かつて、近しい知り合いに勉強熱心な人がいた。
私より10ほども年上の女性で、あちこちの大学の公開講座などに参加、
しかも、いつもしっかりとメモを取りまくっていた。
だが、率直なところ、私は彼女が苦手だったし、あまり同席はしたくなかった。
ひたすら、なんで、なんでと詳細を聞きたがるが、
それを聞いてどうするの?といつも思った。
というのは、それぞれの分野での知識はそれなりに彼女の頭の中に入っているのだろうけれど、
それが日常の彼女との会話の中に出てくることはなく、
他の話題と関連を持って語られることもなく、
どういったらいいのだろう、
私の答えはただひたすら彼女の中のブラックホールに吸い込まれて行くだけで、
彼女から返ってくるものはまるでない、そんな無力感をいつも感じていたのである。
普通、人と人との関係はお金という意味では全くなく、
でも、ギブ&テイク、会話のキャッチボールで成り立っているのだと思うが、
彼女にはひたすらにギブ、ギブ、ギブだけを求める、そんな印象があり、
言ってみれば「教えてちゃん」だったのである。
その後、彼女以外にもたくさんの「教えてちゃん」と遭遇するようになった。
真面目で勉強熱心なのは良いことなのかもしれないけれど、
時と場合によっては他人の時間を無意味に奪っているとも言える。
さらに加えれば、真面目で勉強熱心というのは免罪符ではないよね、とも。

と、そんなことを思い出したのは日本人の海外視察の
どこか「教えてちゃん」的なやり方についての記事を読んだから。
すごく、分かる、同感するわ、である。

日本企業は「お勉強」海外視察を撲滅せよ。
https://www.businessinsider.jp/post-162871