東京法律事務所blog

カテゴリ:9条の会 > ブログで憲法カフェ

 事務職員のHです。
 2019年1月。私たち家族は、念願のマイホーム(といっても中古のマンションですが)を購入しました。東京都でありながら緑豊かな町田市です。東京法律事務所で働き、数年目。子どもも3歳になり、自然にも興味が出始める頃。この自然の中で、のびのび育てられるだろうと期待に胸を膨らませていました。・・・が。ある日、近所の公園で娘と遊んでいた時です。歌を歌うのが大好きな娘、今日もマンホールを舞台に見立て、保育園で覚えた童謡を大声で歌っていました。私も手拍子で応援し、二人で盛り上がっていたのですが、そこに上空からつんざくような轟音が。始めは遠くの方から甲高い音で「キーン」と聞こえ、近づいてくると地面が揺れるような、「ゴオオ」とお腹に響く低音。私も娘も歌を止め、真上を飛んでいく飛行機を見上げました。暗く大きな腹部と、主翼についている機関銃がくっきりと見えました。娘は両手で耳を抑え、その場に立ち尽くしていました。
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 飛行機が見えなくなった頃には娘は気がそがれてしまったのか、歌を歌うのはやめ、草の間にいる蟻探しなどに興味を移してしまいました。あんなに盛り上がっていたのに・・・。母は悔しくて、悲しい気持ちになりました。このような経験を、月に2回か3回はします。半年経って驚かなくはなったものの、やっぱり「キーン」という轟音と上空を覆う黒い影にヒヤリと心臓が寒くなります。娘は飛行機が飛んでいると遊んでいた手を止めて空を見上げます。横断歩道を渡っている途中でも足を止めてしまうので、別の意味でもヒヤリとしたことも。
 町田市は、厚木・横田の両米軍基地を離着陸する航空機の飛行ルートの下に位置しています。厚木基地では、米海軍空母の艦載機および基地に常駐する海上自衛隊の対潜哨戒機等が離着陸しています。横田基地では、大型の輸送機が離着陸しています。(町田市役所HP)
 町田市では毎年特定の観測地点で騒音値を測定しており、HPで公表しています。2017年度は、4月から12月までの間で最大騒音が100㏈以上の月が4回ありました。100㏈というのは、電車の通るガードレール下くらいで、まともな会話ができない音の大きさです。こんな騒音が昼夜構わず聞こえるというのは、生活する中で確実にストレスとなります。
 甲高く、お腹に響く轟音を聞いて思うことは、祖母から聞いた空襲の話。「空が怖かった。夜も眠れなかった。」と言っていた祖母の言葉に、時代を超えたいま、私も納得してしまいます。自分の真上を、機関銃のついた飛行機が飛ぶ姿を見れば、誰でも空に恐怖を覚えるでしょう。
 もしも飛行機が落ちてきたら。もしもこの飛行機についた機関銃が、私たちに向いていたら。もしも自分の子どもに当たったら・・・。暗い想像は拭えません。実際に、沖縄で、別の市で、起こっている事故だからです。
 どうか、子どもたちを脅かす飛行機がなくなりますように。どうか、静かで青い空が戻ってくるように。祖母の経験した戦争と同じような空に戻りませんように。
 上空を飛ぶ戦闘機を見つめ、平和に思いを馳せました。

弁護士の岸朋弘です。
この夏の前半は、アメリカに赴き、労働運動や社会運動に取り組んでいる人たちと交流してきました。

アメリカといえば移民国家。そこで今回の連載では、移民と憲法というテーマを考えたいと思います。

今日の日本には、たくさんの「移民」(この投稿では、国境を越えて別の地に移住した人を指しています)が暮らしています。政府は「移民は受け入れない」「移民政策をとらない」などと説明していますが、それは現実から目を背けるものに過ぎません。

また、今年4月には改正入管法が施行され、新たな移民労働者の受入れが始まり、今後より多くの移民が日本で暮らすようになることは確実です。それでは、彼ら彼女らの基本的人権は憲法でどのように扱われているのでしょうか。
 
基本的人権について定めている憲法第3章の表題は「国民の権利及び義務」となっています。

これを形式的に捉えると、日本国籍を持たない者(「外国籍者」と呼びます)は基本的人権の享有主体にならないと考えてしまうかもしれません。しかし、基本的人権は国家が存在するか否かにかかわらず生まれながらにして当然に享有すべきものであること、日本国憲法が国際協和を謳っていることなどから、外国籍者にも基本的人権が保障されると考えられています。権利の性質上、日本国民のみを対象としている人権につ�いては外国籍者には保障されないと考えられていますが、実際には、日本国民のみを対象としているというべき人権は極めて限定されるというべきです。

ここで重要なのは、外国籍者の人権も憲法によって保障されているということであって、政治的・道義的に外国籍者が保護されるわけではないということです。そのため、外国籍者であるからといって、不当に権利を奪われれば憲法で保障された人権侵害の問題になるのです。
 
しかしながら、現在、日本で暮らす移民の人権が十分に尊重されているとはいえない状況があります。

例えば、驚くべきことに外国籍の子どもについては義務教育の対象外です。そのため、憲法26条1項が定める「教育を受ける権利」を十分に実現できない外国籍の子どもたちがいます。

また、オーバーステイとなってしまった外国籍の人々は健康保険に加入できず、十分な医療を受けることができません。これは、憲法25条1項の定める生存権が実現されていない例といえます。

さらに、基本的人権の根底にある「個人の尊厳」を否定するヘイトスピーチも行われているにもかかわらず、それへの対策は不十分であることが指摘されています。これは憲法13条の問題ということもできます。

以上はほんの一例で、今日の日本では移民の権利が多く奪われています。

日本が既に移民社会である現実と向き合い、国籍やルーツを問わず基本的人権が保障され共生できる世の中のための施策が採られることが急務です。そして何より私たちひとりひとりが、移民として生活している人々の人生に思いを巡らせることが求められています。


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(アメリカにて)

弁護士の加部です。

長崎に原子爆弾が投下されてから今日で74年になります。

私には中学2年生の頃、地元自治体の企画した平和学習旅行で長崎の平和祈念式典に参列した経験があります。
東西冷戦すら知らない世代ですが、この時に被爆者の方などからきいた原爆と放射能による被害の凄まじさ・むごさが、私にとっての反戦・反核の原体験のようなものになっています。

そういう意味で、8月9日はとても思い出深い日です。

※ ※ ※ ※ ※ ※

弁護士になった私はいま、福島原発被害弁護団に参加しています。

福島第一原発事故から既に8年が経過しました。
しかし事故の後処理もすすんでおらず、地元住民の被害救済も十分になされないままです。
ところが、放射能事故によりあれだけの惨禍を引き起こしたにもかかわらず、安全性の担保もないままに、原発再稼働に舵が切られています。

どうして日本(政府)は、ここまで原発にこだわるのか?
この点に関心を抱かずにはおれません。

もちろん簡単に説明はできないと思います。
理由も1つではないでしょう。
ただ、「日本は核兵器を作る技術を持っておきたいから、原発を手放さないのだ」というのが、有力な考えの1つではないかと思っています。

※ ※ ※ ※ ※ ※

原発と核兵器は全くの別物ではなく、密接な関係がある。
そう捉える方が、世界的にはむしろ普通のことのようです。

日本は、アメリカの同意を得て、原発で使い終わった核燃料から、プルトニウムを取り出し続けています。
プルトニウムとは、核兵器の材料となる放射性物質です。

本来は、使い終わった核燃料(ウラン)を、再び原子力発電の燃料として使うためにプルトニウムの取り出しが始まったのですが、現在日本では、プルトニウムを使った発電方法というのが様々な理由から頓挫していて、使い途のないプルトニウムが日々取り出され、貯められる状態が続いているのです。

2017年時点で日本は国内外に約47トンものプルトニウムを抱えていました。
これは、なんと原爆約6000発分に相当します。

そしてついに日本は昨年、アメリカ政府から使い途のないプルトニウムの保有量を削減するよう勧告を受けてしまいました。
つまり日本がプルトニウムを持っていることが、核拡散の観点から良くないことだと、考えられているということなのです。
もっと言うと、日本がいつか核武装するかもしれないと懸念している国も、あるということなのです。

さらに、(非常に簡略に言うと)他のアメリカの同盟国が、「なぜ日本がプルトニウムの取り出しを認められているのに、私の国には認めないのか?認めてほしい」と、日本を名指ししてアメリカに迫るような事態も起きています。

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このように日本が原発を動かし続けることと、日本が潜在的に核兵器を持ちうる能力を備えていることとは、切っても切れない関係にあり、世界の核不拡散・核軍縮(廃絶)に対して悪影響を与えているという大きな問題を抱えています。

私たちの憲法、特に憲法9条は、戦争の放棄を宣言し、唯一の被爆国である日本が、全世界中最も徹底的な平和運動の先頭に立って指導的地位を占めることを示しています。
その日本自身が、世界に核武装の懸念を与えたり、核軍縮にとって悪影響を与えているような事態は、憲法が掲げるこのような非軍事の理念にそぐわないものなのではないでしょうか。

長崎にプルトニウム爆弾が投下された8月9日の今日、そのようなことを考えてみました。

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(出張先のアメリカから)

毎日暑いですね。
「ブログで憲法カフェ」第3回目の投稿は、事務職員Tさんです。


今年も8月6日がきます。広島出身の私は、毎年この日の朝8時15分に黙祷をします。

私の祖父は警察官で、74年前の8月6日、広島市の交番で被爆しました。外に出て、空を見るとピカッとひかり、光から顔をそむけたため、背中だけが大やけどを負いました。みんなが水を求めて川に飛び込む中、川に入ると死んでしまうと直感し、体を引きずりながら、弟の勤務する鉄道会社に歩いて行き、電車に乗せてもらい、疎開していた家族の待つ田舎にたどり着くことができました。
やけどの痛みや痒みに加えて、蛆がひどく、何度も蓮の葉をはりかえていたそうです。蓮の葉を取りに行くのは子どもの仕事でした。
当時は田舎でも食料が少なく、祖父が食べたすいかの残りを、緑の皮の部分がなくなるまで子どもたちが食べていたそうです。

私が高校生の時、学校と塾の間に祖父の家に寄り、祖父の背中を熱いタオルでごしごしこすることが私の役目でした。戦後50年経っても、祖父の背中は戦争のひどさを残していました。「かゆくてかゆくてのう」とよく言っていました。
原爆は被爆者本人だけではなく、その後の世代にも被害を残しました。投下15年後の1960年、広島に被爆2世として生まれた名越史樹くん。5歳のときに白血病が発症、わずか7歳で亡くなりました。史樹くんのお母さんの「もし史樹がいってしまうなら、逝ってしまうならば、私は化石になりたい」という言葉を、私自身が母親となった時に知り、涙が止まりませんでした。祖父の体験や次世代に続く惨劇、このことが私の核兵器廃絶への原動力です。

二度と戦争で苦しむ人が出ないように、平和憲法を守り、世界中に9条の精神が広がることを願います。          
(柏原)
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(写真は、昨年8月に広島に行った所員が撮影したものです。)

 弁護士の中川勝之です。

 

 憲法の条文を見ると、27条1項が勤労の権利・義務、同条2項が勤労条件(労働条件)の基準の法定をそれぞれ定め、次の28条が勤労者(労働者)の団結権、団体交渉権及び団体行動権のいわゆる労働三権を定めています。すると、労働条件の最低基準として労働基準法があり、二次的に労働条件の改善向上のために労働組合の活動・運動が期待されていることになりそうです。

 しかし、歴史的には労働者・労働組合の活動・運動が先にあり、それが厳しい規制・抑圧の対象とされつつも、工場法といった一定の労働者保護立法がなされ、敗戦を経て、1945年12月22日に労働組合法が公布されました。その後、憲法が1946年11月3日に、労働基準法が1947年4月7日にそれぞれ公布されたことからすれば、労働組合による活動・運動こそがまず重要ということではないでしょうか。まだ実現されていませんが、最近の各政党の最低賃金大幅アップの政策も、労働組合による地道な活動・運動によって浸透していったように思えます。

 他方で、近年のブラック企業においては、労働基準法すら遵守されていない実態もあり、その労働者からの相談を多く受け入れる一般・合同労組(ユニオン)が広がってきています。


 今では労働条件の最低基準を遵守させることから改善向上に至らせることまで、労働組合の役割は大きくなってきていると言えるでしょう。労働者一人では使用者とたたかえないという実態が依然として存在するわけです。

 そうすると、労働者が労働組合に加入してたたかう意義は従前と変わらず、それだけに労働組合を嫌悪する不当労働行為は絶対許されないと私は思っています。義務的団交事項ではないと主張して延々と団交拒否を続ける、業績評価と称して組合員の賃金・昇格・雇用延長について差別する、組合員の職種ないし職場を変更する等の事件を私は受任してきましたが(ブログ参照)、やはり労働組合自身による活動・運動で不当労働行為のない職場を作らなければ解決とならないことも実感しています。最後は労使の力関係が事を決するのであり、これまた地道な活動・運動によるほかありません。

 労働組合の活動・運動が憲法28条によって保障されて現在の労働条件があるが、これとてたたかわなければ維持されないと言えるのではないでしょうか。私も微力ながら、今後も労働組合の活動・運動に寄与していきます。

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(六法から憲法28条を読む中川勝之弁護士)

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