渋谷川上流域〜千駄ヶ谷・原宿から渋谷の流路と水源を辿る〜

2005年07月25日

渋谷川上流(終)姿を現す渋谷川

bf25cc01.jpg東急百貨店東横店の地下を通って渋谷駅の南東側で暗渠の区間が終り、渋谷川が地上に姿を現します。水はほとんど流れていません。現在の渋谷駅東口のバスターミナルのところには18世紀末より「宮益水車」が設置されており、明治初期にはこの水車の利益金で現在再開発中の東急文化会館の敷地にあった「渋谷小学校」の運営をしていたそうです。(なお、渋谷駅は今よりも南寄り、埼京線ホームのある辺りにあった)
暗渠が地上に出るところには「稲荷橋」が架かっています。現在国道246号線が通っている敷地に、かつて橋の名前の由来となった「川端稲荷(田中稲荷)」があって、銀杏などの木々が生い茂っていました。大正期この近辺に住んでいた大岡昇平の「幼年」には
「当時は境内の鬱蒼たる大木が渋谷川の流れに影を落としていた。「川端稲荷」の名にふさわしい、水辺の社であった。殊に夏は涼しいから、鳥居の傍の茶店で氷を売っていて、。荷車曳きや金魚売りが休んでいる姿が見られた」
と書かれています。また、ちょうど写真に写っている辺りの川上には、大正期には川を跨いだ「川上家屋」が何軒か建っていたそうです。

ここから下流は「渋谷川中流」編として引き続き探訪していくこととします。


地図


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渋谷川上流(27)宮下公園脇

a0b64e5c.jpg明治通りを越えた先は幅7.5m、高さ3.6mの暗渠となって宮下公園の脇を通っています。暗渠沿いにはホームレスの人々のブルーシートハウスが林立しています。この先で宇田川と合流しています。

地図

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渋谷川上流(26)宮下橋

fbc2f167.jpg渋谷川が明治通りを越えるところにはかつて宮下橋が架かっていました。現在落書きだらけの欄干がひっそりと残されています。

地図


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2005年07月23日

渋谷川上流(25)鶴田の水車

73d0ca2b.jpg穏田神社を過ぎると暗渠の川幅が広くなり、道の真ん中に児童遊園が現れます。近所の子供たちが遊んでいました。100年前は遊具ではなくここに流れていた川に入って遊んでいたのでしょう。
この近辺にかつて「鶴田の水車」がありました。この水車は18世紀後半に設置された古いもので、渋谷川に高さ3mもの堰を造って左岸側に水路を分け、水車を廻していました。明治後期には水車の動力を使って真鍮の延板を作っていたそうです。この場所が穏田村であることから、先の村越水車ではなくこちらが北斎の描いた「隠田の水車」だとする説もあります。

地図

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渋谷川上流(24)護岸

3dfa279c.jpg遊歩道沿いに一段低くなった道が続いています。おそらくもともとは川沿いの道で、ガードレールの下のコンクリート壁は護岸だったのではないでしょうか。

地図

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渋谷川上流(23)蛇行跡

f4d3b776.jpg左岸側に蛇行跡の暗渠が残っています。こちらは整備されておらず暗渠っぽさが漂っています。

地図


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渋谷川上流(22)参道橋下流

ca2fcc42.jpg再び渋谷川に戻ります。参道橋下流部も最近遊歩道が再整備され、妙に小綺麗になっています。「キャットストリート」とはいうものの猫が出没できる雰囲気ではありません。

地図

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2005年07月21日

神宮南池からの小川(終)東郷神社神橋

552a9ad2.jpg池の南側の道路には石橋が残っています。橋の下には水はなく、浅い窪地となっています。窪地は池の水面より高くなっていますが、江戸期の地図をみるとこの辺りから水路が流れ出ていたようです。ただ、逆に南池(もしくは東池)からの小川から神池に向かって水をひいていたという話もあり、よくわかりません。

地図

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神宮南池からの小川(10)東郷神社神池

80b2acbf.jpg近くの東郷神社にはもともとは湧水池であった「神池」があります。一帯は大正期までは鳥取藩主であった池田氏の邸宅で、当時の池は800坪あまりの広さがあり、冬には百羽を越える鴨の群れが来訪していたそうです。現在池の広さは半分ほどとなっており、水も循環させているようです。この池からも水路をひいて水田に利用していたらしく、水の確保にいろいろと苦心していたことが偲ばれます。

地図

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神宮南池からの小川(9)並行する水路跡

7afc7968.jpgまた、明治神宮東池と現在の原宿駅宮廷用ホームの北側にあった池からも明治中頃まで灌漑用に水路が引かれていて、この小川に合流していたそうです。南池からの流路跡の北側に並行する細い道があり、この水路か後述の東郷神社からの水路のいずれかの痕跡と思われます。
ホーム北側の池は大正末には埋め立てられたようですが、神宮東池の方は小さくなり2つに分かれてしまったものの現存しています。

地図

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神宮南池からの小川(8)護岸跡

f2c98282.jpg明治通り近くの谷が終わる辺りには、コンクリート護岸の痕跡らしきものが右岸沿いに残っていました。この先右手から下ってくる道に架かっていた「飴屋橋」を越えた先で川は二手に分かれていました。ひとつはまっすぐ東に進んで渋谷川に直接合流し、もうひとつは現在明治通りが通っているところを南下して、穏田神社近辺で渋谷川に合流していました。この南下する流れは穏田地区の水田の灌漑用に整備された水路だといわれており、増水時は直接合流する水路に水を流していたとのことです。水田は明治末には消滅してしまったそうです。

地図

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神宮南池からの小川(7)橋の痕跡?

f38d0b49.jpg一部分だけ、タイル舗装がされていない場所がありました。橋の痕跡でしょうか。川は清正の井を谷頭とし西から東にのびる谷筋の南縁を流れ、明治後期まで川の左岸(北側)の水田を潤していました。

地図

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2005年07月18日

神宮南池からの小川(6)フォンテーヌ通り

b6a7eb47.jpg神宮を流れ出た川は山手線原宿駅のホーム下をくぐり、竹下通りの南側の路地裏を暗渠となって下っていっています。路上は煉瓦色のタイルで舗装されており、「フォンテーヌ通り」と名付けられていて小洒落た店が点在しています。

地図


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神宮南池からの小川(5)渓谷

df099bd8.jpg南池から川が流れ出ています。自然林の再現を目指して造られた神宮の森ですが、この川沿いだけは、もともとは谷底の荒地だったところを庭園風に石を配して渓谷風に造園されています。左側からは別のせせらぎが合流しており、池とは別の水源があるようです。

地図

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神宮南池からの小川(4)南池

ac75662d.jpg明治神宮の森は北池の方で述べたように100年かけて照葉樹林に遷移するよう計画的に植樹された人工林(実際にはそれより早く70年で遷移が完了)ですが、神宮御苑だけは井伊家下屋敷時代からの庭園で武蔵野の雑木林がそのまま残っている自然林だそうです。南池には、清正の井からの谷筋のほか池の北側からも短い谷筋からの水が合流しており、また、代々木公園との境目となっている谷筋からの水も注いでいたようです。

地図


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2005年07月16日

神宮南池からの小川(3)菖蒲田

a67053b2.jpg谷沿いは谷頭の水田の地形が残されており、菖蒲田になっています。水は水田の両端に沿って流れています。かつてはこのような光景が渋谷川水系のあちこちにあったのでしょう。6月には菖蒲の花が咲き、大勢の見物客が訪れます。

地図

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神宮南池からの小川(2)流れ出す水ともう一つの水路

a893ca3c.jpg井戸から溢れ出た水は丸太で整えられた細い水路を下って菖蒲田に流れ込んでいます。林の中をよく見ると西側にもう一筋谷があって水路が造られています。こちらには水は流れていませんが、辿っていくと御苑の外、神宮本殿の西側の森の中まで窪みが続いています。こちらが本来の谷頭だったのかもしれません。

地図(西側の谷)

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神宮南池からの小川(1)清正の井

e6a869a6.jpg明治神宮御苑内にある南池から、渋谷川の支流が流れ出ています。この川は神宮より東は暗渠化されていますが、神宮の境内には自然に近い源流部が残されています。水源のひとつ、神宮御苑内にある「清正の井」は谷頭の窪地にあり、今も清冽な清水が湧き出しています。加藤清正が掘ったとの伝承からこの名がつけられていますが、真相は定かではありません。(一帯は江戸初期、加藤家の下屋敷でしたが、のちには井伊家下屋敷となりました。)円筒型の木枠がはめられていますが実際には横井戸で、木枠の横に穴が開いています。調査の結果、井戸の北側、神宮本殿近辺の浅い地下水脈を、かなり技巧的な構造で誘導し湧き出させていることがわかったそうです。

地図

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2005年07月14日

渋谷川上流(21)参道橋と「鐙の池」

9b75cee8.jpg表参道は明治神宮への参道として大正9年に開通しました。神宮前5−7にあるユニオンチャーチの辺りを源頭とし神宮前小学校にかけて、かつて細長い谷があり「鐙の池」と呼ばれる湧水池がありました。一帯は浅野山と呼ばれる広島藩浅野家屋敷の森で、明治末の地図を見るとこの鐙の池の西側にも同じように細長い池があったようです。表参道が造成された際に谷ごと埋め立てられましたが、豊富な湧水量を誇っていたため工事は困難を極めたそうです。その後つくられた神宮前小学校のプールは湧水を利用していましたが、おそらくその湧水は埋められた鐙が池の谷の湧水が地下を通って湧出していたと推定されています。

表参道が渋谷川を渡る地点には「参道橋」が架けられました。現在も欄干が残されています。参道橋の手前で明治神宮南池からの小川が合流していました。次回から再び脇にそれてこの小川を源流から辿ってみることとします。

地図

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渋谷川上流(20)キャットストリートと裏原宿

562c4444.jpg渋谷川上流部は1963年に暗渠化、67年に遊歩道・遊び場として整備されました。そして1970年代半ば頃から誰ともなく「キャットストリート」と呼ばれ始めたと言われています。もともとは表参道よりも下流(南)側を呼んでいたようですが、最近では原宿橋の辺りまでさかのぼって呼ばれている様です。由来には諸説ありはっきりしていないとか。一説には猫が多いため地元の高校生が「猫通り」と呼び始めたのが始まりとのことです。確かに暗渠を歩いているとたいてい猫に出会います。
また、表参道以北明治通り以東の一帯は、90年代後半以降「裏原宿」と呼ばれ流行発信地のような扱いをされており、渋谷川暗渠沿道にも、個性的なアパレルショップや雑貨屋が立ち並んでいます。96年以降、暗渠跡の遊歩道が再整備されてよくも悪くも小綺麗になったことで、ますます店や人が増えたようです。


地図


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渋谷川上流(19)穏田の水車

4910c0a2.jpg渋谷川はこの付近では一帯の地名から穏田(おんでん)川と呼ばれていました。写真の場所近辺には「村越水車」があり、明治中頃は直径6.5mの大きな水車に杵を57本も連結して米搗きを行っていました。水車は川が蛇行する地点(おそらく写真で暗渠が右に曲がる突き当たりの場所)に、蛇行をショートカットして直線で進む水路をつくり、そこに設けられていました。これは水の勢いを強めて水車の能力をたかめるための工夫でした。渋谷川沿いにはこのように蛇行地点を利用した水車が多かったそうです。
葛飾北斎の冨嶽三十六景の1枚に「隠田の水車」はこの水車か、もしくはこれより下流、穏田神社の傍にあった「鶴田水車」(忠左衛門の水車)のいずれかを描いたものといわれています。

「穏田の水車」

地図(水車位置)


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2005年07月12日

原宿村分水(終)渋谷川との合流地点

057714b6.jpg原宿村分水は渋谷川に架かっていた原宿橋(跡)のすぐ下流側で渋谷川に合流して終わります。合流地点での暗渠の幅は2.5m、渋谷川は3.6mとなっています。原宿橋跡のすぐ下流右岸側に、合流地点の一角が空き地となって残っています。写真の花壇あるスペースがそれで、この先に、左から右に向けて渋谷川暗渠が通っています。
次回から再び渋谷川に戻ります。

地図


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原宿村分水(18)東側水路暗渠

fe99a7c8.jpg東側水路下流部の暗渠です。この場所よりやや上流側には、護岸のコンクリート壁を埋めた跡が残っているそうです(今回は未確認)。暗渠化直前にはこの先で西側水路と合流していました。合流地点の下流部は千原児童遊園になっています。(写真奥の緑地)

地図


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原宿村分水(17)暗渠の道路

e03fb4d5.jpg道路の下を幅2mほどの暗渠が流れています。この先明治通りの手前では流路跡が「千駄ヶ谷3丁目遊び場」となっています。明治通りを越えると再び2本の並行した流れに戻ります。1930年代には東側水路は幅3mほど、西側水路は幅5mほどで、単に渋谷川支流と呼ばれていたとか。澄んだ水が流れていたそうなので、その頃はまだ玉川上水からの水が流れていたのでしょう。大雨の際には増水し、子供が流されて亡くなったこともあったそうです。

地図


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原宿村分水(16)山手線を越える

c6970fc5.jpg再び原宿村分水本流に戻ります。山手線土手の東側に、水路が越えていた跡が残っています。山手線は明治18年に開通していますが、その当初よりこの位置で川を越えていました。

地図


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2005年07月10日

原宿村分水(15)神宮北池

7a5affff.jpg北池の場所はもともとは湿地で水田に利用されていたようで、神宮の造成時に堰き止めて池がつくられました。最近では十数羽のオシドリを観察できることで知られているようです。池の北端で外に流れ出し原宿村分水に合流していたようですが、現在北側は立ち入り禁止となっているためどうなっているのかはわかりません。

地図


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原宿村分水(14)のどかな風景

464b7af1.jpg川で子供達が遊んでいます。更に下流ではカラスが数羽集まり水浴びをしていました。

地図

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原宿村分水(13)北欧式庭園

e238295a.jpg一帯は北欧式庭園となっており、流路の周りは芝生となっています。

地図


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原宿村分水(12)落ち葉積もるせせらぎ

9481a14f.jpgせせらぎが流れています。写真は2004年11月、度重なる台風の雨により、東京各地で湧水が復活したときのもので、かなりの水量が流れていました。
地図

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2005年07月08日

原宿村分水(11)北池の水源

b62cd937.jpg明治神宮宝物殿のそばには、竹やぶの中から湧き出し北池に注ぐ200mほどの小川が残っています。ただ、比較的浅い谷のせいか水量は季節によって変化するそうで、枯れているときもあります。
一帯は江戸期は彦根藩井伊家の下屋敷で、明治時代には南豊嶋御料地となり、草原や林が点在していたようです。そして大正に入って明治神宮として整備され、大正9年に完成しました。最近ではよく知られるようになりましたが、明治神宮の森は計画的に植林された人工林です。

地図


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