2013年01月30日

昨年12月18日に、それまで日本将棋連盟の会長を務めていた米長邦雄氏が亡くなられたことにより、新しい会長に谷川浩司九段が就任されました。
谷川新会長は羽生3冠が現れるまでの将棋界の大スターであり、その柔らかい謙虚な人柄も評価されています。
今回は、そんな谷川新会長の人物を理解していただきたく、そのエピソードを列挙させていただきます。(谷川浩司 – Wikipedia より参照 )
●谷川新会長(以下:「谷川九段」)が5歳の時、兄弟ケンカを抑えるため、将棋を購入。
→ますますケンカがひどくなる始末
●谷川九段は4人しかいない「中学生でのプロ棋士」のひとり。
→他には加藤一二三九段(何段だよwww)、羽生3冠、渡辺竜王のみ
●もっとも権威のある「名人戦」において21歳という史上最年少名人の記録を持つ
→名人戦はC級2組→C級1組→B級2組→B級1組→A級(A級の成績1位が名人に挑戦)と各クラスを1年間に1つしか昇級できないため、21歳での記録達成は今後破られることのない記録とされている。
●史上最年少名人になった時のインタビューで「1年間、名人位を預からせていただきます」とコメントした。
→翌年初防衛を達成した時には「これで弱い名人から、並みの名人になれたと思います」とコメント。
●2勝2敗で勝てばタイトル防衛という一局で、それが長期戦となった際、終盤のどが渇いて苦しんでいる相手に自らのお茶を差し出した
→相手に勝ちになる妙手を発見され敗北、失冠。
●1995年には、7つの将棋タイトルのうち6つを持ち、7タイトル独占を目指する羽生の挑戦を受けるも、その最中に阪神大震災が起き被災
→しかし4勝3敗の大熱戦でタイトル防衛。羽生の全タイトル制覇を防ぐ
→翌年またまた羽生がすべてのタイトルを防衛し、再挑戦者に
→0勝4敗のストレート負け。多くのマスコミが駆けつける中「ファンの方にも羽生さんにも申し訳ない」とコメント。
●98年の名人戦では先手の時に同じ戦法で3勝したが、最終戦にその戦法を変え、敗北
→新名人を誕生させてしまう
●羽生から名人、竜王という2大タイトルを取り返すも、翌年に敗れ無冠に
→「前竜王・前名人」を名乗ることができたが、谷川九段の意向によりこれを断る
(※格式を重んじる将棋界では、現役中に「永世名人」とか「永世○○」などと大棋士に対して肩書をつけることがあります。しかし谷川九段が断ったことで、この古き悪しき伝統をなくせたのではないかと思っています)
●名人時代、あるタイトル戦で加藤前名人が上座に座っているのに驚いたものの、やがて下座に座る
→頭を冷やすため、初手に10分掛け指すも、勝利する
(※将棋界ではタイトル保持者や上段者、実績上位者が上座に座ります。特にタイトルの有無は上・下座を明確にしやすいため、そのタイトル戦では加藤九段が上位者であったものの、微妙な行為だったと思われます)
●2009年度の「JT日本シリーズ」というタイトル戦で、渡辺竜王の近親者が当時流行していた新型インフルエンザに感染したことにより、繰り上げ出場するも優勝
→「本来出場できる立場ではなかった」とコメントし、小学生への普及を目的に東京都に2,000セット、大阪府に1,000セットの将棋盤と駒を寄付
●「高速の寄せ」というキャッチフレーズがあるように、終盤のスピード化に最も貢献した棋士とされる
→近年では「光速の寄せなくなっちゃったんで」と本人がコメント
どうでしょう、この心温まるエピソードの数々。
谷川九段の実家は浄土真宗のお寺ということで、その育ちの良さも人柄に表れているのかもしれません。
「勝負」よりも「棋士」として、その道を進んだ谷川新会長の今後のご活躍に期待したいです。
特に前米長会長とは真逆のようなタイプなので、大変なことも多いでしょうが、透明で棋風のようにまっすぐな運営をお願いいたします。

