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今日の東京は一日雨でしたが、快晴の昨日は久しぶりに走ってきました。
本来板橋シティマラソン開催日でしたが、既報どおりこれは中止となったため震災以来となる軽いランニングをしてきました。恐らくはエントラントの方々でしょう、同じようにジョギングする人の姿が数多く見受けられました。もちろん未だ東北では大変な状況に変わりありませんが、東京の夕焼けはいつにも増して美しく、体を動かしていることの気持ちよさも手伝って、絶対にこの景色を失わないぞと決意を新たにしました。CBRのテストをした日、早朝に橋の上から見た真っ白な富士山は一切のブレを感じさせずに、凛として日本を見守っていました。
さてお知らせが二つあります。正式には明日中にHPに掲載予定ですが、ひとまず先にこのブログでお知らせさせてください。
まず今週末の梨本塾ですが、残念ながら中止とさせていただきます。現状では都内でさえガソリン供給もままならず、もちろん被災地では一滴の燃料が死活問題になりかねない事態が続いております。その中で、少しでも復興を願うなら、今回はやるべきではないと判断いたしました。トミンモーターランドのある茨城県内も大きなダメージを受けています。そういった状況の中でギリギリまで調整した上での決定ですので、ご理解いただけましたら幸いです。
なお、実際にお申し込みをされていた方への対応は電話連絡にて行っております。本日19時時点でほぼすべての方への連絡が済みましたが、一部の方とはまだ連絡が取れておりません。ここを見てまだ電話連絡がお済ではない方は、ぜひ梨本塾事務局までご連絡下さい。
そして二つ目ですが、梨本塾を開催する予定であった3月27日夕刻より、東北関東大震災復興支援の一環として、頑張ろうぜニッポン食事会を都内にて開催する予定です。ここで被災者の方への少しでも手助けとなるように、梨本塾としての復興支援ステッカーを製作し、募金と引き換えにお渡しする予定です。この売上金の全額を、被災地の方々へ、梨本塾が責任を持ってお送りいたします。
梨本塾現役ライダーの方はもちろん、今まで梨本塾に参加したことのあるすべての皆さん、そしてこれから梨本塾に参加しようとしていた皆さん、ぜひ「一人のバイク乗り」としてこの被災地激励食事会に参加してもらえませんか?僕もこういういときこそ皆さんの顔を見て話をしたいと思っていますし、規模は小さいかもしれませんが、こういった支援を今後ずっと継続的にやっていけたらと思っています。被災地の子供たちのミルクやおむつが有り余るようになるまで、女性たちの笑顔が戻るまで、男たちの汗が実を結ぶまで、ずっとです。
もちろんさらに復興が進めば、被災地の方々をお見舞いするツーリングも絶対に企画します。みんなでバイクに乗って東北の人たちに元気を、物資を、一緒に届けに行きましょう。もちろん向こうでドンチャンやって、ガッチリお金も落としてきましょう。
今週末は、ひとまずそういったアクションの決起集会みたいなものと考えてます。とりあえずこちらにいる自分たちが腹の底から元気になって、被災地の方々の燃料となれるような意志を固めましょう。
昨日、ランニングを終えた後で家の前にお巡りさんがいたので少し話し込みました。東京ではどうやら振り込み詐欺が急激に増えているらしく、直接お年寄りのいる家庭を巡ってモニタリングしているとのこと。そこで計画停電時に交通整理のために交差点内にいる白バイ隊員が、立ち居地や角度によっては全然ドライバーから視認されないこと、またバイクや自転車の側面はほとんど見えないこと、警察関係者がいるべき交差点など注意点を伝えておきました。
そして彼から聞かされた話で唸ってしまったのは「計画停電中に開放される公衆電話で、2時間近く話し込んでいる人間がいて困った」というものです。人間の業の深さを垣間見た気がしますが、しかしそうやって我々がこれまで生き延びてきたのもまた事実です。この言葉にならない状況を打破するには、ある部分で呆れるくらいの図々しさも必要かもしれません。
もちろんそれは炊き出しの順番待ちをズル込みすることではないですし、ましてや募金箱を強奪することでもない、ただ、生きること生き抜くことに図々しくなる必要があるのではないか、ということです。
戦後生まれの自分たちは、恐らく今回のことで初めて、日本という国の輪郭、そして日本人の強さというものを知った気がします。もちろん東北地方の人たちの、筆舌にしがたいほどの辛抱強さというものも。平時は日本人以外にはけして理解されないかもしれない優しさ、強さ、しぶとさ、冷静さ。しかし今回のような未曾有の事態で初めて日本人の血脈が明らかになったのではないでしょうか。これをなんとしてでも次につなげるためには、北海道から沖縄の人たちまですべてが協力しなければなりません。
そういうことを意識しながら、自分に出来ることをひとつずつ、一億個出来れば、絶対に日本はもう一度立ち上がるでしょう。
心配してくれている皆さん、自分は大丈夫です。
地震発生時、板橋のテクニタップさんにいました。
お店の方と談笑していたら突然ゆっくりと揺れだし、お店を出てみると、今まで感じたことがないほどの大きな、恐ろしく破壊的な揺れが襲ってきました。
それは非常に長い時間続き、いつも喧騒の環七は一瞬で全車が止まって一切の騒音を失い、代わりに自然が沸き起こす巨大な波音、摩擦音だけに支配されました。このまま地面がひっくり返ってしまうんじゃないか、というくらいのエネルギーでした。
その後やや落ち着きを取り戻した後、バイクで戻る途中、今度は二発目の、別の大きな地震に襲われました。走っていても即座に分かる大きな揺れで、環七沿いのお店からはみなが飛び出してきました。
2005年の仙台地震のときもバイクに乗っているとき、そして菅生へ向かうときにそれぞれ二度ほど首都高上で地震に遭遇してものスゴイ揺れを感じましたが、今回のものとは桁が違うというか、まさしく地面から根こそぎ持っていかれそうなほどのエネルギーを感じました。
ただ、いい方向で驚いたのは、その後の帰り道で見た風景はいつもと変わらなかった、ということです。東京は大きなビルも多いけど、未だ古い建物、家屋もたくさんあります。しかし少なくとも見渡す限りの範疇では、倒壊しているものはなく「あれほどの大きな揺れでも、東京の家は崩れないのか」と感じました。
以降、今に至るまで結構な頻度での余震が続いています。ライフラインに関して問題はないですが、とにかく携帯がまったく繋がらない。ちなみに今回も緊急知エリア速報など二回とも何も流れませんでした。知り合いとの連絡などは午後9時半現在も全然取れません。災害伝言ダイヤルも使えません。つまりこういったケースにおいて携帯はほとんど何も役に立たない、ということです。
また在京民放はどの局もヒステリックな報道ばかりで要領をえないばかりか、パニックに陥りがちな民衆を煽るかのような、自らパニックの種を撒いているように見受けられます。もっとも慌てているのは彼らのように感じます。被害を広げないためにも、迅速かつ正確な情報伝達が望まれる中で、その量に圧倒されて恐ろしく質が低下いているように感じます。
都内においては効果的な交通規制や音声放送などはまったく行われていませんでした。火事を野次馬する放送局のヘリは無数に飛んでいますが、彼らが何かを発することはけしてありません。やはり、当たり前のことだけど、自分の身は自分で守るしかない、ということです。
岩手地方では、言葉を失うような被害が出ているようです。祈るくらいしか出来ませんが、とにかく関東以北の皆さん、まだまだ余震は続くと思うので、引き続き気を引き締めていきましょう。気をつけすぎて困ることは、ひとつもありません。