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私たちシネマラボ突貫小僧が企画開催した「沖縄ヒストリカルムービー」(@第9回沖縄国際映画祭)。今回は「レトロ沖縄と空手シネマ」というテーマのもと、さまざまな作品やプログラムを上映・開催しました。

その中の一つ、『空手バカ一代』上映では、残念ながらゲストで登壇するはずだった主演の千葉真一さんが都合により欠席。電話出演のみとなってしまいました。
そこで、お詫びというわけではないのですが、昨年の第8回沖縄国際映画祭にゲストで来られた際の千葉真一さんインタビューをここに掲載することに致します。

実はこのインタビュー、『沖縄やくざ戦争』の中島貞夫監督が同席するという、奇跡のような2ショットが実現した場でもありました。

千葉真一さん、そして中島貞夫監督という2人の生けるレジェンドに、時代劇やアクション、やくざ、そして両者にとって忘れられない思い出の地・沖縄について、熱く語って頂きましたよ!

聞き手:平良竜次、世良利和、與儀涼/撮影:當間早志
取材日:2016年4月23日@てんぶす那覇

チャンバラへの熱い思いをぶつけた『時代劇は死なず ちゃんばら美学考』

時代劇は死なずちゃんばら美学考―今回、中島監督、千葉さんはそれぞれ第8回沖縄国際映画祭に出品された作品がございますので、そのお話から聞かせて頂きたいです。まず中島監督の『時代劇は死なず ちゃんばら美学考』(2015年)ですが、これはドキュメンタリー映画でしょうか?

中島監督:そうですね、まず“チャンバラ”とは何だというね、まぁ京都の場合は、チャンバラ発祥の地だしね。だから前半は京都の映画史を振り返りながら、それでなぜ時代劇が京都で作られていったのか、その理由を押さえたところで、特にチャンバラがなぜ京都で生まれたのか、それを突っ込んでいって、ほんで一体チャンバラの魅力とは一体何なんだと。ほんで、なぜ衰退していったのか。じゃ、チャンバラ映画をね、今もう一度見直そうとしたら何が一体必要なのか? で、映画の最後にはチャンバラシーンをやろうって。

―大迫力の大チャンバラシーンがあると伺っています。

中島監督:まぁこの歳になってきて、(映画を撮るのが)最後になるんだというときにね、ここしばらく…。

千葉:(中島監督に)最後じゃないですよ。

―そうですね(笑)。

千葉:まだまだ、やってもらわないと困ります。

nakajima01中島監督:まあチャンバラを追っかけてみようっていうね、ほんで、いくつかの企画がやっぱりお金の問題やなんかでなかなか成立しなくて。それじゃドキュメンタリーだったら出来るんだけどね。それをまず京都国際映画祭にぶつけてみようと。ですから、京都で(作品を)かけて、ということを大前提に、今まではいくつかの映画祭だけを回っています。まず一般公開は今年中の後半に持っていってですね、とにかく、この映画を本当に映画を愛してくれる人たちにまず見て頂いて、それで、その辺の反応を聞かせて頂いて、あわよくば、次はチャンバラ映画作ろうということなんですね。

千葉:このドキュメンタリーはチャンバラ映画を作ることが大前提なんですね。

―なるほど、本作はスタートなんですね、次の作品への。

中島監督:少しお金をかけた予告編のつもりでね(笑)。

―とても楽しみしています。

中島監督:ぜひ!

千葉:これは東映は絡んでいるんですか?

中島監督:東映絡んでいない。

千葉:でしょうね…。

中島監督:東映は…撮影所の現場の連中は絡んでくれたけどね。製作としては絡まないという形でね。その辺は、やや微妙なところで(笑)。

―中島監督の助監督時代は、やっぱり時代劇からですよね。

中島監督:僕は助監督のときは、時代劇しかやってないんですよ。だから、時代劇やるしかないと臍(ほぞ)を決めて、それで時代劇でホン(脚本)を書いていったんですけどね。ところが、いざ自分が監督になった頃には時代劇が斜陽になっていますから、(現代劇への)転換はできたんですけどね。


第二東映時代が、沖縄側スタッフに重なって見えた『神人~ザンの末裔~』

神人~ザンの末裔~―つづいて、千葉さんにお聞きしたいんですが、今回出演されている『神人~ザンの末裔~』(2016年/又吉安則監督)は、ほぼ全て沖縄のスタッフ・キャストによる作品なんですよね。そこに、あの千葉さんが出演されるというコトで、ものすごい驚いたのですけれど。

千葉:なんで?

―千葉さんほどの大スターが、一地方の映画に出られるという驚きです、ハイ。

千葉:僕は沖縄が日本本土に復帰する前から興味があって、特に琉球の時代からのものに非常に興味持っていて、結構来ているんです。映画に関係なく。

―映画に関係なく?

千葉:で、沖縄でいろんな、見たり、泳いだり、遊んだり、慶良間島で潜ったり、そんなことを数多くやっているうちに友達もたくさんできて。まぁそういうことしているうちに作ることになりました。我々が東映に入ったころ、東映には第二東映というのがありまして、もう当時は(映画を)作れば客が入るという時代でしたから、第二東映はまだ作品が少なかったから、もう「作れっ作れ作れ」って。中島監督が一番分かっていると思うんですけど。

中島監督:いや、第二東映はね、東京は少なかった。京都は多かったんだよ。

千葉:僕は東京(撮影所)だったから、あ、そのときに一番最初に出てこられたのが深作欣二(監督)さん。第二東映で「おい千葉、お前の主役で1本撮るぜ」って言われたのがキッカケで。あの第二東映の厳しいスケジュールでね。「えっ?二本持ちを二週間で撮れだって?」…こんな時代でしたよね。

中島監督:そうそう。

chiba01千葉
:眠っている暇なんてない。みーんな必死になって映画を作っているあの頃の姿を、沖縄の人に感じたんですよ。『神人~ザンの末裔~』のスタッフに。

―その頃の頑張り具合が重なって見えたんですね。

千葉:こんな時代あったなぁって。お金もねぇのに必死になって「ああしようか、こうしようか、どうしよっか」ってね。必死になってやるスタッフの姿を見ていて、思わず「俺にできることがあったらやるよ」って言ったら、「本当ですか!?」って言うから、「うん、やろやろ」って。みんなで楽しんで、お祭り騒ぎをしただけです。

―なるほど。心意気を買ったんですね。

千葉:そうですね。だから凄く楽しかったし、何百本も撮ってきた中で、たまに原点に戻るっていうか。映画を作ってるってのはこういうことだよな…なんて再認識したりして面白かったですね。ま、それだけですよ。みんなが喜んでくれて。


ブラジルのアマゾンを舞台に沖縄移民の映画を作りたい!

千葉:だって監督なんかは多分そうですよ。第二東映やってるときなんか寝ないで映画作っているんですから。

中島監督:僕はね、第二東映ね助監督のときは千葉君とは1回も触れてないわけ。で、監督になったときはもう第二東映は無くなっていたからね。

千葉:あ、そうなんですか。でもまぁ、第二東映で、もう本当にそのころは眠るヒマも無くてねぇ。寝ないと声が出てこなくなるんだ。ワハハハハハ(笑)。

一同:(笑)

千葉:俳優ってさ、寝ないと肌は荒れるし声は出なくなるし、調子悪くなるでしょ。それでもやるのかって。まぁそういうところを通過してきてますから、そういう雰囲気でみんな映画作ってんなって、この沖縄の人を見て、「やろやろ、いっぺんホン見せてよ」って言って。で、一緒になって作って。というのがこれ(『神人~ザンの末裔~』)。

―その結果が今回の作品なんですね。

千葉:正直、よう分からんかったもん、この話。けれど僕も琉球の話は大好きで、歴史も読んだことはあるんだけども。琉球の民族って凄く好きで…一昨年でしたっけ? 世界に移民した人たちが帰ってくる、移民祭やりませんでしたか?

千葉:その映画なの。そいで今、脚本も出来上がっているんですよ。それでキアヌ・リーブスと僕とでやることになったの。

一同:えええーっ!(驚愕)

千葉:だから、琉球にものすっごっく興味があって。それと移民の父、何町だっけ?

―あぁ、當山久三、金武(きん)町ですね。

千葉:だから、金武町に行って町長さんと話しをしました。あそこには、聞く話によると4、5百億のお金が余っているというから「映画を作りませか?」って。映画を作らせろって言ったんですよ。

一同:ワハハハハ(笑)

千葉:當山久三さんの物語ではないけれど、別の移民の話があると。

―それは、作って頂きたいですね。

千葉:これは実際にあった話、たまたま僕はしょっちゅうブラジルに行っていたんです。極真(空手)の関係で行っていたんです。あそこに支部があって軍隊に教えていたんですよ。それで僕も行っていたんです。で、しょっちゅうアマゾンに入っていたんです。そしてあるとき、サンパウロで移民資料館に入ったら凄まじいドラマがあった訳だ。沖縄から行った2人の兄弟が向こうで奴隷に売られて…これは本当の話ですよ? 一人は良いところに売られて、大学まであるくわけ。弟の方はテロリストになっていくわけですよ。これが、ずーっと愛していた兄と引き裂かれて、これがぶつかっていく話を作ったんですよ。

―それを映画にするわけですね。

千葉:うん、そういう話しをやりてーから、金武町行って。「たくさんお金余っているそうですけど、映画作りませんか?」って、「當山久三さんも出てきます」って。

―チラッと出ますよ、みたいな(笑)

千葉:えぇ、チラッと出てきます。

―もうぜひ作って頂きたいです。沖縄県民としては。

…とまあ、まずは新作について語っていただきました。
明日更新予定の2回目は、伝説の『沖縄やくざ戦争』についてのウラ話が登場します。お楽しみに!