カテゴリ:hillslife
少年ジャンプの終わらない夢と川田十夢・改
ナタナエルと寺山修司と川田十夢
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http://www.roppongihills.com/hillslife/pdf/hillslife81.pdf
(本文はここから読めます)
「なにひとつ捨てないで、街へ出よう。余白を棚に変えよう。」
北澤平祐のイラストレーションに心が踊る。町がある、心の弾む人の営みがある。
悪夢のような夢のような人工知能のこれからに対する川田十夢らしい筆致と内容にちょっと、いやかなり揺さぶられるものがあった。
いや、その掲載された紙面の性質とイラストレーションとあいまっていつもより更にシンプルなのはわかる。
ここはこだわりたい点なのだが、川田十夢の手法はミニマルとは違う。常にシンプルである。フリーマガジンである性質と配布場所を捉えきっている、正確な矢印で何を誰を射抜くべきなのか心得ている。だからミニマルであることよりシンプルであることの計算がプロフェショナルだ。抜けがない。当たり前なのかもしれないが、そこにひとまず、感心してしまう。
誰が手に取るのか、どこにこのフリーマガジンが置いてあるのか。そして、何を主張するのか。一読してわかる構造は川田十夢の真髄のひとつであると私は思う。
そのうえに。
その実質は相変わらず凄まじい万物の取り込み方である。都市機能と人工知能のあり方の理想的実質を開発者が明言してしまうという有言実行でもある。
いや。シンプルにおそろしくなる。
寺山修司的にいえば街を大書物に変えていこうという実践である。つまりは、この川田十夢の文章はわれらナタナエルへの呼びかけでもあるのだ。
入院中の寺山修司はジイドの『地の糧』を読み、そのナタナエルへの呼びかけ『ナタナエルよ、書を捨てよ、町へでようではないか』に
『「もう一つの世界」と「ありのままの世界」との闇取引を断ち切って、実生活のさまざまを(目が書物を辿ってきたように)、肉体でたどっていこうとする実践の行為』に向かうことになる。そして街を劇場に変えたのだ。(寺山修司著作『世界の果てまで連れていってよ』より)
街に町に無限の余白を、世界に書き込むべき余白をみたからである。
寺山修司が生きていたら人工知能についてどう語ったろうか。
そんなことをこの川田十夢の文章から考えた。
まだ「立体的には実装されていない」人工知能を都市機能に宿らせたらどうなるかを夢と悪夢と余談と挿話とで語る川田十夢に、川田十夢の脳内にいる寺山修司はどう声をかける?
なにせ、なにも捨てなくていいと川田十夢は、いっているのだ。
寺山:「川田はね、そろそろ世界を書き換え可能なプログラムにするべきだよ。」
川田:「仰ること、わかります。そのあと、誰でも書き加え可能なノートにして、誰でも持ち帰れる本にして、電柱や街路樹を本棚にして、映画にして、劇場にするべき。そう言いたいのですね?」
寺山:「そう。そして夢が満期を迎える頃、目覚めるように死んでゆくんだ。」
この抜粋は川田十夢のfacebookへのポストである。仲の良い知人らの姿を見送りながら深夜か夜明けごろかに、ポケットのなかの寺山修司が川田十夢に語りかける場面である。つまりは脳内寺山修司はなにも捨てなくていいと、かたっているのである。
この冬、川田十夢は昨年と同じく森ビルのあの展望所からみえる東京を再び劇場にする。
かつて寺山修司が実験演劇として市街劇を興したように。寺山が興した街という大書物を今度は川田十夢が立体的にしようというのである。その意気込みとも取れる4000字であったし、その思想が凝縮されているようにも思った。人工知能を語りながら世界を万物を語るのである。軽妙に抜けよく、わかりやすくシンプルに。
『夢のような、悪夢のような、余談と挿話を 4000 字に渡って展開した。芸術だけでは息がつまる、生活だけでは彩りが足りない。上質もカジュアルも本質も、もれなく許容できるのが、魅力的な都市である。想像ひとつ許さない潔癖な街並みに、生活者は感動を覚えない。記憶の痕跡を残さない。データを渡さない。質量があるものから捨ててゆかなければならない生活を、私たちは強いられている。人工知能が窓口となって生まれる余白を、誰でも使える棚に変えよう。手を伸ばした先にある懐かしさと新しさの感触を、次の夢としよう。』
その次の夢のきざはしを私たちはもうすぐ目にするのだと思う。
「街は、いますぐ劇場になりたがっている。さあ、台本を捨てよ、街へでよう」
こう寺山修司は言った。
寺山修司と川田十夢。現実と虚構の境界を取り去る者同士である。台本はつまり境界である。
この寺山修司の言葉はDramaturgieは都市の余白に書き込まれ続けることをさしてもいる。 ナタナエルのわたしたちが自由に書き込めるのだ。人工知能が窓口となって生まれる余白にも、その劇場にも自由に。なにひとつ、捨てることなく。どんな、夢の満期がまっているのだろう。
そして、とんでもないことを本当にシンプルに川田十夢が書いていることにみなさん、びっくりしないのだろうか。こんな文章がヒルズに無料で置いてあるって、すごいとしか言えないんだけど。都市の都市たる、ヒルズに。
そして、またあの展望台に川田十夢の計算と意図が立ち上る瞬間を目撃できるのかと思うと、たまらない。