2018年04月13日

水族館劇場「望郷オルフェ ー来るべき追憶の後にー」

2018.04.14(土)新宿 花園神社 境內特設野外儛臺 星の筏 19時10分 劇場外顔見卋(プロローグ)スタート 終演21時40分

 学芸大学駅近く・古本遊戯 流浪堂にて前売り券購入。
 17時にM氏と待ち合わせ、入場整理券は66。昨秋・寿町で初めて観て、その前近代的な前衛芸能手法に驚いたのだが、M氏との話の中で、主宰の桃山邑がかつての曲馬館出身だということを聞いて、少なくともその過激さには納得がいった。曲馬館のテント芝居は、40年前の学生時代に渋谷と白楽で観て、これもかなり刺激的な舞台で驚いていたことを覚えている。


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花園神社境内にあるご神木
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上演前の舞台裏
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臺本・譼督:桃山邑
出演:千代次 、 淺野雅英、サカトモコ、日高良祐、 七ッ森左門、 秋浜立、 臼井星絢、 増田千珠、 松林彩、 石井理加、 南海里、 居原田遥、 羽鳥和芳、 伊藤裕作、 一色凉太、 津田三朗、 風兄宇内
制作:中原蒼二、伊藤裕作 照明:西之一舟 美術:淺野雅英 音楽:鈴木都、山本紗由 音響:下野司 舞台:平岡希樹 劇場:秋浜立、原口勇希、松林彩 衣裳:千代次 車輌:臼井信一、駒田仁志、佐野雅彦 化粧:増田千珠、野原海明 木戸:村井良子、中村三和子 炊事:渡邊紀子、清藤真理 小道具:石井理加 編集:矢吹有鼓 記録:DJ.YOU 舞台監督:古木均 特殊造形:津田三朗 宣伝美術:近藤ちはる 企画製作:Koola Lobitos

 みるなよ/月しろの絕巓が幽んでる/宵闇の水邊に難破したうつろな小舟のように/沈默と叫びに惑いながら
なにかが空に浮かんでる

前芝居が始まる前の雨に濡れカッパに身を包む観客たち
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さあ、前芝居の始まりだぁ
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intro        じゃまぼろしと呼ぶんだね
螢石の夜     もののあはれの声がきこえる
interlude     ちょっとお眠り
琥珀の夜     この卋の外から還るもの 
coda        だれかが夜を越えてくる

 プログラムに桃山が書いていることから抜き出してみる。
――「うたの本体、政治をたすくるためにもあらず。身をおさめるためにもあらず。ただこころに思ふことをいふより外なし。」(本居宣長「排蘆小舟(あしわけおぶね)」)
――わたくしなりの「宣長理解では「恋する虜が孕みもつ善と悪の両義性を超えたところにこそ、もののあはれの風が吹く。只、意にまかすべし。」
――国学と呼び、「日本」という領域を意識させるこの学者の、問題性の根源にほんの一端でも触れられればと考えながら台本を書き起こしました。
――「もののあはれ」という独自の発想は(中略)その思想がはらみもつ、外つ国の排斥にかかわる問題性。(中略)差異ある他者へのおおらかな理解のまなざしを閉じているとしたら。

――わたくしたちの芝居は言葉を持って言葉にならないものを伝えようとしてきたのですから。
――(中沢新一の言った「プロテスト呼ばれるものが芸術としてたちあらわれるならそれは二流のものにすぎない」に対して)水族館劇場は二流で結構、むしろすすんで立派なものからの逸脱をこころみてゆくごろつきたちなのだから。
――わたくしたちが声をかぎりにうたうかなりの部分は「ちからよわい者の抵抗」という歴史の片隅に追いやられた物語に依拠しています。
――わたくしたちの芝居もそう(注:プロテストの叫び)ありたいと思い、流浪する散楽藝能者という仮説をみずからにかぶせてきたつもりです。

 これらの言葉の中には、私が共感できるものもあれば、理解不能のものもある。
 この夜、目撃した芝居の中で、どこがどうつながっていたかもよくわからなかった。宣長さんが出てきたが、なぜか烏滸(おこ)の役どころだった。
 しかし、「ちからよわい者の抵抗」という点や「見世物小屋」としての劇という点では、興味深く観た。

 とはいうものの、月子が、クレーンで下りてきたり、サーカスブランコのアクロバット藝を披露したり。りらとオリベが空中に浮かんだり、フクロウの千里眼が、演じ歌うりらの肩でおとなしく目をしばたたかせたり。まさに見世物としての要素がかなり面白かった。
 前半は、原発誘致と原発事故後の原発ジプシーが強調されていて、それが彼らのなんらかの「プロテスト」メッセージだったのだろうか。しかし、それは後半では世に排斥される藝能者に収斂していったのか。よくわからないまま、役者スタッフ紹介が始まった。



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2018年04月10日

井上弘久・ソロライブ『椿の海の記』第一章「岬」

2018.04.08(日)15:00〜16:40 四谷三丁目・藝術茶房喫茶茶会記 1drink1000円+投げ銭
原作:石牟礼道子『椿の海の記』第一章「岬」
企画・制作・構成・演出・出演:井上弘久
音楽・コントラバス等演奏:吉田水子(みなこ)
作曲:金子忍「不知火海のテーマ」

 井上弘久氏は元転形劇場の役者だったという。ということは、私は舞台でその姿を見たことがあったに違いない。でも、転形の役者といえば、品川徹だったり、瀬川哲也だったり、佐藤道代だったりする。また、わが劇研の先輩・安藤朋子もそうだ。
 井上氏はまた、横浜の青葉区小中高生ミュージカルで、演劇部に入ってくれたHさんを指導してくれた方。
 さらに、前任校の所在する相模原市にお住まいと来て、かなりな(勝手な)縁を感じていた。
 それで一人芝居を続けてこられた氏が、先日亡くなられた水俣の石牟礼道子の幼時の体験記『椿の梅の記』を一人読みして演じるという。さらに、二年にまたがって一ヶ月おきに上演するという。
 これは観に行かねばなるまい。ということで、三軒茶屋に母の見舞いに行ったあと、地下鉄を乗り継いで駆けつけのだ。

 会場は名の如く、黒いアートの雰囲気まんまんのカフェで、その奥に30人も入ったらいっぱいな空間があった。
 もう満員状態で、当日駆け込みなのにかかわらず、やっと一番後ろの椅子に座ることができた。

 はじめに、井上氏の作品に対するレクチャーがあり、下手扉からはけて、照明が暗くなってのち、再び、こんどは4歳のみっちゃんになって登場して始まった。
 朗読でもドラマリーディングでもない、本格的な一人芝居であった。しかし、発せられることばは石牟礼さんのテキストで、登場人物も入れ替わる。
 特に印象に残ったのは、みっちゃんが背中に背負われて両手を肩にのせてぶらぶらさせてみちゆくシーンである。何と表情豊かなのだろうと思った。66歳の井上氏が4歳のみっちゃんになって、昭和初期の自然豊かな水俣から現代の我々に語りかけているように見えた。
 彼女の育った地の花々や木々の、何と清澄な世界なのだろう。石牟礼さんの文体が井上さんの肉体に重なって、「すばらしい旅行」ができた気分である。
 熱演であり、(いままで私が観て感銘を受けた)坂本長利でも小沢昭一でもない、深い一人芝居の世界を構築できていたと思う。

 吉田水子のコントラバス、ハープ、鈴などの効果音楽も、この世界の雰囲気を引き立てていた。
 
 あとの回もぜひ観たいものである。

 今年のスケジュールを載せておこう。
第二章「岩どんの提灯」  6/1(金)3(日)
第三章「往還道」      8/3(金)12(日)
第四章「十六女郎」    10/5(金)7(日)
第五章「紐とき寒行」   12/7(金)9(日)

 


tomtom_poem at 01:30|PermalinkComments(0) mixiチェック 演劇 | 文学・評論

2018年04月08日

長谷部裕嗣「水を流す」など〜新井高子編集・詩と批評詩「ミて」第142号より

2018.03.31発行
 長谷部裕嗣の物語詩「水を流す」をおもしろく読んだ。というのも、これから高3の授業で安部公房の短編小説「赤い繭」を読もうとしているからだ。共通点を感じた。小説を読んでから、あるいは読む前にこの詩を生徒に提示したら、若い彼らはどう反応するだろうか。

 ここ3年くらい、仕事に追われ、送ってくださる詩誌をちゃんと読めていなかったのだが、今春から立場や職場が変わり、少し読む余裕が出てきたのがうれしい。
 それで、改めて「ミて」を読んだ。
 どの詩にも引きつけられたが、エッセイもかなりおもしろい。
 北野健治「『詩人』のかたち」で紹介されたホドロフスキーの「リアリティのダンス」「エンドレス・ポエトリー」はぜひ観てみたいと思った。筆者の記すことばにも非常に興味を引かれた。
――洋画は、「現実」ではなく「本質」を追求する。
――もし、詩人とは何かと問われたら、現時点での私の答えは、「魂と向き合う人」だ。だから、「詩人」は職業ではない。「在り方」のことだ。

 新井高子「大船渡ノート」の中で、藤井貞和や高橋悠治が「ミて」の元同人だと書いてあるのを見て、びっくりしてしまった。

 本質を突くような感想でなくて申し訳ありません。

tomtom_poem at 01:31|PermalinkComments(0) mixiチェック 詩歌 

2018年04月05日

久米明『朗読は楽しからずや』

2007.4.30初版第1刷 光文社発行  2018.04.06読了
 いやぁ、いろいろ教えられもし、楽しませもせられた珠玉の一冊だった。

第一部 朗讀について
一 朗讀の実際—準備編—
—(森鴎外「山椒大夫」について)親子の生き別れが事もなげに済んでしまうのだ。この船頭たちには良心の欠けらもない。この男たちもこの末法の世にこうして生きる他はないのだ。その現実、平安末期の人間のいとなみを作者は感情を交えぬ客観の筆の運びで浮び上らせるのだ。 P26・27
—地獄に落ちたら運命を甘受する他はなかったのだ。それが中世の社会なのだ。 P28
—厨子王を見送り、安寿は沼に身を投げて死ぬが、死を前にした者のことばとして、いささかの情にも溺れず、激することなく安寿は厨子王に語るのだ。死を覚悟した者のことばはかくも明澄なのだ。そのトーンを讀み手は心の内に噛みしめるべきだろう。 P30
—その結果は涙なしには語れない。しかし讀み手は自分の感情は呑みこんで、この事実の報告者として淡々と、スラリと語り終えよう。鷗外の文体を生かすのはそれしかないのだ。 P31

二 声について
—舌が口の中でどんな位置を示すか、舌面の高さの高、中、低、唇の形と顎の開き方の小、中、大をひとつにまとめ、図形に示したものを母音三角形という。 P45
 前       後
 イ       ウ
   エ   オ
     ア

—六歳から十二歳までが人間の言語習得期、ことばはその時期に形成されて生涯変わらないという学者もいる。 P50
—言語形成期に身についたものはなかなか拭い去るのはむずかしい。 P51

三 緊張について
—緊張と弛緩の中間点、丁度ゼロ地点を見つけなければならない。(中略)すなわちそこが最良の創造的状態と体験的に知っているからだ。 P55
—役者なら演じると同時にその演じている自分を意識して見る目が備わっている。(中略)そこをつかい分けてコントロールするのがプロなのだ。 P57
—内面の動きの全ては声に反映する。 P57

四 マイクを前にして
—朗讀の場合、讀みながらどのように息を継いでゆくべきか、それは讀む内容によって決まる。(中略)原文の句讀点にこだわる必要はない。(中略)文章の区切りとしての句讀点を尊重しつつ、ここはつなげた方が聞き易いとか、一気に讀みつづけた方がリズムがつくとか判断して、讀みの上での間のとり方を工夫する。 P64
—内面の高揚、意志が働かなければ眞の強さ、ピンと張った強さの表現にはならない。心が充実していなければ口先だけにしか聞えないのだ。 P64
—讀み出しの第一声を重々しく出すか、軽くサラッと入るか、それは作品によって決まるのだが、(中略)ズラズラと讀み出すだらしなさだけは御免だ。その呼吸(イキ)がむずかしい。 P65

五 朗讀指導
—(略)一字一句の文字を咀嚼し、消化しないと、口先だけの言い廻しになる。白いものは白いイメージをハッキリもって、断定して言いあらわさなければ聞く人はとまどう。曖昧に言ってはダメなのだ。 P73

—朗讀作品の粗筋を書くことは無駄なことではない。作品を讀みこまなければ書けないからだ。 P80

—讀み手も上すべりしないように、情緒過多にならないように、心しなければならない。内容の深さを伝えるには、文体のリズムを大切にして、感情をおさえて讀む方がいい。
—あの「戦争の時代」の家族の運命をリアルにみつめよう。ノリオの目に映ったものを。
—目で見て声にする箇所の何行か先を、心で追っていなければならない。結末までの見通しを立てておくこと。全体が腹におさまっていないようでは、よどみがない、しかもメリハリの利いた朗讀ができるわけがない。
以上、いぬいとみこ「川とノリオ」朗讀の注意点より P99

—内容とかけはなれた、心のともなわない朗唱になったのでは、詩は泣いてしまいます。声を張り上げ、調子をつけて讀むようなことは絶対にしてはなりません。
—詩人がうたった心を正確に受けとめた上で、自分の感情を正直に出しましょう。
以上、「詩」朗讀の注意点より P100

—何よりも、その作品が好きでなければ、それにほれこまなければ、朗讀はうまくゆきません。
—巧い、へたを越えて、語り手の心の内にあるデーモンが聞き手に感銘を与えるのです。ただし、デーモンに酔いすぎて、ひとりよがりの自己満足に陥らないよう警戒しなければならないのは言うまでもありません。 P101

六 朗讀の実際—実行編—
—朗讀も一期一会のもの、マイクで録音するのは再生目的の記録と心得るべきだ。 P102
—知性と感情と意志、この三ツが相まって、バランス良く調和してこそ演技は成立するのだ。意志こそが声を出して表現する創造行為の司令塔なのだ。 P102

—精一杯稽古したという自信と、(中略)思い切った気魄あるのみである。とにかく、強い意志をもって、こわばることなく、リラックスして立ち向かわなければならない。 P104
—臆することなく視線を客席全体に向けよう。このとき自分が平静に息を吸って吐いているか確かめるゆとりがほしい。/客席を前、中央、後、そして右中左と大きく分割し、それを一ツに包んで自分の意識の中にとりこむことが大切だ。(中略)客席全体に気を配ることを心掛けたい。(中略)観客との間に心が通い、温かい交流が芽生える。この絆が結ばれると打ちとけた空気が生れる。舞台と客席との一体感ができたのだ。 P104・105

—第一声は格別に大切だ。喉をつめないで、最初の音をポンと放り投げるように口を開いて出すことだ。心も身体もリラックスして、(中略)楽々と声は響く。(中略)醒めた目で感じとることも同時に行わなければならない。/気張らず、力まず、スラっと滑らかに紹介することが大切だ。(中略)明るく明快に伝えようとする心がなければならない。 P105

—発音については母音と子音のつながりに注意しよう。例えばトロッコを発音する際には、TOROKKOと母音がOだけであることに注目しよう。口を開いてTOと言う舌の動きと下顎の下げ加減を軽快に行い、次のROが滑らかに転がるように言わないときれいに聞えない。KKOは鼻にかける音だが、力んで言うとKUOになるから注意しなければならぬ。トロッコと全体をたっぷりと、しかも明るく言う気持を心掛けよう。作品の内容がそれを要求しているからだ。 P106

—発声については(中略)自分の声に注意して常に見直す努力を怠るな、と。日常生活の中でどんな声を出しているか意識するのだ。(中略)ふだんしゃべりながらもトーンを上げ下げしたり、ピッチを速めたり、声を思うままに操る修練も加えてほしい。 P107・108

—演劇の創造は形として残らない。生み出すそばから固定されず消えてゆく芸術だ。聞き手、観客の胸の中に刻まれた像、思い出が全てなのだ。 P112

—息継ぎは無難な箇所か、或いは効果のある箇所を狙って、慎重に行わないといけない。 P119

第二部 朗讀の歩み
一 演劇開眼
二 はじめての朗讀
三 登竜門NHK
—(注:劇団の名を)「ぶどうの会」と決定した。ぶどうの名は演劇の神バッカスにちなんでつけられたが、新劇の殿堂「築地小劇場」のマークでもあった。 P139

—日本初のテープレコーダーは一九五〇年東京通信工業(現ソニー)から発賣された。価格十六万円、今の価格に直すと七百万円と言われる。これは重さが四十五キロもあった。 P145
※ラジオドラマ「えり子とともに」一九四九年十月五日放送開始、内村直也作。内村さん作詞の挿入歌「雪の降るまちを」の作曲(中田喜直氏)は今も光を失わない。 P146

四 NHK「朗讀の時間」
—当時は録音であってもはじまったら生放送と同じで止めることが出来なかった(略) P158

五 民間放送開始
※一九五三年は名作朗讀が目立っている。(中略)「夜の文庫」と題したABCの朗讀シリーズのディレクターは東京支社で文芸教養番組を司っていた庄野潤三氏で、 P166

六 テレビ時代到来
※僕個人としてはこの時期からラジオの語りの仕事が急増した。一九五五年の記録を見ても、個人朗讀、ドラマの語り手が目立つ。(中略)四月、「飛べ青い鳥」(電通ラジオ局) P173
※一九五八年(中略)福田善之作、竹内敏晴演出の「長い墓標の列」、 P177

七 ドキュメンタリーの語り
※安水稔和作「ニッポニア・ニッポン 一九六四」の一節である。(中略)このドラマはこの年六四年五月、NHKラジオで放送され、(中略)僕は声一(語り手)を受けもった。/(中略)トキを絶滅寸前に追いやったものは何かを問い、日本人の心の根源に迫るこの詩劇  P180

八 「すばらしい世界旅行」
—東北・東南アジア、オセアニア、北方民族、インド、ヒマラヤ、アメリカ大陸、アフリカなどの地域担当者を決め、そのスタッフは半年以上現地に住み、現地の人と生活を共にしながら、記録撮影を行う。 P198
※この企画に賭ける牛山純一という人のすごさ  P198
※後年タモリ氏に久米節と言われ、物眞似されるようになった  P199
 
—牛山さん(の)映像民俗学への傾倒は氏の偉大な業績となった。  P200
※冒頭のオープニングは手塚治虫氏が徹夜してひとりで手掛けたアニメーションだった。山本直純氏の音楽に乗って P200

九 洋画吹き替えの仕事——ハンフリー・ボガードのこと——
※「カサブランカ」

十 朗讀は楽しからずや

CD ]讀の心得
   ◆峪顎ヂ臧廖廚茲
   「トロッコ」より











  

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2018年04月04日

瀬川拓郎『縄文の思想』

2017.11.20第1刷、2018.2.9第4刷発行 講談社現代新書2454  2018.4.4読了
 縄文やアイヌの思想については昔から興味があり、本も何冊か読んでいた。
 しかし、この本はまず考古学的な証拠から論を導き出していて、説得力があった。
 また、アイヌや縄文人といっても、古層のアイヌの人たちや何段階に分けられる縄文など、知らなかった新たな視点を教えてくれた。
 さらに、宮本常一や網野善彦らが海の民と彼らの民俗・歴史について考察していたが、そういう海民と縄文・アイヌの人たちとの関係もよくわかった。
 「アイヌ・海民・南島…。縄文は、生きている!!! われわれの内なる『縄文性』に迫る、まったく新しい縄文論」と帯文のコピーにある。まさにそういう、刺激的な小冊子であった。

第一章「海民と縄文—弥生化のなかの縄文」
—抜歯とは、縄文時代前期以降、成人儀礼や婚姻儀礼として日本列島全域でおこなわれていた習俗です。 P33
—家船漁民と縄文の抜歯は、成人儀礼という目的も一致しています。(中略)家船漁民の抜歯は縄文習俗の残存と考えられそうです。 P35
—縄文時代のイレズミは、成人儀礼や通過儀礼として男性も女性もおこなっていた。(中略)弥生時代には男性の習俗になった。 P36
—農耕民や王権にとって、イレズミが賤視の対象になっていたことは容易に推察されます。/(中略)/北海道では近代まで、アイヌの女性が成人儀礼として、口のまわりや前腕部に何度かに分けてイレズミをおこなっていました。また南島でも近代まで、同様に成人儀礼として、女性が前腕部を中心に足など体の各所に何度かに分けてイレズミをおこなっていました。 P37

—近年の縄文人の核ゲノムの解読によれば、かれらはアフリカ、ヨーロッパ、東ユーラシア(中国・日本・ベトナムなど)の人びとのいずれにも属さない、孤立的な遺伝子的特徴をみせています。/そのため縄文人は、北東アジア人と東南アジア人の共通祖先が旧石器時代にユーラシア東端の日本列島で孤立し、独自の進化を遂げてきた、現生人類のなかでも古層の集団と考えられています。 P43
—つまり縄文人は、どの現生人類とも異なる孤立的な遺伝子的・形質的特徴をもつ人びとなのであり、したがって私たちのアジア人のイメージとはおよそ異なる、ユニークな外見的特徴をみせていた可能性も考えられるのです。一見ヨーロッパ人的というアイヌと糸満漁民の特徴は、この縄文人の外見的特徴と理解することができそうです。 P43・44

—九州西海岸から南島を中心に濃密に分布し、古代の島原半島や大隅半島でもちいられていたアイヌ語とみられる地名は、いずれも海辺に分布しており、多くは海浜地形の地名です。山田(注:アイヌ語地名研究者山田秀三)が糸島市で指摘したpar(河口)地名は、九州ではほかにも天草諸島に近い鹿児島県阿久根市の山下川河口近くに「波留」があり、これも「海の道」のルート上に分布していることが注目されます。/つまりこれらの地名は、海民と深い関係をもつものであり、縄文性をとどめたかれらのネットワークのなかで残されてきたのではないか、ともおもわれるのです。 P50
—弥生農耕文化は、九州北部の平野部で成立しました。 P51
—つまり海民とは、弥生文化という新たな時代状況のもとで、各地に遍在する高度な縄文伝統の漁猟文化を導入しながら、列島全体で専業的な海洋適応の暮らしを構築していった海辺の人びと、ということができるのです。 P54

第二章「海民とアイヌ—日本列島の縄文ネットワーク」
—弥生時代に成立した専業的な海民は、農耕民と共存しながら縄文伝統を色濃く受け継ぐ人びとでした。(中略)/本州の海民神話とアイヌ神話のあいだに共通性がみられる理由を考えるためにも、本州の海民とアイヌの祖先集団の関係の実態、両者の交流について明らかにしておく必要があるのです。 P64
—(略)北海道が温帯の日本列島に張りだした北の生態系であり、日本列島における北東アジア的な世界であることを示しているのです。 P66

—弥生時代を迎えた本州は、熱帯に起源をもつ水稲稲作という「南の生態系」の文化に塗り替えられていきます。 P67
—しかし北海道の縄文人は、陸海獣や魚類が豊富な「北の生態系」のなかで、「旧石器的生業体系」を持続していきます。 P67・68

—オホーツク人は、四世紀ころサハリンから南下し、その後一三世紀までアイヌの祖先集団と北海道を二分していました。(中略)一〇〇〇年ものあいだ北海道でアイヌと並存していた、北海道史のもう一人の主役といえる人びとなのです。 P89
—両者(注:オホーツク人とアイヌの祖先集団)の交流の痕跡がまったくないわけではありませんが、基本的に疎遠で、潜在的に対立的な関係にあったようです。 P89
—オホーツク人は、まさに典型的な海民といえる人びとだったのです。 P90

—擦文時代(七世紀後葉〜一三世紀)の九世紀後葉になると、道南に押しこめられていたアイヌの祖先集団は、これをはねのけるように全道へ進出します。
オホーツク人の領域を次々と占拠し、かれらを同化していったため、北海道内のオホーツク人の形跡は一三世紀ころにはみられなくなります。 P91
—アイヌは、オホーツク人という北の海民の世界を占め、かれらの産物や交易の利権をとりこむことで、私たちが知るアイヌとなったのです。 P91

※手宮洞窟(注:小樽市)は、(中略)一八六六(慶応二)、ニシン番屋建築のため相模国の小田原からやってきた出稼ぎ石工の長兵衛が、建築用の石材を物色中、偶然発見したと伝えられます。 P111
※余市湾東端の丘陵先端にあるフゴッペ洞窟は、一九五〇年、考古学に興味をもつ札幌市の高校生が海水浴にきていて発見し、大きなニュースになりました。 P112

第三章「神話と伝説—残存する縄文の世界観」
—アイヌの神話・伝説のなかには、(中略)『古事記』『日本書紀』『風土記』の古代海民の神話・伝説と共通するモティーフがいくつかある、と私は考えています。 P128

—エビスといえば、宮本常一は、古代の王権が東北地方の人びとをエミシ(エビス)とよび、また海民の祀る神がエビスとよばれていたのは、もともと海民がエビスとよばれ、エミシの起源にも海民が深くかかわっていたからではないか、とのべています。 P135

—『古事記』における縄文神話のモティーフの徹底的な反転については、このような農耕民のなかで生じた自然発生的な変化とはおもむきが異なっており、通俗的な物語性を高めるための、王権による縄文神話の意図的な改変をおもわせます。/民俗信仰のなかでは、山の女神は醜いとされていますが、これについても、縄文神話では美しいと語られる山の女神を醜い腐乱死体や這いまわるワニに反転した、王権神話の影響と考えてみることができるのではないでしょうか。 P171

—アイヌの伝説と共通する記紀神話は、すべて海民の神話です。つまり、これらの神話をアイヌに伝えたのは海民だったのであり、それは王権によって反転・改変された記紀神話ではなく、海民自身が伝承していた、記紀神話の原型といえるものだったのではないでしょうか。 P175

—(略)日光感精と卵生のモティーフは、アイヌ神話のなかにも認められます。
 (略)この子どもたちは、太陽の神が雲の神の娘に一目惚れし、その想いが娘の体に入って妊娠し、生まれたものとわかる。(略) P181
—アイヌの日光感精神話としてはほかにも、太陽の神がハルニレの女神が美しいのに感心し、ちらっとみたら、それで女神が妊娠した、と伝えるものがあります。 P181

第四章「縄文の思想—農耕民化・商品経済・国家のなかの縄文」
—縄文の世界観・他界観とは、農耕がおこなわれる平地をふくまない、海と山からなる二元的な世界観であり、その海と山を往還する神の観念、またその観念とむすびついた海辺の洞窟と山頂をつなぐ他界観である、とのべました。/奄美や沖縄では、この縄文の世界観が現実の生活空間のなかに具現化され、往還する神が演劇的に可視化されていました。 P192

—海民や山民という縄文的な伝統をもつ人びとは、農耕民が多数を占める社会のなかではマイノリティであり、殺生をなりわいとする点でも被差別的な立場にあったとおもわれます。/それにもかかわらず、かれらは強い呪能と、それにむすびついた芸能の才をもつ人びとと王権から認識されており、そのため王権は、人智を超えた災いや呪いを振り払うかれらのテクネ(技能)と、芸能による言祝ぎを期待していたのです。 P202・203
—隼人や国栖の芸能は王権への服属儀礼とされていますが、(中略)かれらの場合それがなぜ芸能や呪術であったのか、あらためて考えてみる必要があるのではないでしょうか。 P203

—海民とアイヌにとって、魚や獣は神からの贈りものにほかなりませんでした。 P222

—弥生時代以降、自由・自治・平和・平等という縄文の思想をもつ人びとは、外部にとっては無法であり、暴力を帯びた存在にほかならなかったのです。 P240
—ただしそれは、動物の自然状態から長い時間をかけて生みだされてきた、他者とともに生きるための知ではあっても、近代の理念としての自由・自治・平和・平等とは異なる、土俗世界の思想であったといえそうです。 P241



tomtom_poem at 23:00|PermalinkComments(0) mixiチェック 歴史 

2018年04月01日

TOMISANPO第9〜下北沢ー三軒茶屋ー上馬ー学芸大学ー小田急相模原〜

2018.04.01(日)ああ、これがほんとの4月ばかだったらよかったのに。。。
 下北沢で下車し、onacasuita(オナカスィータ)で無農薬紅茶を購入したまでは予定通りだったのだ。
 次も予定通り、代沢十字路の橋倉ビーンズ珈琲店に歩いて行って、水族館劇場「望郷のオルフェ」(新宿花園神社境内特設野外儛臺星の筏)の前売り券を所望すると——申し訳ありません。主人が長らく入院していたもので、今回はチケットを取り扱っていないんです、と丁寧に、他の店や劇団にまで問い合わせてくれたのだ。私が見た劇団のサイトには前売所として出ているが、チラシを見ると、なるほどこの店は出ていない。——ということで、途方に暮れて、ここから一番近いところはどこだということで、目黒区鷹番(最寄りは東横線・学芸大学)の古本屋を目指そうかどうしようかと思案しながら、とりあえずは三軒茶屋第一病院512号室まで歩いて母の見舞いに行ったのだ。
 母の見舞いを30分足らずで切り上げて、あまり目算はないのだが、いつもの如き適当な算段でさらに環7沿いの上馬バス停まで歩いたのだ。ああ、ここは40数年前に通っていた世田谷区立旭小学校の学区なのです。
 行先表示を見ると、案の定、学芸大学駅を通る五反田行のバスがあった!! ところがである。時刻表を見ると、何と! 40分に一本しか来ないのだ。40分間隔なんて、私の地元の神奈中の路線みたい。東京でこんなに来ないバスがあるなんて、とっても驚くと同時に、恐る恐る時刻表と時計を見てみた。すると、何と幸運なことに、あと3分で40分に1本のバスが来ることになっていた。
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 世田谷区民会館発五反田駅行きの東急バスに乗ること約10分で学芸大学駅前についた。珈琲店の電話で劇団の制作の人に聞いたとおりに歩いていくと、あっ、あった、あった、あった!!! 古本遊戯流浪堂。
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 置いてある本も人文系の面白そうな本が多く、つい目が行ってしまい、『愛と哀しみのル・コルビュジェ』なる漫画とエッセイの本を買ってしまったのじゃ。そして、そこではがっちり水族館劇場の前売り券が買えたのじゃ。4月14日に行くぞ。

 さて、それからがまた一筋縄ではいかぬ今日だった。つまり、学芸大学ー自由が丘ー溝の口までよかったが、そこから大井町線からの急行長津田行きにしか乗れなかった。まぁ、長津田から各駅停車で中央林間。そこからも各停で相模大野ー小田急相模原
 で、1時間近く遅れて、エル・トピートに。そしたら、ダメもとで声をかけたMさんがKさんを連れて客として来てくれていました。ちなみに、他に4人に声をかけたのだが、いずれもご都合がつかなかったのだ。
 
 「TASKE企画 さくらエイプリルフール2018」
出演:TASKE、Masafumi Oda(電子音楽)、関西ブルーススターバンド、冨田民人(詩朗読)、星野睦子(歌)、坂本美蘭(詩とパフォーマンス)、前原由美(アコースティックギターと歌)、TASKE(詩朗読と歌)
※私は自作「卒業する君たちへ」田村隆一「木」自作「贈る詩(ことば)」を読みました。

 MさんとKさんはとってもびっくりされていましたが、でも、とっても気にいってもくれて、ピアニストMさんは関西ブルースターバンドとセッションをしようって話をしてました。
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 勢いで、駅近くの”肉の佐藤”で三人で飲んでいると、関西—の面々も入ってきたのでした (笑)
 
 

tomtom_poem at 22:32|PermalinkComments(0) mixiチェック 散歩 

2018年03月31日

「メーデー!Vol.2 厚木市中町、1丁目」「夏芙蓉」at 本厚木”なよたけ”

2018.03.31(土)本厚木・ギャラリー喫茶”なよたけ”
「メーデー!Vol.2 厚木市中町、1丁目」
 昨春、前勤務校の演劇部で上演した劇の第2弾ということで、観に行ったのだ。
 観客が座る四角いテーブル席の間に置かれた丸いテーブルが、4人の役者の主たる場だが、店内全域や店の外までも使った芝居というのは初めて観た。客をも巻き込んで、客と同じ視線で演じられる芝居は、それだけでおもしろかった。役者同士の意思疎通もよく、軽快なテンポで進んでいって、全く飽きなかった。むしろ、肩の力を抜いて観ることができた。5年前の中学時代にそれぞれが思いをはせておしゃべりと遊びに興じる中で、現実の問題にぶつかって悩んでいる姿があぶり出てきて、それはとてもよかった。
 そういう点ではよかったのだが、劇の進行とか内容は首をかしげるところもあった。いちばんのところは、ラストでなぜ古野を幽霊にしなければいけなかったのか、大いに疑問に思った。また、アドリブ(?)の劇中遊戯の処理がもう少し整理されればいいかなとも思った。
 それにしても、若い役者たちは溌溂としていていいな。とっても羨ましくもあったのじゃ。

「夏芙蓉」
 6年前だったか、前々勤務校の演劇部が秋季発表会で上演した、高校演劇の人気台本を、インストラクターの井上崇さんが演出したというので観た。
 千鶴/保井、舞子/川野、サエ/山影、由利/本間、蓮見先生/篠原——というキャスティングだった。この舞台と重ね合わせながら観ていった。生徒たちは努力して稽古して、本番前のゲネでは演出を兼ねた川野が泣き出したということを思い出した。しかし、60分以内になかなか収まらずにセリフの多い舞子がかなり早口になっていた。
 きょうの芝居は、登場人物5人のうち3人が高校3年生だったが、順調に話が進んでいると思われた。しかし、終わってみれば、65分かかっていた。あとで井上さんに聞くと、この本は55分の本だということだ。なぜ10分も多くかかったのか。セリフを言うだけで汲々としている役者もいたり、間延びしたりしているところもあったりした。生きている千鶴と死んでいる3人の対比がはっきりしていなかった面もあろう。いちばん引っかかったのは、舞子が「私たち、死んでる…」を断定的に言っていたところだ。これは演出もあるのかもしれないが、6年前は疑問のニュアンスで言っていて、それがいいだろうと思っていたので、違和感があった。
 細かいしぐさや目の合わせ方など、好感の持てるところもいっぱいあったのですが。

tomtom_poem at 23:46|PermalinkComments(0) mixiチェック 演劇 

2018年03月30日

思い出の3年1組・演劇部

 テニスコート側から、3年1組の教室を見上げてみました。
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 きのうの、春季発表会の本番後、3年からもらったプリザーブドフラワーと、部室に戻って1.2年からもらった部にあったグッズを、自宅の書棚に並べてみました。
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2018年03月29日

上溝南のケヤキ林〜ラスト〜もう若葉をつけている!

2018.03.29(木)明日は退任の辞令交付式と退職記念パーティ。したがって、きょうが上南出勤の最終日となりました。ケヤキ林の上の枝枝にはまぶしいほどの若葉がついています。今度来るのはいつになるかな。でも、思い出の写真だけはいつでも見ることができます。この下を通った生徒たちの顔や顔。

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 桜も満開です。
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 通用門付近の花々も鮮やかです。
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tomtom_poem at 23:54|PermalinkComments(0) mixiチェック 上溝南 

2018年03月26日

上溝南高校ギターアンサンブル部第35回定期演奏会

2018.03.25(日)13:30〜15:50 杜のホールはしもと
1部 アイネ・クライネ・ナハトムジーク 他
2部 liquor CM Medley(ゲバゲバ90分テーマ他) 他
3部 バラ色のメヌエット、空も飛べるはず(以上40期生8人も参加)、ブロッホ:合奏協奏曲第1番第4楽章 他

 来てみたかったギターアンサンブルの公演。昨年までは、演劇部の春季発表会と重なって行けなかったのだが、きょうは幸い演劇の練習が午前中で終わったので、行ってみた。
 吹奏楽部の定演も好きで、なるべく足を運んでいたが、ギターの定演はまた雰囲気が違っていて興味深かった。吹奏楽部は、どこの高校でも、クラシック・課題曲の部とポップスの部が分かれているものだが、ギターは、3部それぞれに異なるジャンルの曲が入っていた。また、1.2年が主だが、3年生の紹介とかが吹部はあるが、ギターは、3年は有志が裏方に徹し、演奏は2曲だけで、名前もプログラムに載っていなかった。まぁ、私は3年、つまり卒業生の担任だったので、ちょっと寂しい気がした。しかし、受付でも、1年のとき担任だった子が3人いたし、演奏でも、その3人以外にも授業で受け持ったり、小論文の指導に熱心に取り組んでくれた子がいきいきと演奏する姿を見ることができてよかった。今年のクラスの子も一人来ていたようだが、会えなかったのが残念だった。

 ギタリストが41人も合奏して醸し出される音楽は、今まで聞いたこともない、豊かなものだった。6種類のギターが紹介されて、そんなにあるんだと思ったが、中でも、「弦が金属でできていて、指にはめた針で弾く」アルトチェンバロは、初めて目にして聞いたので、特に新鮮だった。
 曲では、2部の最初の曲の選曲がよかった。ゲバゲバ90分なんて番組、今の生徒はおろか、親の世代でもリアルタイムで視聴した人は少ないのではないか。とにかく、私が小学生のときは、あまりの面白さに毎週熱狂してみていたのだ。最後の、コンクールで演奏する曲は、全体がバッハのチェンバロ協奏曲のように響いて聞こえて、とても引き付けられた。

 最後に涙流しながら思いを語った部長さんをはじめとする部員の方々、顧問の先生方、お疲れさまでした。来年もグッドなアンサンブルを奏でてね!
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tomtom_poem at 00:05|PermalinkComments(0) mixiチェック 音楽 

2018年03月25日

アメージンググレースで閉まる二つの舞台〜青森中央高校「修学旅行〜鬼ヶ島編」とOM2公演「ハムレットマシーン」

・青森中央高校公演「修学旅行〜鬼ヶ島編」(春季全国大会) 2018.03.17(土)17:30〜18:30 神奈川県立青少年センター
・OM-2公演「ハムレットマシーン」(再演) 2018.03.24(土)15:40〜17:00 日暮里サニーホール

 共に、ラストが「アメージンググレース」で終わる舞台だった。「アメージンググレース」は、日本語で「すばらしき神の恵み」と訳せる。
 この曲の成立について、「ドナドナ研究室・世界の名曲にまつわる謎・ルーツ・歴史に深く迫る研究ページ」に次のように書かれていた。
—「ジョンニュートン牧師(注:1725年 - 1807年。イギリスの海軍兵士から奴隷商人を経て牧師となった)は、教会での説教で旧約聖書の歴代志を参照しながら、荒れ狂う海原から奇跡的に助かり回心することとなった自分の姿を、深い恵みの与えてくださ神に感嘆するダビデ王と重ね合わせ、教会に集まった人々とアメージンググレースの歌詞を口ずさみました。」
—「22歳の時の奇跡的な体験を基に、その後牧師になったジョンニュートンが過去を振り返りながら30年後のイギリスで記した6節の賛美歌は、その後アメリカに渡り、様々なメロディー達と出会い、今日の姿に定着していきました。その神秘的な旋律と深みのある詩は世界中の人々に感動を与え、魂の救いとなってきました。」

—歌詞の意味・日本語訳(意訳)
Amazing grace how sweet the sound
That saved a wretch like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see.
アメージング・グレース
何と美しい響きであろうか
私のような者までも救ってくださる
道を踏み外しさまよっていた私を
神は救い上げてくださり
今まで見えなかった神の恵みを
今は見出すことができる

'Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved,
How precious did that grace appear,
The hour I first believed.
神の恵みこそが 私の恐れる心を諭し
その恐れから心を解き放ち給う
信じる事を始めたその時の
神の恵みのなんと尊いことか

Through many dangers, toils and snares
I have already come.
'Tis grace hath brought me safe thus far,
And grace will lead me home.
これまで数多くの危機や苦しみ、誘惑があったが
私を救い導きたもうたのは
他でもない神の恵みであった

 さて、最近観た、全くタイプの異なる舞台で、この同じ歌が、しかも共にラストで使われていた。
 一つは、高校演劇の神奈川・全国大会で観た、青森中央高校の畑澤聖悟「修学旅行〜鬼ヶ島編〜」である。
 畑澤の「修学旅行」は、沖縄に行った高校生たちの話だったが、今回の舞台は実在の土地ではなく、赤鬼族の住む鬼ヶ島という趣向だ。この島ではかつて赤鬼族対青鬼族との過酷な戦争があり、勝利した赤鬼族だけが住むようになった。敗れた青鬼族は滅亡したが、子孫が別の離島でいまも生き残っていた。
 修学旅行の部屋では、女子高生5人が、恋人をめぐる喜怒哀楽を楽しんで(?)いた。そこへ、青鬼の亡霊が登場して、彼女たちを見守る。実は、彼は戦いに敗れた青鬼の青年リーダーだった。
 旅館を差配するのは赤鬼族の老婆だった。彼女は76年前の戦いのとき、青鬼リーダーの青年へ恋に落ちていた。この、遂げられなかった恋話が76年後に成就する。——差別や戦争といった現代にも厳然としてある重い問題を、鬼ヶ島という象徴的な場で、あぶりだそうとした面もあるが、同時に人類に共通する恋の話にもなっていて、たいへん楽しめた舞台だった。その、ラストシーンは、赤鬼の老婆と青鬼の青年が抱き合うのだが、周囲には5人の女子高生のほかに、大勢の赤鬼や青鬼が登場して、「アメージンググレース」を合唱して幕を閉じるのだった。まるで平和と成就への祈りのように。

 OM-2の「ハムレットマシーン」は、2003年から2007年にかけて国内外で上演した作品の11年ぶりの再演だという。主だった役者も当時と同じらしい。プログラムの挨拶文に、「おそらく今回が最後のOM-2の『ハムレットマシーン』になるのではないかと思っています。俳優が高年齢化してきて体力的にきつくなってきたためです。」とあったが、まさにどの俳優も体力を使う舞台だった。
 2台の自転車がマシーン1.2として、円形の客席の外周を走り回る。これがつづく。
 シーン1.2[家族のアルバム][女のヨーロッパ]ハムレットだった男1/ポチ、オフィーリア1/柴崎直子
 シーン3[スケルツォ]ハムレットだった男2/佐々木敦、ホレイショー/金原知輝
 シーン4[ブタのペスト グリーンランドをめぐる闘い]ハムレットだった男2/佐々木敦、暴徒たち/ふくおかかつひこ 他 ——男2は自ら膨らませた四角く巨大で透明な空間に幽閉され、女装したりする。やがて暴徒たちが多数登場し、斃れる。マシーンたちも斃れ、荒れ果てた世界が強調される。
 シーン5[激しく待ち焦がれながら/恐ろしい甲冑を身にまとって/数千年世紀]オフィーリア2(エレクトラ)/鈴木瑛貴——赤茶色の液体を口に含み吐きだし、腹にたまった幕を破裂され、飛び散らせる。これもまた地獄のような地点。倒れていた者たちが生き返り(?)退場していく。このとき、「アメージンググレース」が流れる。

 いずれも、「アメージンググレース」が流れるのは、かなりひどい状況のときだ。前者ではそれが素直に祈りの音楽に聞こえたが、後者ではどうだったのだろうか。それは、希望の歌なのか、絶望の歌なのか。

 
 



tomtom_poem at 23:44|PermalinkComments(0) mixiチェック 演劇 

2018年03月24日

贈る詩(コトバ)〜退任式、その後

2018.03.23(金)11:00〜 離退任式
 退任する先生は二人いる。
 最初の先生は、和歌を引用した。
 私は、こんなことばを言った。

—こんにちは。冨田です。といっても、私を知っているのは、演劇部と茶道部と生徒会の一部の人だけですね(後ろにいる人たちを除く)。
 かつてこの学校に垣下嘉徳という国語の先生がいらっしゃいました。この方はマンホールの蓋の研究者でもいらっしゃり、今年度は相模原青陵高校で特別講義をされたりしています。この先生と私は知り合いで、上南に行くと決まった4年前に、ケヤキ林のことをよく話されていました。そして、どうなっているのか気にされていました。遊歩道の案内板にも書かれていますが、ある理科の先生が中心になって、林の下にさまざまな種をまき、かつての自然を再生しようという実験を始めたのだそうです。それを聞いていた私は、上南に来て4年間、毎朝ケヤキ林の様子を観察し、ほぼ毎月その写真を撮り続けました。観察するたびに木の枝に葉が生え、散っていきましたが、足下の地面には多種多様な草や花や木が豊かな服を着たり脱いだりして、目を楽しませてくれました。じっとみつめると、その中で、さまざまな生命の息づかいが聞こえてくるようでした。また、時々、猫や小鳥が歩いたり止まったりしたのを見たことがありますか。
 皆さんには、このケヤキ林のことを忘れずにいてほしいと思います。そして、たまには中に入って親しむことをお勧めします。和みますよ。
 最後に、このことから連想して「贈る詩[コトバ]」という詩を作りました。これを読んで終わります。


 贈る詩

ケヤキ林よ
あなた方は
生命をはぐくむ楽園だ
一本一本に手を触れてみる
ごつごつしたところ
曲がっているところ
折れたところ
ささくれだったところ
一つ一つの
眼に見えるところは
けっして美しくない

一歩離れて見てみよう
林のなかで起こっていることを
よく観てみよう
あなた方は
体内の水で土をうるおし
小さな花や実や虫を生かしている
わたしの友だちを生かしてくれている

今度は上から見てみよう
全体何本の仲間がいるのだろう
あなた方は手をかざし
足をあげて動き出す
未来へ
そして
時代を動かしていく
その一本一本は
君たちだ

そう、わたしは
あたたかい枝にとまる
白鶺鴒だ
ケヤキ林から
上南生の活躍を見守っているよ


 さよなら、上南生、さよなら、ケヤキ林!
 ありがとう、みんな!!

 終わった後、演劇部の卒業生3人と校内を回った。HR教室にこんな落書きがあった。
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 国語科準備室に3人+1人といると、階下の職員室前に呼び出された。行くと、18人の卒業生有志が、花束をくれた。正直、かなり嬉しかった。花束は、生徒会とPTAから式でいただいていた。写真は三つの花束を合わせて、水につけているところ。
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tomtom_poem at 00:29|PermalinkComments(0) mixiチェック 教育 | 詩歌

2018年03月18日

土佐女子高校「月の道標ーユタとの約束」〜春季全国高等学校演劇研究大会第1日 at YOKOHAMA〜

2018.03.16(金)14:30〜15:30 神奈川県立青少年センター・ホール
 私は2年前、劇団「ニラカナエナジー」旗揚げ公演で上記作品の初演を観て、感動し、次のような文章を書いた。


語り継ぐということ〜二つの沖縄戦の作品化〜神山征二郎監督映画「ひめゆりの塔」とニラカナエナジー旗揚げ公演「月の道標―ユタとの約束―」

 まだ余韻として残っているのは、沖縄民謡のメロディと舞う手首、死んだ四人の少女のマブイたちと、導くユタの姿だ。
 今春、一九九五年制作の神山征二郎監督の映画「ひめゆりの塔」(沢口靖子、後藤久美子、中江有里、高嶋政宏、永島敏行、神山繁ら出演。東宝)を観た。三二〇人弱の高校生も一緒に観たのだが、そのうち二人が、観ていて具合が悪くなり、ホールの外に出た。一人が私の担任する生徒だったので、付き添って私も外に出た。しかし、私も、いたたまれず目をそらさずにいられないシーンが続き、光の見えない映像の息苦しさに、ちょうど外に出たかったのだ。のち、最後まで観た同僚に聞くと、ラストではほとんど全員が死んでしまったという。
 今晩観た舞台(ニラカナエナジー旗揚げ公演「月の道標―ユタとの約束―」鈴木里実・中村賢一郎作、蒔村三枝子演出、鈴木里実・高橋伶奈・成田浬・大塚みどりら出演。座・高円寺2)も、途中までは同じ重苦しさに包まれ、しかも、こちらは生身の人間が眼前で演じているものだから、ウソも含めて残酷なリアリティが映像より強く迫ってきていた。
 しかし、傷を負った少将(成田浬)と、仲間四人や引率教師らを失った二人の看護師見習い(鈴木里実・高橋伶奈)の、生き残った三人の道行きが始まったところから、観客の心は同期し、吸い込まれていった。
 映画のアマゾン・カスタマーレビュー(映画ビデオの購入者による感想)で、Kねずみさんが「引きつぐべき戦争の記憶」というタイトルで、次のように記している。「ラストは今井版(注・今井正監督の一九五三年版)では全員戦死して終わるが、神山版ではごく一部の教師と生徒たちが米軍に投降して生き残る。こちらのほうが史実(・・)と対応していよう。(中略)破局(・・)に(・)むかって(・・・・)一直線(・・・)という趣である。」(傍点筆者)
 「月の道標―ユタとの約束―」は、“ひめゆり学徒隊”ではなく、看護婦見習いとして戦場に駆り出された数人の女学生の物語である。その一人である千代(鈴木)は、洞窟に一人いたユタ(沖縄の霊媒師)の老婆と出会う。そして、悪い状況でも前を向く生き方を学ぶ。それは、仲間が死んでも生きる意志を持ち、やがて、例えば傷病兵の耳の蛆を取れるようになるなど、彼女の心を強く成長させる。この物語は途中までは映画と同様に“史実”の再現だったが、それに留まらず、二〇一六年の現代に生きる我々への“真実”の一つを提示してくれた。
 パンフレットで演出の蒔村三枝子が書いている。「いつまでも、今日と同じ平穏な日々が続くと思っていた。/だが、ある日、突然、戦争が人々の目の前に立ちふさがった。(中略)『あなたの愛しい命が、戦争によって奪われませんように。』/そう願いながら、命と向き合う作品をお届けします。」と。
 沖縄戦の事実を未来の人に語り継ぐことは重要だ。しかし、その伝え方は、同じ過ちを繰り返さぬ“抑止力”として語り伝えるべきだ。そのためには、余りの悲惨さゆえに心を閉ざさせるより、今を生きるための光を思い抱かせる方がよいだろう。この舞台は、多くの現代の人々に観てもらいたい舞台だ。
  (本ブログ2016年07月25日記事。詩誌「第二次山脈」16号「山脈雑記」に転載)

 この舞台を、高校演劇のサイズに合わせるために60分に短縮したのが今日の舞台だった。負傷兵の片足を切断して、その足を捨てに行かされる女子高生のシーン、洞窟前にたむろして病人を囲む村人たちに自分のために持ってきた解熱剤を少将が渡すシーンなど、いくつかの重要なエピソードは残されていたが、傷病兵の耳の蛆を取れなかったのが取れるようになる等の省略されたエピソードもあった。しかし、土佐女子の役者たちは、滑舌も声量も明快で、感情を噴出しすぎない演技が、リアルな涙を誘ったのである。2か所、照明で不具合があって、気持ちを削がれたところもあったが、すばらしかった。すばらしかった所以の大きな部分は、登場人物たちの状況や気持ちにじゅうぶん寄り添って、そのことを若い自分たちの肉体で、観客たちに伝えようとしていることがたっぷり伝わってきたことである。
 上掲のエッセイのタイトルに「語り継ぐ」ということを使ったが、これは「演じ継ぐ」と言い換えてもいいだろう。私は、半年後、次のような文章を書いた。


演じ継ぐということ〜演劇で継いでいく〜

 昨夏広島に行った。原爆記念資料館と全国高等学校演劇研究発表会(高校演劇の全国大会)の公演を観に行くためだ。資料館には、オバマが贈った折り鶴が展示されていた。
 一昨年夏鹿児島に行った。高校の国語の先生方が神奈川の実践者として、私を含めた二人を呼んで下さったのである。私は聞き書きについての発表をした。翌日、私は知覧へ行った。特攻隊が飛びたった基地があった地である。
 今年の神奈川県大会、マグカル・ハイスクール演劇フェスタ、南関東大会と、三回、県立大船高校の「戦記 空より高く」を観た。顧問で作・作曲の野間哲(さとる)先生は今年で定年なので、大船での最後の作品になった。
 「戦記」とあるように、主人公は特攻隊の三人の若者である。同じ特攻機に乗っていて、ある島に不時着したところから舞台は始まった。すると不思議な二人のおばあと少年が現れる。設定がまるで「星の王子さま」である。彼らの問いかけに、それぞれ思う女性がいるのに、若者たちは建前しか主張しない。そして、洞窟から出てきたハブが、過去の日本への旅に三人を連れていく。見た目を気にする〈平安の陰陽師〉、忘れたい〈江戸の呑み助〉、忙しい〈明治の金融家〉、かっこいいと思われたい〈戦前の銀座のバーテン〉、寄せ算のことばかり言う〈国民学校の算術教師〉の登場は、「星の王子さま」の色んな小さな星の住人を思わせる。さらに、一人の奥さんに似ている〈極道の妻〉やもう一人の許嫁に似ている〈狐の神様〉やもう一人が好きな、広島にいる少女に似ている〈原爆投下地点に咲く花〉が現れる。
 やがて、二人のおばあと少年は、宮澤賢治の「星めぐりの歌」を歌い、ハブに自らの足首を噛ませて、倒れる。ここまでは「星の王子さま」によるお話。
 このあと、飛行機を修理した三人の若者は飛び立つ。敵に突入するためではなく、飛びたった基地へ戻るために。そして、七〇年間生きようとする――
 残念ながら全国大会には進めなかったが、作者の思い以上に、若い高校生たちが熱く演じていたことに感銘を受けた。
 彼らは昨夏広島に行って、被爆者に話を聞いたのだという。また、戦争体験者に来校してもらって、体験を聞いたのだという。ちなみにその方は、劇団燐光群の名役者・猪熊恒和さんのお父さまだそうだ。
 高校生たちの迫真の演技の裏には、こうした、戦争体験者に直接話を聞くという体験があったのだろう。身に染みこませて舞台から観客に伝えなければならないものをリアルなイメージで送り届けてくれたと思う。

 近年、高校演劇の関東大会や全国大会を観る機会が増えた。いずれも旅の途中に立ち寄るので、すべての出場校を観ている訳ではない。しかし、一日数校だけでも、その舞台を観ると刺激を受けることが多い。
若い頃は状況によって産み出される現代演劇に比して、高校演劇を低く見ていた。しかし、この時代の中でがんばって舞台を集団創作している顧問や高校生たちが大勢いることがわかってきた。高校演劇はテーマも家族から平和まで多様である。もっと大勢の人に観てほしい。
(本ブログ2017年03月21日記事。詩誌「第二次山脈」17号「山脈雑記」に転載)



tomtom_poem at 21:36|PermalinkComments(2) mixiチェック 演劇 | 映画・演劇

2018年03月17日

シシドヒロユキ『シン・ヤマトコトバ学』

2017.02.20初版第1刷発行 光文社新書868  2018.03.14読了
 私がこの本の著者を初めて目撃したのは、2年前の第1回ジャパン・ポエトエリー・スラム全国大会(於渋谷ラストワルツ)であった。神主の格好で登場した大柄な男は、祝詞風のラップを吟じた。その異様さに驚かされた。
 そのときはCCDの名だったが、それは「シシドヒロユキ」の「シシド」をアルファベットで表したものらしい。
 この人は、慶應のSFCを出た後、国学院の神道学専攻科で学び、祝詞で使われるヤマトコトバの普及活動をしているようだ。その一環の本。主観は排除して、客観的事実の記述を読むと、かなりおもしろい。

—大切なことは、日頃から言葉の響きや意味を考えること、調べることです。 第2章「大和言葉プログラミング」P55……かなり的を射た言葉で、じゅうぶんその通りだと思えることだ。

—野口体操の創始者である野口三千三さんが、私が生まれた年に東京藝術大学で、ヤマトコトバ五十音の一音一音を表現する体操ワークショップを開いていた記録が残っています。 同上 P59 ……へえ、そうなんだ。

—目は「芽が出る」の「芽」、鼻は「花が咲く」の「花」と同じ音です。では耳は何かというと「実がなる」の「実」が二つくっついています。耳は二つついています。そして、「歯」は「葉」のように茂っていますね。つまり、顔の中に植物の生態が入っています。ここまで一致するのは偶然ではないのです。古代の日本人は顔の大事なパーツに植物を見出したのです。/また、火や炎をおこすとき、頬をふくらますことから、「ほのお」と近しい関係で「ほほ」と呼ぶようになりました。 同上 P76 ……原日本語であるヤマトコトバは、自然との連関でうまれたということだね。

—当時は、自分の名前というのは、本当に愛している人にしか教えないのが習わしでしたから、「名前を教えて」というのは、かなり本気で声をかけているということになります。/この時代には、名前には霊力があると信じられていました。ですから、簡単に本名は教えません。「清少納言」だとか「紫式部」という名前も、芸名や役職名のようなもので、本名ではありませんでした。 第4章「和歌ズ・ゴムナーヴ」 P176
—古代には宴会の時にお酒を飲みながら和歌をうたう風習があり、こうした会は歌垣と呼ばれました。 同上 P176 ……歌垣というのは、男女が巡りあうダンス大会ではなかったっけ。

— よき人の よしとよく見て よしと言ひし 吉野よく見よ よき人よく見つ  天武天皇 同上「言葉遊びの和歌」P177

—月は裏が見えないから「ウラナイ」とも。/また、月には陰の力がありますから、あまり引き込まれると、ルナティックな、狂気の世界へのいざないがあるという解釈が、西洋やインドの伝統的な文化にはあります。/(中略)月(ツキ)は「グッドラック」が身についた、幸運な状態を表す言葉です。 同上 「古代に於ける月の和歌」 P179

—柿本人麻呂=森羅万象を詠う天才宮廷歌人=言霊のモーツァルト 同上 P182 ……何と! 「言霊のモーツァルト」!!

— あまたなる 命の失せし 崖の下 海深くして 青く澄みたり ◇今上天皇陛下御製 サイパンでの絶唱  同上 「慰霊の旅での御製」 P200
— いまはとて 島果ての崖 踏みけりし をみなの足裏(あうら) 思へばかなし ◇美智子皇后陛下御歌 サイパンにて  同上 P200

—食事を「たべもの」というのは、二つの意味があります。/一つは尊ぶもの、貴いものという意味。(中略)/もう一つは、たなごころ(手)を経(へ)てから「たべる」の意味です。  第5章「食事・呼吸・言葉のナレッジ」 「食事に感謝」 P210
—箸(ハシ)は梯子(ハシゴ)です。(中略)箸の上には神様がおられるわけです。/箸を横に置くのは、結界の意味があります。手前は私たち人間、箸の向こうは神様の世界です、その結界を破って神人共食の食事は始まります。(中略)/お正月の祝い箸をよく見てみると、箸の食べるほうの反対側が同じように少し細くデザインされていると思います。それは、一膳の箸で神様と共に食事をしていることを表しています。  同上 「お箸が意味する世界」 P211 ……なるほど、そう意味があったのか!?

—自分自身と他人を傷つけない言葉を使い、光の言葉を使うこと、消極的な言葉を使わず、積極的な言葉を積極的に使うことが肝要です。//今居る場所や、出会った人の良いところを褒めることも言霊のトレーニングになります。//言葉は遊びが肝心です。  同上 「自分と相手を傷つけない言葉遣い」 P220 ……現代に有効な、やさしさのコトバなのですね。

—『古事記』の神話は極めてセクシーです。イザナギ・イザナミの「みとのまぐわい」から次々と島が生まれていく天地創生の物語は、「マグワイ=目が合うこと」から始まります。初対面のときに胸のどこかがジーンとする「ひとめぼれ」は、究極のマグワイともいえます。  コラム5「気品があってセクシーな神道」「人々の和合と子孫繁栄を祈る風習」 P226
—そもそも神社に参拝するということ自体が、母胎回帰をして生まれ変わるということのメタファーでもあります  同上 P227

—巫女の代表的な装束としてお馴染みの、上が白で下が赤の衣装は、白小袖紅袴単衣といいますが、これは十二単を着るときに肌着・下着として用いるものです。つまり昔の感性で見ると、巫女は下着で奉仕していることになります。  同上 「巫女の装束は十二単の下着」  P228

—江戸時代もエロスな逸話の宝庫です。「雑魚寝」はもともと、祭りのときの乱交をも意味する言葉でした。場所はなんと、神社やお寺です。(中略)人前で授乳するのも、半裸で出歩くのも、混浴も、常識だったそうです。
 同上 「性に対するおおらかさ」 P230

—人は本来、今の人が想像する以上に、やさしい、健気な、世話好きな生き物だと思います。文明は弱肉強食、競争の原理で、我先(われさき)、我良し、早いもの勝ちで発展しますが、文化は楽しく面白く助け合って生きることによって発展します。私は文化の発展に寄与する生き方を選びたいと思います。  第6章「世界平和チャレンジ」「本質はノンバーバル・コミュニケーション」 P239 ……文明と文化の違いについて、こういう説明の仕方もできるんだな!

—どの宗教も、それぞれ違っているけれども、それぞれがそのままで共存する、という考え方が大切ではないかと思います。これが、多文化共生社会であり、神道でいう「ともいき」、つまり「バラバラのものがそのままで融和する」というイメージです。  同上 「バラバラの価値観を和する「ともいき」の力」 P242・243
—「しなる」や「しなやか」、そして「しぬ」は同じ語源ですが、「シ」は本質を指し、「ヌ」は縫うことです。布を糸で縫うと、糸は見えたり見えなかったりします。それが「しなやか」ということであり、折れない強さなのです。 同上 P243・242

—左右の観念的イデオロギーにとらわれず、経験・体験を大事にするという意味で、一度でもいいので「天皇体験」をしてみてはいかがでしょうか。天皇陛下と同じ空間を共有することを、天皇体験といいます。 同上 「皇居勤労奉仕のススメ」 P252
—違う価値観をつなぐ、問題発見、問題解決するということは、神道イズムの実践です。(中略)左派と右派が自由に話せる場のファシリテーターになりたいと考えております。  同上 「私の具体的な世界平和チャレンジ」  P253

—おはぎは春分の日になると「ぼたもち」という名前になります。春に咲く牡丹を
イメージしてつけられた名前です。/(中略)夏は「夜船(よふね)」、冬は「北窓(きたまど)」と呼ぶそうです。  コラム7「お彼岸とおはぎ」  P261 ……これは、授業で使えそうじゃぁないか!?






tomtom_poem at 02:59|PermalinkComments(0) mixiチェック 文学・評論 

2018年03月16日

第3回えびなコトバの会「表現よみ発表会」〜声で表現する文学の世界〜

2018.03.15(木)14:00〜16:40 海老名市文化会館351多目的室
第1部 個人よみ
池田洋一「人情噺」(織田作之助・作)
小梶満子「雛」(芥川龍之介・作)
佐藤誠一「真鶴」(志賀直哉・作)
萬納佑平「こころ」(夏目漱石・作)
本間利夫「ベロ出しチョンマ」(斎藤隆介・作)
中島茂子&小林とみえ「カチカチ山」(太宰治・作)
鴨米子「手袋を買いに」(新美南吉・作)
森本隆泰「もんがく」(斎藤隆介・作)
大和田恵美子「朝の悲しみ」(清岡卓行・作)
青島宏「夢十夜」(夏目漱石・作)

第2部 全会員によるドラマリーディング
上記11名「貧の意地」(太宰治・作)

第3部 講師表現よみ
渡辺知明「吾輩は猫である」(夏目漱石・作)+ハーモニカ+お話

 私は2時間の年休をとって職場を早退して駆けつけた。しかし、会場に着いたのが16時15分前で、すでに個人よみは終了し、「貧の意地」のドラマリーディングが始まっていた。それでも、会員の皆さんのアンサンブルを聞けたのはよかった。この会に顔を出し始めてから2年になるが、実は皆さんの表現よみをこういう場で聞くのは初めてだったのだ。
 皆さん、私より人生の先輩方なのだが、声に張りがあってききやすい。物語の展開に合わせてバランスよく読むのでなく、それぞれの個性を主張しつつ、全体を仕上げていたことがよかったと思う。気持ちがいいだけで眠くなるような読みでなく、これが表現よみの面白さでおあるのだなと思った。
 えびなコトバの会は、毎月隔週木曜の午後に開かれていて、いまだに常勤労働者の私は、なかなか参加できていない。年に何回かお邪魔したことを日常の中で実践できればいいのだけれど、ね。
 会場はほぼ満員で50人のお客さんが来ていた。この中で、この会の仲間になる(より若い)人が増えるといいな。

 私は厚かましくも打ち上げに参加させていただいた。
 ららぽーと前のイタリアレストラン”アル・マーレ”。上品で落ち着いた雰囲気の店で、奥に部屋があり、おいしい料理とワインで、渡辺知明先生を囲んで、話に花を咲かせた。写真は、最後に出てきたデザート!
15(木) 海老名“アル・マーレ”「彩ーIRODORIーコース」デザート


tomtom_poem at 22:09|PermalinkComments(0) mixiチェック 演劇 | 文学・評論

2018年03月15日

名古きよえ『とこしえ——わがふるさと「知井」』

2017.04.30第1刷 竹林館発行  2018.03.13読了
 筆者は、京都府南丹市美山町(旧地井)で生まれ育った詩人・エッセイストである。美山町といえば、3年前に研究会仲間と訪ねた土地である。奥の原生林に近い芦生の宿に泊まった。由良川の渓谷を観、廃校寸前の小学校を訪れ、かやぶきの里を散策した。ちょうどその美山の美しい自然と共存した生活・習俗が記録されていて、とても興味を引かれて読んだ。

—西瓜、瓜もおいしくなる頃、ほとんどお金を使うことはなく遊びもおやつも自然からあせの貰ったものばかり、川に魚はにぎやかに生きていた。  「川で遊ぶ」P22
—メダカは岸の水のたゆたっているところにたくさんいた。砂を掘って水を引き池にしてメダカ、どじょうなどを放ち遊んだが翌日にはすっかり元気をなくして死んだ。やはり流れる水でないといけないと思った。川の魚にはずいぶん殺生をしたと思う。 同上 P22

—地球で見られる土の種類は人種のように多い。/日本のように暗褐色の土は豊かなのだろう。木々の葉が腐葉土になって土を肥やし生物の命を育てている。その点、放置された田畑を車窓から見ると残念に思う。輸入食品に頼り、手間をかけて作ることをしなくなった時、土は痩せて荒れる。土は何でも受け入れ農地は原野に戻る。土のエネルギーは在り難くもあり恐ろしくもある。昔から人は土を耕し命をつないできた。それは土と関わった時に感じる喜びが希望を育む。父母を見ていると、どうも汗のあとにくる収穫(大小はあっても)が次の仕事をさせていたと思える。土を耕している人を見ると、過去から受け継いできた土(田畑)に感謝といとおしさを感じているように思う。 「土」P27・28

—寺は自然に衰退したのではない、突然に壊された。一五七八年、明智光秀の軍が河内谷の門坊寺山を登って行った。七堂伽藍はことごとく破壊され、残ったのは礎石だけとなった。理由は明智光秀が周山城を早く築くために、用材を寺の柱や板や瓦等で補うためだったという。 「聞法寺」P42

—一六六五年寛文五年の中山周辺(京都府地井芦生 現在京都大学研究林内)に木地師の家が四十一戸もあった。また知見八ヶ峰周辺から佐々里、河内谷奥(私の生まれた集落)に至る稜線あたり一帯に木地師の人々の住居していた記録があるが、江戸時代は彼ら山上の人々の領域は村の人からは「他所から来た人で旅人のような」感じがしたという。 「木地師」P101

—美山町(知井)の奥にある芦生の森に栃の木平があり、栃の木ばかりが何本も生えている。花や実がなる頃、行ってみたい。 「野の花 山の花」P108

—盂蘭盆の二十四日に、近くのお地蔵さんの前で、松の根を金網に入れて燃やす。(中略)闇の中で松の根が燃え上がるようすは、やはり火の美しさと儚さを知らされる。/松の根は脂があって良く燃える、(以下略) 「家庭での仕事」P137

 132ページから135ページにかけての「農業」では、知井での農業の一年が見事に集約されて記述されている。



tomtom_poem at 00:39|PermalinkComments(0) mixiチェック 文学・評論 | 歴史

2018年03月14日

上溝南のケヤキ林〜芽吹いているぞ、ケヤキ林は

2018.03.13(火)
 10日前より、さらに若い芽や若い葉が伸びていた。
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 10日後の退任式では、やはりこの上南のケヤキ林の話をしたいと思う。

tomtom_poem at 22:56|PermalinkComments(0) mixiチェック 上溝南 

2018年03月12日

卒業記念旅行〜伊豆高原

2018.03.04(日)〜05(月)
 卒業式の後、生徒たちは卒業旅行に行く者が多いが、職員も同じなのである。担任の8名は、3年間苦楽を共にしてきた。自分たちへのささやかなご褒美でもあり、新年度へのエネルギー補給の意味もある。
 われわれは海老名駅西口ロータリーに集合、2台の車に分乗して伊豆に向かった。
 根府川の海である。
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 城ケ崎吊り橋近辺。
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 ヴィラージュ伊豆高原に宿泊。大量の食材と酒に温泉に浸る。
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 翌日、大室山。
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 ”旅の道”で土産を買う。春の佃煮セット。
05(月)伊豆高原・旅の道 春の佃煮セット 1,040円


tomtom_poem at 01:51|PermalinkComments(0) mixiチェック 旅・観光 

2018年03月11日

第28回G展〜旧五領ヶ台高校の職員による美術展覧会

2018.03.03(土)平塚市中央公民館2Fギャラリー
出品者:飯塚徹、太田晴弘、小野由美子、小泉早由美、沼田俊彦、谷原久男、城所一実、富田行江、中島綾子、垣下嘉徳、福西康全、小川かおり、吉田英昭(故人)、半戸百合、山口玲子

 学校という職場は、文化的にも豊かであるのがいい。今はない、平塚の五領ヶ台高校の職員たちは才人が多く、このような美術展を28年も続けている!!
 海老名の有馬高校では、現旧の職員による歴史・文学散歩の会が年2回ずつ続いているのもそうだ(最後は飲み会で楽しむのだが)。

 G展の真ん中には毎回富田さんの手作り雛飾りがある。飯塚さんの書も素晴らしい。福西さんの版画、小川さんの絵もいい。目玉の一つは太田さんの抽象画(海外でも売れている)だが、今回は小型作品だった。垣下さんのマンホール蓋は、ドイツ、ライン川沿いのもの。風格があった。また、山口さんのパキスタンでの写真。昨年はアフリカだったが、こういう西洋以外の異文化の旅が羨ましい。で、今回一番惹かれ、親しみを覚えたのは、沼田さんの松ぼっくりの描写絵だ。ジョージア(グルジア)やスロヴァキアの松ぼっくりは知り合いからの提供だそうだが、そういう広がりがうれしかった。娘さんとの二人展を5/8〜13、秦野のギャラリーK2みくるべで開催するという。
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03(土)2


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2018年03月08日

贈る言葉〜40期生へ

「上溝南新聞 第103号」2018.3.1発行に私が書いたものをそのまま掲載します。

読むということ
書くということ
論理的に書くということ
感受性を研ぎ澄ますこと
表現すること
歌って踊ること
 歌といっても声張りあげずともよい
 踊るといっても跳びまわらずともよい
感じたことを受けとめること
思いのままに動かすこと
開かれた自分に

そして誰かをさがすこと
誰かと出あうこと
思いやること
涙したりすること
巡りあえたことに
感謝すること
苦しむこと
手をつなぐこと
折り紙を
折って折って折って
折りつづけること
糸を
紡いで紡いで
紡ぎつづけること

行動してみること
あることと出会うこと
残雪のケヤキ林の先で


 三年前の四月から昨日までの、君たち(卒業する)一人一人の表情や言ったこと・言わなかったことや、書いたことなどを思いつづけていると自然とこんなことばが出てきました。
 さようなら、みんな。佳き人生を!! 卒業おめでとう!!

tomtom_poem at 01:00|PermalinkComments(0) mixiチェック 教育 | 詩歌