2005年10月29日

連続ブログドラマ「葵羽」骨髄移植推進キャンペーン 目次

■連続ブログドラマ「葵羽(あおば)」


2002年、骨髄バンクにドナー登録していたKomatsu氏は、骨髄提供の適合通知を受ける。と、同時に、妻の懐妊も知る。ところが、胎児には重大な障害があることが判明。2003年の夏は、Komatsu氏は骨髄提供、妻は帝王切開、新生児は誕生間もなく手術と一家は危機的な状態に。提供を待っている患者は?妻は?胎児は?

一家3人が手術を受け、2人の命が救われた涙のノンフィクションドラマ


第一話
第二話
第三話
第四話
第五話
第六話
第七話
第八話
第九話
第十話
第十一話
第十二話
第十三話

■解説
この連続ドラマについて

■骨髄移植コラム
元気で健康なドナーを探しています
家族の同意は必要か
躍進するHLAマッチング技術
ドナー登録促進活動
献血で救える
20分でドナー登録
迅速コーディネート
無菌室とお見舞い
グリベック
骨髄ドナー特別休暇制度
さい帯血移植
寄付と税制優遇

■キャンペーンのきっかけになった泣けるショートフィクション
「交換日記」
  
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2005年07月14日

北海道新聞の記事

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2005年07月07日

連続ブログドラマ「葵羽(あおば)」 第十三話 最終回

 2003年7月13日、妻の退院の日だ。もう、妻はすっかり良くなっていた。ただ、産後間もない状態なのは間違いない。これからは妻をいたわりながら、妻と2人で葵羽の応援だ。NICUに行くとニット帽が取れていた。強制的に酸素を送らなくても全身に酸素が行き渡っているので取れたと説明を受けた。

 妻が退院してからは、2人で毎日面会に通った。平日は19時までの面会時間に何とか間に合わせ、帰りは外食する事もしばしばだった。週末は13時〜15時と17時〜19時の面会時間をほとんどフルに使っていた。

 面会していると、私のように毎日来ているお父さんが少ないことに気がついた。仕事で大変なのもあるだろう。家が遠いのかもしれない。もしかしたら、我が子の痛々しい姿を見るのが辛いのかも。しかし、助産師さん達に一歳の誕生日を祝ってもらっている他の赤ちゃんのことを考えると、こんな生活を一年も続けることはきっと出来ないだろう。葵羽はそこまで入院が長引かないとは思うが、行ける限りはなるべく行ってやりたい。

 15日、抗生物質が必要なくなった。これで点滴の機器がまたひとつ減った。両手や両足にはまだまだ、いろいろな管が付いているがそれでも一歩前進である。葵羽の状態は胸水が出ている事を除いては順調だ。少しぼーっとしている感もするがNICUにいて24時間明るいのだからしょうがない。

 20日、この日から葵羽の絶食が始まった。目的は胸水が止まるかもしれないから。しかし、既に哺乳瓶や管からミルクを貰うことを知っている葵羽にはつらい。泣きわめいている。いくら治療のためと分かっていても、あんなに泣きわめく葵羽を見ると心が痛む。全身全霊でお腹がすいたことをアピールする。「つらいだろうが耐えてくれ」私は自分に言い聞かせるように葵羽に言った。

 何も出来ない妻もつらそうだった。不意に助産師さんから「お母さん、葵羽くんを抱いてみます?」妻は「いいんですか?」「ええ、どうぞ」妻が初めて葵羽を抱いた。まだ管や線がたくさんついていたが、それを助産師さんに押えてもらいながら葵羽を抱いた。葵羽が泣き止んだ。妻の顔を見た。とても嬉しそうだった。そしてそんな姿を見るとまたまた涙が出そうになった。

 23日、絶食が終わった。この4日間、葵羽は狂ったように泣きわめいていた。妻が抱いたりしている時はまだ良い。妻が搾乳のためにいなくなった時に泣き出すと私は葵羽の半身を起こし、背中をトントンして上げることしか出来ない。もちろん、そんな事では泣き止まない。自分の無力さを感じる。

 胸水が出ている事以外は本当に順調だった。毎日病院に通った。週末は面会時間をほぼ病院で過ごした。産後の妻は大変だったはずだ。しかし、つらいなんて一言も言わない。妻は病院で葵羽の面倒を見る他に搾乳といって、自分の手で母乳を取っていた。いつか元気になる葵羽に飲んでもらうために。今の状態ではダメだがいつか来るその時を信じて。

 胸水はいっこうに止まらない。もしかしたらこのまま止まらないのでは、と思えた。妻には「やまない雨はないから、いつか止まる」と強がっていたが、内心は心配で心配でしょうがなかった。先生も「普通ならそろそろ止まっていい頃なんだがな」と言う。

 葵羽の体重がいっこうに増えない。いや、逆に減ってきている。胸水で栄養が抜けているからだ。普通の赤ちゃんのようにむっちりした感じはなく、腕なんてガリガリになってきている。それでも、妻が哺乳瓶でミルクを上げると美味しそうに飲む。この時に飲んでいるミルクは高カロリーのやつだ。まだ、妻の母乳は先の話だ。

 葵羽はどんどん元気になるが胸水を抜く管はついているし、点滴もついている。絶食の時ほどではないが、自由にならない体にいらいらして泣きわめく。私や妻が出来る事は、あやしてあげる事だけだ。NICUに行く度に葵羽をあやす日が続いた。この頃は泣き始めたら一切ミルクを飲まない、手が付けられない赤ちゃんになっていた。後に聞いた話では、助産師さんの間でも評判の手が付けられない赤ちゃんトップ3に入っていたそうだ。

 8月5日、ひょんなことから左わき腹から入れている管を抜き差しすることになった。これが良かった。なんと胸水が減り始めたのである。減り始めると早いもので数日でほぼ止まった。なんだったのだろう。胸水が止まるのに約1ヶ月かかった。

 数日後には管が全て抜けた。後は心電図などのセンサーだけだ。初めてお風呂に入れた。重い。いや、体重は生まれた時とほぼ変わらないので軽いのだが重い。命とはこんなに重いものなのか。またまた、涙が出てきた。そしてやっと退院の日が決まった。

 8月30日、とっても晴れた日だった。自宅で妻とベビーベッドを掃除してから病院に向った。「やっとこの日が来たな」と妻に言うと「ええ、長かったね。今日からは3人での生活、少し心配だけど嬉しさの方が多いよ」妻の気持ちがよく分かる。NICUに入り、いつもの服装をつけ、手を消毒した。何度もした行為だが、これも今日で最後だ。

 退院用に買ってあった葵羽の服を持ち込み、葵羽のところに行くと葵羽は笑っていた。胸水が止まった頃から笑うようになっていた。服を着せ、医師、助産師さんに挨拶をした。「あおばは人気者だったのよ。」助産師の一人が言った。「わがままで手が付けられなくて、泣き声もうるさかったけどね」笑いながらそう話してくれた。みんなで写真を撮った。

 帰る間際になって同病のお母さんと会った。葵羽を見せて言った。
「うちの子も同じ先天性横隔膜ヘルニアだけど、今日、退院出来るようになったのよ。生まれる前から安静にしなければいけなかったし、大変だったけど、生まれてからも心配が絶えなかった。だけど、今はこんなに元気。どうかあなたもがんばってね。」

 妻はそのお母さんに葵羽を抱かせながら励ました。

 -- 終わり--


監修: (財)骨髄移植推進財団
ドナーズネット  
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2005年07月06日

寄付と税制優遇

 骨髄バンクの15年度の予算は14億円弱でした。その内、国からの補助金は4億4000万円、企業や個人からの寄付は1億6500万円で、残りの大部分は患者さんらからの負担金です。

 この資金で、735件の骨髄移植をコーディネートしました。実際には1万5000件以上のHLA適合候補者の絞りこみを行うために、骨髄バンクのコーディネート部で膨大な作業を行っています。

また、骨髄バンクでは、昨年、2万4000人にのぼるドナー登録者を集めました。

14億円のお金でこれだけやっているのです。国の補助金は国民1人当たり4円弱。個人と企業からの寄付は1円ちょっと。実は、全然足りていないのです。実際に、骨髄バンクは2001年度に赤字を出しており、基本財産の取り崩しを余儀なくされました。こんなに重要な社会貢献をやっているのに、この予算ではあまりにも厳しすぎます。

皆さん、骨髄バンクに寄付をしてください。

寄付の方法(簡単です。オンラインでもできます。)
http://www.jmdp.or.jp/reg/help_us/how_to.html

 インセンティブはあります。

 読者の皆さんが実際に骨髄移植を必要とする血液難病になる確率は極めて低いです。が、実際に発病した場合の治癒率は、骨髄ドナー登録者数の多さと、コーディネートを如何にスムーズにできるかで、左右されます。皆さんの寄付金はドナー登録者を増やすための広報宣伝活動などに使われ、寄付金が多ければ、登録者も増えることでしょう。また、骨髄バンクが専任コーディネーターを増やせれば、患者さんにとって一番いい時期に移植できるようになります。患者さんの生きる確率を上げることになるのです。

 生命保険やがん保険に入れば、病気をしたときにお金がもらえるかもしれませんが、治癒率を上げてはくれません。効率の良い、保険だと思って是非、お願いします。

 さらに、骨髄バンクへの寄付金には、特定公益増進法人への寄付として税制上の優遇措置があります。個人の寄付の場合、寄付金から1万円を差し引いた金額が寄付者の年間所得から控除されます。年間所得の4分の1が限度額です。控除を受けるためには、財団が発行する領収書および特定公益増進法人証明書を添付して確定申告することが必要です。相続税の優遇措置もあります。

 法人の場合は寄付金は損金として算入できます。特定公益増進法人に対する寄付金は、その寄付金の合計額と寄付金の損金算入限度額のいずれか少ない金額が損金に算入されます。 特損金算入限度額とは(資本等の金額×0.25%+所得金額×2.5%)÷2で計算されます。必要な手続きは決算時に、税務申告書に寄付金の損金算入に関する明細書と領収書を提出します。是非、会社の経営会議で検討してください。詳しいことは、お近くの税務署、税務相談室や税理士にご確認ください。

 大型寄付や社会貢献活動を行い骨髄バンクに協力してくださっている企業・団体はたくさんあります。最近では、ユナイテドアローズ社とあいおい損保などの骨髄移植推進活動が骨髄バンクの広報ホームページ「ドナーズネット」で紹介されています。

 寄付の方法、特定公益法人証明書と領収書に関してのお問い合わせは、財団法人 骨髄移植推進財団までお電話ください。

 寄付の税制上の優遇措置に関してはこちら
http://www.jmdp.or.jp/reg/help_us/tax.html  
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2005年07月05日

さい帯血移植

 さい帯血とは、胎児と胎盤とを結ぶへその緒の中にある血液の事です。さい帯血には造血幹細胞が骨髄と同じくらい豊富に含まれており、骨髄移植の代わりにさい帯血移植が行われることが増えてきました。特に小児の患者さんが移植を受ける機会が増加しております。

 さい帯血は妊産婦さんのお産の後に、赤ちゃんから切り離されたさい帯から直接、血を採取します。母親に苦痛も無く、2,3分で採取が終わると通常通り、さい帯と胎盤は娩出されます。採取された血は、造血幹細胞を分離し、冷凍保存されます。

 さい帯血移植の利点は、骨髄提供と違いドナー提供の手間と待ち時間が無いことです。

 さい帯血の提供は、安全性を確保するため、日本さい帯血バンクネットワーの登録病院で行われています。母親にとっても、あかちゃんにとってもなんの担もありませんので、機会があれば是非、ご検討ください。

日本さい帯血バンクネットワーク  
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2005年06月30日

連続ブログドラマ「葵羽(あおば)」 第十二話

 手術直後からつけられていた人工呼吸器は3日目にしてようやく取れ、変わりに鼻に酸素を送り込む機器が付いている。ニット帽みたいなのとセットになっている。動いても脱げないようにするためだ。人工呼吸器を付けている時は、「オエッ」とした感じで苦しがっているように見えたが、今度のニット帽は別な感じでイヤそうにしていた。葵羽はイヤそうにしているが、私は嬉しかった。まったく動かない葵羽に比べたら、日に日に人間らしく、赤ちゃんらしくなっていく。

 医師からの説明で「順調だよ」と言われるたびに嬉しさがこみ上げ、涙が出そうになる。イヤ、出ていた。口から泡みたいなのを吹いていて苦しそうにしている。助産師さんが「葵羽くんはこれからが戦いだね。今までは麻酔で良く分からなかったと思うけど、意識がはっきりしてきたら、あれっ?ここはどこ?お腹が痛い、鼻の穴が痛いとなるんだろうね」はっとした。葵羽にとってこれからが戦いだ。

 今日は妻の従姉妹に書いて貰った命名の紙を葵羽のいる保育器に付けた。「葵羽、うん、かっこいい名前だ」自画自賛である。NICU内では助産師さんが葵羽を「あおば」とか「あおばくん」と呼んでいる。どちらも嬉しい。苗字で呼ばれる赤ちゃんもいたので、くだらないことではあるが親しみを持って呼んでもらえる名前を付けられて良かった。

 「ふぎゃ」と声がした。

「ふぎゃ」もう一度聞こえた。蚊の鳴くような小さい声だが間違いなく葵羽の声だ。初めて聞いた。とても弱々しく、頼りない。でも、天使の声だ。葵羽が生まれる前から今までずっと撮影している。急いでビデオを回した。
「ふぎゃ、ふぎゃ」ニット帽が少し苦しいのかも知れないが、泣いている葵羽がとっても愛しく感じられる。ビデオに声が入っただろうか?

 もしかしたら私達は普通の親よりも幸せではないのだろうか。生まれてすぐに体験出来る事が、一週間かかってやっと声を聞いた。ちょっと動いたと言っては大騒ぎ、目が開いたと言っては酒盛り、声を聞いたと言ってはビデオを急いで回す。神様が与えた葵羽や私達への試練は、もしかしたら試練ではなく命の大切さを教えてくれる幸運なのかもしれない。こんなにシンプルでそして大切な事を教えてもらえるなんて、なんて幸せ者だろう。いつか葵羽は退院するはずだ。そして元気に家の中を走り回る時が来るだろう。その時に絶対、今の気持ちを忘れないでいよう。この気持ちを忘れない限り、私達は葵羽に人生の素晴らしさを伝える事が出来る。

 葵羽が妻の手をにぎった。

 赤ちゃんによくある、触れたらにぎる、ただそれだけの事と分かってはいても、やはり嬉しい。こんな小さな事も今の私達にとっては葵羽との大きなコミュニケーションなのだ。

 12日、葵羽は生きている。日に日に良くなってくる。今日からは哺乳瓶でミルクを飲んでいた。10ccぐらいだがしっかり飲んでいる。すごい。手術痕もどんどん回復していっている。まだ、手術してからそんなに日が経っていないのに、なんとすごい回復力なのだろう。

 あれ?機器がひとつ増えている。よく見るとその機器から伸びている管をたどると葵羽の左わき腹に入っているではないか。

 先生が来た。「問題はないんだけど胸水が出始めたので、それを抜くためにこれを刺していますから。多分、数週間で止まると思うから安心して」妻と2人で聞いた。半歩後退。

 胸に水が溜まり始めた葵羽。がんばれ。

 つづく


監修: (財)骨髄移植推進財団
ドナーズネット

  
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2005年06月29日

骨髄ドナー特別休暇制度

 骨髄提供には、4,5日入院する必要があります。このために一週間は、会社を休まなくてはなりません。ドナーになる前の確認検査などは半日から丸一日病院にいる必要があります。そこで、有給休暇が10日前後ぐらいのサラリーマンにとっては、この休暇が大きな負担となっております。

 最近では、骨髄ドナー特別休暇制度を導入する会社や地方自治体などが序々に増えてきています。このような制度があると安心してドナーになれます。骨髄バンクでは、必要であれば骨髄提供証明書を発行しています。

 導入にあたっては、社会労務士と相談してください。就労規則に明記し、会社でアナウンスする必要があります。骨髄提供の休暇は決して短いものではありませんが、社員が実際にドナーになる確率は低く(日本全国で年間800件前後)、会社に与える影響は微々たるものです。

 骨髄ドナー特別休暇制度の導入を是非、ご検討ください。きっと、社会的貢献への意識が強い会社だと評価されることでしょう。


  
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2005年06月28日

連続ブログドラマ「葵羽(あおば)」 第十一話

 翌日、妻と一緒にNICUに入った。妻は葵羽を産んだ瞬間も葵羽の姿も声も何も知らないまま、一日半が過ぎていた。出産の実感も沸いていないようだったが、妻はこの時初めて葵羽に触れた。

 妻を見ると、目には涙が溢れていた。

 助産師さんが葵羽の痛々しい姿に「びっくりしたんでしょう」と妻に聞いた。妻は「そうじゃないんです」と言った。麻酔でピクリとも動かないが温もりのある葵羽の肌に触れた途端、何か説明のつかない感情が込み上げてきたらしい。もしかしたらやっと実感がわいてきたのかも知れない。出産と葵羽の存在に対して。

 先生から手術の説明があった。以前から何度も聞いている内容だった。実際に葵羽のお腹を開けてみないと詳しい状態は分からないが、体重や生まれてからの状態を考えると順調な部類と言われた。

 生後2日。葵羽の手術の日がやってきた。まだ、一度も目を開けた事も、泣いた事もない葵羽。これから手術を受ける事をどう思っているのか。妻の体調はかなり良くなってきている。

 葵羽、君だけだ。がんばれ、とにかく頑張れ。

 15:00、葵羽はNICUから手術室に向った。移動の保育器の中でも葵羽は寝ていた。妻と2人で待合室で待った。時間はどんどん経つのに葵羽は現れない。既に数時間が経過した。無言の2人。お互いに何を話して良いのか分からない。

 待合室には他の人もいた。赤ちゃんもいた。楽しそうにしている家族を見ると、なぜ私達だけがこんなつらい思いをしなければならないのかと。2人は同じ事を考えていた「葵羽、無事戻ってきてくれ」と。

 19:17、葵羽が現れた。保育器に乗って戻ってきた。医師は開口一番言った。
「手術は無事成功しましたよ」
 涙が止まらなかった。
「ありがとうございます!ありがとうございます!」先生にお礼を言うのがやっとだった。

 葵羽は生きられる、この世に残る事が出来る。嬉しかった。本当に嬉しかった。涙が止まらない。4時間にも及ぶ手術をどうやったらこんな小さい体で受け止める事ができたのだろう。凄い、凄すぎる。

 20:35、NICUに戻り、落ち着いた葵羽に妻と2人で会った。さっきはよく分からなかったが顔が少しどす黒く、胸がへこんでいる。そして膨れているお腹には大きなメスの痕がある。ほぼ端から端まで。よく、手術を乗り越えてくれた。こんな小さい体で本当によく頑張ってくれた。

 まだ、握りかえしてくれない小さな手をさすりながら、喜んでいる妻。その姿がとっても印象的だった。

 執刀医の先生から葵羽の状態説明があった。ほぼ予想通りの状態で、左横隔膜の欠損は2x3cmで胃、小腸、大腸の一部と脾臓が左肺の部分に入り込み、心臓が右に少しずれていた。左肺は通常の数割程度しか機能を果たしていないと思うが、命には別状ない。臓器をお腹の中に戻し、横隔膜の欠損をパッチではなく、周りを引っ張って糸で縫い合わせる事が出来た。パッチの場合よりも追加手術の可能性が低く、先天性横隔膜ヘルニアの子供の中では比較的良い方だといわれた。

 手術から翌日、妻と2人で葵羽のいるNICUに入った。この部屋の中には葵羽の他に1kgにも満たなそうな赤ちゃん、何か特殊なランプで照らされている赤ちゃんなど10人前後はいたのではないだろうか。医師、助産師さんが忙しそうに動いている。私の気持ちに少し余裕が出てきているのか、NICU内の雰囲気が分かり始めていた。そう、この中はとにかく明るい。NICUなので照明が明るいのは当たり前として、医師、助産師共にとにかく明るい。小さい、小さい赤ちゃんを相手の仕事、とにかく気苦労が多いはずなのに、微塵も感じさせずみんな働いている。

 自分の赤ちゃんを前に泣いているお母さんがいた。そう言えば昨日も泣いていた。保育器の横から手を入れ、赤ちゃんをさすりながら泣いている。どう励ましたり、声をかけたら良いのだろう。そんなお母さんにも上手に接する助産師さんを見ていると、葵羽をこの病院で生んだのは間違いなかったと確信した。

 そんな事を考えながら妻と葵羽を見ていたら不意に指先が動いた。じーっと見ていないと分からないが間違いなく動いた。初めて見た。葵羽が、自分の子が自力で動いた。ピクリではあるが動いた。この子は生きている。助産師さんに聞くと「麻酔の種類が一つ減ったのよ。だからこれからどんどん動くようになるから」と言われた。

 生まれて4日目にして初めて動いた。嬉しい。

 生後5日目、この日も妻とNICUに行った。妻は相変わらず産後入院中だ。ただ、葵羽のいるNICUとは同フロア内で歩いていける。昼過ぎと夜だけしか面会時間がなく、働いている私には夜しか会うチャンスはない。その日も仕事を早々に切り上げ、車を飛ばして病院に向った。

 葵羽は相変わらずいろんな機器に囲まれている。点滴の機器が5台から4台に減っていたが、その他は変わりなし。よく見ると腕とか足にうまいこと針が入っている。暴れても外れないようにがっちりついている。目が開いた。薄めだが間違いなく開いた。腫れぼったいまぶたが、ほんの数ミリだが間違いなく動いた。「おぉ」遂に目を開けた。こっちを見ているのかどうか、腫れたまぶたでは分からない。分からないが、目を開けた事は分かる。たったこれだけの事がどんなに嬉しいか。
「葵羽、今日は帰ったら祝い酒だ」

 一人で家に帰った。ポストに郵便物が届いていた。見ると骨髄バンクからだ。中を開けると手紙が入っていた。患者のお母さんからの手紙だ。



 前略

 突然お手紙差しあげます。

 私の息子が貴方の骨髄をいただいて、無事、移植が終了いたしました。お礼を申しあげるのが大変遅くなってしまって申し訳ありません。息子共々心から感謝申しあげます。

 最近、テレビで骨髄バンクのCMをよく見かけるようになりました。 あのCMの映像でもはっきりとわかるように、実際に移植を受けられる患者は本当に少ないそうです。息子の場合も、白血球のタイプが珍しいらしく、バンクに一人いるかいないか・・・また、奇跡的にドナーがみつかっても、登録はしたものの都合で断る方もいらっしゃるとかで、ほとんど諦めていました。そんな中で「いつでも良い」とおっしゃってくださった貴方の存在に、まさしく命を救われた思いです。

 毎日祈る思いで移植の日を待ち、その日が近づくにつれて、−直前に不都合が起きてキャンセルになったりしないだろうか−と不安に思い、当日になると−運搬中に事故でも起きて、届かなかったらどうしよう−と、胸がつぶれるほど心配して、やっとその時を迎えたのです。息子につながっている貴方の骨髄液バッグが輝いてみえました。「この子は生きられる!!」そう考えると、体の芯から喜びがわいてきました。

 私事ながら、息子が生まれてすぐに離婚して以来、十数年、ずっと母子二人で暮らしてきました。私にとって息子は唯一の宝物です。失うわけにはいかないのです。

 貴方がいてくださったおかげで、癒されることのない悲しみを味わわずにすみました。私たちの命のあるかぎり、貴方に感謝して止みません。ほんとうにありがとうございました。

                       かしこ
                             (敬称略)

 急いで読んだ。「毎日、祈る思いで移植の日を待ち・・・」うん、そうだろうな、今なら骨髄を提供したあの時より、お母さんの気持ちがとても分かる。手紙の内容は親の愛情が一杯詰まっていた。私はこんなにも他人に感謝されていたのか。「本当にありがとうございました」最後にたくさんのお礼が書かれていた。一杯、一杯書かれていた。溢れるほどの感謝の気持ちに親子の絆の深さを垣間見た。涙し、何度も何度も読み返しながら一人、酒を飲んだ。

 手術から2日目、葵羽は人工呼吸器をつけて戦っていた。

 つづく


監修: (財)骨髄移植推進財団
ドナーズネット


  
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2005年06月26日

連続ブログガドラマ「葵羽(あおば)」 第十話

 2003年7月4日(金)、朝8:00に妻は出産のために部屋を後にした。葵羽を半麻酔状態でお腹から出すために、妻は全身麻酔、そして帝王切開での出産になる。葵羽がお腹から出た時に、産声をあげると肺に負担がかかり、命に関わりかねない。そのため半麻酔状態で取り出す。麻酔が小さい赤ちゃんに良いかどうかなんて分からないが、命がかかっている。

「頼む、無事生まれてきてくれ!」

 8:46、葵羽が生まれた。そして9:00に初めて会った。3000gの普通の赤ちゃんだ。手も、足も、お腹も、頭も、髪の毛もある。本当に普通の普通の赤ちゃんだ。保育器に入れられ、口には呼吸器を付けているが普通だ。ただ、麻酔が効いているので、まったく動かないのと、お腹がへこみ、胸が少し膨らんでいる以外は。

 見ていると涙が込み上げてくる。

 医師に「元気ですよ。でももうNICU(新生児集中治療室)に連れていきます。落ち着いたらNICU内で会う事が出来ますから、今は我慢して下さいね」と言われた。

「葵羽、誕生おめでとう」

 10:00、妻が戻ってきた。全身麻酔のため意識がもうろうとしていたが私に「赤ちゃんは?」と聞いてきた。「葵羽、無事だったぞ。よくがんばったな、よくがんばった」そう伝えると、妻はうなずいているようだった。妻は先に病室に戻った。

 少しすると助産師さんに「どうぞ」と言われ、妻の病室に入った。
「がんばったな」
「うん、でも全身麻酔だから何も憶えていないんだよね。お腹が小さくなっ ているから、葵羽が出たのは分かるけど。葵羽、無事だったんだね」
「うん」
「私より葵羽が頑張ったんだよ。葵羽を褒めなきゃ」
「そうだな、あんなに小さい体なのに、よくがんばったよ。とりあえず、こ れで先生から言われていたひとつ目の山は越えたな。次は手術までの数日間を順調に過ごすこと。そして…」

 葵羽の病気の場合いくつか山があり、まずは出産、次に手術前まで、手術、そして術後と4つある。今回はそのうちの一つが無事終わった。まずは一安心だ。

 廊下とNICUの間に部屋があり、そこで使い捨ての割烹着みたいな服を着け、手を消毒して、NICUに入った。葵羽がいた。助産師さんが「麻酔がかかっているので、動かないから心配でしょうけど、元気ですよ。まずは安心ですね」と言ってくれた。

 しかし、私は愕然とした。

 体にはいくつもの機器が取り付けられている。人工呼吸器、点滴の管、心臓をブルブルさせる機器、酸素濃度を測る機器など多すぎて良く分からない。まだ、お腹から出て数時間しか経っていないのに、もうこんな姿にさせてしまっている。

 葵羽、今、お前は何を考えているんだ。私達夫婦はお前を望んでいた。だが、お前はどうなのだ。こんな事になってまで、この世に生を受けたかったのか。何も悪いことをしていないお前にこんなに針をいっぱい刺してしまって。すまない・・・

 葵羽の手術まで48時間。生きてくれー。

 つづく

監修: (財)骨髄移植推進財団
ドナーズネット
  
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グリベック

 2000年6月、アメリカの新聞Wall Street Journalの一面にオレゴンヘルスサイエンス大学での臨床試験でSTI571という新薬が慢性骨髄性白血病の患者のほとんどに血液学的寛解(白血球数・血小板数等の血液値が、正常値になること)が見られたと発表され大騒ぎとなった。

 この新薬はFDA(連邦食品医薬品局)によって最短で認可されノバルティスファーマ社から2001年6月にグリベックとして発売された。日本ではその5月後に認可された。

 グリベックは分子標的治療薬と呼ばれる新しい薬です。慢性骨髄性白血病は遺伝子(DNA)の異常によって発症する病気です。染色体の異常によって作られる異常蛋白が「白血病細胞」をどんどん作ってしまうことによって病気になります。グリベックはこの蛋白を標的として白血病細胞が作られるのを遮断するのです。

 グリベックの長所は、内服薬であり、治療が受けやすい、即効性の高い薬である、副作用が比較的少ないなどがある。このために、日本でも多くの患者さんがグリベックによる治療を受けており、慢性骨髄性白血病の患者さんの骨髄移植は徐々に減ってきている。(一方、他の血液難病の骨髄移植は増えているために全体的な移植数は増加している。)

 問題点としては、1錠3500円と高価なことである。

  
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2005年06月21日

無菌室とお見舞い

 骨髄移植を受ける患者は無菌室(クリーンルーム)で治療を受けます。移植の前処置のために白血球が少なくなっており、細菌に抵抗する免疫機能が著しく衰えているからです。
 
 無菌室はガラスで外気を遮断し、フィルターできれいな空気を送り込んでいます。医師や看護師が入室するときは、手洗い、消毒、保護服を着て、空調も強にして徹底管理されています。
 
 面会は、ガラス越しで電話で会話することになります。一人で闘病しているので、孤独でつらいといわれています。

 このような状態ですから、お見舞いに行っても会えない場合もあります。また、無菌室を出た後も、免疫機能が弱く感染症の心配があります。お見舞いに関しては、下記の事項を守って行ってください。

 お見舞いの注意事項

○ ご家族の方と相談してから、患者さんの状態が良いとき行ってください。
○ 面会時間を守り、医師や看護師の指示に絶対に従ってください。
○ 大きな音に敏感です。足音が響かないようにし、騒がないでください。
○ 免疫力の弱っているときは、あまり近づかないでください。
○ 無菌室には入れません。
○ 一般病棟にいる場合でも、入室前には手洗いをし、マスクが必要な場合
  もあります。面会者がベッドに乗ったりしないでください。
○ お花は持っていかないでください。
○ 食べ物も持っていかないでください。食べ物の話も避けてください。
○ 面会できない場合は、ご家族の方か、看護師にメッセージを残してくだ
  さい。
○ 風邪などの病気の時は絶対に行かないでください。

 よろしく、お願いします。
  
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連続ブログドラマ「葵羽(あおば)」 第九話

 私が退院してから3日後、今度は妻が入院した。これからの2ヶ月間、妻は絶対安静だ。私達の場合は予定日まで赤ちゃんをお腹の中に居させることが使命だ。切迫流産など早産をした場合、赤ちゃんが助かる可能性は低くなる。お腹の中で赤ちゃんを成長させる。お腹の中にいる時は普通の赤ちゃんと同じだ。

 入院中はエコーを使って赤ちゃんの状態を調べた。大あくびや、舌まで見えている画像もあった。先生も驚くほど活発に動き回る赤ちゃんだ。順調だ。

 だが、順調に成長するほど妻の心の中は複雑になっていく。その日もエコーを見ていた先生が「僕としては生き延びる可能性の高い赤ちゃんだと思っています」と言った。本当は喜ぶべき言葉だ。

 しかし、妻は落ち込んだ。順調な入院生活を過ごすうちに、いつの間にか生き続けるのが当たり前になっている。可能性が高いということは、死ぬ可能性も残っているという事だ。

 どうしたら良いのだろうか。つらい。妻に「いくら考えても何も変わらない。どうせ変わらないのなら前向きに考えよう」そう伝えるのが精一杯だった。


 骨髄を提供してから約2週間後、病院に検査にいった。私の血液はほぼ正常値に戻っていた。もう、お尻はまったく痛くない。絆創膏も貼る必要がない。注射の痕は残っているが、これだっていずれ消える。患者はどうしているのか。骨髄バンクを通した骨髄提供は一生の間に2回しか出来ない。同じ人に出来るかどうか分からないが、もし、また必要ならいつでも言ってくれ。


 2003年6月初旬、赤ちゃんの出産と手術の説明会があった。小部屋で数人の医師が説明するだけかと思っていたが、会議室みたいなところに連れて行かれ、中に入ると医師、助産師さんなど総勢10数名がいた。不安で一杯の私達夫婦に代わる代わる出産の過程から手術などの説明をしてくれた。あらためて赤ちゃんの病気の凄さを認識した。

 後、一ヶ月。大丈夫なのだろうか。

 赤ちゃんの名前は中々決まらなかった。男の子なのは分かっている。数週間前から悩んでいたが決まらない。命名の本も2冊買った。全然決まらない。妊娠して間もない頃から、妻には男女それぞれの命名の候補があった。男なら「玲(レイ)」。今はやりの音読みで、英語名にも出来る。王偏で凛々しい感じもするし、「透き通って美しいさま(英訳ではブリリアント)」と、漢字そのものの持つ意味も輝かしくて良い。

 ところが入院中、知り合いの占い師に聞いてみると、こう言われた。
「とんでもない、そんな名前絶対にダメ!助かるものも助からなくなる!!」
と猛反対されたのである。

 子供の病気が分かっていながらそこまでクソミソに言われた名前を付けるわけにもいかない。妻はかなりヘコんだ。また一から考え直さなければならない。

 「そうだ、好きな字を探そう」歴史好き、お城好きの私は思いつくままに字を並べた。候補が出来た。
「よし、後は妻に任せよう」

 葵羽(アオバ)と決まった。

 子供が大きくなった時、友達から苗字ではなく名前で呼び捨てにされるような名前を付けたかった。葵羽なら大丈夫だろう。

 後は出産を待つだけだ。 


 つづく

監修: (財)骨髄移植推進財団
ドナーズネット


  
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2005年06月16日

迅速コーディネート

 平成15年度に骨髄バンクに移植を希望する患者の登録数は1872人だった。一方、約20万人の中からHLA検索で適合した候補者数は15365人。これらの候補者の骨髄を患者に提供するアレンジをコーディネートという。

 患者が登録して、移植手術にいたるまでの期間の中央値で176日であった。これは、膨大な量のコーディネートの仕事量、候補者の確認検査や最終合意にまつわる作業などに時間がかかるからだ。一方、患者側で適切な手術時期まで待ってもらうこともある。

 骨髄バンクでは去年から、患者登録から移植までの中央値 100 日を目標とするという「100 日プロジェクト」を立ち上げた。これまでのドナーコーディネートは、原則としてドナーの都合に合わせたペースで進めていた。

 今回設置された「迅速コース」は、患者側の医師により、移植を急ぐと判断された患者さんについて、ドナーに迅速コーディネートである旨を伝え、具体的日程を提示し、対応可能な場合、それぞれのドナーコーディネートを目標日に合わせて進めることを目指すものである。

 骨髄バンクでは、一昨年から専任コーディネーター制度を導入し、業務マニュアルを改正、病院との連携を一層スムーズに図るために協力している医師らに説明会を実施した。目標としては、患者が登録してHLA検索で候補者があがって最終同意でドナーが確定するのに40日。確定してから、患者側の手術前処置を行い、移植するまでを40日間とし合計80日をターゲットとしている。

  
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連続ブログガドラマ「葵羽(あおば)」 第八話

 多分、9時ぐらいから手術が始まって10時には終わり、ある程度落ち着いてから手術室を後にして11:00ぐらいに部屋に戻ってきたのだろう。最初に説明があった通りだ。これは手術だ。献血とはレベルが違う。喉やお尻に痛みがある。想像していた内容の痛みではあるのだが、やはり全身麻酔を伴う手術だ。

 私の身体だけを考えれば、健康体にわざわざ針を入れる必要はない。それも全身麻酔をして。これからどんどん回復していくが、骨髄液だって減った。しかし、ここに至る過程で私は以前の私より間違いなく健康体になっている。せっかく私の骨髄を希望しているのだから出来ることなら良いものを差し上げたい。その一心で健康に励んだ。今は痛いがそれは一時のこと。最後には「やって良かった」と思えるだろうと。

 そんな事を考えていると腹が鳴った。そう言えば朝から何も食べていなかった。看護師さんにお腹が減ったことを伝えると「お昼は残してあるのよ。麻酔の関係もあるから2時ぐらいになるけど、その時に出してあげるね」ほっとしたぜ。

 夕方には既に起き上がって一人でトイレに行った。歩くと少し痛いが別に我慢できない程ではない。ロビーで休んでいると、調整医師が来て「大丈夫?」と聞いてきた。「はい、大丈夫です。喉に少し違和感があるのと、お尻が痛いぐらいですね。あとはまったく問題ありません」医師は「それは良かったね。手術を見ていたけど特に問題はなかったしね。まずは良かった、良かった」先生はまるで自分の事のように喜んでくれた。私の骨髄はどうなったか聞くと「順調なら、もうあっちの病院についているかな」と教えてくれた。

 ベッドに戻って本を読み始めた。点滴の管にも慣れてきて、前日と同じようなリラックスした姿勢で本を読んでいた。妻が部屋に現れた。私が普通の状態で本を読んでいるので少し驚きながらいった。「どうだったの?」「うん、上手くいったみたい。順調ならもうあっちの病院に届いているかも、だって」「そう、それは良かったね。無事みたいだし。これで半分終わったね。後は私だね」大きくなったお腹を2人で見た。

 手術翌日、お尻はまだ少し痛かった。しかし、針を刺した場所に付けていた絆創膏も小さくなり、歩くのにもまったく支障をきたさなくなっていた。ロビーで休んでいると隣のベッドに昨日入院してきたオジサンが話かけてきた。「俺は検査のために入院したんだけど、君はどうしたの?何かの病気?」正直に骨髄提供のためだと伝えると「へぇ、偉いんだ。そんな人がこんな身近にいるんだ。でも、納得したよ。道理で元気だと思った。他の患者とはちょっと違うもんな。」「はい、他人に自分のをあげられるぐらいなんで、かなり元気ですよ」2人で笑った。

 そこに調整医師が現れた。「どうだい?」
「はい、もうすっかり元気ですよ」
「そっか、それは良かった。でも、元気だからってあまり無理しないでね」
「はい。分かりました」
「そうそう、無事骨髄が届いたって」先生は去っていった。届いたということは、移植が行われたことだ。良かった、本当に良かった。

 翌日、確保していた血管の管も取れ、頭を洗う事が出来た。もうすっかり普通の人である。昨日、骨髄を提供したとは思えない。こうなったら逆に暇をもてあます。せっかくの機会なので読みたい本を10冊以上持っていっていた。どんどん読めた。たまに看護師が絆創膏を貼りかえにくるがあとは特に誰もこない。ベッドで本を読み、飽きるとロビーに行ってテレビを見て、また本を読。
もう、超暇人。

 調整医師にわがままなお願いをした。それはせっかく会社を休んでいのだから他の科、眼科と耳鼻科を受診したいと。もちろん、診療代は払う。調整医師は悩んでいた。今考えればとってもわがままなお願いだ。だって骨髄提供で入院しているのに、他の診療にかかり、もし何かあった場合は責任問題になるかも。ただ、私は私の中では既に普通の人になっていた。「自己責任で行うの、
先生お願いします」先生から許可が出た。本当は大問題なのかもしれない。

 多分、先生がいろいろなところに手を回してくれたのだろう。微塵もそんな事を感じさせないが、私の希望通り眼科と耳鼻科を受診出来た。この時はせっかく入院したので、あれも、これもと考えたが今思い出すと先生に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 退院の日である。もう、100%健康体である。お尻が少し痛いぐらいで、軽い筋肉痛程度である。調整医師が来た。
「どう?」
「はい、もう大丈夫です」
「そっか、良かった、良かった」いつもの会話である。
「今回の件は本当にありがとうね。貴方のように、他人の為に何かをしてくれる方々には本当に頭が下がりますよ。これからも健康に気をつけてね」
「いえいえ、先生にはわがまま言いっぱなしで、すいませんでした。」

「先生、実は4日後には妻が病院に入院するんですよ。出産の予定日までまだ2ヶ月あるんですけど、子供が病気なので安全を考え事前入院をするんです」
「病気?」
「はい、先天性の横隔膜ヘルニアで症状的には中程度なんですけどね」先生は驚いていた。

 「ペイフォワードって映画知ってます?」ペイフォワード?見たかも知れないが覚えていない。先生は続けた。
「ペイフォワードって映画は、善意を行うとそれが回りまわって自分に戻ってくる映画なんだよね。」一息入れ「ペイフォワードだよ、ペイフォワード。お子さんの事が心配だと思うけど、大丈夫だよきっと!」

 今思えば彼は医師なので先天性横隔膜ヘルニアとはどのような病気なのか分かっていたはず。それなのにそんな感じを一切出さず、私の心配を取り払うかのように励ましてくれた。

 今度は、妻が入院する。

 つづく


監修: (財)骨髄移植推進財団
ドナーズネット
  
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2005年06月15日

20分でドナー登録

 ドナー登録は簡単です。

 骨髄提供のためのドナーとして登録するのは簡単です。でも、意外と知られていないのがどのような手続きなのか。実は、下記のリンクをクリックすれば、骨髄バンクが発行する「チャンス:ドナー登録のしおり」がpdfファイルとしてダウンロードできます。

  ドナー登録できる方は

○ 年齢が18歳〜50歳の健康な方(適合検索が開始され、提供できるの
  は20歳から)
○ 骨髄提供の内容を十分に理解している方(つまり「チャンス」を読んだ
  方ですね。)
○ 体重が男性45kg・女性が40kg以上の方

 ドナー登録は、全国各地の献血ルーム、保健所、健康福祉センターなどできます。場所や連絡先は「チャンス」の最後のページにリストアップされています。受付時間などは、各窓口に直接電話してお問い合わせください。また、骨髄バンクのドナー登録会が各地で行われています。詳しくは、骨髄バンクのホームページでご覧ください。

 会場での登録では、ドナー登録受付に関する説明を受けて2mlの採血で終わりです。書類に記入して、数週間すると登録確認書が送られてきます。
 それだけです。あっけないほど簡単です。

 後、1つだけ。登録をしたらご家族にドナー登録した旨を説明して理解して頂いてください。実際にチャンスを見せると良いかもしれません。とにかく、本当に適合してドナーに選ばれたときに、家族からの反対があると困ったことになりかねません。骨髄提供にあたっては必ず、ご家族の同意が必要ですので。

骨髄バンクのドナー登録に関するページ


全国各地のドナー登録会予定表
  
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2005年06月14日

連続ブログガドラマ「葵羽(あおば)」 第七話

 手術台に横たわると、体にセンサーを貼られた。医師が「少し麻酔を入れていきますよ。だんだんぼーっとして来ますから。」と言った。そろそろ手術が始まる。適合通知が来てから約半年、長かったような短かったような。よし、まずは一発頑張るか。医師が口のところにプラスチックのカバーみたいのをかざして「ゆっくり息を吸って・・・」

 意識が切れた。

 骨髄採取とは何をするのか。骨の中には骨髄液が入っている。それを採ることだ。骨髄液は小指の骨でも、腕の骨でも入っている。ただ、大きい骨の方がより多く入っているので、骨盤骨(腸骨)から骨髄液を採るのが一般的だ。よく背骨から採ると勘違いしている人がいて、「背中が痛くなるんでしょ?」と聞かれる。または「脊髄に針を入れるんだもんね」とも。「いいえ、違いますよ。骨盤から採るんですよ」と言うと驚かれる。

 手術は、お尻の辺りから鉛筆の芯ぐらいの太い針を刺して先端についているドリルで骨盤に穴を開け中から骨髄液を抜き取る。骨髄液はどろどろしていて、中に造血幹細胞という白血球や赤血球などを作る細胞が入っている。穴を開けて10CCぐらい採取し、一旦、針を戻す。ただし、骨盤から抜くだけでお尻からは抜かない。そのまま、場所を少しずらしてまた骨盤に針を刺して骨髄液を抜く。何度も繰り返し、その一帯を刺し終わったら、お尻から針を抜き、場所をずらして再度お尻に針を刺して続ける。左右、約50回づつ行われる。どおりで麻酔が必要なわけだ。私の場合は左のお尻に一箇所、右のお尻に一箇所、針の痕が残っていた。

 最終的には造血幹細胞の量が大事である。ただ、この造血幹細胞がやっかいで骨の中に均一に入っている訳ではない。多い場所もあれば少ない場所もあるのである。もしかしたら針の刺し方の技量もあるのかもしれないが、私の場合は左のお尻に比べて、右のお尻が痛い。後で分かったが、左からは順調に抜けたが、右は苦労して何度も針を刺したとのこと。そのため右のお尻の筋肉が左に比べて多く壊れたので痛みが多い。ただ、原理的には普通の傷と同じなので時間が経てば回復する。

                ◇◇◇


 「うっ」気が付くとそこは自分の病室のベッドだった。真っ先に喉が痛かった。次はお尻が痛かった。その時、だれか多分、看護師だと思うが側にいた。何か言われた気がしたが覚えていない。とにかく喉が痛い。よく考えれば当たり前で、手術中は喉に管を入れている。仰向けに寝ていたが、体を少しでも動かすとお尻に激痛がはしる。痛ってぇー。

 その時聞いたのか、もう少し経ってから聞いたのか忘れたが、側に居た誰かに「手術は成功した?」と聞き「はい、無事終わりましたよ。安心してくださいね」安心した。達成感、充実感が込み上げてきた。

 採取した骨髄液は、厳重に梱包される。そして、直ぐに移植医師が相手の病院に持っていく。毎日、日本中で命のリレーが行われているのだ。私の骨髄は、車で千歳空港まで運ばれた。そして、飛行機で伊丹空港まで空輸されたのである。そこからまた、車で相手の病院に運ばれた。

 移植は、採取してから24時間以内に行われる。

 このような綱渡りは、地震、事故、悪天候などに影響される場合もある。例
えば、昨年の新潟地震の後は、骨髄バンクはこの地域からのドナーを中止せざるを得なかった。新幹線と高速道路が寸断され、24時間で運べる保証ができなかったからである。

 最近でもっともシリアスな事件は2001年9月に起きた同時多発テロである。アメリカ政府は、飛行機の全フライトを中止したのだが、その最中、日本には、アメリカのドナーからの骨髄を待っていたのである。通常便で空輸できなかったために、骨髄バンクは小型チャーター便を使ってなんとか患者に骨髄液を届けたのだ。

 もしかして骨髄提供というのは究極の自己満足を得るための手段ではないのか。私の行為がもしかしたら一人の命を救えたのかも知れない。命とはもしかして、とっても身近なものなのではないか。最初はほんの軽い気持ちから始まり、いろんな方と接し、骨髄提供の意味をどんどん理解しながら、命は何かを考えるようになった。時間をかけ、体を使い、周りの協力を得ながら骨髄を提供した。「命の尊さ」を知り「満足感」が残った。

 意識がある程度はっきりしてきたので時計を見た。既に昼を少し回っている。考えてみると朝から何も食べていない。腹がへった。

 誰かぁ。昼メシはどうなってるんだー!

 つづく


監修: (財)骨髄移植推進財団

ドナーズネット


  
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2005年06月09日

献血で救える

 骨髄移植を必要とする血液疾患は、白血病だけではありません。骨髄異形成症候群、悪性リンパ腫、多発性骨髄腫、再生不良性貧血など、最近ではがんの治療にも行われるようになりました。最近では慢性骨髄性白血病の新薬グリベックでの治療が増えて白血病の骨髄移植は僅かに減っていますが、それ以外の血液疾患のための骨髄移植は増えています。

 このような血液疾患は共通して骨髄で血液の細胞である赤血球、血小板、白血球などが正常に造られなくなってしまいます。また、骨髄移植の前処置として、多量の抗がん剤投与を行い、全身に放射線を照射する場合もあるのです。このために血液の成分が著しく減ってしまいます。不足した血液細胞は輸血によって補充するのです。

 町で毎日「献血にご協力ください!」とアピールしている日赤のボランティアや職員を見かけますよね。献血ルームで集められた皆さんの血液は、このような血液難病等の治療に使われているのです。

 骨髄移植を受けた直後は、血液を造る機能が最低レベルに達しています。移植して、骨髄液の中の造血幹細胞が定着して機能し始めるのには時間かかります。その間の補給として輸血が行われます。また、出血を止める血小板も不足しているので、血小板輸血が7−10回行われます。

 献血をされたことがある方はご存知だと思いますが、400mlの献血とは違い、血小板の成分献血は遠心分離機にかけて、血小板だけを抽出し、残りの赤血球などは、体に戻します。時間は1時間ほどかかりますが、体に負担がかからないといわれています。1回の血小板成分献血は200mlですが、これは普通の献血から得た血から血小板のみを分離した場合の10−20人分の量に値します。

 血小板の成分輸血は、血液難病の患者にとって非常に重要な治療です。ドナー登録されていない方でも、献血がOKでしたら、是非、成分献血でご協力ください。
  
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連続メルマガドラマ「葵羽(あおば)」 第六話

 骨髄採取の時に約1リットルの骨髄液つまり血液を採るが、貧血になってはまずいので、あらかじめ自分の血を採っておく。骨髄提供の時に、自分の体に返血する。自分の血液なので、もっとも安心な輸血である。

 病院に行き、事前に言われていた第一内科のナースセンターで「骨髄提供のため自己血を採りに来ました」と看護師に伝えた。すると「どうぞこの中に」とナースセンター内に案内された。生まれてこの方、ナースセンターには入ったことがない。秘密の花園的な場所、神聖な場所に入ると意外と中はガヤガヤしている。(何を期待していたのだろう^^)

「こちらへどうぞ」と案内されたのはナースセンターの奥にある、カーテンで仕切られたベッド。ベッドに横になり、献血のような体勢で血を採り始めた。カーテンの向こうから、慌しい人の動きや声が聞こえてくる。まるで朝の通勤時刻の駅にいるような感じだが、カーテンのこちら側は静かだ。自分の血がどんどん輸血用のパックに溜まっていく。今日は400mlを採る。

 翌週、2回目の自己血採取をした。今日はナースセンターではなく別室で採血した。静かな部屋で血液を採っていると、いろいろなことを考える。患者のこと、妻のこと、お腹の中の子供のことを。巷ではゴールデンウィーク一色だ。

 毎年、ゴールデンウィークは私の実家で過ごしている。自家用車で片道5時間かけて、妻と2人で欠かさず帰っている。しかし、今年は無理だ。私は一人っ子のため、私が帰らないと実家には誰も帰らない。両親に「帰らないよ」と電話すると「うん、分かっている」と「彼女の体を守ってあげてね。それとアンタも体に気をつけて」寂しそうだった。今日は300ml採った。

 2003年5月ドナー手術前日。妻の母親が運転する車に、身重の妻と車に乗った。とても天気が良く、まるでどこかへ旅行するのではと錯覚するほどだった。体調はとても良かった。ここ数週間はすべてのことを我慢した。ゴルフもやめ、酒もやめ、人ごみを避け、食生活を正し、夜は早く寝て規則正しい生活をした。コンピュータが仕事のため、どうしても不規則な生活になりがちだったが、ここ数週間は別人のようだった。明日の朝から骨髄を採取する。今日はいくつか検査をするだけだ。

 病院につくと心からホッとした。これで安心して骨髄が提供出来る。病院に着くまでは事故があるかもしれない、と不安だった。こんな神経過敏の状態だが、まんざら悪い気分ではない。とにかく一瞬一瞬が充実している。順調に行くと私は3泊4日の入院予定だ。退院4日後、妻は入院する予定になっている。本当は入院日が重なったのだが妻の入院日を遅らせた。なぜなら、妻はそのまま出産までの2ヶ月間を病院で過ごさなければならなかったから。

 受付を済ませ、エレベータで第一内科のナースセンターに向かった。妻が一緒に行くと言うので「子供じゃないんだからここで良いよ」と言っても、ついて行くと聞かない。恥ずかしい反面、妻の気持ちがとっても分かる。

 患者は今頃どうしているのだろうか。明日の骨髄提供日に向けて、1〜2週間前から前処置に入っているはずである。前処置とは抗がん剤や放射線照射でがん化した骨髄細胞を破壊することを意味する。この表現が適切かどうか分からないが、自分の血を殺すのである。自分の血を殺し、そこに私の血液の素を入れるのである。もし、ここで私が病気になったり、ケガをして骨髄が提供出来ないことになると患者は死んでしまう。前処置が始まるともう後戻りは出来ない。患者や家族はどのような時を過ごしているのだろうか。

 手術を行うにあたり、いろいろな医師が説明にやってきた。調整医師もきた。およそ医師らしくない医師だ。とにかく患者のことを親身になって考えてくれる先生だ。私のくだらない質問に納得するまで何度も何度も説明してくれる。そう、調整医師の目線は私と同じ高さにある。私の立場になり私が何を気にしているのか、何を心配しているのかそれらすべてを第一に優先してくれた。カテーテルの件も根回ししてくれた。ロビーで休んでいてもさりげなく声をかけ、私の心配を消してくれる。特に治療をされた訳ではないが、この先生なら安心して任せられると心底思えた。

 医師からたくさんの説明を受け、書類に記入し、血液を採られた。晩御飯を食べフロに入り、就寝時間になった。もちろん、寝られない。ベッドも違うし、枕も違う、隣のベッドから聞こえるイビキも気になる。いつもより時刻も早く寝られる訳がない。そして、これが最も大きい原因だが、気分が高揚している。とっても興奮している。いくら簡単な手術であっても、手術は手術である。

 窓のカーテンから外を覗くときれいな星空が見えた。もしかしたら、患者やその家族もこの同じ空を見ているかもしれない。私に出来ることは明日の朝を無事に迎えることだけ。不意に妻や子供のことを思い出した。

 子供の病気は先天性横隔膜ヘルニア。以前に書いたがインターネット上に同じ病気の親が作ったホームページがある。そこには何度も何度も行った。毎回涙し、そして勇気付けられた。横隔膜ヘルニアと分かり万全の体制で迎えた出産も子供の病気が重くなかなか新生児用ICUから出られない赤ちゃん。生まれるまで横隔膜ヘルニアと分からずアッという間に天使になった赤ちゃん。初めて抱いた時には既に命が切れている赤ちゃん。一度も目を開けずこの世を去った赤ちゃん。奇跡的に助かった赤ちゃん。つらい出来事に遭遇しながらも、明日に向かって大地を一歩一歩踏みしめるように生きる決意をした両親。命とはなんだろう。100歳まで生きる方もいれば、数時間しか生きられない赤ちゃん、だれが命の永さを決めているのだろう。

 生死の境はどこにあるのだろう。

 妻にはホームページのことを話していない。もし、このホームページを見たら妻はどうなるだろう。明日への夢や希望が切れてしまうかもしれない。妻には「なるようにしかならない。私達が何を考えても、なるようにしかならない。どうせそうなら明るく前向きに考えようよ」いつもそう言って励ましながら、自分にも言い聞かせていた。

 ドナー手術当日、朝5時半に目が覚めた。朝御飯は食べられないが便は出さなければならない。がんばってみても無理なので座薬で便を無理やり出した。T字体を付け手術着に着替えた。気が引きしまる。(たしか)朝一番の手術だ。8:00頃に迎えの看護師がきた。ストレッチャーに乗って行くことも出来るが「緊張している?」と聞かれ「いいえ」と答えると「それじゃ、歩いて行きますか?」

 手術室の総合受付窓口は混んでいた。やはりストレッチャーに乗っている方が多い。というか、元気いっぱい歩いて来ているのは私が見た限りでは、私だけだった。(そりゃそうだろう。)看護師が総合受付窓口の方と何やら話し、そして私に入り口から入るように促してきた。私の腕には、私を特定するためのバンドが付いている。窓口の方がそれを確認しながら「ここから歩きはダメだから、車イスに乗って」と車イスを出された。それに乗ると「行きましょうか」車イスに乗った私は、別の看護師に連れられて中に入った。

 長い通路があり、一定間隔で手術室がある。「へぇ〜こんなに手術室があるんだ」と感心しながらキョロキョロしていると「珍しいですか?」と看護師さんに聞かれ「ええ、もちろん。前に一度手術をしていますが、こんな平常心ではありませんでしたから」と答えた。通路を曲がり、少し進むと車イスが止まった。

 看護師さんが言った。「ここが手術室ですよ」

つづく

監修:(財)骨髄移植推進財団
ドナーズネット
  
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2005年06月07日

ドナー登録促進活動

 今年の3月末に終えた平成16年度の骨髄バンクへの新規ドナー登録者数は26,664人でした。昨年度と比較すると2,000人近く(8%)増加しました。骨髄バンクでは、全国で1,500回以上もトナー登録イベントを全国各地で開催しています。また、パンフレットやポスターなどの配布やプレス向けの広報活動を積極的に行っており、この1年で骨髄移植に関する新聞などの記事が増えてきました。

 さらに追い風だったのが去年の“泣けるブーム”です。大ヒットした「世界の中心で、愛をさけぶ」や「半落ち」は、白血病や骨髄移植をテーマにしたストーリーでした。幅広い層に対して、ドナー登録を促したと思います。

 これらの骨髄バンクの広報活動の予算は約2億2,000万円で、そのほとんどが寄付金により賄われています。新規登録者1人あたりのマーケティングコストは約8,250円でした。

 骨髄バンクは、ドナー登録者の目標数20万人をようやく去年の11月に達成しました。しかしながら、昨年、患者として登録した方の4割は移植にいたりませんでした。ドナー登録者の目標数は30万人です。

 後、10万人のドナー登録者を増やすためには、昨年度の登録者コストで単純計算すると8億2,500万円です。平成17年度の普及啓発事業費の予算は2億3700万円と全然足りません。このレベルの予算ですと、30万人に達するには4年近くかかってしまいます。

 しかし、今現在、1000人ほど患者が適合ドナーを待っているのです。

 6億円ほど足りないので、読者の皆様、是非、骨髄バンクに寄付をしてください。読者の中には、この額を全部出せるぐらいの資産家もいますし、1億円ぐらいの寄付金を出せる企業の社長さんもいます。

 骨髄バンクは、特定公益増進法人です。寄付をすると所得税の控除が受けられます。法人の場合は、寄付金を損金として計上できます。よろしく、ご検討のほど、お願いいたします。

寄付については(財)骨髄移植推進財団のホームページへ。

  
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2005年06月06日

連続メルマガドラマ「葵羽(あおば)」 第五話

 本当に先天性横隔膜ヘルニアなのだろうか。先生は他人と間違えているのではないだろうか。「検査期間は約5日間ですね。」あれっ何の検査?「妊娠24週前後でこの病気が分かるということは・・・」この病気?「横隔膜ヘルニアの程度は中より少し悪い程度でしょうか。」横隔膜ヘルニア?誰が?本当に私達の子供が横隔膜ヘルニアなのだろうか。信じられない、信じたくない。この時、妻はショックを通りこし、何か他人事のように感じていたようだ。

 先天性横隔膜ヘルニアとは、横隔膜が奇形で穴などがあくことを言う。横隔膜は胸部と腹部を分ける機能があるが、この穴によって腹部の臓器、たとえば胃、小腸、大腸などが胸部に入り込み、肺、心臓などを圧迫する病気である。この病気で一番問題なのは臓器が入り込むことによって肺の成長が阻害されることである。胎児はお母さんのお腹の中にいる時は胎盤を通じて、その緒から酸素を供給してもらっている。しかし、出産で外に出たとたん肺が一度に膨らみ肺呼吸が始まる。肺の成長が悪かったり、肺呼吸が始まった時に肺が膨らまなかったらどうなるだろう。

 大学病院での告知から一週間後、妻は検査入院することになった。だが、私は、その前日に仕事で本州に出張することになっていた。私の仕事は、とある中小メーカーのコンピュータシステム開発と運営である。当時は、社内メールをグループウェアに移行し、WordやExcelの全社PC導入が大仕事で、それに伴い20回以上の全販売拠点、生産拠点での勉強会の講師をもしていた。さらに、Oracleデータベースの自社基幹業務の開発、保守、運用。社内ネットワーク(たしか当時は専用線とフレームリレーを入れていたはず)の管理(ルータ管理も)など、会社のコンピュータの全てを面倒みていた。それも一人で。

 出張に行くと、案の定、夜には飲み会がある。摂生をしなければならないのに酒を入れてしまう。仲の良い先輩との美味しいお酒ではあったが妻の事が心配だ。夜、ホテルに戻るとすぐに自宅に電話した。「体調はどう?」「特に痛い訳でもないし、なんともないよ」妻はそう言いながらも、どこか心配そうだった。「9日の夜には病院に行くからがんばって」と伝えた。

 私の骨髄を待っている患者のことを少しだけ聞いていた。関西の10代の男の子。まだ子供?聞いたときには驚いた。まだ学校に行っている年齢じゃないか。どんな血液の病気で、どんな闘病生活をしてきたのか分からないが、少なくとも今は入院している。どんな気持ちでいるのだろう。私が子供の時は入院なんて考えたこともない、いたって普通の男の子だった。部活に明け暮れながら友達と遊び、少しだけ勉強をする。「死」なんて考えたこともなかった。これが幸せなんて微塵も分からない、そんな子供だった。

 患者は私よりかなり大きいらしい。骨髄採取の量は患者の体格によって変わる。一般的には小さい人なら量は少なく、大きい人なら多くと。今回の場合は、私から採れる最大限の量を採ることになった。体重1kgに対して約15ml、65kgなので約1000ml、つまり1リットルの量を採ることに。だ、大丈夫なんだろうか^^;

 妻の検査入院には私が不在のため、母親が代わりに付き添ってくれた。部屋は4人部屋、同室には3人の女性がいた。皆、様々な問題を抱えた妊婦さんだった。妻はそれまで他の患者さんなんて、どうせ妊娠中毒症や切迫流早産位のものだろう、皆は産むまで乗り切ればいいが、自分は10ヶ月頑張り抜いた末にダメになるかもしれない、と。自分が一番不幸なように感じていたが、それは大きな間違いだった。まず、ここは道内でも1,2を争う設備の整った大学病院である。他の病院でお手上げだった患者が数多く回されてくるのだ。

 不妊治療を受け、40歳を過ぎての初産というその方は胎児と子宮筋腫で「双子なの」と大きいお腹をさすり笑っていた。隣のベッドの方は重度の持病のため、過去に何度も中絶せざるを得なかったが、今回に最後の望みをかけている。国内に症例がなく、外国の研究機関に血液検査を依頼していた。別の女性は母体に腫瘍かなにかを持っているらしく出産後転移を調べると言っていた。また、途中で入れ替わってきた方は胎児が心臓病で生後、落ち着いたらペースメーカーを入れる予定だという。

 妻は例えば今回ダメになったとしても、自分は年齢的にも少しは余裕があるし、また妊娠出来る可能性も高い。それに先天性横隔膜ヘルニアには特にはっきりとした原因がないので次もそうなる事はまずない。妻は自分より深刻な人に励まされるのもバツが悪く、普通にふるまう事にした。

 翌日はMRI検査をした。普通のMRI検査のことは分からないが、妻の場合は胎児の動きを抑えるために麻酔らしき点滴をされた。MRIというと大音響が苦痛になる。しかし、妻の場合は点滴が一番辛かった。点滴をされていると、ピクリとも動けない気がして、その内に持病である過換気症候群がでてきそうになるからだ。

 この日の深夜、妻が寝ているとお腹の中の子が、まるで大きな寝返りでもしたみたいにゴロンと動いた。両親の大変な事態も、自分の誕生後の苦痛も何も知らない子供は胎内では元気そのもの。びっくりして目覚めた妻の顔もついほころんだ。

 検査入院3日目は羊水検査をした。子宮に太い針を刺して羊水を抜き取るため、色々な危険も伴うがヘルニア以外の他の遺伝子異常なども調べておいた方が良いとすすめられ受けた。医師、助産師、医大学生等8人に囲まれ、丸出しになったお腹を真っ赤にぬられてエコーで胎児の位置を確認しながら針を刺して羊水をとる。羊水を抜いていると胎児が寄ってくるというので頭に針が刺さってしまうんじゃないかとドキドキした。終了後、2時間の安静が必要だった。テストの結果は問題なかった。

 5日間で検査を終え、妻は退院した。出産は6月末に帝王切開で行うことに決まった。

つづく

監修:(財)骨髄移植推進財団
ドナーズネット
  
Posted by tomsatomail at 23:24Comments(0)TrackBack(0)連続ドラマ「葵羽」