2010年04月29日

 2月、オーストリア航空、ウィーン便機内、私は1冊の本に夢中になって
いた。アマゾンで話題にはなっていたこの本を新宿のBook1stで見つけた時、
私はそれ程、期待はしていなかった。しかし、ウィーン空港を経てバルセロナ
に到着した時には、2/3を読み上げていた。この本(英語版)は554ページ
の長編である。帰路、私は慌てた。この分ではロシア上空で本を読み終えてし
まう。私は、ウィーク空港の本屋でこの本の続編を購入しようと探したのだが、
売り切れていた。

 読み終えて思った。これはジョン・グリッシャムやパトリシア・コーンウェ
ルの初期の作品を超える名作だと。この本こそ、今、販売実績3000万冊を
超し、世界中で大変な話題になっているスエーデンの新人作家スティーグ・ラ
ーソンのミレニアムシリーズ三部作の第1巻「ドラゴン・タトゥーの女」であ
る。

 主人公は名誉毀損で敗訴したジャーナリストのミカエル・ブルムクヴィスト
と警備会社のアナリストの極端に非社交的な性格で様々な問題を抱えた女、リ
スベット・サランデル。探偵でも、警察でも、検視官でもないこの2人は、異
色のコンビである。いや、コンビとは言いがたい。この物語は名探偵と相棒の
ような定型形推理小説ではないのである。

 有罪判決を言い渡され、自らが発行人であった雑誌を去ったミカエルに、8
0歳過ぎた老い先短い実業家から自伝の執筆の依頼が舞い込んでくる。しかし、
この執筆には、もう一つの隠された仕事が含まれていた。それは40年以上も
前に起きた姪の失踪・殺人事件の真犯人を突き止めることだった。最初に、自
分は探偵ではないから、ミステリーは解決できないと、依頼人に訴えていたブ
ルンクヴィストはいつしかスエーデン北部の孤島で起きたこの事件にのめり込
んでしまう。

 ここまで書くと、クラッシックな大富豪の孤島で起きた密室殺人のようなの
だが、これがデビュー作のラーソンは、過去のフォーマットにとらわれずに、
斬新的なストーリーを展開させるのだ。まず、この話は、ブルンクヴィストの
名誉毀損事件、姪の失踪・殺人事件と連続猟奇殺人事件の3重構造になってい
る。これに平行してサランデルの彼女の人権を踏みにじる大変な事件が発生し、
彼女の復讐劇が始まる。

 人間模様や状況設定のデテールはがやたらに詳しく描かれているために、非
常に長い本なのだが、ラーソンは持ち前のジャーナリストとしての才能でとて
もテンポの良い文章を書いている。それは昔で言えばマイケル・クライトンの
ジュラシック・パークや、最近ではダンブラウンのダヴィンチ・コードのよう
なスピード感なのである。各国の書評には、必ず「Page turner」だと絶賛さ
れている。

 登場人物の2名は、ユニークなキャラクターである。ブルンクヴィストは
ジャーナリストであり、雑誌の発行人で、常に社交的。女性に特にモテる。一
方のサランデルは、子供のころからの虐待で性格は暗い。小柄で、パンク風の
格好で、バイクを乗り回している。ところが彼女はまれに見る頭脳の持ち主で、
スエーデンきってのコンピューターハッカーである。会社では、社長にしか信
頼されておらず、常に村八分状態と、ブルンクヴィストとは全くの正反対。

 調査の仕方に関しても、ブルンクヴィストはジャーナリストらしく、広く深
く、いらないディテールも追求してしまい、時間もどんどん過ぎてしまうが、
サランダーは重要事項が完璧に網羅されたリポートをいとも簡単に提出してし
まうのだ。いったい彼女は何者なのか?実は、これがこのシリーズ最大のミス
テリーなのだが、このキャラクターは実にタフで面白い。

 この小説が型破りなのは古典的推理小説の設定を基本としているものの、事
件解決が調査報道(Investigative Journalism)と流行のコンピュータハッキン
グを駆使したディテクティブワークが平行して行われていることと、女性に対
する犯罪と人権侵害、金融業会とジャーナリズムの癒着、スエーデンとナチス
の暗い過去などの社会問題を取り上げた物語であることだ。

 エンディングもすばらしい。事件が解決した後からの100ページの展開は
ページごとにレベルアップしていく。うかうかしていると、読者も追いつかな
いペースで進んで行く。古典推理がハリウッド映画並みのサスペンススリーラ
ーに発展する。

 成田到着前に読み終えた私は、本屋に直行しミレニアムシリーズ第2巻
「火と戯れる女」を手に入れた。第1巻のクオリティーが相当良かったので期
待をしていたのだが、読み始めて驚いた。第2巻は全ての面で大幅に話がアッ
プグレードされている。通常、推理小説はシリーズ物となると、構成が似たよ
うなフォーマットになっているが、これは違う。

 第1巻で貧乏リサーチャーとして活躍したリズベスは、一転、大金持ちに
なったかと思いきや、悪と警察から追われる身になり、前巻の謎解きからスト
ーリーは警察・悪役・サランダーとブルムクヴィストの3つ巴戦に大きく発展
する。今度は、人身売買組織犯罪だ。第2巻では、サランドルが何者であるか
が、少しずつ明かされていく。

 人間関係の設定は、さらに複雑になる。冒頭、恋に破れたと勝手に思いこん
だサランドルはブルンクヴィストの前から姿を消す。そして、2巻では、この
2人は全く会わないのだ。(ようやく、2人が再会するのは3巻の最後)この
状態で、2人は如何に協力し、人身売買組織を暴露する為に命を失った2人の
ブルンクヴィストの協力者の真犯人を突き止めるかが見せ所である。

 「火と戯れる女」はアクションサスペンスの連続である。警察ドラマでもあ
り、陰謀は、底なしに深い、悪は幅広く、サランドルの周りは全て敵。連続殺
人の犯人にでっち上げられ、メディアからは「悪魔を崇拝するレズビアン」
と祭り上げられたサランドルを信じるのはブルンクヴィストただ1人。

 助けの手を差し伸べるにブルンクヴィストを無視して、サランドルはたった
一人で戦いに挑む。なんだか、マット・デイモンの映画ボーン・シリーズみた
いだが、サランドルのあまりに濃いキャラクターに読者の心は奪われる。
「すげーなー」と何度、独り言を言ったことか。

 さらに、第3巻の「眠れる女と狂卓の騎士」はスエーデンの公安警察SAP
Oを巻き込んだ、スパイスリラーを巧みな法廷ドラマで完結させる、壮大なノ
ン・ストップ・アクションに出来上がっている。

 ミレニアム3部作は、アガサ・クリスティーの時代から始まった推理小説や、
ハリウッドのサスペンス・アクション映画やTV番組のあらゆる要素をてんこ
盛りにした、広大な物語である。スエーデンの国家が転覆するぐらいの大事件
に発展し、瀕死の状態のサランドルの為に、ブルンクヴィストが敵に廻ってい
た警察や仲間を一人づつ説得して、味方につける過程は、黒澤明の「7人の侍」
の前編の面白さに匹敵している。

 ミレニアムシリーズ3部作は1つの非常に長い長編小説である。ユニークな
登場人物は多く、ストーリー要素が多すぎるぐらいだ。事件は何層にも重なり
あい、語られているスエーデンの歴史的社会的背景は現実のものである。デテ
ールが詳細まで描かれている。人間関係は複雑極まりない。アクションは多数。
読者が覚えきれないぐらい複雑なストーリーなのに、著者スティーグ・ラーソ
ンは、骨格の図太い物語を設計しており、3巻目の最後の説得力のあるエンデ
ィングで、読者がその全容をきちんと理解できるように締めている。

 だから「なるほどそうか、凄い話なんだ」と思った読者は少なくないはずだ。
イギリスやアメリカの書評を読むと、近代まれに見るユニークで説得力のある
エンディングであると評されている。

 
             ◆◆◆◆◆◆


 著者スティーグ・ラーソンは1954年、スエーデン北部シェレフテオで生
まれた。祖父に育てられたラーソンは、反ナチ主義者であった祖父の影響を受
ける。18歳でトロツキー主義のスエーデンの極左政党の共産労働党の活動に
参加し70年代は、TTワイヤー社(ニース通信社)のグラフィックスデザイ
ナーとして働く傍ら、左翼政治活動に明け暮れた。トロツキー主義とは世界社
会主義革命を目指す単一のインターナショナル組織の建設と、それを媒介にす
る労働者階級・被抑圧民族の国際連帯の形成することを目指しており(Wikipedia)

60年代から70年代にヨーロッパ中左翼系の若者が大勢で活動していた。

 70年代後半、ラーソンは人権問題に取り組むようになり、反ファシズム、
反ナチズムの活動家として知られるようになる。彼は、イギリスの人権派反
ファシスト雑誌のサーチライトのスエーデン特班員として記事を提供した。

 人権重視・社会福祉の中立国としてのイメージと裏腹にスエーデンでは80
年代から極右勢力やファシスト、ネオナチ、スキンヘッドらによる移民排除、
人種差別活動とそれにともなう暴力事件が多発していた。

 95年、スエーデンのネオナチは全国で暴虐活動をしており、8人もの死者
がでる惨事となった。ラーソンら人権派ジャーナリストや政治家達は反ネオナ
チグループ「EXPOファウンデーション」を設立する。この市民団体の目的
はただ1つ、ネオナチやファシストなどの活動を暴露することだった。90年
代、後半は、EXPOに対する嫌がらせが絶えず、機関紙のEXPO編集部へ
の脅迫が頻繁にあった。

 この時代、ラーソンは昼はTT社でグラフィックスの仕事をし、夜はEXP
Oでボランティアをしていた。また彼は、TTワイヤーの書評を担当しており
アメリカやイギリスの推理小説はほとんど全て読破していた。

 彼は18歳の時、ベトナム反戦運動のイベントで知り合ったエバ・ガブリエ
ルソンと長年暮らしていたが、その事実についても敵に知られてエバが脅され
る危険を察して、ほんの僅かな知人しか彼らの仲をしらなかった。事実、その
後、彼はネオナチグループの暗殺のヒットリストに入ってたのである。

 99年には、EXPOファンデーションの激務と絶えぬ攻撃でスタッフは過
労でダウン寸前の状態だった。そこで、彼はTT社を早期退職して、退職金を
全てEXPOにつぎ込み、機関紙を極右活動を暴露するルポタージュ雑誌に衣
替えした。EXPO編集長として彼は、極右活動家61人を暴露する記事を、
全国紙4誌に同時掲載した。

 70年代は、諜報機関から左翼人物として危険視されていた彼は、その後の
EXPOの活動でヨーロッパ全土の極右勢力の専門家として評価されるように
なる。イギリスなどヨーロッパ各国の警察や公安機関に対して、情報提供し、
時には、セミナーの講師として招かれるようになった。スエーデン国内では、
学校や大学でのネオナチによるリクルート活動を阻むための教育者向けプログ
ラムを開発した。

 97年、彼は日々のプレッシャーから逃れるために、推理小説を書き始める。
彼がまとめた構想は壮大な10冊のシリーズ。極端に風変わりなヒロインをベ
ースにしたスリラーだった。EXPOの仕事には常に危険が伴っていたし、雑
誌編集は激務だった。深夜、帰宅しても眠れない彼はミレニウムシリーズに没
頭するようになる。

 ビニール袋に詰め込まれた分厚い原稿を出版社に持ち込んだのは、5年後の
2003年。シリーズ2冊分を読んだ、ノードスタド社のエバ・ゲディン編集
長は、新人ライターの彼に3冊分の契約を約束した。勢いついた彼は、1週間
分のEXPOの仕事を24時間で済ませ、執筆にのめりこんでしまう。翌年、
彼は3冊分の原稿を届ける。

 ノードスタド社は決して大手ではなかったが、スエーデンで出版されると、
口コミであっという間にヒットした。スエーデンだけで100万部。その後、
ヨーロッパ全土で翻訳され、ミステリーの本場、イギリスではタイムズやガー
ディアンなどの大手新聞から絶賛されたのである。

 2008年、イギリス推理小説協会は「ドラゴン・タトゥーの女」を大賞に
ノミネートした。協会の表彰会にラーソンを呼ぶためにノードスタド社にコン
タクトした。実行委員は驚いた。著者本人は、2004年に死去したというの
である。

 2004年、ラーソンが第4巻の200ページほどを執筆中、EXPO誌では

ネオナチ集会の情報を得ていた。ジャーナリスト仲間と彼は、警察に通報するか
どうか、相談するところだった。結局、その日、彼は仲間に潜入ルポを任せた。

 その日は、EXPOのあるビルのエレベーターが故障していた。8階にある
EXPO事務所に階段を登っていた彼は7階で心筋梗塞で倒れる。残念なことに
病院に担ぎ込まれたときは、手遅れだった。日ごろの喫煙と緊張感の絶えない激
務に体が参ってしまったのだ。

 享年50歳。彼は自分の本の3000万冊にも登る大成功どころか、出版さ
れたことすら知らず、この世を去っていった。




ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女 上(Amazon.co.jp)

Tomtomsatotechnology at 08:21│コメント(0)トラックバック(0)書籍 │

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