっちも自分なのにな、おかしいな、面倒くさいな。


境界線上の事象(など)

ここ2ヶ月、転職にまつわるドタバタで心を落ち着ける余裕がなかった。
ようやく最近落ち着いて、自分をみつめる。
明鏡止水。
支離滅裂。
焼肉定食。
思えば、ぼくの20台は大学いって、大学留年して、音楽聴いて、本読んで、編集やって、音楽やって、仕事やめて、免許とって、プログラム勉強して、プログラム書いたりして、インターネットして・・・
ホントにジグザクの道だった。
ショート・ワインディング・ロード。
間もなく20台も終わりを迎えようとしている。
いろんな可能性を探して、いろんな可能性に飛び込んでみた。
そろそろ、その冒険もきちんとベクトルを整理すべきだ、とひしひしと感じている。
そこでだ。
結局のところ、自分を信じてやっていくしかないわけで、この終わりのない自分を見つめる作業をどこかでアウトプットしていきたいなどと考えているわけだ。
明鏡止水。
支離滅裂。
焼肉定食。
それが何かはお前らに言う必要はない。
あくまでぼくの問題であって、ぼくの問題とお前の問題は全然、全く、関係ない。
ただ、それをそっと見ていてくれれば、それだけでちょっとだけ幸せだと思っている。

ところでこれを見てくれ。
半年くらい前に某mixiにアップされた文章だ。
人生の混乱っぷりが伺えて、非常にむずがゆい。恥ずかしい。
しかし、ここから前に進むことが、きっと未来という結節点へと向かう境界線を越えることだと思っている。
意味はわからないが、そういうことだ。


-----------
自分のことを考えているとどうしようもなグチャグチャな経路を辿ってしまっていつも結論に行き着けない。結論かと思えるようなことはいくらでも思いつくのだけど、そう思ってしまうのがまた自分を騙しているだけのような気がしていて、前に考えたこと、知っていることの言葉の順序を変えただけの紛いものだったりする。だったりする、という結論もまた胡散臭くて、そこに対して自分は何の価値も置くことができない。

でmixiで書こうと思ったのは、他人が見ることを意識することによって自分の考えが少しでも前に進むことができればと思ってのことなのだけれど、そのことも結局他人の目を通しての自分しか意識していないのであって、僕は自分に対して自分のことを述べることがどうしてもできないらしい。他人ために適度に加工された自分の意識を用意することはできるのだけれども、自分のために自分の意識を用意することがどうしてもできなくて、最近そのことが著しくしんどいので何とかしたいな、と思って考え続けてはいるけれども結局のところ他人がでてきてしまってどうも進むことができないでいる。他人他人といったところで誰なんだっていうと、自分の知っている多々な人たちであって、一人一人の顔を思い出すとその個別に用意された自分、それもできるだけ良いようにみえる自分を作り出すためにやってるようなーと。

どうしようもなく他人の目線に引きづられてしまう。さっきまでいたデニーズで会計するときも、金を払う瞬間のちょっと前に「くじを引いてください」と言われて「お金を払う前にひくべきか、お金を払ってからレシートをもらう間に引くべきか、すべて終えてからひくべきか」で無駄に逡巡してしまった。こっちがサービス受ける側なんだからすきなようにすりゃええやん、って何でか関西弁で後でおもったりするんだけど、そのときは会計している人の目がどうしようもなく気になって、目が気になるっていうかその人にとって気持ちよく会計を終わらせなければならない、というプレッシャーに溺れていてまったく自分のことを優位に考える余裕がない。結局中間のレシートをもらうまでの間にクジをひいたんだけども、ひいたらひいたでこのくじをどの瞬間に開ければいいのかでまたプレッシャーを受ける。そんな感じ。

なんつうか、思考の起点がどうしようもなく他人なんだな。他人っていうとなんだかわかんないけど、自分以外の人すべて。自分以外の人すべてに対して自分がどう見えるか、どう見えるかっつうかできるだけ普通に見せよう、あわよくば善良な人、いい人、わりと優秀な人、なんかに見えるといいな、という思い。思いっていうとそういつも考えているようだけど、考える以前の生理的なものでそのように行動しなければならない、と決められているようで。だから自分のしゃべる言葉もそういう意識以前のもので作られた他人のための言葉だし、あたかも自分の考えを述べているようでそれは他人に対して心地よく響けばいいな、と思って言っているだけだし、そのことはどうにも動かしがたいな。

他人に対して心地よく響く、っていうと目の前の人に対する誠意のように見えるけどもっとどうしようもなくずるくて、この前人に対して怒った、って書いたけどそれも単になんとなく会社の位置的に怒らなければならないような気がして、「たぶん会社の人が怒るってこんな風」と自分の中に他人を投影して怒っただけで、それもどうしようもなく他人に対して心地良い自分でいよう、という意識が紛れ込んでいるわけで。どうしようもないね。

自分という意識が他人によって作られる、言葉というのが他人からもたらされるものである以上仕方がない、なんて安易な結論にうっかりいきそうになるんだけど、それって一方では正しいように見えるけど、それによって自分が楽になるわけがなく、腑に落ちない。腑に落ちないことを正しいように自分に言い聞かせるのはもうやめたい。

だいぶ前に文章を書いていたとき、論理的な文章だったら頭さえ使えば結構書けるな、と思ったんだけど、その論理って他人の論理を少しずつ引っ張ってきて大したものでもない自分の考えをできるだけ水まししてまっとうなことを考えてますよ自分は、ということを見せるための論理でしかなくて、結局それって自己虚栄心を満たすためでしかないんじゃない?という気がしてきたのでもうしたくない。というと何かその決断も論理的なような格好をしてるけど、実際はもっとどうしようもなくぐにやぐにやしていて、あんまり楽しくないし恥ずかしいからやりません、と勝手に言ってもどうしようもないけど。

でこんな青臭いことをよく書けるな、という他人も容易に思いついて、なんでこんな青臭いことをいちいち考えてるんだ俺は、と俺も思ってるよ。でも納得できないことを納得できないままに年を取っていくことがいい加減イヤになってきたのでいい加減何とかしたい、と思いつつどう折り合いつければいいのかいまだ見えないんだけど。

選挙カーが最近多くて、「うるさいなー」と思う瞬間と、「選挙という手続きを経る以上このうるささは仕方がない」という思いもあって、一方的に「うるさい」とだけ言ってもどうしようもない、と大人ぶった考え方をする自分も嫌で、じゃあうるさくないのか?と言われるとうるさいんだけど、うるさいと言ったらうるさいと言う側に加担するような気がして、結局のところ自分は他人によく思われたいので「うるさい」という人の前ではうるさいよね、と言うし「仕方がないよね」と言う人の前では「仕方ないよね」と言うと思う。思うっていうか絶対そう言う。両方の可能性を中途半端に考慮した上でどっちつかずのこの態度!

で何度も戻っちゃうんだけど他人に対してうまく見せようとする、っていう他人ってぜんぜん他人じゃなくて、それも含めて自分、ってことは自分が考えている以上当たり前なんだけど、それをうまく理解できない。理解できないというかしっくりこない。でこういうことをmixiで書くってことはこんなこと考えてますよ自分は、という煮え切らない自意識を中途半端に他人に対して垂れ流す恥ずかしいことであることは理解していて・・・と書いてるけどこれも変で、これを書いている今の時間は俺しかいなくて、中途半端にあのオレンジの画面の真ん中あたりにこの文章が見えて読んでいる人のことを意識しながら書いているわけで、そこも自分から乖離している気持ち悪さがあってどうにも動かしがたい。ってこれはいまマンガ喫茶で書いてるんだけど。マンガ喫茶でこれを書いている自分と、なんとなくそれを見てもらいたいと思ってる自分と、見てもらって何か意見をもらいたいか、ていうとそんなことなくて、じゃあなんで書いてるのっていわれるとどういうもよくわからないけど、やっぱり見てもらいたいんだろうな。自分に見せるためだけであれば別に文章にまとめる必要もないしね、って全然まとまってなくて自分でもがっかりですが。

自分の思考が他人を起点に始まってる以上、そこででっちあげた思考もさらに外側の他人を意識しきっていて、結局のところどこまでも広がっていく他人の連鎖にもう何も言うことができなくなってしまっていて、じゃあ結局何を言いたかったのかっていうとどこにもなくて、なんとなくできるだけ誰にもあたりさわりのないような結論にしか行き着けなくて、ぐるぐる循環してしまう。力強いことを言う人の本を読んだり芯のある音楽を聴いたりすると一瞬自分がその人に同調したような気になって何かを言えそうな気がするんだけど、あっさりその外側の他人からの妄想的な視線によってたまらなく恥ずかしくなって、結局のところ何も言うべきことがない。そういうのってもう1日1回以上やってるから10000回を軽く超えてんじゃねーか。その連鎖をどうにも止めようとしても結局同じとこを回ってるだけな気がする。「あなたはそのままでいいよ」なんて誰かに言われたら「そうかもしれない」なんて安易に頷いてしまうんだろうけど、根本的にそういう考え方を持っている以上また同じとこに戻ってしんどい思いを続けるだけであればもう聞く耳をもたない方がいいんだろうな。

他人のことを執拗に気にしてるわりに他人の言葉にあんまり耳を傾けてないんです。結局どうにも自分を保ちづらい、というと分かりやすいけど、保つ自分ってなんなんだっけ?ということに戻ると結局空洞だったりして・・・というとなんか現代人の紋切り型の悩みで自分探しでもした方がええんやないかアホかーとか思うんだけどそのとおりかもしれないけど自分探しで自分が見つかるんだったら楽なもんで、その前にもっともっと考えないといけないことがたくさんあるような気がしていて、でも結局何も結論が出せないことが気持ち悪い。

社会人として働き出して5年くらい経ってきてそこそこの社会性が自分にはあるかななんて勘違いしてた自分がいて、社会性っていっても単に人の意見に同調してその場の人に合わせて多少ウィットの聞いた話かたができるっていう程度でその場その場で演技してごまかすだけのショボイ演技力のことだけだったりして、その中途半端さにどうにも耐え切れない。煮えきらない。「あなたのキャリアパスはどう考えてますか?」なんて聞かれて「将来的にはコレコレをやりたいので今はコレをやります」と答えられるだけの社会性で、実際はそれに対して何の情熱も本気さも持ち合わせてなくて、それはそれでうまくやれてるとも言うんだろうけど、これを何十年も俺続ける気? 朝から深夜まで働き続けて? いやー無理っす。無理っすなんだけど、その場の雰囲気には命がけで合わせることで自分の中のバランスが保てるようにしてきたので、どうすればいいのかよく分かりません。

よく分かりません、じゃあ考えろよ! と考えてみたものの、結局同じところを回っているので大変疲れてきているのが現状で、何ともしがたいなーとまだまだ結論には程遠いわけで、なんのことやら。

でいまこれって人に向けて発するようなもの? という疑問を持ちながら書いているわけで、とはいえ一応そう決めた以上は発してみます。

東京に来て初めて知った言葉で「イタいなー」というものがあって、必要以上に自意識過剰なものに対してそういうらしいという自分なりの理解なわけだけども、この言葉は何か気持ち悪くて、結局対象に対して真っ当に考えることなく高みに立って無視しようという意識がミエミエですごく嫌い。と書くのももちろんけっこうイタいんですが、もうそれも結構結構。イタくて結構。というのもたぶん他人を意識して、先回りして批判を避けようとしているだけな気がして恥ずかしくてたまらなかったりもするというのがまた元に戻ってるわけだけどもどうしようもないなー。

なんだ、悩んでいることを心配してもらいたいのか、というような意見も当然思い浮かんで、また中途半端にそれを先回りして考えちゃうのもどうかと思うんだけど、まあうにゃうにゃ悩んでててどうも収まりつかないのは現状っちゃあ現状なのでそのままズルっと出しちゃいますけど。ズルっと出しすぎ? って誰に聞いてんだ? 


で書いた物を読み返してみると想像以上に気持ち悪い文章なので自分でも勘弁なのですが、消してしまうのも俺のささやかな男気が許さないので残しておきますほんとすいません。
----------
月別アーカイブ
カテゴリ別アーカイブ
楽天市場
タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ