毎日暑いですね。
「ブログで憲法カフェ」第3回目の投稿は、事務職員Tさんです。


今年も8月6日がきます。広島出身の私は、毎年この日の朝8時15分に黙祷をします。

私の祖父は警察官で、74年前の8月6日、広島市の交番で被爆しました。外に出て、空を見るとピカッとひかり、光から顔をそむけたため、背中だけが大やけどを負いました。みんなが水を求めて川に飛び込む中、川に入ると死んでしまうと直感し、体を引きずりながら、弟の勤務する鉄道会社に歩いて行き、電車に乗せてもらい、疎開していた家族の待つ田舎にたどり着くことができました。
やけどの痛みや痒みに加えて、蛆がひどく、何度も蓮の葉をはりかえていたそうです。蓮の葉を取りに行くのは子どもの仕事でした。
当時は田舎でも食料が少なく、祖父が食べたすいかの残りを、緑の皮の部分がなくなるまで子どもたちが食べていたそうです。

私が高校生の時、学校と塾の間に祖父の家に寄り、祖父の背中を熱いタオルでごしごしこすることが私の役目でした。戦後50年経っても、祖父の背中は戦争のひどさを残していました。「かゆくてかゆくてのう」とよく言っていました。
原爆は被爆者本人だけではなく、その後の世代にも被害を残しました。投下15年後の1960年、広島に被爆2世として生まれた名越史樹くん。5歳のときに白血病が発症、わずか7歳で亡くなりました。史樹くんのお母さんの「もし史樹がいってしまうなら、逝ってしまうならば、私は化石になりたい」という言葉を、私自身が母親となった時に知り、涙が止まりませんでした。祖父の体験や次世代に続く惨劇、このことが私の核兵器廃絶への原動力です。

二度と戦争で苦しむ人が出ないように、平和憲法を守り、世界中に9条の精神が広がることを願います。          
(柏原)
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(写真は、昨年8月に広島に行った所員が撮影したものです。)