2012年01月22日
弔うこと
2012年、新たな年がスタートして3週間が経ちました。
私自身にとって昨年は父が亡くなり、人を送ることの大変さを実感した一年でありました。
新年早々ではありますが、備忘録的な意味も含め、少しそのことを綴ってみようかと思います。
人が亡くなれば、まずお葬式のことを考えますよね。葬儀について、あらかじめ考えている方もいらっしゃるかとは思いますが、一般的には亡くなってからどうしようかと考えるのではないでしょうか。
実はここ数年、ご葬儀関係で使われるアクリル製品を作る機会が何回かあり、お葬式の形も少しずつ変化していることを感じていたましたが、自分がその境遇に置かれてしまった中、製品を納品させていただいた葬儀会社さんに相談をし、お任せいたしました。
木などの祭壇を使うのではなく、なるべく花を使って欲しいとの希望を出したところ、私共が製作したアクリル台が使われていました。パッと見たところではアクリルの存在感は分かりません。
ただ、だから影ができることが無くスッキリとしていたのかと、式の最中に気が付きました。
(ここまで仕事かよ、と親父の呟きが聞こえてきそうでしたが…)


父が亡くなった病院の霊安室でも、葬儀を執り行っても感じたのですが、
人が亡くなり、送るといったことへの考え方が少しずつ変化しているのではないかと。
昨年は、東日本大震災、原発事故など苦難の年となり、実に多くの尊い命が奪われました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
まだ行方不明者も多く、葬儀も満足に執り行うことができなかった方も多かったとお聞きしており、このようなブログを綴ることに呵責はありましたが、お許しを願えればと存じます。
私自身にとって昨年は父が亡くなり、人を送ることの大変さを実感した一年でありました。
新年早々ではありますが、備忘録的な意味も含め、少しそのことを綴ってみようかと思います。
人が亡くなれば、まずお葬式のことを考えますよね。葬儀について、あらかじめ考えている方もいらっしゃるかとは思いますが、一般的には亡くなってからどうしようかと考えるのではないでしょうか。
実はここ数年、ご葬儀関係で使われるアクリル製品を作る機会が何回かあり、お葬式の形も少しずつ変化していることを感じていたましたが、自分がその境遇に置かれてしまった中、製品を納品させていただいた葬儀会社さんに相談をし、お任せいたしました。
木などの祭壇を使うのではなく、なるべく花を使って欲しいとの希望を出したところ、私共が製作したアクリル台が使われていました。パッと見たところではアクリルの存在感は分かりません。
ただ、だから影ができることが無くスッキリとしていたのかと、式の最中に気が付きました。
(ここまで仕事かよ、と親父の呟きが聞こえてきそうでしたが…)


父が亡くなった病院の霊安室でも、葬儀を執り行っても感じたのですが、
人が亡くなり、送るといったことへの考え方が少しずつ変化しているのではないかと。
昨年は、東日本大震災、原発事故など苦難の年となり、実に多くの尊い命が奪われました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
まだ行方不明者も多く、葬儀も満足に執り行うことができなかった方も多かったとお聞きしており、このようなブログを綴ることに呵責はありましたが、お許しを願えればと存じます。
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20:59
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2011年09月03日
霊安室のイメージ
病院の霊安室といえば、1階奥にあって薄暗いイメージ。
かなり昔の話ですが、学生の頃、救急病院の宿直という変わったアルバイトをしていました。
宿直用の小部屋は霊安室の隣…
正直、薄気味悪くて事務所のソファーで寝ていた記憶があります。
しかし、父が亡くなった病院ではそのイメージが覆されました。
最上階にある、ガラス張りのオーシャンビュー(笑)
朝方だったので日差しが強く、窓ガラスは日よけで塞がれましたが、隙間から日が入り込んでちょっと幻想的な感じでした。
病院で最期を迎えられる方は大勢いるかと思いますが、単に亡骸を安置する場所ではなく、このような空間も必要なのだなと思いました。
たまたま、この病院の霊安室のことがある新聞記事に掲載されたとの話を友人から聞き、あえてこのようなことを書いてみようかなと。
余談ですが、アクリルが処々に使われていて、職業柄なのかついつい興味深く探ってしまいました…
かなり昔の話ですが、学生の頃、救急病院の宿直という変わったアルバイトをしていました。
宿直用の小部屋は霊安室の隣…
正直、薄気味悪くて事務所のソファーで寝ていた記憶があります。
しかし、父が亡くなった病院ではそのイメージが覆されました。
最上階にある、ガラス張りのオーシャンビュー(笑)
朝方だったので日差しが強く、窓ガラスは日よけで塞がれましたが、隙間から日が入り込んでちょっと幻想的な感じでした。
病院で最期を迎えられる方は大勢いるかと思いますが、単に亡骸を安置する場所ではなく、このような空間も必要なのだなと思いました。
たまたま、この病院の霊安室のことがある新聞記事に掲載されたとの話を友人から聞き、あえてこのようなことを書いてみようかなと。
余談ですが、アクリルが処々に使われていて、職業柄なのかついつい興味深く探ってしまいました…
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12:11
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2011年08月20日
父の遺したこと
私事ですが、8月4日に父が身罷りました。
昭和27年に彫刻機1台で仕事を始め、プラスチック加工や定規の製造を生業としていましたが、その技術の根本は工業(機械)彫刻でした。
それは憚りながら私も同じ…
ただ振り返ってみると、師匠であるはずの父から教わることは殆んどありませんでした。
言わば門前の小僧。技術は見て盗むものとまでは言われませんでしたが、手とり足とりなどということは一切なく、ただ、段取りと刃物の研磨をきちっとやれば誰でもできる仕事なのだと言われ続けてきました。実はこれが一番大変なことなんですけどね。
汎用機の時代が去り、ほとんどの設備がNC化された時代となっても、そのことだけは今も体に沁み込んでいます。
父の遺品を整理していたら、20年前から愛用していたワープロの中に、技能検定(工業彫刻)の指導書として作成した「工業彫刻技術指導書」のことについての文章が残っていました。30年ほど前に刊行されましたが、奇しくも今年の8月で工業彫刻の技能検定は終了することに…
一つの時代が終わったのかなと。

工業(機械)彫刻の汎用機を駆使してきたのは我々世代が最後かもしれません。アナログ的な技術ですが、大半の機械設備がNC化されデジタルの時代となった今でも、その技術はまだまだ必要なのではないかと考えています。
85年の生涯のうちの三分の二を彫刻と共に過ごした父へのせめてもの報いとして、今後この技術をどう伝えて行くか、これからの課題であり大きな宿題です。
昭和27年に彫刻機1台で仕事を始め、プラスチック加工や定規の製造を生業としていましたが、その技術の根本は工業(機械)彫刻でした。
それは憚りながら私も同じ…
ただ振り返ってみると、師匠であるはずの父から教わることは殆んどありませんでした。
言わば門前の小僧。技術は見て盗むものとまでは言われませんでしたが、手とり足とりなどということは一切なく、ただ、段取りと刃物の研磨をきちっとやれば誰でもできる仕事なのだと言われ続けてきました。実はこれが一番大変なことなんですけどね。
汎用機の時代が去り、ほとんどの設備がNC化された時代となっても、そのことだけは今も体に沁み込んでいます。
父の遺品を整理していたら、20年前から愛用していたワープロの中に、技能検定(工業彫刻)の指導書として作成した「工業彫刻技術指導書」のことについての文章が残っていました。30年ほど前に刊行されましたが、奇しくも今年の8月で工業彫刻の技能検定は終了することに…
一つの時代が終わったのかなと。

工業(機械)彫刻の汎用機を駆使してきたのは我々世代が最後かもしれません。アナログ的な技術ですが、大半の機械設備がNC化されデジタルの時代となった今でも、その技術はまだまだ必要なのではないかと考えています。
85年の生涯のうちの三分の二を彫刻と共に過ごした父へのせめてもの報いとして、今後この技術をどう伝えて行くか、これからの課題であり大きな宿題です。
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12:21
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2011年01月08日
駅伝
正月を迎えると、先代 林家三平の「和尚が二人で おしょうがツー」というネタを毎年のように思い出してしまう・・・そんな前振りはともかく、遅ればせながら
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
正月になると、ついつい見てしまう箱根駅伝。
ゴール前の熾烈なシード権争い。数秒差でしたね。
我が母校、頑張りました!
多分、OBの方たちのなかで、三十数年前のゴール直前で棄権となったあの時のことを思いだした方もいたのでは…
でも、9位でゴール。ヨカッタヨカッタ。
ちょっと幸先の良い新年のスタート…かな?
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
正月になると、ついつい見てしまう箱根駅伝。
ゴール前の熾烈なシード権争い。数秒差でしたね。
我が母校、頑張りました!
多分、OBの方たちのなかで、三十数年前のゴール直前で棄権となったあの時のことを思いだした方もいたのでは…
でも、9位でゴール。ヨカッタヨカッタ。
ちょっと幸先の良い新年のスタート…かな?
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21:17
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2010年12月25日
会社の名前が月に浮かび上がる…
弊社の販売サイト tomproducts.com をGoogleに広告を出していたのですが、その広告部門が10周年を迎えたとかで、動画が送られてきました。
まぁ、当事者以外の方が見られても面白いと感じて頂けるかは分かりませんが、こんなことができるんだと感心しました。
もし興味があって、お時間のある方はどうぞ。
http://www.youtube.com/adwords10?x=ad5a897b797b484c9f5b707230fe81dc
まぁ、当事者以外の方が見られても面白いと感じて頂けるかは分かりませんが、こんなことができるんだと感心しました。
もし興味があって、お時間のある方はどうぞ。
http://www.youtube.com/adwords10?x=ad5a897b797b484c9f5b707230fe81dc
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20:04
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2010年11月13日
柏崎刈羽原子力発電所
10日ほど前ですが、世田谷工業振興協会の一員として柏崎刈羽原子力発電所を見学してきました。
東京は晴天でしたが、関越トンネルを抜けると雨…真冬だったらきっと雪だったでしょうね。
田中角栄さんの生家の前などを通り柏崎へ。所々は曇っていたり、晴れていたりしましたが、柏崎は風雨強く、
日本海も荒波状態。
原発の外にある「サービスホール」という施設で映像や原子炉の模型などを見ながら説明を受け、後に
発電所敷地内に。以前は原子炉棟内も見学できたようですが、9.11のテロ以降、入れないとのこと。
なんだ、そうだったのか・・・。
当然、撮影も禁止。デジカメ持ってくるのを忘れたし、まぁいいか。
それにしても説明を担当していただいたお姉さん、素晴らしかったですね。
中越沖地震のときに火災が起きた所を見たいというちょっと意地悪な要望にも、当時首相だった安倍さんが
視察した場所にバスを止め、火災の原因とその後の対応・対策について見事なまでに説明。
おじさん達(オレもそうだが)から絶賛されていました(笑)
原発の建物は10階建位の高さだと思うのですが、土台を地下岩盤に設けるため、その2倍深く地下を掘って
いるそうです。その時に出た土砂で積み上げられた小高い丘は、展望台となって敷地を一望できるように
なっていました。東京ディズニーランドの5倍ほどの大きさで広大です。
そこに東京電力職員1000人と関連会社6000人の計7000人が居るとのこと、敷地内には信号機が
2か所ありました。確かに社用地内とはいえ、車の往来は近隣の一般道と変わらない感じです。
1〜4号機は柏崎市、5〜7号機は刈羽村に位置しているので、金額は分かりませんが税金などが双方の
市・村に入るのでしょうから、雇用も含めこの地域にとって一つの産業として根付いているように思いました。
活性化しているのかは分かりませんけどね。
しかしながら、原発の場合は人命のみならず環境をも破壊する危険性を常に孕んでいることは否定できません。
我々の仕事も含めどんな産業もそうですが、絶対に安全というものは無いわけですから。
そのような施設が東京や首都圏へ電力を供給するために遠く離れた電力供給域外に置かれ、少なくとも電気を
使用している我々よりは高い危険性の中で生活をされている方々に対して、何ができるのか。
ちょっと考えさせられました。
せめて地元に還元をと、日本酒をたくさん買ってたくさん飲みましたけど…これじゃダメか。。。
東京は晴天でしたが、関越トンネルを抜けると雨…真冬だったらきっと雪だったでしょうね。
田中角栄さんの生家の前などを通り柏崎へ。所々は曇っていたり、晴れていたりしましたが、柏崎は風雨強く、
日本海も荒波状態。
原発の外にある「サービスホール」という施設で映像や原子炉の模型などを見ながら説明を受け、後に
発電所敷地内に。以前は原子炉棟内も見学できたようですが、9.11のテロ以降、入れないとのこと。
なんだ、そうだったのか・・・。
当然、撮影も禁止。デジカメ持ってくるのを忘れたし、まぁいいか。
それにしても説明を担当していただいたお姉さん、素晴らしかったですね。
中越沖地震のときに火災が起きた所を見たいというちょっと意地悪な要望にも、当時首相だった安倍さんが
視察した場所にバスを止め、火災の原因とその後の対応・対策について見事なまでに説明。
おじさん達(オレもそうだが)から絶賛されていました(笑)
原発の建物は10階建位の高さだと思うのですが、土台を地下岩盤に設けるため、その2倍深く地下を掘って
いるそうです。その時に出た土砂で積み上げられた小高い丘は、展望台となって敷地を一望できるように
なっていました。東京ディズニーランドの5倍ほどの大きさで広大です。
そこに東京電力職員1000人と関連会社6000人の計7000人が居るとのこと、敷地内には信号機が
2か所ありました。確かに社用地内とはいえ、車の往来は近隣の一般道と変わらない感じです。
1〜4号機は柏崎市、5〜7号機は刈羽村に位置しているので、金額は分かりませんが税金などが双方の
市・村に入るのでしょうから、雇用も含めこの地域にとって一つの産業として根付いているように思いました。
活性化しているのかは分かりませんけどね。
しかしながら、原発の場合は人命のみならず環境をも破壊する危険性を常に孕んでいることは否定できません。
我々の仕事も含めどんな産業もそうですが、絶対に安全というものは無いわけですから。
そのような施設が東京や首都圏へ電力を供給するために遠く離れた電力供給域外に置かれ、少なくとも電気を
使用している我々よりは高い危険性の中で生活をされている方々に対して、何ができるのか。
ちょっと考えさせられました。
せめて地元に還元をと、日本酒をたくさん買ってたくさん飲みましたけど…これじゃダメか。。。
Posted by tomonari_plastic at
20:40
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2009年05月09日
昔の写真
私は滅多に夢を見ません…正確には、朝起きした瞬間に見た夢を忘れてしまう訳ですが、最近ずっと頭から離れない夢で見た風景がありました。
それは昔々の写真のはず。
考えてみたら自分の手元には子供の頃の写真が1枚も無く、ひょっとしたらと思って連休中に訪ねた親の家で探してみたところ、発見!
わざわざアップするほどのものではないのですが、ほとんど三丁目の夕日的な写真なので…

右側の子供が私です。年がバレますね(笑)
この頃に飼っていた「シロ」というベタな名前の雑種犬と、ウチの工場で働いていたお兄さんと散歩した帰りです。
このお兄さん(カッチャンと呼んでました)は私を可愛がってくれていたのですが、この1年後に急性白血病で亡くなってしまったという、ちょっと悲しい思い出も甦りました。
ちなみに、ほぼ同じ場所から撮った現在の風景です。

かつて書き留めておいたドイツの詩人シラーの言葉が頭を過ります。
時の歩みは三重である
未来はためらいつつ近づき
現在は矢のように速く飛び去り
過去は永久に静かに立っている
それは昔々の写真のはず。
考えてみたら自分の手元には子供の頃の写真が1枚も無く、ひょっとしたらと思って連休中に訪ねた親の家で探してみたところ、発見!
わざわざアップするほどのものではないのですが、ほとんど三丁目の夕日的な写真なので…

右側の子供が私です。年がバレますね(笑)
この頃に飼っていた「シロ」というベタな名前の雑種犬と、ウチの工場で働いていたお兄さんと散歩した帰りです。
このお兄さん(カッチャンと呼んでました)は私を可愛がってくれていたのですが、この1年後に急性白血病で亡くなってしまったという、ちょっと悲しい思い出も甦りました。
ちなみに、ほぼ同じ場所から撮った現在の風景です。

かつて書き留めておいたドイツの詩人シラーの言葉が頭を過ります。
時の歩みは三重である
未来はためらいつつ近づき
現在は矢のように速く飛び去り
過去は永久に静かに立っている
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19:11
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2009年04月12日
遊歩道・桜
弊社の前は「北沢川緑道」です。
約30年前に北沢川を暗渠化し、遊歩道として整備されました。
その際に植えた桜の木も樹齢約30年。美しく見事な花が咲き誇り、私たちの目を楽しませてくれます。
3月19日に開花宣言がでたので翌週末にお花見をしたのですが、開花直後の寒さのせいで、残念ながら1〜2分咲き程度でした。
そこで、せめて気分だけでも盛り上げようと、急ぎ製作したアクリル製の「お重」と「枡」。


余っていた透明アクリルで一合枡とお重を作って、ベタですが、ピンク板で桜の花の形を切り抜いたものを貼ってみました。
木製の枡より薄手なので飲みやすいと好評…
そのお陰で(?)用意した4.5ℓの日本酒はあっという間になくなってしまいましたが…
桜は先週、満開になったかと思ったら、あっという間に散り始めました。

これからはツツジが咲き、新緑も美しい季節となります。
遊歩道を流れる「せせらぎ」では、カルガモが卵をかえしヒナたちが泳ぎ回ります。
人工的に作られたものですが「自然」を楽しませてくれる遊歩道です。
約30年前に北沢川を暗渠化し、遊歩道として整備されました。
その際に植えた桜の木も樹齢約30年。美しく見事な花が咲き誇り、私たちの目を楽しませてくれます。
3月19日に開花宣言がでたので翌週末にお花見をしたのですが、開花直後の寒さのせいで、残念ながら1〜2分咲き程度でした。
そこで、せめて気分だけでも盛り上げようと、急ぎ製作したアクリル製の「お重」と「枡」。
余っていた透明アクリルで一合枡とお重を作って、ベタですが、ピンク板で桜の花の形を切り抜いたものを貼ってみました。
木製の枡より薄手なので飲みやすいと好評…
そのお陰で(?)用意した4.5ℓの日本酒はあっという間になくなってしまいましたが…
桜は先週、満開になったかと思ったら、あっという間に散り始めました。
これからはツツジが咲き、新緑も美しい季節となります。
遊歩道を流れる「せせらぎ」では、カルガモが卵をかえしヒナたちが泳ぎ回ります。
人工的に作られたものですが「自然」を楽しませてくれる遊歩道です。
Posted by tomonari_plastic at
20:36
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2009年01月12日
セルロイドのお針箱
年が明けても、伝えれてくるニュースは暗い話題ばかり・・・
製造業えお取り巻く環境も悪くなる一方で、なかなか明るい話題が見つかりません。
そんな事を考えていた時に、ふと目に留まったのがセルロイド製のお針箱。
昨年の春、京都で裁縫針を製造・販売しているお店から「昔懐かしいセルロイド製のお針箱を作りたい」と問合せがありました。
セルロイド!? 先代が昭和20年〜30年代に彫刻をしていたという話は聞いた事はあるけど、私は実際に扱ったことが無いし。ただ、思い当たるところがあったので、以前に彫刻の事でお世話になった下町の金型屋さんに問い合わせてみたところ、まだ作っている所がありました!
直接ご紹介をし、その後に製品化できる目途が立ったとのご連絡をいただいて数ヶ月、たまたま弊社の者が京都へ打合せに行く機会があったので是非立ち寄ってみてきて欲しいと頼んだら、出来てましたよー。
先方のご好意で1個いただいてきました。
アクリルでもない、塩ビでもない風合い。そして樟脳の匂い・・・懐かしい!

製造業えお取り巻く環境も悪くなる一方で、なかなか明るい話題が見つかりません。
そんな事を考えていた時に、ふと目に留まったのがセルロイド製のお針箱。
昨年の春、京都で裁縫針を製造・販売しているお店から「昔懐かしいセルロイド製のお針箱を作りたい」と問合せがありました。
セルロイド!? 先代が昭和20年〜30年代に彫刻をしていたという話は聞いた事はあるけど、私は実際に扱ったことが無いし。ただ、思い当たるところがあったので、以前に彫刻の事でお世話になった下町の金型屋さんに問い合わせてみたところ、まだ作っている所がありました!
直接ご紹介をし、その後に製品化できる目途が立ったとのご連絡をいただいて数ヶ月、たまたま弊社の者が京都へ打合せに行く機会があったので是非立ち寄ってみてきて欲しいと頼んだら、出来てましたよー。
先方のご好意で1個いただいてきました。
アクリルでもない、塩ビでもない風合い。そして樟脳の匂い・・・懐かしい!
Posted by tomonari_plastic at
14:02
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2008年09月28日
DAYS JAPAN
以前「東京町工場」で掲載された写真が「DAYS JAPAN」という雑誌(フォトジャーナリズム月刊誌)10月号に、再度掲載されました。
写真を撮ってくれた佐藤祐記くんは、この雑誌の表紙に書かれている「1枚の写真が国家を動かすこともある」という言葉を見て、報道写真家を目指そうと思ったそうです。
私の写真はともかくとして、とても良い雑誌だと思います。ご一読を。
写真を撮ってくれた佐藤祐記くんは、この雑誌の表紙に書かれている「1枚の写真が国家を動かすこともある」という言葉を見て、報道写真家を目指そうと思ったそうです。
私の写真はともかくとして、とても良い雑誌だと思います。ご一読を。
Posted by tomonari_plastic at
19:55
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