20代後半からしばらくの間、よくひとりで海外を旅していた。
旅を始めてすぐ、大事と思ったのは一人で過ごす時間をどれだけ充実させられるか。
と書くとカッコよいけれど、
実のところは一人でご飯を食べたり、酒を飲んだりする時間をどれだけ楽しくできるか、
それが旅を楽しくするか否かを左右するなと思ったというだけのこと。
今はそうでもないと思うが、その当時、つまり30年近く前には女の一人旅、女の一人酒はイレギュラーで
そもそも、そういうことを楽しもうと考える人が少なかった。
でも、それが楽しくないと、旅もつまらなくなる。
じゃあ、どう楽しくしていくか。
たぶん、対処法は人それぞれだと思うが、その当時、一人の時間を徹底して楽しむ訓練(?)をしたことで、
今も一人の時間が大好きである。
フツーに一人で飲みに行くし、一人カラオケが流行る前から行っていたし、と一人が大好き。
寂しいんじゃない?と聞かれることもあるが、大人数で飲むことも多く、
その意味では一人はチョイスしての一人である。
だが、最近、気づいたことがある。
重い現実とでも言えば良いか、私の場合は選択しての一人であり、だから、それを楽しめる。
しかし、世の中には一人でいるしかないという現実があり、
しかも、それなのに一人でいるというトレーニングをしていないという場合がある。
となると、どうなるか。
むやみやたらと周囲の迷惑になるほどにタバコを吸い、酒を飲み、
時に人に絡み、面倒を起こすことで構ってもらおうとする……。
たまたま、このところ、そうしたケースを一人飲む席の隣で続けて見かけた。
一言、二言、周囲と交わす会話の過剰さ、構ってもらいたいというオーラが強いほど構ってもらえない悲哀、
傍から見ていると、その寂しさは分かるものの、だからといってそこに関与できる人は少なく、
仕方ないな、腫物に触らないように見ていようか、たいていの人はそんな反応をする。
私自身、断片的な会話からこれはヤバいと思って避けてしまうことが多く、
申し訳ないとは思うものの、自分が傷つくリスクを負ってまで他人におせっかいはしないのがフツーだろう。

そんな姿を何度か見かけるうちに思い出したことがある。
水難救助で溺れそうな人を助けるノウハウである。
私は学生時代からしばらくの間、水泳のコーチをやっていたことがあり(今では想像できん)、
その頃にいくつかの水泳関連の資格を取得した。
そのひとつに水難救助に関連する資格があり、そこで、溺れそうになっている人を助けるノウハウを学んだ。
どうやるか。今は違うのかもしれないが、その当時のやり方はこうだ。
言葉にするとひどいのだが、後ろから近づき、首に腕を回して溺れている人を一度沈める。
一度殺すという言い方もあった記憶がある。
溺れている人は助けに向かった人に全力でしがみつくことが多く、それがために助けに行った人も含め、
双方が溺れる結果になることがあるのだが、一度沈めることでその期待を裏切り、
しがみつかせないようにする。そして、結果的にその人を救うというのである。
一度殺すという過激さは嫌われると思うが、最終的な目標にたどり着けるのであれば、
それもありなのかも。
隣で周囲に絡みまくったり、暗い、死にそうな顔で飲み続ける人を見る度に、
一度殺す(物騒な!)という可能性を考えたりするが、
実際問題としてどうやれば良いのか、その辺りは全く分からず。
何か、手はないものだろうかなあ。