とこちゃんのひとりごと

空のお話・少林寺拳法・家族・思ったことを綴る日記です。 仕事関係のことはプライベートモードにしています。 PASSWORDを知りたい方はprofileにあるアドレスにメールしてください。

2012年07月

最近の柔道と少林寺拳法

昨日、出社の時にTAXIの運転手さんが玄関に置いてあった子供たちの剣道防具を見て「剣道やってらっしゃるんですか?」って聞いてきました。運転手さんは柔道の経験者でオリンピックを見て最近の柔道の試合の面白くないこと、審判のレベルの低さを嘆いていました。それで「剣道は何でオリンピックに出ないんですかねー。テコンドーなんて変わった武術がやってるのに。」なんて聞いてきました。で、会社に着くまでしばらくその話で盛り上がってました。

確かに今の柔道はオリンピックに出るようになってから「JUDO」に変わってしまい、本来の柔道は失われていると思います。もはや「道」ではなく勝ち負けを争うだけの単なるスポーツになってしまってますよね。試合に青い柔道着を導入した時点でもう柔道の「道」は失われたのだと思います。外国選手の柔道は腰を引いて低く構え、やってることは相撲やレスリングと何の違いもありません。あんな構えでは当て身を入れられれば終わりですけどね。今の柔道には当て身はルールで禁止ですから…。何とか転がして、あるいは力任せに引きずって相手の背中や肩を畳に付ければポイント。そんな形では日本選手の得意な投げ技が決まることはもうほとんどありません。審判も技や体勢云々より仰向けに倒れた、背中が着いたと結果だけ見てるようなので不可解な判定が多くなるのも当然ですよね。これはもう格闘技ではありません。

運転手さんは柔道に指導や有効、効果なんていらないと言ってました。また「待て」が早すぎるとも。寝技で抑え込む過程も立派な技なんだから抑え込みに行ってる最中に「見てる方が面白くないから」「待て」で立たせても結局投げられない柔道、ポイント重視の柔道は面白くないし、力の強いもの、身体の大きいものが勝つようにしかならないんだから柔道本来の技術は使い物にならない。日本選手が勝てなくなった原因はここにあり、当然代表チームはそれはわかっているので対策は練っているんだけれども、外国選手のように「柔道」を「JUDO」と割り切ってやれない部分があるためにオリンピックや世界大会で苦戦するケースが増えているんだと言っていました。

剣道は柔道の失敗を見て(競技人口は圧倒的に増えて世界にも広がっているので、これを失敗と言うかどうかは微妙なんですが)オリンピック競技に入れる活動を止め、剣道の心、道を大切にする方向にある時期から方針を決めました。少林寺拳法もそれは同じで、競技化、スポーツ化をすると競技人口は増やせるけれども大切なものを失ってしまうということで、厳密な競技化はしない方向でこれまで進んできています。少林寺拳法の競技は演武しかなく、しかもその採点基準が極めて曖昧で審判の技能もばらつきが激しいことは昔から僕が指摘している通りで、少林寺拳法はもう少ししっかり競技の形態を整えて拳士のやりがいや意欲を高める工夫をした方がいいとは思っているのですが、柔道のように完全な競技化をしてしまって武道の意義を失ってしまっては意味がないのは、「少林寺拳法は単なる武道やスポーツではない」といった開祖・宗道臣のお言葉の通りだと思います。

競技化が進むと試合は「審判のため」にルールが作られるようになっていきます。柔道の青い柔道着なんて最たる例ですが、指導・有効・効果なども勝敗の裁定をつけやすくするためのルールと言えます。これをやりだすと勝敗が明確になって公正な競技ができると思いがちなんですが、その結果選手たちがルールに合わせて姑息な手段でポイントを取り、「試合に勝つため」のやり方が正当な技術のように広がっていきます。そうして本来の柔道とは似ても似つかぬものに変質して行ってしまうんですね。

「勝ち負けを争わない」建前の少林寺拳法でも最近そういう現象が見えてきています。競技形態が演武しかないこともそうですが、格闘技を採点で評価すること自体が根本的に不合理です。それに加えて演武の6構成の指定、団体演武の細かい構成指定、合わせの気合の禁止など、審判のためのルールが次々と増えています。大会で最優秀賞が欲しければ、なるべく簡単で見栄えのする構成を減点されないよう確実にこなせば点数は上がります。難しい技や体捌きを入れるとより高度なことをやっているのに、バランスが悪いように見られて点数が上がらないし、審判の見慣れない技は評価されない傾向が明確にあります。そうして、今の演武大会は自由構成なのにみんな同じような構成で同じような技をやり、次第に演武もつまらないものになってきています。学生さんたちは前年の全国大会の上位入賞者の構成をビデオに収めて研究して、翌年にはその構成をそっくり真似してきます。少林寺拳法にない技や理法上おかしい構成でも前に評価された演武でみんながそれをやっていたら減点されないし、そのおかしいことに気がつかない審判も多いのです。

最近では自由組演武の構成にさえ技の種類が指定されるようになってきて、同じような技ばかり出てくるので審判は点がつけやすいですが、ますます演武のつまらなさに拍車がかかってきているようです。運用法は安全対策ばかりで実戦的なやり方をしっかり指導できる先生は少ない。顔の前10cmもあるところにプロテクターを着けていれば届かなくたって当たります。実際に顔に当たるところまで踏み込んで厳しく打てば危ないと叱られます。じゃあ、届くか届かないかの適当な間合いでいい音がするように打てばいいわけです。振り突きや回し蹴りなんかの横からの攻撃は禁止、防具のない部位への攻撃は禁止、下段攻撃も禁止、防具のある上段正面攻撃と胴周りだけの攻撃ならキックボクシングのジムに行った方がよっぽどいい練習になります。少林寺拳法は目打ち、金的、左右からの攻撃、体格の劣るものが強いものを制圧するために相手の弱いところ、見えないところを狙って攻撃するのが護身術としての真価なのに今の「運用法」は全然見当外れの方向に走って行ってますね。

そうして少林寺拳法本来の護身術としての価値は失われていくし、練習量の多い学生さんばかりが大会で入賞するようになり、初心者から2-3年練習しただけで全国大会などで上位に入賞した学生さんはそれで少林寺拳法をやりきったような気分になり、社会人になったら離れていく拳士が後を絶たないんですね。演武は少林寺拳法の練習方法のほんの一部でしかないのに…。

「道」を失っているのは柔道ばかりではない、と僕は思うのです。

ロンドンオリンピック開幕

いよいよロンドンオリンピックが始まりました。日本選手たちの活躍が楽しみです。最初は重量挙げや柔道、水泳、体操などが始まりましたが、期待されている選手の不本意な結果が続いていますね。オリンピックの重圧というのは昔に比べて選手のメンタルが強くなりプレッシャーに負けて実力を発揮できない選手の割合は減ったとはいえ、やはり相当なものがあるんじゃないかと想像します。

あの、北島康介選手や内村航平選手でさえ本来の成績が残せないんだから、これには少し驚きました。やはり人間のやることだからいつもいつも最高の結果が残せるわけではないんですよね。当たり前だけど。ただ、この2選手は常人にはない強靭な精神力を持った選手だから、このままでは終わらないと思います。北島選手は次のレースに、内村選手は決勝の演技に巻き返しを期待したいと思います。

今回のオリンピックで僕が注目してるのは卓球の福原愛ちゃんと石川香純ちゃん、それから錦織くんをエースとするテニス男子のメンバー。この間テレビで愛ちゃんと香純ちゃんのライバル関係やオリンピックに挑む様子をドキュメンタリーで取り上げた番組を観ました。愛ちゃんはすでに3回目のオリンピックで今回は23歳での挑戦。世界ランキングも上がりこの年齢がおそらくピークの成績が狙える円熟期にあるということで、今回のオリンピックへの意気込みは相当な覚悟があるようです。フォアハンドのフォーム改造などで右腕の痛みを抱えながらも、懸命に努力し圧倒的実力を誇る中国やライバル国シンガポールに挑む様子は応援せずにはいられません。

一方の「愛ちゃん2世」からついには愛ちゃんを追い越し日本のエースに成長した石川香純ちゃん。まだ19歳と若く精神面の課題を持っていましたが愛ちゃんとの激しいTOP争いの中で刺激を受けどんどん成長しています。世界の卓球選手でも珍しい左利きということで中国やシンガポールの選手たちも石川対策に奔走させるほど注目される選手になりました。このダブルエースの活躍で日本の世界ランクが上がりオリンピックでは第2シードを獲得し銀メダルが狙える位置につけています。世界のTOP4を独占する中国を凌ぐのは簡単ではないにしても、団体銀メダルを何とか獲得してもらいたいものです。

先日のウィンブルドンでは惜しくもデルポトロの前に敗退した錦織くんですが、芝のコートへの適応もだいぶ良くなってきました。体調も完全ではないようですが十分試合に挑めるコンディションは維持できてるようなので期待したいです。一回戦は見事勝利しましたね。メダルとまでは言わないけど、何とかベスト8くらいには残ってほしいです。あと二人の伊藤竜馬選手は残念ながらもう1回戦で負けちゃいましたね。この間のアトランタでの大会で錦織くんに勝つなど好調を維持している添田剛選手はキプロスのバグダディス相手に善戦中。雨で中断になってるみたいですね。何とか勝ち切ってもらいたいです。錦織・添田組で出場するダブルスでは一回戦でいきなり前回金メダルのフェデラー・ワウリンカ組との対戦。最強の相手だけれどどこまで追いつめられるか楽しみです。

愛ちゃんと錦織くん、とても微笑ましいカップルだったんだけどその後そういう噂は全然出てこないけど二人の関係はどうなってるんでしょうね。オリンピックが終わったら何か変化があるのかな。ま、それは関係ないけどこの二人の試合には注目したいと思います。

大津いじめ事件に思うこと

大津市のいじめ自殺事件がいろんな方面に波紋を呼んでいますね。この事件はいろんな点で考えさせられることがたくさんあります。

まずはひどいいじめについて。いじめというのは昔からあったし、未成熟な人間の本能的な部分として完全になくすことはできないものだと思います。集団の中で特定の弱いものを選び出し、集団で一人に対していじめを行って自分達のストレスを発散させたり、自らの力を誇示するのに利用したりして、形は違えど大人でも子供でも、男社会にも女社会にもいじめはありますよね。大人なら、暴力行為があれば刑法に訴えることもできますし、会社での不当な扱いは労働組合などが対応してくれる場合もあります。(最近は保護してくれる組織のない就労形態が増えているので難しいですが…)しかし、中学生などの子供、しかも学校内で起こるいじめについては学校、親、教師の監視と指導がないと無法状態になってしまい最も危険な場所といえるのかもしれません。

今回の事件では真っ先に対応が批判されるのが、担任教師および学校側の対応の杜撰さ、危機感のなさ、そこに透けて見える事なかれ主義と自己保身に汲々とする大人の厭らしさです。生徒が自殺した後になってさえ、調査結果を隠ぺいし、いじめを苦に自殺したことが多くの証言から明らかであるにもかかわらず、その事実を故意に隠し、自殺といじめの因果関係ははっきりしないことにしようとしていました。担任教師が見て見ぬふりをしていた、とか、いつ誰がどのような暴力をふるっていた、と明確に記していたアンケート結果は隠し、曖昧な答えだけを別紙に纏めて警察に見せるなど意図的な隠ぺい工作が次々と明らかになっています。これは僕も親の立場としては断固許せないことです。教育委員会もしかり、これだけ事件が大きく報道されてなお、未だに正式な報告書さえ提出していなかったなど後手後手にまわる杜撰な仕事ぶりが目に余ります。

とはいえ、学校という組織の閉鎖性、内向性、事なかれ主義と自己保身は今に始まったことではなく、不適格教師の多いことや自分の出世しか考えない校長・教頭などどこにでもある風景であって、決して大津のこの学校だけが異常であったとは思えません。僕にも教師の友人はいるし、身内にも小学校教師がいますが、学校組織の難しさはよく聞いています。モンスターペアレンツの増加と全く体罰を許さない雰囲気などから教師に問題のある子供に対する強制力がなくなり、それがかえって素行の悪い生徒を増長させ教室が混乱に包まれても対処しようがなく、心を病んで辞めていく先生が多い実態はあるようです。学校(校長)が責任を持ってモンスターペアレンツに対しても、授業を妨害する生徒に対しても毅然とした対応が取れていればいいのですが、そういうところは決して多いとは言えないようです。

最近は特に学校の先生に対する尊敬が無くなりました。普通の家庭、普通の子供なら誰でも大学に行ける時代になって、その中でも相変わらず教育学部の偏差値は低く、採用試験の倍率は極端に低くはないとはいえ、学校の先生が「選ばれた人」であるという認識はほとんどの親にはないと思います。そういう尊敬が残っているのは一部の国立や優秀な私学の教師くらいでしょうか。むしろ実績のある塾の講師の方がよっぽど尊敬も信頼もされていると思います。そういう雰囲気がこのような悲惨な事件の土壌になっている気がしてなりません。優秀な教師の待遇を上げ、審査を厳しくし、不適格な人間はどんどん切り捨て、学校も教師もランキングすればいいのにと思います。「公教育はそういうものではない」という意見もあるでしょうが、公教育が「最低限」を保証する教育だとしても、その質を検証するシステムはもっともっと必要だと思います。公立学校に関する話ですが、「学校は友達と会うところ、塾は勉強するところ」という構図になってしまっていることが大きな間違いだと思うのですが…。

というわけで、今回の事件は学校組織の問題点が最悪の形で現れたもの、という見方もできると思うのですが、もう一点、この子の親は何をしていたのだろう?と思うところはあります。被害者でもあり、子供が亡くなってからは一生懸命行動しているようなので、詳しい情報がない中で安易に批判することはできませんが、同じ親の立場として、子供がこんな凄惨ないじめにあっていることに何故生きている間に気づいて対処してやれなかったのか、自殺の3日前に加害者とされる3人の生徒のうち2人が家に来て、部屋を滅茶苦茶に荒らした揚句、財布まで盗って帰ったことを見ていながら何故黙っていたのか?親もまた事なかれ主義の人間だったのではないか?子供はむしろ「親さえも助けてくれない」ことに絶望して死を選んだのではないのか?そういう疑問が拭えないのです。

うちの子にもしもこういうことがあったら、絶対に僕は黙っていません。警察に被害届は当然出すし、それぞれの子供の親に連絡を取って事実関係を問いただすし、学校にも言いに行きます。その上で子供に学校で何が起こっているのか聞き出し、本人にも言って聞かせることは当然ありますが、相手の親にも学校にも情報提供と警告はすると思います。その結果状況が変わらないようなら、子供は学校には行かせず、教育委員会へまずは話を持って行くぐらいのことはするでしょう。大津の教育委員会なら何もしない可能性は高いですが、そうなったときに転校なり何なりの対応を考えると思います。親なら自分の子供が毎日のように暴力や恐喝被害に遭っているのにそのぐらいの対応を取るのは当然のことだと思うし、それを何も行動せず、学校に行かせるということは親自身が子供に死ねと言っているようなものだと思うのです。

この子の両親が何故、そういう当たり前の対応が取れなかったのか、子供が事実関係を話してくれなかったのか、その辺の事情は報道からはわかりません。だから、「親も悪い」と一概に言うことはできませんが、「何故?」という一番大きな疑問は残ったままです。

残念なのはこの子が自殺してしまったこと。死ぬことはなかったのに・・・とやはり思います。学校に行くのをやめればよかったのに。教師や親が助けてくれないにしても、中学生なら他の大人に助けを求める方法を考えることができればよかったのに。誰か一人でもこの子のそばに立ち上がってくれる大人がいれば、今は苦しくてもいつか広がる未来が待っていたのに・・・。死んでしまえばそれでお終いなんだよって言ってくれる人間が、大人も友達も誰もいなかったことが残念です。責任はこの子の近くにいた大人全員にあるんだろうなって思います。いじめ自殺はあまり過剰に報道すると必ず真似をする子がたくさん出てくるから、あまり大げさに取り上げるべきじゃないとは思うのですが、いじめを根絶し学校の意識を変えていくためにも広い報道は必要な部分はあるんだろうなと思うと複雑です。

訓練と6month

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