川上未映子『ウェステリアと三人の女たち』「新潮」2017年8月号

主人公と冷え切った夫の関係もありつつ、
さらに自分がいつまでたっても身ごもらないから、
不妊治療という、自分とは関係ないと思っていた、この事を意識し始めた。
いろいろ調べてみた。そして慎重に言葉を選んで夫に相談してみたが、
夫は全く理解してくれない。
むしろ夫はたとえ子供ができなかったとしても、
それはそれでいいという。

このとき自分自身の意思と言うものが
どこにあるのかよくわからなくなっているのかもしれなかった。
夫のことも、子供ことも。

ある日取り壊されかけている大きな廃屋で
不思議な女性に出会う。
年は同じ頃。
この人は不動産屋で空き物件と探し、
そこで見つけた、誰かまだ入居が決まるまでの間の部屋を
転々としているという。
今回のこの廃屋は入る前に壊されてしまい、間に合わなかったという。

ところでこの家が解体されるとき「壊される音」が聞こえませんでしたかと奇妙なことを聞かれる。
要領を得ないまま、主人公は逆に、この不思議な女性に空き室に入って何をするのか尋ねると、
何もしないという。夜入って、朝出ていくという。

夫が泊まりのゴルフ接待に出かけた後、
例の廃屋に近づいてみた。
敷地に入ってみた。
縁側から上がってみた。
そして奥の絨毯がある部屋に入ってみた。
そしてこの家に住んでいた老女のことを思い出してみた。
英会話教室を営んでいたこと。
外国人講師がいたこと
子どもたちに教えていたこと。

老女はウィステリア。外国人教師からそう呼ばれていた。
ウィステリアは生まれてははじめて、外国人教師に恋をしていることに気がついた。
ある日ウィステリアはもう子供を産むことがないだろうと思った38歳の日に
赤ん坊の夢を見る。それはウィステリアと外国人教師の間にできた赤ん坊だ。
女性同士だからそんなことは絶対ないのに。
どんなに愛し合ってもそれだけは起こらないのに。

すると外国人教師は英国に帰ることが決まった。
その時かつて娘がいて、先天性の病気で3ヶ月で亡くなったことも聞いた。
そして帰国した。

ウェステリアはその子が死んだのは、自分が変なことを考えたからだと思うようになった。
理屈では合わないけれど、そんなふうに思い込むようになってしまった。

風の便りで外国人教師が亡くなったことを知った。
ウェステリアは教室を閉じた。
年をとるに連れ体が不自由になっていく。
一人で住む家の中で
夜の暗闇がウィステリアを苦しめる。

我に返った主人公は大雨のなか、急いで家に帰る。
何故か夫がいる。でもこの男は誰なのだ。
「もうあなたとは、関係がない」
そう言って寝室に潜り込む。
そとから雨風とともに、あの音が聞こえてくる。

川上未映子はたとえありえない場面でも、あるいは飛躍したかのようなつながりでも
文章の中では世界が成立させてしまう技量の持ち主である。
もしかしたら、まず描こうとする場面をほぼ完璧なまでに一旦映像化して
それからそれらを丹念に記述する。
そんな風に考ええてしまうような描写力である。
あるいは情景は不可思議かもしれないが
人の心の流れが自然に流れているから
違和感なく場面が進んでいく。

主人公が家に入り、そこからウェステリアの回想シーンがまさにそれであるが、
その前に出てくる謎の女性の登場も怪奇譚の装いを醸し出す。

一方で夫に関するさめた描写でバランスをとる。
「夫は缶ビールを飲みながらテレビを見て声を出さずに笑い、皿の上の野菜炒めをちびちびと食べていた」
「しばらくのあいだ流しの前に立って夫が食べ終わるのをじっと待っていたけれど、夫はそんなことに気づかない」
「夫は嘘つく」
主人公の夫を見る姿は書いていないけど「夫は」の描写が冷たく響き渡る。

日常の不満と悲劇的なロマンスを作者の技術で結びつけ
それでいて現実と非現実の行ったり来たりそれ自体が
この小説を際立たせている。
日常空間の中に不思議な空間が現れる。
「私だけが気づいかもしれないけど、きっとそれは絶対ある」
川上未映子にはその気持がつねに横たわっているようだ。