2009年03月

2009年03月29日

国語を勉強するわけ

a79dceb1.JPG私の職業は飲食店経営で「居酒屋」をやっているが、「赤ちょうちん」や「水商売」ではなく、ディズニーランドと同じような夢や元気を与える「アミューズメント産業」だと思っている。いろんな職業の人が、不特定多数来る。そのすべての人を喜ばせるためには、その上を行く何かがなければならない。
また「居酒屋」は「教育産業」でもあると思う。社長一人では何もできない。スタッフと「おもてなし」について共に考え実践する。「どうしたら喜んでもらえるか」あくなき勉強と研究心がないと務まらない。
私は今年から「教育」を具体化しようとスタッフに「教鞭」を執っている。その中になぜ「国語」って勉強するのという問いかけがある。
学生が大半のスタッフはこの問いかけに答えられず、今まで来てしまっている。テストや受験のために少しは勉強した「国語」。でも言葉は話せるし理解できるので、数学や英語のようには勉強してこなかった「国語」。一体なんだろう?
仕事でも遊びでも、人の心をつかむ言葉と行動が第一であるが、「感動の領域」に達するためには多種多様の「表現力」が求められる。
例えば、おいしいを伝えるためにどう表現するか。「今までで一番おいしい」「おいしさを超えた味」「生きてて良かったと思える瞬間」…どれも正解だが、解答は無限にある。最終的にはどれだけ多くの人がその言葉に、感動してくれたかがより優れた答えになる。
「表現力」を得るためには「洞察力」が必要だ。そのためには、百戦錬磨の出会いや経験が求められる。学生時分はそのような体験はなかなかできないわけで、だから、小説、随筆、論説等を読書して、その人の考えや心理を学び、偉人たちの過去を古文、漢文、文法などから会得する。国語はテストの教科ではなく、全てが将来、いろんな人とわたり合えるため、「感動」を築き上げるための道具なのだ。世の成功者には多くの人を動かした「感動」体験がある。つまりは「表現力」に優れている人なのだ。
「表現力」は「生きていく力」ともいえる。勇気も与えられる。希望だって、未来だって変えられる。喜びの追及に終わりはない。
これからも「感動を呼べる一言」を考えていきたいと思う。


2009年03月20日

どうにかなるさ

5dc07c69.JPGいい加減なようだけど「どうにかなるさ」この言葉大好きだ。行き当りばったりの生き方でも、逃げずにぶち当たっていけば、道は開けるものだ。そう逃げないことが大事。逃げてる奴はどうにもならない。
私の得意技はアドリブだ。例えばPTA会長時代の卒業式の祝辞。うまく話そうとするとかえって緊張するので、私は何も見ないで話をする。見ているのは全体のリアクション。受けているのか否かをその場の雰囲気で察知して、状況に応じた話し方をする。
逆に顔の見えない会話は苦痛で、電話やメールはあまり好きではない。実はこのブログもPCの前に座るのが億劫(おっくう)なところがあって、つい更新が遅くなってしまいます。すみません。
最近家族と出かけたことがないので、ちょっとだけ外に行ってきます。どこに行くかまだ決まっていないけど、たぶん思いつきでどこかに行くのでしょう。どうにかなるさ。







2009年03月05日

ぼやき

05e8730b.JPG,箸△詭鮟蠅帽圓ました。皆さんパソコンの前で仕事をしているようですが、全然生気がなく、ただ座っているだけで、時の過ぎゆくのをボーっと待っているような感じ。何が楽しいのかなぁ。
∪萋、駅で人を待っていると、ある集団が募金をしていました。しばらくいたけど皆素通り。なんだろう。人の善意なんて当てにしないで、皆で働いてそのお金を寄付した方がよっぽどまとまった額になるのになぁ。同情を媚びるのは、なんだかとても切ない。
D螻杁詆婉發決まったようだが、これが景気対策になるとは思えないけど。誰が総理になったって、政権がどこに代わっても、少なくても私たちの生活はいつも変わらない。結局自分たちで頑張らないといけないってことなのさ。