昨日、「この国には神がいない」と書きました。凶悪な犯罪が増加した原因はいろいろあると思いますが、日本人の心が変化したように思えてなりません。政治・教育・文化・メディアを含めた環境などにもその理由はあると思いますが、もう一つ日本人の宗教心の消滅があると思います。

戦後、日本は占領軍の思惑から政治・教育から宗教を排除することを強制されました。その結果、現代ではほとんどの日本人が無宗教の時代になりました。昭和の時代まではそれでも戦中世代の人たちが生きていて、民間には信仰が生きていました。子供たちは「罰(バチ)が当たる」「お天道様が見ている」というような言葉の中に、誰も見ていなくても悪いことをすれば必ずその報いが来るという因果応報の道理を学び、人間の力を超える大きな力の存在を感じることができました。それが神であり宗教なのです。世界にはたくさんの宗教がありますが、どれも共通しているのは人知を超える大きな力が存在しそれを信仰するということです。それを信じるからこそ、悪をなせば報いがあり、善を成せば救いがあるという自覚が生まれるのです。大いなる力に対する「畏れ」が、人にあるまじき行動を規制する最後の道徳(モラル)になるし、社会を構成する本能を持つ人間のあるところ宗教が存在する理由なのです。

しかし、日本では平成に入って戦後世代が親になり、核家族の中で信仰は迷信と片付けられ、宗教心がなくモラルの育たない中で、劣悪な環境で育てられた人間の中に人の心を持たないモンスターが生まれてきました。「神をも畏れぬ振る舞い」とはよく言ったもので、昭和の時代には滅多になかった凶悪な事件が後を絶たなくなってしまいました。少年犯罪の増加も同じだと思います。モラルとは物事の善悪を判断する能力のことです。人を助けることは善、人を殺すことは悪、こんな当たり前のことが判断できない子供が育ってきた結果です。

人の痛みがわからない、善悪の判断がつかない、自分の欲望を抑えられない、限りなく自己中心的な人間が増加した結果が、ニート、ひきこもり、いじめ、自殺、迷惑おばさん、ごみ屋敷、学級崩壊、親子殺人、少年犯罪、凶悪犯罪の増加へと進み、全て一本の線で繋がっているように思えてなりません。

日本の刑法を厳罰化して死刑を増加させたからといって凶悪犯罪が減る保証は確かにありません。それよりも、凶悪犯罪が少なくとも滅多に起こらない、ほんの30年ほど前、我々が子供の頃のような社会に戻さなければいけないのです。じゃあ、どうすればいいのか?昔と社会の何が変わったのか?といえばやはり日本人の心が変わったのです。『畏れ』を持たない人間が増えた。人を殺すことが興味本位や自分勝手な理由ででできる人間が生まれたのです。

一般に宗教というものに抵抗感を持つ人は日本人には多いと思います。それはオウム真理教をはじめとして、身勝手な屁理屈を振り回すいかがわしい新興宗教が次から次へと現れて世間を騒がせたからです。そういう偽宗教が発展できる素地は、宗教心の根付かなくなった戦後の日本人の心の不毛があるからできたことなのです。本来の宗教は神(いろんな表現がありますがここでは神としておきます。)を畏れ、その社会の中で善悪を正しく判断し、善を成して生きる、人間としての生き方を教えてくれる大切なものなのです。人間は一人では生きられない、神に生かされているのだから、自分も他人もその命を粗末にしてはいけないということが一般に認められる社会になれば自然と凶悪な犯罪は減ると思います。

しかしながら日本の国是として政治・教育からの宗教の排除が謳われている以上、政策や公共の学校教育によって『畏れ』を知り、モラルを育てる教育をすることは困難です。人を愛する心、国を愛する心も教えられない今の学校教育では社会を変えていくことなど到底できそうもありません。家庭で、地域で、教えていくしかないんですね。人の心を持たない獣を育てないために、親の責任、大人の責任が問われています。「何で勉強しなくちゃいけないの?」「何で人を殺しちゃいけないの?」という問いに答えられない大人もまた、モラルとは何かを見失っているのですから・・・。