2011年07月19日
7月になりまして
気がつけば7月も半ばを過ぎて後半戦である。世の学生諸君は夏休みがどうのこうのという時期なんだそうだ。
どうりで街で見かける若者の顔が生き生きしている訳だ。
さて、そうすると、社労士稼業も既に半年を超えた訳で、どうなのよ、その辺、と言う話になる。ボチボチでんなと答えたいが、サッパリボチボチでない。なんつうか、毎日クソ忙しいクセにちっとも儲からない。顧問契約があるだけまだマシなのだが、とにかく投資に対して回収が全然追いついていない状況だ。いや、そもそも回収とかできる類の投資をしているのかという疑問が湧いてくる訳だが、今している投資って言うのは、結局ほとんど勉強な訳で、それは回収するとかしないとかではなく、そもそも知らなければ仕事にならんという性質のものであるからして、つまり、待っていても収入は増えないという事なのである。そう考えると、新しい動きとか必要だよなという事に気づいてしまい、ついつい慌てしまうのである。
実際のところ、今の顧問先はガッツリ営業してとったと言うよりも運良く引っかかったと言う方が適切で、その数少ない顧問の仕事に追われるうちに半年が過ぎてしまったと言う事で、ソロソロ準備期間も終わってしっかり地に足つけて今後の展開とか考えろよという時期ではある。
にも関わらず、未だホームページは未完成のまま放置してあり、チラシかなんかの営業ツールを作るぞと決意してから早くも10ヶ月近くも経過しているという事実は驚愕ものである。
んー、病気で伏せっていた間はとてもゆっくり時間が過ぎて行ったのに対して、今は正に光陰の如くにあっという間に日々が過ぎて行くので、そのスピード感の変化に戸惑っているという側面もなくは無い。その上、病気が完治したのかと問わるれば否と答えざるを得ない我が身の不幸よ。なんつうか、現在進行形で調子が悪いので難儀している。明日動けるかどうか分からないまま仕事をしていくというのは実に難しく、しかも、動けないからと言って約束を反故にもできないので、結局動けなくても動かなければならず、それ故に回復も遅々として進まぬというこの悪循環。医者は、ボチボチと自分のペースで仕事をしなさいと言うが、いやしくも仕事と名が付くもので他人のペースを一切考えなくても良いという仕事なんてこの世に存在していない。残念な事ではあるが、今の現状を背負ったまま生き抜かねばならないのである。
病気前に比べて、全体的にパフォーマンスが下がっているような気がするのだが、よくよく感げてみると、それは思い出補正で修正された美化された過去の自分と比較しているのであって、俺はもともとパフォーマンスが低かったというのが真実ではなかろうかとも思える。
ただ、はっきりと言えるのは、絶好調の時を除けば、一日の中でアクティブに活動できる時間が減っているという事だ。同じ量の仕事をこなしても疲労感が違いすぎる。昔は仕事の後でもへっちゃらで好きな事ができたのだが、今ではそんな余力を残して仕事をするという事ができず、くたびれ果てて夜を過ごすのだ。いや、それは単に昔は若かったから体力にものを言わせて遊び回っていただけで、年相応に老けたのだよと言われれば、これもまた返す言葉がなかったりする。
まあ、どっちだか分からんので、現状、フル回転して生きている訳だ。
が、そういう生き方は良くない。もっと楽しまにゃ、とも思うのも事実。
という訳で、人生楽しむためにiPad2を買ったのである。
いやもう、これ、ずっと欲しかったのですよ。2が出る前から。
2が出たら、欲しさ倍増、喉から手が出るって感じだったけれど、無い袖は振れないってんで我慢の子だったのだ。が、どうしても欲しい。つうか、とにかく買いまくっている仕事用の本を、切り刻んで電子化したくて仕方がなかったのです。とりあえず電子化したいという興味本位半分、実際に持ち歩く際に重くてたまらないという現実的欲求半分で、漫画、雑誌は既にあらかたバラバラ事件後、スキャン完了しているのだが、流石にiPhoneでの閲覧はかなり厳しく、本気で読まなきゃならない業務用書籍は流石に温存されていた。
しかし、ついに念願のiPadを購入した事で、ついに裁断機、スキャナ、閲覧用端末の「自炊三種の神器」が揃ったのであり、早速明後日までに読み込まなければならない本を、粉々のめった斬りにした後、スキャンしまくり、iPadに転送してみたのである。
という事で、ここからが今日の本題。iPadで自炊ってどうなの?と。
結論から言えば、読む時はかなり快適で、かつ、ラインとかも自在に引けて、必要があれば画面キャプチャーもできるので、仕事用にはバッチリである。が、その準備が少し手前。
本をぶった斬ってスキャンするという行為は今までも練習していたのだけれど、決定的に違った点が一つあった。今まで読み込んだ本は、全て過去に一度以上開いた事のある本ばかり。ところが、今回は本屋の本棚にギッチギチに詰め込まれていたのを無理やりに引っこ抜いてきた本である。一度出したら二度としまえないという位にキツい本棚だったので、しっかりプレスされていて、ページとページがかなり密着している感じ。しかも、まだ一度も開いていない、言わば処女本であるので、静電気かなんか知らんが、とにかくばらけてくれない。おかげで、スキャンが失敗しまくった。紙の重複は当たり前、オートフィーダーの上に紙があるのにスキャン部分に送られないなど、エラーの数々にブチ切れ寸前で作業をする羽目になった。
さらに、iPadへの転送も時間がかかって不便。これはiPhoneでも同様だったのだけど、すぐ読む必要のない漫画と、今すぐ読まなきゃならない実用書とでは切迫感が違う。有線で繋ぐと言うのも面倒臭い。早くWi-Fi転送対応しろと思ったが、どのみちうちのWi-Fiは転送速度が遅いので、結局は有線転送する事になりそう。これは我が家のWi-Fi環境を変えるという一大事業が必要になるので改善への途は遠い。
しかし、そういう艱難辛苦を乗り越えて、いざiPadで読書をしてみると、これは思った以上に快適。
最近は蛍光ペンでラインを引きながら読書する事が多いのだが、PDFにもラインを引けるので問題ない。いや、真っ直ぐな線を引けるのと、やり直しが効くので、寧ろ利便性は向上している。
ただ、自炊ものなので、テキスト扱いでラインを引くのには手間がかかった。一応、OCRでテキスト認識しているハズなのだが、単語というかフレーズ毎のまとまりでラインが引かれてしまって、自分が思う範囲だけ引くという事ができなかった。これはアプリ側にも問題は有る様で、 iAnnotateではこういう問題があったが、GoodoReaderではなかった。ただ、iAnnotateの方が今のところ使いやすいのだ。で、単に真っ直ぐなラインを引くというだけなら問題はないので、それで対応している。
ブックリーダーとしてだけでなく、Webブラウザとしても使いやすく、やはり画面がでかいのは良い。デカイ画面を寝そべって見られると言うのは実に快適なのだ。ただ、仰向けで寝ながらだと重いという点と、画面がデカすぎるので操作は両手でなければならないと言う点にわずかな不便さを感じている。
後は、手書きメモなんかにも興味津々なのだが、こちらについて言えば、常にレポート用紙を持ち歩いていて、打ち合わせやら研修やらではそちらを常用していて、そっちの方が便利そうなので試していない。紙だと、保存するのに一々スキャンするかファイリングしなければならないのが面倒で、その点を改善してくれる可能性は感じているので、操作に慣れてきたら試してみようかと思っている。
そんな訳で、iPad素晴らしいな日々であるが、未だ素晴らしいと認識している時点で日常生活には浸透していないという状態なのであり、iPhoneのように素晴らしいも何もあって当たり前、なきゃ市ぬという位にまで至っていないので、今後まだ評価が変わる余地はある。
しかし、ほんとにもうパソコン使わんな、これ。Office系の処理に問題があるのと、Flash問題もあるので、完全に移行するという訳にはいかないが、確かにポストPCというのも納得な今日この頃である。
どうりで街で見かける若者の顔が生き生きしている訳だ。
さて、そうすると、社労士稼業も既に半年を超えた訳で、どうなのよ、その辺、と言う話になる。ボチボチでんなと答えたいが、サッパリボチボチでない。なんつうか、毎日クソ忙しいクセにちっとも儲からない。顧問契約があるだけまだマシなのだが、とにかく投資に対して回収が全然追いついていない状況だ。いや、そもそも回収とかできる類の投資をしているのかという疑問が湧いてくる訳だが、今している投資って言うのは、結局ほとんど勉強な訳で、それは回収するとかしないとかではなく、そもそも知らなければ仕事にならんという性質のものであるからして、つまり、待っていても収入は増えないという事なのである。そう考えると、新しい動きとか必要だよなという事に気づいてしまい、ついつい慌てしまうのである。
実際のところ、今の顧問先はガッツリ営業してとったと言うよりも運良く引っかかったと言う方が適切で、その数少ない顧問の仕事に追われるうちに半年が過ぎてしまったと言う事で、ソロソロ準備期間も終わってしっかり地に足つけて今後の展開とか考えろよという時期ではある。
にも関わらず、未だホームページは未完成のまま放置してあり、チラシかなんかの営業ツールを作るぞと決意してから早くも10ヶ月近くも経過しているという事実は驚愕ものである。
んー、病気で伏せっていた間はとてもゆっくり時間が過ぎて行ったのに対して、今は正に光陰の如くにあっという間に日々が過ぎて行くので、そのスピード感の変化に戸惑っているという側面もなくは無い。その上、病気が完治したのかと問わるれば否と答えざるを得ない我が身の不幸よ。なんつうか、現在進行形で調子が悪いので難儀している。明日動けるかどうか分からないまま仕事をしていくというのは実に難しく、しかも、動けないからと言って約束を反故にもできないので、結局動けなくても動かなければならず、それ故に回復も遅々として進まぬというこの悪循環。医者は、ボチボチと自分のペースで仕事をしなさいと言うが、いやしくも仕事と名が付くもので他人のペースを一切考えなくても良いという仕事なんてこの世に存在していない。残念な事ではあるが、今の現状を背負ったまま生き抜かねばならないのである。
病気前に比べて、全体的にパフォーマンスが下がっているような気がするのだが、よくよく感げてみると、それは思い出補正で修正された美化された過去の自分と比較しているのであって、俺はもともとパフォーマンスが低かったというのが真実ではなかろうかとも思える。
ただ、はっきりと言えるのは、絶好調の時を除けば、一日の中でアクティブに活動できる時間が減っているという事だ。同じ量の仕事をこなしても疲労感が違いすぎる。昔は仕事の後でもへっちゃらで好きな事ができたのだが、今ではそんな余力を残して仕事をするという事ができず、くたびれ果てて夜を過ごすのだ。いや、それは単に昔は若かったから体力にものを言わせて遊び回っていただけで、年相応に老けたのだよと言われれば、これもまた返す言葉がなかったりする。
まあ、どっちだか分からんので、現状、フル回転して生きている訳だ。
が、そういう生き方は良くない。もっと楽しまにゃ、とも思うのも事実。
という訳で、人生楽しむためにiPad2を買ったのである。
いやもう、これ、ずっと欲しかったのですよ。2が出る前から。
2が出たら、欲しさ倍増、喉から手が出るって感じだったけれど、無い袖は振れないってんで我慢の子だったのだ。が、どうしても欲しい。つうか、とにかく買いまくっている仕事用の本を、切り刻んで電子化したくて仕方がなかったのです。とりあえず電子化したいという興味本位半分、実際に持ち歩く際に重くてたまらないという現実的欲求半分で、漫画、雑誌は既にあらかたバラバラ事件後、スキャン完了しているのだが、流石にiPhoneでの閲覧はかなり厳しく、本気で読まなきゃならない業務用書籍は流石に温存されていた。
しかし、ついに念願のiPadを購入した事で、ついに裁断機、スキャナ、閲覧用端末の「自炊三種の神器」が揃ったのであり、早速明後日までに読み込まなければならない本を、粉々のめった斬りにした後、スキャンしまくり、iPadに転送してみたのである。
という事で、ここからが今日の本題。iPadで自炊ってどうなの?と。
結論から言えば、読む時はかなり快適で、かつ、ラインとかも自在に引けて、必要があれば画面キャプチャーもできるので、仕事用にはバッチリである。が、その準備が少し手前。
本をぶった斬ってスキャンするという行為は今までも練習していたのだけれど、決定的に違った点が一つあった。今まで読み込んだ本は、全て過去に一度以上開いた事のある本ばかり。ところが、今回は本屋の本棚にギッチギチに詰め込まれていたのを無理やりに引っこ抜いてきた本である。一度出したら二度としまえないという位にキツい本棚だったので、しっかりプレスされていて、ページとページがかなり密着している感じ。しかも、まだ一度も開いていない、言わば処女本であるので、静電気かなんか知らんが、とにかくばらけてくれない。おかげで、スキャンが失敗しまくった。紙の重複は当たり前、オートフィーダーの上に紙があるのにスキャン部分に送られないなど、エラーの数々にブチ切れ寸前で作業をする羽目になった。
さらに、iPadへの転送も時間がかかって不便。これはiPhoneでも同様だったのだけど、すぐ読む必要のない漫画と、今すぐ読まなきゃならない実用書とでは切迫感が違う。有線で繋ぐと言うのも面倒臭い。早くWi-Fi転送対応しろと思ったが、どのみちうちのWi-Fiは転送速度が遅いので、結局は有線転送する事になりそう。これは我が家のWi-Fi環境を変えるという一大事業が必要になるので改善への途は遠い。
しかし、そういう艱難辛苦を乗り越えて、いざiPadで読書をしてみると、これは思った以上に快適。
最近は蛍光ペンでラインを引きながら読書する事が多いのだが、PDFにもラインを引けるので問題ない。いや、真っ直ぐな線を引けるのと、やり直しが効くので、寧ろ利便性は向上している。
ただ、自炊ものなので、テキスト扱いでラインを引くのには手間がかかった。一応、OCRでテキスト認識しているハズなのだが、単語というかフレーズ毎のまとまりでラインが引かれてしまって、自分が思う範囲だけ引くという事ができなかった。これはアプリ側にも問題は有る様で、 iAnnotateではこういう問題があったが、GoodoReaderではなかった。ただ、iAnnotateの方が今のところ使いやすいのだ。で、単に真っ直ぐなラインを引くというだけなら問題はないので、それで対応している。
ブックリーダーとしてだけでなく、Webブラウザとしても使いやすく、やはり画面がでかいのは良い。デカイ画面を寝そべって見られると言うのは実に快適なのだ。ただ、仰向けで寝ながらだと重いという点と、画面がデカすぎるので操作は両手でなければならないと言う点にわずかな不便さを感じている。
後は、手書きメモなんかにも興味津々なのだが、こちらについて言えば、常にレポート用紙を持ち歩いていて、打ち合わせやら研修やらではそちらを常用していて、そっちの方が便利そうなので試していない。紙だと、保存するのに一々スキャンするかファイリングしなければならないのが面倒で、その点を改善してくれる可能性は感じているので、操作に慣れてきたら試してみようかと思っている。
そんな訳で、iPad素晴らしいな日々であるが、未だ素晴らしいと認識している時点で日常生活には浸透していないという状態なのであり、iPhoneのように素晴らしいも何もあって当たり前、なきゃ市ぬという位にまで至っていないので、今後まだ評価が変わる余地はある。
しかし、ほんとにもうパソコン使わんな、これ。Office系の処理に問題があるのと、Flash問題もあるので、完全に移行するという訳にはいかないが、確かにポストPCというのも納得な今日この頃である。
2011年05月17日
最低保障年金というけれど
民主党の新年金制度の概要が出た様だが、どうも内容がひどい。
asahi.com
最低保障年金「年収600万円超は支給なし」で最終調整
最低保障年金というのを創設し、税金でまかなった原資を全ての人に支給、と言うところまでは良い。
しかし、所得制限があって、これがかなりきつい。
現役時代、平均年収が300万円未満の人しか満額支給されず、300万円を超える額に応じて減額。600万円を超える人には不支給となっている。
また、厚生年金や共済年金といった報酬比例部分については所得比例年金という形で一本化するというが、こちらの保険料率は15%を想定という。
300万や600万という数字もさることながら、現役時代の年収によって老後の最低補償額が決定してしまうというのは問題ではないのだろうか。現役時代の年収が、即、老後の年金額となる訳ではないというところに現行年金制度の根本的な問題があると思うのだが、その点について全く改善されない、どころかむしろ悪化しているのではないかと思えるような仕組みだ。保険料未納の人や、加入期間の問題で無年金となる人がでて問題だ、というような問題意識もあるはずなのだが、そういう事は関係ないらしい。
最低保障年金の名が泣く。
どうもこういう制度はサラリーマンを一般に想定して作られているようで、フリーランス、自営業、フリーターといった層の事は完全に埒外に置かれている。基本的にサラリーマンであれば、給与天引きで保険料が徴収されるので無年金問題は生じない。
問題はサラリーマン以外の人達で、これらの人々は自分で年金を納めなければならない。将来もらえる額より支払う額の方が多そうだという見通しの中、天引きでもなく自分で金融機関に出向いてわざわざ年金を支払いに行くのは相当に抵抗がある。だから税方式にして強制徴収し、最低額はどんな人でももらえると言うところに意味がある。
報酬比例部分についても税源方式に移行しなければ、相変わらず未納問題が発生してしまう。
しかも、保険料率は15%。
サラリーマンの保険料率を考えれば、まあそんなもんか、という気がしないでもないが、サラリーマンが企業と折半であるという事を忘れてはならない。
15%の保険料率って半端なく高い。月収30万という人を考えてみよう。サラリーマンでボーナスが3ヶ月分でるとしても年収は450万円。フリーや自営業だったらそういう臨時収入はないから年収は360万円となる。
この時、15%という保険料率を掛け合わせてみると、年金だけで4万5千円の負担となる。年金だけで、だ。これに健康保険料と所得税をあわせて考えると大変な事になる。
現住所での国民健康保険料を計算してみる。均等割、平等割で44500円。所得から33万円の基礎控除をした後の額について4.5%となっているので、約14万7千円。合わせて19万1千円。月々に直すと約1万6千円。ただし、これは固定資産については除かれて
いる。土地、家などの固定資産がある場合は、さらに固定資産税の23%が加算される。
税金については、控除等諸々あって確定できないが、ネット上にあった概算計算機によると、年額で299500円。月額換算で約25000円となる。
よって、年金45000円、国保16000円、税金25000円。締めて86000円を納めなければならない。
年間103万円強。28.6%が国庫に消えゆく。
同じ年収のサラリーマンを考えよう。月収は24万円、ボーナスは3ヶ月分で72万円だ。
現在の保険料率表で見ると、本人負担は、月々、年金19269円、健保11376円。賞与分で年金57800円、健保で34000円となる。税金は同じとすると、月々の負担は約55000円。年額換算すると、年金は約29万円。健保は約17万円となるので、年金、健保、税金の合計は約76万円。自営業の103万円と比べると約3割相当の27万円分安い。これは当然事業主が社会保険料を折半しているからだ。年収360万円における27万円の差は大きい。年収に対して約7.5%分余分に払わなければならないのだ。
サラリーマンに対して自営業、フリーランスは7.5%の増税。そりゃ所得も隠したくなるわな。金利が1%を割り込んで久しいと言うのに、この7.5%という数字はどうにもバカらしく見える。
バカらしく見えるから払わない人は多いだろう。つか、払えない人も。自営業、フリーランスだけでなく、フリーターも「こちら側」のカテゴリーに入る事を思うと胸が熱くなるな。ちなみに最低保障年金が完全に支払われなくなる年収600万の人は、単純計算で月7万5千円が年金に消えていく・・・。
今、国民年金として毎月納めている金額はおおよそ1万5千円。それがなんといきなり6倍の7万5千円に膨れあがり、しかも、これまで掛けていた1万5千円相当分はなかった事になる。厚生年金の料率は16%くらいだが、この中に基礎年金分は含まれている訳でして。その分も、年収600万円超の人については払い損という事で。あれ?でも最低保障年金の財源は消費税じゃなかった?するってぇーとその基礎年金部分はどこにいっちゃうんだろーね。東電の株価下落かな?
何だろうな、これ。
asahi.com
最低保障年金「年収600万円超は支給なし」で最終調整
菅政権が検討している新しい年金制度で、新設される最低保障年金は現役時代の平均年収が600万円以下の人を対象にすることになった。民主党と厚生労働省が最終調整。6月末に菅政権がまとめる消費増税と社会保障の一体改革に盛り込まれる方向だ。
民主党の「社会保障と税の抜本改革調査会」では、月額7万円の満額を支給するのは、現役時代の平均年収が300万円以下と限定。年収がそれを超えると減額し、600万円超で支給額をゼロとする方針を固めた。これを受けて、厚労省は財源の試算を始めた。
最低保障年金というのを創設し、税金でまかなった原資を全ての人に支給、と言うところまでは良い。
しかし、所得制限があって、これがかなりきつい。
現役時代、平均年収が300万円未満の人しか満額支給されず、300万円を超える額に応じて減額。600万円を超える人には不支給となっている。
また、厚生年金や共済年金といった報酬比例部分については所得比例年金という形で一本化するというが、こちらの保険料率は15%を想定という。
300万や600万という数字もさることながら、現役時代の年収によって老後の最低補償額が決定してしまうというのは問題ではないのだろうか。現役時代の年収が、即、老後の年金額となる訳ではないというところに現行年金制度の根本的な問題があると思うのだが、その点について全く改善されない、どころかむしろ悪化しているのではないかと思えるような仕組みだ。保険料未納の人や、加入期間の問題で無年金となる人がでて問題だ、というような問題意識もあるはずなのだが、そういう事は関係ないらしい。
最低保障年金の名が泣く。
どうもこういう制度はサラリーマンを一般に想定して作られているようで、フリーランス、自営業、フリーターといった層の事は完全に埒外に置かれている。基本的にサラリーマンであれば、給与天引きで保険料が徴収されるので無年金問題は生じない。
問題はサラリーマン以外の人達で、これらの人々は自分で年金を納めなければならない。将来もらえる額より支払う額の方が多そうだという見通しの中、天引きでもなく自分で金融機関に出向いてわざわざ年金を支払いに行くのは相当に抵抗がある。だから税方式にして強制徴収し、最低額はどんな人でももらえると言うところに意味がある。
報酬比例部分についても税源方式に移行しなければ、相変わらず未納問題が発生してしまう。
しかも、保険料率は15%。
サラリーマンの保険料率を考えれば、まあそんなもんか、という気がしないでもないが、サラリーマンが企業と折半であるという事を忘れてはならない。
15%の保険料率って半端なく高い。月収30万という人を考えてみよう。サラリーマンでボーナスが3ヶ月分でるとしても年収は450万円。フリーや自営業だったらそういう臨時収入はないから年収は360万円となる。
この時、15%という保険料率を掛け合わせてみると、年金だけで4万5千円の負担となる。年金だけで、だ。これに健康保険料と所得税をあわせて考えると大変な事になる。
現住所での国民健康保険料を計算してみる。均等割、平等割で44500円。所得から33万円の基礎控除をした後の額について4.5%となっているので、約14万7千円。合わせて19万1千円。月々に直すと約1万6千円。ただし、これは固定資産については除かれて
いる。土地、家などの固定資産がある場合は、さらに固定資産税の23%が加算される。
税金については、控除等諸々あって確定できないが、ネット上にあった概算計算機によると、年額で299500円。月額換算で約25000円となる。
よって、年金45000円、国保16000円、税金25000円。締めて86000円を納めなければならない。
年間103万円強。28.6%が国庫に消えゆく。
同じ年収のサラリーマンを考えよう。月収は24万円、ボーナスは3ヶ月分で72万円だ。
現在の保険料率表で見ると、本人負担は、月々、年金19269円、健保11376円。賞与分で年金57800円、健保で34000円となる。税金は同じとすると、月々の負担は約55000円。年額換算すると、年金は約29万円。健保は約17万円となるので、年金、健保、税金の合計は約76万円。自営業の103万円と比べると約3割相当の27万円分安い。これは当然事業主が社会保険料を折半しているからだ。年収360万円における27万円の差は大きい。年収に対して約7.5%分余分に払わなければならないのだ。
サラリーマンに対して自営業、フリーランスは7.5%の増税。そりゃ所得も隠したくなるわな。金利が1%を割り込んで久しいと言うのに、この7.5%という数字はどうにもバカらしく見える。
バカらしく見えるから払わない人は多いだろう。つか、払えない人も。自営業、フリーランスだけでなく、フリーターも「こちら側」のカテゴリーに入る事を思うと胸が熱くなるな。ちなみに最低保障年金が完全に支払われなくなる年収600万の人は、単純計算で月7万5千円が年金に消えていく・・・。
今、国民年金として毎月納めている金額はおおよそ1万5千円。それがなんといきなり6倍の7万5千円に膨れあがり、しかも、これまで掛けていた1万5千円相当分はなかった事になる。厚生年金の料率は16%くらいだが、この中に基礎年金分は含まれている訳でして。その分も、年収600万円超の人については払い損という事で。あれ?でも最低保障年金の財源は消費税じゃなかった?するってぇーとその基礎年金部分はどこにいっちゃうんだろーね。東電の株価下落かな?
何だろうな、これ。
2011年04月02日
ストレスの本質ってのは何だろう?
久しぶりにダウンした。
20時間寝っぱなし。
布団から出るのが恐ろしくて仕方がなかった。布団にくるまっていると何故あんなに安心するのやら。
朝飯を夕方の4時に食った。
腹は減っていたけど、飯を食うのも嫌だった。本当はまだ食べずにいられるなら我慢したかったが、あんまり食わずにいると今度は低血糖症状も出てしまう。一度飯を食おうかなと思って糖尿病の薬も飲んでしまっているので、放置しておくのは危険かと思い食ってみた。
そしたら、一度食べ出したら止まらなくなった。なんぞ、これ?
さっきまで空腹感は感じていても食べたいと思っていなかったはずなのに、食いだしたら堰を切ったように食欲がわいてくる。久しぶりにご飯をおかわりしてしまいました。二度も。
3杯飯なんて何十年ぶりだよ、と。とにかく米が美味くて美味くて仕方がなかった。
で、また寝た。
不眠から過眠へ。めまぐるしいね、病人は。
起きたら夜の11時過ぎ。不思議と気分が良くなっている。夕方は体中がだるくて仕方がなくて、例のごとく腰のあたりがしんどくてたまらなかったのだけれど、夜目覚めたらやけにスッキリしている。
全く不快感なし。頭も爽快。
治ったわ、これ、と。
そんでまあ、なんでこうなったのか、という事を又しても考える訳だ。考えても無駄だっつう事は十分承知の上だが、もう性分だね。
で、年明けから社労士開業しているのだが、どうにもそれによる無理が祟ったのだろうと思われる。
大して無理な生活をしている訳でもないのだが、残念な事だにオレとしてはそれを無理と感じてしまうらしい。開業しました、と言っても仕事も1件しかこなしていないし、営業活動も全然活発ではない。
今は営業準備としてホームページをひたすら作っている。昔取った杵柄と言うけれど、5年以上もやっていないとほんとすっかり忘れている。これを思い出しつつ、内容なんかを考えていると、かなり時間を消費する。1週間もあればできるだろう、と思っていたが、1ヶ月経っても半分もできていないという始末。
業務知識を得んと勉強した事は勉強した。これはまあ少し頑張った。発行部数が少ないもんだからクソッタレなほど高く、コンチクショウなほど分厚い本を何冊も買って読んでいる。仲間三人くらい集まって勉強会も毎週やるようになった。やればやるほど泥沼って感じはするが、ここ数ヶ月で手にした知識はそれなりにでかい。
けど、それぐらいしかしていない。自由業みたいなもんだから、疲れた日には勝手に休業もできるし。幸か不幸か仕事がないので時間に拘束されない。まあ、それが目当てでこの仕事を選んだようなものだから。
だから心身に負担はかかっていないと思っていたのだ。
確かに、1回だけ人に会いに行くのになんの資料もなかったらまずかろうという事で徹夜して資料をこさえた事はあった。けど、無理したのはそれくらいしかない。
にも関わらず、段々オレの余裕は失われていくのは感じられた。
机の上がどんどん片付かなくなっていき、未処理の書類が山のようにたまる。仕事がないのに何故書類が山のようにたまるのか不思議で仕方がないが、とにかくたまるのだ。
そのうち予定の管理に不安が出てきた。これはまずいなあ、と思っているうちに、メールの返信とかそういう連絡事項が滞ってきた。これは致命的。
それがここ1、2週間くらいのこと。
自分でも精神的に余裕がなくなった時の状態というのは経験的に把握していたので、今現在自分に余裕がないのだよ、と言うことは解っていた。ただ、その余裕のない事の原因がわからなかったのだ。
つまり躁鬱の波の中で自分自身の余裕が失われていったのか、忙しくないと思っていた自分の生活スタイルが実は自分にとっては少し無理だったのか、と言う判断ができていなかった。
前者だと思っていたのだ。
しかし、今日1日、散々寝散らかした後、すっかり平常に戻っていたと言うことを鑑みるに、どうやら正解は後者の方にあったらしいと言うことが解ってきた。
まあ、つまり、こんな緩やかなたるい仕事スタイルであっても、日々積もらせるとオレには重たくなってしまうのだ、と言うことだ。非常に認めたくない不愉快な事実ではあるが。
しかし、それは冷静に受け止めなくてはいけない。自分の手札で勝負するしかないのだ。
現状、これだけしかストレス耐性がない以上、その小さな容器に入りきるくらいのストレス以上のものを注ぎ込もうとしてはいけないという事。
これは少し辛い事だ。社労士として活動を始めてから、付き合う人がぐっと増えた。できるだけ面白い人、できる人と付き合いたいから、そういう人話す機会が増える。彼らの中にも難病を抱えている人もいるが、しかし、メンタルをやられている人は見当たらない。だから、行動力が半端なく凄い。ゴリゴリと自分の力で自分の進むべき道に向かって言っている。そいつらに負けてたまるかと思うから、オレも同じように突き進みたい。でも無理をしている現状ですら全く追いつけていない。段々引き離されている感じがする。
オレはオレのペースを守って、オレの目指すべきところにたどりつければ良い、人より遅くったって。そんな事は解っているが、現実問題として、そういう人達と話していて、グングン行動しているのを見ていると、自分とついつい比較してしまい、寂しい気持ちになってしまうのは仕方がない事だ。そこまで達観できるほどの心の余裕も人生観も持ち合わせていない。
何より、あいつは口ばっかで行動力がない「できない奴」と思われたくない、と言う気持ちがある。他人の評価を気にしてどうする、しかも同業他社の、と言う意見もあるだろうが、それでもやはり自分のプライドというものがあって、それを甘んじて受けたくはないと思う。
そうすると、選択肢が2つ出てくる。
無理を通してたまに今日みたいにグロッキー状態になるのを覚悟して突き進むと言うのが1つ。
もう1つはペース配分について再考してみると言う選択肢。
突撃案については、なんとかかんとか自分のプライドを保てると言うメリットがある一方で、破滅的な再発の危険性をはらんでいると言うデメリットがある。今日くらいの落ち込みならいくらでも取り戻せると思うのだが、しかし、問題は今日一日の事ではない。ここ2週間くらいは不安定で、自分の仕事に対しても全く信頼できない日々が続いていた。突発的に思い出すスケジュールとか、期限切れの申込みなど、疲弊した末期には仕事の質は劣悪極まりない。
再考案については、これまでの自分のプライド水準をある程度引き下げなくてはならないと言う問題がある。そして、おれは病気だからもう今まで見たいには動けないと言うエクスキューズを周りにしておく事も必要になるだろう。
そういった面倒を乗り越えたならば自分なりの行動ペースというものを確立できるのかもしれない。ただし、それが採算ベースにのるほどのパフォーマンスを発揮出来るかどうかは別問題だが。
ここ数日の行動を振り返って見ると、後者の再考案をとるのが正しいのではないかと思う。
まず、確認しておくべき事は、個々の仕事の量は大して負担になっていないと言うことで、問題なのはその蓄積されていく時間の量なのではないか、と言うことだ。溜まっていくストレスの総量なのではなく、ストレスがかかっている時間の量に問題があるのではないかと言うことだ。
右の図で言うと、今までは時系列で流れていくストレス曲線によって作られている面積Aの大小が問題だと思っていた。これがある一定程度溜まるとオレの心がパンクする理論だ。
しかし、今回新たに思ったのは、ストレスの総量はどうでもいい、肝心なのはストレスのかかっていた期間である、と言うストレス期間論である。これは図中のストレスのかかっていた期間Aがある一定程度以上続くとヤバイ、と言うことになる。
勿論、この理屈はどっちかが正しくてどっちかが間違っていると言うようなトレードオフの問題ではないと思う。大きなストレスがかかっている時は面積理論が有効だろうし、小さなストレスの場合は期間論が有効だろう。要は今まで量しか気にしていなかったストレスについて、その期間についてもしっかり考慮しなけりゃヤバイよね、と言うことだ。
そういう訳で、今後の生活を送っていく上で重要になってくるのは、一日一日のストレスの大きさもさる事ながら、その連続期間について考えていく事が大事なのではなかろうかと思った次第であります。
具体的には、ある程度働いたら長目の休養をとると言うことだろう。ここ2、3ヶ月を振り返って見ると、土日のうちどちらかは研修が入っていたりして、連休というものがほとんどなかった。せっかく自由業で、しかも今は仕事がさっぱりないと言う状態なのであるから、それを活かし、十分な休養をとるように意識していかなければならないだろう。
今日の様な一日中寝倒すと言うような日をある程度定期的に埋め込んでいくと言う計画も必要になってくるかもしれない。
という訳で、ストレスについて少し考えさせられた一日なのでありました。
20時間寝っぱなし。
布団から出るのが恐ろしくて仕方がなかった。布団にくるまっていると何故あんなに安心するのやら。
朝飯を夕方の4時に食った。
腹は減っていたけど、飯を食うのも嫌だった。本当はまだ食べずにいられるなら我慢したかったが、あんまり食わずにいると今度は低血糖症状も出てしまう。一度飯を食おうかなと思って糖尿病の薬も飲んでしまっているので、放置しておくのは危険かと思い食ってみた。
そしたら、一度食べ出したら止まらなくなった。なんぞ、これ?
さっきまで空腹感は感じていても食べたいと思っていなかったはずなのに、食いだしたら堰を切ったように食欲がわいてくる。久しぶりにご飯をおかわりしてしまいました。二度も。
3杯飯なんて何十年ぶりだよ、と。とにかく米が美味くて美味くて仕方がなかった。
で、また寝た。
不眠から過眠へ。めまぐるしいね、病人は。
起きたら夜の11時過ぎ。不思議と気分が良くなっている。夕方は体中がだるくて仕方がなくて、例のごとく腰のあたりがしんどくてたまらなかったのだけれど、夜目覚めたらやけにスッキリしている。
全く不快感なし。頭も爽快。
治ったわ、これ、と。
そんでまあ、なんでこうなったのか、という事を又しても考える訳だ。考えても無駄だっつう事は十分承知の上だが、もう性分だね。
で、年明けから社労士開業しているのだが、どうにもそれによる無理が祟ったのだろうと思われる。
大して無理な生活をしている訳でもないのだが、残念な事だにオレとしてはそれを無理と感じてしまうらしい。開業しました、と言っても仕事も1件しかこなしていないし、営業活動も全然活発ではない。
今は営業準備としてホームページをひたすら作っている。昔取った杵柄と言うけれど、5年以上もやっていないとほんとすっかり忘れている。これを思い出しつつ、内容なんかを考えていると、かなり時間を消費する。1週間もあればできるだろう、と思っていたが、1ヶ月経っても半分もできていないという始末。
業務知識を得んと勉強した事は勉強した。これはまあ少し頑張った。発行部数が少ないもんだからクソッタレなほど高く、コンチクショウなほど分厚い本を何冊も買って読んでいる。仲間三人くらい集まって勉強会も毎週やるようになった。やればやるほど泥沼って感じはするが、ここ数ヶ月で手にした知識はそれなりにでかい。
けど、それぐらいしかしていない。自由業みたいなもんだから、疲れた日には勝手に休業もできるし。幸か不幸か仕事がないので時間に拘束されない。まあ、それが目当てでこの仕事を選んだようなものだから。
だから心身に負担はかかっていないと思っていたのだ。
確かに、1回だけ人に会いに行くのになんの資料もなかったらまずかろうという事で徹夜して資料をこさえた事はあった。けど、無理したのはそれくらいしかない。
にも関わらず、段々オレの余裕は失われていくのは感じられた。
机の上がどんどん片付かなくなっていき、未処理の書類が山のようにたまる。仕事がないのに何故書類が山のようにたまるのか不思議で仕方がないが、とにかくたまるのだ。
そのうち予定の管理に不安が出てきた。これはまずいなあ、と思っているうちに、メールの返信とかそういう連絡事項が滞ってきた。これは致命的。
それがここ1、2週間くらいのこと。
自分でも精神的に余裕がなくなった時の状態というのは経験的に把握していたので、今現在自分に余裕がないのだよ、と言うことは解っていた。ただ、その余裕のない事の原因がわからなかったのだ。
つまり躁鬱の波の中で自分自身の余裕が失われていったのか、忙しくないと思っていた自分の生活スタイルが実は自分にとっては少し無理だったのか、と言う判断ができていなかった。
前者だと思っていたのだ。
しかし、今日1日、散々寝散らかした後、すっかり平常に戻っていたと言うことを鑑みるに、どうやら正解は後者の方にあったらしいと言うことが解ってきた。
まあ、つまり、こんな緩やかなたるい仕事スタイルであっても、日々積もらせるとオレには重たくなってしまうのだ、と言うことだ。非常に認めたくない不愉快な事実ではあるが。しかし、それは冷静に受け止めなくてはいけない。自分の手札で勝負するしかないのだ。
現状、これだけしかストレス耐性がない以上、その小さな容器に入りきるくらいのストレス以上のものを注ぎ込もうとしてはいけないという事。
これは少し辛い事だ。社労士として活動を始めてから、付き合う人がぐっと増えた。できるだけ面白い人、できる人と付き合いたいから、そういう人話す機会が増える。彼らの中にも難病を抱えている人もいるが、しかし、メンタルをやられている人は見当たらない。だから、行動力が半端なく凄い。ゴリゴリと自分の力で自分の進むべき道に向かって言っている。そいつらに負けてたまるかと思うから、オレも同じように突き進みたい。でも無理をしている現状ですら全く追いつけていない。段々引き離されている感じがする。
オレはオレのペースを守って、オレの目指すべきところにたどりつければ良い、人より遅くったって。そんな事は解っているが、現実問題として、そういう人達と話していて、グングン行動しているのを見ていると、自分とついつい比較してしまい、寂しい気持ちになってしまうのは仕方がない事だ。そこまで達観できるほどの心の余裕も人生観も持ち合わせていない。
何より、あいつは口ばっかで行動力がない「できない奴」と思われたくない、と言う気持ちがある。他人の評価を気にしてどうする、しかも同業他社の、と言う意見もあるだろうが、それでもやはり自分のプライドというものがあって、それを甘んじて受けたくはないと思う。
そうすると、選択肢が2つ出てくる。
無理を通してたまに今日みたいにグロッキー状態になるのを覚悟して突き進むと言うのが1つ。
もう1つはペース配分について再考してみると言う選択肢。
突撃案については、なんとかかんとか自分のプライドを保てると言うメリットがある一方で、破滅的な再発の危険性をはらんでいると言うデメリットがある。今日くらいの落ち込みならいくらでも取り戻せると思うのだが、しかし、問題は今日一日の事ではない。ここ2週間くらいは不安定で、自分の仕事に対しても全く信頼できない日々が続いていた。突発的に思い出すスケジュールとか、期限切れの申込みなど、疲弊した末期には仕事の質は劣悪極まりない。
再考案については、これまでの自分のプライド水準をある程度引き下げなくてはならないと言う問題がある。そして、おれは病気だからもう今まで見たいには動けないと言うエクスキューズを周りにしておく事も必要になるだろう。
そういった面倒を乗り越えたならば自分なりの行動ペースというものを確立できるのかもしれない。ただし、それが採算ベースにのるほどのパフォーマンスを発揮出来るかどうかは別問題だが。
ここ数日の行動を振り返って見ると、後者の再考案をとるのが正しいのではないかと思う。まず、確認しておくべき事は、個々の仕事の量は大して負担になっていないと言うことで、問題なのはその蓄積されていく時間の量なのではないか、と言うことだ。溜まっていくストレスの総量なのではなく、ストレスがかかっている時間の量に問題があるのではないかと言うことだ。
右の図で言うと、今までは時系列で流れていくストレス曲線によって作られている面積Aの大小が問題だと思っていた。これがある一定程度溜まるとオレの心がパンクする理論だ。
しかし、今回新たに思ったのは、ストレスの総量はどうでもいい、肝心なのはストレスのかかっていた期間である、と言うストレス期間論である。これは図中のストレスのかかっていた期間Aがある一定程度以上続くとヤバイ、と言うことになる。
勿論、この理屈はどっちかが正しくてどっちかが間違っていると言うようなトレードオフの問題ではないと思う。大きなストレスがかかっている時は面積理論が有効だろうし、小さなストレスの場合は期間論が有効だろう。要は今まで量しか気にしていなかったストレスについて、その期間についてもしっかり考慮しなけりゃヤバイよね、と言うことだ。
そういう訳で、今後の生活を送っていく上で重要になってくるのは、一日一日のストレスの大きさもさる事ながら、その連続期間について考えていく事が大事なのではなかろうかと思った次第であります。
具体的には、ある程度働いたら長目の休養をとると言うことだろう。ここ2、3ヶ月を振り返って見ると、土日のうちどちらかは研修が入っていたりして、連休というものがほとんどなかった。せっかく自由業で、しかも今は仕事がさっぱりないと言う状態なのであるから、それを活かし、十分な休養をとるように意識していかなければならないだろう。
今日の様な一日中寝倒すと言うような日をある程度定期的に埋め込んでいくと言う計画も必要になってくるかもしれない。
という訳で、ストレスについて少し考えさせられた一日なのでありました。
2011年01月26日
2連勝!!
1月24日、行政書士試験の結果が発表された。
ネット上で合格者の受験番号が掲示されているので、ドキドキしながら受験票を片手に照合する。
以前にも書いたように、自信はあんまりなかった。事前の自己採点では記述式抜きの得点で150点。合格ラインは総合180点なので記述式で30点とる必要がある。記述式は60点満点なので丁度過半数の得点を必要とする。なので合否の可能性は半々くらい、と見積もっていた。
おっかなビックリネットのページを繰って該当のページを見る。
自分の受験番号を探す。
あった!
なんとか合格。
本当に自分の番号か怪しいと思い、何度も何度も一桁ずつ番号を参照するが間違いない。それでも自分の目が信用出来ないので、そのページをプリントアウトして母親にも確認をしてもらう。
どうやら間違いなさそう。
ほぅ、と一安心。
が、喜びの感情はそれほどなかった。
試験終了とともに行政書士という資格そのものへの情熱が冷めてしまっていたのが大きい。元々社労士としてやっていこうと思っていたので、行政書士試験終了とともに再び社労士の世界にぐっと引き戻されたのが原因だろう。あっと言う間に行政書士試験の苦労を忘れ去っていく俺。年が明けた頃には合否はどっちでもいい、と言うところまできていた。
もし不合格だった場合、再挑戦したかどうかも疑わしい。
それは行政書士という資格に魅力がないと言うよりも、社労士の知識を十分に貯めるだけでも手一杯であると言うことが解ってきたからだと思う。社労士試験合格後、1年近く行政書士の勉強をした事ですっかり社労士としての知識が抜け落ちた。ただでさえ資格試験をとっただけでは知識不足なのに、その知識すら忘れてしまったのだから一大事だ。
それに開業するための準備も必要になってきて、それらのことで頭がいっぱいになってしまい、行政書士のことまで気にしていられなくなったのだろう。
それでも嬉しいことに違いはない。
が、疑心暗鬼な俺はネットで見た自分の受験番号が本当にあっているのかまだ信じていなくて、もしかしたら去年の発表のページを見てるんじゃないかとか色々に疑っていた。
受験仲間から電話が来たので、一応合格しました、みたいなことを言ったが、もしこれが間違いだったら恥ずかしいなあとか思っていたりした。
やはり合格通知書という現物が手元に来ないと信じられないのだ。
ネット社会で便利になったと言っても、こういうものはやはり手にとって触れる証拠が欲しいと思うのは人間の本能か。
そして、今日。
郵便で一通のハガキが来ていた。差出人は財団法人行政書士試験研究センター。
言わずとしれた合格通知書だ。
俗説として、合格通知がぺらぺらだったら不合格、というのがある。
合格しているならば色々と手続の書類があるので分厚い封筒に書類が詰まっているが、不合格なら「残念でした」の紙ッペラが1枚入っているだけだから薄い、と。
そして、今日、手元に来た郵便はハガキ1枚きりである。
あれ?手続の書類がないよ?
もしかして本当に見間違いで不合格だったの?
訳のわからない不安が一瞬心をよぎり不安になる。
焦りで身体が妙に熱くなるのを感じながら、おそるおそる貼り合わせてあるハガキをめくってみる。
なんか配点表が載っているだけだ。
違う。これは裏面だ。
なんだか本当に焦ってきた。
慌てて反対側をめくってみる。
おお、俺の名前が印刷してある。
どうやら本物だ。
そのまま視線を下にやる。
事務的に印刷された「合格」の文字。
ああ、本当に合格していたんだと心の底から安堵した。

今、改めて得点表を見てみると、やはり記述式抜きの点数は150点ぴったり。
そして問題の記述式の点数は、存外高く48点もあった。60点満点で48点なら十分だ。相当採点が甘くなったのだろう。
今回の試験は多肢選択という穴埋め問題がとても難しかった。誰に聴いてもあそこが計算外だったと口をそろえる。
資格予備校の解答速報も過去に例がないくらい発表が遅れた。それだけ意見が割れたのだそうだ。
おそらく択一式も多肢選択も全体的に得点率が悪かったのだろう。
そして、これはいかにもお役所仕事的な発想なのだが、合格率を毎年同じ水準に維持するために採点の裁量がある記述式で調整するのだ。同じ問題に対して同じ解答をしたとしても、解答したときの全体のレベルによって得点が違うだろうと言う恐るべき恣意的システム。
いちいちやっていられんと思うが、今回はそれに助けられた。
おかげでトータル198点とまあまあの水準で合格となり、去年の社労士に続いて「国家試験2連勝」という自分としては出来すぎな結果を賜った。
もう当面、国家資格を目指す予定はないので、社労士の実務についての勉強及び営業活動に専念しよう。
とりあえず手つかずのまま積ん読状態になっている本の山を片付けなければ・・・。
ネット上で合格者の受験番号が掲示されているので、ドキドキしながら受験票を片手に照合する。
以前にも書いたように、自信はあんまりなかった。事前の自己採点では記述式抜きの得点で150点。合格ラインは総合180点なので記述式で30点とる必要がある。記述式は60点満点なので丁度過半数の得点を必要とする。なので合否の可能性は半々くらい、と見積もっていた。
おっかなビックリネットのページを繰って該当のページを見る。
自分の受験番号を探す。
あった!
なんとか合格。
本当に自分の番号か怪しいと思い、何度も何度も一桁ずつ番号を参照するが間違いない。それでも自分の目が信用出来ないので、そのページをプリントアウトして母親にも確認をしてもらう。
どうやら間違いなさそう。
ほぅ、と一安心。
が、喜びの感情はそれほどなかった。
試験終了とともに行政書士という資格そのものへの情熱が冷めてしまっていたのが大きい。元々社労士としてやっていこうと思っていたので、行政書士試験終了とともに再び社労士の世界にぐっと引き戻されたのが原因だろう。あっと言う間に行政書士試験の苦労を忘れ去っていく俺。年が明けた頃には合否はどっちでもいい、と言うところまできていた。
もし不合格だった場合、再挑戦したかどうかも疑わしい。
それは行政書士という資格に魅力がないと言うよりも、社労士の知識を十分に貯めるだけでも手一杯であると言うことが解ってきたからだと思う。社労士試験合格後、1年近く行政書士の勉強をした事ですっかり社労士としての知識が抜け落ちた。ただでさえ資格試験をとっただけでは知識不足なのに、その知識すら忘れてしまったのだから一大事だ。
それに開業するための準備も必要になってきて、それらのことで頭がいっぱいになってしまい、行政書士のことまで気にしていられなくなったのだろう。
それでも嬉しいことに違いはない。
が、疑心暗鬼な俺はネットで見た自分の受験番号が本当にあっているのかまだ信じていなくて、もしかしたら去年の発表のページを見てるんじゃないかとか色々に疑っていた。
受験仲間から電話が来たので、一応合格しました、みたいなことを言ったが、もしこれが間違いだったら恥ずかしいなあとか思っていたりした。
やはり合格通知書という現物が手元に来ないと信じられないのだ。
ネット社会で便利になったと言っても、こういうものはやはり手にとって触れる証拠が欲しいと思うのは人間の本能か。
そして、今日。
郵便で一通のハガキが来ていた。差出人は財団法人行政書士試験研究センター。
言わずとしれた合格通知書だ。
俗説として、合格通知がぺらぺらだったら不合格、というのがある。
合格しているならば色々と手続の書類があるので分厚い封筒に書類が詰まっているが、不合格なら「残念でした」の紙ッペラが1枚入っているだけだから薄い、と。
そして、今日、手元に来た郵便はハガキ1枚きりである。
あれ?手続の書類がないよ?
もしかして本当に見間違いで不合格だったの?
訳のわからない不安が一瞬心をよぎり不安になる。
焦りで身体が妙に熱くなるのを感じながら、おそるおそる貼り合わせてあるハガキをめくってみる。
なんか配点表が載っているだけだ。
違う。これは裏面だ。
なんだか本当に焦ってきた。
慌てて反対側をめくってみる。
おお、俺の名前が印刷してある。
どうやら本物だ。
そのまま視線を下にやる。
事務的に印刷された「合格」の文字。
ああ、本当に合格していたんだと心の底から安堵した。

今、改めて得点表を見てみると、やはり記述式抜きの点数は150点ぴったり。
そして問題の記述式の点数は、存外高く48点もあった。60点満点で48点なら十分だ。相当採点が甘くなったのだろう。
今回の試験は多肢選択という穴埋め問題がとても難しかった。誰に聴いてもあそこが計算外だったと口をそろえる。
資格予備校の解答速報も過去に例がないくらい発表が遅れた。それだけ意見が割れたのだそうだ。
おそらく択一式も多肢選択も全体的に得点率が悪かったのだろう。
そして、これはいかにもお役所仕事的な発想なのだが、合格率を毎年同じ水準に維持するために採点の裁量がある記述式で調整するのだ。同じ問題に対して同じ解答をしたとしても、解答したときの全体のレベルによって得点が違うだろうと言う恐るべき恣意的システム。
いちいちやっていられんと思うが、今回はそれに助けられた。
おかげでトータル198点とまあまあの水準で合格となり、去年の社労士に続いて「国家試験2連勝」という自分としては出来すぎな結果を賜った。
もう当面、国家資格を目指す予定はないので、社労士の実務についての勉強及び営業活動に専念しよう。
とりあえず手つかずのまま積ん読状態になっている本の山を片付けなければ・・・。
2010年12月31日
2010年を振り返り、2011年を思う
今年もとうとう大晦日を迎え、明日は新年である。
そこで例年恒例となっている、「今年を振り返る」をまたぞろやってみる事にする。
まず去年の大晦日に書いた記事を読み返す。そこでは社労士試験の合格よりも自分の中での「時間の体感速度」が正常に戻りつつある事が最大の出来事であったと語られている。
体調そのものに大きな変化はないものの、日々の生活が有機的連続性を以て記憶されていき、そのため時間間隔が通常の大人のように「あっと言う間」に感じられるようになったと言うのが当時の俺の見解だ。
さらに、
というように社会復帰に向けての自信をかなりうかがわせている事が解る。
ここで、さらにもう1年古い記事からも引用する。去年の大晦日にも引用したが、大事な内容なのでもう一度引用する。
一昨年の大晦日に建てた社会復帰三カ年計画である。
俺にとって最も高いレイヤーでの目標は社会復帰にある事はここ数年間変わらない事実である。その下のレイヤーに社労士として独立開業すると言うものがあり、その為に受験をしたり、仕事のドメインをどこにするのかを決めるといった各プロジェクトがある。最も基本となる計画がこの社会復帰三カ年計画なのである。
一昨年策定し、去年の大晦日の段階で見直しても、修正の要なし、という判断を下している。
09年、社労士試験に合格したところまでは確かに計画通り。09年年末時点ではバイトを始めていたりして、社会復帰が目の前にあるように見えたのだろう。計画は修正せず続行と判断した。
しかし、1年経った10年年末。残念ながら「修正の要あり」だ。
問題は09年前半にある。
前半戦、スタートは順調だった。郵便局のバイトを終え、小銭を手にした俺は嬉しくてデジタル一眼レフカメラを購入して、ウキウキしまくっていた。さらに、社労士の開業に向けて、開業塾なる研修会に毎週出席し、そこで同志たる人達に出会い、社労士会でも名だたる人達の講義を聴き、開業へ向けての野心をメラメラと燃やし始めていた。
ところが、好事魔多しというか、2月末ころ、調子が急降下する。いつもの定期的にやって来る不調なのかと思っていたが、今度の落ち込みはかなり大きく深かった。約2ヶ月間どん底に引き戻されてしまった。
どん底から這い上がればすぐに動けるかと言うとそうも行かず、結局正常に行動できるようになったのが夏。
半年を完全に棒に振ってしまった事になる。
さて、三カ年計画に話を戻すと、今年は社会復帰を果たす年という位置づけになっていた。が、現実問題として、社労士開業は実務経験の不足から10月まではかなわぬ身。準備を整えつつ、バイトをして生計を立てると言うのが現実路線だろう。が、開業塾で話を聴くにつれ、単に社労士として開業しただけでは先のない商売だと感じ、何かもっとコンサル的な内容を盛り込んでいきたいと思うようになった。社労士も労働法関係でより法律的な活動が必要だと思うようになり、そうすると嫌でも民法を知らなければならないと言うことになる。なぜならば、労働基準法というのは民法の特別法という関係に当たるので、労働基準法に定めのない事は民法の基準によることになるからだ。
そこで、民法、憲法と言った重要科目を勉強する必要性がでたと言うことと、隣接分野であるという事で行政書士試験を受験する事にした。
と言う訳で、少し計画は修正される事になる。10年の大目標は行政書士試験合格という事になり、社会復帰の為のバイト等はその下の目標という事になったのである。
そういう流れの中、行政書士試験講座に通っていたのであるが、その中で先ほどの鬱病エピソードが再発してしまったのである。ここで一気に行動に急ブレーキが掛かり、再始動まで半年を要したのであるからたまらない。行政書士試験は11月が本試験。夏から初めて間に合わない訳ではないが、余裕が全くない。
そもそも年の初めから勉強を始めるつもりでいたので、正直、行政書士試験はかなり余裕で受かるつもりでいた。試験の格としては社労士よりも下だし、何より社労士試験合格と言う実績があるので試験勉強そのもののノウハウも蓄積されている。悪くて五分五分。良ければ8割くらい勝てるつもりでいた。が、体調不良により時間的なアドバンテージは完全に消失。むしろ劣勢に立たされる。9月時点では試験合格の見込みはほとんどなかった。
しかし、窮鼠猫を噛む。追い詰められた俺は一念発起して、大反攻作戦を開始する。いくつかある科目の中で重要な民法、行政法の2科目に重点を絞り、社労士受験の時よりも集中して勉強した。長期で悠々と挑むつもりが短期決戦になってしまったのだから、1日1日が勝負。問題演習も試験日からの逆算で細かく計算して計画を建てた。そして、それを着実に実行していく。不思議なもので、行動する前はもう受からないと思っていたのだが、勉強を始めてある程度期間が経つと受かるぞと思えてくる。それは問題を解いているうちに科目の全体像が見えてきて、自分にとってどこが強くてどこが弱いのかがわかるようになる。ならば弱点を補えば勝てる。そういう風に考えられる様になったからだろう。また、イメージトレーニングではないが、合格した事をイメージしなければ絶対に合格できないとよく言われる。それもあって極力合格のイメージを作るように努めたというのもあった。
結果はまだ出ておらず、1月末にならないとわからないが、一応勝ち負けを争えるところまではやった。合否は五分五分といったところだろう。実戦期間がわずか3ヶ月だった事を思えば十分善戦したと言って良い。後は果報は寝て待て、だ。
以上のように、試験そのものの臨戦過程は最悪だったにもかかわらず、ある程度の成績を残す事ができたのは良かった。今年唯一の実績だろう。
ところが、その後がまた計画を大いに狂わせた。試験終了が11月14日。試験の疲れを癒すのとリフレッシュに努めて11月はほとんど無稼働。試験終了の解放感から飲み歩いてばかりいた。これは仕方がない。
しかし、12月になって、いよいよ社労士開業の支度を始めなければならないと言う時期になってもなかなか動けない。開業登録等の事務手続は順調に進み、登録上は既に開業扱いになってはいるものの、営業の手はずが整わない。
具体的には、何を、誰に、どうやって売るのか、と言う基本方針が定まらない。漠然と思う事はある。これは試験合格から1年の猶予期間があって、その間研修に出席したりして先達の知見を得る事ができたのが大きい。ただ、それを具体的に文章として現す事ができていない。それができないとホームページも作れないし営業ツールも作れない。何でそのイメージがキチンとまとまらないかと言うと、考えていないから、と言うことになる。ある程度まとまった時間を作って一心不乱に考えると言う時間をとっていない。それに真正面から取り組む事を怖がって逃げている。ここが今年一番の情けなさだ。自分を律して自分から動く。これができなければ自営業は務まらないはずなのに。そんな自分がいたく情けない。
こうして振り返って見ると、今年1年というのは、最初の半分は鬱で撃沈していて、最後の1ヶ月は自分の情けなさを露呈してしまった。結局、頑張ったのは3ヶ月間の受験勉強だけで、しかもその合否は五分五分という程度の実績でしかない。
あー、これはもう「今年はダメな年でした」と認めるしかない。むしろ行政書士受験に持ち込めただけよくやったと評価するくらいの出来だった、と。
実際、病名も鬱病から躁鬱病に変わった。病気は長期戦の様相を呈している。これからもずっとこんな調子が続くのだろう。であればこそ、尚更12月の体たらくはいただけない。調子が悪かった訳ではないのだから。
さて、そういう訳で社会復帰三カ年計画は今年修正を加える。今年1年はなかった事にするので、五カ年計画だ。
まず、09年は準備の年で社労士試験合格する。これは実績としてOK。さらに準備の年を拡張して10年もここに繰り入れ、行政書士試験合格を目指す。結果の如何はまだ解らないが、とりあえずこのフェーズも終了。
次にくるのが社会復帰への着手。これが11年と12年とする。1つのフェーズを1年で、と言うそもそもの計画に無理があったと認めよう。準備に2年を要したのだから、実行にも2年はかかるだろう。そもそも、社会復帰の中には経済的な自立という項目も含まれるはずだ。であれば、1年で収入の目途が立つなんて事は随分図々しい発想であると言うことに気づいた。この辺りは実際に開業を目の前にして、色々な人に会って話を聴いたからこそ解る事だ。当初1年は無収入も十分有り得る事だ。2年かけて仕事を「仕事」として出来るように研鑽を積む。
そして最終年たる13年。この年に完全な社会復帰を完成させる事を目指す。食べていけるだけの収入を確保する事。出来るなら事務所を外に構えられるようになっていたい。
これが社会復帰新五カ年計画の全貌である。
これを踏まえて、11年をどうするか、である。
まずは営業の開始だ。「仕事をする」という習慣が無くなってから久しい。まずは営業でも事務でも何でも良いから仕事をすると言う習慣を取り戻すところから始めよう。この段階では結果を求めない。練習だ。
半年で仕事をする生活ができる様になろう。
残りの半年で仕事を続ける生活ができる様になろう。
これ以上の事を求めるのは来年の俺に酷だ。今年の実績を踏まえれば、来年これだけ出来れば上等。12年になったら仕事に結果を求めていけばいい。
以上が今年の総括と来年の目標だ。12月、何も出来なかったとは言いながら、部屋の大規模なレイアウト変更を行った。これまではいかにリラックスするかと言う観点で部屋を作っていたが、今度はいかに仕事をするのかと言う視点でレイアウトした。部屋の部品すべてを一から見当し直し、断捨離じゃないがかなり思い切ってゴミも出した。家具で配置が変わらなかったものは文字通り1つもない。大トランスフォームであった。結果、我ながら立派な部屋に仕上がった。1週間以上をかけての大改装だったが、これから仕事をしていくぞ、という思いを十分に体現する良い部屋ができた。今年はあまり進歩のない年だったが、来年こそは、の思いはある。この新しいレイアウトで来年は新生ギャイ公として、思い新たに頑張ろう。
さて、こうして今年も1年が過ぎ去ろうとしております。なんだかんだと言いながらこうして生きていられること、少しずつ少しずつ前に進んでいられるのも周りの友人・知人、家族といった人達のおかげであります。加えて、最近は社会そのものにも助けてもらっているのだな、と言う実感もあります。こうして助けてもらいながら生き長らえたという事を忘れずに、世の中にも恩返しをできる様な仕事をしていきたいと思う今日この頃なのです。
皆様、今年もいろいろとありがとうございました。今日の俺は俺一人で立っている訳ではありません。強弱、多少、遠近、直接間接、色々あるでしょうが、とにかく皆さんのおかげです。ありがとうございました。
来年もまたひとつよろしくお願い申し上げますというご挨拶を以て、今年のこのブログの最後の記事とさせていただきます。
そこで例年恒例となっている、「今年を振り返る」をまたぞろやってみる事にする。
まず去年の大晦日に書いた記事を読み返す。そこでは社労士試験の合格よりも自分の中での「時間の体感速度」が正常に戻りつつある事が最大の出来事であったと語られている。
体調そのものに大きな変化はないものの、日々の生活が有機的連続性を以て記憶されていき、そのため時間間隔が通常の大人のように「あっと言う間」に感じられるようになったと言うのが当時の俺の見解だ。
さらに、
では、去年と比べて何が違ったのだろうか。
これはエンジンに例えれば解りやすい。
去年までの俺は、エンジンそのものがぶっ壊れていた状態だ。ウツという病気に即して言えば、エンジンの燃焼室部分はほとんど問題ないが、燃調部分とかアクセルコントロールとかそういう制御系が壊れていたのだと思う。そして、それを2年ほどかけてじっくり直してきた。まだ完全に治りきってはおらず、たまに黒煙を吐いたり停まってしまったりはするものの、何とか動かせるくらいには直ってきた。
そこで迎えた今年は、しっかりと実践並の燃料を背負って、公道に出てテストしてみた、という状況に相当する。今度は動く事は前提にして、どうやったら通常の使用に耐えるまでに持って行けるのか、という段階に入ったという事だ。
つまり、今までの2年強と違って、しっかりとガソリンが注がれた、という事が違いなのだ。
というように社会復帰に向けての自信をかなりうかがわせている事が解る。
ここで、さらにもう1年古い記事からも引用する。去年の大晦日にも引用したが、大事な内容なのでもう一度引用する。
まとめよう。
06年は発病の年。最悪の状態が始まる年だった。07年は回復の始まりの年。どん底も味わったが、そこから初めて回復、というものを味わった。それはとりもなおさず、自分の病気を受け容れ、正面から向き合う事ができるようになったからであろう。
08年。この年は順調な回復の年だ。安定成長期と言っても良いだろう。小刻みな変動はありながら、全体としては上向きだ。欲望も回復してきた。生活する事そのものが目標だったそれまでから、生活の質の向上を目指す事ができるようになった転換点だ。今こそ社会復帰に向けた準備を始める時だろう。
そして将来について。
迎える09年。いよいよ復帰に向けた準備を着々と進めるべき時だ。助走を開始する時で、踏み切るところまで行けたら大成功だ。2010年には復帰を果たし、それをいかに維持すべきかを考えている年であって欲しい。11年には社会復帰という概念を忘れ去り、自分のやりたい事をいかになすべきか、という事を考えていたい。社会復帰3カ年計画だ。
一昨年の大晦日に建てた社会復帰三カ年計画である。
俺にとって最も高いレイヤーでの目標は社会復帰にある事はここ数年間変わらない事実である。その下のレイヤーに社労士として独立開業すると言うものがあり、その為に受験をしたり、仕事のドメインをどこにするのかを決めるといった各プロジェクトがある。最も基本となる計画がこの社会復帰三カ年計画なのである。
一昨年策定し、去年の大晦日の段階で見直しても、修正の要なし、という判断を下している。
09年、社労士試験に合格したところまでは確かに計画通り。09年年末時点ではバイトを始めていたりして、社会復帰が目の前にあるように見えたのだろう。計画は修正せず続行と判断した。
しかし、1年経った10年年末。残念ながら「修正の要あり」だ。
問題は09年前半にある。
前半戦、スタートは順調だった。郵便局のバイトを終え、小銭を手にした俺は嬉しくてデジタル一眼レフカメラを購入して、ウキウキしまくっていた。さらに、社労士の開業に向けて、開業塾なる研修会に毎週出席し、そこで同志たる人達に出会い、社労士会でも名だたる人達の講義を聴き、開業へ向けての野心をメラメラと燃やし始めていた。
ところが、好事魔多しというか、2月末ころ、調子が急降下する。いつもの定期的にやって来る不調なのかと思っていたが、今度の落ち込みはかなり大きく深かった。約2ヶ月間どん底に引き戻されてしまった。
どん底から這い上がればすぐに動けるかと言うとそうも行かず、結局正常に行動できるようになったのが夏。
半年を完全に棒に振ってしまった事になる。
さて、三カ年計画に話を戻すと、今年は社会復帰を果たす年という位置づけになっていた。が、現実問題として、社労士開業は実務経験の不足から10月まではかなわぬ身。準備を整えつつ、バイトをして生計を立てると言うのが現実路線だろう。が、開業塾で話を聴くにつれ、単に社労士として開業しただけでは先のない商売だと感じ、何かもっとコンサル的な内容を盛り込んでいきたいと思うようになった。社労士も労働法関係でより法律的な活動が必要だと思うようになり、そうすると嫌でも民法を知らなければならないと言うことになる。なぜならば、労働基準法というのは民法の特別法という関係に当たるので、労働基準法に定めのない事は民法の基準によることになるからだ。
そこで、民法、憲法と言った重要科目を勉強する必要性がでたと言うことと、隣接分野であるという事で行政書士試験を受験する事にした。
と言う訳で、少し計画は修正される事になる。10年の大目標は行政書士試験合格という事になり、社会復帰の為のバイト等はその下の目標という事になったのである。
そういう流れの中、行政書士試験講座に通っていたのであるが、その中で先ほどの鬱病エピソードが再発してしまったのである。ここで一気に行動に急ブレーキが掛かり、再始動まで半年を要したのであるからたまらない。行政書士試験は11月が本試験。夏から初めて間に合わない訳ではないが、余裕が全くない。
そもそも年の初めから勉強を始めるつもりでいたので、正直、行政書士試験はかなり余裕で受かるつもりでいた。試験の格としては社労士よりも下だし、何より社労士試験合格と言う実績があるので試験勉強そのもののノウハウも蓄積されている。悪くて五分五分。良ければ8割くらい勝てるつもりでいた。が、体調不良により時間的なアドバンテージは完全に消失。むしろ劣勢に立たされる。9月時点では試験合格の見込みはほとんどなかった。
しかし、窮鼠猫を噛む。追い詰められた俺は一念発起して、大反攻作戦を開始する。いくつかある科目の中で重要な民法、行政法の2科目に重点を絞り、社労士受験の時よりも集中して勉強した。長期で悠々と挑むつもりが短期決戦になってしまったのだから、1日1日が勝負。問題演習も試験日からの逆算で細かく計算して計画を建てた。そして、それを着実に実行していく。不思議なもので、行動する前はもう受からないと思っていたのだが、勉強を始めてある程度期間が経つと受かるぞと思えてくる。それは問題を解いているうちに科目の全体像が見えてきて、自分にとってどこが強くてどこが弱いのかがわかるようになる。ならば弱点を補えば勝てる。そういう風に考えられる様になったからだろう。また、イメージトレーニングではないが、合格した事をイメージしなければ絶対に合格できないとよく言われる。それもあって極力合格のイメージを作るように努めたというのもあった。
結果はまだ出ておらず、1月末にならないとわからないが、一応勝ち負けを争えるところまではやった。合否は五分五分といったところだろう。実戦期間がわずか3ヶ月だった事を思えば十分善戦したと言って良い。後は果報は寝て待て、だ。
以上のように、試験そのものの臨戦過程は最悪だったにもかかわらず、ある程度の成績を残す事ができたのは良かった。今年唯一の実績だろう。
ところが、その後がまた計画を大いに狂わせた。試験終了が11月14日。試験の疲れを癒すのとリフレッシュに努めて11月はほとんど無稼働。試験終了の解放感から飲み歩いてばかりいた。これは仕方がない。
しかし、12月になって、いよいよ社労士開業の支度を始めなければならないと言う時期になってもなかなか動けない。開業登録等の事務手続は順調に進み、登録上は既に開業扱いになってはいるものの、営業の手はずが整わない。
具体的には、何を、誰に、どうやって売るのか、と言う基本方針が定まらない。漠然と思う事はある。これは試験合格から1年の猶予期間があって、その間研修に出席したりして先達の知見を得る事ができたのが大きい。ただ、それを具体的に文章として現す事ができていない。それができないとホームページも作れないし営業ツールも作れない。何でそのイメージがキチンとまとまらないかと言うと、考えていないから、と言うことになる。ある程度まとまった時間を作って一心不乱に考えると言う時間をとっていない。それに真正面から取り組む事を怖がって逃げている。ここが今年一番の情けなさだ。自分を律して自分から動く。これができなければ自営業は務まらないはずなのに。そんな自分がいたく情けない。
こうして振り返って見ると、今年1年というのは、最初の半分は鬱で撃沈していて、最後の1ヶ月は自分の情けなさを露呈してしまった。結局、頑張ったのは3ヶ月間の受験勉強だけで、しかもその合否は五分五分という程度の実績でしかない。
あー、これはもう「今年はダメな年でした」と認めるしかない。むしろ行政書士受験に持ち込めただけよくやったと評価するくらいの出来だった、と。
実際、病名も鬱病から躁鬱病に変わった。病気は長期戦の様相を呈している。これからもずっとこんな調子が続くのだろう。であればこそ、尚更12月の体たらくはいただけない。調子が悪かった訳ではないのだから。
さて、そういう訳で社会復帰三カ年計画は今年修正を加える。今年1年はなかった事にするので、五カ年計画だ。
まず、09年は準備の年で社労士試験合格する。これは実績としてOK。さらに準備の年を拡張して10年もここに繰り入れ、行政書士試験合格を目指す。結果の如何はまだ解らないが、とりあえずこのフェーズも終了。
次にくるのが社会復帰への着手。これが11年と12年とする。1つのフェーズを1年で、と言うそもそもの計画に無理があったと認めよう。準備に2年を要したのだから、実行にも2年はかかるだろう。そもそも、社会復帰の中には経済的な自立という項目も含まれるはずだ。であれば、1年で収入の目途が立つなんて事は随分図々しい発想であると言うことに気づいた。この辺りは実際に開業を目の前にして、色々な人に会って話を聴いたからこそ解る事だ。当初1年は無収入も十分有り得る事だ。2年かけて仕事を「仕事」として出来るように研鑽を積む。
そして最終年たる13年。この年に完全な社会復帰を完成させる事を目指す。食べていけるだけの収入を確保する事。出来るなら事務所を外に構えられるようになっていたい。
これが社会復帰新五カ年計画の全貌である。
これを踏まえて、11年をどうするか、である。
まずは営業の開始だ。「仕事をする」という習慣が無くなってから久しい。まずは営業でも事務でも何でも良いから仕事をすると言う習慣を取り戻すところから始めよう。この段階では結果を求めない。練習だ。
半年で仕事をする生活ができる様になろう。
残りの半年で仕事を続ける生活ができる様になろう。
これ以上の事を求めるのは来年の俺に酷だ。今年の実績を踏まえれば、来年これだけ出来れば上等。12年になったら仕事に結果を求めていけばいい。
以上が今年の総括と来年の目標だ。12月、何も出来なかったとは言いながら、部屋の大規模なレイアウト変更を行った。これまではいかにリラックスするかと言う観点で部屋を作っていたが、今度はいかに仕事をするのかと言う視点でレイアウトした。部屋の部品すべてを一から見当し直し、断捨離じゃないがかなり思い切ってゴミも出した。家具で配置が変わらなかったものは文字通り1つもない。大トランスフォームであった。結果、我ながら立派な部屋に仕上がった。1週間以上をかけての大改装だったが、これから仕事をしていくぞ、という思いを十分に体現する良い部屋ができた。今年はあまり進歩のない年だったが、来年こそは、の思いはある。この新しいレイアウトで来年は新生ギャイ公として、思い新たに頑張ろう。
さて、こうして今年も1年が過ぎ去ろうとしております。なんだかんだと言いながらこうして生きていられること、少しずつ少しずつ前に進んでいられるのも周りの友人・知人、家族といった人達のおかげであります。加えて、最近は社会そのものにも助けてもらっているのだな、と言う実感もあります。こうして助けてもらいながら生き長らえたという事を忘れずに、世の中にも恩返しをできる様な仕事をしていきたいと思う今日この頃なのです。
皆様、今年もいろいろとありがとうございました。今日の俺は俺一人で立っている訳ではありません。強弱、多少、遠近、直接間接、色々あるでしょうが、とにかく皆さんのおかげです。ありがとうございました。
来年もまたひとつよろしくお願い申し上げますというご挨拶を以て、今年のこのブログの最後の記事とさせていただきます。

