「二十年三月九日」ワークショップ・オーディションのご案内

アガリスクエンターテイメント出演者募集ワークショップ・オーディションのお知らせ

アガリスクエンターテイメントでは次回公演「二十年三月九日」の出演者を募集し、ワークショップ・オーディションを開催します。
ワークショップのみでの参加も歓迎します。期日が迫っておりますが、まだ両日とも若干の空きがあります。
皆様との出会いをお待ちしております。

【ワークショップオーディション】
《日時》
12/5(土)18:00〜21:00
12/6(日)15:00〜18:00※どちらか片方を選んで御応募下さい。
《場所》
JR本八幡駅付近(千葉だけど一番東京側!)
《費用》
無料
《内容》
「シチュエーションコメディをやるためのからだ」「悲劇をバカバカしく見せる人となり」

【出演者募集対象公演】
《題名》
「二十年三月九日」
《日時》
2010年3/3〜3/8
8ステージ
《会場》
新宿 タイニイアリス
《内容》
1945年3月9日。大空襲前日の東京下町を舞台に、「戦争どころじゃない」人々の個人的なピンチ・騒動を描く。
「笑いだけの展開と、外側にある笑ってられない物語」を目的に、徹頭徹尾をコメディとして描き、観客の中での史実との対比によってはじめて悲劇・反戦歌となる作品とする。

【募集要項】
《資格》
◎2010年3/1〜3/8まで確実に参加可能な方
◎本八幡付近での練習に参加可能な方
◎演劇経験は不問
《待遇》
◎一定の出演料や交通費はお支払いできません
◎公演参加費・チケットノルマは一切ありません


【応募】
《記入事項》
興味のある方は、氏名・電話番号・メールアドレス(携帯)・メールアドレス(PC)・2,3行の志望動機・希望日程を明記の上、以下までお送り下さい。
《応募先》
冨坂友(脚本・演出)
E-MAIL:y_tomisakaアットマークagarisk.com
(アットマークを@に変えてお送り下さい)

ワークショップだけの参加も歓迎致します。(その際はその旨をお書き下さい)
奮ってご応募下さい。長文失礼しました。

【劇評】犬と串 cade.3「BOOKEND」

stage11417_1当日パンフに自叙伝とあるが、自分にはむしろこれからの創作への宣言に見えた。「下手な感動は排し、シュールで不謹慎でポップな笑いばっかりつくる」という宣言。

《あらすじ》
今まで笑いにしか興味がなかった男が「感動」に侵食されていく様と、それを阻止したい笑いの神様達の奮闘を、不謹慎で不衛生かつポップで可愛く描く。

この、「笑い」という題材を「笑い」という表現方法で描くのが英断というかリスキーすぎてビビった。だって、テーマが結実するクライマックスのネタで笑えなかったら、それまでの物語で語ってきた「笑い」論が無に帰してしまうから。
いや、「すごい音楽で世界が変わった」って場面を実際に映しちゃう映画とか(二十世紀少年映画版)もそうなんだけど、物語上で語られる表現そのものを観客の前に出しちゃうと、それのクオリティが気になるぞ、っていう。
(以下、ネタバレ)

そういう意味では、最後の時間を巻き戻して「くだらなくやり直す」というシーンが最大のネタになっていなかったのが唯一にして最大の弱点。
「同じ状況が目線次第でこんなにバカバカしく!」っていう上手さ、巧みさで舌を巻かせるか、もしくは「辻褄とかどうでもいい!ネタはそこまでじゃないけど笑っちゃう」っていう多幸感(?)どうにでもなれ感(?)までいくか、どちらかに突き抜けなければいけなかったのではないか。
「笑い」を「笑い」で語る以上、あそこが一番ウケる必要があったのに、直前のゴスペラーズの方がウケていたのが残念。

ラストが突き抜けた状態をもう一度みたい。そしたら最高だ。
あと、役者の器用さ・パワーやスタッフワークはさすが早稲田の劇研だった。多分、いま日本最強の学内公演。

シュールで不謹慎不衛生なネタを繰り出しているが、その実登場人物の成長や葛藤がエンターテイメント的にわかりやすくキッチリと描かれている脚本。ただ、帰り道に考えたのだけど、それによりシュールで無茶苦茶な「笑い」がベタで理路整然としたエンターテイメント型脚本に取り込まれてしまっていないか、作家はそれでいいのか、それこそ江頭2:50みたいに無茶苦茶なのが好きなら、彼の芸はエンターテイメント型の脚本のなかに納められるものではないことはわかるだろう。その芸自体の表現としての面白さ・美しさは諦めて、芸人に譲って、演劇の中で要素として使っていくのか。そもそも「シュールな笑い」と「キチッとした脚本構造」って食い合わせ悪くないのか、色々考えてしまった。

「余命1時間の花嫁」を振り返る

余命1時間の花嫁 本チラシ表アガリスクエンターテイメント第11回公演「余命1時間の花嫁」が終了しました。一週間前に。終了してました。皆さん、ありがとうございました。

さて、反省会を前に色々振り返らなきゃいけないので、それを兼ねてこのブログで自分なりに総括しようと思う。なんせ他劇団である国道五十八号戦線「反重力エンピツ」に対してあれほど(恥ずかしいながら)熱を持って書いてしまったので、自劇団で、しかも自分が脚本演出した公演だからそれ以上の何かを書かなきゃならなくてプレッシャー。いや、誰に対してだ。

ひとまず公演を【脚本】【演出(役者)】と【企画】に分けていこうと思う(興行の中のほかの面は制作に投げる)。そして、今後の活動の仕方について。


作品としては映画「余命1ヶ月の花嫁」のパロディの体裁をとりつつ、バックステージコメディ(バックじゃなく表だってだけど)のようなステージ運営型コメディにした。映画「余命〜」へのアンサーやアンチを散りばめつつ。
果たして、ポップでセルアウトなパーティー公演になったのか、そして今後の劇作のテーマ「笑えるだけのストーリーラインと、外側のドラマ」は達成できたのか。


【脚本】
脚本は基本的に「結婚式準備」「結婚式」「披露宴」「披露宴破綻後」の4つに大別される。これはシチュエーションコメディの4ブロック構成(って勝手に呼んでる)と同じで、一般的なシチュエーションコメディでは「作戦立案」「誤魔化す(笑わせ方A)」「勘違い(笑わせ方B)」「オチ(物語の収束)」になっているものを、「ありえない設定を説明し結婚式と披露宴を両方やって大団円で終わらせる」に当てはめたカタチである。

それを基本的な流れとしつつ、テーマである「なぜ余命が無いのに式挙げるのか」「結婚式とは何なのか」に回答を出すべく物語を構築した。そもそもが、余命を極端に短くすることで結婚式の意義を見つけづらくして、だからこそそれでもあげる意義を見出そうという計画だ。
自分は最初「なぜ余命が無いのに式挙げるのか」という問いに対し、ロッキーやレスラーよろしく「負け組のリベンジ」「負け犬映画」という回答を出して脚本執筆に臨んだ。それこそが主演:宮原知子の本会だと思ったし、前回公演打ち上げのときのもう一人の女優:加藤由以への嫉妬や羨望が強烈に印象的で似合っていたからだ。また、それを際立たせるために、加藤由以を花婿の元カノであり花嫁の嫉妬の対象にした(これも前回公演打ち上げのときの、今回の花婿役:生田丈人と加藤由以の絡みが新鮮で良い感じだったから)。

しかし、書き進めていくうちに「リベンジだけで作品内の正義足りえるか」「『結婚式とはなんなのか』へのアンサーになるか」との思いがあり、結論は変更を余儀なくされた。リベンジのために結婚式の燃える花嫁を諌めて導くなら、それまで花嫁の尻に敷かれていた花婿以外ありえないという道筋は用意に出来たが、どうやって説くか、何を説くかを決めるまでが大変だった。
結局、花婿役の生田本人の結婚パーティーに出席した時に思った「結婚式はショーでもいい。見せるためのもので良い」「でも見せ付けるとかじゃなく、感謝する場である」という感想を結論として採用し、リベンジを誓う花嫁に「リベンジも何も、お前今幸せじゃないの?」と気づかせるために再度プロポーズすることで作品内の解決とした。

だが、その想いを花婿が得て、言い出すまでのスイッチを入れるのが困難だった。当所は花嫁父親や元カノの言動によってスイッチを入れられた花婿が花嫁を説き伏せるというパターンだったが、それをやるには個人個人のシーンが複数必要であり、終盤に時間がかかってしまう。だがハッキリ言ってそんな時間をとっている暇は無いし、コメディとしての時間をそんなに止めるわけにも行かない。そこで、唐突ではあるがいきなり花婿には語りだしてもらうことにした。しかし、それを唐突に時間を止めて行うとシチュエーションコメディによくある「はいはい、終盤の人情シーンのはじまりね」という悪癖になってしまうので、今回は一つの仕掛けを労した。「勢いでアゲて心情の変化をうやむやにする」という策だ。
具体的には、中央で花婿が花嫁に結婚式論を説いている(アツくならない様に序盤のだらしないネタをからめつつ)ときに、横の通路(実際には演技エリアになってるバックステージ)で中盤と同じ「無茶な時間短縮」というバカバカしい作戦会議を展開させた。
※画像…自分史上初の途中から2段組脚本。こういうの楽しい。
yomei横の作戦会議が、音量大きいけど中身気にならない、ただアガるBGMとして機能し、それがやんだ瞬間が音楽で言うブレイクになり、その瞬間に「千恵、お嫁さんになって」「何分かでいい?」が決まればカッコいいだろうなーという計算。





まぁいいや、そんな細かい解説は良いとして。反省を。

今回の脚本はシチュエーションコメディとして見るとネタが単純すぎるし、伏線が、ネタがリンクしてうねっていく醍醐味はなかったかもしれない。というのも、そんなことよりももっとくだらなく、もっとIQの低いネタをストレートに撃っていって、そのかわりその裏で「実際余命はもう無い」「このあと死んだんだよな」という悲劇を流しておいてラストのカーテンコールで一気にひっくり返るのが狙いだったからだ。だからこそ逆に、本編最後は最高にアガる大団円であり、パーティーのようなシーンにする必要があった(これもある種結婚式論への回答)。
終盤で「花嫁による負け組のリベンジ宣言」→「花ムコがそれを訂正、花嫁に気づかせる」→「ラスト3分だけ花嫁を元気にして、全員で残り全部のプログラムやる」→「ブーケトスで花が散って不吉、っていう不謹慎エンド」っていう流れは我ながら良い連続だと思う。今回の収穫は「ラスト3分でいきます、よーい、スタート!」以降の、大したネタじゃないのに勢いと解決っぽさでお客さんがどうでもよくなって爆笑していたところ。あの3分間が作れたことが一番の収穫。
今までの公演ではある程度決めていたラストに収まってしまったり、前回公演なんかはエンディングが思いつかずにテーマが変わって終わってしまったりと、エンディングが気に入らなかったのに比べ、今回こそはどうにか格闘して勝ち取ったという印象。

その分やっぱり台本が遅れて役者・スタッフの皆さんにはホントすいませんでした。台本が遅いということは、稽古がギリギリで役者がプレッシャーとかそういうメンタルだけでなく、準備が切羽詰るだけでもなく、役者にも演出家にもある種の甘えを許してしまうので、どちらかというとそっちの意味で早くに書き上げていかなければならないと強く反省。

あと、結婚式の話なのに父親の存在が弱いことや、花嫁の嫉妬の対象が花婿元カノに集約されすぎて「負け組のリベンジ」と「嫉妬」がない交ぜになってしまった感があって反省。そこは花嫁友人(花嫁をギャグキャラとして扱う悪い友情)を強めることで「嫉妬」と「自分の扱いの不遇」を分けることが出来た気がする。花嫁友人の役割がもったいなかった。

また、どうしても花嫁がリベンジであることを明かす展開、吐露する件がコメディの文法から外れざるを得なかったのは痛手。結局、感想として「終盤(ラストの前まで)のお話パートがダルい」といわれてしまったのも事実で、「笑いと、笑えない物語の同時進行」の並列繋ぎではなく「笑いをやって、物語をやって」という直列繋ぎになってしまった。確かに「笑えるけど見方変えると超切実な展開だぞ」といったシーンはある程度の数を作れたと思っているけど、全編がそれで貫かれていたとは言い難い。そもそも「引きで見ると笑ってられない」ではなく「内面を考えると笑ってられない」になってしまっていた。役への感情移入ではなく、俯瞰によって物語に転化する方が「笑いのみのストーリーラインとその外側の物語性」という思想には沿っている。
原作映画への回答や、結婚式論への回答によって要素が増えたのが、この思想の体言を邪魔してしまっていた感はある。次はこの思想ありきで一から百までを構成しようと思う。

ただ、個人の細かい心情や辻褄をクローズアップするよりも、ネタと大きな物語性(場のテンションや、客として見たときの盛り上がりでなんか解決した気になるヤツ)で話を進めていく手法、その距離感というかレンジというか、は有効だし今後も使っていこうと思う。
手塚治虫の漫画の、大胆で大雑把でダイナミックなコマ割りや脚本のようなアレを目指そう。


【演出(役者含む)】
今回もまた演出家になりきるのが遅くなってしまった。稽古のラスト一週間くらいと劇場入りしてからのみ演出家。それまでは脚本家として稽古場にいた。何度も言っているが、直さなきゃならん。それでも今までよりは若干(ホントに若干だけど)早くに演出だけになっていたのに、今まで以上に演出がつかなかったり、今まで以上にドタバタした戦場になってしまった。これはひとえに、今回の作品のスケール(人数もハードルも規模も)が前作前々作と比べて巨大だったからだろう。ただコメディとしてよくある形に仕上げるだけでは完成しない話であることと、劇場の使い方やオペレーションの複雑さも起因している。

演出家:冨坂友個人の反省としては、伝える力と言語が足りないということ、そして甘いということに尽きる。単純に性格や怠惰により伝達していない部分もあるが、演出時の言語が不足している。もっと勉強しまくって、稽古場では喋り捲らないといけないだろう。そして役者が何を欲していて、どの指示がやりやすいのか、役者の生理を勉強する必要がある。
そしてそれを受ける役者側も「じゃあ具体的に動動けば良い?」「どう喋れば良い?」という段階までを演出に求めすぎていて、解釈や実験が足りない。演出はプランナーであり、コーチじゃない気がする。

あとはあえて言うなら、稽古序盤に「演劇っぽさ」「会話」に重点を置きすぎてしまったところだろう。脚本が大胆な省略をしながら恥ずかしいネタを撃ちに行っているのに、稽古場では「ちょい現代あるていど口語演劇」とでもいうようなよくある会話劇スタイルで稽古・演出していたのが失策。そんなところよりも、ネタをネタとして組み上げることや、大胆なテンポで省略していくリズムをつくることが先決だった(花婿と元カノの自然な会話とか研究してる場合じゃないっつの、楽しかったけど)。

これら全ての稽古時の反省はやはり脚本の遅さに起因する。その後の流れによって稽古の進め方が変わってくるし、「笑えない状況でコメディ」みたいな重層的な作品を作っていく限りは特にそうだ。脚本を粘ることにウェイトをおくなら、ただ演じるだけで良い芝居にするか、必殺のメソッド・方法論・稽古法を座組みがすでに手に入れている必要がある。それが確立されるまではもっと台本早くないと。
また、台本が遅かったことによる時間的物理的な条件や、申し訳なさにより役者への要求が甘くなった部分も否めない。もっと「出来る出来ないじゃない、次までに出来て来い」というぐらいの要求すら必要なときがあった。役者の追い込まれ方が「台詞入ってない」のレベルでいいはずが無い(プレッシャーやストレスがあるのが悪なのではなく。その水準の低さが悪)。

また、役者の演技以外のレベルの演出では、演出:冨坂は役者と違うレベルの視点で作品を捉えないとダメ。役者個人がすごく真摯に喜劇をやっているところを、引きで見て喜劇にする・悲劇にするディレクションを明確にする必要がある。あと各種コミュニケーションは密に。
そして、お客さんの始点でどこをどう見せる、見やすく編集する(演劇はお客さんが自分でフォーカスして見るものだけど、強調とか抑えるとか、見易さを誘導することは全然できる)ことが必要。特に今回のような劇場の使い方をするのならば。

今回の演出では「感情移入しないでやって」ということが多々あった。終盤の花嫁が死にかけるときや、花嫁と父親が揉めるところなどを、シチュエーションコメディによくある「最後の人情部分」にしたくなかった。どうしたってシビアで本音を吐露する部分だからこそ、字面は真面目で切実なのに言い方や空気はコメディのままでいきたかった。だから「感情移入しないで」という演出でやった。
しかし、それだと本番では「ただ台詞を言ってるだけのやつ」に聞こえてしまうという弊害があった。ホントはその台詞をマジメに喋りきるのの先を行きたかったんだけど、むしろそれよりももっと手前の段階の下手さに誤解されてしまうきらいがあった。
なので、小屋入りしてから変更し、本人はまじめに言ってもらい、周りの人間にコメディの空気を残す言動をしてもらうことにした。役者一人一人という狭いレベルの中で「あえてだらしなく言う」「あえて感情を乗せない」という細かい「あえて」を重ねるよりも、一人一人は本気なのに合わせて見ると滑稽に見える絵にしたかった。
でもそれは脚本レベルから仕掛けないと出来ないことで、現場でどうにかなる問題ではなかった。
あと、小屋入りして演出変えてからもやはり「感情移入させたくない」という思いがあって、それがなぜかというと、おそらく、お客さんの感動するポイント(見方)と役の・役者の感情をずらしたいから。一緒にしたくないから。(例えば、ものすごく笑っている人を見てお客さんに泣いて欲しい、みたいなパターン)。ってことに最近気づいた。

基本的にうちの脚本と役者陣がいくら自分の感情に真摯に向き合っても、見世物として大した物にならないし、そこじゃあ金取れないということを痛感したので、笑わせるための言動ばかりして、その先のグッと来るところはお客さんの脳内で想像してもらうしかないんじゃないかと。
それこそ最近流行りの「役者に負荷をかける」「演技をさせようとしない」演出じゃないけれど。


【総評(企画として)】
今回は客演さんも沢山お客さんを呼んでくれて、結構黒字だった。ギャラもちょっと謝礼を払っただけだったってのもあるけど。
ただ、最初に企画したときの「笑いだけのストーリーラインと、その外側のドラマ」という作劇法においても「ポップでセルアウトな公演をして知名度を上げる」という興行面においても、前回より向上こそしたが画期的な成果は上げられなかったといえる。アンケートの結果も前回の「死チュエーションコメディ」のほうが格段によかったし(いや、ラストの展開とか確実に今回のほうが…まぁいいや…)。

予算の使い方にしても反省点・改善点が沢山見えた(うちは東京の小劇場演劇シーンのユニット型のスタッフワークより、ヨーロッパ企画とか学生劇団のタイプのスタッフワークのほうが向いている)。金に余裕が出来て、人に余裕が無くなるまではこっちで行こうと思う。
あと、漫画「蒼天航路」を読んだら、「おれもっと仕事しなくちゃ」と思った。脚本演出だけでももっといけるし、他の仕事だってまだまだできる。これは役者も完全にそう。まだ稽古だけ来て公演が出来る団体じゃありません、うちは。

劇作においては「笑いだけのストーリーラインと、その外側のドラマ」を追求するならそれだけを追い求める公演をしないといけない。他のテーマとか他の物語欲を盛り込める段階に無い。まずはこれだけをストレートに達成する。

演出においては「喜劇に徹する」「笑わせるための一瞬・1ミリを追う」という路線を死守しなければいけない。あと、俺の求めている演技は東京の若手の小劇場演劇シーンのそれと違うかもしれないので、「速い・情報としてわかりやすい・くどくない・内面にもぐらない」演技を明確に良しとする。シーンの中心よりのほかの劇団に感化されずに、「アガリスクの喜劇を出来る役者」を揃えるのが急務。

あと全体の反省じゃないけど、演劇ポータルサイトCoRich舞台芸術の「観てきた!」というレビューコーナーで、感想が割れたこの公演を巡って観客同士がBEEF(言い合い)になっていたのが最高に面白かった。作品が私物ではなく公共物になった瞬間を目の当たりにしたようで、嬉しかった。
自分は古いタイプの喜劇作家だそうで、事実、笑わせ方とかもそうなんだけど、古い普遍的な笑わせ方とエッジの効いた物語性を違う階層で組み合わせることでシチュエーションコメディの新しい形を示せないかと思うんです。

次回公演はそのアプローチに振り切れてできるので、そこで笑いと物語の棲み分けによる両立を完成させます。
太平洋戦争下の日本、っていうか大空襲前日の東京下町で、「戦争どころじゃない」個人的なピンチを抱えた人々の騒動を描きます。今まで出一番スピードとパワーがあって密度のあるコメディ。捻ってこんがらがってとんでもないところまで発展してしまうシチュエーションコメディ。そしてそれが一気に解ける超くだらなくて能天気な大団円。
でもどう転んでも今日は三月九日で、明日は三月十日だよ、っていう。

まずは台本を書く。一刻も早く。最低でも1月中旬に。

勉強不足

正直、mixi日記のほうが便利だしライトだし実際沢山書いてるんだけど、やはり個人ブログの方が「自分の庭」感があって良いし、いっそmixi日記からこのブログへ直リンク(間に外部ブログですよ画面を挟まず)しようと思った。
それを可能にしている人がいたし、そういったパーツを見つけはしたものの、自分のブログにどう組み込むのか皆目見当もつかない。タグとかって何?pingって何?

最初は日常生活の駄文はmixiに、演劇関係・脚本関係はブログに、って分けるつもりだったけど、基本的に筆不精なのでいろいろなところに書き分けたりは出来ないし、かといってブログだけにしてもそのブログをどうやって人に知らせるか、って話しだし、mixi上で更新がチェックされつつ、個人ブログにすんなり飛べるのが理想。そんなに見せたいのか、って気がしなくは無いが。

自己紹介に思う。

最近、演劇に関してメンドクサいことを考える中で、「団体紹介」についてわりと気にする。
とある演劇ポータルサイトの劇団紹介ページの活動紹介文を見比べて「うわーかっこいいー」とか「何も考えてないんじゃないか」とか「何も考えて無さすぎるけど潔い!」とか言うキモい遊びをやったりする。

そんななかで、自団体のアガリスクエンターテイメントを見てみると

(以下、引用)
所在地 〒272-0025 千葉県市川市大和田3-17-7
カテゴリ 演劇、その他
公式サイトURL http://www.agarisk.com
設立 2005年
【アガリスクエンターテイメントとは】
シチュエーションコメディの公演を中心に、演劇界にとどまらない視野で創作活動を行う団体。
作風としては「21世紀のシチュエーションコメディ」を標榜し、エンターテイメントとして誰もが普遍的に笑える「喜劇」を創作しつつ、「笑いと物語の関係性」「機能としての笑い」を研究することでコメディの新たな可能性を探る。
(引用終わり)

と書いてある。(書いたのはオレ)
他団体をアレコレ言うときの基準で考えると、「ダ、ダサい…!」
特に「演劇界にとどまらない視野で」と「エンターテイメントとして誰もが普遍的に笑える『喜劇』…」のくだりが本当に臭うんだよなーとも思う。後半はギリ考え方が見える。(書いたのは最近)
しかもこのポップセルアウト具合で、やってる芝居が「余命1時間の花嫁」だぜ?パロディ(笑)ですよ、まったくもう。チンパンジーかよ。
しかも団体名に「エンターテイメント」が付くって、脳みそとろけ気味。

と言うことが出来るんだけど、実際に考えてること・目指してることを明言しようとすると、やっぱりこうなるんだよなー。あと、演劇サイトの中で見ると白痴に見えるけど、一般の他の媒体で一個だけで載るとなると、このぐらい噛み砕く必要があるのは確か。

そもそも、シチュエーションコメディっていう、甘ったるくてホンワカしていて切れ味鈍くて普遍的なものをやりつつ、どれだけキリッとした物語とか切実なテーマを語れるかが我々の戦いなんですが、ブラックにすることで何かを切る笑いに行かず、かといってコメディといいつつ笑わせる気ない方にもいかず、露悪的で偽悪的な作為の悪意を撒き散らす偽パンク団体になりたくない。作中で純粋に笑わせることが、公演全体を貫く大きな物語を描くのに働く(逆もまた然り)構造を発明したいんです。
それが後半の文の意味ね。
これを「21世紀のシチュエーションコメディ」と勝手に名づけて目指して行くつもりなんですが、はたしてどうなることか。
今現在のアプローチは、キッツイ設定の中でただ笑えるだけの筋をやり、終焉の瞬間にその対比を突きつける、って感じなんですけど。団体名から伝わるかなー。

あと「エンターテイメント」ってのは、「歌って踊って殺陣して音楽とか照明とかつかうエンタメ芝居〜」ってことじゃなくて、エンターテイメント的思考法というか、「お客さんの反応をひっくるめたゴールを設定し、そこに至る道筋を具合的な情報の出し入れで作っていく考え方」でやりますよ、って意味だと思ってください。ほら、PIXARとかのアレですよ、目指すは。

ということで、ダサいかダサくないか、新鮮さとか斬新さとかじゃなく、どれだけ集団の唱える理屈を表明しているかが肝なんじゃないかという話でした。

照れこそ文化

さあ、ネタは書けた。
稽古場での読み合わせ時のウケが史上最多。
あとは物語的にどうやって終わらせるか。
一旦コメディの空気止めて、真面目に言い合ってテーマをあらわすのは(役者が上手けりゃ)簡単なんだけどな。そうはしたくない。
なんでだろう、恥ずかしいからか。
恥じている場合なのか、とは思う。
でも「どこに恥を感じるか」こそが、センスっていわれるものの正体な気がする。

収穫【余命−12時間で10日間の脚本家】

まだ先があるけど、とりあえず素敵なネタがいくつか書けたのは嬉しい。
役者は最初の客だし、でも、ことコメディで、早く稽古したくなる、読みたくなるのは良い本てことよね。

うちには読みたくなる台詞はなくても、やりたくなるネタはありますす。
そこで繋がれるのが劇団員だし、それこそが一緒にやる意味だと再確認。


ただ、書くときのエネルギーの消費量は異常。
リフィル。

告知アガリスクエンターテイメント「余命1時間の花嫁」

今度、アガリスクエンターテイメントで「余命1時間の花嫁」という芝居をやります。
タイトルはお分かりの通りあの作品のパロディです。というかタイトルのみパロディです。

最初こそTVCMを見ながらのくだらない思いつきですが、余命の設定をよりシビアにすることで結婚式論が語れたり、「パッと見コメディ、その外側にドラマ」というアガリスクの今後の劇作の方針を具現化することが出来るのではないかと思っています。
また、「余命1ヶ月の花嫁」での不満「なぜ余命が一ヶ月になるところから結婚式までで終わらないんだ」とかなんとかのアンチ、アンサーもさりげなく出していこうと思います。

みたいに言うとややこしそうですが、前回公演でややこしいことは一通り言ったので、それを使って今回は遊園地のような、アトラクションのような、イベントとして楽しい作品にしようと思います。当日は是非おめかしをしてご来場下さい。祝いの場にしましょう。


アガリスクエンターテイメン第11回公演《シチュエーションコメディ公演》
「余命1時間の花嫁」
脚本・演出:冨坂友

【日時】
2009年11月5日(木)〜11月8日(日)
全7ステージ(80分を予定)
11/5(木)19:30♪
11/6(金)14:30/19:30
11/7(土)14:30/19:30
11/8(日)13:30/18:30
♪…終演後「結婚式二次会(オープニングパーティー)」有り

【会場】
荻窪アール・コリン
(JR荻窪駅・東京メトロ荻窪駅徒歩7分)

【料金】
前売(事前精算)¥1800 (当日精算)¥2000
当日¥2200
※貧民割引…前売(事前精算)の貧民の方は劇場にて\500キャッシュバック
チケット購入は予約フォーム
または冨坂までご連絡を。

【あらすじ】
華やかな結婚式・披露宴を切望する花嫁。
しかし、彼女の余命は一時間だった…!
父・花婿・スタッフ達は、彼女の余命が尽きる前に結婚式と披露宴を遂行することが出来るのか!?
「何故余命が無いのに式挙げるのか」「結婚式とは何なのか」
あの大ヒット感動作を、茶化しつつ、バカにはせず、テーマに真摯に向き合って、なおかつ徹頭徹尾コメディとしてお送りする、ジェットコースター型ウェディング・シチュエーションコメディ!

【キャスト】
淺越岳人
生田丈人
加藤由以
塩原俊之
廣瀬敦夫
宮原知子
(以上アガリスクエンターテイメント)
大島由香恵
千代原徳昭(創芸)
七樹禄
松浦正道
矢吹ジャンプ(ファルスシアター)


【スタッフ】
舞台監督:大野祥伍
舞監助手:野村祐輔
舞台美術:三品遥
照明:根岸佳奈子(筑波小劇場)
衣装:加藤由以
小道具:廣瀬敦夫
ブライダルアドバイザー:伊藤有紀
宣伝美術:清水桃菜
票券:上村一平
制作:藤河慶典/Aga-risk Entertainment制作部
制作助手:山田尚吾/西田康貴
製作総指揮:小林大陸

【お問い合わせ】
アガリスク公式サイトhttp://www.agarisk.com
余命1時間の花嫁特設サイトhttp://www.agarisk.com/stage/09110501/

興味のある方、ご来場いただける方は冨坂まで携帯・PC・mixi・何でも結構です、ご連絡下さい。
直接お会いしての手売りでのご購入や、アガリスクサイトからの振込みでのご購入は前売り券の中でも(事前精算)でお安くなります。ご利用下さい。

「エンタメ芝居」と言う害悪

演劇では、というか小劇場演劇界には「エンタメ芝居」という言葉が、括りがある。
ともすればそれは揶揄するときに使われるもので、何に対して使うかというと「音響や照明を派手に使い、殺陣やアクションをやりながら、笑って泣ける熱い話を演じる芝居」について言うことが多い。
え、演劇ってそういうものじゃないの?と思う方も多いかもしれないが、案外そうでもない。というか小劇場での自主公演やる人たちなんてひねくれていることが多いので、それらを嫌う傾向がある(気がする)。
一風変わった構成や悪意や毒のある設定、見たことも無い演出を目指す人の中に、上記のような演劇を「エンタメ芝居(笑)」と蔑視する人がいるのは間違いない。

でも、今回はそんな「エンタメ芝居」という芝居の是非を問いたいわけじゃない。今回気にするのは「エンタメ芝居」という言葉の使い方による弊害である。
自主公演ならではの独自性を追求していると、そういった芝居に対してアンチを唱えたくなるのはわかるし、「誰にでもわかる芝居を」「難しいこと考える演劇人が嫌い」と言って小劇場でやる意味を自問すらしない奴らはバカだと思うけど、だからといってエンターテイメントとしてつくることを「エンタメ芝居(笑)」とまとめて揶揄するのはおかしい。
また、そういった劇団と距離をとるために「自分はエンターテイメントじゃない」とわざわざ目を背けてはいないだろうか。
「派手な音響・照明」「殺陣やアクション」「笑って泣ける熱い演技」こそ使わなくても、観客に対するエンターテイメントとして作っている劇団は多いと思う。なのにそういった手法を使う劇団のみを蔑称として「エンタメ劇団」と呼ぶことにより、エンターテイメントという言葉がその手法に固定化されてしまい、もっと言うとエンターテイメントという概念が矮小化されてしまい、忌むべきものとして扱われてしまっている。そんな考えが否めない。

これだけ「エンターテイメント」と言っているので、ここで改めてエンターテイメントの定義を考えてみる。
【エンターテイメント】(Wikipediaより)
エンターテインメント(英語:entertainment)は、多くの人々を楽しませることをその主題とする、文化的な活動の一つ。娯楽。催し物や余興のことも指す。《引用終わり》
以上のように考えると、演目を創作して一般に向けて公演を行っている演劇はなんでもエンターテイメントに分類される気がする。
だが、実際に見てみると演劇が全てエンターテイメントとして作られているとは思えない。実験演劇やアジテーションなどはどうしてもそうは思えない。やはりエンターテイメントな演劇とエンターテイメントではない演劇があるように思える。
あえてそこに線を引くならば、その線とは作品の「目的」であり、それを目指す「姿勢」であり、その上で作品を作るときの「思考法」ではないだろうか。
「(その瞬間の)観客の反応を期待するか否か」が、分かれ目であるように思う。客への作用まで考えて作る考え方エンターテイメント的思考法ではないか、ということ。
「(その瞬間の)」と付け加えたのは、笑いや活劇をやっていても「自分が作りたいからつくる」という動機で創作している人が多いから。興行の意図とか創作の動機を考え出すとキリが無いので、あくまでその表現をしている一瞬一瞬に客の反応(笑ったり驚いたり泣いたり惚れたり)を期待しているかどうか、で考える。
逆に実験演劇や過激なアジテーションでも観客が楽しむかもしれない。しかし、それは結果的に楽しんだのであって、表現者はもとから観客のほうを向いて作っていないのだと思う。

この考え方であてはめると「笑わせる」でも「驚かせる」でも「怖がらせる」でも「どうしようもなく切なくさせる」でもエンターテイメントなのではないか。エンターテイメントという概念は、表層的なジャンルなど問わないのではないか。
最近見た小劇場の劇団で言うと、私の勝手な判断で当てはめると、トレンディドラマを標榜するあの劇団も、身近なSFでどんでん返しをやるあの戦線も、童貞のシチュエーションコメディをやる劇団も、カムイでヤッセンな劇団もエンターテイメント劇団なのではないか。あ、あと勿論アガリスクエンターテイメントも。

そして「エンタメ芝居(笑)」という呼び方が、エンターテイメント劇団にエンターテイメント的思考法を避けさせている気がして、それにより独自性や作家性が不要なところにまで発揮されている気がして、ゆえに見づらくなっている瞬間があるので、その表現が悪だと思うのだ(さらにだからこそエンターテイメントと公言している「柿喰う客」とか、あと見たこと無いけど稽古場で当たり前のように自称しているらしい「エムキチビート」が潔いと思う)。

「エンタメ芝居」という蔑称を使うのをやめて、自らがエンターテイメントかどうか考え、エンターテイメント的思考法を存分に使うことが小劇場演劇の門戸を開くことになると私は考える。

【演出助手総括】国道五十八号戦線「反重力エンピツ」【その2】

【自分の関わり方の反省】
 自分は演出助手というものがはじめてだったのだが、もっと積極的に意見し、提案し、参加すべきだった。
 上記のような伏線の繋がりの問題やお客さんに与える情報、モチーフや転換などの見せ方など、色々言えることがあった気がする。台本のあがりが史上最高にギリギリだったし、装置図面などに触れたのが遅かったとか、参加できない理由は色々あったけど、それにしてももっとなんか貢献できるだろ、と。物申す演出助手になろうとしたのはどこいったのか、という話。
 というようなことをアフタートークに参加してくれたカムヰヤッセンの北川大輔氏にも言われた。彼は演出助手経験も豊富で、めんどくさいややこしい話がガッツリできるから好感。同い年だし。
 
 アフタートークといえば、司会をやらせてもらった。役者の皆さんからは「司会上手い」といってもらえて嬉しかったが、実際そうでもないと思う。上演時間が延びて20分弱しか時間がなかったんだけど、それにしても淡々と普通に進行するだけで、もっと過激で熱いトークを出来たのではないか。そもそも、淡々と話すだけなら司会は要らない。喋る人双方が遠慮せず自分勝手に自分の論をぶちまける時にこそ必要なポジションなのだ。だからそうまでヒートアップさせないとただの横で立ってる棒です。話を振る棒なんです。
 

【国道五十八号戦線のスタイルと作り方へ提言】
 国道五十八号戦線は「饒舌なSF」と標榜して活動している。そのSFはハードSFでなく藤子・F・不二雄的「すこし・ふしぎ」というけれど。
 しかし、どんでん返しを使う手法や友寄さんの「具体的でロジカルに落としたい」という姿勢をより体現していくには、「今・誰が・何を思っていて・お客さんにどう思わせる」といったお客さんに与える情報を完全に統制するべきではないか。裏設定や伏線を役者が自分の体に落とすだけでなく、客にも完全にわからせるというか。それには「魅力的だけど意図不明な動き・台詞」は食い合わせが悪いだろう。勿論、色々なアイディアを広げていく稽古風景は大事だけど、演出が採用する・しない、伝える・伝えないのディレクションを厳密にする必要があるのではないか。
でも彼らなら、観客に与える情報をコントロールしつつ情報の詰め合わせに終わらない表現、というものを出来ると思う。
 そして、そのためには今時分がどういう状態で何を騙しているのかを早い段階から知っていながら稽古する必要がある、当たり前に。台本が遅いのはすごく気持ちがわかるが、最低限、最終的な登場人物の腹の底ぐらいは共有していなければ。
 そのためには、「書いている自分の予想を裏切る」だと間に合わないかもしれない。それに、それだと、ある程度色々なパターンをシミュレーションした状態に立脚したうえでのひっくり返しなので、初見の観客には腑に落ちないのではないかとも思う。
 大きな流れを最初に作って、それをもとに企画を進行させ、途中のミスリードのところでいかに騙すか、いかに本筋をばらしたときに裏切られるようなミスリードをさせるかに力を注いだほうがいいのではないか。

 また、CoRichなどの感想や劇評を読んだり、身近な人の感想を聞くと、高評価しつつ誤読や独自の解釈をしているのが目立った。作品には誤読の自由があるのは当たり前だし、誤読されながらも高評価なのは、解釈以外に魅力的な何か(話の雰囲気・役者etc)が沢山あったのだろうけれど、そもそも国道五十八号戦線って誤読が起こるべき作風なのだろうか、と思ってしまう。

 というように偉そうに伏線系どんでん返し系芝居の提案ばかりしてきたが(スイマセン)、自分が実際に国道五十八号戦線の芝居を見るときに楽しんでいるのは、「このメンバーが動いている様」であることにも気づいた。特にこのメンバーが群像劇で一つのチームの役をやっている時に顕著で、そのチームを愛してしまう。(個人的に「誰も寝てはならぬ」より「国道五十八号戦線異状ナシ」の方が好きだったのは、全員バラバラな個人ではなく集団を描いていたから)少ない構成員ながら個性がはっきり分かれていて、もちろん上手くて、姿勢が格好よくて、メンバーの関係性を想像させられてしまうのがその要因だろう。
 「そんなのお前がもともと知り合いだからだろ」と言われてしまえばそれまでだけど、知り合いの他の劇団員達と比べてもそのキャラクター性とかが高い気がする。バンドっぽいというか。いや、バンドよりも職人タイプじゃないから、アイドル性というほうが近いか(見た目云々じゃなくて)。
 なんというか、舞台上で動いて喋っているところを見ていたいのだ。しかもそれは単体でほかの芝居でいるところじゃなく、その劇団でそのメンバーで絡んでいるところが見たい。そして「物語を纏ったものが眼前に現れる・動く」舞台の意味というのはそこにあるのではないかと最近思う(お台場でガンダムを見たときに「これは演劇だ」と思ったのと同じ)。
 だから、メンバーでいるところの魅力をそのままに観客をひきつけてもらって、丁寧な情報の出し入れによって客が完全に隅から隅まで理解したうえでひっくり返してくれたら最高にアガるんだ。それが見たいんだ。

 来年の夏に東京沖縄でやりたいとかいってたし、個人的には国道五十八号戦線異常ナシと、あの作品で語られなかった部分(友寄氏曰くなんかあるらしい)のダブルスで「異状ナシ」と「異常アリ」(?)とかでやってくれたらすごい見たい。


【感想】
色々言いたいことは言ったけど、楽しかった。台本を書くプレッシャーがなく現場に居たって言うのもあるかもしれないけど、メンバーが・環境が素敵すぎた。
役者はもうホントに上手い。皆、当たり前のことを当たり前に表現できる上で個性が出ているし(芝居内でトーンのバラつきが無いとはいえないけど)、演劇に対して創作に対して真面目なのが当たり前。その上で暑苦しくなく、身軽にハズすことを知っている。そして、ホントにいい人が多い。
数年ぶりに本番中の舞台裏に入って、本番前の役者の昂ぶっている姿、緊張している姿に心動かされた。
無関心の裏にある熱意に、素直に愛情表現しまくる愛らしさに、奔放さと意識の高さに、ふらふらしてるのにセンス抜群の愉快さに、穏やかなのに自由すぎるところに、向上心と女の子らしさに、何考えてるかわからないのに誰よりも優しいところに、何度悶えたか。
そして今回で役者を引退する芳川さんの、気配りしつつ横から皆をリードする姿が、偉ぶらずに色々教えてくれる姿勢が、何より舞台上の台詞に滲み出る優しさが、最高に格好よかった。ハマカワさんの台詞「〜皆で学生運動らしいこと出来るんだなーって思って」に返すときの芳川さんの「そうっすね」が最高に優しくて最高にカッコいい。裏で聞いてて惚れそうになるわ、ありゃ。
帰り道が一緒だったこともあって色々話して、色々聞いてもらって、兄貴でした。お疲れ様でした。

「コメディにも創作にも愛が溢れているけど、演劇に対しては愛を持っていない」と公言してはばからなかった自分ですが、この関わりが・繋がりが・熱意が演劇なら、仮に閉じたややこしい世界であっても、好きかもしれない。

そして、早く自分のところで稽古がしたいし、「演劇したい」と純粋に思った。
ただ、キャスティングやらチラシ用ロケやら、頭を悩ますものがおおいんだなー。だにゃー。

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