弦巻川・水窪川〜池袋・雑司ヶ谷・護国寺・音羽の水を訪ねる〜

2005年05月22日

弦巻川篇(終)丸池

77fab087.jpg先ほどの碑の横には、丸池を偲ぶということで人工の小さな池(泉?)がつくられています。しかしその水はずいぶん前に枯れ果てているようで、石組は赤茶色に錆び付き、道行く人々はだれも気にかけている様子はありません。
かつて池袋駅西側は鬱蒼たる樹林帯で、丸池だけではなく沢山の湧水池があったそうです。丸池には明治末期まではこんこんと水が湧きだしており北東側からの小さな流れの流入もあって、三百坪の広さに豊かな水をたたえていたとの記録もありますが、その後の都市化により湧水は止まり、池は干上がって小さくなっていき、弦巻川は暗渠化され、最後にはゴミだらけになっていたとのことです。
すぐ近くの東京芸術劇場の地下では現在でも大量の湧水が湧きだしており、21台ものポンプで排水しているそうですが、せめてその水をこの泉に流してもらいたいものです。

長くなりましたが、以上で弦巻川/水窪川の暗渠探訪はひとまず終了となります。7年前から待っていて、メールや掲示板で再開のリクエスト送って頂いた方々、もし見ておられましたらこの場でお詫びと感謝を申し上げます。また、7年前に川の存在を教えて頂き、現地の案内と資料協力を頂いたK.O様には深く感謝申し上げます。

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弦巻川篇(35)弦巻川水源跡

25132117.jpgとうとう水源に到達です。現在メトロポリタンホテルのある一角に、かつて丸池と呼ばれる池があり、ここから弦巻川が流れ出していました。現在「元池袋史跡公園」と名付けられた小さな一角に
「池袋地名ゆかりの地」の碑が建てられています。丸池は池袋の地名の由来とされています。

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弦巻川篇(34)

990c6fd3.jpg川跡を進んでいきます。結構人通りが多く、抜け道として使われている様です。道はすぐにビックリガードの大通りにつきあたります。通りを渡るともう池袋の南口です。



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弦巻川篇(33)最上流部の川跡

12c83915.jpg山手線の線路の向こう側に渡ると、川跡らしき道がありました。水源地までもうすぐです。

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弦巻川篇(32)本流に戻って

3c0a356e.jpg公園のところの本流に戻ります。右に曲がり北に進むと広めの道に出て、西武線の下をくぐりす。この辺りから西武線、山手線を越えるところまでは痕跡がなく、弦巻川がどこを流れていたのかよくわかりません。

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弦巻川篇(31)目白庭園

3a885e94.jpg地図を見ると、谷が西武池袋線に突き当たっておわる少し手前、谷の南側を上がって西武線の踏切を越えたところに池があります。もしやと思い向かってみると、90年に出来た区営の庭園「目白庭園」で、池は人工のようで、かなり掘り下げてありました。残念。なお、踏切の近くには古いポンプ井戸がありました。


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2005年05月20日

弦巻川篇(30)ケヤキハウス

53c1c709.jpg近づいてみると、木の幹の部分だけ、建物が凹んでいました。

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弦巻川篇(29)西池袋方面の支流

4c8e7b99.jpg先ほどの路地を上流に進んでいくと、小さな公園の前に出た後、突き当りとなります。その先は民家の中の私道となって西武池袋線の線路につきあたります。このラインを西武線、山手線の西側まで伸ばしていくと、西池袋2丁目の谷筋の底の道となります。ここにも川が流れていたかもしれません。この道沿いにもまたもや巨大なケヤキの木が出現。民家の屋根から生えているようにみえます。

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弦巻川篇(28)目白方面の支流

68200158.jpgこの路地から目白方面に支流の跡らしき細い道が2本伸びています。江戸時代の地図を見ると、雑司が谷村がこの2本にはさまれた細長い三角形状の土地にはみ出しており、1本には川筋が描かれています。

地図

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弦巻川篇(27)明治通りをこえる

e01559dc.jpg法明寺を過ぎ、雑司が谷小学校跡地の南西側を通って明治通りを越えると、マンホールの並んだ道が現れます。いかにも川跡らしい路地です。

地図


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2005年05月18日

弦巻川篇(26)法明寺参道

1c030f5b.jpg法明寺は弘仁元年(810年)創建と非常に古くからある寺院です。江戸時代は桜の名所としてにぎわったそうで、現在も参道沿いに桜並木が残っています。弦巻川はかつて参道にあった仁王門の前を流れていたといいます。現在仁王門はありませんが、おそらくここだと思います。写真はその場所からみた参道です。

「鬼平犯科帳と江戸名所図絵」より。弦巻川の字が見える

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弦巻川篇(25)川跡の道

6007c321.jpg弦巻川暗渠は鬼子母神からやや北側に道を下ったゆるやかな谷底にある、大鳥神社の北側から東京音大の前に続く道となっています。

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弦巻川篇(24)鬼子母神の駄菓子屋

eae63fc3.jpgもう一枚鬼子母神から。境内にある、江戸時代から続いているという有名な駄菓子屋さんです。

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2005年05月16日

弦巻川篇(23)鬼子母神

9d95f729.jpg先に紹介した清土鬼子母神で出土した鬼子母神像を祀ったのがここ雑司ヶ谷の鬼子母神。江戸時代
は庶民の観光地として賑わったそうです。ちなみにここの鬼子母神には角がないということで正式には「鬼」の字の上の点は書きません。

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弦巻川篇(22)鬼子母神参道

221a8f08.jpg大鳥神社より上流の川跡は、神社北側の道と一致しているようです。少し脇にそれて雑司ヶ谷鬼子母神をのぞいてみます。都電の駅から続く参道には見事なケヤキ並木。弦巻川の流域にはケヤキの大木が多いように思えます。50年近く前、この道沿いのアパートに手塚治虫が住んでいて数々の作品を生み出していました。アパートは現存しているらしいです。

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弦巻川篇(21)暗渠化記念碑

36f51e70.jpg線路の向こう側、大鳥神社の境内には弦巻川の暗渠を記念する石碑があります。碑には、弦巻川の水質が悪化し伝染病の原因となったりしたため昭和七年に暗渠化した旨記されています。都電荒川線のこの区間が開通したのも同じ年。かつては水田地帯だった一帯の風景は、その頃には一変していたのでしょうね。

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弦巻川篇(20)都電をくぐる

4b77365f.jpg清立院の前を通る道を少し南西に進むと、都電荒川線のガードをくぐります。古地図と比較する限りでは弦巻川はここと弦巻通りの中間地点を通っていたように描かれていますが、実際に来てみるとこのガードのところが一番低くなっています。いったいどこを通っていたのでしょうか。

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2005年05月15日

弦巻川篇(20)御嶽坂

c220ca81.jpg清立院前の木村橋跡のところで、御嶽坂と呼ばれる坂道が合流しています。ケヤキの木が見事です。

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弦巻川篇(19)木村橋跡

54a97735.jpg雑司ヶ谷2丁目から南池袋4丁目にかけての流路ははっきりしません。明治時代の地図と現在の地図を比較する限りでは、この辺りの弦巻川は弦巻通りを北東側に反れており、現在それに相当する道はみあたりません。清立院の南西のところだけは道路と一致しています。ここには石碑があり、享保2年(1717年)に弦巻川の石橋が架け替えられ、出資者の名前をとって木村橋と呼ばれたとの刻字がされているそうです。
写真の左上からの道が弦巻川跡の一部と推定されます。

来村橋跡地図

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弦巻川篇(18)雑二ストアー内部

38e10ac8.jpg雑二ストアーの内部です。雑二は雑司ヶ谷2丁目のこと。

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弦巻川篇(17)雑二ストアー

6cb79700.jpg川跡っぽい道と弦巻通りを結んで、「雑二ストアー」があります。細い路地に屋根をつけ、向かい合う商店が市場状になっています。50年以上前からある古い市場で、1999年の火事でいくつかの店は営業を取りやめたままになっているそうです。




雑二ストアー地図

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2005年05月13日

弦巻川篇(16)川跡っぽい道

3532747c.jpg弦巻通りの南側〜西側に並行する道です。川跡っぽい雰囲気が漂っていますが、明治時代後期の地図をみると弦巻川の川筋は弦巻通りとほぼ一致し、この道は普通の道となっています。それ以前はどうだったのでしょうか。

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弦巻川篇(15)路地裏の井戸

65adc974.jpg水の気配を探しに路地裏に入ると、掘抜き井戸に手漕ぎポンプを載せた古い井戸がありました。

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弦巻川篇(14)弦巻通り

ab9309f4.jpgここから上流、弦巻川は弦巻通りの下を暗渠になって流れていますが、70年以上前に暗渠になっただけあってただの道路にしか見えず、かつてここに川が流れていたことは知らなければわからないでしょう。(写真は98年撮影)



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2005年05月12日

弦巻川篇(13)緑の丘

8920d67b.jpg丘陵の上は日本女子大の寮の敷地となっており、木が生い茂っています。敷地内には戦前の建築が多く残っているそうです。手前の駐車場は弦巻川が少しだけ蛇行していた後で、区境が三角形にはみ出しています。写っていませんが写真右側には「サンカ小説」で著名な三角寛の旧邸を利用した料亭「寛」があります。


三角形の区境

料亭「寛」

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弦巻川篇(12)風情のある側溝

62d0c735.jpg弦巻通りの北側の丘陵の縁に並行した道路端には古そうな風情のある側溝が残っています。


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2005年05月11日

弦巻川篇(11)区境の川跡?

00d830b1.jpg弦巻川流路跡と思われる区境は大きく蛇行し弦巻通り北側に移ります。写真は区境の路地です。暗渠っぽい雰囲気が漂っています。


区境の路地

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弦巻川篇(10)星の井戸

12c6148a.jpg境内に三角形をした珍しい形の井戸があります。「星の井戸」「星跡の清水」とも呼ばれ夜になると星明りのような光を発したとか、出土した鬼子母神像をこの井戸の水で洗ったという伝承を持つ由緒ある井戸です。

川跡は鬼子母神の前で一旦消えてしまいます。このあたり、文京区と豊島区の区界が入り組んでいますが、これに沿って弦巻川が流れていたようです。

豊島区/文京区境


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弦巻川篇(9)清土鬼子母神

48d8f3a1.jpg暫く進むと左手がくぼ地となっていて、少し荒れた感じの神社があります。ここは「青土(清土)鬼子母神」で、雑司が谷の鬼子母神に祀られている鬼子母神像は1561年、この場所の畑の中から発見されたといいます。


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2005年05月10日

弦巻川篇(8)湧き出る井戸

fd5e3db2.jpg川跡沿いに、大鍋で蓋をした掘抜き井戸があります。パイプから水が流れ出ており、地下水位が浅く水量が豊富であることが伺えます。

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