ともだちだよブログ

ともの生き方。価値観が書いてあります。タイトルの意味は「ともだちだよ」って聖書をつくった神さまが、みんなに言うてるからつけました。タイトルを見るたんびにそれを思い出して、「わたしって神さまに愛されてる」って思い出してもらえたらと思ってます。でも気が向いたらブログ名変えるかもしれん。そんな期間限定ブログです。

2015年04月

自分の思い通りにならなくたっていいじゃない








昔の僕に一言、今言ってあげるとしたら


「思い通りにならなくたっていいじゃない」


ってことです。


僕の10代は


思い通りにならなかったことがたくさんありました。


「あんなに祈ったのに。。。」


「ちゃんと奉仕したのに。。。」


「イエスさまのために良い事したのに。。。」


それなのに思い通りにならなかったことがたくさんありました。


例えば、


クラスマッチのバスケの試合。


僕は祈りながらたくさん個人練習しました。


優勝目指して本気でした。


だけど、結果は準優勝。


バスケはチームスポーツなので


個人の力では


勝てないときも多いけれど、


だからってチームメイト誰のせいにもしたくなかった。


なのでとりあえず、「神さまのせい」にしました。


だってほかに優勝できなかった理由が当時の僕にはわからなかったから。


しばらくずっとそのことを根に持っていて、


神さまもきっと「おい、まだ高校時代のクラスマッチの話かよ」


って思っていたと思います。


実は数年前まで


ずっと根に持っていました。


「祈っても思い通りにならなかったあのクラスマッチは何だったんだ」


って。


でも、今は違います。


神さまのせいにしたことを謝りました。


反対に、


今は感謝しています。


優勝できなかったことよりも、


準優勝できたことを。


バスケが出来たことを。


思い出が出来たことを。


優勝して、高慢にならなかったことを。


優勝したい理由の1つは、かっこつけたかったってのもあるんです。


今、思うと「若いな」


くらいにしか思いません。








こんなことを書くと、


驚かれるかもしれませんが、


牧師の子どもとして


生まれたことを


10代の頃は嫌で嫌で仕方が無くて


自分の体験や友達の話を聞いてまとめた


「牧師の子どもは傷ついている」


という記事など


このブログの代表的なことを以前は書いていましたが、


今は、


牧師の子どもとしての苦みを


忘れ始めています。


乗り越えちゃったから、平気になってきてしまいました。


だから、時々


牧師の子どもと話さないと


当時の僕がどんなことを考えていたか


忘れてしまうという心配をしています。






これは希望でもあるんですよね。


牧師の子どもの傷って正しく話し聞いてもらって、祈ってもらって


わかってもらえたり、受け止めてもらえれると


将来乗り越えて、癒されて


もう思い出せなくなってしまうようです。


僕も傷をいつまでも覚えていたいとも思ってなかったので


忘れかけていること自体はうれしいんですけどね。


ただ、僕の場合、死ぬまで牧師の子どもの話を聞いてあげたいし、


共感したいから


感覚だけでも忘れないでいたいですね。






とにかく、


牧師の子どもとして生まれて


そのことをバカにされたり、


仲間はずれにされたり、


日曜日友達と遊べないとか


そういう思い通りにならない、


できれば変えたい状況って


ありましたけど、


それでもいいんじゃん。


って今は思います。


今だから思えます。



その理由は、


地上の人生って「あっという間で」


でも天国の生活は「最高に楽しく永遠だから」です。






10代の頃は一度きりの人生だし、


全部思い通りにしたいって思っていました。


結果から何かを学ぶより


「自分が心地よいことをしたい」


と思っていました。


結局、自分だけの幸せを


わがままに自己中心に求めていただけなんですね。


でも、それをするための人生じゃないって


最近学んだから


もう自分の欲を中心にする人生をやめたいと思ってます。







あのクラスマッチの敗戦に


一体何の意味があったかは


はっきりとは今もわかりません。


ただ僕らが弱かっただけかもしれません。


しかし、


今振り返って思うのは


「人生は思い通りにならないこともある」


ということをあの体験から学べるということです。


勝ちたくても勝てないときもあるし、


祈っても祈った通りにならないことをあると思います。


だから


イエスさまのせい、神さまのせいでもないし、


それを一生、根にもって生活するなんて


時間の無駄っていうか


脳みそのスペースの無駄遣いだと思います。


ショックを受けたり、落ち込んだりすること自体は


悪いことではないですが、


いつまでもそれにとらわれて


「あっという間の」地上の生活を


棒に振ってしまうのはよくないと思います。





自分の思い通りにならないこともあるけれど、


神さまの思い通りになれば僕は満足だし、


地上で少々喜べないことがあっても


天国では全部喜べるんだし、


思い通りにならないことから学ぶってことは


地上でしか出来ない貴重な体験だし、


何より、イエスさまは


僕たちが「祈ったこと」を決して忘れない方だと思うので


祈ることも無駄ではないと思います。









天国が楽しみですね、


楽しみは後にとって置こうと思います。






おわり











かみのおかげっ子新聞3月号が焼き立てです。









こんにちは。


かみおか新聞3月号が焼き立てとなりましたので


ご報告致します。


ダウンロードは「ここ」


ブタのバナーをクリックするとページに行けます。





大船渡は桜がほぼ満開となってきました。


厳しい厳しい冬が終わり、やっと春が来ました。


岩手に来て、


春のうれしさの実感がものすごいです。


冬が寒ければ寒いほど


春がうれしいんだと思います。


僕は寒いのが苦手なので


あったかくなるのが本当にうれしいです。




でもあったかいことの素晴らしさを


わからせてくれるのが、


寒い冬なんで


なんだか痛し痒しですね。



さて今回のかみおか新聞はいつもより写真を多めにしています。


このブログからかみおか新聞読んでいる人も何人いるかわかりませんが、


祈りサポートし支えてくださっている方がいて


僕の活動はやっていけています。


本当に感謝です。


イエスさまに感謝です。




そんな気持ちをレポートにまとめました。


どうぞ親戚そろってお読みください。








おわり










結婚について書こう。何度でも












最近、更新頻度多いなって思ったのは


僕だけではないはず!


そこのあなた!


更新頻度多いなって、


どうしたのかなって


思ったでしょ!


隠さなくてもいいですよ、あなたが誰かは僕は知りません。




更新頻度が多くなった


理由は特にないです。


気まぐれです。


誰にも強制されることなく、


書きたいときに書く。


ブログっていいですよね。


記事を書こうが書かまいが、


世界は何も変わりません。


地球は今日も回っています。


ただ書くと変わるのは、僕自身です。








ということで今日のテーマは


「結婚せずに死んだら、どう思うか」


ということです。





現在、僕は25歳です。


結婚について焦っているわけでもなく、


周りから脅されたりもしていません。


このブログと同じです。


強制されていません。


ただ祈っていただくことは多いです。


周りの皆さんが、段々と


ともにふさわしい助け手が与えられたらいいなと


思ってくださってることが、ただただうれしいです。感謝です。


僕が結婚を意識し始めてたのは12歳ぐらいでした。


ど早いですけど、


これには理由があるのです。


当時の僕は


人生のゴールは、「結婚」だと思っていました。


結婚が全てであり、終わりなのです。


結婚生活ってのは具体的には考えなかったですけど、


結婚はしたいと思っていたので、


結婚するためには


今からできることは何か


と考えて、出した答えは


「今のうちに付き合わない」ということでした。


小学生や中学生の頃から


自称「彼女」をお持ちの方が当時から周りにいましたけど、


僕はそんなうちから付き合っても


結婚なんてできるはずがないって


個人的に考えていました。(結局そういう人も全員別れました。時にそれは、ものすごい悲惨な別れ方で、互いに傷を負ってしまうものでした。)







当時の僕は人生のゴールは結婚だと思っていましたが、


今の僕はそう思っていません。


たとえ明日世界が終わるとしても


「通行人と結婚式を挙げる」


という力技をすることはありません。


周りにいる大切な人と時間を過ごすんだと思います。


「結婚したいのか、したくないのか」


と聞かれたら、そらしてみたいですけど、


別にしなくて死んでも大丈夫です。


もし神に従うか、


それとも


神に従うのやめて結婚するか。


という選択肢があったら、


そこまでして結婚したくないです。


神に従わない人生なんて


考えられへん!


そんなことまでして結婚して


幸せになるとか、うまく結婚生活続ける自信なんて


あらへん!






ってこんなこと書いたら


「うわぁ、すごい!すばらしいですね!」


とか言われることもあるんですけど、


別に素晴らしくもないです。


大切なことのために


結婚を選ばないなんて


歴史的に見ても


日本人の若者も選んできたことです。


結婚、結婚、結婚、けっこん、ケッコン、血痕。。。。


って


何でもそうですけど、何かに縛られて生きるのではなくて、


自由に神に従って生きたいです。






大事なことは、


前回の記事にも書きましたけど、


「神さまから与えられた人生の役割を忠実に果たすことです。」


そのプロセスの中で


結婚する必要があるなら、したらいいと思います。


なので、結婚をする前に


考えたいのは、自分の人生の目的・役割です。


それが人生の最優先事項ではないでしょうか。


結婚したって、離婚することもあります。


結婚したって、人生の目的見失うこともあります。


結婚して、神様に従うことをやめる人もいるんです。





そして、皆さん、「人生はこんなもんか」って思ってます。


そんなもんじゃないんです!


人生は80年で、死んだら終わりではありません。


死んでからが本番です。


地上の人生は、


試着室みたいなもんです。


大事なのは、服を買って着てからです。





結婚にとらわれて、大事なものを見失わないでください。


80年の人生が全てだと思わないでください。





結婚というものは、魅力的なものであることは確かです。


世界のはじまった6日後ぐらいから、


今まで、結婚が無くなることはありませんでした。


そんぐらい大事だから、今日まで残っているだと思うですが、


そんぐらい大事だからこそ、失敗っていうか


利用されて足下すくわれる可能性が高いです。






イエスさまが悪魔の誘惑を3つ受けられましたが、


どれも


ものすんごいレベル高い誘惑でした。


悪魔はチョー大切なものを利用する作戦みたいです。





このアリを食べたいなら、悪魔を礼拝しろ


とか、


鼻くそ投げて、ダーツの的のど真ん中に付けたいなら


悪魔を礼拝しろとか、


「いや、別にいいです」


っていう微妙なことでは誘惑しないんです。


「あ、ほしい!ほしいよ!」


ってなりそうなラインを選んでやってくるんです。


時に、その人の一番大事なものを利用して


落ち込ませようとするんです。


結婚は魅力的なので


これを使って世界に大混乱を起こそうとしているのが


悪魔の手口だと思っています。





でも、もう一度書きますが、


結婚は確かに素晴らしいものですが、


それが全てではありません。




テレビやドラマでは恋愛を推進しています。


恋人つくろうぜ!


あなたの恋人よ、わたしたちわ!


みたいなメッセージで溢れています。


一つは、魅力的なので利用しやすいってことと、


背後には金が動くからだと個人的には思います。


でも、別れない恋愛だとか、


離婚しない結婚だとか、


目的を知ったもの同士の結婚だとか、


感情的な部分をのぞいた恋愛だとか


そんな話はテレビや雑誌にとっては


どうだっていいです。(もちろんメディアが全部がそうだと言い切れませんが。)


お金が入ればいいです。


内容の質はあんまり気にしないんです。


僕はバラエティとかドラマ見てたら、そう思います。







10代は恋愛に混乱していると思います。


恋愛について、例えばこういう考え方①があると


学んでも


比較する考え方②にとか、③を知るチャンスが圧倒的に少ないと思います。


テレビの言う恋愛と聖書の言う恋愛、


両方わかるようなチャンスが必要です。


教会ですら、


そこについて語れないときがあります。


なので、


人生に似てますけど


後にある素晴らしい祝福よりも


目の前にある偽物や一瞬の幸せを手にしてしまうことが


よくあります。


僕もそうでした。


僕も、恋愛について混乱していました。


何が本当で


何が正しいのかわかりませんでした。


友達も、ただ欲に身をまかせたり、


本能で生きるって感じの人もいました。


「好きだから、いいんじゃないか?」


って、好きだからって何でもいいわけではないんです。


前に友人がこんなことを話してくれたのを思い出します。


「結婚はいつでもできるけど、


良い結婚は考えないとできない」


と。



僕は、結婚するなら


まぁがんばっている結婚生活とかでは足りません。


神さまが微笑んでくれるような、


鳩が降りかけるレベルのものを目指したいです。


中途半端でテキトーな結婚なんて


しないほうがマシだと思ってます。


そんなの相手と神さまに失礼です。


素晴らしいと思っていたものが


素晴らしくなかった時の悲惨さは、


素晴らしくないと思っていたものが素晴らしくない時よりもヒドいのです。





神さまは、神さまで一番素晴らしい存在です。


結婚は神さまではありませんので、


神さまよりも重要なものではないというのが


今日のお話でした。


結婚したい人は、意識的に良い結婚を目指しましょう。


結婚したくない人は、周りの結婚を心から励まして、応援してください。


良い結婚は2人だけでするものではありません。


良い結婚には、必ず良い応援団がいると思います。



おわり














では天国について話しませんか?








最近、人生についてよく考えています。


高校時代も


「何のために生きるのか」


ってたくさん考えて、


ネットで偉人たちの名言とか格言とか


読みあさって、読みすぎてだいぶ覚えてたんですけど、


高校時代と、今の違い。


今も高校時代も同じように人生について考えますけど


今は、名言格言には頼らず、


聖書を読んで考えています。






そして一つ、神さまから


「永遠の天国」


について教えてもらったので、


シェアします。


皆さんは


今、何年生きましたか?


僕は25年です。


ある人は16年、


ある人は、30年、50年、80年ですよね。


長くても120歳ぐらいでしょうか。


だけど、


永遠を体験した人ってどれくらいいますか?


永遠とは50年ですか?


80年ですか?


120年ですか?


500年より長いですか?


1000年より長いですか?


1億年よりも長いですか?


1000億年よりも長いですか?





答えは、永遠は5000億年の5000倍よりも長いです。





僕は小さな頃から、


「イエスさまをしんじたら、しんでもてんごくにいける」


と教えてもらってきましたが、


天国で一体どれくらい過ごすのか


教えてもらえませんでした。


なぜならば、永遠について説明することは


ものすごく難しく


6年、7年生きた子どもにとっては


想像もできないからです。


僕は天国で過ごすのは、だいたい300年くらいに思っていました。


7年しか生きていない子どもにとっては300年も永遠に感じるのです。


ですが、


25歳になり、永遠が300年以上だとわかってきました。





では、前述した通り、5000億年の5000倍以上の天国での生活から見て、


今の僕らが過ごす、地上での例えば80年というものは、


一体何なのでしょうか?


永遠を24時間だと考えても


永遠の中の80年は


もしかしたら0.01秒くらいかもしれません。(実際はもっと短いでしょうが)


では、その80年間の間の一日に


小さなことで悩んでいる数時間は


永遠を24時間だとしたら


0.000001秒くらいでしょうか。


僕たちは注意していないと、


約束されている永遠を忘れて


0.000001秒くらいのことで


永遠を台無しにすることだって出来るのです。




「今日10秒だけ、3DSで遊んでいいけど、もしそれを我慢したら


明日はディズニーランドに連れて行ってあげる」


と言われて、


僕たちはついつい目先の10秒だけの幸せにとらわれて


もっと大きなことを棒に降ってしまう可能性があります。


賢い子どもは、10秒を我慢しますよね。


僕もそんな人生を歩みたいんです。


ましてや、天国なんて


ディズニーランドの何億倍もいいもんだし。






実はこんなダサいことを考えていたんだという話をします。


僕は3年半前に、岩手に引っ越して宣教や支援活動を始めたんですけど、


当時から


岩手で生きることも自分のやりたいことだったけど、


もし体がもう1つあったら


大好きな沖縄でのんびり過ごしたいと考えていました。


アホですよね。


なぜ沖縄かというと、


来たばっかりの岩手に比べたら


沖縄は友達はたくさんいるし、


海は綺麗だし、


暖かいし。


僕にとって天国みたいな場所だったからです。


だけど、


今は体が2つあっても


両方岩手で生きたいと思っています。


理由は、今日のテーマである


「僕たちには永遠の本物の天国が約束されているから」


です。


沖縄は僕にとって”天国みたい”な場所ですが、


実際は天国ではありません。


人がいたら普通なことですが、


悩むことや嫌なことだって必ずあります。


2年住んでいると、「南の島の楽園」以外の


沖縄の側面も見てきました。


偽の天国をわざわざ今体験しなくても


後に、それ以上の本物の天国が待っているんです。




さっきの3DSの話に戻りますが、


僕がもし


自分の人生80年で


天国を体験したくて


自己中心に生きて、


自分の欲に忠実に生きたとしても


それ以上の本物の天国が


80年後に待っていたら


天国に行った後


後悔するかもしれません。


「どうして地上でしかできなかったことをやらなかったのか」






って。


天国は素晴らしいところで、


喜びや笑顔にあふれているところです。


そこには苦しみや悲しみはありません。


天国でもし隣の人に


「ちょっと苦しみってなんだったか忘れたから


体験させてほしい。俺を殴ってくれ」


と言っても


「いや、すまんが、それはできない」


と断られてしまいます。


悲しみと向き合ったり、


苦しみを乗り越えることは


実は地上でしか出来ない体験なのです。




僕たちは、永遠の天国をちゃんと意識しなければ


時に


「いかに80年間自分の幸せを追求するか」


で終わって


誰かの役に立ったり、貢献したり、


永遠に残る見えない遺産を残すことをしないのです。


気をつけないと


80年間という


本当は


桜の花びらが地に落ちるよりも短い一瞬を


天国に持っていけないもののために


使ってしまうのです。




80年というのは


ただ悩んで過ごすには


あまりにもったいない。


僕は、多少苦しかろうが


ツラかろうが


神さまに与えられた役割を


楽しみながら、


果たしたいのです。


そのための人生なのです。


ただ目的をもたずに好き勝手過ごすのが


本当の幸せじゃないです。


カップヌードルを一番おいしく食べたかったら


適当にお湯を入れるんではなくて、


ちゃんと考えて


製造元の日清が言ってることをよく聞いてお湯そそぐんです。


僕たちは神さまに創造されたものとして


ただ適当に過ごすんじゃなくて、


製造元の神さまの話をよく聞いて生きるんです。





この地上の人生で


永遠に天国で過ごすか、地獄で過ごすか決まるって


すごい方法だと思いますが、


そういう風にできているようです。


そう考えると


悩んで自殺するって本当やめたほうがいいです。


地上が苦しいからって


死んでしまって


その次の世界で


地上の何億倍も苦しい人生過ごすって


考えたら


恐ろしいですよね。


いやマジ自殺やめたほうがいいです。


「死んだら楽だ」って、死んだことない人の言葉ですもんね。


実際、自殺した人が「死んだほうがつらかった」って


言ってるかもしれないなんて


誰も考えないですもんね。







イエスさまは聖書の中で


死すら乗り越えました。


それによって、死は恐怖ではなく


最高の場所への入場ゲートになったのです。


それをいつくぐるかなんて


自分で決める必要はありません。


いつくぐるかではなく、


「どんな気持ちでくぐる」かです。


後悔ばっかりして


「ああ、自分のためだけに生きた、今思うとむなしい70年でした」


なんて考えながらくぐるんではなく、


「目的を走り抜いた!イエスさまから言われたこと守り抜きました。互いに愛し合うことを実践しました」


って上を向いてくぐりたいですね。


今からでも遅くないです。


悩む時間をちょっとずつ減らし、


目的に生きる時間を少しづつ


増やしていきましょう。


そして、天国でお会いした時に


地上での思い出話を語り合いましょう!




おわり


主よ、「やる意味の無いこと」の意味を教えてください。。。









テストがでぇきれぇい(大嫌い)でした!


ほんと、嫌い。


テスト前日、月を見て泣いてたし。(あたしゃ、かぐや姫か!!)


やる意味がまったくわからなかった。


勉強は好きってか、わからないことが


わかるようになるっていうのも好きだったけど


私の行っていた高校の


「大学受験ありき」のテスト勉強とか、


授業のスタイルが本当に嫌でした。


きっと、大学受験で上を目指していた一部の生徒にとっては


よかったかもしれませんけど、


私はその一部でもなかったし、


テストが終わったら全部忘れるほどの知識を2〜3日で頭に詰め込む作業が


本当にツラかったです。


脱・詰め込み教育!!


あと、「ゆとり、ゆとり」って先生たちから悪口言われるのも


嫌でした。ゆとりかどうかなんて人生初めましての学生たちにとっちゃ


何にも比較もできないから、うれしくも何とも実感ないし。





「人に会う、話す、一緒に出かける」


とかはとても好きだったけど、


机に向かって、苦手なことをする時間が苦痛で、苦痛で。。。





実は、今も苦痛です。


そして、今まさに!


そんな感じの事務作業をやってます。


朝起きたくないし、


起きても手をつけたくないんだけど、


やるっきゃないので、やってます。


そんで、


あんまりにツラいから、


神さまに祈りました。


「神さま、今やってる作業に一体何の意味があるのかわかりません。


どうか、意味を教えてください。。。」



て。


そしたら、


トイレに行ってる時に


神さまの声が聞こえたんです。


「意味はある」


と。


あー、感謝です。意味が何なのかわからなくても


とりあえず意味があるなら、がんばれます!


トイレで声かけられるなんて、


トイレの神さまかと思ったけど、


唯一の神さまですね、わかります。





実は同じようなことが


大学時代にありました。


私の大学で


学生会長の選挙の時期があったんですけど、


そのころ私の心の中に


「学生会長に立候補しなさい」


みたいな声が聞こえたんです。


でも、私は生徒会とかもやったことないし、


学級委員とかも小学生の頃一回くらいやっただけだし、


そういうの自分に向いてないのはわかってました。


でも、神さまが


「ともの将来に役に立つ」と教えてくれたのです。


まぁ実際、学生会長の経験は死ぬほど大変で


だいぶツラい経験もしたんですけど、


たくさん学ぶこともあって


実際、その時の経験で


学祭の運営とか


今の岩手で


すごい


役に






てます!!!!





anyway!


神さまは約束を必ず守ってくれると


信じているので、


信頼がめっちゃあります。


だから、苦手なことでも


苦痛なことでも


一見意味ないように


見えることですら、


神さまが「意味あるよ」


「将来役に立つよ」


と言うなら


ヤル気が出るんですね。


ぜひヤル気が出ないときに、


祈って聞いてみてください。


神さまは意味を教えてくれるはずですから。



おわり















最新コメント
記事検索
プロフィール

とも

QRコード
QRコード