事務職員のKです。

 私が「憲法」を自分事として感じたのは、中高一貫校へ通っていたときに受けた社会科の授業がきっかけでした。

 「憲法」がテーマのその授業は「冤罪」の話から始まります。実際に起きた冤罪事件の資料を読んでから、一人ひとりが教師から指定された〇年〇月〇日に何をしていたかアリバイをつくってみるのです。私はその日一日中家でダラダラしていたので正直にそう答え、証人は母親だと言いました。私のアリバイはとても弱く、①アリバイ未成立、②何らかの物的証拠、③取り調べによる自白が重なると「犯人」になると教師から言われ(脅かされ?)、冤罪おそろしい、、、私やってないのに、、、と、こわくなったのを覚えています。

 さて、その日の授業は「憲法」について。なぜ冤罪の話から始まったのかというと、その教師曰く冤罪の多発こそ身近な憲法違反だからだそうです。冤罪は、令状なしの逮捕からはじまり、取り調べにおける身柄の拘束、暴力等によって「身体の自由」が奪われるため、憲法に違反しているものであると。

では、そもそも憲法とは何か?という問いを投げかけられ、そこから憲法99条の話がはじまります。教師が、「_________は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負う」と板書し、空欄にはだれが入るかを問われます。無知だった私は、当然「国民」は入ると思っていました。

けれど、教師がその空欄を埋めると、「天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官、その他公務員」という言葉が入り、そこに「国民」の文字はありません。憲法は、国家権力者たちが守らなければいけないものであり、憲法は、国家権力の暴走をくいとめるもの。授業の最後に、それが「立憲主義」だと教わります。私は、「立憲主義ってなんてかっこいいんだ!」と、とってもとっても感動したのを覚えています。わくわくする授業でした。

だからこそ、そんな立憲主義がないがしろにされている今の状況は、やっぱりおかしいと私は思います。改憲を国家権力者自らがすすめようとしているのは、それこそが憲法に反しています。「憲法は国民が守るものではなく公権力(国家権力)に守らせるもの。私たちが。公権力が有する人権を侵害するケースを少しずつでも縮小していく責務は国民一人ひとりにある」。社会科のノートを見返すと、教師が語っていたその言葉が記されていました。

国家権力者たちに憲法を守らせる、人権を守らせる、そのために私は自分の有している権利を行使していきたいと思っています。一人ひとりが尊重されて、のびのびと生きられる社会になるように。

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