この世に家がある限り

30数年余に渡って家を買う、借りる、貸す、建てるなど幅広く不動産情報に関わってきたひろぽんこと中川寛子が住まい、街や地盤、暮らしのあれこれについて語ります。

セクハラ、ジェイン・ジェイコブズにキャサリン・グラハム

世の中はゴールデンウィークだが、とりあえず、原稿を書いている。
しかも、とほほ、予定通りには終わりそうにない。
まあ、混んでいる場所に行くのは嫌いだから、それはそれで問題ない。
とはいえ、電話が来たり、打ち合わせに行ったりのない時期である、
多少は好きなこともやろうと夜ごとに映画を見に行っている。
レイトショーなら夜9時まで仕事をしても見られる。

というわけで何本か見ているわけだが、そのうち、たまたま、女性が主人公という作品が2本続いた。
ジェイン・ジェイコブズとキャサリン・グラハムである。
ジェイン・ジェイコブズは20世紀後半の都市計画思想に大きな影響を与えたジャーナリストで
ニューヨークの再開発に反対した運動家でもある。
キャサリン・グラハムは「ペンタゴン・ペーパーズ」の主人公の一人で
女性で初の新聞社社長。ワシントン・ポストの社主である。
それぞれに全く違うテーマで、もちろん本題は本題として面白かったのだが、
もうひとつ、それぞれの視点の背景に女性という性もあるんじゃないかなあと思ったのである。
私には昔からその場、画面にいる人物の男女比、平均年齢を自動的にカウントしてしまうという
変な癖があり、それはリアルにも、映画などにも及ぶ。
その観点で見ると、どちらの映画も基本、男の多い映画だった気がする。
特にペンタゴン・ペーパーズは銀行の男だらけの会議室とか、
ディナーの後で男と女が別室に別れておしゃべりをする場面とか、
見ていてなんだこりゃな感じがあった。
スピルバーグがトランプに含むところあって作った映画と言われるが、そうかな?とも。

今回、特に強くその辺りを意識したのは2本続けて女性が主人公の映画だったというのもあるが、
このところ、男女の意識差を考える出来事が続いたという影響もある。
セクハラのように明確にヤバいでしょではなく、
本人たちには悪気は全くなく、そもそも女性を軽視しているというつもりもない、
でも、ひっかかるんだよな~というような類の出来事だ。
たとえば、男女半々がいるというのに運営側には男ばかりの団体があり、
そこでは自分がどれだけ仕事に、情報収集に全力を捧げているかを吹聴し、
俺、偉いだろと自慢する人が若い人たちに説教をする。
家庭、子育てを妻に丸投げしているからできるわけで、
それでよく広く社会問題に取り組んでいるとか言うよなと。
多様性を口にしていながら、均質な人間ばかりでつるみたがり、
しかも、それに気づいていない人達は、何をもって多様性を定義づけているのだろう。
あるいはセクハラはけしからんと言った次に若い女性アナの日本語の誤りを嘆くも、
可愛いから許すと同じ口でいうおやじたち。
中には賢くてもブスはダメとか言うヤツもいて、彼はどれだけ偉い人なのか、不思議に思う。
いちいち、突っかかる必要もないので日常的にはへらへら見ているが、
時々はうんざりだと思う。
それでもかつてのことを思えば少しずつ世は変わっているわけで、
ゆり戻すことなく、確実に変わり続けて欲しいと思う。
とりあえず、どのスペースをカウントしても男女半々くらい、
場所によっては老いも若きも外国人、子どももいてね、なんて日が来ると良いねえ。










密かに増える「内部崩壊マンション」の恐怖

内部崩壊

今月の東洋経済オンラインはマンションの高齢化
具体的には内部崩壊という言葉を使った、がお題。
高経年マンションのうちでも高齢化を加速させる居住者の孤立、管理への無関心、
そして給排水管の老朽化を取り上げた。
写真はすべて私が撮影したもの。
中野区の築50年以上のマンションは防火扉が錆びて薄くなり、動かなくなっていたし、
静岡の理事長と称する人が管理費を着服したマンションでは
リアルに鉄筋が見えるという状況を始めて目にした。
ここまでひどいマンションはそうそうないとは思うものの、
似たような状況に陥っている、陥りつつあるマンションはあちこちにあるはず。
どこかで食い止めないとまずいだろうと思うが、
それを食い止められるのは誰だろうという疑問もある。
素人ばかりの管理組合に、もし、みんなが無関心で無かったとしてもその力はあるのか。
若い人、管理や経営のノウハウのある人がいる組合なら可能かもしれないが、
高齢者ばかりの組合にそれができるか。
といっても個人の資産でもあるし、はてさて。
不動産の所有という根本的な問題も含め、考え直すべき時期なのかもしれないなあと思う。



目標をデザインする

東京新聞で年初から歴史学者の磯田道史さんが明治150年を語る
「変革の潮流」という連載が続いており、本日が最終回。
毎回とても面白かったのだが、最終回はこれからの日本について。
これまで以上に面白かったので、メモとして書いておきたい。

冒頭、人工知能の時代について書かれているのだが、
それを受けて最後の子どもに必要な教育とは?という質問でも磯田氏はAIについて触れている。

いわく、

目標とルールが決まっていれば、AIは威力を発揮しますが、目標自体はつくれない。
だから、「こんな形の建物を建てたい」と思い定めることなど「したい」の部分が大事になるのです。
つまり目標のデザインです。
デザイン思考は、心の自由度が高く、何をしたら楽しいかを分かっていないと持てません。
努力より発想力が、教育の鍵になるはずです。

この記事では冒頭にAIが進めば富の偏在が進むのでは、
労働が機械に置き換わり、雇用機会が減る可能性が高いとも述べられており、
平ったくいえば、目標をデザインできない人は機械に取って替わられるよという話だと思う。

この記事以前にも最近、そんな話をした。
在宅勤務というか、リモートワークというヤツができる人・会社、できない人・会社みたいな
話だったのだが、その時、できる要件、仕組みの話の後で、
リモートワークができないということは監視されていないと仕事できない、
いやいや仕事している、言われた仕事しかできないってことだろうし、
それっていずれは機械にとって代わられる仕事だよねという結論に落ち着いた。
仕事=時間とお金のとっかえっこだとしたら、それはその人でなくても良いし、
そもそも人でなくても良いという時代が来るのである。
組織で考えると、その人でなくちゃという仕事の進め方はまずいのだろうが、
今後、人に求めるものが変わっていった時には、求められるものに応えられる人、ダメな人が
今まで以上にはっきり分かれるんだろうなあとも思う。
それを厳しいと思うか、楽しいと思うか、さあて。

ところでもうひとつ、この記事で日本人が陥りがちな失敗の傾向という話があり、
そこで磯田さんは「経路依存」という聞きなれない言葉を挙げていらっしゃる。
これは、これまでのやり方に頼る傾向のこととか。
簡単に言えば既得権を持つとそれを放そうとしなくなるとか、
何かを一度決めると方向転換できないとか、
まあ、そんなことのようで、江戸時代以前からの社会の名残りが今も目につくとのこと。
これは私が言わなくてもホント、その通り。
そろそろ、退場していただきたい人が多いよね、である。



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