弁護士の平井康太です。

 

1 はじめに

新年度となり、新しい職場に採用されて働く方も多いと思いますが、実際に働き始めてから思ってもみない労働問題に遭遇してしまうこともあります。

 

採用後に起きる労働問題として、今回は、私の担当事件の中から、①募集要項の労働条件と、採用後に渡された雇用契約書の内容が異なる、②暴言を伴う退職勧奨を受ける、③残業代が支払われないの3つが問題となった司法書士法人はたの法務事務所事件(東京高等裁判所令和5年3月23日判決、東京地方裁判所令和4年9月12日判決)を紹介して、対応のポイントを紹介したいと思います(同事件は中川勝之弁護士も担当しています)
 ※同判決は、『労働判例』1306号52頁に掲載されました(2024年5月30日追記)。

 

2 事案の概要

(1)募集要項の労働条件と採用後の労働条件が違う問題

司法書士法人はたの法務事務所(以下「Y」と言います。)の募集要項の雇用形態の欄に「正社員」や「試用期間3か月」といった記載があり、Xさんも正社員(期間の定めのない労働契約)として応募し、採用されました。

 

しかし、実際に働き始めた後、有期雇用(期間の定めのある労働契約)を内容とした契約書を渡されてしまいました。Xさんは、雇用契約書に期間の定めがあることに気づき、おかしいと思ったものの、Yにおいて就労を開始した後であり、雇用契約書への署名押印を拒むことで解雇されることを恐れ、雇用契約書に署名押印しました。

 

Xさんは、無期契約ではなく、有期契約となってしまうでしょうか。

 

(2)退職勧奨の問題

その後、Yの従業員は、Xさんに退職勧奨をしました。退職勧奨のやりとり・発言内容について、東京高裁判決では以下のとおり認定されています。

 「本件被告従業員5名は、原告に対し、取り囲み暴言を吐きながら執拗に退職届を提出するように求めた上、原告がその場で退職届を提出せず郵送する旨伝えるとそうした原告の態度について暴言を吐きながら非難した。また、本件被告従業員5名は、原告がこうした状況から逃れ本件事務所から退出しようと非常階段に向かうと力づくでこれを阻止し、非常階段の踊り場で取り囲み、原告の襟首をつかんだり鞄を引っ張ったりして本件事務所に戻そうとした。これらの際に、殴る蹴るといった明確な暴力まではなかったものの、原告と本件被告従業員5名とがもみ合いになることがった。最終的には、被告従業員の110番通報を受けて警察官五、六名が臨場して原告と本件被告従業員5名とを仲裁し、本件事務所において、原告及び本件被告従業員5名から事情を聴取することで上記の騒動が終わった。

 本件被告従業員5名と原告との上記やり取りは、警察官が臨場するまでの間においても、少なくとも約40分はあった」

 「具体的には、これらの一連のやり取りの中で、本件被告従業員5名は、原告に対し、「(判決注)退職届を提出するのが)命令だよ!命令!(甲8の2・1頁)」「(判決注:退職届を)いいからくれ!いいからくれ!訴えるぞおらお前!いいのか!?(同2頁)」、「お前の事務所じゃねえんだよ!お前が経営者かよ!(同2頁)」、「ふざけんなって!ふざけんなって、なめんなよ!なめんなこの事務所!いい加減に、いい加減に考えてんじゃねえぞお前!おい!(同3頁)」「おい立て、立てよ!早く立てよ!いいから立て!立てよ!(同14頁)」「被害者意識持ってんじゃねえぞてめえ(同15頁)」「ほんとガキだろお前!(同17頁)」「お前マジ嘘つくなよこのやろー、おめえ(同23頁)」「退職届出してね。出さないんだったらいいよ、あのー裁判所のほうに言うから。(同35頁)」といった発言をした。」

 

このような退職勧奨が許されるのでしょうか。

 

(3)未払残業代の問題

 Yでは、タイムカードについて、出勤時には打刻させるのですが、退勤時には打刻させないという対応をしていました。Xさんは残業時間を記録するためにTwitter(現「X」)で退勤時にツイートをして記録を残すということをしていました。

 

Xさんのツイートは残業代請求の証拠として使えるでしょうか。

 

3 裁判所の判断

(1)無期契約か有期契約かについて

 裁判所は、本件の事情に基づき、「原告は本件面接において本件募集要項どおりに正社員となること、すなわち、期間の定めのない労働契約を申込み、被告はこれを承諾したものと認められるから、本件労働契約は本件面接において期間の定めのないものとして成立したと認めるのが相当である。」と判断しました。

 その上で、有期雇用契約を内容とする雇用契約書に署名押印をした点については、「原告が本件雇用契約書に署名押印をしたのは、原告が本件事務所において勤務を開始してから1か月以上も後のことであり、相当期間が経過しているから、本件雇用契約書の記載によって、本件面接において本件労働契約を締結した際の両者の意思を推認するには限度がある。ひとたび勤務を開始すると、労働者が使用者による不利益取扱いを恐れ萎縮して適切な意思表示ができないこともあり得るところである」「原告が、本件雇用契約書の内容について、自由な意思に基づいて合意をしたとは認められないから、本件雇用契約書によっても、原告及び被告間に、本件労働契約を無期契約から有期契約に変更する旨の合意が成立したということはできない。」などと判示して、有期契約の雇用契約書に署名押印したとしても、本件の事情の下では無期契約であるとしました。これにより、裁判所は、雇用契約書に記載されていた雇用期間後の賃金請求も認めました。

 

(2)退職勧奨について

 裁判所は、退職勧奨について、「本件被告従業員5名の上記行為は、退職勧奨における説得のための手段・方法が社会通念上相当と認められる範囲を逸脱した違法なものというべきである。したがって、被告は、原告に対し、その使用者として不法行為責任を負う」などと判断し、Xさんの慰謝料請求を認めました。

 

(3)残業代について

 裁判所は、「本件においては、被告が退勤時にタイムカードを打刻させないといった著しく不当な労働時間の管理をしていることによって、原告の終業時間を示す客観的証拠が他になく、上記ツイートの信用性を覆すに足りる証拠がないことを考慮すれば、原告の終業時間について、原告が退勤とツイートした時間と認めるのが相当である」と判示し、残業代の請求を認めました。

 

4 対応のポイント

 以下では、上記①~③について、どのような対応ができるかのポイントを紹介したいと思います。

 

(1)採用前の労働条件と異なる労働条件が示されたら

 まず、採用前の労働条件が何であったかの証拠を確保しておくことが大事です。そのためには、以下の対応をしておきましょう。

 ・募集要項などの採用前の書類も大切に残しておく(インターネット上の募集要項もURLと日付け付きで印刷しておきましょう)。

・可能であれば面接のときのやりとりを録音等記録しておく。

 

次に、採用前の労働条件と異なる内容の雇用契約書が示されたら、採用前の労働条件と内容が異なる雇用契約書に署名押印しないようにしましょう。これが何より大事です。

 

 それでも、署名押印するように迫られて、恐くて署名押印をしてしまったというときには諦めるしかないのでしょうか。

 今回ご紹介した事件でも、雇用契約書に署名押印してもその効力が認められなかったように、事情によっては、署名押印をしてしまったもしても雇用契約書の効力を否定できる可能性があります。効力を否定するには署名押印が「自由な意思」であったかがポイントとなることが多いです。そこで、以下の対応をしておくとよいでしょう。

・納得が行っていないことをその場で伝え、署名押印をしてしまった後もすぐに、署名押印をしたのは自分の真意ではなく、恐くて署名押印してしまったということなどを人事などにメールで送って記録に残す。

・雇用契約書に署名押印するように迫られたときのやりとりを録音しておく。

 

(2)悪質な退職勧奨について

 退職する意思がない場合に、暴言を伴うような悪質な退職勧奨を受けたらどのようにするかですが、大事なこととして次の三つが挙げられます。

 ・退職する意思がないことを明確に伝える。

 ・退職届は出さない。

 ・退職勧奨のやりとりを録音しておく。

 

 また、どうしても恐くて退職届を出してしまったときにどうするかですが、上記で述べたことと同じく退職届の提出が「自由な意思」ではないことを示すことが大事です。

・退職する意思がないことをその場で伝えたうえで、提出してしまった後もすぐに、署名押印をしたのは自分の真意ではなく、恐くて署名押印してしまったということを人事などにメールなどで送って記録に残す。

 

なお、もし解雇するから退職届を出すようにと言われた場合であっても、退職届は出さないようにしてください。解雇と退職届を出すことは法的な意味合いが全く違います。解雇は、解雇通知書などで使用者が一方的にするものであって、労働者に退職届を出させるものではありません。解雇の場合には、解雇権濫用法理(労働契約法16条)の適用があるため、労働者側が争いやすくなります。

 

(3)未払残業代について

 残業はしているけれど、会社でタイムカードがない、あるいは今回紹介した事件のように退勤時に打刻させないといった場合、日々、出来る限り客観的な記録を残しておきましょう。残業代は1日1日の労働時間で計算しますので、1日1日の労働時間をその都度記録しておくのが大事です。その意味で、今回のXさんのように、出勤・退勤時にTwitter(現X)で記録しておくという方法も良いでしょう。

 

5 おわりに

 今回紹介した司法書士法人はたの法務事務所事件のように、法律を扱う職場でも違法な対応があることもあります。万が一のためにも証拠を残しておきましょう。

以上