2017年12月17日

神奈川県高等学校美術展その他

2017.12.16(日)
 下溝から約30分歩いて会場の女子美大へ。
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 思いのほか面白くって、1時間も観てしまった。おかげで詩人クラブの例会(14時開始)には間に合わず、ふと友人がカンツォーネを歌う会があったのを思い出して、イタリア文化会館へ行く。
 女子美大−相模大野−新宿−飯田橋−九段下・・・イタリア文化会館  
 “イタリア語と音楽の日 2017”。友人の歌は、“Funiculi Fnicula”と“Surrient d’e nnammurate”を聴けた。
イタリア文化会館























 16時20分に会場を慌て出て、九段下から地下鉄に。九段下−神保町−芝公園・・・東京グランドホテル
 日本詩人クラブ忘年会に山脈同人が集結。なべくらますみさんともお話ができて良かった。終宴後、近くの中華料理屋で、山脈有志7名だけの二次会。写真は、その近くにあった、笛吹く少女と猫の像。
芝園橋近く

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2017年12月10日

ろりえ第11回公演「桃テント」

2017年12月9日(土)18時30分〜20時43分 下北沢駅前劇場 予約3,800円
脚本・演出:奥山 雄太
出演:
SP護闘/後藤 剛範、SP/徳橋 みのり(ろりえ)
元CAナッツ子/加藤 夏子、CA七味みみみ/七味 まゆ味(柿喰う客/七味の一味)、機長/岡野 康弘(Mrs.fictions)、副操縦士/鈴木 研(第27班)
ARIKI/安藤 理樹(PLAT-formance)、雲丹/洪 潤梨、異色肌ギャルゆうこ/奥山 雄太(ろりえ)
尾倉店長/尾倉 ケント、尾倉の妻/岩田 恵里、尾倉の母/久保 亜津子(向陽舎)
護闘の母/木村 香代子、護闘の弟ミッちゃん/満間 昂平(犬と串)
中東の女ジャミーラ/神戸 アキコ、中東の男/山本 周平
ナッツ子の父/松下 伸二
声/森田甘路(ナイロン100℃)

落ちて上がって走って走って上がって走って落ちて。
はまりたいがはまらない、はまろうとしてはまらない、もどろうとして(もどれない)物語だと“感じた”。
女が躓いたとき、男は女を背負ってあげた
筋肉もりもりの男が躓いたとき、きゃしゃな女はその男を背負って
あげられた
前半は地上での家庭劇
後半は雲海を超えての“現実に起こりそうな”奇想天外国際劇
転換の5分間が(なんと)休憩だったのだ[つまりは、役者にとっては客入れ時からの無休超特急芝居なのであった]
場面転換や二重場面の同時進行など、随所に舞台技術が詰まってもいた。

しかし、何より私が注目していたのは、2016年に渋谷のライブハウスで開かれた第1回ポエトリー・スラム・ジャパンで優勝し、フランス世界大会に出場した岡野康弘の芝居だったのだが・・・・・・期待以上におかしなおかしな表情感情便乗豊かな機長を演じきっていたのだった!!  

岡野さんの頁にツイートした。「(再び生きる)力をもりもりもらった」とね。

tomtom_poem at 01:11|PermalinkComments(0) mixiチェック 演劇 

2017年12月06日

上溝南のケヤキ林〜2017冬12月

2017.12.03(日)生徒の提出作文を読むために出勤。
 10月、11月はついにケヤキ林の写真を撮る暇が訪れなかった。土日の天候が悪かったことにも因ろう。
 林の床をきれいに伐採する2年前は見られた、千両か万両の赤い実をつけていた木ももうない。
 しかし、紅葉は美しい。銀杏の黄葉も。落ち葉の湖も。
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 ケヤキ林の外だが、椿の赤い花とまるい植え込みの赤い葉がきれいだった。
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 色づんだ林と緑の林のコントラストもまたよい。
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tomtom_poem at 00:17|PermalinkComments(0) mixiチェック 上溝南 

2017年12月04日

渡邊十絲子『今を生きるための現代詩』

2013.5.20 講談社現代新書刊 2017.12.04読了(予定)

 これもとても刺激的な内容。難解と言われる現代詩の数々を日常におろして興味をそそらされた。

―もっと素朴に一字一句のありさまをじっとながめて、気にいったところをくりかえし読めばいいと思う。 序章「現代詩はこわくない」P12
―ここには、そもそもわたし自身がよくわかっていない詩ばかりを引用した。 同上P14
―レベルをおとして改変したものはすべてつまらないのである。 同上P16

―現実にはありえない場所や光景のリアリティをこしらえてしまったという魔術をわたしは感じたのである。(中略)/13歳のわたしはただあまりの格好よさに呼吸をするのもわすれて見とれていただけだ。この詩(注:谷川俊太郎「沈黙の部屋」)の意味なんて考えたこともなかったし、考えたってなにもわかりはしなかった。 第1章「教科書のなかの詩 谷川俊太郎のことば」P37

―詩を読むことは、効率の追求の対極にある行為だろう。/(中略)いまやわれわれは効率のあじけなさを知り、効率を最優先にした行動がいかに人間的なこころをだめにするかも知っている。 第2章「わからなさの価値 黒田喜夫、入沢康夫のことば」P71

―じつは人間の目にうつるものの像は、カメラのとらえる像とはかなり異なる。たとえば人間の目は、視野の全域にピントをあわせておくことができない。だから、いま注目している小さな範囲以外は、視野という構図のなかにあっても、ぼんやりとかすんでいるのだ。ピントをべつのところにあわせると、さきほどとは構図そのものがちがってきてしまう。 第3章「日本語の詩の可能性 安東次男のことば」P89
―各行のおわりの文字を線でつなげば、絵画的で感じのよい曲線があらわれる(詩人はあまり言わないけれど、これは詩にとってたいせつなことのひとつである)。文字の部分を線でかこむと、なにかのかたちが現れるのではないかと思ったりもした。 同上 P89
―〈漢語においては、個々の音が意味を持っている。それを日本語のなかへとりいれると、もはやそれらの音自体(セーとかケーとか、あるいはコーとかヨーとかの音自体)は何ら意味を持たず、いずれかの文字をさししめす符牒にすぎなくなるのである。/しかも日本語は音韻組織がかんたんであるため、漢語のことなる音が日本語ではおなじ音になり、したがって一つの音がさししめす文字が多くなる(たとえば日本語でショーのおとを持つ字、小、少、庄、尚、昇、松、将、消、笑、唱、商、勝、焦、焼、証、象、照、詳、章、憔、掌、紹、訟、奨、等々。これらは漢語ではみなことなる音であり、音自体が意味をになっている。これらが日本語ではすべて「ショー」になるので、日本語の「ショー」はもはや特定の意味をつたえ得ない)。〉(中略)〈・・・言語学が着目するのは、音韻と語法と意味である。〉(引用はすべて高島俊男『漢字と日本人』文春新書より) 同上 P95〜97

―もうすっかり暗くなった知らない町、知らない道で、知らないバスに乗ったわたしは、自分というものにかつてあった「意味」がすべて漂白されてなくなってしまったような気がした。/わたしは幽霊のようだった。/その場のどんな人とも、物とも、関係がなかった。 第4章「たちあらわれる異郷 川田絢音のことば」 P136
―詩を書いて生きていくというのは、人から遠く遠くはなれたところに飛んでいき、目のくらむような、光りかがやく孤独を手にいれることなのだろう。
  グエル公園 川田絢音
 わっと泣いていて/夢からさめた//夏の列車/知らない人に寄りかかって/眠っていた/汗をかいて/グエル公園に登ると/りゅうぜつらんのとがったところで/鉄の棒をもった少年たちが/コツコツ 洞窟のモザイクをはがしている//青空に 近い広場で/好きな人を/ひとりづつ 広場に立たせるように思い浮かべていて/酢みたいなものが/こみあげた/ここで みんなに 犯されたい 一九七六年 詩集『ピサ通り』  同上 P151・152

―その頃流行していた「ほんとうの自分というものがあり、それこそは無上の価値なのでなにがあっても守りぬくべきである。変わらぬ自分こそが真実の自分だ」というメッセージ(それはポップ・カルチャーのあらゆるシーンに氾濫していた)を肯定することではないか。 第5章「生を読みかえる 井坂洋子のことば」 P159
―人は変わっていくもので、不変の自分というのはときに有害なフィクションである。 同上 P159
―そこまで考えるのに何年かかったか、もう思い出せないほど長い年月だったのはたしかだ。 同上 P159
―井坂洋子の詩においては、「わたし」の像がいつも揺らいでいる。 同上 P160
―井坂洋子の詩のなかの「わたし」は、はっきりとした人間のかたちをとらないのである。/人はみな、自分自身のすがたを知っていると思いこんでいる。鏡をのぞきこまない日はないし、写真にうつった群衆のなかからでも自分自身を容易に発見する。人間にとって自分の像は、こころにふかく刻みこまれた、不動のものであるように思える。/しかし、自分の表情、しぐさ、姿勢やふるまいなど、ほんとうはどれをとっても自分自身には見えないものだ。わたしは、カフカの書いた奇妙な主人公のように、人から見れば一匹の巨大な虫なのかもしれないのだ。 同上 P160・161
―われわれは自分が人間であることにあまりにも自信をもちすぎているので、鏡にうつる自分がとても虫のようには思えないというだけなのである。しかし、すぐれた表現物は、われわれが虫である可能性を稲妻のようにひらめかせ、それを忘れていた苦みとともにわれわれに思い出させる。 (→井坂洋子「山犬記」を引用) 同上 P164
―力士(注:安美錦)だけではない。すりの男も、夕刊売りの少女も、企業のなかで力をもちたいとこころから願った女たちも、社会のすみの塵だったわたしも、人生のどこかで「人のおきて」の卑小さから遠ざかるタイミングがある。/神が決めるそのタイミングを聴け、自分ひとりのちっぽけな頭がえがく硬直した自分像にこだわるなと、安美錦の相撲も、井坂洋子の詩も、いっている。 同上 P195

―詩は、たぶん、「言いあらわしたいこと」より「ことばの美的な運用」が優先されるものなのだ。だから、書いた本人も自分がそんなことを書くなんて思いもよらなかったことが書かれることもあるし、書いた本人だからといってその一篇の詩を完全に読みとけるわけでもない。/(中略)/詩を書くとき、人は謙虚になる。自分が自分の表現をすべて把握し、コントロールするということができないからだ。自分の知覚、自分の思考、自分で責任をとれることばを、詩はいつも超えてしまうのである。 終章「現代詩はおもしろい」 P200・201



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2017年12月03日

小石川・本郷・早稲田散歩〜有馬散歩の会

2017.11.26(日)地下鉄後楽園駅集合

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2017年11月08日

吉増剛造『我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ!』

2016.4.20第1刷発行 講談社現代新書2364  2017.9.13読了。いろいろなことを教えられて、すばらしく刺激をもらった自伝語りであった。

―父親の里の和歌山に疎開していくんだけど、  第一章「非常時」の子 P8
―疎開で行った和歌山で(中略)夏の明るいお庭で舞っている親戚の若い女の人がいたの。ヒロちゃんという、いつも舞っていて、そして叫んでいる、とてもきれいな女の人だけど、  同上 P10
―娘の島尾マヤちゃんという、言葉を失って、“オテマギ”とか“アーシクリモ”という、あの子に惹かれていたのね。そう、マヤちゃんも、いつも舞っている少女だった・・・・・・。 同上 P10
―あそこ(横田)は前線基地だからね。それがロッキードFー80からFー86スーパーセイバーに代わっていった。そのときに基地の中へ入ってたら大江健三郎さんのような小説の世界になるんだろうけども、こっちもその戦場の血を嗅いでいる、大江さんの世界の子分みたいな世界だからさ。 同上P43
―あれは青梅や御嶽のほうからの路線ね。あの線っていうのは石炭を掘り出すための軍用の電車ですからね。 同上P44
―具体的に全部覚えてるね。だけど僕の場合、断片的な生々しい記憶は詩の中に全部入ってる。ただ、それが違う傷跡みたいにして、脈絡は変なふうにして入ってるのね。 同上P44
―・・・太平洋/を/はすっかいに/織っていった/恐るべき/日輪/の/スライダー。/ひろしま/の/外木場/も。・・・  「スライダー」より  同上P59

―麻雀やって大酒飲んで次の日の朝は二日酔いで喫茶店で詩を書いてた。朝、二日酔いでちょっと変なときに書く。(中略)渋谷まで来て、今でもあるな、「エリヤ」というコーヒー屋があって、「燃える」や「朝狂って」はそこで書いた。(中略)勤めてて時間があまりない、というのをわざと活かすのね。時間がたっぷりあったらできないもん。だからやっぱり非常時性(笑)。  第二章「詩人誕生」 P127
―中央線が一直線に敷かれてるのが嫌いだから、あのひん曲がってる、もともと井の頭から渋谷へ来てる水の道ですよね、その井の頭線の沿線ね。大岡昇平さんにそういう小説があるけど、あれがとっても好きで、あそこに東京の夢を見てるのね。年がら年中あの辺だね。特に下北沢のアンジュレーションね、それを酔っ払って歩いて帰ってきて、また次の朝歩いて雪が降って締め切りがあってぎりぎりでっていう、ああいうときに書いたもんだよね、「黄金詩篇」も「疾走詩篇」も。 同上 P127・128

―ぼくは詩を書く/第一行目を書く/彫刻刀が、朝狂って、立ちあがる/それがぼくの正義だ! 「朝狂って」冒頭 同上P132

―呪文が、一女優の名をかりて出現した!/周囲、世界が、虚妄の世界がとりかこむ/魔子の、緑の、魔子の、緑の、魔子の、緑の/魔子の、緑の、魔子の、緑の、魔子の、緑の/一行書いては絶叫し、一行書いては絶叫する/ 魔子、巫女(シャーマン)!/魔子、巫女、銀(しろがね)の、白馬にまたガリ/魔子、巫女、恐るべき暗黒の山稜をゆけ/ 「古代天文台」 同上P143
―いつも地獄は光速を刺す壮大/なエロースだ! 「古代天文台」 同上P145

―詩が生動してくるまでにぎりぎりの火事場の力がないとできないというのは、ずっと一貫しています。 同上 P152
―心が過熱しちゃって非常時状態になってきて、自分でもわからないような発声をするの。それが非常時性の一つの現われでした。 同上P152

―当時は六〇年安保で学生運動の高揚期でしたよね。でも、学生運動はエリート集団のものだから。あれはトップのほうの人たちがやること。僕は、落第生相手に、どこかの会社の会長の孫みたいなのを引き連れて、宇田川町のホステスと一緒に戯れているような、(中略)まるっきり最初から学生運動のああいうインテリ青年たちをばかにしていた、内心ではね。  第三章「激しい時代」P158
―「便所の中での宇宙の孤独を忘れるな」、  同上P159
―反政治というよりも、もっと火の玉みたいだった。そっちのほうが正解だな。そのとき読んでた太宰治から声を聞いたというのも、太宰治の中から東北のイタコさんの声と同時にキリストのような声も聞いてるんだよ。(中略)ああいうものへの火の玉性と非常時性は、もう一貫してる。 同上P159
―ロラン・バルトが正直に最初に言ってるように、ありえない光景が立ち上がってくるのが本当の写真だというので、その「本当の写真を目指す」という運動が周囲で起こったわけだ/僕もその本当の写真性を詩に求めてるようなところがある。  同上P159
―一葉の写真では本当の写真性が出てこないときには、もう一葉の写真をその上に被せるようにして二重撮影をするのね。  同上P160
―当時の一番の僕の親友は岡田隆彦というやつだけども、(中略)中平と岡田を中心にして「provoke」をやろうとなった。  同上P160
―文壇バーの「風紋」へ行ったのかな、そこで、ちょうどそのとき中上なんかがいて、一緒になった。清水昶もいたかな。(中略)その二回目か三回目あたりで、六甲から来た秀才だというんで、柄谷氏と出会ってる。 同上P172
―本当に大きなビジョンが得られたなら、非常時性と実存と火の玉性みたいなぎりぎりのところまで行かないと、自分の魂に対して申しわけがないという思いの方が強いんですよね。(中略)「歌」にまでやっととどきはじめたのは『ごろごろ』のあと、七十歳を過ぎてからなのですね、僕の場合は。 同上P180・181
―ちょうど六八年には、土方巽の「肉体の叛乱」も観てますし、七〇年には若林奮(いさむ)さんとのリーブル・オブジェの共同作業があったのね。 同上P181
―書く場所というのは、女房もいてうるさいから(笑)、喫茶店に行って書くわけじゃない。あとは図書館に行ったりして。東京の裏町を歩くというのはすばらしく好きでさ。孤独な歩行者だから、喫茶店に行ったり裏町を歩いたりはしごしながら、その瞬間瞬間のインスピレーションで詩を書いていく、喫茶店で書いていくそういう歩行。 同上P187
―その歩行の痕跡が残っているのが『大病院脇に聳えたつ一本の巨樹への手紙』でした。大病院というのは、東京医科歯科大学で、そこの脇道にカヤの木が立っていたのよ。そこの先に好きな女の子が働いている喫茶店があって、そこへ通っていくというのが名目で。 同上P197
―アメリカはニューヨークを除いては歩けない。 同上P197
―基本的には書斎で書くなんていうのは思考が動かないから、歩いているとき、あるいは電車に乗って立って書くのね。宮沢賢治や中原中也もそうだけど、それは思考が働きますよ。書斎で書いているときにも歩いている状態になってきていると言えます。だから、歩行とかステップとかサイドステップとか、詩句の傍らに点を振るのなんかもそういう歩行の痕跡ですね。 同上P198

―集英社はもともとが小学館でしょう。 同上P199
―堀口大學さんの先生だった與謝野晶子の声 同上P201
―僕は仕方なしに詩の朗読なんてし始めて、一九七〇年の最初のアメリカ体験で、詩人に出来ることというのは、母国語で自作を読むということしかないということに気づいたのね。(中略)それでも「歌」をとどかせようとして心血をそそぐとね、変なことになるのよ。仕草もね。「舞踊」にも近づくし、後年では「絵」に近づくことにもなってきた。(中略)それでジャズメンとの接触もできた。(中略)富樫雅彦、高柳昌行と随分大事な仕事をしました。(中略)そうすると、その弟子の大友良英が、今度は高柳の弟子として出てきて、彼ともつき合って。 同上P202・203

―多摩美はデザインとか工芸が中心なのね。(中略)学生がみんなアンテナが非常に鋭いの。芸術学科だから、学芸員になるような資質の学生も多かった。横浜美術館の学芸員から明治の先生になった倉石信乃もそうだし演劇の藤田康城も足利市立美術館の篠原誠司もそうだけどね。 第四章「言葉を枯らす、限界に触わる」P224
―もちろん会ったりなんかするとき、あるいはパーティーなんかのとき、そういう接触のあるときは必ずマリリアさんと一緒に行くけどね。だけどそのルートは上田眞木子さん。『オシリス、石ノ神』はストラスブールの出版社から出たけど、日本の現代詩の仏訳の単行本としては初めてのものだった。そこでミシェル・ドゥギー、ジャン=リュック・ナンシーとかいろんな人のほうへつながったという、フランスにおけるある出来事性でした。 同上P235・236
―南の島といえば宮古ね。石垣島と比べてみるとはっきりわかるけども、むしろ宮古島というのは差別されてる島で荒涼たる島ですよね。あらゆるところに差別があるけど、沖縄本島からも差別されてる。で、出会った宮古。まあ、飯島耕一さんのせいもあるけど。飯島さんが『宮古』って詩集を出したわけね。 同上P241
―「戦後が終ると島が見える」という詩句がありますよね。飯島耕一さんは伊良波盛男を“南島のボードレール”といって称揚したのね。(中略)伊良波盛男というのは、宮古島も差別されてるけど、宮古島からもさらに差別されている、小さな舟で渡って行く、小さな池間島のノロの息子なのね。(中略)那覇で知り合った水納(みんな)あきらもそうだし与那覇幹夫もそうで、みんな宮古なんだよ。 同上P244
―沖縄は沖縄で、やっぱり中心で輝きがあるからね。本当の意味での沖縄性というかな、山というか島っていうのは、もう限界にさわらないと出てこないわけだよ。そのぎりぎりの限界にさわりに行った。“限界集落”に。それが『螺旋歌』ですよ。『螺旋歌』を見ればわかるんだけど、ほんとにぎりぎりのところまで行く。あれはほんとに限界にさわりに行く螺旋歌、螺旋の旅ですよ。日本の北と南、両方ですね。両方、それとブラジルにも、端っこに行くね(笑)。 同上P244
―吉本さんが吉増剛造の詩を認めたのはそこだからね。これは奈良朝以前の言語だ、内臓言語だと言ったの。それはそのとおりだな。 同上P248
―「怪物君」を作ってるときも、僕も自分で自分を分析しながら、内的言語、オフボイスを聞きながら結界を作ってるんですよね。(中略)ある特殊な、シャーマンよりももう少し進んだ状態に持っていく。これをやらないと。エルンストなんかに負けちゃいられないと。もちろんセザンヌやゴッホも超えちゃわなきゃいけない。 同上P248・249
―芭蕉さんの「軽み」というのは獣の言葉のことだったという直感がぱっと走ったね。 同上P262
―この夏(二〇一五年)、「三田文学」のための対話を八月十一日、八重洲ブックセンターでやった。前の日、往復十時間をかけて福島の浪江に行った。「もう生類の気配がない」と。これを書いていたときはぴたっと言えたと思った。「生類の気配がない」と。人間もいない。頭では考えてるんだけど出てこなかった。 同上P263
―「陸前高田で浪江で南相馬で石巻で、畳が空中に舞うのを見た。畳が宙に舞ったのだ。お蚕さんもトンビもキツネもオオカミも宙に舞った。」書けちゃった(笑)。ああいうことがあったために。俳諧的な知識じゃないんだよね。ぱっと「多分、軽みというのは獣(けもの)性だ」という僕の直感は当たってると思う。このときにすーっと美しさが走ったんだと思う。 同上P263

―岡田(注:隆彦)と一緒に私淑した安東次男さんの場合には、いろんなことはあるのだけれども、あの人の精神のぎりぎりのところ、駆逐艦に乗ってた主計大尉だった人で、あの人のぎりぎりの精神が、初めて会ったときにお嬢さんを膝の上に乗せて、三好達治からこれもらったんだと言って、短刀をギラッとこう抜いて見せるようなね。旧制高校生の相当突っ張った人の痩せ我慢みたいなね、そういう何とも言えないぎりぎりの精神。安東次男の、それは非常に透徹したものも生み出すけれども、ここには狭さもあるな、ということを僕は瞬間的に読み取った。/だから、ものすごく大事にするけれども、どこかで膨らみがない。 第五章「言葉の『がれき』から」P268
―アラーキー(荒木経惟)の奥さんの陽子さんが亡くなったときも、ややそうだったけどね。本当のお通夜に出くわしたなあ。あれは三ノ輪の浄閑寺だった。 P270
―僕は若林(注:奮)が、撥ね飛ばされた子猫に副え木をしてやって、繃帯をしてやったというのを見て知ってるからさ、そういう、こう、世界に対して繃帯を巻くような精神ってあるんだよ。そういうことにつながったわけだ。そういうことがあるから、詩もある意味では、死に直面したときにそんな挽歌を書くような、精神で違う次元が開くような、少しそういう場面に近づくような性質がありますね、確かに。 同上P273・274
―僕は鮎川さんとは交友はなかった。ただ、非常な敬意を持ってましたけど、やっぱりオーラが全然違うじゃない、詩的なものが鮎川さんと田村さんではね。そのときに新しく出来た詩の賞が高見順賞、そのときの選考委員のお一人が鮎川信夫さんで、その選評がとても深くまで読んだものだという感想がわたくしにはありました。鮎川さんに対する敬意はそこに根があった。 同上P274・275
―ミホさん(注:島尾)の最後の文章(「新潮」二〇〇六年九月号)にね、恋人(敏雄)に逢いに行くときに、岬づたいに泳ぐというより海中を跳ねるようにして行くというのね。海の底に足裏がついたら蹴って立ってを繰り返していたというのね。こんな海中の歩行に、初めて触れて、驚倒したことがありました。 同上P277
―震災以後どう詩が変化したかということを考えて言っておきたいのですが、縄文と日本にもあるストーンサークルを論じつつgozoCineを制作したときに自覚したことをお話ししておきたいと思います。語法は震災以前も以後もまったく変わりませんが、はっきりと自覚をしたという意味では、この境い目は決定的だったのかも知れません。(中略)おそらく縄文以来の絶をえることのない、・・・・・・それこそ絶えることのない始まりの持続、・・・・・・このことに震災を契機に気がつき、自覚をしたのです。自覚すると、さらに、その、“一気呵成性”の震源のようなところを目指すようになりました。それが震災以後でした。 同上P292・293

 いやあ、中身の充実した本だった。









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2017年11月04日

梶井基次郎『檸(れもん)檬』

昭和42年発行平成15年63刷改版平成24年77刷 新潮文庫
 3年ぶり2度目の「檸檬」の実践。
 新潮文庫で梶井の短編を読んでみた。
 いずれの掌編にも文学的香気の漂う表現が満ち満ちていた。
 そのなかで、「檸檬」の微かな香りが漂い、私の個人的な琴線に触れた表現を抜き書きしておこう。

―「・・・俺の生きる道は、その冷静で自分の肉体や自分の生活が滅びてゆくのを見ていることだ。」 「冬の日」P181

―彼は水素を充した石鹸玉(シャボンだま)が、蒼ざめた人と街とを昇天させながら、その空気のなかへパッと七彩(なないろ)に浮び上る瞬間を想像した。 「冬の日」P184

―三月の半ば頃私はよく山を蔽った杉林から山火事のような煙が起るのを見た。それは日のよくあたる風の吹く、ほどよい湿度と温度が幸いする日、杉林が一斉に飛ばす花粉の煙であった。(中略)ただ渓間にむくむくと茂っている椎の樹が何回目かの発芽で黄な粉をまぶしたようになっていた。 「蒼穹」P201

―径の傍らには種々の実生や蘚苔、羊歯の類がはえていた。この径ではそう云った矮小な自然がなんとなく親しく――彼等が陰湿な会話をはじめるお伽噺のなかでのように、眺められた。 「筧の話」P206

―「課せられているのは永遠の退屈だ。生の幻影は絶望と重なっている」 「筧の話」P209

―結局は私を生かさないであろう太陽。しかもうっとりとした生の幻影で私を瞞そうとする太陽。 「冬の蠅」P215

―私の宿へ帰るのがいかにも億劫であった。そこへ一台の乗合自動車が通りかかった。それを見ると私は不意に手を挙げた。そしてそれに乗り込んでしまったのである。/その自動車は村の街道を通る同族のなかでも一種目だった特徴で自分を語っていた。暗い幌のなかの乗客の眼がみな一様に前方を見詰めている事や、泥除けそれからステップの上へまで溢れた荷物を麻縄が車体へ縛りつけている恰好や――そんな一種の物ものしい特徴で、彼等が今から上り三里下り三里の峠を越えて半島の南端の港へ十一里の道をゆく自動車であることが一目で知れるのであった。私はそれへ乗ってしまったのである。それにしてはなんという不似合いな客であったろう。私はただ村の郵便局まで来て疲れたというばかりの人間に過ぎないのだった。/日はもう傾いていた。私には何の感想もなかった。ただ私の疲労をまぎらしてゆく快い自動車の動揺ばかりがあった。(中略)やがてその村人にも会わなくなった。自然林が廻った。落日があらわれた。渓の音が遠くなった。年古りた杉の柱廊が続いた。冷い山気が沁みて来た。魔女の跨った箒のように、自動車は私を高い空へ運んだ。(中略)そこへ来たとき、私はやっと自動車を止めた。そして薄暮の山の中へ下りてしまったのである。何のために? それは私の疲労が知っている。私は腑甲斐ない一人の私を、人里離れた山中へ遺棄してしまったことに、気味のいい嘲笑を感じていた。 「冬の蠅」P221・222

―「此処でこのまま日の暮れるまで坐っているということは、何という豪奢な心細さだろう」 「冬の蠅」P223

―私はゴロッと仰向きに寝転んで、猫を顔の上へあげて来る。二本の前足を掴んで来て、柔らかいその蹠を、一つずつ私の眼蓋(まぶた)にあてがう。快い猫の重量。温かいその蹠。私の疲れた眼球には、しみじみとした、この世のものでない休息が伝わってくる。/仔猫よ! 後生だから、しばらく踏み外さないでいろよ。お前は直ぐ爪を立てるのだから。 「愛撫」P261

tomtom_poem at 01:55|PermalinkComments(0) mixiチェック 文学・評論 

2017年10月09日

ウエノ・ポエトリカン・ジャム5

2017.10.07(土)
 関東中央病院・・・東農大前−〈小田急バス〉−渋谷−〈銀座線〉−表参道−〈千代田線〉−湯島・・・上野水上音楽堂15時45分頃に到着。第3部チーム名古屋から観られた。

第3部ゲスト
チーム名古屋[鈴木洋一レモン、三原千尋、自縛ポエトリー/うい]
第4部オープンマイク
茜ナツキ
smoke
浅葉爽香
ジュテーム北村  名まえが有名な方だが、私は初めて。スタイルができていて、客も反応しちゃう。
トミー  名まえが近い(かつてそう渾名されたこともある)のでどういう人かなと思っていたら、美しい女性だった。
道山れいん
池上宜久  「ア行の歌」?! こういうことばの諧謔は私も好きだが、ここまではっちゃけて、パフォーマンスされたのに吃驚。
福田理恵
WANNA DA WANNNA
江藤莅夏
第4部ゲスト
てあしくちびる  ヴァイオリンの女性とギターの男性デュオ。「関東」やら「北関東」やらを歌にしていて、こういうローカルさは大好きなのだが、小刻みなリズムが軽快すぎて歌詞の内容が聞こえんかった。だが、あまりの心地よさに、それも異郷のムードあって、ブルガリアン・ボイスとかルチアーノ・ペリオの合唱曲とかを連想したよ。
東直子  短歌の才能ある女性は何でもおできになるんですね。すばらしい。(酔っぱらった人が脇で大声出してて、彼女もひとくさり言われたのはよかった。)
谷郁雄  こういう詩なんですね。最後にシルバスタインの詩を読まれていて、懐かしかった。
GOMESS
狐火  福島から出てきて14年、老いた母へのメッセージ・ラップで印象深かった。
第5部オープンマイク
平田真紀
加藤真弓
iidabii
I.G(Idea Pops)
梓ゆい  今迄の彼女パフォーマンスのイメージと違って、静かで印象的な情景で終わる作品だった。
きざる(MCバトル優勝者)
第5部ゲスト
ikoma&三木悠莉(本日の主宰)
もり  春のポエトリー・スラム・ジャパン全国大会で初めて接したパフォーマー。会場を駆け巡り、客席中央の塔にまで昇ったりして、パフィーマンスが進化していて吃驚。
小林大吾
Anti−Trench
志人(しびと)
松永天馬  娘からCDも借りて聴いていたバンド、アーバンギャルドのリーダでありボーカルでもある彼。10何年前には詩のボクシングにも出場して優勝していたという! 予想以上にゆにーくでおもしろくってあじのある歌と演奏と朗読とパフォーマンスと衣装であった。
谷川俊太郎  御年85歳かぁ。お元気だなぁと年取ったなぁと。さすがに滑舌は弱くなってらっしゃったけれど、盛りあがる客へのサービスはさすがだなぁ。高齢のご自分を見つめる視点がすごかった。「おちんちんの歌」で応え、最後はさらりと「かっぱかっぱらった・・・」を早口で言ってさっと退場するかっこよさ!!
 
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 会場を出ると、不忍池の沖で金堂のように輝くお堂があった。
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 反対側(本郷方面)には摩天楼のような丸いビルが光を発していた。
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 ・・・シャッターの多く閉まったアメ横を横切ると角に麺屋武蔵武骨があって中国人などが並んでいた。らーめん赤880円を食す。唐木田行き多摩急行がもうすぐ来る時間になったので、ふたたび折り返して、音楽堂の脇を通ると、今日の出演者たちが暗い夜道を明るい街の方に向かって歩いて行った。私は湯島駅を下りていった。
 湯島−新百合ヶ丘−〈各停〉−厚木−


tomtom_poem at 21:53|PermalinkComments(0) mixiチェック 詩歌 

2017年10月08日

関東中央病院の秋

2017.10.07(土)関東中央病院の母の病室へ。力が回復してきた今は、折紙を折りつづける。手先を動かすのが得意なのだ。折る手は血管が浮き出て骨と皮が目立つ。しかし折りつづけられるのはいいことだ。ただし、途中で疲れたと言ったりもしたが。作った作品の写真を撮ると言ったら、協力してくれた。
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 駐車場を挟んだ森の木々は、実をつけたり小さな花を咲かせたり、色づいたりしていた。
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 西病室からの眺めもまたよかった。
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tomtom_poem at 01:56|PermalinkComments(0) mixiチェック 日常 

2017年10月02日

TASKE活動25周年記念イベント・相模篇inエル・トピート

2017.09.30(土)18:20〜21:40 小田急相模原“エル・トピート”
 会場のエル・トピートには、南米ペルーの民芸品やアイテムがずらーりと。
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1.オカニワフミヒロ(キーボードソロ)
2.冨田民人(詩朗読)
3.メルヘン平井with団地妻イトウ
4.じあん
5.TASKE(キーボードソロ)
6.当日エントリー[こおり]
7.上田(かんだ)昌典
8.しずく(詩朗読)
9.ゲシュレクトオルガン(踊り)
10.団地妻イトウ
11.TASKE&も玄米(ラストステージ)
 も玄米さんのウクレレは快調でした。ヴォイスも素敵でした。TASKEさんとのコラボが見られてとてもよかったです。ありがとうございました。

 朗読した詩を載せておきます。相模にちなんで、海老名にまつわる詩を3編読みました。

 昼の月

ぼやけた月が空に浮かんでいる。
白鷺が飛んでいく。
道祖神はそこにある。
桜の木が秋に花を咲かせている、
白い華奢な花びらで。
じっと見ていると、
時代の遠くまで
透きとおっていく。

天下泰平の快晴だ。
父親が球を投げ、
子がキャッチして、
緑の広場に
溌剌とした声が響く。
子が球を投げ返し、
父親がキャッチする。
礎の石段に腰を下ろし、
父と子を見守る若い母がいる。
聖なる彼女は視る。
子が投げた球が消え、
すっぽりと割れ目にはいるのを。

わたしは読経の神秘を聴く。
僧形の座臥の影に幽玄を思う。
かれらが日々の研鑽に努めた講堂。
遺跡の空間に浮かびあがる靄。
千年余も隔てた人々の、
営み。

母親は視る、
中有の裂け目から
ふたたび球が現れるのを。
子は投げる、
ボールは消える、
遠い父や母が受けとめる。

相模国分寺の遺跡は
掘りだされてまもないが、
眠りつづけていたのだが、
いまはきれいに化粧されている。
わたしは柱石の上に建つ伽藍を視る。
歴史のまどろみから覚めると、
聖武の志は
道路によって寸断されていて、
近くに見える高層ホテルと
対比されている。

月はしだいにはっきりと映しだす。
父と母と子の
キャッチボール
代々の繋がり
その弦の経文を
                                      (第1回えびないちご文学賞入選作)


 つぼみのまま

江戸の武家屋敷を出た後
馬引沢・二子の渡し・溝口・荏田・長津田・鶴舞を経て
如月の酷寒の夜
どこの宿駅で泊まったのだろう
娘は病に冒され母は思いをふりしぼっていた
冷たい風に吹きさらされて
娘は激痛にみまわれ歩けなくなった
母は里人にとりすがる
名医半井驢庵(なからいろあん)先生のお屋敷は何処(いずこ)
寺の住職ねんごろに教えたが
花咲かぬままその子は息をひきとった
里人、なき子に同情し
地蔵堂を建て椿の花を供えたという
やがて、
その一枝が根付いて成長したが
何年たっても何百年たっても
つぼみはつくのに花は一つも咲かないのだ

日射しの強(こわ)い春のこと
確かにお堂の横に椿の木があって
つぼみをたくさんつけていた
先が赤っぽくなっていて
あと少しで可憐な花を咲かせそうに見えたけれど
命の口はかたくなに閉ざしていた

近代科学の眼で見れば
花が咲かぬのは遺伝子異常
けれどけれど
遠き人の眼で見れば
娘の霊がのりうつってのこと

そこからわずか十分で
御典医驢庵の屋敷跡につく
先生が植えたなんじゃもんじゃの木が
今もなお生きつづけている

※「えびなのむかしばなし第一集」より。椿地蔵は海老名市にある。
(「山脈」第2次第4号 2010年)


 三百歳のあなた

 ハルニレは、北の大地の低地に多く生育するニレ科の温帯性落葉高木で夏緑広葉樹林域の湿気のある肥沃な場所に好んで棲まい、新緑の出る前、群集する新芽で喜ばせ、黄緑色の目立たない小花を密に付け、種子は初夏の熱情に成熟するが、県下では知る人が少ない。

神話も名前もわからず
これはなんじゃもんじゃと言われつつ
やわらかい棒のように
大股に脚をひろげたさまは
絵本の中の歩く木のようです
いつしか
ふたつの太ももの割れ目は
耐えきれなさそうに見えたので
かたい幕でふさがれました

つややかな肌をもち
そびえる長身でいらっしゃいますが
背中はただれているのですか
時のために
風雪にえぐり取られた首筋までも
ギブスでふさがれて
その道筋を思います

あなたの中に入りこんでみたいものです
三百年分の温もりは
入ることをゆめ見た人の数だけのロマンで
熟成しているでしょう
ぶあいそうな割り竹の戸は
ちゃっかり鍵までかかっていますのに

あなたは古い文献でも此処に
お立ちになっているんですってね
神崎のクスノキでも
外苑のヒトツバタゴでも
筑波のアブラチャンでもなく
ここ相模の片田舎有馬村の丘の上に
異郷のハルニレとして
あんにゃもんにゃと

黒い狂者たちが渇ききります
時速百年のスピードで
愛でられていますか
黄色い爪をたてて
剥いでしまいましょうか
艶めかしきその皮を
舐めてしまいたい白肌

ニレはぬれに滑(ぬ)れに通じる
その名のように
ぬれていますか
ひとり生きるあなた

(「山脈」第2次第1号 2009年)


tomtom_poem at 01:00|PermalinkComments(0) mixiチェック 詩歌 | 音楽

2017年09月18日

上溝南のケヤキ林〜台風一過の30度の午後・9月〜

2017.09.18(休)午後から出勤。曼珠沙華が咲いていた。
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 通用門には例年通りの赤い花の渦。
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tomtom_poem at 21:00|PermalinkComments(0) mixiチェック 上溝南 

2017年09月17日

寒川駅の鐵の轍・その他

2017.09.16(土)寒川駅ホームにて。電車が20分来ないので、線路を見つめてみた。
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 ホームの先に自然園?
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tomtom_poem at 20:52|PermalinkComments(0) mixiチェック

2017年09月16日

水族館劇場野戦攻城「もうひとつのこの世のような夢―寿町最終未完成版―」

2017.09.13(水)18:30〜21:00 於:盗賊たちのるなぱあく[巨大廃園の路地](寿町総合労働福祉会館建替え予定地(横浜寿町労働センター跡地))

台本+○○+総監督:桃山邑
出演:のら/千代次、秦龍造/津田三朗(造形作家)、秦竜二郎/淺野雅英、あまち(アマノウズメ)/風兄宇内、大黒天煙の助(芸能の宿神)/秋浜立、繭未/山本紗由、ヒロト(せむしの道化師)/盒玉席

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18:30
〜顔見世(前芝居)〜 海を越える異神
19:00
月の幕 鏡の中の女優
〜幕間〜 乞丐どもの晩餐会
水の幕 瞑い森に棲む獣
〜幕外〜 酔いどれ船何処へ

 とことん芸能(者)に拘っている集団のようですね。アングラ以前の河原者たちの現代版。
 70年代末期のアングラ体験を彷彿させることがいくつもありました。たとえば客の間をつめる時の「あと5センチ!」とか。役者のメイクも格好も。当時ピチピチの演劇青年たちだったような老練な役者たち。その中に混じって異彩を放っていた山本紗由や淺野雅英や盒玉席癲△修靴討むたくの七ツ森左門などの若い芸能者たち。
 
 大学時代の粗末な卒論のテーマが「芸能の起源」で、上代から現代までの芸能史について断片的な知識と興味を持ってきた私にとって、「秦一族」とか「補陀落渡海」とか、非常に興を引かれるものでした。しかし、上代から戦争時代まで(現代のかげが物語に薄かったのは―前芝居がそうだんでしょうが、日雇い労働者の集まる寿町で芝居するということで示していたのでしょうか)、いくつもの時代が錯綜し、ストーリーを単純に追えはしなかったのだけれども、芸能者のダイナミズム(?)はじゅうぶんに感じとれ、ワクワクしながら観ていられました。

 ただ、生身の人間を見世物にした「人類館」に、(アイヌは出てきたのに)沖縄の人間が出てこなかったのは不思議でした。

 白龍が昇っていったり、本物の鯉たちが泳ぐ池が舞台のまん中にあらわれる大仕掛けにはびっくりしました。劇団の名の由縁がわかった気がします。大仕掛けと言えば、5月に高円寺の屋内劇場で観た風錬ダンスもそうでしたが、規模が違いましたね。

 同業の方でこの劇団を教えてくださったM氏や、古くから知っていて最近交流し始めた朗読家T氏がこの劇団の刺激的な感想を話したり記したりしてくださっていて、観たかったのが、トリエンナーレの企画で観られたのはよかったです。

 



tomtom_poem at 22:21|PermalinkComments(0) mixiチェック 演劇 | アート

盗賊たちのるなぱあく[巨大廃園の路地]〜アウトオブトリエンナーレ

2017.09.13(水) −厚木・ロティにて昼食−町田−新百合ヶ丘−成城学園前−関東中央病院−用賀−二子玉川−自由が丘−横浜−石川町・・・盗賊たちのるなぱあく[巨大廃園の路地](寿町総合労働福祉会館建替え予定地(横浜寿町労働センター跡地))16時過ぎに到着・・・17時半、関内・ファイアバーグにて夕食・・・18時ごろ夕焼けのるなぱあくにもどる。

鬼海弘雄「人間の海 肖像写真展」
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岡本光博「DADAモレ」「ドザえもん」
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津田三朗「鐵の梦」
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東京大学大学院表象文化論研究室パネル展示「蜂起/野戦攻城2017@寿町」
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「焼け落ちた追憶のお化け屋敷」
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「まわらない回転木馬」と古本屋街
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水族館劇場
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2017年09月08日

明川哲也『大丈夫、生きていけるよ へこんだ日の般若心経』

2008.09.05PHP研究所刊 図書室廃棄本をM氏から借りて読む。

―「波羅蜜多(はらみった)」 サンスクリット語の「パーラメーター」の音訳です。こちら側からあちら側へ。此岸から彼岸へ渡るという意味です。(中略)仏陀の原始宗教で言えば、此岸や彼岸は死によって区分する必要もなく、生きている人間のために用いられたたとえでした。大乗仏教でもそれは同じだったのですが、死の哀しみを和らげるために僧侶たちが人々と交わる、という独特の歴史を経てきたため、彼岸があの世を意味するようになってしまったのでしょう。
  「此岸」・・・限りない欲望や執着のために苦しみを滅することができない、日常。煩悩の世界。
  「彼岸」・・・「法」を知り、執着を断つことができる、欲望や迷いのない境地に達すること。
  「解脱」・・・パーラメーター。執着を断ち、迷いの元を滅し、苦のない境地に到達すること。     P76・77
―現象はすべてが原因であり、結果である。この「因果」の法則から抜け出た現象はひとつもありません。花が咲くのも原因であり、結果です。飛び交う蜂も原因となり、結果になります。そしてお互いが密接に関係し合っている。すべての物質「色」が、原因と結果として網の目のように絡み合っているのです。関係の中にしか存在しません。これを「縁起」と言います。                                  P109
―「呪」は呪文という意味。霊力のある言葉、神秘的な力を宿した言葉のことです。(中略)仏教ではこのような言葉を「真言」と言います。本当の、純粋に心から発している言葉という意味ですね。  P172
―呪文のことを、仏教ではなぜ「真言」と言うのか。本当の言葉は、本当の心と置き替えられます。宇宙とつながってしまうので、それは真理や真実の真なのです。                    P180
―「般若心経」を読むことの目的は、あなた自身が空であることを知るとともに、空そのものになること、つまり宇宙と重なる大きな視野を体得し、そこからみなぎる力によって自在に生きていけるようになることです。  P177
―否定して、否定して、最後は空となる。ただそこに浮かぶ雲。その上の青空。そよぐ風。夕暮れの朱(あけ)。夜になれば煌めく星々。それらには善も悪もない。でもそれがすべてなのだ。自分と重なるすべてなのだ。つまり、否定して、否定して、仏陀は生涯をかけて否定して・・・・・・全否定になったのです。空もまたそうです。空だからこそ、すべてが移ろいゆく世界だからこそ、あらゆる現象は目の前にある。自分もそこにいる。つまり空とは、「ある」ということの絶対条件なのです。                                 P189・190
―「般若心経」を理解して、自在な気持ちになれたからこそ感謝できることがあるのです。   P195

tomtom_poem at 01:06|PermalinkComments(0) mixiチェック 文学・評論 

2017年09月01日

イプセンを上演する会「小さなエイヨルフ」

2017.08.26(土)14:00〜16:35
作:ヘンリック・イプセン 訳:毛利三彌
演出:花島宣人 制作:西田正、福岡克彦
出演:アルフレッド・アルメルス(夫)/宣花 リータ・アルメルス(夫人)/柏文麻
エイヨルフ(一人息子)/花島拓人 アスタ・アルメルス(アルフレッドの異母妹)/月尾由佳
技師ボルグハイム/寒川瑞貴 鼠ばあさん/三橋麻子

 ふくぅさんの招待なる第2弾! 地味で小規模ながら、前回に引き続いてとても大事な観劇体験をさせていたいた。感謝感謝。
 前半は、冷めた夫婦間の激情とエゴのぶつかり合いだった。その中で、リータ(柏文麻)のエロスの本能の露出が迫真だった。特に寝転がって服を少しはだけてみせるシーンは印象に残っている。 夫のアルメルスは「人間の責任」という小説を書いていたが、断念して10日間旅に出て、帰ってきた。夫婦の不注意から乳児の時にベッドから転落し、足の不自由な一人息子エイヨルフが川に落ちて死ぬ。
 リータは夫への独占欲から、エイヨルフにかまい続けるアルメルスを非難し、誘う。彼女に息子に対する母性がないのはどうしてだろう。
 しかし、子の死に直面した彼女は泣く。それに対してアルメルスの子への愛は本当の愛ではなかった。売れない小説への執着の代わりだということをリータは見抜いていた。
 対して後半は、二人は静かに理性的に語れるようになる。ラストのアルフレッド「上の方へ」に対してリータが「ありがとう」と言って抱擁するシーンが、落ちた所から上昇し、(先の見えない)幸福を象徴していて、印象的だった。
 アスタ役の月尾由佳の陰影のある演技がよかった。半年前に観た時と同様、暗いキャラクターながら軽みのある、ボルグハイム役の寒川瑞貴の声がいい。

 装置がすべて木であったのは、冷めた芝居に温もりを与えていた。
 前半の暗転の装置転換が、ああいう暗転の処理の仕方があるのかとおもしろかった。完全暗転でなく、薄闇の舞台上に一人の男(顔は見えない。暗いので。)が出てきて、テーブルとかベンチとかを一人で移動させていて、あたかもそれを観客に見せている演出だったのか。不思議な停滞の時間だったが、長い暗転の退屈さがなかった。



 

tomtom_poem at 01:19|PermalinkComments(0) mixiチェック 演劇 

2017年08月25日

宮村治雄『丸山真男『日本の思想』精読』

2001.1.16第1刷.2004.7.5第5刷発行 岩波現代文庫
 教科書に載っている丸山真男「『であること』と『すること』」の授業研究のために読んだ本。丸山の難解な文章をわかりやすく読み解いていた。が、ついに読みきることはなかった(いまのところ)。
 線を引いた第二章の部分だけコピーしておく。

第一章 「戦中と戦後の間」―丸山真男の思想史的位置―
第二章 「「である」ことと「する」こと」(一)―近代社会の論理―
―一九五八年になされた講演の原稿をもとにしたもので、長さは四〇〇字原稿用紙四〇枚余り、講演になおすと一時間半を少し切る位のものでしょう。(中略)しかし、内容はずいぶん圧縮されたもので、それを読み解き、読みほぐしていこうとすると、何倍もの時間がかかりそうです。 P33・34
―「「である」ことと「する」」ことというエッセイのテーマは、この「近代哲学」とは何かという基本問題である。 P35
―丸山は、そうした意味で「近代」を規定している「哲学」を考えようとしたとき、それは、「「である」論理・「である」価値から「する」論理・「する」価値への相対的な重点の移動によって生まれた」といえるのではないか、という仮説を立てようとしました。そして、この「である」と「する」という二つの論理・価値の対照性を確定し、また前者から
後者への移行の意味と歴史的多様性を分析し、それを一つの尺度として、「日本の近代」の特質を考えようとした、というのが、このエッセイのテーマといえるでしょう。 P38
―丸山は、一五八頁以下で、「である」ことと「する」ことという二つの「典型の対照をヨリ明確にする」として、徳川時代と現代とを比較しながら、いくつかの「尺度」を指摘しています。その第一は、社会の構成原理にかかわるものです。つまり「どの要素が社会関係において決定的な役割を担っているか」ということについての尺度です。「である」社会においては、一言でいうと、「出生・家柄・年齢・身分」といった「素性」が尺度になる。そこでは、社会を構成する人々の位置が「先天的」に決定されているだけでなく、それが個々人の現実の行動によって変更され得ないというように、「する」論理は二重の意味で無力です。(中略)/それに対して「する」社会では、社会の構成原理は、「目的の限りで取り結ぶ関係」が中心となります。社会関係は具体的な「目的」を共有し、それを実現していこうとする限りで意味をもつものとされますから、関係は一時性を当然とし、役割の限定性や、時には相互置換性も認められることになります。(中略)各自の役割も多様なものを同時に担う、つまり多元的な役割意識が一般的にならざるをえません。また、「する」社会では、社会の集団形成においても、「会社」「政党」「組合」といった「機能集団」が典型性をもつことになります。 P43・44
―「である」社会では、社会的価値は「帰属」―なにに、どこに属しているのかということによって決定されるのに対して、「する」社会においては、「業績」、つまりなにを実際なしたか、いかなる役割を果たしたかによって決定される。 P44
―第二に、「「である」ことと「する」こと」の対照性は、社会における認識様式の上でも大きな意味をもっています。
第三章 「「である」ことと「する」こと」(二)―日本近代社会の特質―


tomtom_poem at 23:42|PermalinkComments(0) mixiチェック 文学・評論 

2017年08月23日

TOMISANPO第5〜橋本から藤野へ

2017.08.23(水)
 朝から橋本で健康診断。嫌な採血と嫌な発泡剤&バリウム飲み。――私の腕の血管は探しにくいようで、毎年看護師も私も苦闘する。ベテランで上手な人は一発で針を射しこむが、ある年に担当した若い人には3回ぐらい射し直しをされ、一日青痣が残った。今年は最初から構えて、看護師が準備している時にわざと腕の血管部分をさすった。すると、その人から、では細い針で射しましょうねと提案があり、結果、一回で済んだ。胃部検査の時に呑まされる発泡剤とバリウムについては、多くの人が苦情を訴えている。私も同様である。
 
 11時30分過ぎにはすべての検査が終了した。検査のために朝から飲食をしていない。どこで昼飯を食べようか。昨年末の職場のクリスマス会で使った店がよかったので、歩いて行くことにした。
 徒歩10分ちょっとで着いた店が“インドの恵み東橋本店”。ランチの日替わりカレー(豚肉とレンコン)とマンゴー・ラッシーを注文。カレーにまみれたレンコンは初めてだったが歯応えがあって美味しく、豚肉も皮付きの塊が3〜4切れ入っていて、今までにないポークでよかった。しかし、カレーは特に舌の印象に残らなかった。
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迷った。このまま帰って、義父の見舞いにも行けるかもしれない。家事もできるかもしれない。しかし、私のバス好きと遠くに行ってぶらぶらしたい癖が勝った。私の足は駅に向かわず、バスターミナルに向かった。ちょうど、三ヶ木行きのバスが止まっていた。
  橋本駅北口→日赤病院前→三ヶ木
 三ヶ木に行くのは何年ぶりだろう。きっと30年ぐらい行っていない。立派なバスターミナルが建っていた。相模湖行きの出発時間まで30分近くあるので、近くをぶらぶらした。
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 相模湖駅行きのバスはまだ車庫に止まっていた。
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 相模川にかかる桂橋を車窓から撮れた。
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 あの、県立やまゆり園前を通過した。相模川を挟んで反対側の山の上に観覧車が見えた。プレジャーランドがこんな近くに見える所だった。七曲がりのような急峻なカーブを過ぎて、国道20号に入ったが、国道とは思えぬ田舎の道だった。左にこぢんまりした北相中学校が見えた。ここを出た子が何人か通っている。
 駅前に入る交差点で、藤野駅行きのバスが行ってしまった。これでバスでの乗り継ぎが断たれた。幸い10分で中央線下りが来るので、乗ることにした。それは遠く長野行きの6両編成普通列車だった。
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 藤野駅で下りた。たぶん初めて。以前、金井雄二さんが、ツーリング途中で立ち寄って、かなりユニークな店が駅前にあると書いていたので、探した。駅前の坂を下りた交差点の前に、なるほどけったいなデザインの看板の店らしき建物があった。しかし、シャッターが降りていた。近寄ってみると、どうやら土日中心に不定期に開店している店らしい。アーティストの展示会も開いているらしい。
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 国道を外れて、相模川にかかる日連大橋に下りて行った。橋の手前に、芸術ロードの案内板があった。藤野芸術村が有名で、我が家も子どもが小さい時に遊びに行ったことがあるが、道沿いにアートが散在して創られているようだ。暑くなく、体力もあれば行くのだが、この日は断念した。ただ、橋の両脇にアートらしきレリーフ(?)があった。
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 これはテレビ番組ナニコレ珍百景でも紹介されていた大きなハートの作品。藤野駅からも見え、写真を撮っている若者たちもいた。
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 橋からの眺望がすばらしかった。
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 釣り船が何艘も出ていた。その一つを撮ったつもりだったが・・・。
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 この町からも何人か通学している。実はその一人に会いたかったのだが。彼にはもう4ヶ月も会っていない。

 駅前の薬局店の看板も面白かった。ちょっとカメラがずれた。
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  藤野→高尾→八王子→橋本→寒川・・・FIX

 















 

tomtom_poem at 22:07|PermalinkComments(0) mixiチェック 散歩 

2017年08月21日

愛川ふれあいの村

2017.08.16(水)〜08.17(木)
 厚木バスセンター〈センター半原行〉−野外教育センター・愛川ふれあいの村・・・
 神奈川県高等学校演劇連盟宿泊講習会(8校の合同合宿)に参加。
 食堂・入浴施設“かわせみ棟”
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 宿泊した“せきれい棟”
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 眺望できる山並み
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 村内の草花。
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tomtom_poem at 21:29|PermalinkComments(0) mixiチェック 旅・観光 

2017年08月20日

ドキュメンタリー映画「BE FREE!〜原爆の残り火を、パレスチナへ アースキャラバン2015」

2017.08.20(日)中野・なかのゼロ学習室2
機 ̄撚莨絮如          13:45〜15:37 
 監督・撮影・編集:鈴木聡

 福岡県八女市星野村にある星のふるさと公園「茶の文化館」前の平和の広場に、平和の塔というモニュメントがある。その中に灯っている火は、1945年8月6日に原子爆弾が落とされ跡形もなくなった広島市内の書店・金正堂(2011年まで店舗営業していた)の跡でちろちろ燻っていた火を、書店の経営者であった、行方不明の叔父の形見として1人の兵士が故郷の星野村の自宅に持ち帰ったものだそうです。それを1966年偶々訪れた新聞記者が見いだして公になり、1968年に星野村に引きつがれました。その兵士・山本達雄さんは2004年に亡くなりましたが、今では上記の公園につくられたモニュメントの中で、平和を祈る火として燃え続けているといいます。
 1人の日本の仏教僧侶が発案した世界平和イベント”アースキャラバン2015”の人々は、その原爆の残り火を広島に持ってきて、そこから平和を願う旅に出ます。そして、着いた所々でうたをうたいあったり、ハグしあったり、ペイントをしてもらったり、祈りあったりして、現地の人々と交流して平和を訴えていきます。中でも、イスラム教・ユダヤ教・キリスト教・仏教の信者たちが、宗教の垣根を越えて認めあおうというメッセージを訴える取り組みに感銘を受けました。彼らは日本[広島−京都−東京]−オーストリア[ウィーン−ドルンビルン]−ドイツ[ダッハウ−ミュンヘン]−チェコ[プラハ]−ポーランド[アウシュビッツ]−ウィーン−パレスチナ[エルサレム−]−イスラエルと旅して行きます。映画は彼らの40日間を追ったドキュメンタリーでした。
 彼らの最後の目的地はパレスチナでした。イスラエルのパレスチナへの入植(土地接収=占領)は進んでいます。発端は第1次大戦時の英国の二枚舌外交だったことの説明や、入植を色で表した地図がわかりやすく、ヨルダン川西岸地区はもうパレスチナの人々の住居地が点のようになっていて、入植のひどさがわかりました。
 私は、高橋美香さんの本や写真集も読んでいて、美香さんのMAPでの報告会にも参加させていただいていたので、その話よりも尚、事態の深刻化のスピードが速まっていると思いました。

供[詭攸錙高橋美香トーク  15:53〜16:45
 鈴木さんを初めとするアースキャラバンの皆さんの心意気と心配が、生の声で伝わってきました。心配というのは、こういうイベントに参加するのは一部の意識の高い人たちだけで、一般の人たちには伝わらないのではないか。ぜひ、多くの人にシェアして拡散してもらいたいということです。
 ここで、いま読んでいる、詩人・吉増剛造の『我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ!』で詩人が語っていたことが気になりました。「当時は60年安保で学生運動の高揚期でしたよね。でも学生運動はエリート集団のものだから。あれはトップのほうの人たちがやること。僕は、落第生相手に、どこかの会社の会長の孫みたいなのを引き連れて、宇田川町のホステスと一緒に戯れているような」(P158)。
 高橋さんの話は、リアルに悲しくて苦しいもので、鈴木さんも一瞬ことばを出せなくなりました。

 昨夜は杉並の老母のマンションに泊まって面倒を見、午後なにかイベントがないかと探していたら、美香さんのツイッターでこの上映会があることを知り、急遽行ってみることにしたのですが、行ってよかったです。映画もよかったし、お二人のお話もよかった。現場でもどこかで利用したいと思いました。

tomtom_poem at 23:47|PermalinkComments(0) mixiチェック 映画・演劇