2020年02月

20'弥生朔日)

愛知の寺、前住職ら1億円超私的流用か

 尾張徳川家の菩提寺とされる愛知県瀬戸市の「定光寺」で、前住職らがお布施など計1億1千万円を私的に使っていたとして、名古屋国税局が所得税の源泉徴収漏れを寺に指摘していたことが31日、関係者への取材で分かった。https://news.livedoor.com/article/detail/17746107/?_from=linenews_social


尾張徳川近代は、一ツ橋家から越前松平家 松平春嶽子孫から当主をば迎えているよふだ、


八代吉宗公は尾張徳川宗春と経済政策対立と嫡男九代家重と田安宗武の対立から考えたのか、

御三卿、御三家でも世継ぎ無き場合は御「取り潰し」を法度と決め、
吉宗孫の十代 徳川家治の時代に筆頭の田安家二代目の徳川治察は当主と為ったが三年で死ぬ、
本来は取り潰されるはずだったが、
田安家は取り潰されずに一ツ橋家より徳川治斉が田安三代目に治まり残った、
一ツ橋家の分家の様なものだ

其処から田安家に入った治斉子孫が越前の松平家へ養子、
そして松平春嶽子孫に為り尾張徳川へ入ったようだ

吉宗のこの法度を叉  幕末水戸藩内紛で老中牧野忠恭と笠間藩牧野で復活させる、(説明が面倒くせひのでじいさん達と呼んでるが、笠間さんが大久保利通子孫になってんだ 此が )


尾張徳川家の高須四兄弟、下二人は会津の松平容保となり、(白河松平定信)の桑名への養子で松平定敬となる、
尾張徳川のその後は一ツ橋系みたいだね

歴代の奉る寺院で私的流用か、


私的流用で

日光東照宮のように東照権現をば保身で掘り返してしまった訳ではないだろ


徳川の一つ佳いことは五万とおり、
ことらも晩年でも出陣する 東照権現 と同じく本懐に於ひて取りに進む時 こちらも首級か懸けられると言う事だ


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