2018年09月18日

「トンボ」第六号

2018.07.25文治堂書店発行
 曽我貢誠「靴みがき」がよかった。
――有楽町の陽だまり 高架下の隅っこで
   立派な宣伝カーの演説を聞きながら
   ぼくは靴磨きのおじさんと話をする
   タテマエがボリュームいっぱい
   ぼくの良心を 叱りつけ
   ホンネが僕の埃だらけの靴を
   やさしくやさしくなでる
   「よくも二十七年間もやってこられたね」
   「あっという間さ
   この商売、好きでなきゃできないよ
   でも客が減ったから今月で終わりよ」
   おじさんの表情はどこまでも爽やかだ
   長い年月、歩き疲れた靴たちを
   どれだけ多く元気にさせたろう
   その目線からはよく見えたにちがいない
   女性の下着も
   落としたお金も
   そして何より、人のこぼした涙が・・・・・・
(昭和の終わりの物語 下町編


 市川恵子「キッチン」もよかった。
――背中が/トントントン/きょうも日々を刻んでいる/そこは神聖な場所で/そう易々とは近づけない(第2連)
――背負い込んで/何も語らず/刻んだり/焼いたり/煮込んだりしながら/あなたは秘密を/料理に閉じ込める(第4連)

 服部剛「鳥になる」
――吉祥寺の老舗いせやで
   鳥の小さな心臓を食べた
   
   今日でトーキョー都民になって、一週間
   せっせと外へ運んだ
   古い家具たちに手をふり
   四十三年間培ってきた
   自分をりにゅーあるすべく
   串に刺さる
   〈ハツ〉という名の心臓を
   こりこり食べる

   お猪口に揺れる熱い・・・おみずを喉に流して
   焼けた鳥の心臓と
   すたっかーとのこの心臓が
   なぜか同化するように
   遠い翼の記憶が蘇ってきたら
   新たな日々の地上を

   僕は飛ぶ

 かなかなをひらがなにしたり、その逆があったり、鳥の〈ハツ〉と自分の心臓をかけていたり、随所に親しめる才気があふれていて、ラストでどこかに行っちゃう辺り、渋い希望が描かれた、いい詩だなぁと思う。

――私は世界に一つしかない辞書/貴方も世界に一つしかない辞書/私の「楽しい」という言葉の定義と/貴方の「楽しい」という言葉の定義は/同じようで、きっと違う(第1連)
――貴方を知るということは/貴方という辞書を引くこと/貴方と生きるということは/貴方と一緒にお互いの辞書に/新しい頁を増やしていくということ(最終連)

 これはマエキクリコの横書き詩、あるいは英語詩の日本語訳??
 ことばがかっこいい。ことばがかっこいいから、きっとマエキさんもカッコイイ!!

 ドイツの詩人、マリー・ルイゼ・カシュニッツ(1901〜1974)の訳詞が六編収録されている。勝畑耕一訳。
 とくに「ヒロシマ」が衝撃的だった。
――ヒロシマに死を投下した男/修道院にいき、そこで鐘を鳴らす。(第1連冒頭)
――全ては作り話。/ついさっき見た彼/郊外にあるその男の自宅。(第2連冒頭)

 散文も充実していて、読み応えがある。とりあえず詩の感想だけ書き、引用させていただきました。
 送ってくださった曽我様、ありがとうございました。




tomtom_poem at 00:33|PermalinkComments(0) mixiチェック 詩歌 

2018年09月04日

池澤夏樹『言葉の流星群』

平成25年8月25日初版発行 KADOKAWA(角川文庫)発行 2018年9月3日読了。
 表題作「言葉の流星群」を読んで、宮澤賢治がこんなに詩を書いていて、そんなにもおもしろい詩なのかということを知らされた。私は「春と修羅」しか読んでいなかった。これから彼の詩をたっぷり読もうと思う。朗読してかなり面白そうだ。まずは、解説として書かれた梨木香歩さんの文章から。

「ケンジさんとナツキさんの間には共通点が多い。ともに文学をものしながら理系の教養が際立っている点もそうである。『岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)』の中に、『うつうつとしてイリドスミンの鉱床などを考へ』という詩句について、たいていの読者が私のようにイリドスミンの何たるかがわかっていない(あるいは忘れている)のを承知しているナツキさんは、(中略)説明し、それから『こういう話をケンジさんとしたら、これはずいぶん楽しかっただろうと思う』、と呟き、(以下略)ナツキさんに『口に出してリズムを味わって読むように』と忠告してもらわなければ、私たちは『岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)』の真の楽しさが一生わからなかったかもしれない。」梨木香歩「流星を捉えて放つ」より(『言葉の流星群』解説)
「ケンジさんとナツキさんの共通点には、『遠くを見る視線』というものもある。いかに遠くまで見ることができるかが大事だと思う、とナツキさんは言う。『詩人とは、日常から遠方に至るその距離感の表現者である』と(これはケンジさんについてであると同時に図らずもナツキさん本人のことでもある)。『遠くを見る視線』はまた、自らの『青年の理想』を矯めることなく捨てることなく保持し続ける力でもあったのだろう。」梨木香歩「流星を捉えて放つ」より(『言葉の流星群』解説)
「池澤夏樹は常に辺境を見つめてきた人だから、当然その文化にも詳しい。もしもケンジさんが(彼の趣味嗜好、資質を持ってして)彼らの文化に少しでも開かれたら、のめりこまないわけがない、と両方をよく知るナツキさんは残念がる。『・・・・・・仮に今ケンジさんが先にぼくが引いた『萱野茂のアイヌ語辞典』を手にしたらどれほどのことをここに学んでいたか』。うんうん、と私たちは頷く。」梨木香歩「流星を捉えて放つ」より(『言葉の流星群』解説)

 以下、池澤さんの文章から。
「自然はだいたいにおいて人に対して無関心で、一瞬与えてくれる好意や関心に人は一喜一憂する。ケンジさんの自然観の基本はそういうものであったらしい。」(詩「鈴谷平原」に関連して)池澤夏樹「言葉の流星群」(『言葉の流星群』P114)
「〔風がおもてで呼んでいる〕//風がおもてで呼んでゐる/『さあ起きて/赤いシャッツと/いつものぼろぼろの外套を着て/早くおもてへ出て来るんだ』と/風が交々叫んでゐる/『おれたちはみな/おまへの出るのを迎へるために/〔〕おまへのすきなみぞれの粒を/横ぞっぽうに飛ばしてゐる/おまへも早く飛びだして来て/あすこの稜ある巌の上/葉のない黒い林のなかで/うつくしいソプラノをもった/おれたちのなかのひとりと/約〔束〕通り結婚しろ』と/〔繰〕り返し〔〕り返し/風がおもてで叫んでゐる//ここにあるのはもう自然に対する恐怖ではない。彼はもう「恐ろしい黒雲」を恐れてはいない。むしろ外からの声にうきうきと反応し、今にも病の床を蹴って外へ走り出し、風たちの1人である「うつくしいソプラノ」と結婚したいと願っている。(中略)こちらの方がケンジさんの本音だったとぼくは思いたい。」池澤夏樹「言葉の流星群」(『言葉の流星群』P144・145)
「科学者としてケンジさんは時おり、物理定数を変えたいとつぶやく。一番いい」例は、完成するに至らなかった「〔生徒諸君に寄せる〕」という詩の中の//新らしい時代のコペルニクスよ/余りに重苦しい重力の法則から/この銀河系統を解き放て//というところだろうか。それは夢想にしても、その前提には//あらゆる自然の力を用ひ尽すことから一足進んで/諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ//という技術主義的な考えがある。」池澤夏樹「言葉の流星群」(『言葉の流星群』P153・154)
「詩は心の中をそのまま描くのに対して、物語は外の世界に話を移して語るという点だろう。ケンジさんの言葉で言えば、詩は『心象スケッチ』である。童話の方は舞台と登場人物を必要とする。/だが、(中略)特にケンジさんのように両方を得意とした文学者の場合、それも詩がずいぶん描写的であり、童話の方は詩的かつ幻想的である場合には、詩と童話はかぎりなく接近する。一例を挙げれば、『ダルゲ』という詩作品には『小品『図書館幻想』を行分け詩に改作したもの』という説明がついている。」池澤夏樹「言葉の流星群」(『言葉の流星群』P155)
(詩「春〔〕 水星少女歌劇団一行」を解説した最後に)「ケンジさんの作品にこのような少女たちが登場するのは珍しい(中略)。彼が教えた学校に少女はいなかった。それでも、ケンジさんの詩集に、あの歳ごろのあの潑剌とした娘たちの魅力に占領されてしまった詩があるというのはなんだか嬉しいことだ。」池澤夏樹「言葉の流星群」(『言葉の流星群』P161・162)
「ケンジさんが見た遠くとは、地理的にはたとえば西域、『パミール先生の散歩』に見るような西の乾いた仏教圏であり、『氷河鼠の毛皮』の舞台となった童話的なベーリング海周辺から北極までの地域であり、想像力によって遠方化された岩手としてのイーハトーブである。(中略)ここにあってここでないものを見せることによって、ここを相対化し、大きな世界への出口を示しながら、結局は力を得てここへ戻る。あるいは、此処と彼処の二重性を生きる。/時間的にはケンジさんの視野は更に広い。実にあっさりと二千年ぐらいの時間を飛び越える。生前唯一の詩集『春と修羅』の『序』の詩にこういう部分がある――//おそらくこれから二千年もたったころは/それ相当のちがった地質学が流用され/相当した証拠もまた次次過去から現出し/(以下略)」池澤夏樹「言葉の流星群」(『言葉の流星群』P180)
「生物全体の中の自分という宇宙的な感覚、いわば宇宙規模の淋しさを感じることが詩人としてのケンジさんの資質である。」池澤夏樹『言葉の流星群』P186
「ケンジさんはこのような急激な時間のシフト感が好きだった。今のことを言っているのかと思うと、いきなり三億年前に話が飛ぶ。//おれなどは石炭紀の鱗木のしたの/ただいっぴきの蟻でしかない(詩「真空溶媒」より)(中略)時間や空間をいきなりシフトして別の世界に行ってしまうことの最大の利点は、今ここの卑小なる自分からの解放である。」池澤夏樹「言葉の流星群」(『言葉の流星群』P183・184)
「風景の中に自分の精神のありようを見てとるのがケンジさんの詩の基本構造である。」池澤夏樹「言葉の流星群」(『言葉の流星群』P189)

「宮澤賢治は、人間と自然の関係、自然の中から一歩外へ出てしまった人間の幸福と不幸のことをずいぶんしつこく考えました。(中略)近代的な社会の誕生に由来する不安感が芥川(龍之介)の文学の大きなテーマだと思います。/それに対して宮澤賢治が考えていたのは、(中略)人間は自然から離れて、距離ができてしまった。それに由来する不安にどう耐えていけばいいのか、ということを彼は考えたと思うんです。」池澤夏樹「宮澤賢治の自然――星と石と生物と」(言葉の流星群』P230・231)
「宮澤賢治が死んでから七十年近く経ったいま、自然から離れて、技術によって自分で環境をつくって生きるという人間の方法がいよいよ進んできた。それが余りにもはなはだしいので、本当にこれで大丈夫なんだろうかという不安感がある。そういう時になって、この問題をあらかじめ考えていた宮澤賢治の仕事が意味を持ってきた。」池澤夏樹「宮澤賢治の自然――星と石と生物と」(言葉の流星群』P231)
「この人(注:宮沢賢治)の詩を一つ一つ読み解いていて気がついたんですが、建物の中にいるところを書いた詩がほとんどないんです。全て屋外。それは野原であったり、山の中、林の中、稀に海の岸辺だったりするんですけれども、いつでも外にいる。(中略)その中で賢治はたいへん精密に自然を観察しています。」池澤夏樹「宮澤賢治の自然――星と石と生物と」(言葉の流星群』P244・245)
「なぜ宮沢賢治は、自分の思想を童話というかたちで表現したか。/一つの理由に、子供と自然との関わりがある」「自然と人との関係を考えるときには、子供の視点によったほうがものが見える。」「もう一つの理由としては、子供の話のほうが大胆な思想を乗せやすい。」「また別の理由として、彼が若かったということがある(中略)実際に大事な仕事をしたのは二十歳代です。」池澤夏樹「宮澤賢治の自然――星と石と生物と」(『言葉の流星群』P232〜234)
「若いうちは、ひらめきの中に深さがある。それが賢治の文学の一番おもしろいところだと思うんです。」「宮沢賢治という人には大人になることを拒否する一面があった」池澤夏樹「宮澤賢治の自然――星と石と生物と」(『言葉の流星群』P235)
「彼自身、科学を使えば人間は幸福になれるのではないかと信じていましたから、科学は認めています。」池澤夏樹「宮澤賢治の自然――星と石と生物と」(『言葉の流星群』P248)
「しかし、ぼくにはどうしてもそれがわからないんです。たくさんの人間が幸福になることはそのまま自然の原理にも適うことなのか。人間の原理と自然の原理は違うのではないか。それが人間のエゴを生み出したのではないか。信仰は自然の側へ人間を呼び返すものであるのか、あるいはより自然から遠ざけるものなのか。結局わかりません。/ですからぼくは宮澤賢治をずっと読んできましたけれども、グスコーブドリの最期に対してはいまひとつ肯定できない。それは違うんじゃないですか? 本当にそれでいいんですか? と、できれば賢治さんに会ってディベートしたいとしばしば思います。」池澤夏樹「宮澤賢治の自然――星と石と生物と」(『言葉の流星群』P251)
「自然の中で生きることの全体像を考えると、どうもぼくにはよだかの苦しみがわからない。余りにも人間のエゴイズムの煩悩に近いんじゃないかと思います。」「ですからやはり、宮澤賢治の中にあったのは、そういう自然界における生と死ではなくて、人間界の苦しみ、修羅の苦しみではないかと思うんです。」池澤夏樹「宮澤賢治の自然――星と石と生物と」(『言葉の流星群』P255、257)
「結局、人間とは、『自然が人のことを考えてくれたら』と『そんなはずはない。自然は自然なんだから仕方がない』という、この二つの考えの間をうろうろと揺れているものです。宮澤賢治は、自然に近いところにいたがゆえにそこのところを実にはっきりとらえてみごとな文学にしている。(中略)彼の作品は、一個一個が小説として、あるいは詩として、童話として、日本語の言葉遣いが大変にすばらしい。その上で、背後にある思想が楽しく、しかも奥深くまで読める仕掛けになっている。」池澤夏樹「宮澤賢治の自然――星と石と生物と」(『言葉の流星群』P268)

「なにせカタカナでヨーロッパ風の名前をつけるのが好きな人だから、」「『蛙どもには殊にそれが見事なのです。』といってみんなで並んで雲を見物する。/『どうも実に立派だね。だんだんペネタ形になるね』/『うん、うすい金色だね。永遠の生命を思はせるね』/『実に僕たちの理想だね』」(「蛙のゴム靴」より)/なんてことをしゃべっている。」池澤夏樹「宮澤賢治の言葉」(『言葉の流星群』P275・276)・・・・・・草野心平以外に、蛙の会話を描いた詩人がいて、それが宮澤賢治とは知りませんでした!



tomtom_poem at 17:01|PermalinkComments(0) mixiチェック 文学・評論 | 詩歌

2018年08月26日

NOMA企画「Papas Angel」

2018.08.26(日)11:00〜13:00 いずみ中央・テアトルフォンテ
作・演出・音楽:のまさとる
CAST:岡田健二(61歳)/見上裕昭、吉田晴夫(ヤミ金取り立て主任)/丸尾聡、他大船高校演劇部卒業生たち

 NOMAきかく−NODAまっぷ−NODAきかく−NOMAまっぷ・・・似てますね、なんて、ダジャレから始めちゃいましたけど・・・・・・。

 でも、初期の夢の遊民社に匹敵するほどの(?!)、若々しい好舞台でした!

 ODC出身の二十代の役者たちが、テアトルフォンテの舞台上でいきいきと熱演していました。ダンスも歌もみなさん上手い! じゅうぶん堪能できました。
 ただ、すべてではありませんが、何本か観た大船高校の演技のクセ(?!)のようなもの(微笑み方とか・・・)が垣間見られて、そういう所は、もっと脱皮できた方が役者としておおきくなれるのではないかなんて(素人が生意気な言葉を弄して申し訳ありませんが)思ったりもしました。

 見上さんも力演でしたが、特筆すべきは、丸尾さんの役柄と演技でした!! のまさんも、丸尾さんのキャラにずいぶん力をお入れになったように思えました。悪役(ヒール)ながら、とても魅力的な悪さを発揮していました。それが、ずばり、ラストでは・・・・・・。ダンスも良かったです。

 いままで上演1時間という制約のある高校演劇の場で壮大な劇を作りつづけてこられたのまさんですが、それから解き放たれて、自由にふんだんにドラマを作られました。笑わせ考えさせ泣かせて。しかも家庭劇で。
 先月、私は新国立劇場小劇場で蓬莱竜太の家庭劇を観て、初めのうち、それと比較もしたのです。しかし、蓬莱の舞台は現代の地方都市。それに対してこの舞台は1980年の横浜。私も野間さんも、学生の頃。登場人物は40年前の父であり、姉妹なのです。ここには、野間さんの(いままで書いてこられなかった)ロマンティックなファンタジーがあり、でも、それは観客の心をあたたかくしてもくれました。

 NOMA企画の第2弾は”西鶴”!!! いよいよ、のま世界の開花かな。



tomtom_poem at 19:39|PermalinkComments(0) mixiチェック 演劇 

2018年08月16日

ミセスフィクションズ夏の振替上演

8月17日(金) 15:00〜17:00 下北沢駅前劇場
第吃短編上演
・「ウルトラマンPRADA」作・演出:中嶋康太 2011年初演
出演:U子/真嶋一歌、セイジ/岡野康弘、マドカ/熊谷有芳、マドカの上司/井並テン
 出演者は皆ウルトラマン関連の書籍を持って登場した。(2011年時点での)未来のウルトラマンは、従来までのように子ども相手に玩具メーカーと連携するのでなく、イタリアブランドPRADAと組むのだった!この発想が奇天烈だが、ウルトラマンオタクで大学を卒業できない男(岡野)と、男の彼女(真嶋)の献身ぶりと、最後は別れることになる恋の難しさ、人間のおかしさを描いた芝居で、その深みが楽しめた。

・「お父さんは若年性健忘症」作・演出:中嶋康太 2012年初演
出演:父/岡野優介、母/谷田奈生、娘/鮎川桃果
 若年性健忘症だが、ロマンチストのお父さんは若き頃、お母さんと出会った時代とシーンをよく思い出す。大学進学を控えた娘はその父を心配するが、お母さんはお父さんの言葉に乗って、出会ったときの派手な衣装で現れ、マルエツに連れて行く。「Mrs.fictionsなりの家族愛」っておしゃれだなぁと思った。

・「ミセスフィクションズの祭りのあと」作・演出:中嶋康太 2015年初演
出演:ママ/安東信助、ミケ/山崎未来、サビ/小見美幸、ブチ/佑木つぐみ
 飲み屋のオカマママ(安東)が、ママに拾われた雌猫3匹に優しく振る舞う、格好は派手で汚くて粗悪趣味だったが、とてつもなくあったかいドラマだったニャー。

・「まだ僕を寝かさない」原作:岡野康弘、作・演出:中嶋康太 2015年初演
出演:僕/深井敬哲、夏見/井並テン、扇田/今村圭佑、生駒/熊谷有芳
 眠れない夜、お互いパジャマ姿の友達とどのように過ごせるか。舞台前面に布団がひと組敷かれ、その周りに4脚の椅子が置かれる。そこに一人ずつ友達が登場して、眠れない夜を過ごすのだ。出演者はみな文庫を手にして「嘘リーディングVer」で進行する。少しずつ違って繰り返される反復コント。台本もおもしろいし、ひょうひょうと演じる役者たちもおもしろかった。
 そして、最後の暗転後のラストでは、第3話第2話第1話の主人公が次々と登場するという演出が憎〜かったのだ〜。

 各台本もおもしろかったが、役者がものすごくおもしろくて、彼らが一本の長編で舞台を作ったら、ハチャメチャに面白かろうと思った!

 帰宅してから、配られた上演されなかった「月がとっても睨むから」の物語の紹介文と中嶋康太のコメントを読んだら、ますます観たくなった!!
 Mrs.fictionsさん、お願いです。ぜひこの舞台をこの役者たちで魅せてください!!! とってもとっても楽しみにして待っています〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 一緒に行った人たちが、次に用事があって、第局堯峅嵎蘇慣福彎絮撚颪魯僖垢靴董下のガストでお茶してお話しして、帰ったのでした。







tomtom_poem at 22:13|PermalinkComments(0) mixiチェック 演劇 

2018年08月15日

映画「カメラを止めるな!」

2018.08.15(水)横浜駅西口・ムービル
監督・脚本・編集:上田慎一郎
出演:日暮隆之(映像監督)/濱津隆之 日暮真央(映像制作希望の娘)/真魚 日暮晴美(元女優の妻)/しゅはまはるみ 神谷和明(イケメン若手俳優。真央がファン)/長屋和彰 細田学(アル中のカメラマン)/細井学 山ノ内洋(メガネの助監督)/市原洋 山越俊助(硬水が合わず、軟水でないと腹を下す録音マン)/山俊太郎 古沢真一郎(イケメンのプロデューサー)/大沢真一郎 笹原芳子(おばちゃんプロデューサー)/竹原芳子 谷口智和(撮影スタッフ。腰痛持ちで、途中で立てなくなる)/山口友和 松浦早希(撮影助手。後半ではカメラを握る)/浅森咲希奈(慶応・文 在学中) 吉野美紀(中堅AD)/吉田美紀 栗原綾奈(新米AD)/合田純奈 松本逢花(アイドル女優)/秋山ゆずき
37分の前半+59分の後半=96分/16:9/2017年 海外タイトル「ONE CUT OF THE DEAD」
【製作】ENBUゼミナール 【配給】アスミック・エース=ENBUゼミナール

 「パティ・ケイク$」を観に行ったとき、アミューあつぎで「カメラを止めるな!」のチラシがあった。9月15日から10月まで上映するということを知り、9月に行こうと思っていた。
 チラシには「ついに厚木も感染」とあったが、8月横浜で感染した。
 息子が、就職してもらった給料からおごってくれることになり、家族4人+娘の旦那で、娘が結婚式を挙げたロイヤルホールヨコハマで、フランス料理のコースディナーに行った。
 待ち合わせは19時だったので、その前に何かおもしろいことはないかと考えたところ、横浜のムービルでこの映画をやっているけど見ないかと提案したら、妻は知らなかったが、いつもクールな息子も観たかったと言ったので、夫婦+息子の3人で観に行った!というわけなのさ・・・・・・。 

 SNS上の皆さんはネタバレを気にしているようなので、私も感じたことを抽象的に記すにとどめますね。
〔爾鮖廚Δ父さんの気持ちがものすごく出ていて、ほんわかした気分になりました。
⊂个辰鴇个辰董∧△筋肉運動を頻繁に行い、涙があふれ出すほどでした。この笑いは、どこか小劇場で観た最高におもしろい芝居と通じるものがありました。――上田監督は5年前に、劇団PEACE(2014年解散)の「GHOST IN THE BOX!」(荒木駿脚本、和田亮一演出、大坪勇太出演)という舞台を観て、物語の構造にひかれて、映画を撮ろうとしたのだそうです。この劇団は解散していて、いま観られないのは残念ですが。
この笑いは物語の構造から来るもののようです。それが小劇場的というか。かつて三谷幸喜の初期映画「ラヂオの時間」を観て、超おもしろくて勉強になったことがありますが、三谷とは全然ちがうフィーリングの映画でしたよ。




tomtom_poem at 00:38|PermalinkComments(0) mixiチェック 映画・演劇 

2018年08月14日

東儀秀樹コンサートin寒川神社

2018.08.14(火)17時30分〜20時 寒川神社境内特設能舞台
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〇 修祓え(しゅばつ)・宮司挨拶
機ヾ豎據Σ躋據ι餝
 伎楽(復刻)
 雅楽
  朝倉音取(あさくらのねとり) (東儀秀樹篳篥独奏)
  越天楽
  君が代
 舞楽
  ――の龍
  (東儀秀樹笙独奏)

 伎楽がたいそう興味深かった。 特設客席後方から鼓の音が聞こえ、上手後方から列を作って伎楽者たちが登場した。仮面は薬師寺から借りたというが、鼻が長く、うしろを布で覆っていた。内容は古文書から復元したほんの一部だというが、赤い面の王様(?)のあとを大杯をもった家来と大徳利をもった家来が登場し、注いでは呑み、呑んでは注いでいった。能舞台に上がると、男が龍を連れて寝そべらせている。酒を注ぐ男は龍に無理矢理呑ませる。と、龍は酔っ払って暴れ出す。そこに白面の仏(?)が登場し、龍を鎮める。・・・・・・
 衣装が、韓ドラ時代劇に登場する人物に似ていて、音も朝鮮の藝能を彷彿とさせた。飛鳥・奈良時代に大陸・百済から伝わったということが頷けた。

供。圍錬韮鼻。遙茖紂。味稗孱
 好きにならずにいられない(エルビス・プレスリー)
 浜辺の歌(日本の叙情歌)
 君を乗せて(天空の城のラピュタ)
 枯れ葉(ジャズバージョン)
 ハナミズキ(一青窈)
 リベル・タンゴ(ピアソラ)
 
 青い海の道(東儀秀樹)
 星に願いを(ピノキオ)

 局瑤蓮▲ーボード、ドラム、ベースと篳篥との競演!!
 「君を乗せて」では、古文書から復元した大篳篥と篳篥を持ち替えて熱演!
 「枯れ葉」では、篳篥を置いて、突然キーボードで連弾演奏!
 篳篥はあんなに(ピッコロほどに)小さいのに、なぜこんな太い滑らかな音色が出るのだろう。大ぶりなテナーサックスのような音が出ていた。

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 蝉たちや虫たちとの競演でもあった。
 最後は、遠方から雷も助演してきた。
 自然に囲まれた屋外ならではのコンサートであった。

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tomtom_poem at 21:54|PermalinkComments(0) mixiチェック 音楽 

2018年08月13日

井上弘久・ソロライブ『椿の海の記』第三章「往還道」

2018.08.12(日)15:00〜16:40 四谷三丁目・藝術茶房喫茶茶会記 1drink1000円+投げ銭
原作:石牟礼道子『椿の海の記』第三章「往還道」
企画・制作・構成・演出・出演:井上弘久
音楽・コントラバス等演奏:吉田水子(みなこ)
作曲:金子忍「不知火海のテーマ」

井上さんは、公演が近づくにつれ、FBで、「石牟礼さんの67歳のときの文章「丘の上の麦畑」を「往還道」の中に組み入れての上演になります。」 「一章・二章・三章と進んできて、「椿の海の記」への思いはますます深くなりつつあります。 世界に無二の世界です。」 「ラストの場面、「丘の上の麦畑」。海に傾いた夕陽が浮かび上がらせる一瞬の奇跡のような麦畑の景色……」と記してきた。期待は膨らんだ。

個人的なことを言えば、第一章・第二章はいずれも三軒茶屋から田園都市線・半蔵門線で丸ノ内線に乗り換えていった。きょうは、三軒茶屋で入院していた母が亡くなったので、自宅から横浜ー東横線・副都心線で丸ノ内線に乗り換え、四谷三丁目で下りた。
 
 水俣の往還道(おうかんみち)は栄町通で、現国道三号の四つ角から丸島港を結ぶ道だ。道子さんのお祖父さんの松太郎らの石工(いしく)が奮闘して造った道だ。
 先日訪れた水俣にはすでにその道はなかった。案内の人も知らないと言っていた。

 話の内容は、この道を早朝に行き来する、魚売りの女たちの生き生きした姿や、女郎たちや若い石工たちや4歳のみっちゃんの交流が描かれる。
 女に扮する井上さんが「魚はいらんかね!」と、威勢良く声を出し、それに呼応して大きなコントラバスの後ろから演奏家の吉田さんが女の声で「魚はいらんかね!」と掛け合い、観る者を魅了した。今章では、女性の吉田さんが時に応じて、声を発して、それが演出としてよいと思った。

 吉田さんはコントラバスだけでなく、何種類もの鈴(?)や不思議な鍵盤(?)楽器を駆使して、みっちゃんの世界を豊かにしていた。

 井上さんが4歳のみっちゃんに憑依するときは、顔が一変する。目が大きくふくらみ、口が横に引かれて、皺がつやつやになる。観ていてとっても心地よくなる。心の視線が、小さい女の子に映る田園を観ることができる。そして、恍惚とする。
 その柔和な目は、語り手(石牟礼さん)や大人に一瞬のうちに変わると、鋭く何かを刺す目になる。その差を演じきれるところが凄まじいとまで思った。

 人々の様子が淡々と語られる今章にはドラマティックな場面がない。ひとりの女郎が殺されたことはアナウンスされたが、事件の詳細は次章で語られる。また、前二章に比して道子さんの真骨頂である自然描写があまりない。だからだろうか。井上さんは67歳で執筆された「丘の上の麦畑」を追加して4歳のみっちゃんを演じた。

 2カ所ほど、台詞を吉田さんにバックアップしてもらっていた(1回は「忘れた!」と吉田さんをみた)が、それもご愛敬かな。世界に戻ると、すばらしかった!

 10月と12月もぜひ行きたい!! 10月は演劇部の大会前だが、なんとか行きたいものだ。
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tomtom_poem at 00:00|PermalinkComments(0) mixiチェック 演劇 | 文学・評論

2018年08月12日

ラップ映画「パティ・ケイク$」

2018.08.10(金)本厚木・アミューあつぎ

監督・脚本・オリジナル音楽:ジェレミー・ジャスパー
出演:パトリシア・ドンブロウスキー(別名パティ・ケイク$/キラーP)(23歳。夜は飲み屋、昼は不安定なアルバイト生活。祖母の医療費も払えないほど困窮しているが、音楽での成功を夢見ている。ラップの詩人でもある。): ダニエル・マクドナルド
バーブ(パティの母。元歌手でめちゃくちゃ歌がうまい。アルコールに溺れている。): ブリジット・エヴァレット
ナナ(パティの祖母。難病で寝たきり・車椅子生活。): キャシー・モリアーティ
ジェリ(薬屋に勤めるパティの親友、音楽仲間): シッダルタ・ダナンジェイ
バスタード(人知れない小屋にひとり住んで音楽を作る。パティの音楽仲間になる。): ママドゥ・アティエ
O-Z(ラップの神様と言われるミュージシャン): サー・ンガウジャー
DJフレンチ・チップス(パティをオーディションに誘ったり、ラジオで紹介する。パティの夢への案内人): MCライト

2017年/109分/アメリカ
字幕翻訳/田村紀子

 PSJやUPJなどを観に行くと、詩朗読以外にラップ系のパフォーマンスも多い。そして、ラップの詩がまた悪くないのだ。そういう経験もあり、ヒップホップのこの映画を観に行った。
 ずばり、すばらしかった!
 太っちょ女子ラッパーのキャラクターもいいし、歌もうまいし、彼女の家族や生活を生々しく歌った歌詞がすばらしく心に突進してきた。
 彼女を取り巻く生活が描かれているのがいい。同じ体型の母親は歌がめちゃくちゃうまいが、歌手として挫折していまは飲んだくれている。祖母は病気で寝たきりで時々発作を起こすが、薬や医療を受ける金がなく、借金が膨らむばかり。夜バーで働く彼女自身は、昼間はアルバイトをするが、首になったりして安定した収入が得られない。そんな彼女は薬局で働く青年とひそかに組んで、ラップを表現する。
 ある日同じステージに立った、得意な反発力を持ってラップを披露した青年に興味を持ち、彼の危なそうな(入り口に「地獄の門」とあるトンネルをくぐった先の森の中に佇む)小屋に行き、青年の音楽魂を見、いっしょに組むことにする。この、二人の音楽仲間の怪しいキャラクターがまたいい。
 祖母は車椅子で会場に行き、3人に合わせて歌う。しかし、彼女はすぐに死んでしまう。母は、どうやって葬儀代を出すか叫ぶ。
 ラストでは、3人の熱演に、母の圧倒的な歌唱が加わって、私はその魂の音楽に狂わされそうになった。

 保険制度のないアメリカで、貧しい家庭では医療費も払えないという現実の社会問題も目の当たりにさせられた。


 




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2018年08月11日

TOMISANPO第10〜座間総合→栗原(目久尻川)

2018.08.10(金)朝から座間総合高校に初見参。相武台前駅から神奈中バスで北向庚申で下車。
由緒ありそうな北向庚申には、案内板があった。
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言わずもがなの、座間のマンホール蓋。
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 セブンイレブンで全国大会優秀賞国立劇場公演をゲットしようとしたが、時すでに遅く、26日の券が販売終了になっていた・・・。ふて腐れと、30分来ないバスのため、少し歩く。そしたら坂があって、そこを下ると、澄んだ川が流れていた。地図版を見ると、それは寒川で相模川に入る目久尻川であったのだ。案内板があり、この川はかつて寒川という別名で呼ばれていたことを知り、驚いたのじゃ。
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 栗原交番バス停から、さがみ野まではバスに乗った。→海老名→本厚木・・・アミューあつぎ・・・本厚木→海老名・・・花の舞・・・


tomtom_poem at 21:56|PermalinkComments(3) mixiチェック 散歩 

2018年08月10日

2018綴り方の旅――水俣(3)

2018.08.06(月)
 午前中案内をしていただいたEさんとホテルの駐車場でお別れした後、近くの”味心松”で魚のランチで舌鼓を打った。私は朝採れたての鰺のずけ丼定食。
2018.08.06(月)水俣・心味松 採れたて鰺ずけ丼1000円 2











 茂道湾。ここで運転を熊本のM氏と交替。
13茂道湾1













14茂道湾2











15茂道湾3


















漁師の神様・恵比須さんが祀られていた。
16茂道・恵比須様















蟹などの海の生き物たちが、石の上や間を歩いていた。
18茂道湾5(海の生物)














湯堂。石牟礼道子「後生の桜」のあった家。
19湯堂・後生の桜のあった家













袋湾。海の底から水が湧いている。
20袋湾(水が湧いている)1













21袋湾(水が湧いている)2













22袋湾3













23袋湾4













袋湾から不知火海を望む。
24袋湾から













水銀汚染された土壌を埋め立てて造ったエコパーク水俣の先端に、水俣病患者のための慰霊広場があった。ところどところに地蔵様たちが刻まれ、置かれていた。
25エコパーク水俣(水銀埋立地)慰霊広場1













26エコパーク水俣(水銀埋立地)慰霊広場2













27エコパーク水俣(水銀埋立地)慰霊広場3













埋め立て地の案内板。
31エコパーク水俣(水銀埋立地)案内板













浜町にチッソの旧工場があった。壊すそうだ。
32浜町・チッソ旧工場1













33浜町・チッソ旧工場2


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2018年08月09日

2018綴り方の旅――水俣(2)

2018.08.06(月)
 スーパーホテル水俣泊
 午前中は、相思社のEさんの案内で、水俣をまわった。きょうも、レンタカーを運転した。
 水俣川を渡り、白浜町・白石邸を見た。石牟礼道子が『苦界浄土』を執筆した家だという。
01白浜町・白石邸(苦界浄土を執筆した家)













03白浜町・白石邸庭













 反対側に、石牟礼家が住んでいた家があった。
02白浜町・道子の住んだ家













 かつては塩田が広がっていたという。
04塩田跡(左奥にチッソ旧工場)













 江戸時代に造られた、石積の防潮堤跡。いま、外側は水銀で汚染された汚泥が埋め立てられている。
05水俣川の石積防潮堤の跡













 水俣市街をつっきり、山あいの袋地区に。狭く曲がりくねった山道を行くと、相思社の水俣病歴史考証館があり、いろいろ説明を聞いた。
 06相思社













 眺望のよいヘリポートに行った。

07袋1













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09袋3













10袋4













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2018年08月08日

2018綴り方の旅――水俣(1)

2018.08.05(日)午後〜08.06(月)
 われわれは博多から九州新幹線さくらに乗り込んだ。
 私は石牟礼道子の『椿の海の記』の文庫本を携えていった。
 新水俣駅でレンタカーを借り、明神の水俣資料館を訪れ、胎児性患者の方の話を聞いた。
 以下は、資料館からの眺望である。
01水俣病資料館より1











02水俣病資料館2











 資料館の前庭。白い花は何だろう。
03水俣病資料館庭1











04水俣病資料館庭2













 水俣湾の海。
05水俣病資料館海1










06水俣病資料館海2









07水俣病資料館海3











08水俣病資料館海4









09水俣病資料館海・梅戸港
















 水俣病被害者慰霊碑。銀の玉は水銀の象徴だという。
10水俣病資料館・慰霊碑1












11水俣病資料館・慰霊碑2













 水俣訪問初日は、このあと、チッソが水銀を垂れ流していた百間排水溝(跡)を見学、ホテルへ。
 

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2018年07月16日

青年劇場「オールライト」

2018.07.15(日)神奈川県立青少年センター紅葉坂ホール
作:瀬戸山美咲 演出:藤井ごう
キャスト:川西ユキ(高校生)/片平貴緑 藤城エリカ(ユキの同級生)/藤城梓 みちる(すずきさちこ)(ユキの祖母の友人)/高安美子 河下(居候1)/山田秀人 哲哉(居候2)/岡山豊明 エンジェル(居候3)/岡本有紀 大介(居候4)/沼田朋樹 藤城洋二郎(エリカの父)/杉本光弘 川西暁(ユキの父)/奥原義之

 演劇部員と準部員と観劇。最前列の席で観る。

 ちょうど1週間前、同じホールで、部員たち(県連盟の生徒実行委員会の一環)と瀬戸山さんのトークショーを聞いた。だから、作者が演劇に入り込んだのは大学4年生の時で、卒業後はライターをしていたことを、私と部員は知っていて、部員が準部員に教えていた。

 2人は終演後「おもしろかった」と言った。「本物のギターが出て(きて演奏する)とは思わなかった。主人公の持つギターの弦が一本切れていたけど。」
 私が「共感できた?」と聞くと、登場する2人の高校生(の気持ちはわかったが)「自分とはちがうな。」と2人とも言った。「でも、おばあさんが言った、『今何がしたいかわかっているかが大事なんだ』というセリフには『そうだ』と思った。」と。その子は目指すことを決めていて、すでに動きだしている。
 「役者さんたちがみんな、十分な声量で滑舌よく演じているのはさすがプロだよね。」と私が言うと、2人は頷いていた。

 地方の旧家の装置(たてこみ)が舞台空間を作っていてすごかった。
 照明が細かいところまで配慮されていてすごかった。
 台本が、シリアスな場面でも笑いの要素を入れていて、すごかった。
 役者さんたちが、とてもいきいきと演じていて、すごかった。
 
 なかなか心を射てくる、すばらしい舞台だった。
 涙と笑いで表情筋がくちゃくちゃになった芝居だった。

 私は、バックステージツアーに参加する2人を残して、少し影がかかっては来た紅葉坂をくだった。

 

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2018年07月09日

劇団空色マーブル第1回公演「失速インベーダー」 

2018.07.09(月)19:05〜20:15 桜美林大学・徳望館小劇場
 階段・通路まで客が入っているのを体験したのは、うん十年前の新宿・紀伊國屋ホールでの、つかこうへい事務所「熱海殺人事件」以来であろうか、なんて言うと規模から言ってかなりの誇張になるが、実際超満員で、100人以上は入っていたのではないだろうか。
 こんな大勢の客の前で演じられる劇団の人たちは超幸せだったのではなかろうか。

脚本・演出:青木里靜
キャスト:男/島田理央 後輩/永田莉子 恋人/大里結衣 女社長/鵜沼詩織 アナウンサー/CM/小山希来々 代行/エピローグ/CM/尾崎愛実 夜に積極的な女/CM/行方健太

 上演から4時間ほどたったいま振り返ってみて、もっとも演技していて冴えていたのは夜に積極的な女と代行コマーシャルを演じた行方健太ではなかったかと、思う。
 つまり、いちばん相手(男)とコミュニケートしていて、かつ笑いも取れたし、何よりその表情の七変化(ではもちろんないが)ぶりが超弩級だった。演者の中では、突き抜けた演技ができていたと思う。それでも彼のか細さは不安要素でもあるが。
 他の役者たちは、突き抜け方が足りなかったように思えた。
 男(島田)は恋人でも後輩でも、相手とのコミュニケートが十分できていたのか。できるまえに暴力に走るという演出にも難はあったのかもしれないが。
 後輩(永田)は好感が持てたが、ギター演奏と歌に、さらなる洗練があるとよかった。
 恋人(大里)は総合的に美しいが、ぐいと来るものが足りなかった。
 女社長(鵜沼)の張りのある声は素晴らしかったが、他者とのコミュニケートがあまりなかった。
 アナウンサー(小山)も同様の印象を持った。
 代行(尾崎)たちのダンスも面白かったが、突き抜けるものがなかった。主演クラスに対して、烏滸の役どころをする何人かが登場する芝居を何回も観たことがあるが(卑近な例では、麻布大附属の「ホラー」など)、たとえばいまいちばんに思い出すのは状況劇場における、不破万作・十貫寺梅軒らのコミカルシーンだが、やはり、ふつうに踊ってアピールしているだけでは、もったいない。
 けれども、どの演者たちも、素晴らしい個性を持っていて、もっと磨けば光り出す”原石”だとは思った。

 芝居としては、現代の暗部に照射して、抉ろうとしている心意気が伝わってきたが、全体的に状況を説明する長台詞が多かった。役者同士の交流から炙り出るような本・演出だともっと効果的だと思った。それに暗転の回数と暗転時間が長かった。
 舞台のレイアウトや装置は参考になるところが多かった。
 一緒に観に行った演劇部員も、これからつくっていく芝居の学びができたろうか。




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2018年07月08日

横滑ナナ 舞踏ソロ公演「すなのおんな」

2018.7.8.sun.19:00~ 中野・テルプシコール
舞踏 横滑ナナ 照明 三枝淳 音楽 成田護

 「ふと、中学生の時に読んだ小説がよぎった。/この現実は、砂丘の村の幽閉生活として予言されていたのではないか??」「舞台という砂丘で、決着をつけ続けないと生きる意味はないのです。」――横滑さんの言葉より。

 5〜6月、安部公房の初期の小説「赤い繭」を授業で読んだ。
 「砂の女」は岡田英次と岸田今日子主演の映画を断片的にだが強烈に覚えている。
 一面の砂丘。男がたどりついた泉の底には女が一人で住んでいた。
 深い穴の中に二人だけがずっと居続ける・・・・・・。

 Japan Butoh Network (JBN)の中に、「すなのおんな」を見つけた。チラシの写真にも引きつけられた。舞踏家については何も知らなかった。
 しかし、以上の情報だけで(まるで「羅生門」の下人のようだ、と、いまこじつけてみた)私は、この舞踏公演を観に行こうと決めていた――

 以下、観劇の報告
――音と光と肉体の巨大なバランスボールに覆われた60分の時空間であった。
 テレプシコールは、舞台の三方黒色、床は合板。立方体のような空間であった。
 ギターの弦を弾く音が途切れ、漆黒になった。
 第1部(仮にそう付けておく)
 舞台天井のライトが緩やかにフェードインし、客席後方を照らす。
 じわり、グレーのシルクハット帽をかぶり、黒のコートに黒のズボンの男が現れ、ゆっくり静かに客席の段の中央を下りてくる。客の隙間に足をおいて。
 舞台に下り立つと、かかとだけで上げてすり足で緩く奥の壁に向かう。風の音。
 再び漆黒
 第2部
 同じ男が上手壁際にいる。泉の水の音。
 立ち上がり歩き出すが、普通の動きでない。膝・肘・腰等の関節が自由な(常識的な見方によれば、とても不自由で抑圧された)動きをする(舞踏独特の)。
 再々漆黒
 第3部
 下手床上のライトが下手奥にフェードイン。はじめは暗くてよく見えないが、次第に下着姿の女が蹲っているのがわかってくる。
 女は足で宙(何か)を蹴ったり、挑発的な動きをする。
 悲しみ、喜びの感情を身体全体で顕わにし、銃声を発揮し、何かを喰う。
 激しくかつ計画的に何回も横転したりする。
 音楽はバロック風。
 やがて女は客席を最高段まで上がっていき、下を舐めるように覗く。
 再々再漆黒
 第4部
 大きな赤いリボンを付けたシルクハットをかぶって、上手奥に少女が蹲っている。
 静謐の中に幸福があるような(まるでマーラーの第4シンフォニー?!)。
 彼女は歩んでくる。中央で、まっすぐ立ち上がる。
 挨拶があり、終結したことが明らかになった。

 ラストで、男が再び登場するのかと思って観ていた。それまでにあと1〜2場面はあるのかなと。
 しかし、少女のような女が立ち上がって結ばれてしまった。ちょっと拍子抜けした感もあった。
 はたして、男はどうなったのだろう??
 3部で、女に喰われてしまったのか。
 女に同化してしまって、その形見が大きな帽子なのだろうか。
 砂の穴の何処か見えないところから、女の様子を覗っているのだろうか。

 謎も残った。
 しかし、謎が残るほどに引きつけられた舞台であった。


  

tomtom_poem at 23:02|PermalinkComments(0) mixiチェック 演劇 

2018年06月18日

服部剛詩集『我が家に天使がやったきた』出版記念朗読会

2018.06.17(土)14:00〜 
2018.06.16(土)服部ん出版記念朗読会から










 旗の台から3両編成ワンマン電車の池上線で3つめの石川台駅で下車。
2018.06.16(土)服部ん出版記念朗読会










 5月末に上梓した詩集『我が家に天使がやってきた』(文治堂書店刊 税別1200円)の出版を記念した朗読会だった。
 『我が家に・・・・・・』は良い詩集の本だった。前半はダウン症で生まれた息子・周君の子育て記、後半はより抽象的だが心温まる詩篇たちで編まれている。最後の谷川俊太郎氏からの手紙と剛さんの返信には感情が高ぶった。
 前半7篇、後半5篇の詩に付箋を付けた。このうち、私が朗読したのは、後半の「少年の靴」だ。苦しくも前向きに進もうという強く明るい意志を感じさせる詩だ。靴を舞台前方にイメージし、歩いたり立ち止まったりしながら朗読した。最終の2連「夏の日に反射する道は未知への繋がり/僕が僕になる為の/題名のない今日の舞台へ//交差点のシグナルが、青になる」では前に進み両手を広げ、前方の青信号に向けてクレッシェンドがかかった。少し、大げさで声が大きくなりすぎたのではないかと反省した。
  
 服部剛さんは数年前まで、高田馬場にあったBen’s Cafeで毎月日曜に「はっとりんのポエトリー劇場」という詩の朗読パフォーマンスを主宰していた。その店が閉店になるとき、ステージに使っていた半円の台を常にご自分の身の回りに置いていたそうだ。それが、この日、久しぶりに日の目を見た! このステージに立った詩人も多く集結していたが、私は初めてのぼる台であった。
 はっとりんは毎回詩の朗読と共にお題を出していた。きょうは「,い渕存修靴燭い海鉢∨椹軆犬ら一篇を選んで朗読自作詩を朗読」だ。

 私は,箸靴董崕蘓桓圓2人しかいない演劇部で、秋の大会に向けての芝居を何とか打ちたい!!」
 △論茲痢崗年の靴」。
 は、当初、もう二十数年前、私の子どもが小さくて、私が横浜の荒川洋治教室に通っていたときに作った作品を思い浮かべたのだが、探しても当時の作品が見つからなかった。そこで、海老名の昔話に関わる詩を読んだ。


つぼみのまま/冨田民人

江戸の武家屋敷を出た後
馬引沢・二子の渡し・溝口・荏田・長津田・鶴舞を経て
如月の酷寒の夜
どこの宿駅で泊まったのだろう
娘は病に冒され母は思いをふりしぼっていた
冷たい風に吹きさらされて
娘は激痛にみまわれ歩けなくなった
母は里人にとりすがる
名医半井驢庵(なからいろあん)先生のお屋敷は何処(いずこ)
寺の住職ねんごろに教えたが
花咲かぬままその子は息をひきとった
里人、なき子に同情し
地蔵堂を建て椿の花を供えたという
やがて、
その一枝が根付いて成長したが
何年たっても何百年たっても
つぼみはつくのに花は一つも咲かないのだ

日射しの強(こわ)い春のこと
確かにお堂の横に椿の木があって
つぼみをたくさんつけていた
先が赤っぽくなっていて
あと少しで可憐な花を咲かせそうに見えたけれど
命の口はかたくなに閉ざしていた

近代科学の眼で見れば
花が咲かぬのは遺伝子異常
けれどけれど
遠き人の眼で見れば
娘の霊がのりうつってのこと

そこからわずか十分で
御典医驢庵の屋敷跡につく
先生が植えたなんじゃもんじゃの木が
今もなお生きつづけている

※「えびなのむかしばなし第一集」より。椿地蔵は海老名市にある。
(詩誌「第二次山脈」4号 2010年秋発行 より)

 私はこの後、本厚木に向かったので、15時40分前、第一部が終わってすぐに退出した。


tomtom_poem at 00:53|PermalinkComments(0) mixiチェック 詩歌 

2018年06月17日

扉座「リボンの騎士 県立鷲尾高校演劇部奮闘記2018」

2018.06.17(土)18:00〜20:30 厚木市文化会館小ホール

 演劇部1年2人と観に行きました。

 実は2011.02.27(日)14:00〜17:10にも、神奈川県立青少年センターホールで観ているのです。そのときも
演劇部員2人と観に行っています。
 このときのことをブログに書いているので、今回と比較対照させて記しておきます。

原作:手塚治虫 脚本・演出:横内謙介 振付:ラッキィ池田、彩木エリ(ここまでは同じ)
主なキャスト:左に2011年(大震災の直前だったんです)、右に今回(2018版)を書いておきます。
中島親弘(応援団部2年リーダー部長)/橋本昭博(俳優。桐朋学園芸術短大卒)//白金翔太
芦沢答子(演劇部2年)/朝倉みかん(ポセイドンエンタテインメント)//加藤萌朝
池田まゆみ(演劇部2年)/今泉舞(カリタス女子高、舞台歴10年)//吉田美佳子
花本小百合(演劇部3年)/鈴木里沙(扉座)//伴美奈子(扉座)
リボンの騎士・サファイア/太田彩乃(サンズエンタテインメント)//砂田桃子
フランツ王子/松谷嵐(高校2年、タップダンス歴10年)//松本旭平
ヒョウタンツギ/島村吉人(県立湘南高卒)//野田翔太
ジュラルミン大公・応援団部OB/犬飼淳治(扉座)//高木トモユキ(扉座)
ナイロン卿・応援団部OB/岩本達郎(扉座)//新原武(扉座)
大魔神/松谷光(東宝ミュージカルアカデミーアドバンスコース)//魔王メフィスト/小川蓮
小魔神1号/大聖郁美(川崎市立高津高)//ヘル夫人/中嶋紗耶香
小魔神2号/大聖彩奈(県立川崎高)//ヘケード/河北琴音

 以下に、2011年の観劇記を再掲しておきます。
―― ”横内謙介は芝居のストーリーテラーである”ということを、改めて認識づけられました。昨年の「ドリル魂」もわらび座の「アトム」もそうでしたが、この「リボンの騎士」も、3時間弱の時間を感じさせないおもしろさでした。それは、観客の心を摑む仕掛けがいくつも散りばめられていることからもくるのかなと考えました。その仕掛けを思い出すままあげてみますね。
 ・硬派の応援団リーダーと女ばかりの演劇部の―いわば野獣(?)たちと美女(?)たちの―対照/・高校生の女の子の現実の世界と妄想のリボンの騎士たちの世界の対照/・ラストの演劇部の本番のシーンを、お城の大道具の裏側にして、舞台裏の部員や騎士たちのドラマを見せたこと。
 扉座の座員以外はオーディションで選ばれた42名の若者たちが出演していました。カーテンコールの後の挨拶や、演出の横内を舞台に上げての花束贈呈など、最後はオーディションで集まった若者たちの感動の別れのシーンを見られて(この回がラストステージだったので)、2倍得した気分になりました。/若者たちの汗(発声)と涙(感動)が800人の客席にぶんぶんぶっかけられた、熱いステージでした!!
余録1 舞台のはじめに応援団のもっていた団旗が、厚木高校同窓会の本物だったこと、ラスト直前の応援団による応援が(慶應のダッシュケイオーでなく)早稲田のコンバットマーチだったことから、横内さんの母校愛がうかがえてほほえましかったです。
余録2 初め、この芝居のチラシを見て、演劇部の生徒たちは、コワ〜イ顔をしている応援団OB役の犬飼淳治、岩本達郎の写真に沸いたのでした。そして、岩本さんがわらび座の「アトム」に出ていて、その観劇の感想をブログに書いたらコメントをくれたよと言ったら、「なんて優しいんだっ」と言っていました。で、扉座の次回作「アトムへの伝言」のチラシの彼の写真はなんと好青年に映っていること! この演じ分けはすごいなっと思いました。――

 さて、ここからが今夜の観劇記です。
前回よりさらにショーアップされた感じがしました。動き、ダンス、歌、衣装。その分、何となく宝塚のようなレビュー化しているような気もします。よく言えばエンタテインメント性が増し、逆に言えばドラマの真実性が薄くて、心地いいんだけど心の奥底まで伝わってこないような。
 でも、特に後半のどんでん返しの連続は劇的におもしろく、ぐいぐい引っぱられました。となりの生徒(たぶんこういう芝居の観劇は初めて。)も良かった、面白かったと言っていました。
余録1 地区の講習会でも講師としてお世話になった橋本昭博(モランボン)さんが7年前の舞台に立っていたことを発見!
余録2 17日の地区の講習会で脚本指導をしてくださった坂本鈴さんが文芸演出部長だということ(井上崇さん情報です)。

 高校生は金銭的時間的になかなかこういう芝居を見るチャンスがありません。観ると楽しいし、演劇が好きになるって絶対わかっているのだけれど!!
 だから、こういう招待は嬉しいですね。なるべく多くの芝居を紹介し、見せていきたいと思います。


tomtom_poem at 00:33|PermalinkComments(0) mixiチェック 演劇 

2018年06月03日

井上弘久・ソロライブ『椿の海の記』第二章「岩どんの提灯」

2018.06.03(日)15:00〜16:40 四谷三丁目・藝術茶房喫茶茶会記 1drink1000円+投げ銭
原作:石牟礼道子『椿の海の記』第二章「岩どんの提灯」
企画・制作・構成・演出・出演:井上弘久
音楽・コントラバス等演奏:吉田水子(みなこ)
作曲:金子忍「不知火海のテーマ」

 最初のレクチャーで井上さんは、「はじめは石牟礼さんのテキスト通りにやろうと思っていたのだけれど、どうしても自分の言葉にならなくて、覚えて、構成して演じるようにした。」「今年1月に初めて水俣に行き、施設で石牟礼さんに会って一部を演じたら、ぜひ観てみたいと言われたので、水俣に再訪して演じようと思っていたが、その3週間後に訃報を聞いた。」とおっしゃっていた。

 4月の公演の前から、遅ればせながら河出文庫の『椿の海の記』を購入して読んでいる。原文通りではなく、取捨選択して、再構成しているようだ。
 本日の「岩どんの提灯」もだいたい次のような構成だった。
機‖莪貍蓮嵬─徊粗の「大崎(うさぎ)ケ鼻」の情景と4歳のみっちゃんと父の白石亀太郎の交流。
供‖萋鷯蓮峇笋匹鵑猟鹽堯廚茲蝓∈他未靴椴宜(船の骨組み)だけになった、石積船の描写と父娘の交流。
掘‖萋鷯蓮峇笋匹鵑猟鹽堯廚茲蝓△箸鵑箸鸞爾硫仭鮠譴隆篥臓覆匹鵝砲箸澆辰舛磴鵑慮鯲。
検‖萋鷯蓮峇笋匹鵑猟鹽堯廚茲蝓亀太郎の家が没落してとんとん村の外れの藁小屋に移り住んだ話。この公演では、亀太郎が娘のみっちゃんに、「基礎は大事だぞ」と強調しながら、廃材で小屋を建てたが、すぐ崩壊する話が付けくわわっていた。これは、FBで井上さんがおっしゃっていた、石牟礼さん61歳のエッセイからの題材なのだろうか。
后‖萋鷯蓮峇笋匹鵑猟鹽堯廚茲蝓△箸鵑箸鸞爾粒阿譴侶,知て小屋に住んでいた癩病の徳松と妻子の話。

 全編、硬軟取り混ぜた熱演であったが、私が特に感銘を受けたのは、次の二つの演技である。
 まず一つは、兇痢⊆,梁羯譟屬錣燭靴呂修痢悗瓦蹐瓦蹐靴深郢散漫戮里茲Δ福蔽蹇兵隊検査で丙種不合格になった父の)あばらにさわりながら、その肋骨が、目の前の廃船の竜骨に変身し、夜空にそびえ立つのを見た。」の後、両手を横に広げ、胸を突き出し、切り出した石を載せ運ぶ、現役の船を演じた場面だ。父や祖父を始めとする石工たちが山から石を切り出し、船に載せ、運ぶ様子がリアルな迫力で眼前に現れ、私は惹き付けられた。
――まだ若かった亀太郎は浜辺に来ると必ずこの廃船の下に立ちどまり、やわらかな潮風の流れる中で、この竜骨と入れ替わるしばしの時間に、幼ない娘もつきあいながらさくら貝や猫貝などをひろっては、エプロンのポケットに入れこぼしていた。  P44
 
 もう一つは、靴痢△そるおそる近づくみっちゃんと、この子を迎える岩ど殿(どん)のシーンである。原文では次の箇所。
――青い人魂をつれて帰ったり、死人さんの膝の、白々とした『かっ骨の皿』を、らくがんのようにかじりながら、焼酎の肴にして呑ますといわれているじいさま(注:火葬場の隠亡の岩どん)を見たい気分もあって、火葬場の道のどんづまりの、炉のところまで近づくと、けものの皮のちゃんちゃんこだけを着たじいさまは、褌(ふんどし)をひらひらさせて薪を割っている。松の幹にかくれてのぞいていると、むこうも気配で薪を割っている手を休め、のびあがって見廻して、その首をちょっとすくめてみせて、ほら見つけたぞというように笑ってみせるのであった。/「みちこしゃんかい」/ひげもじゃの岩殿(どん)の顔がいつも先にほころんで、/「松葉かきに来たや」/という。  P53・54
このときの、顔をくちゃくちゃにしてみっちゃんを迎え入れる岩どんのうれしさと、みっちゃんの素朴さ。そして、一瞬にして岩どんからみっちゃんに入れ替わって演じる井上さんの演技の凄さに、これまた魅入ってしまった。

 海や山の自然の豊富さと、それを活かしていた生活の潤沢さは、昭和一桁時代の水俣(いや、他の日本列島のほとんど)の情景を石牟礼さんの文章で読むと、常に感じさせられることだ。そこには、経済的な貧しさでは計れないものがある。
 それと同時に、特に今回では、重い癩病を患っていた徳松一家に対して、村の人々の何と優しい態度! 徳松さんも、手足の自由がきかないのに無理してでも村の人たちとの交流の場に入ろうとし、人々も拒絶するどころか受け入れ、同情する。こんなコミュニティは、いまでは理想郷でしかないのではないだろうかと思える。

 場面ごとに低音や高音が響きわたった、吉田水子のコントラバス演奏も井上さんの演技を活かしきっていた。

 8月は第三章「往還道」。亀太郎一家が住んでいた水俣中心街の話であろう。期待したい。
 8月は、3日から6日まで、高校作文教育研究会の人たちと福岡の作文教育の全国大会の後、水俣を訪れる予定でいる。そこで見る水俣の街と周辺に、4歳の石牟礼道子さんの見た水俣がどのように重なるだろうか。楽しみである。
 そして、私はその景色を背負いつつ、12日の公演を観に行こう。

 
 

 

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2018年05月06日

プレイラボ2018春夏秋冬プロジェクト「別役実の『混沌・コント』を遊ぶ」

プレイラボ2018春夏秋冬プロジェクト「別役実の『混沌・コント』を遊ぶ」
5月6日(日)14:00〜14:45 会場/本厚木・ぎゃらりー喫茶なよたけ
構成/柊かおる 演出/深谷禰宜
●出演●井上崇・佐倉みらい・中村葉月・高橋拓馬

いやぁ、おもしろかったなぁ。寝ちゃうかもと心配していた妻も最後まで笑って観ていたね。

 昨年12月、別役実は80歳になっていたが、新刊『別役実の混沌・コント』(三一書房)を出したという。
 ◇ 第1部には、 夕焼け小焼けで/ソロロ・ポリン・テニカ・カバト・オスス・トンブ・ピリン・パリン/或る晴れた日/混沌/死体がひとつ/混沌 そのつぎ/ブランコ/手術中/身ノ上話/狩猟時代/もしかして/白日夢/ふなや の13編のコント
 ◇ 第2部には、「おままごと 関西弁編」が入っている、と三一書房のHPにあった。
 さっそく、内田屋書房さんに注文した。

 さて、きょうの公演は、「或晴れた日」と「死体がひとつ」の2編を中心に、構成されていた。
 しかし、あと3つの場面があり、そこでは、ほとんどセリフなしの、役者の身振り・表情やコミュニケーションで場の状況を伝えていて、その演出や演技にも引き込まれた。とくに井上崇の肉体や口調やしぐさや表情が、どこにも行くところがなく、殺人さえできず、死体になれたと思ったら、元の通りに公園のベンチで日を過ごさなきゃならなくなるという、不条理の男のおかしさやかなしみをよく表していた。なんか、このあと3年の授業で読む、安部公房の「赤い繭」の世界に通ずるものがあった。「赤い繭」は、家にも帰れず行き場のない男が、しまいには繭になって消滅してしまうという、これも一種の不条理物語だね。

 次に中村葉月が良かった。どこがよかったって、まぁ、その存在がよかったな。佐倉みらいは、画用紙に書いた、手書きの場のタイトルを、毎回カウンター上の器具に挟んでいったが、その雰囲気がまた(手書き感に相乗して)よかった。黒いドレスの「死体処理係」も。長身の警官・高橋拓馬は不思議なコミカルなキャラクターをもっている。彼との絡みがどの場面でもいちばん笑えたのではないか。

 終演後、客のピアニストの演奏が聴けたのも、収穫だった。

 客が8人しかいなかったのが残念だった。カフェという狭い空間の中でかなりおもしろく観られた芝居だった。もう少し入れたと思うので、近いうちに再演をして、もっと多くの人に観てもらえるといいな。。

 


 


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2018年05月05日

葛西善蔵『哀しき父/椎の若葉』

1994.12.10 講談社文芸文庫発行
 アクト青山の朗読で葛西の「椎の若葉」を聞いて、うちにあった文芸文庫を引っ張り出してきて、読み直している。かつて子供が小さいころ読んだ時は、父と子のわびしい姿が印象に残っていたが、やはり、印象がちがって見える。

――霧のような小雨が都会をかなしく降りこめて居る。彼は夜遅くなって、疲れて、草の衾(しとね)にも安息をおもう旅人のやる瀬ない気持になって、電車を下りて暗い場末の下宿へ帰るのであった。 「哀しき父」(大正元年九月)P17

――その日の良吉は日中に見る活動写真の絵看板のように、しらふで、コケで、乾いた悪毒(あくど)さで、ほったらかされた気持であった。 「悪魔」(大正元年十二月)P25

――尋常二年生の彼の長男は書籍や学校道具を入れた鞄を肩へかけて、袴を穿いていた。幾日も放(ほ)ったらかしてあった七つになる長女の髪をいゝ加減に束ねてやって、彼は手をひいて、三人は夜の賑かな人通りの繁(はげ)しい街の方へと歩いて行った。 「子をつれて」(大正七年三月)P77
――食い足った子供等は外へ出て、鬼ごっこをし始めた。長女は時々扉(ドア)のガラスに顔をつけて父の様子を視に来た。 同上 P78
――悲痛とか悲惨とか云う言葉――それ等は要するに感興というゴム鞠のような弾力から弾き出された言葉だったのだ。併し今日ではそのゴム鞠に穴があいて、凹めば凹んだなりの、頼りも張合いもない状態になっている。 同上 P78・79
――「自分の子供等も結局あの踊り子のような運命になるのではないか知らん?」 同上 P79
――併し彼女は、ますますしゃくりあげた。(中略)子供等は腰掛へ坐るなり互いの肩を凭(もた)せ合って、疲れた鼾を掻き始めた。(中略)「・・・・・・が、子供等までも自分の巻添えにするということは?」/そうだ! それは確かに怖ろしいことに違いない!/が今は唯、彼の頭も身体も、彼の子供と同じように、休息を欲した。 同上 P81

――同じ退屈するなら、やはり蒲団の中にもぐり込んでいるか、地震で柱の歪んだ黄色い壁――附鴨居(つけがもい)の下の天井下の小壁などにひどいひゞを見せた壁に向って、煙草の煙でも吹いていた方が、まだしもましじゃないか知ら? 「蠢く者」P153


 以下は葛西の伝記『椎の若葉に光あれ』を著した鎌田慧氏の「作家案内」より
――貧窮のどん底にはいたが、それでも、糊口をしのぐためにはたらくことなく、むしろそれを拒絶することによって、彼は彼の文学の突破口をひらこうとしていた。 P318
――「切符を落さないように、ちゃんと、しまっておいたほうがいい」/「この野原で、ちょっと小便をしますから」/それが最後のうわごとだった。彼はいつも故郷のりんご畑に帰る夢をみつづけていた。四十二歳だった。 P326

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