沖縄の戦後復興期の映画館を調べていると、印刷物や関係者の証言などは確実な情報とは言いがたく、写真が一番重要な資料だということが分かる。場所や撮影時期を特定するために、写真に映った周りの建物や看板、人々の格好などもくまなく観察していたら、次第に映画館とは直接関係のない昔の沖縄の写真にも興味を抱くようになった。

実は最近、DEEokinawaさんが僕の興味をそそる古写真を大量にUPしてくれたので、勝手にそれらの写真を分析してみた。
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ぱっと見、撮影場所がすぐに分かったのが、DEEokinawaさんもそのページ内で紹介している#06#08「ひめゆりの塔」「島守の塔」
そして、#15「市場本通り」。これは右側に映った特徴的なコンクリ瓦が連なる建物ですぐに分かった。現在解体中の「第一牧志公設市場」の初期の姿だ。
 
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001-015:比較
左側にも同様の連なったコンクリ屋根が映っているが、そこは平和通り側の「牧志公設市場」あたり。その後ろの上に突き出ている漆喰の瓦の建物(上の画像の緑の矢印)は、現在のパラソル通りにある「台湾茶屋」の建物かもしれない。ちなみに左に連なる露店のすぐ後ろはガーブ川が流れている。
もう一つ注目してほしいのは右の公設市場に貼られた「又吉康和」「仲本為美」の名札。
これは1952年3月27日に行われた那覇市長選挙のときの候補者宣伝用の札(現在の選挙ポスターのようなもの)だと思われる。当間重民那覇市長が亡くなったことによる選挙で、「那覇市議会史 第1巻 通史編」によると当間市長が亡くなったのが2月7日(Wikipediaでは2月8日になっている)。
選挙用の名札が選挙後もしばらく貼られたままだとしても、映っている人々の服装や仕草などから真夏のような暑さを感じないので(長袖の者もいる)、本格的な夏が始まる前の時期だろう。寒さがきつい2月とも考えにくいので、この写真が撮られたのは1952年3〜4月頃だと思う。

上記のDEEokinawaさんのページUPされた他の写真と比較すると、色味や質感、画面サイズや四隅のケラレ具合、日差しの強さや人々の服装などは極端に差がない。
当時貴重なカラー写真なので米軍関係者による撮影だろうし、映っている外国人はアメリカの海軍兵ばかりでセーラー服を着ているので、一時的な滞在で沖縄を観光して回った写真ではなかろうか。
つまり、全17枚は同一カメラで、限られた時期に撮られたという可能性が高い。 

さて、以上をふまえた上で、以下を読んでほしい。
個人的に一番興味を抱いたのが#09の写真の建設中の建物。これは映画館に違いない。
映画のポスターやスチルを貼るディオスプレイ用のウィンドウが設けられており、前面の庇も映画の看板を差し替え設置しやすいような構造になっている。縦ヒダのデザインを施したオシャレな壁、入口のスペースの構造なども、当時の映画館によくあるパターンだ。
ところが、手元にあるあらゆる沖縄の映画館の写真と照合してみたが、どれも一致しない。
チェック・ポイントはいくつかある。
まず、この映画館がコンクリート造りであること。1952年は那覇以外の県内各地に有蓋の映画館が大量に誕生した時期だが、まだ木造とコンクリが混在している頃なので、比較的、お金をかけた映画館の可能性が高い。しかし、建物はさほど大きくはない。
右隣の建物には「合會(会)」とあるので、合資会社の事務所だろう。オレンジ色の看板には「白鹿」と読める(画像の赤矢印)。調べると辰馬本家酒造が出している日本酒のブランドのようだ。日本酒を輸入している合資会社なのだろうか。
面白いのが、#05の写真の美容室の窓に「白鹿」のオレンジ看板が反射して映っていることだ。つまり、映画館と思われる建物の斜向かいにある美容室だということ。
009と005の比較
コンクリ建築だけどやや小さめの劇場、会社や美容室があるような場所に建っている、という条件から推測すると、地方の繁華街にできた映画館だろうか。
この年の夏には県内各地に「沖映系列」の映画館が一気に誕生しているので、【◯◯沖映】という名の映画館である可能性も高い。
う〜ん、大好きな映画館の場所が見つけられないのが悔しいが、#09#05の写真はここまでしか分析できてない。

ついでだから他の写真もチェック。
#01#02は一連だと思うが、#02は奥に映っている島から撮影場所が分かった。勝連半島にある現在の「自衛隊海洋観測所」のある施設の高台(浦ヶ浜グランドのあたり)から撮られたものだと思う。基地内でストリートビューがないので、近い場所から比較。
001と002の比較


#03
…コンセットやコンクリ平屋の建物があり、ローラでならされたかのような平たくて広い道であること(当時の那覇の繁華街・神里原や牧志大通りでもデコボコである)から、米軍基地のそばで、軍用車両の往来が激しそうなところで、右側からの斜光による影が長く、収穫した農作物を運んでいるような住民が歩いているので、南向き(やや南東向き)の登り道。それぐらいしかしぼれないかな。
▼写真#03
#03


#04
…入口の札を拡大すると「免許番号20,748号」「飲食店営業」以外に「金武村屋嘉」と表記されているような文字がぼんやり見える。米兵相手の店(特飲街の店とか)だと思うが、個人的に屋嘉に関する資料が乏しいのでそれ以上は不明。地元の人なら分かるかも。
▼写真#04
#04


#07
…かなり難題。丘の野道を降りる先に建物がひしめいているので、高台の斜面沿いにそこそこ人口が密集した場所だと思うが、不思議なのが、沖縄ではあまり見られないようなデザインの屋根の建物ばかりだということ。泡瀬とか比屋根あたりなのだろうか…。とりあえず、逆光気味だからカメラが北向きでないのは確か。
 ▼写真#07
#07


#10
…小舟に手書きで「NAVY」(海軍)と書いてるように見えるが、海軍の訓練か? 屋慶名の海岸かもしれない。
▼写真#10
#010


#11…これは少し自信がある。自信度80%(笑) おそらく中城城跡内にあった飲食施設だと思う。
戦後間もない頃、わざわざコンクリで固めた石垣っぽい壁の施設を作るとしたら、歴史的観光施設に限られるだろうし、実際、昔の中城城跡の施設で似たようなコンクリ固めの石垣壁の建物がある。
また、地面が石畳っぽいので、やはり歴史的建造物内もしくはその周辺だろうし、水兵さんがウロチョロしている(海軍基地が近い)のも中城城跡なら大いに納得。あと、施設に掲げられている看板が「NAKAGUSUKU CASTLE〜」とも読める。←これはちと自信はないけど。
▼写真#11の分析
011の分析


#12…いわゆる “まちぐゎー”(商店街)だと思うが、場所が分かる決定的なヒントがない。
▼写真#12
#012


#13#14…おそらく一連の写真だと思うけど場所は不明。#13は右後方にある2つの黒い物体が岩なのか、船なのか分からない。海の中央奥に伊江島タッチューっぽい影がうっすら見えるが、そうだとしたら読谷から恩納村あたりに点在するビーチの一つかな…。
▼写真#13
#013
▼写真#14
#014


#16…奥に見える島が津堅島に見える。短めの影が右手前に伸びてるので、午前中なら南向きのカットで、午後なら西向きか。けど、奥の島が津堅島ならば、本島内で津堅島西向き撮影できる場所はない
津堅島以外でその形状の島が今は思いつかないので、仮に津堅島だとして、#01#02の撮影場所から近い現在の「自衛隊海洋観測所」のある施設内か、同じ勝連半島にある「自衛隊勝連分屯地」内だと思うが、基地内はストリートビューが通ってないので確認できない。
▼写真#16
#016


#17…久場笠の女性の影を見ると、#16の真逆を向いた感じにも見えるけど…。元のフィルムが#16のカットの前後に撮られたものならその可能性が高い。原版はスライド用のフィルムだから、スライド・ショー用に切り離されていたら順番不明でバラバラなのかな。
▼写真#17
#017


17枚の写真を見続けていてふと思ったけど、1952年3〜4月頃って、第二次大戦が終結して7年も経ってないんだよな。だいたい6年と8ヶ月ぐらい前か。
今からそれぐらい前と言えば、2012年の年末頃か。ひえ〜っ!

〈當間早志〉