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ジャンプ黄金期と暗黒と川田十夢

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@cmrr_xxx 六本木ヒルズで週刊少年ジャンプ展が開催されるたびに書き下ろすことにしてる連載。発行部数が世界一になってギネスブックに掲載されるなど、まさに黄金期を迎えた少年ジャンプに対して、僕はどん底。暗黒の思春期。大空翼も孫悟空も、急に大きくなった。変な感じがした。
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声を出して笑う感じと、青春の痛々しさと。
ジャンプってそういうものなんだと思います。
1989年に中学生になった川田十夢。
川田十夢があげるように黄金期だったと思います、ジャンプ。ドラゴンボール、キャプ翼、ジョジョ、スラダン、幽遊白書。
たしかにどの作品も本当にすごかった。その他にわたしが思い出すのは年代順不同ですけど、地獄先生ぬ〜べ〜、ジャングル王者ターちゃん、緑のマキバオー、すごいよマサルさん、そうそう、マジカルタルるートくんも、ジャンプですね。私の従兄弟の娘は伊予菜ちゃんです、ガチで。あの毛髪の多さが印象深いですよね、伊予菜ちゃん。

個人的にもっとも印象に残っているのは「てんぎゃん 南方熊楠伝」です。粘菌と南方熊楠のことをこの漫画で知った人はとても多いのでは?私は後年、粘菌ときのこに魅せられてきのこ会に入会しました。

と、まあ、ジャンプの思い出を語るならほぼほぼの人がそれなりの思い出を語るでしょう。
ただ、川田十夢の青春残酷物語がクッソおもしろいのです、このhills Lifeのジャンプ特集。

川田十夢的イケてない、とは言っても殆どの日本の中学男子が経験するだろうリアルな暗黒生活と、漫画の主人公たちのキラメキとが語られて尚且つ、漫画としてのレイヤー構造のダメなとこも素晴らしいとこも作品ごとに提示してある。すごい技だと思います、素直に。
いきなり大人になった悟空さや翼くんに変な感じを覚えましたもんね。
それを言語化しつつ作品と自分と絡めるのってわりと冷静さと情熱が必要なのかな、と思ったりするので。

で、円形脱毛症。
私、なりました。中学に入学した頃ですね。
「喧嘩とかしないで、ユニークな個性を大切にして楽しく過ごそう。ユーモア政策を学校全体に敷いていたため、争いごとにはめっぽう弱い。二小出身の男子は、もれなくスクールカーストの底辺に位置することになった。」
おそらく、川田十夢と同じ経路をたどっています。
小学校では、私、スクールカーストでは上位ではなくとも「ひろみちゃんなら仕方ない」というポジションにつけていました。クラスを超えて、面白がられる女子でした。ある時など、あんまり知らない女の子に交換日記を申し込まれたり、クラス1の秀才の川原くんに「ホワイトデーあげる」と、バレンタインにあげてもいないのにいい感じのクッキー貰って、慌てて謎センスの西洋の妖精のキンキラしたメモ帳をお返ししたり、長い人生振り返ってもこの頃が一番モテの要素がありました。
しかし。川田十夢と同じです。進学した中学校はろくでなしBLUESEの世界、あるいはビーバップハイスクールの世界でした。
そのうえ。マンモス校で3つの学区が入り乱れ、なんと悲劇的なことに私の配属されたクラスには私の元クラスメイトはおろか、同じ小学校からさえも誰もおらず一瞬にして暗黒へと落ちていったのです。

そりゃそうです、中学校の学期の始まりなんて顔の可愛さか、頭の良さか、足の速さくらいしかアピールできることはない。私の地味なおかしみは圧倒的な体制にいとも簡単に掻き消されました。
で、運の悪いことにずっと通っていた美容室(糸井重里の髪型にしてくれ、とか忌野清志郎の髪型にしてくれとか言うとできる限り再現してくれた美容室です)で、校則違反の髪型にされてしまったので、入学5日目くらいには二年生の先輩に追いかけ回されましたね…(三年生の恵子パイセンがおうちの隣だったので庇ってもらったけど)

それから程なく円形脱毛症になりました。もちろん、学校で話す相手もなく、たまに話しかけられたとしてもそれは児童自立支援施設から通っている子で、50円貸して、とかとても断りづらいけど一度貸したらヤバいんだろうなというような申し出でした。

その子はキャプ翼の大ファンで、その子からキャプ翼のBL物を読ませてもらいました。(BL概念はその前から余裕で知ってました。JUNEという竹宮恵子の麗しき表紙のお耽美雑誌により鍛え上げられていましたから。)
で、その子が学校に持ってきてはいけないジャンプとキャプ翼コミックを先生に見つかり、焼却炉で燃やされるという今だったら問題になりそうなことをされて、彼女が泣き崩れていたのを思い出します。
思うに、彼女の境遇は辛いものだったのかと想像します。年頃の女の子が児童自立支援施設から通うというのは、深い理由があるわけです。
その子にとって翼くんよりも、翼くんに立ち向かっていく日向小次郎というキャラは自分を投影させるのにとても心地がよかったのだと思います。その日向小次郎が若島津に一途に愛されるのはカタルシスだったのではないでしょうか。ジャンプから始まる彼女の再生物語ではなかったのか?

でも彼女に話しかけられ、若島津×日向の世界を知っても私の円形脱毛症は治りませんでした。川田十夢が語るように、
「円形に禿げた箇所を指でなぞるとシリコンのように無機質で、跡形もなくつるつるとしていた。」
私の後頭部はこれそのものでした。

ただ、その頃から現代文学と映画(主にレンタルビデオでしたけど)と音楽とにのめり込んでいく感じで、青春の暗黒は後の彩りとなることがあります。
この学校では無理だ、と早々に観念した私は学校外と年上の音楽好きたちと交流をしていくことにより円形脱毛症は治りました。

高校進学は思い切って私の学区からは私しか受けないようなとこを選びました。
アホだったのですべり止めにしか行けませんでしたが、それでも誰も知らないところでひと息つけました。

で、たまに地元の本屋をうろうろしているときに彼女に出会いました。キャプ翼の彼女です。
彼女、同人誌作ってました。そのコピー誌を貰うことになりました。ま、買ったのですけど。
キャプ翼から幽☆遊☆白書へ。飛影と蔵馬が大変なことになっていました。彼女の絵はド下手で、つい、私が描こうか?と失礼なことを思いましたが。官能的なお話でした。
少年ジャンプの底に流れる思春期の青い性ホルモン噴出さかんな少年少女たちに対する影響というものを、実感したのでした。
そりゃ男子に限っていえば電影少女とか林正和先生の業はすごかったと思うんですよ。尻職人。

そこにはヒーローではない少年たちの夢がつまってるわけです。思春期の冴えない、あまりにモテない少年たちが唐突に何かを持っていなくても、可愛くて、プリンとしたお尻と胸を持った少女に愛されまくるわけです。物語の中でだけでも、愛される。夢が満たされる。

ただ、川田十夢。
「僕は僕で中学校のマドンナ的な存在の女性に急に告白したり、いざ付き合ってみてもマドンナと付き合うプレッシャーが凄くて一言も会話できなかったり、よく分からないと高校へ進む前に振られたり」との表記により、たったこれだけの文字数により、非モテの少年たちから抜け出しました。

何もない非モテの少年たちは学校のマドンナに告白しないし、フラれたとしても1と0の格差は永遠に、何をどうやっても埋まりません。数多の非モテの少年たち、あるいは少女たちからしてもレイヤーが違う人ですと断言します。非モテの代表として、ここは線引きさせてもらいたい。そのうえで。
次号、0年代の川田十夢先生の活躍を乞うご期待!

あ。ひとつだけ、80年代のジャンプになりますが。私が思い出す一場面とはドラゴンボールのチビ悟空さがチチの股をパンパンと蹴って?求婚した場面です。

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こちらを見た時に思い出された思い出が形成された頃はドラゴンボールさえ連載されてないですが。小林よしのり先生の東大一直線が連載されてる頃ですね、多分。

小学校に入学してすぐの夏。水着に着替えるのですけど、当時は男女一緒の教室で着替えさせられてました。んで、不器用な私はチマチマと着替える上級技を持たなくて、なんというか真っ裸に近いスタイルで着替えることしかできなかったのです。幼稚園とは違う空気になんか違和感あって、泣きながら着替えてしまった。
そしたら隣の席の男の子が「見てないから、泣くなよ。」と言ってきました。さらに無言で着替える私。そしたら「お嫁さんにしてやるから、泣くなよ」と言ってきたんですね。
なんか、ジャンプっぽいと思いませんか?後にも先にもこの頃が人生の花ではなかったのだろうか。
果てしなく、川田十夢にもジャンプ黄金期にもまったく関係ないことですけどね。
再び。0年代の川田十夢先生の快進撃を楽しみにしておこうぜ!



@cmrr_xxx 暗いこと書いても誰かに光が届けばプラス、明るいこと書いても誰かに闇が差し掛かればマイナス。

@cmrr_xxx このつぶやきでフォロワーはマイナス。密度はプラス。二重窓の外から聞こえる甲州街道、ゆっくり走る車の音。水溶性の轍が浮かんで消える。

私は常に光を受けてきた。
川田十夢が書くことを読んで真剣にのたうちまわることはあるけれども。それは自分の中に取り込むことでしか理解できなかったり、到底、ふーん、と済ますことができない切実があったりするから。
今日だってちょっとした出来事でともすると悲しくなりそうな気持ちがジャンプにまつわるあれやこれやで、ほの明るいものになった。

そろそろ水温む筈の甲州街道。明日は寒くて雪の可能性あるんですってね。こちらもやっぱり寒くて風がとても強いです。
水溶性の轍のかわりに、可視化するには葉っぱか、たとえばコンビニの袋とか。空に舞うものが必要な轍があちらこちらに鳴っています。轟々と音がするのは耳鳴りのせいだろうか。


そうそう。今更ながらテレビブロスのカテゴリをこのブログ内に作りました。あとWIREDと。
アーカイブのためにジャンルわけが必要ならそうしようと。
今までは川田十夢という地図と地平を見渡してきたけれど、それじゃあまりに不親切かと思い至りました。100年後のあなた達にとって。




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@cmrr_xxx  週刊少年ジャンプ展と連動して、全三回の連載が始まりました。題して『俺とジャンプと拡張現実』。初回は創刊から1980年代まで、要するに『キャッツアイ』と『キン肉マン』について書きました。


週間少年ジャンプ、川田先生がおっしゃる通り、その影響はいたるところにある。言語化不能の部分まで含めると、この世の何パーセントかはジャンプの影響が縦糸になって織りなされている。

そりゃ私は川田十夢より少し上のまごうことなきおばさん世代。
結婚式の余興どころか、小学生の時も中学生の時もまさに川田先生の言うように杏里の歌うキャッツアイに合わせてブルマー姿で創作ダンスを運動会で踊らされた世代だ。
その多感な年頃にブルマー姿で野ざらしの運動場で。
ロ・ロ・ロシアンルーレットでもぶっ放したい恥辱に耐えた世代なんですよ。(これはジャンプ関係ないネタです。ダーティペアの主題歌でした。中原めいこさん。君たちキウイパパイヤマンゴーの方です)

ジャンプゆえに…ジャンプの人気ゆえに。
そして淡い青い性意識が目覚めて色んな方向に暴走する頃に同級生の竹井さんはキャプテン翼の若島津と日向のどうかしてる絵を描き続けていたし、昨日まで仲よかった男子はきまぐれオレンジロードのまどかさんに恋したのだった。
私はウイングマンの桂先生の描く女の子のお尻にグッときていた。

そして車田正美先生の画力問題に悩まされてもいた。うまいのか?うまくないのか?しかしその感覚がどうでもよくなる先生の魔力はリンかけから風魔の小次郎まで一気に読ませたものだ。
やがて江口寿史先生のストップ!ひばりくんにどハマりするのだが。江口寿史先生のシャレオツな絵は衝撃だった。
それまで車田正美先生の絵柄を見ていたんだぜ?振り幅の大きさ。 

そして川田十夢がキン肉マンについて語っていた。キン肉マン。
同級生の女の子が一部の男子から「スグル」と呼ばれていた。しかし本人の目の前では言わない。なんだろう???と思っていたがキン肉マン、キン肉スグルのことだった。
きっと今頃すごいセクシー美人になってるんじゃなかろうかと思うのだけど、彼女のスグルのような唇とスグルのような目の形を捉えたアダ名というか符丁のようなものだった。
少年ジャンプ、クソガキを大量生産したのも事実である。
その影響力ゆえに。

そうだ。
川田十夢が子供の頃、かめはめ波を出すべく妹と毎日練習して妹に「(かめはめ波が)ちょっと出た」と嘘を言ったというエピソードがあるが、それに相当するのが私の場合、北斗の拳かもしれない。
南斗水鳥拳を本気でマスターしたかった。
しかし、あきらかに南斗水鳥拳を教えてくれる人はいない。
そこで中国拳法の八卦掌を学び始めるのである、独学で。
川田十夢のように小さい頃ではない。もうとっくにローティーンになっていた。バカだったのだ。あまり今も変わっていないけどバカだった。
南斗水鳥拳を教えてくれる人がいないのは理解しているのに。でも取り敢えず、 擺歩』『邁歩』『扣歩』という八掛掌の基本練習を日々繰り返していた。ひとりで。
もちろん南斗水鳥拳はおろか、八掛掌として正しい足の運びをしているのかさえ覚束ないまま、飽きてしまった。しかし、いまで『扣歩』の一部は覚えている。 
そして。後年、私は漢方薬局にてバイトをしながら大学に通うのだが、その漢方薬局にてその八掛掌と北斗の拳によりバイトが商談をまとめる、という奇跡をおこすのだが、それはまた別のお話。いや、単に中国の漢方薬を仕入れる時の相手側の人が北斗の拳が好きであったことと中国武術の達人であったことによるのだけど。
北京体育大学?出身のガチの武道家だったのだ。で、その人が日本に駐在している間、その人から太極拳を今度は習うのである。そしてその間に伝授された漢方の知識により漢方薬店で月間売上げを最高三百万円ひとりでこえた、という話でもある。
とにかく影響ってこわい、影響されやすい人間ってこわいものしらずになる、というお話である。一子相伝されたつもりになってたから。影響というより現実と区別ついてなかったな、私の場合。

そしてその影響を自分のものにして生きる人はもっとすごいというお話である。
影響を自分のものにするということ。知らぬ間に自分の感覚に宿らせるということ。
少年時代という多感で壊れ物のように繊細なそして豊かな感性の時期を漫画に鍛え上げられるしあわせがあるということ。
大人になってもそれが続けられるということ。漫画の主人公のようになれなくても夢は続くということ。
ジャンプに拡張現実された子供時代を過ごして、その後も影響されっぱなしでいいということ。
日本に少年ジャンプのある、しあわせを考えるということ。感じるということ。

川田十夢の連載、あと二回楽しみだ。







ナタナエルと寺山修司と川田十夢

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都市とAIの未来」にまつわる、 夢のような、悪夢のような、余談と挿話」を川田十夢がHills life81 号に執筆していた。

http://www.roppongihills.com/hillslife/pdf/hillslife81.pdf

(本文はここから読めます)



「なにひとつ捨てないで、街へ出よう。余白を棚に変えよう。」


北澤平祐のイラストレーションに心が踊る。町がある、心の弾む人の営みがある。

悪夢のような夢のような人工知能のこれからに対する川田十夢らしい筆致と内容にちょっと、いやかなり揺さぶられるものがあった。

いや、その掲載された紙面の性質とイラストレーションとあいまっていつもより更にシンプルなのはわかる。

ここはこだわりたい点なのだが、川田十夢の手法はミニマルとは違う。常にシンプルである。フリーマガジンである性質と配布場所を捉えきっている、正確な矢印で何を誰を射抜くべきなのか心得ている。だからミニマルであることよりシンプルであることの計算がプロフェショナルだ。抜けがない。当たり前なのかもしれないが、そこにひとまず、感心してしまう。

誰が手に取るのか、どこにこのフリーマガジンが置いてあるのか。そして、何を主張するのか。一読してわかる構造は川田十夢の真髄のひとつであると私は思う。


そのうえに。

その実質は相変わらず凄まじい万物の取り込み方である。都市機能と人工知能のあり方の理想的実質を開発者が明言してしまうという有言実行でもある。

いや。シンプルにおそろしくなる。

寺山修司的にいえば街を大書物に変えていこうという実践である。つまりは、この川田十夢の文章はわれらナタナエルへの呼びかけでもあるのだ。


入院中の寺山修司はジイドの『地の糧』を読み、そのナタナエルへの呼びかけ『ナタナエルよ、書を捨てよ、町へでようではないか』

『「もう一つの世界」と「ありのままの世界」との闇取引を断ち切って、実生活のさまざまを(目が書物を辿ってきたように)、肉体でたどっていこうとする実践の行為』に向かうことになる。そして街を劇場に変えたのだ。(寺山修司著作『世界の果てまで連れていってよ』より)

街に町に無限の余白を、世界に書き込むべき余白をみたからである。


寺山修司が生きていたら人工知能についてどう語ったろうか。

そんなことをこの川田十夢の文章から考えた。

まだ「立体的には実装されていない」人工知能を都市機能に宿らせたらどうなるかを夢と悪夢と余談と挿話とで語る川田十夢に、川田十夢の脳内にいる寺山修司はどう声をかける?

なにせ、なにも捨てなくていいと川田十夢は、いっているのだ。


寺山:「川田はね、そろそろ世界を書き換え可能なプログラムにするべきだよ。」 


川田:「仰ること、わかります。そのあと、誰でも書き加え可能なノートにして、誰でも持ち帰れる本にして、電柱や街路樹を本棚にして、映画にして、劇場にするべき。そう言いたいのですね?」


寺山:「そう。そして夢が満期を迎える頃、目覚めるように死んでゆくんだ。」


この抜粋は川田十夢のfacebookへのポストである。仲の良い知人らの姿を見送りながら深夜か夜明けごろかに、ポケットのなかの寺山修司が川田十夢に語りかける場面である。つまりは脳内寺山修司はなにも捨てなくていいと、かたっているのである。


この冬、川田十夢は昨年と同じく森ビルのあの展望所からみえる東京を再び劇場にする。

かつて寺山修司が実験演劇として市街劇を興したように。寺山が興した街という大書物を今度は川田十夢が立体的にしようというのである。その意気込みとも取れる4000字であったし、その思想が凝縮されているようにも思った。人工知能を語りながら世界を万物を語るのである。軽妙に抜けよく、わかりやすくシンプルに。


 『夢のような、悪夢のような、余談と挿話を 4000 字に渡って展開した。芸術だけでは息がつまる、生活だけでは彩りが足りない。上質もカジュアルも本質も、もれなく許容できるのが、魅力的な都市である。想像ひとつ許さない潔癖な街並みに、生活者は感動を覚えない。記憶の痕跡を残さない。データを渡さない。質量があるものから捨ててゆかなければならない生活を、私たちは強いられている。人工知能が窓口となって生まれる余白を、誰でも使える棚に変えよう。手を伸ばした先にある懐かしさと新しさの感触を、次の夢としよう。』


その次の夢のきざはしを私たちはもうすぐ目にするのだと思う。

「街は、いますぐ劇場になりたがっている。さあ、台本を捨てよ、街へでよう」

こう寺山修司は言った。

寺山修司と川田十夢。現実と虚構の境界を取り去る者同士である。台本はつまり境界である。

この寺山修司の言葉はDramaturgieは都市の余白に書き込まれ続けることをさしてもいるナタナエルのわたしたちが自由に書き込めるのだ。人工知能が窓口となって生まれる余白にも、その劇場にも自由に。なにひとつ、捨てることなく。どんな、夢の満期がまっているのだろう。

そして、とんでもないことを本当にシンプルに川田十夢が書いていることにみなさん、びっくりしないのだろうか。こんな文章がヒルズに無料で置いてあるって、すごいとしか言えないんだけど。都市の都市たる、ヒルズに。

そして、またあの展望台に川田十夢の計算と意図が立ち上る瞬間を目撃できるのかと思うと、たまらない。




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