とこちゃんのひとりごと

空のお話・少林寺拳法・家族・思ったことを綴る日記です。 仕事関係のことはプライベートモードにしています。 PASSWORDを知りたい方はprofileにあるアドレスにメールしてください。

2006年09月

長男の運動会

運動場2今日は長男の運動会でした。息子の小学校は入ったことは何度かあるけど、運動場でゆっくりするのは今回が初めてです。改めて見て見るとここの小学校は(当たり前ながら)幼稚園に比べるとはるかに広い。運動場も広いけど空がとても広く感じられるのが印象的でした。

 

運動場1ここの小学校は高台の上にあってとても景色がいいのが特長です。グラウンドからまわりを見回すと見えるのは2階建てのこじんまりした校舎と空ばかり。グラウンドの端の地平線と水平線が一緒になっているので、空がとても広く見えるのです。僕の子供の頃は山間の小さな小学校で、当時は広く感じたけど今になってみればとても狭い運動場でした。こんな広々とした風景の美しい学校で小学校生活を送れるなんて息子は幸せだな、と思いました。

さて、小学校に入って初めての運動会。 長男の出番は徒競争とダンスと玉入れの3つだけ。徒競走は意外に遅く4番でした。そういえば自分も小学校の頃は足が遅かったなーと思いつつ・・・ビデオ片手に見ていました。でも幼稚園では彼も遅いほうではなかったんだがな・・・どうも足が遅いと言うよりも、競争意識の希薄さの方が問題のようです。あとで「本気で走ったん?」と聞いてみると、「ちょっとだけ本気」だそう。まぁ、穏やかな性格が取り柄のお兄ちゃんだからそれもいいか、と思い苦笑(・・*)ゞしました。ダンスの方はもう一つリズムに乗り切れないながらも、何とか踊っている感じでしたがそれでも十分楽しかったようで、帰ってきてからも上機嫌で弟と遊んでいたので安心しました。

小学校には保護者の友達もたくさんいて、いろんな人とのおしゃべりに親は夢中。いろんな人といっぺんに会えるので結構楽しかったです。赤ちゃんも連れて行ってたんだけどあまりぐずりもせず、物珍しそうにまわりをみていました。帰って来てからは疲れたらしくよく寝てくれました。パパもママも子供たちも一日グラウンドにいると日焼けで真っ赤。でもいい天気でよかったです。 来年は1等賞目指して頑張れ!

誕生日

昨日は誕生日でした。うちは妻と誕生日が同じなので仕事は一応休みを入れてます。特にどこに行くでも何をする予定があるわけでもないんだけど・・・。平日で、お兄ちゃんたちは小学校と幼稚園、3番目の娘は保育園に預けて、赤ちゃんだけ連れて妻と車の試乗に行ってきました。それから帰りに中華系のおしゃれなレストランに行ってランチ。お兄ちゃん達が帰ってくるまでの5時間ほどのフリータイムでしたが、なかなか充実した時間をすごせました。何故か赤ちゃんもぐずらずにおとなしかったし・・・・。

今はケーキより豪華な食事より、自由な時間が一番のプレゼントですね。

それにしても、いつの間にやら38歳になってしまいました。なんだか、だんだん年が増えるのが嫌になってきたなぁ。昔は早く歳を取りたかったものだけど・・・。気分的にはやっぱり35くらいが一番いいかも。まあそうも言っていられないので、年齢相応の良さを持った人間でいられるように頑張りたいと思います。子供4人作って、機長昇格して、一戸建て建てて、支部長になって5段昇格してと、とりあえず40までに終わらせたいことは一通り終わっているので後2年、40までの目標を何にしようかなぁ。それを考えなきゃいけない。

今までは何かを「手に入れること」を目標にして頑張ってきたけど、これからは「中身」かもしれないな。如何に「質」を高めていくか・・・。自分自身の人間としての質、仕事の質、操縦の技術の質、家庭円満の質、子育ての質、少林寺拳法でも技術の質、指導の質、人間関係の質を高めていくこと。新しいものよりも今あるものの質を上げるということはとても大切なことだと思う。少しずつ、足元を見つめながら新しい目標が発見できたらいいなと思う。

そんなことを一応考えた誕生日でした。

特別昇段審査

允可状昨日、多度津の少林寺拳法本部で行われた特別昇段審査で無事五段に合格することができました。いろいろご指導いただいた皆さん、ありがとうございました。段位は一つ上がったとはいえ、技術も人間もまだまだ未熟者です。これからも宜しくお願いいたします。上は総裁から頂いた允可状、下は五段バッジです。

 

五段バッジ昨日の特昇は受験者が四段・五段合わせて260名余り、五段が90名くらいと四段が170名くらいだった。まずまず、多いほうだったのかな?特に四段の受験者は技術審査の会場が足りなくて本部道院や旧道場のほうまで移動して受けている人もいるくらいだった。香川県連盟の昇段試験、帰山行事に加えて、いつものように本部武専も行われ、本部は相変わらず人で一杯だった。僕が本部に帰山するときはいつも研修とか昇段とか行事のあるときだけなので、本部はいつも人で一杯というイメージがあるな。行事の無い日は多分静かなんだろうけど・・・。

鎮魂行のあと、新井会長から挨拶がありその後学科試験へ。頑張って朝6時に起きて復習した甲斐もあり、記憶は完璧でした。解答用紙裏面の欄外まで、まとめた内容をびっしり書いて提出しました。書いた中身は自信があるんだけど、ちょっと長すぎたかな。時間が心配だったけど45分くらいで何とか書き上げました。何度も指が攣りそうになりながら・・・。

引き続き第一錬成道場で技術審査。担当の考試員は徳島のM先生と、高知のS先生の四国勢お二人でした。徳島のM先生は指導のとき徳島弁こてこてでしゃべられていて、徳島出身の僕としてはとても懐かしかった。子供の頃は徳島弁で少林寺拳法を習っていたのでその頃の空気をふと思い出しました。試験中でもあるし残念ながら私的な話はする時間がなかったんだけど、たぶん僕の最初の師匠である徳島のF先生や、後輩のS君の道院もその先生の道院のすぐ近隣(・・・というか3kmくらいしか離れてない二人の道院のちょうど中間にM先生の道院がある。)なのでたぶんよく知ってるはずだがなぁ、と思いながら審査を受けていました。

抽出科目は内押受蹴、蹴天一、下受順蹴、水月返、足刀蹴引足波返、諸手引抜、両手押小手、送襟捕、吊上捕、押受投でした。送襟捕のときにしっかりと腕を伸ばして掛けに行くこと、水月返の反撃が遅くては意味が無い、両手押小手の正しい形、下受順蹴の構え方、諸手引抜の無理のない抜き方など、審査にもかかわらず丁寧に細かく指導していただきました。僕の入ったグループは全員一人受験のグループ。相手の人は僕と体格的にも差のない40歳の高専の先生(支部長)でした。技もまあ僕と同じくらいのレベルでとてもやりやすい相手でしたが、それでも初めて顔を合わせた相手と何の打ち合わせも無くいきなり組演武は結構難しかったです。上手くできたとは到底言いがたいけど、それは自分だけじゃなく他の拳士たちも見ているとやりにくそうにしていました。中にはかなり上手い人もいたんだけど、やはり演武になると「ちゃんと練習してからやれば本当はもっと上手いんだろうな。」と思うような動き方をしていました。初めての相手はやはり力の入れ方やタイミングが微妙にずれて、一応技は取れるんだけど思い切った形は作れなくて崩れ気味の形が多かったな。

運用法はまあ、ムキにならない程度に流して(もともと下手なんだけど)、一安心・・・してたらまだ柔法運用法がありました。柔法運用法のことはすっかり忘れていたので、呼び出されて「さて、次は柔法ね。」と言われて、一瞬キョトンとしてしまいました。まあ、簡単に終わらせてくれたのでよかったです・・・。暑さがさほどでもなかったので随分と助かりました。スタミナ面を心配してたんだけど、指導を合間に入れてくれたのと、運用法を短時間で終わらせてくれたのでさほどバテることなくできました。ただ、まだまだ基本的な技でもいざやれと言われると不十分な部分がたくさん出てくるものだなあ、と改めて思いました。級拳士の技でももっともっと質を高めて、五段らしい技ができるようにならなければいけないな、と思いました。

技術審査終了後は口述審査。「少林寺拳法の指導者の行動規範についてどう思いますか?」という質問から来ました。これは学科試験の課題と同じような内容だったので、そういう話をいろいろしました。僕の話した話の中から、地域での少林寺拳法の存在感の話、道院支部と実業団の違い、問題点、教範の話などいろんな話をしました。質問に対する回答と言う形は最初だけで、あとはほとんど対話形式だったので15分ほど二人の先生とお話しただけという印象でした。優しい先生でラッキーだったのかも知れませんね。中には「釈尊の正しい教えについて」話してください。と言われて頭が真っ白になってしまい沈黙してしまった、という人が不合格になるというところもありました。

允可状授与式では宗由貴総裁が出てきてくれて、合格者に一人ずつ允可状と段バッジを手渡してくれました。260名以上の拳士みんなに允可状を手渡すのは大変そうだったけど、総裁よくやってくれたなぁ。45分くらい掛かってようやく全員に渡し終えました。挨拶では「おめでとうという言葉とともに、お願いします、という思いを込めて允可状を渡しています・・・」というお話をされました。改めて段位に伴う責任感を感じたいいお話でした。

先生と、一緒に四段を受けたK君と3人で本部の近くのうどん屋でうどんを食い、途中のSAでお土産を買って帰りました。疲れたけどとても楽しい帰山でした。また、明日から頑張るぞっと。

国旗掲揚・国歌斉唱の裁判

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2475579/detail
国旗・国歌に関して東京都教育委員会の出した、卒業式や入学式などで、日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱するよう義務付けた通達は違憲違法という判決。

でも読売新聞はTOPで詳しく載せているんだけどニュースをよく読むと、生徒に対して国旗掲揚、国歌斉唱を起立して実施することは教育上の意味がある、と判決は認めてるんだよな。ただ、教師が個人の信条に基づきこれを拒否することに対し懲戒処分を行うことは行き過ぎであるということらしい。だから、違憲違法なのは大人である教師に対して画一的な思想を強制するのが違法なのであって、学校で国旗掲揚・国歌斉唱を行い、日の丸・君が代に敬意を示すよう指導することは、「生徒が日本人としての自覚を養い、将来国際社会で信頼されるために、国旗国歌を尊重する態度を育てることは重要で、式典で国旗を掲げ国歌を斉唱することは有意義」(判決文)と認めている。

また「教職員は国旗掲揚、国歌斉唱に関する指導を行う義務を負い、妨害行為や生徒に起立などの拒否を煽ることは許されない。」(判決文)とまで書かれていて、違憲違法の意味合いがいろんなニュースのニュアンスとちょっと違うような気がする。読み方によるとまるで、国旗掲揚・国歌斉唱が違憲違法と言われたかのような騒ぎだけど・・・そうではないようだ。上記の内容を見れば妥当な判決だと思うんだけど、どうかな。原告側は『教育への不当・不要な介入を厳に戒めており、教育基本法改悪の流れにも強く歯止めをかける内容だ。』というコメントを出しているけどこれは疑問に思う。教育への介入、ではなくただ教師個人の権利を認めただけだと思うんだけど。

例えば沖縄の人や広島の原爆被害者の遺族などが日の丸・君が代に対し嫌悪感を持つのは十分に理解できる。でも学校の先生って何でこんなに日の丸・君が代を嫌うんだろう。一般の人に比べてそういう人の割合が随分と高いようだ。戦争を知っている世代や遺族や被害者の関係者ならともかく、そういう人でもなく明らかに戦後生まれの世代の人まで強硬に拒否する人が多い。自分が生まれ育った国に対して敬意をもつ、母国を愛する気持ちを持つ、というのは小泉首相も言っているように(http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2475674/detail)、教育云々以前の人間としての問題であると思うんだけど・・・。

野球やサッカーの国際大会で行われる対戦国の国旗掲揚・国歌斉唱。お互いの国に対する敬意を払い、フェアな闘いを誓う場面は美しいと思う。相手国に対する敬意があるからこそ、感動を与えるようなスポーツは成り立つ。中国人や韓国人のように日本の国歌が流れるとブーイングをしたり、起立しなかったり、相手国に対して敬意を払わない人々は幼稚で恥ずかしい人々だと思う。そういう感覚は世界共通のものだと思うのだけれど、日本ではどうして学校教育の現場にこう偏った人が多いのか不思議で仕方がない。その方がよっぽど問題だと思うんだけど・・・。

一方で、日の丸・君が代が日本の国歌・国旗として適切かどうか、という議論はもっと必要だと思う。憲法も改正することだし、一緒に国旗・国歌も新しいものを作るのも決して悪くない。愛国心と侵略戦争は全く別物なのに、愛国心を持つこと=軍国主義・侵略戦争と短絡的に考える人が日本人には結構多いように思う。中国や韓国が首相が靖国神社に参拝したら、即日本は軍国主義化しているといっているのと同じだ。感情的短絡と思考停止・・・。この裁判をやっている学校の先生は、日の丸・君が代を拒否しているだけなのか、国に対する愛国心を拒否しているのか・・・どうもやっていること言っていることを見ていると後者のような気がするのだが。そういう人がどんな人間教育をするのか、空恐ろしい気がしたのは僕だけなんだろうか・・・。

最後の練習

今日は試験前の最後の練習日でした。4段の人に相手してもらって、主に抽出科目と演武の練習。抽出科目はまあ分からない技というのはなくなったかなと思う。名前を聞いて他の技と勘違いしたり、紛らわしい名前の技を中心に確認した。閂片手投と片手閂投、首締投と首締十字投、木の葉丁字と逆木の葉返、巻小手と巻十字小手、諸手巻抜と諸手押抜などなど、紛らわしいやつは結構たくさんあって、それを問題の出しっこしながら確認していくのは結構楽しかった。

技の一つ一つの錬度についてはやはり難しい、というか奥が深くて研究を始めると時間がいくらあっても足りない。上手くできない技は一杯あるけど、とりあえず形にはなるようにして試験に臨めるようにはできたと思う。特に4段科目の送閂小手、逆袖捕、巻込小手、両手熊手返、裏投、押受巻投、合掌丁字あたりは悩ましい・・・。崩しを使うのはわかるけど、上手く崩せない。相手によっては掛からない、力を入れられると取れない、丁字が効かないなど問題点がいろいろ。これはもう将来の課題だな。

少林寺拳法フェイスガードと金的パッドを借りてきた。普段、フェイスガードを使った運用法はやっていないので着け方から確認しないといけない。やりにくそうだなぁ・・・。いきなり本番で着けて大丈夫だろうか。ちょっと着脱の練習しておいたほうがよさそうだ。まあ、運用法は怪我しない程度にほどほどにやろうと思っている。

問題は学科。解答をまとめて後は覚えるだけなんだけどこれがなかなか・・・。40近くなるとだんだん脳細胞も退化してきてるんだろうか・・・昔4段受けたときはもっとすんなり記憶できたはずだけどなぁ。やっぱり書いて書いて書きまくって手で覚えるしかないようだ。ラストスパートで頑張ろうと思う。

9月の空

9月の空今日は台風一過のいい天気でした。少し雲は残っていたけど抜けるような青空が広がっていました。9月の空の色ってすごく綺麗ですね。真夏の強烈さは無く、雄大な積乱雲も無く、ぽっかり積雲や薄い巻雲が流れてその奥に透き通るような青空が広がっています。とても爽やかな気持ちになる空の色です。

この写真はうちの2階のベランダから写しました。会社で視野検査があってその帰り、あまりに美しい空に写真を撮ろうと思い立って帰ってきてから撮ったんですが、午後遅くなったのでちょっと雲が出てきてしまって残念でした。

9月の空というと高橋三千綱の小説『9月の空』を思い出します。この本は僕の最初の愛読書で今でも大好きな小説のひとつです。中学3年生の夏休み、当時進研ゼミの通信教育をやっていたのですが夏休みの模擬テストがありました。その国語の問題の中にこの小説の一節が引用されていたのです。変な話ですが問題を解きながら、その問題文の小説の続きが気になって仕方がありませんでした。わずかな抜粋文でしたが主人公の高校生・勇と松山という女の子のやり取りが爽やかで印象的なシーンが描き出されていました。

問題文の後ろには(高橋三千綱『九月の空』より)と書いてあったので、翌日その模擬試験を提出した後で本屋さんへ行ってその本を探し出し、ちょうど文庫本で出ていたので買ってきて読みました。僕の本好きはこの本との出会いによって決定付けられたと言っていいかもしれません。それから中学高校のあいだに宿題やら何やらで3回も読書感想文を『9月の空』で書きました。高校2年のとき文化祭にちなんだ校内読書感想文コンクールでは特選も取ったんですよ。(ちょっと自慢

特に剣道の試合中の緊迫感、松山との淡い恋心のやりとり、ライバル石渡少年の魅力など揺れ動く純粋な高校生の心の動きが上手く表現されていて、独特の世界を持った小説になっています。何度読み返したか数え切れないけど、読むたびに新鮮な感動を与えてくれる、生涯最高の一冊だと思います。

今日は空を見てこの本のことをふと思い出しました。九月の空

台風13号

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近況・・・

いよいよ来週に迫った昇段試験、当日試験の解答がようやく固まった。これから一週間かけて暗記だー。問題は『金剛禅の教義について』と『金剛禅指導者の行動のあり方』。前のほうは教範に関連部分があるのでここを中心にまとめてわりとコンパクトにまとまった。ただ後の方が一応できたんだけどちょっと長くなってしまった。2問合わせると解答用紙一杯に書いてちょっとだけ裏面に入ってしまうかも・・・というくらい。まあ量的には十分なんだけど覚え切れるかなぁ。要点だけしっかり暗記してあとは考え考え思い出して書けば、それなりに書けるだろうと思うので頑張ります。

演武も一応覚えたけど、まだ体で覚えるところまではいってない。あんまり練習時間もないので家でしっかりイメージトレーニングするしかないな。

試験前日の出発日は娘の保育園の運動会、翌週は長男の運動会、更に翌週は次男の運動会、来週からは運動会ウィークだ。保育園、幼稚園、小学校とみんなばらばらだから回る親は大変。子供たちよ、早く成長してまとめて運動会見られるようになってくれー。忙しくって休みをいくらリクエストしても足りない。

RUNWAYどっち?

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9月度武専

今日は武専でした。2週間後に迫った昇段試験に備えて分からない技やできない技をいろんな先生や高段者拳士に聞いて回りました。手首捕と丁字捕については大分理解できました。手首捕といっても丁字を使う点とか、丁字捕の攻め方にも2種類あって丁字の攻める形が違う点などを教えてもらいました。丁字による圧法を使って手首捕を捕る先生もいらっしゃって、なかなか強烈でした。基本はともかくやり方やバリエーションはいろいろあるようで、まだまだ研究が必要だと痛感しました。片胸落とよく似ているという点には結局答えが得られませんでしたが、攻撃の仕方や技への入り方には若干の違いがあるものの、極まりの形はほとんど同じになるというのは事実のようです。

閂捕の捕り方もまだまだ甘かったようで同期の5段の拳士や先生方から指導をいただきました。閂を掛けたときにやや吊り上げ気味にしていたのですが、それでは甘いとのこと。横に円を描くように捕っていって、「閂の形」をしっかりと作り「効く方向」へ攻めてやると小さい動きで一瞬で掛かるようになるとのことでした。「閂の形」もわかったようなわからないような・・・(ということはたぶんホントにはわかってない)だし、「効く方向」ももう一つピンと来ない。大体できる・・・じゃできたうちに入らないですよね。本当に『わか』れば力を使わず形だけで、一瞬で相手を放り投げられる技(片手閂投)だけにもう少し研究してその域に達したいものです。しっかし、5段を受けるというのにまだ閂が分かってないとは・・・がっかりしちゃいました。

送肘攻表についても、教範にはそう書いてあるものの、やはり体を開いて引き倒すというのは難しく、というより相手によってはできないのでやはり閂を効かせつつ前に倒す形の方が良く使われているようです。送襟捕表にしても体を開いて引き倒す技ですが、崩しを使ってある程度倒すことはできますが、倒すだけでどこも効くわけではありません。粘られるとどうしようもなく、当身で倒すか力ずくで倒すしかないようです・・・。もともと取られた瞬間に反応して倒す技なのでそんなにじっくり効かせて確実に倒すという技でもないからいいのかな?なんて考えていますが。

袖捕内天秤なども椅子に座った状態で肩口を掴まれた時などに対応するために作られた技だそうです。だから教範でも片手で投げるようになっているんですね。いすに座ってる前提なら体捌きもそんなに使えないし両手も自由に使えないですもんね。技の成り立ちがわかると使い方やいろんな意味もわかって面白いですね。

自殺について

最近、社内である女性が自殺するという事件があって話題になっていた。どうやら携帯電話の自殺サイトをきっかけにした集団自殺らしい。もちろんその人と面識はないんだけど、知っている人に聞いた話ではまだ若い、美しい女性で自殺するような人には見えなかったというし、そんなに悩んでいたという話も聞かなかったという。若く美しい女性で憧れの職業にも就き、普通なら順風満帆、まさしく人生の絶頂期を謳歌しているはずの人が何で自殺なんかに走ってしまうのか、もったいないと思うし不思議で仕方ない。

自殺する人は多かれ少なかれうつ病の傾向があり、半病的な精神状態の中で自殺を実行するまでに至ってしまうという話は聞いたことがあるが、この集団自殺というのはどうもそれだけでもないんじゃないかという気がする。いくつかサイトを見てみると集団自殺のサイトには強力な勧誘者がいて、中には自殺を思いとどまらせようとしてサイトに関わって逆に引き込まれて自殺してしまった人もいるという。そういうことがほんとにあるんだろうかと思うけど、人の心は摩訶不思議だし、説得する力のある人にかかれば洗脳されやすい性格の人なら全く逆の考え方に引き込まれてしまうこともあるのかもしれない。

家でも妻と自殺の話をしたことがあって、そのきっかけは先日福岡で起きた交通事故でした。海ノ中道の橋の上で飲酒運転の車に追突されて海に転落し、両親は脱出できたものの幼い子供たちは3人とも亡くなってしまったという事件。子供たちの年齢がうちとよく似ていたので、両親の受けた衝撃と悲しみは想像するに余りある痛ましい事件でした。「こんなことがあったらもう二人は一緒にいられないよね。」「お互いの顔を見れば子供たちのことを思い出さずにはいられないし、悲しみが増すだけだから。それに、一人でも生き残ってくれればその子をしっかり育てる責任があるかもしれないけど全部死んでしまったらもう生きていく気力がなくなると思う。」という話をしました。僕はどんなことがあっても自殺なんて発想の外にあると思っていたけれど、もし4人の子供が全部死んでしまったら、自分が生きていく気力を失って自殺を考えるかもしれない、と思いました。もちろん実行するかしないかは別で、本当にそんなことになってみないと自分がどういう状態になるかはわかりません。

金剛禅の教えから考えると、人間はダーマという人知を超えた「大きな力」によって生かされています。宇宙があるのも、地球があるのも、人類がこうして生きていられる環境が存在するのも、そもそも人間の力ではなくもっと巨大な「力」や「法則」と呼べるようなものによって生み出され「生かされている」のです。そして人間は魂というものでそれぞれの体の中に小さな宇宙を持ち、ダーマの分霊として生きています。こういう考え方は基本的に宗教は皆おなじですね。ダーマの呼び方が神だったり仏だったり特定の何とかさんだったりするだけで…。ダーマの分霊である魂、その力を生かすも殺すも自分次第であり、努力して自己を高め、世のため人のために努力し、より良い人間社会を造ることが自分自身の幸せにも繋がるというのが簡単に言えば金剛禅の教えです。そのダーマの分霊である自分の体を自分自身で殺してしまうなんて、人間の身勝手の最たるもの、ということになるのではないでしょうか。

自分のためだけに生きている人は自分の生きがいがなくなると簡単に自殺なんて考えます。生きていれば苦しいこと、つらいことがたくさんあります。お釈迦様の教えで言えば生きていることそのものがそもそも苦なのですから。しかし、そんな中でもダーマによって与えられた限りある生を、誰しもに平等に来る死が訪れるその日まで懸命に努力することが人間として生まれてきた意味なのではないでしょうか。

『ローレライ』

ビデオ借りてきてようやく『ローレライ』をみた。期待はしてなかったけど、やっぱり内容的には全然物足りないなー。ストーリーをあらすじでさっと流しただけって感じ。福井晴敏さんの描いた浅倉大佐の理想や絹見艦長の苦悩と決断、パウラの苦しみや思い、世界最強の人間兵器「ローレライシステム」を駆使してたった一艦で太平洋艦隊全てを行動不能に陥れる見事な戦闘シーンとか、生き延びた二人がみんなの分も懸命に生きて、でも50年後も何も残せず苦しい思いをする。征人の死後、年取ったパウラは最後に征人とナーバルで流れ着いた宮崎の海岸で膝まで水に浸かり感知する。そして「悲鳴の聞こえない海」はまだまだ遠いことに絶望するが、孫娘・弥生の若々しく力強い波動を感じてようやく希望を取り戻す、という感動のラストシーンも省略されていた。(ていうか伊507は無事脱出したことになってた。)そういう大切なテーマが全然表現できていなかったから、ただの潜水艦ものの戦争映画で終わっていた。パウラの兄、フリッツが登場しなかったり、ラストが全く違うものになってたりして、つくづく小説の映画化の限界というものを感じさせた。

『Operation ローズダスト』なんてもっと複雑で込み入ったDETAILだから、なおのこと映画化は無理だろうな。あれはアニメかなんかで連続ドラマ風にすればいいような気もするけど。

地震と滑走路閉鎖

プライベートモードの記事です。

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