「武州比企の旅、二 (日本史跡研究会の旅)」洛中思案

    「武州 安楽寺」埼玉比企縦断・日本史跡研究会の旅

    坂東卅三ヵ所観音霊場の十一番目札所


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開基は征夷大将軍 坂上田村麻呂とも奈良大仏建設責任者の行基とも伝わる寺院


平治の乱でこの地に頼朝の弟が此の地に隠れ東国武士団が頼朝と旗揚げ後、

頼朝下 代官として大軍勢で源義仲(木曽の義仲)、平氏を討つ、然し頼朝因り謀反嫌疑で

範頼は誅殺される、

その子が逃げて此の地で吉見氏を名乗り繁栄した、そして此の寺院も繁栄したと言われる、


扇谷上杉と山内上杉に古河公方の停戦が決まり安定したところへ、

然し、天文六年(1537s)に、北条氏綱が北関東に進出し、

比企松山城攻めの始めそのあおりをば受けて全山跡形くも無く燃え尽きた

その後16世紀 僧の秀慶により、再建されたと伝、


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山門の彫刻のウズラや鳩に人夫の彫刻が目立ちのんびりとした郷を感じる、

本殿観音堂は貘の彫刻、千社札が沢山貼ってあった、


(比企吉身町 御所 374)

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