美術関連図書の紹介(4)
「アウトサイダー・アート」
― 芸術のはじまる場所 ―
著者名「デイヴィド・マクラガン」、訳者:松田和也 出版年月「2011年4月」出版社「青土社」
この本の冒頭に47枚のユニークな絵が紹介されている。普段見慣れている絵画に比べたら大きな違和感を持つ人が多いかも知れないが、これらがアウトサイダー(アール・ブリュット)と呼ばれる人たちが描いた絵である。
p39
「アウトサイダー・アート」という言葉は、非常に大まかに言うと、何らかの意味で社会の周縁にいる人々の手になる特異な作品を指す。さまざまな理由によって、彼らは所属する文化に社会的・心理的・芸術的に適応することができない。その作品を特異なものとしているのは、制作者が何の訓練も受けておらず、また「正常」から程遠い位置にあるという事実である。そのため彼らは「芸術家」どころか、「アウトサイダー」であるという自覚すらない場合もある。従って、その作品に魅力を見出すのはわれわれの方である。まず第一に、それらはわれわれの親しんでいる美術界に先例が見出せない。
第二に、彼らには芸術創造の一般的な動機(フロイトによれば「名声と金と女」)がない。さらに、支持者に言わせればアウトサイダー・アートは、モダニズムにおいても現代美術においても、メインストリームの芸術よりも力強く、刺激的で、独創的である。実際、過去五十年以上の間に見出されたこのよぅな作品の多くは印象的であり、また呆れるほど多様でもある。とは言うものの、元来はメインストリームの芸術に対するラディカルなアンチテーゼとして始まったものが、いつまでもその文化の「外部」(アウトサイド)に居続けることはできない。当初は懐疑や嫌悪の目で見られたアウトサイダー・アートも、徐々に世の中に同化吸収されている。展覧会や出版物の数も増え、画廊や美術館はそれを買い求め、そして間違いなく、それは多くの同時代の芸術家に影響を及ぼしている。それに伴って、アウトサイダー・アートと美術界を隔てていた壁も崩れつつある。そうなれば当然、それは将来的にはどうなるのかという疑問も生じるだろう。本書はそんな疑問の答えになるはずである。
「アウトサイダー・アート」という術語自体、どこからともなく現れたものではない。ロジャー・カーディナルがこの語を造って以来、三十年以上に亘ってそれはさまざまな点で熱狂と論争の的となって来た。彼は教育と文化から疎外されたラディカルな創造性という意味でこの語を造ったのだが、その概念自体は一九四〇年代後期にまで遡るものだ。当時、画家ジャン・デュビュッフェは「アール・ブリユツト」という概念を提唱していたーー過度に洗練された伝統的な文化の対極に位置する、直接的・無垢・生硬な(ブリエツトとは、「生」もしくは 「未加工」を意味する)芸術である。デュビュッフェの著述と戦後に開始された蒐集活動は、既存の美術界の誤った基準に対する真正面からの攻撃となった。
独自の攻撃的な文体を駆使して、デュビュッフェはファン・ゴッホのようなモダン・アートの偶像的な人物にすら論難の矢を浴びせた。公正を期すなら、彼の怒りに火を点けたのは、この偉大な画家のカルト的な崇拝者たちである。彼らはゴッホの作品が伝統から自由であることを誇張しすぎていたのだ。一方、デュビュッフェが惹かれたのはその対極――自らを芸術家と認識することすらない、無名で慎ましい人々の作品だった。その彼の蒐集品が今やローザンヌの立派な美術館に収められ、権威への挑戦として始まったものが今やその分野においてそれ自体の権威を獲得しているというのは、不可避の逆説なのだろう。
アール・ブリュットは、巷間に広まっているモダニズムの典型的な特徴を延長・強化したものと考えて良いーー伝統的な文化の影響を受けていない分野に、革新的で独創的な創造性を探究することである。
例えばチャイルド・アートやプリミティヴ・アート、あるいは精神病者の作品。子供はまだ教育を受けていない。部族社会の芸術家はヨーロッパ美術の伝統を知らない。それに狂人は、その狂気によって常識の枠組みを軽々と乗り越えている。このような人々による作品は体制的な文化の「外部」にある。ゆえに文明による洗練に覆い隠される以前の、根源的な創造的衝動が存在するという証拠であると考えられたのだ。未来派やダダイストもまた古い秩序を放逐し、より新鮮かつ溌刺たるものに置き換えようとした。だが、創造性の新たな形――ナイーヴ・アート、エキセントリック・アート、それに狂人のアートーーを最もシステマティックに推進したのはシュルレアリスムであり、アール・ブリュットもまたこの領域に参与している。(中略)
昨年の秋、滋賀県近江八幡市のボーダレス・アートミュージアム「NO―MA」を私は訪れた。そこで企画展を見たり、いろいろな資料を手にすることが出来た。NHKのTV「日曜美術館」から知ったアール・ブリュットの存在をより詳しく知るには格好な機会であった。
その後もアール・ブリュットに関心を抱きながら静岡県内でのその種の美術展を観てきた。「NHKハート展」と「境界線のないアート展」「宝石箱展」「静岡県障害者芸術祭」等だったが、多くの一般的な美術展以上に興味深いものを感じている。(aki)