とこちゃんのひとりごと

空のお話・少林寺拳法・家族・思ったことを綴る日記です。 仕事関係のことはプライベートモードにしています。 PASSWORDを知りたい方はprofileにあるアドレスにメールしてください。

2006年12月

今更ながら読みました。

隠された証言―日航123便墜落事故
JAL123便の事故調査に深く関わり、昨年の8月事故から20年の節目に製作された特別番組でも取り上げられた元JALのCAPの藤田日出男さんの書いた本。昔から出版されていたけど読んでいなかったので、文庫化をきっかけに買ってみた。JAL123便の事故原因については今でも疑問の声が根強いのは事実だ。事故調査委員会の報告では、後部圧力隔壁の修理ミスにより強度が不足し、隔壁の破壊によって高圧の空気が垂直尾翼内に噴出しその圧力で垂直尾翼が破断したことになっている。そのためにハイドロラインが全て遮断され操縦不能に陥ったとする「圧力隔壁説」だ。しかし、生存者の証言から垂直尾翼を吹き飛ばすほどの急激な減圧は発生していなかったことは明らかで、かつ通常なら高圧空気が噴出してもテイルコーンやAPUを脱落させる方向に力が働き、尾翼を吹き飛ばすような事態にはならないのが通常の飛行機であることから考えても説得力がない。相模湾沖から尾翼の回収も結局行われず、科学的な根拠の希薄なままに事故調査が終了されてしまっている。

自衛隊の無人標的機衝突説、ミサイル誤爆説なども一部では取沙汰されているが、フライトレコーダー・ボイスレコーダーの解析や生存者の証言からも外部から何かが衝突したことを証明するデータはないようなので空想だろう。藤田氏は尾翼フラッター説を指摘している。B747の構造的問題と機体の劣化・損傷により垂直尾翼がフラッター(旗めき現象)を起こし強度限界を超え尾翼自体が破損したという説だ。フライトレコーダーにも衝撃のあった瞬間、1秒間に12回という通常では有り得ない細かな横方向の振動が記録されており、またボイスレコーダーにも解析の結果尾部にあるボイスレコーダー本体に何らかの振動があったというデータが残っている。また機体に残された尾翼の付け根部分にも尾翼が激しく振動しこすれた跡が残されている。ただ、尾翼本体が回収されていないので、決定的な証拠までは挙がっていないのが実情だ。

尾翼のフラッターは世界的に見てもB747に限らず尾翼の破壊に至る事故ではよくある現象で、最近でもアメリカで副操縦士がウィンドシアーに対応するため急激にラダーを左右に操作した結果、尾翼が破壊された事例もある。今でもB777の限界事項にはラダーを急激に左右に操作してはならないという項目があるが、これは尾翼の破断を防止するための限界指定である。証拠不十分ではあるが、パイロットとしては十分に「ありうる」事故原因だと思う。この事故の直後、航空局はB747全機に尾翼部分の検査を指示しているが、その結果多数の機体からボルトの折損や緩み、亀裂などが発見された。またこれ以降の機体、B747−400やB777では垂直尾翼部分の構造が改良されている。こういうところから、ボーイング社が整備不良をあっさり認めた理由を、責任をJA8119一機だけに求め全世界のB747の改修という事態に発展することを恐れて事故調査を誘導したという陰謀説が囁かれる原因になっている。事故調査委員会はまんまとそれに踊らされたというわけだ。

すでにB747は多くが退役しているが、まだまだ世界では多数のB747が飛行している。正しい事故原因の究明なくして安全運航は達成できない。日本の事故調査はあらゆる面で大きく世界に立ち遅れているが、それはこの当時から現在まで何ら変わっていないと思う。藤田氏が大規模な再調査を要求するのは当然のことだ。

タイ料理とコーヒー

ロスに到着しました。今回はジェット気流が強く、時間も随分早く着いて快適な飛行が出来ました。この季節、カリフォルニア北部のロスのあたりは短い雨季のような気候で雨が多いのですが、今日は気持ちいい青空が広がっています。先週きたときは随分寒く日本と変わらないくらいの気温だったのですが、今週は比較的暖かくいつものロスの気温に戻ったようです。朝夕はさすがに少し肌寒いですが・・・。

先ほどは前日到着のクルーと6人で近くのタイ料理屋に行ってきました。初めて入った店だったんですが、アメリカのタイ料理屋にしては辛さがしっかりしていてサービスも親切で、かつ値段も安くとてもいい店でした。トム・カー・ガイ、ヤムウンセン、パッタイ、サテーなど定番メニューをいろいろ頼んでみんなで楽しく過ごすことが出来ました。また、臨時の忘年会ですね。明日は中華屋さんに行くことに決定してます・・・。

そういえば今回は妻からお土産を頼まれていて、近くのスーパーマーケットでコーヒーを買っていくことになっています。アメリカではコンビニにたくさんコーヒーメーカーが置いてあってTake Awayでいろんな種類のコーヒーが楽しめます。その中にフレーバーコーヒーというんでしょうか、バニラ味やヘーゼルナッツ味、フレンチロースト味などの香りのついたコーヒーがあってこれがなかなかおいしいのです。こちらでは普通に飲んでいますがそういえば日本ではあまり流行ってないなと思い、この間買って帰ったら好評だったので追加でいろいろ買っていくことにしました。僕はあまりお酒が飲めないのでお正月休みはコーヒー三昧です。

帰ったら大晦日。夕方成田に着いて夜の便で大阪に移動します。大きく遅れない限り21時ごろには家に帰れる予定。お客さんも年内に自宅に帰りたい方がたくさん乗ってらっしゃるだろうし、風が強くても頑張って飛ばして帰ろうと思います。皆さんも一年のお仕事本当にお疲れ様でした。

今年最後の練習

昨日は今年最後の練習でした。でも参加者は2人だけ・・・。最後までさみしんぼうの練習でした。来年は先日書いた女の子が友達を連れて来てくれそうな様子なので、少し参加者が増えそうな期待があります。女の子頼みっていうのもちょっと情けないですが、まずは人数を増やしていかないとどうにもならないしね。頑張って人数を増やして盛り上げていきたいな。

今日は相手が初段の後輩だったので2段科目を中心に練習して、軽く汗をかいて帰りました。今年最後でいろいろ積もる話もあったし、それなりに楽しかったです。今日はこれから、ロス便で最後の仕事。大晦日の夜に帰ってきます。まあ、ブログは向こうでまた更新しますが・・・。

昨日の爆弾低気圧の中のフライトは結構大変でした。今は時間がないので詳しいことは書けませんが・・・。では、いってきまーす。

教官の思い出(長文)

僕が航空大学校に入学したのは今から18年前の20歳の時でした。宮崎課程での座学の成績は一生懸命勉強した甲斐があって上位でしたが、最初の飛行訓練である帯広課程はすごく苦労しました。帯広ではプリソロチェックとファイナルチェックという2回のチェック(審査)があります。航大の審査は全てそうですが、審査で不合格になると追加訓練の後、もう一度だけチャンスが与えられます。このRe-Checkで不合格になるとその場で退学、翌日には荷物をまとめて帰らなければなりません。Re-Checkを受けるときのPressureたるや相当のもので、これで失敗したら大学も中退して来ているし、就職できる見込みもないままにこの先どうしたらいいのか途方にくれる状況に追い込まれるので、人生を賭けて何が何でも合格しなければならないのです。

僕はこの頃、車の免許も入学前にようやく取っただけのペーパードライバーで、そもそも乗り物をコントロールするセンスというものがまったくありませんでした。教官は厳しく指導され、当時の航大では怒鳴られるのも拳骨で殴られるのも日常茶飯事です。まだ僕の担当教官は優しいほうだったので頭を拳骨で小突かれる程度で済んでいましたが、なかなか技術のほうは上達しませんでした。20数時間の訓練の後、単独飛行に出せるかどうかを判定するプリソロチェックは不合格。追加訓練とRe-Checkの末、ようやく合格をもらいました。その後50時間程度の訓練が終わった段階で帯広課程の卒業を決めるファイナルチェック、出来は散々で危険行為までやらかしてひどい状況になりましたが、優しい審査官のおかげでRe-CheckはAir-Workの1項目だけで許してくれ、帯広課程は2度のRe-Checkを潜り抜けて辛うじて通過できました。

20数人いる同期の中で2度もRe-Checkを受けたのは僕だけで、合格はしたもののすっかり自信喪失してしまい、「俺には適性がないのかなぁ。」なんて思いながらも、合格できたんだからできるところまで頑張ろう、Eliminateされるその時まであきらめることだけはしないようにしよう、とそれだけの思いで宮崎に帰ってきました。そんなときに出会ったのが宮崎の坂本教官でした。

坂本教官は訓練中はいかつい顔で指導も決して甘くはありませんでした。口の中でもごもごと早口にしゃべる癖のある方で、ブリーフィングで何を言っているのかわからないこともしばしば・・・。僕は余裕がなくただ日々必死でフライトしているだけの毎日でした。そんなある日、教官から、「中学2年の息子がいるんだが、勉強をみてやってくれないか。」とのお話が。僕は大学時代に塾の講師のバイトをしていたこともあり、子供を教えることには自信があったので快く引き受けました。航大では当然アルバイトは禁止されていましたし、お金をもらうわけにはいかないので教官がご自宅まで送迎してくれ、食事をご馳走になる約束で臨時の家庭教師になりました。学校では何かと無愛想な教官ですが、家では全然違う一面を見せてくれました。

家には美しい奥さんがいらっしゃっていつも気持ちよく出迎えてくれました。奥さんは当時41歳くらいでしょうか。背筋のピンとした美しい方で、何より性格が明るく、話好きで、教育熱心で、場の雰囲気をぱっと華やかにさせる明るい雰囲気を持った女性でした。中学2年のお父さんに似て無愛想だけど素直な可愛い性格の息子さんと、小学5年生の天真爛漫なお母さん似の天使のような妹さんと、とても素敵なファミリーでした。僕はこの奥さんが大好きで憧れの女性でした。将来結婚するときはこの奥さんのような女性と結婚しようと思っていたのをよく覚えています。現に今の妻は面影が奥さんに似ているかもしれません。僕にとっての「理想の女性」というやつですね。そんなわけで僕は週に2回の家庭教師の日が楽しみで、子供たちや奥さんといろいろ話したり、勉強のコツや宮崎の高校受験事情などを話しながら食事するのは忙しい訓練の合間とはいえちっとも嫌じゃありませんでした。教官はいつもの口調で時々ぼそぼそ会話に加わりながら、いつも楽しそうにしていらっしゃいました。

教官のそういう姿に接するうち、訓練のプレッシャーが次第に取れてきて僕もフライトに余裕が持てるようになって来ました。カチカチになっていた訓練中に、それまではとてもじゃないけどできなかった冗談を言ったりもできるくらいになりました。そうなると力も抜けて柔らかいコントロールが出来るようになり、教官の教えもすんなりと自分の中に落ちるようになってきて、ぐんぐん技術が上がったように思います。そういう中から、フライトに一番大切なこと、「自分の能力の限界を知り、一杯一杯にならないこと」「いつも頭の半分は余裕を残しておくこと、その余裕の中で仕事をするということ」など、大切なことを学ぶことが出来ました。おかげで宮崎課程では2度のCheckにもすんなりと合格し、自信をつけて仙台課程へ進むことが出来ました。フライトにおいて大切なことを教えていただき、何より自信を持つことが出来るようになり、フライトが初めて楽しいと思えるようになりました。わずか8ヶ月の交流でしたが、空を飛ぶ喜びと僕の女性観にまで影響を与えた坂本教官と奥様には本当に足を向けて寝られないくらい感謝しているのです。

このときからわずか3年後、奥様は突然の肺癌を発病され、若いことも災いしてわずか数ヶ月の早さであっという間に世を去ってしまわれました。教官、子供たちの悲しみは如何ばかりかと思うと言葉もありませんでした。美人薄命とはまさにこのことなんですね。息子さんは翌年から大学で広島に発ち、宮崎のご自宅には教官と娘さんの二人が残され、今日まで暮らしてこられたのです。教官は奥さんをなくされてから数年で白髪が目立つようになり急に老け込まれたように感じました。奥さんの人柄を知り、お二人の深い信頼関係を見てきたので、教官の落胆がよくわかるのです。それでも僕の結婚式には快く出席してくださり、心から祝福してくださいました。そんな教官が、奥様を亡くされてから12年後、同じようにあっという間に逝ってしまわれました。きっと娘さんの花嫁姿を見るまではと思いつつ、無念の思いで逝かれたことでしょう。しかし、もうすぐ奥様と再会できることを喜んでおられたかもしれません。数百人の若いパイロットを育て、様々な苦難を乗り越えて駆け抜けるように生きた、まさに手本となるような見事な人生だったと思います。

人は必ずいつか死にます。44歳の若さで逝かれた奥様も62歳の短い生涯を閉じられた教官も、それぞれの人生を幸せに精一杯生きておられました。だから、大切なことは悲しむことではなく、教官の教えを忘れず、自分もこれからの人生を悔いの無いように、最期までしっかりと生きていくということだと思いました。

二つの訃報

22日は二つの訃報が飛び込んできました。一つは機長昇格訓練のときにお世話になった大先輩M CAPの奥様が亡くなられたという知らせ。もう一つは航空大学校の恩師である坂本教官の突然の訃報でした。

会社の大先輩であるMさんは今は他の機種に行かれていますが、以前B777にいらっしゃって訓練担当機長として昇格訓練の節目でのCheckを担当していただきました。自分ばかりでなく同期も大変お世話になりました。厳しい訓練の合間にあって、落とされると追加訓練という本来厳しい試練の場であるのですが、M機長はCheck時でも優しく話をしていただき、フライト開始前から「俺はお前を落とすつもりなんて毛頭無いから、普段どおりに普通にやれ。」「ここまでやってきた人はみんな合格だ。駄目なやつはここまで来る前に切られている。だから心配しないで自信を持ってやれ。」と励ましていただき、言葉通り全員1回で合格。訓練中は何度も食事にも連れて行っていただきました。全員合格の暁には僕ら同期3人を高級な寿司屋に連れて行ってくれ、全てポケットマネーでお祝いしていただいたりもし、公私共にひとかたならぬ恩義のある、情の厚い素晴らしいCAPです。

この昇格訓練は3年ほど前の話ですが、奥さんはその後病魔に倒れられたらしく、もう2年以上ガンと闘病されていたそうです。しかし、M CAPは会社では一切そのような素振りは見せず、50台半ばの年齢では困難な機種移行訓練や厳しい国際線乗務を黙々と日々こなされていました。そういう方だったので、奥様の訃報を聞いて、運よく連休中だったのでとりあえずお通夜に駆けつけました。奥様とはお会いしたことはありませんでしたが、小柄な美しい方でした。二人の妙齢の娘さんがいらっしゃるので、救われる部分はあるようにお見受けしましたが、やはり奥様をなくされたショックは覚悟していたとはいえ隠しきれないご様子でした。焼香の後、30分ほど知り合いの先輩機長や駆けつけてきた同期と共にMさんと話をしてから帰りました。気落ちされなければいいのですが・・・ちょっと心配です。

23日は本当は親戚を呼んで家でクリスマスパーティーを予定していたのですが、mixiで知り合った現役の航大生の1人がメールで坂本教官の訃報を知らせてくれたので、22日はM CAPのお通夜に、23日は坂本教官の葬儀のため宮崎に発つことにしました。ちょうどX'mas Partyで来てくれる予定だった義母と義姉に事情を話して子供たちの世話をお願いし、妻と二人で朝一番の便で宮崎に向かいました。坂本教官と僕の関わりについてはまた次のトピックで書こうと思いますが、今の自分があるのは坂本教官のおかげであると言っても過言ではありません。この世界で一人前になるためにはたくさんの試練があり、たくさんの人の愛情と情熱のおかげをもって一人のパイロットが育ちます。僕の今があるのも決して誰か1人のおかげではなく、お世話になったたくさんの先生・先輩たちの力があってこそなのですが、その中でも一番僕にとって重要な時期に、重要なことを教えていただき、僕の価値観にも影響を与え、公私共にお世話になった大恩師が坂本教官なのです。
 
教官は今から12年前に最愛の奥様を肺がんのため失い、当時高校生と中学生だったお兄ちゃんと妹の二人の子供たちを一人で育て、また定年退職後も嘱託教官として引き続き航空大の教官として職務を継続してこられました。亡くなるわずか3日前まで訓練のフライトを行われ、21日の朝、起きてこないのを不審に思った娘さんが気がついたときにはすでに激しいいびきと共に意識を失われており、とうとう意識を回復されることはないまま、病院で亡くなられたそうです。最期までパイロットらしい、太く短い生涯だったのではないかと思います。長男はすでに結婚して広島で住んでいますが、宮崎の自宅にひとり残されたお嬢さんが不憫です。親戚もいるし、友達もいるから大丈夫、と彼女は気丈に言っていましたが、できることがあれば力になってあげたいと思います。

教官には自分たちの結婚式に来ていただき、お話させていただいたのが最後になってしまいました。もう8年以上前のことになります。その後4人の子供が生まれ、日々の生活に追われるうちに過ごしてしまい、宮崎には長い間ステイがないこともあって、教官に会いに行く機会を得られないままにこの日を迎えてしまったことが本当に悔やまれてなりません。おそらくはさほど苦しまず逝くことができたのでしょうか、いまだ独身の娘さんのこと、さぞ心残りだったことでしょう。心から愛しておられた奥様の許へ旅立っていかれた、坂本教官のご冥福を心からお祈りいたします。

合同練習と忘年会

先日の土曜日は少林寺拳法のブロック合同練習と忘年会でした。当ブロックは年に4回くらいのペースで合同練習をしていますが、この年末の合同練習は大阪の高名な先生を特別講師として招待して指導していただくというのが恒例になっています。今年は大阪最南部の某道院からS先生に遠路はるばる来ていただきました。今年の全国大会で最優秀賞を取った4段のペア(1人は先生の息子さん)と2段(だったと思う。)の男女のペアも来ていただいて演武を披露してもらいました。当ブロックには大阪大学の学生さんが参加しており、演武大会でも優秀な成績を上げています。S先生を招待したのも、阪大は関西ではすでにトップクラスの実力があり、目標を見失いがちになるので更に上のレベルの演武を間近に見てもらいたいというブロック長の配慮からです。もちろん、大会にはしょっちゅう出場しているのでこういう演武を常に見てはいるのですが、どのような練習や演武構成をしているのか、など裏側の部分についてはわからないのでそういう部分を興味を持って教えていただきました。

S先生は65歳だったかな?年齢を感じさせない剛法の素早く正確な動きには感銘を受けました。演武でいい成績を長年残し続けている支部の道院長らしく、剛法の指導には独特のものがあり、しかもとても合理的で大切なことをたくさん教えていただきました。特に感心したのは「スピード」について。今の少林寺拳法ではスピードよりも正確さ、という傾向が強く、スピードが重視されない傾向があります。しかし、S先生はスピードの大切さを説かれ、無駄な動き、不合理な動きがあればスピードのある技はできない。正確さは大切だが、スピードのある技を追及していく過程の中から、無駄のない正確な動きが生まれてくるのだ、ということを仰っていました。この辺はさすがだと思いました。そして少林寺拳法は楽しくなければいけないということ。でもこれは普段演武練習で非常に厳しい練習を重ねているので、楽しくなければいけないということを強調できるのかな、とちょっとレベルの違いを感じました。しかし、S先生の教えはいちいち共感できる部分が多く、話し上手で説得力があり、なるほど素晴らしい指導者だな、と思いました。

演武のほうはテーマを持って構成したり練習することが大切という教えがありました。ちなみに全国最優秀演武の構成テーマは「金剛拳をしっかりやろう」だったそうです。どちらかというと演武に使うには地味な金剛拳ですがそこをしっかりとやることで自身の修練にもなり、また一味違う金剛拳をアピールしようという狙いがあったそうです。そして構成は「山」をつくること。一つ一つの構成を同じように作っていては6つの技が代わり映えしない平板な演武になってしまいます。だから中には地味な構成があったり、シンプルな構成があったりしても、どこかに凝った「これ」という技を入れることによってかえってその技が引き立って見えるということだそうです。6つの技を全体に見てバランスを取ることが、スタミナの配分や技のキレを出す意味でも有効だそうです。仰るとおりですね。

練習後の忘年会では居酒屋をほとんど借り切って40人ばかり参加して賑やかに行われました。そこではくつろいで先生方といろいろお話ができましたし、S先生も楽しんでいただけたらしく、来年も是非呼んでくれということになり、すでに来年の講師に決定してしまいました。2次会はカラオケで盛り上がり楽しい夜をすごすことができました。僕もまた演武をやりたくなったな。

松坂と岡島と井川の話。

松坂大輔投手のボストン・レッドソックス入団が決まったそう。まずは良かったと思う。ヤンキースの松井もコメントしていた通り、代理人交渉でぎりぎりまで交渉して決裂寸前まで頑張ったが、本当に決裂するとは僕も思ってなかった。松坂のメジャーリーグ入りの強い決意を見ればそれは明らかだ。ただそこで足元を見られてポスティングシステムで西武に莫大な金額を支払ったレッドソックスが契約金を渋るのを簡単に容認はできないというところだったのだろうと思う。結果的には新人最高額と言われているし、イチローや松井が渡米したときの最初の金額よりもはるかに上だというからまあ、取り敢えず十分なんじゃないだろうか。あとは実績を上げて更に稼いでいけばいいことだと思う。松坂には十分その力はあるだろうし・・・。

ところで、松坂より一足先に日本ハムの岡島投手がレッドソックス入りを決めていたのにはちょっと驚く。岡島投手と言えば昔は巨人で中継ぎや抑えをしていて、そこそこは力のあるピッチャーだった。ただ、コントロールが悪く安定感がもう一つで結局巨人を放出に近い形で退団し、日本ハムに行った。日本ハムでも中継ぎの一角としてそれなりの活躍はしたのだが、有名な「ハムの法則」のリリーフ3本柱には数えられていない程度だ。それにしても彼は巨人時代には決定的な抑え投手がいない時期に活躍し、胴上げ投手にもなった。日本ハムに移籍した1年目にしてまたしても日本一のチームで活躍できた、そしてフリーエージェントを獲得してレッドソックスへ。ものすごく強い運を持った選手なんだなあ、と思う。ピッチングの内容を見ていると本当にそれほどの選手かなぁ、と思うんだけど経歴は本当にすごい。レッドソックスでどのような活躍をしてくれるか、あるいはさっぱり通用しないか、楽しみな選手ではある。左の変則型であるだけにコントロールさえある程度克服すれば(荒れ球は持ち味だから、荒れてもフォアボールを出さないようにすれば)またここでもそこそこ通用するんじゃないか、なんて期待もある。

ヤンキースには阪神から井川が入った。松坂を取り損ねたヤンキースが隠し球として取った井川だが、日本で活躍したときのいいときの井川を向こうでも発揮できれば必ず通用するだけの実力は持っていると思う。ストレートの力とチェンジアップ、スライダーのコンビネーションはコントロールのよさと安定感という面ではメジャーの好投手の上を行く部分があると思う。問題はストレートがどこまで通用するかだと思うけど・・・。左というメリットがあるだけにある意味、松坂よりいい成績を残す可能性さえあるように思う。

いずれにせよ、来シーズンのレッドソックス対ヤンキースのカードはますます見逃せない試合になりそうだ。松井がいる以上日本人投手が投げなくてもNHKがちゃんと中継してくれるだろうし、とっても楽しみにしている。

クリスマス礼拝

今日は次男の幼稚園のクリスマス会でした。キリスト教の幼稚園なのでクリスマス礼拝には恒例のページェント(イエス様の誕生劇)が行われます。今年は次男がマリア様の旦那さんのヨゼフに決まったということで、休みを取って見に行きました。去年、長男のときはクリスマス会の予定を聞いていなかったので休みが取れなかったんですよね。

年少組は舞台飾りの作品作り、年中組は聖歌隊、そして年長組は劇を演じる役割があります。年少組から上の子の様子をじっと見ながら少しずつこの劇に対する準備をしていくので、子供たちはみんなこのページェントを演じるのを本当に楽しみにしているようです。クラスごとの上演なので3日間に渡って行われていますが、少人数なので特に厳かな式典に感じられます。ページェントもまた礼拝の一つの形であり、写真やビデオの撮影は一切禁止されています。だから親も見に行くしかないんですね。

劇の内容はいつも一緒です。イエス様誕生のときの様子を描き、みんなが祝福に訪れるお話。子供たちそれぞれにもしっかりと出番があって、あまり主役、脇役の差がない構成にはしています。大人からみるとやっぱりマリア様かヨゼフの役が主役かなと思うんだけど、子供たちはそうでもないみたい。羊飼い役は長い杖を持てるし、台詞も多く目立つ上ちょっとしたダンス・・・じゃないけどパフォーマンスもあるので人気だそうです。

次男はまあ、多少ごそごそしたり欠伸したりやってましたが、それなりにしっかりセリフも言えて頑張ってました。幼稚園児にここまで劇を仕込むのは先生達も大変だっただろうなと感心しました。誉めてあげたらちょっぴり自慢そうな次男君。これでますます自信がついてくれるといいね。

新入部員GET!かな?

昨日は千歳でステイでした。晩御飯にCAさんを誘ってみたら何と珍しく全員で来ちゃいました。総勢13人!何人かで出かけることはありますがB777で全員で行くというのは年に何度もない珍事です。馴染みのおすし屋さんでちょっとした忘年会気分です。そこのおすし屋さんはお魚がおいしくて値段も高くないし、くつろげるいいお店です。タラバガニとかも出してもらって、仕上げはうに・いくら・カニ・鮭のミニ4色丼。おいしかったし楽しめました。

みんなでワイワイ、いろんな話をしてたんだけど珍しく大阪のCREWだったので、少林寺拳法部の勧誘もしてみました。うちにはいまのところ女性拳士はいないんだけど、CAさんなんか護身術としてやるのはとってもいいことだと思うんだけどな。年に1回の緊急訓練なんかでも警察の逮捕術や合気道の先生を招いてビデオで簡単な抜き技なんかを紹介したりしてましたが、とても実際に使えるような代物ではありません。むしろ生半可に覚えて使おうとすると危険なくらいです。機内で使えるちゃんとした護身の方法、言ってくれれば僕がいつでも教えるのに、と思っていたのですが・・・。なかなか勧誘が上手くいかなくて、今まで少林寺拳法部には女性部員がいなかったのです。武専や府連の先生方にも声を掛けられるたびに、「部員増えた?CAさん入った?」と聞かれるのですが、なかなか・・・。でも、今回1人の女の子が興味を持ってくれてやりたいと言ってくれました。なかなか彼女たちは勤務も厳しいし、休みも決して多いとはいえないので本当に続けられるかどうかはわかりませんが、入ってくれたらいいなあ。

女の子が一人でも入るとそれだけで大分雰囲気が変わるし、他の人も女の子目当て・・・というのではないでしょうが、男性部員もやってみようか、という意欲が増すと思うのです。人が増えればますます練習もやりやすくなるし、いろいろと全体がいいほうへと回転していきます。そういうきっかけになる女性部員を探していたので、彼女はいいチャンスかもしれません。決して贔屓するわけではないのですが、女性部員は大切にして是非残ってもらえるよう頑張ってみたいと思います。まずは入門してくれるかどうかなんだけどね・・・。

柳生家の家訓

この間テレビで家訓の話をしていたのをチラッとみた。その番組でクイズ番組の司会などで有名な柳生博さんが柳生家の家訓の話をしていた。柳生家には代々続く家訓があってその中に、「“13才になったら旅に出よ”」というものがあるそうです。柳生さんはそれで中学2年の夏休みに八が岳に出かけ、今ではもう八が岳に移り住んで30年になるそうです。幼い頃始めて旅した印象があまりに強烈で、八が岳の地に思い入れを持つようになったのでしょうね。

うちには伝えられるような家訓のようなものはありません。で、よその家訓ながらとても素晴らしいもののように思ったので、我が家でも考えてみることにしました。まず、何で13歳なんでしょうね?昔なら元服は15歳でしたっけ?その辺ならわかるんだけどちょっと年齢的には早いような気がします。現代でも通用するんでしょうか?柳生さんは家訓の通り中学2年に行ったそうですけど、ほんとに大冒険ですね。親としては13歳で一人旅をさせるのはかなり不安があります・・・・。中学2年生ならできないことはないかな・・・。でも実際にやったらきっと子供の中で何かが変わるかもしれないと思うものがありますね。自立心を養う意味でも非常に価値があると思います。当然、危険もあるとは思いますが・・・。

柳生家には他にも有名な家訓があって、
『小才は縁に出会って縁に気付かず
 中才は縁に気付いて縁を生かせず
 大才は袖すり会って縁をも生かす 』 というのが知られています。

これは、凡人でも学問や智恵や能力などの才を磨くのに、己の怠惰心に打ち勝ち、自己研鑽に励み、達人(大才)になれば襲ってきた敵をも殺さず、己と敵を共に生かす活路を見いだすことを意味し、柳生の剣が殺人剣ではなく活人剣と言われる所以だそうです。 要は、大才は襲って来た敵をも縁と感じて、生かし味方にし、中才は縁に気づいても殺し、小才は敵を縁とも気づかないということなんですね。現代ではもっと一般的に人の縁を大切にしなさいという教えとしても評価されているようです。

江戸時代初期に活躍した柳生但馬守こと柳生宗矩(むねのり)の残した言葉らしいです。柳生宗矩は江戸時代初期、徳川家康・秀忠・家光の将軍家三代に仕え、剣術指南役として、また3代将軍家光の家庭教師として養育に当たり、徳川300年の太平の礎をつくるのに大きな貢献をした人物です。その教えは剣術の達人にありながら、『剣禅一如』『活人剣』の教えであり、剣術はただ人を殺すための技術にあらず、剣を通じて自己を鍛え、世のため人のために力を使うという禅の思想を取り入れて剣術を武道に高めた人物として知られています。山岡荘八の『柳生宗矩』にはこの人物の伝説が生き生きと描かれていて僕の大好きな歴史小説のひとつです。柳生宗矩の教えは少林寺拳法の開祖宗道臣の教えとも随分重なる部分が多いですね。とても共感できる素晴らしい教えだと思います。

ま、それはともかくとして何かいい家訓があったらまた調べて我が家に取り入れていきたいと思います。
 柳生宗矩〈1 鷹と蛙の巻〉

30周年記念式典

今日はいつもお世話になっている近隣道院の30周年記念式典でした。大阪・兵庫の高名な先生方も多数参加して盛大な式典が行われました。参加者は150名ほど。テレビ朝日の現役アナウンサーが司会をしてくれて、元衆議院議員とか大阪府議会議長とか政治家の人も代理じゃなく何人も来ていて先生の顔の広さが窺われました。道院拳士の演武などいつもの感じでイベントが進行し、立食形式だったので僕も知り合いの先生や拳士と談笑して楽しい時間が過ごせました。お話も随分伺いましたが、30周年というのはすごい時間ですね。人生を賭けて少林寺拳法に取り組む先生の熱意の素晴らしさを改めて感じました。僕はお昼に食べた激辛ラーメンが失敗でおなかが痛くなり何度かトイレに駆け込んだりしてたのでほとんど料理は食べられませんでしたが、デザートのケーキはおいしかったです。

2次会は近くの飲み屋で15人ほどで行きました。偉い先生も何人か来てたのでちょっとだけ気を遣いましたが、夜が更けて大先生達が帰ったあとはいつものメンバーでくつろいで飲みなおしました。2次会のセッティングや人選、案内は道院拳士でなく、僕のお世話になっているO道院の幹部拳士がやってくれていて、2次会には当該道院の幹部拳士が誰もいなかったのにはちょっとあきれましたが・・・。やっぱり幹部拳士は道院を離れたら先生と飲み友達くらいの方が何かと意思の疎通ができていいのかもしれませんね。特にのんべの先生の場合には。

それはともかく、各支部のいろんな先生と交流できて楽しい夜でした。やっぱり人脈が広がるのが少林寺拳法のいいところですね。

山口宇部

プライベートモードの記事です。

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風邪引いたみたい。

数日前から子供たちが咳したり鼻水垂らしたりしてて風邪気味でした。その子供の風邪がうつったのか、疲れが溜まったのか昨日から体調不良。千歳便フライトの途中から喉が痛くなって声がまた出なくなってきた。今日は午前中散髪屋さんに行ってたんだけど、毛剃りの途中で気分が悪くなってしばし待合のソファーで寝かせてもらった。ただの貧血だったらしく10分ほどで気分や吐き気は治ったけど、ちょっと仕事できる自信がないので今日は休ませてもらうことにしました。

今日はスタンバイで明日は休みなので二日休めば元気になると思う。とりあえず寝て治します。皆さんもお気をつけて・・・。

カラオケ

この間の那覇ステイのときにCo-Piさんと一緒に久しぶりにCo-Piさんの馴染みの飲み屋に行って、他の客がいなくなったのでカラオケをやらせてもらうことにした。最近、「コブクロ」のアルバムを買って気に入っているので車の中での練習の成果を試してみたく、歌ってみた。やっぱりところどころメロディーが怪しいところがあるけど、まあ何とか歌えた。「桜」「Note」「一つだけの花」あたりがお気に入り。もうちょっと練習して忘年会のあとのカラオケ会なんかでも歌ってみたいな。コブクロの歌は歌詞がいいし、メロディーも歌いやすい。久しぶりに歌うとやっぱりカラオケって気持ちいいもんだな。

スキヤキアキタ

大したことじゃないんだけど・・・先日の市民大会のあとの打上げ懇親会はすき焼き食べ放題のお店でした。安くておいしくてなかなかいいお店でした。しかも食べ放題なのに残ったお肉や野菜はお持ち帰りしてよいとのこと、皆さんもう要らないということだったので、うちは家族のお土産にお肉と野菜とうどんをパック詰めしてもらって帰りました。帰ってすぐ冷蔵庫で保存して翌日(月曜日)の夜はうちですき焼きでした。その翌日の火曜日は朝ごはんに前夜の残りのすき焼きをすき焼き丼にして食べてきれいにしました。

水曜日、遅番の仕事に行くと夕飯の弁当に出てきたおかずはまたまたすき焼き・・・・「なんか、あんまり食べたくない味だなぁ」(前日まですき焼きばかり食べてたことは忘れてる)と思ってたら、食べ終わった後で昨日まですき焼きばっかり食べてたことを思い出しました。Co-Piさんに「何かすき焼き食べたくない気分だと思ったら、俺今日ですき焼き4日目だよ・・・。」「贅沢ですねー」なんて言われながら笑ってました。

その日は那覇にステイして、昨日の木曜日はまた遅番の仕事。夕飯の弁当はまた大阪発の弁当でした。一応2種類あるんだけどよく選ばずに何気なく開くと・・・またすき焼きを当ててしまいました。さすがに5日目は耐え切れず、また時間がなかったこともあってそのまま食べるのをやめて家にもって帰りました。子供たちが喜んで食べてくれましたが・・・。家で食べたカレーライスが美味しかったこと!

当分すき焼きはいらないや。「すきやき飽きた!」というお話でした。

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