弁護士の加部です。

長崎に原子爆弾が投下されてから今日で74年になります。

私には中学2年生の頃、地元自治体の企画した平和学習旅行で長崎の平和祈念式典に参列した経験があります。
東西冷戦すら知らない世代ですが、この時に被爆者の方などからきいた原爆と放射能による被害の凄まじさ・むごさが、私にとっての反戦・反核の原体験のようなものになっています。

そういう意味で、8月9日はとても思い出深い日です。

※ ※ ※ ※ ※ ※

弁護士になった私はいま、福島原発被害弁護団に参加しています。

福島第一原発事故から既に8年が経過しました。
しかし事故の後処理もすすんでおらず、地元住民の被害救済も十分になされないままです。
ところが、放射能事故によりあれだけの惨禍を引き起こしたにもかかわらず、安全性の担保もないままに、原発再稼働に舵が切られています。

どうして日本(政府)は、ここまで原発にこだわるのか?
この点に関心を抱かずにはおれません。

もちろん簡単に説明はできないと思います。
理由も1つではないでしょう。
ただ、「日本は核兵器を作る技術を持っておきたいから、原発を手放さないのだ」というのが、有力な考えの1つではないかと思っています。

※ ※ ※ ※ ※ ※

原発と核兵器は全くの別物ではなく、密接な関係がある。
そう捉える方が、世界的にはむしろ普通のことのようです。

日本は、アメリカの同意を得て、原発で使い終わった核燃料から、プルトニウムを取り出し続けています。
プルトニウムとは、核兵器の材料となる放射性物質です。

本来は、使い終わった核燃料(ウラン)を、再び原子力発電の燃料として使うためにプルトニウムの取り出しが始まったのですが、現在日本では、プルトニウムを使った発電方法というのが様々な理由から頓挫していて、使い途のないプルトニウムが日々取り出され、貯められる状態が続いているのです。

2017年時点で日本は国内外に約47トンものプルトニウムを抱えていました。
これは、なんと原爆約6000発分に相当します。

そしてついに日本は昨年、アメリカ政府から使い途のないプルトニウムの保有量を削減するよう勧告を受けてしまいました。
つまり日本がプルトニウムを持っていることが、核拡散の観点から良くないことだと、考えられているということなのです。
もっと言うと、日本がいつか核武装するかもしれないと懸念している国も、あるということなのです。

さらに、(非常に簡略に言うと)他のアメリカの同盟国が、「なぜ日本がプルトニウムの取り出しを認められているのに、私の国には認めないのか?認めてほしい」と、日本を名指ししてアメリカに迫るような事態も起きています。

※ ※ ※ ※ ※

このように日本が原発を動かし続けることと、日本が潜在的に核兵器を持ちうる能力を備えていることとは、切っても切れない関係にあり、世界の核不拡散・核軍縮(廃絶)に対して悪影響を与えているという大きな問題を抱えています。

私たちの憲法、特に憲法9条は、戦争の放棄を宣言し、唯一の被爆国である日本が、全世界中最も徹底的な平和運動の先頭に立って指導的地位を占めることを示しています。
その日本自身が、世界に核武装の懸念を与えたり、核軍縮にとって悪影響を与えているような事態は、憲法が掲げるこのような非軍事の理念にそぐわないものなのではないでしょうか。

長崎にプルトニウム爆弾が投下された8月9日の今日、そのようなことを考えてみました。

S__14475270
(出張先のアメリカから)