2018年05月06日

プレイラボ2018春夏秋冬プロジェクト「別役実の『混沌・コント』を遊ぶ」

プレイラボ2018春夏秋冬プロジェクト「別役実の『混沌・コント』を遊ぶ」
5月6日(日)14:00〜14:45 会場/本厚木・ぎゃらりー喫茶なよたけ
構成/柊かおる 演出/深谷禰宜
●出演●井上崇・佐倉みらい・中村葉月・高橋拓馬

いやぁ、おもしろかったなぁ。寝ちゃうかもと心配していた妻も最後まで笑って観ていたね。

 昨年12月、別役実は80歳になっていたが、新刊『別役実の混沌・コント』(三一書房)を出したという。
 ◇ 第1部には、 夕焼け小焼けで/ソロロ・ポリン・テニカ・カバト・オスス・トンブ・ピリン・パリン/或る晴れた日/混沌/死体がひとつ/混沌 そのつぎ/ブランコ/手術中/身ノ上話/狩猟時代/もしかして/白日夢/ふなや の13編のコント
 ◇ 第2部には、「おままごと 関西弁編」が入っている、と三一書房のHPにあった。
 さっそく、内田屋書房さんに注文した。

 さて、きょうの公演は、「或晴れた日」と「死体がひとつ」の2編を中心に、構成されていた。
 しかし、あと3つの場面があり、そこでは、ほとんどセリフなしの、役者の身振り・表情やコミュニケーションで場の状況を伝えていて、その演出や演技にも引き込まれた。とくに井上崇の肉体や口調やしぐさや表情が、どこにも行くところがなく、殺人さえできず、死体になれたと思ったら、元の通りに公園のベンチで日を過ごさなきゃならなくなるという、不条理の男のおかしさやかなしみをよく表していた。なんか、このあと3年の授業で読む、安部公房の「赤い繭」の世界に通ずるものがあった。「赤い繭」は、家にも帰れず行き場のない男が、しまいには繭になって消滅してしまうという、これも一種の不条理物語だね。

 次に中村葉月が良かった。どこがよかったって、まぁ、その存在がよかったな。佐倉みらいは、画用紙に書いた、手書きの場のタイトルを、毎回カウンター上の器具に挟んでいったが、その雰囲気がまた(手書き感に相乗して)よかった。黒いドレスの「死体処理係」も。長身の警官・高橋拓馬は不思議なコミカルなキャラクターをもっている。彼との絡みがどの場面でもいちばん笑えたのではないか。

 終演後、客のピアニストの演奏が聴けたのも、収穫だった。

 客が8人しかいなかったのが残念だった。カフェという狭い空間の中でかなりおもしろく観られた芝居だった。もう少し入れたと思うので、近いうちに再演をして、もっと多くの人に観てもらえるといいな。。

 


 


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2018年05月05日

葛西善蔵『哀しき父/椎の若葉』

1994.12.10 講談社文芸文庫発行
 アクト青山の朗読で葛西の「椎の若葉」を聞いて、うちにあった文芸文庫を引っ張り出してきて、読み直している。かつて子供が小さいころ読んだ時は、父と子のわびしい姿が印象に残っていたが、やはり、印象がちがって見える。

――霧のような小雨が都会をかなしく降りこめて居る。彼は夜遅くなって、疲れて、草の衾(しとね)にも安息をおもう旅人のやる瀬ない気持になって、電車を下りて暗い場末の下宿へ帰るのであった。 「哀しき父」(大正元年九月)P17

――その日の良吉は日中に見る活動写真の絵看板のように、しらふで、コケで、乾いた悪毒(あくど)さで、ほったらかされた気持であった。 「悪魔」(大正元年十二月)P25

――尋常二年生の彼の長男は書籍や学校道具を入れた鞄を肩へかけて、袴を穿いていた。幾日も放(ほ)ったらかしてあった七つになる長女の髪をいゝ加減に束ねてやって、彼は手をひいて、三人は夜の賑かな人通りの繁(はげ)しい街の方へと歩いて行った。 「子をつれて」(大正七年三月)P77
――食い足った子供等は外へ出て、鬼ごっこをし始めた。長女は時々扉(ドア)のガラスに顔をつけて父の様子を視に来た。 同上 P78
――悲痛とか悲惨とか云う言葉――それ等は要するに感興というゴム鞠のような弾力から弾き出された言葉だったのだ。併し今日ではそのゴム鞠に穴があいて、凹めば凹んだなりの、頼りも張合いもない状態になっている。 同上 P78・79
――「自分の子供等も結局あの踊り子のような運命になるのではないか知らん?」 同上 P79
――併し彼女は、ますますしゃくりあげた。(中略)子供等は腰掛へ坐るなり互いの肩を凭(もた)せ合って、疲れた鼾を掻き始めた。(中略)「・・・・・・が、子供等までも自分の巻添えにするということは?」/そうだ! それは確かに怖ろしいことに違いない!/が今は唯、彼の頭も身体も、彼の子供と同じように、休息を欲した。 同上 P81

――同じ退屈するなら、やはり蒲団の中にもぐり込んでいるか、地震で柱の歪んだ黄色い壁――附鴨居(つけがもい)の下の天井下の小壁などにひどいひゞを見せた壁に向って、煙草の煙でも吹いていた方が、まだしもましじゃないか知ら? 「蠢く者」P153


 以下は葛西の伝記『椎の若葉に光あれ』を著した鎌田慧氏の「作家案内」より
――貧窮のどん底にはいたが、それでも、糊口をしのぐためにはたらくことなく、むしろそれを拒絶することによって、彼は彼の文学の突破口をひらこうとしていた。 P318
――「切符を落さないように、ちゃんと、しまっておいたほうがいい」/「この野原で、ちょっと小便をしますから」/それが最後のうわごとだった。彼はいつも故郷のりんご畑に帰る夢をみつづけていた。四十二歳だった。 P326

tomtom_poem at 02:02|PermalinkComments(0) mixiチェック 文学・評論 

2018年05月04日

純粋吹奏(通好み?!)音楽会〜神奈川県立有馬高等学校吹奏楽部第32回定期演奏会

2018.05.04(金) 海老名市文化会館大ホール 18:00〜20:30
第1部 アレンジ+オリジナル
1 チャイコフスキー:『雪娘』より「道化師の踊り」
 冒頭の音からして、バランスの良い響きに聞こえた。かつてや、前任校での粗っぽさが私には分からなかった。とりわけ、ティンパニの男子奏者がうまいと思った。

2 モートン・グールド:「ヒムナル賛美歌“勝利を我らに”に基づく」
 楽器演奏の合間に合唱(人声)が入ると感動するのはなぜだろう。

3 ガイ・ウルフェンデン:「S・P・Q・R(セナートゥス・ポプルスクェ・ローマーヌス)〜“元老院とローマの人民”〜」(日本初演)

第2部 ポップス
1 ジュリー・ダヴィラ:「ジャンクヤード・ランブル」
 ボディ・パーカッションの演奏が見られると思っていたが、ないのが残念だった。ボディ・パーカッションといえば元N響打楽器奏者・橘政愛を思い出す。このバケツ演奏もパフォーマンスより音楽だった。

2 久石譲・木村弓:「スピリティッド・アウェイ《千と千尋の神隠し》より」
3 アメリカン・ジャズを称えて
4 ミュージック・オブ・ザ・ビートルズ
 12曲を12のパートで演奏するなんていう演出はいいですね。自己紹介の代わりになる。

第3部 オリジナル
1 スコット・リンドゥロス:「スピン・サイクル」
 解説と部分演奏は、中学時代に渋谷公会堂の無料公開録画に通っていた題名のない音楽会や黛敏郎を思い出させた。ミニマル・ミュージックなんて、現代の最先端を行ってた音楽。それを有高生が演奏するとは?!

2 ディヴィッド・ギリングハム:交響詩「ヒーローズ・ロスト・アンド・フォールン〜ベトナムの回顧〜」
 この曲はいろんなことを連想させた。変拍子の連続、武満、砂の女、安部公房、、ベトナム、プラトーン、フルメタルジャケット、戦場のメリークリスマス、坂本龍一・・・・・・
 ティンパニの4人演奏を初めて見た。凄かった。
 
 全体として思えば、純粋に音楽を聴く会として、とっても面白かった。
 しかし、5年前まであった、遊びや息抜きの要素がなかった。2部のポップスも演奏だけだった。また、終演後ロビーに出ての感謝の合唱がなくて、その感動を知っている私は、ちょっぴり寂しさを感じた。
 それにしても、よくこんな難しい曲を集中して延べ2時間も演奏できるなぁと、部員たちに大感心してしまった!!

 新学年・新クラスが始まってまだ一ヶ月。授業で合っている生徒をいつも探して耳を澄ますのだが、今回はまだ覚え切れていない。どうにか3年は、フルートのYとクラリネットのOはわかった。二人はパートリーダーでソロも演奏していて格好よかった! 1年は、まだどの子と授業が一緒だかよくわからず、非常に残念だった。。。

 それにしても、本場のアメリカ仕込みの中山鉄也先生の企画・指導力はやはりさすがだと思った。いつも後ろの席のALTと英語でお話をされているが、私はまだ一度もお話をしたことがない、というか、お話をするのが恐れ多いなぁ。

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2018年05月01日

映画「ちはやふる 結び」〜何か演劇部の子たちとダブって見えたんだ〜

2018.04.30(祝) イオンシネマ茅ヶ崎
私は母への見舞いの帰り、妻は図書館の仕事が終わってから、19時20分上映の「ちはやふる 結び」を観るためにイオンシネマ茅ヶ崎ロビーで落ち合う。

スタッフ
監督・脚本:小泉徳宏 原作:末次由紀小泉徳宏
キャスト
瑞沢高校チーム:広瀬すず/綾瀬千早 野村周平/真島太一 上白石萌音/大江奏 矢本悠馬/西田優征
森永悠希/駒野勉 優希美青/花野菫 佐野勇斗/筑波秋博
藤岡東高校チーム:新田真剣佑/綿谷新 清原果耶/我妻伊織
松岡茉優/クイーン・若宮詩暢 賀来賢人/名人・周防久志
松田美由紀/瑞沢高校顧問・宮内妙子 國村隼/三人の師・原田秀雄

 1年の時にカルタ部を立ち上げ、全国大会まで進むチームを作った千早たちだったが、2年になってからの新入生歓迎会で真剣勝負をして、新入生に引かれ、結局新入部員が0だった。彼女たちは3年になると、生意気な男子と太一に憧れたミーハーな女子が一人ずつ入り、何とか廃部は免れた瑞沢高校カルタ競技部。しかし、太一たちは高3、そう、受験が眼前に迫っていた!! カルタ1本の千早以外は部活を続けるか悩む。とくに、千早がいるからカルタを続けていた太一が、医学部受験を優先して退部してしまう――
 それでも彼らはカルタという部活で青春、いや人生を燃焼しようとした。と、こう書くと大仰な言い方で、リアリティに疑問が持たれるだろう。しかし、、、
 私はこの映画を観ながら、しばしば演劇部のHやNやEを思い浮かべていたのだ。彼らも、千早や太一たちがカルタが大好きだったように、演劇が大好きだったんだなぁと。だから、彼らも彼女も高3になっていっぱい悩んだ。でも、思いを、春の大会で燃焼できていたね。
 なんか、ダブって見えちゃったんだね。。。

tomtom_poem at 12:12|PermalinkComments(0) mixiチェック 映画・演劇 | 文学・評論

2018年04月30日

伊勢原文学・歴史散歩〜有馬散歩の会

2018.04.29〔日〕 伊勢原駅改札12時55分集合で、9人のメンバーがそろった。
 1時間に1本の鶴巻温泉駅行きバスに乗り、神戸(ごうど)で降りた。国道を渡り、相模三之宮・比々多神社に向かった。
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 相生の欅。見事に二股に分かれて直立している。おそらく右が牡、左が雌だろうか。
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 ご神木? 太い綱。
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比々多神社裏に移動させられた下谷戸縄文遺跡。東名高速建設時にここに移設されたのだという。
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 三之宮郷土博物館。中には古墳時代に発掘された装飾品や刀剣などが展示されている。
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 このあたりの風景を見て、「日本の原風景を見ているみたい」「いいとこころだねぇ」と、参加者が口々に言っていた。
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 雨岳文庫。雨岳文庫とは、幕末最後の代官屋敷であった山口家住宅および2万点の古文書・古美術品・什器を含むすべての文化財の総称である。代官屋敷は個人の邸宅だったが、見たこともない欅の太い柱や梁などで頑丈に建てられ、欄干やふすま絵など、装飾が細かく施された古民家であった。見ているだけで目の保養になった。ここは、明治初期に相州西部の自由民権運動の「湘南講学会」の会場にもなり、民権関係の資料も展示されていた。女性初の女性解放家・中島湘烟の襖に書いた書もすばらしかった。
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 上行寺。
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 宝井其角墓所。
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 桂川甫周墓所。
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 太田道灌墓所。
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 連歌師心敬の句碑。初句は「雲もなほ」でなく「雲はなほ」が正しい。
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 ここで路線バスを待ったが、来たバスは満員で、9人全員は乗れず、他に待っている人もいたので、その人に譲り、我々は立ち尽くした。
 うち私を含む5人は駅に向かって歩き出し、4人はタクシーで追い越していった。歩いた5人も片町十字路バス停でちょうど来た、やはり満員のバスに乗り込んだ。夜は“わん”で打ち上げをした。
 次回は11月25日(日)に決まった。

tomtom_poem at 00:01|PermalinkComments(0) mixiチェック 散歩 

2018年04月29日

4月の現代朗読ゼミ〜毎回、新たな気づきがある〜

 2月に続いて、4月も3日間、ゼミに参加した。ここに参加すると、必ず二つ以上は気づかされ、進化の材料を得ることができる。そして、自分は変わっていこうとする努力ができる。やはり、ひとに観てもらうことは大事だと思う。とくに水城流は肌に合う。以下、気づかされた点を列挙しておこう。今後の自分のためにも。

 7日に気づいた点
 安部公房「赤い繭」前半を読んだ。
 )粗「日が暮れかかっている」が、主人公の目に映っている情景として読むといいと水城さんに言われた。芥川「羅生門」の冒頭は「ある日の暮れ方である」だが、これは作者の描写であること、それに対して「日が暮れかかっている」はそうではないこと。つまり、こちらは記述であると思ったのだが――いま考え直してみると、これは描写でも記述でもない、登場人物の語り(つぶやき)なのだろうかと思えてきた。とにかく、「羅生門」の冒頭とはちがって、主人公の視線で読まなければならない。そうすると、すーっと読めるようになったのである。これが気づきの1点目。
 ∋兩がどうしても腰が上がって後傾してしまう。腰を引いて胸を張るようにすると、背骨がまっすぐになる。
 2月にも指摘されたことだが、口蓋の奥を開いて発語すると、自然に声が出、滑舌が良くなる。

 21日に気づいた点
 この日は「赤い繭」の後半を読んだ。
 \爾鮟个靴篤匹爐箸、自分の身体を観るということ。何のために彼らの前で読むのかということ。これらは、今まできっちりと意識してこなかったことだ。
 
 28日の気づいた点
 受講が私一人だけだったこともあり、「赤い繭」全編を通して読んだ。
 ―顛瓦隼兩を意識して発語したが、なかなか脚が動かなかった。 
 口蓋を上下に動かすとはっきり楽に発音できた。それまでは、口を左右に引いただけで発音していたという。

 野々宮卯妙さんが「赤い繭」を朗読してくれた。 私とはちがって、自然と脚が動く。スピードも、ゆっくり読んだり高速で読んだり、変幻自在の朗読表現だった。


tomtom_poem at 01:37|PermalinkComments(0) mixiチェック 演劇 

2018年04月28日

葛西善蔵「椎の若葉」葉山嘉樹「淫売婦」〜アクト青山“春の朗読会2 時代の言葉と女優たちの声と〜”

2018.04.27(金)19:30〜21:00 千歳烏山・演劇集団アクト青山アトリエ
27(金) 千歳烏山・アクト青山アトリエ












 二人の女優共に、文庫本が積み重ねられ、散乱した床の真ん中に置かれたテーブルに、その四角いステージを三方から囲んだ客席の、上手側の客席の後方から登場し、椅子に座り、前屈みに文庫本を開いて、読み続けた。読み終わるまで、ほとんどその姿勢を崩さなかった。 

1 よしざわちか朗読/葛西善蔵「椎の若葉」
 声を低くしたり、上げていったり、工夫が見られたが、それが逆に不自然にも思われた。
 一筋縄ではいかない葛西の文体は、人生に疲れた男の声で聞きたいとも思った。若い女性の声で表現するには無理があると思った。


2 山辺恵朗読/葉山嘉樹「淫売婦」
 原作の読ませる力もあるのだろうが、気がついたら21時になっていた。つまり、50分間ずっと集中して聞いてしまっていた。読む力があるのだろう。

 前半の淫売のいる倉庫から出てきてから一息入れ、机上の茶色い液体を飲み、次の部を読み始めた。
 ずっと猫背で文庫本を開いて読む山辺だが、ふと床を見ると、テーブルから山辺の素足が見え、真っ赤なペディキュアが光った。肺病で裸体で横たわる淫売婦と重なった。


 主宰の小西優司氏はプログラムに書いている。「劇的に読むのでなく皆様の心の何処かに『作者の願い』が残るように読めていれば良いな」。これには?を思った。
 ここ何年か、声だけでなく、身体全体を生かした、(渡辺知明さん提唱の)表現読み〔えびな・ことばの会〕や(水城ゆうさん主宰の)現代朗読ゼミに参加しているせいだろうか。

 葛西善蔵の講談社文芸文庫版『哀しき父/椎の若葉』は、私が横浜の荒川洋治教室に通っているときに紹介され、買って読んでいたものを取り出し、読み返している。
 葉山の「淫売婦」は筑摩現代日本文学体系56で読んでいたが、細部はかなり忘れていた。




tomtom_poem at 00:15|PermalinkComments(0) mixiチェック 演劇 | 文学・評論

2018年04月22日

「吉田カバン展」〜京急百貨店7階催事場、6階【吉田カバン】コーナー

2018.04.22(日)京急百貨店7階催事場、6階【吉田カバン】コーナー 4月24日(火)まで
 石川町から横浜に出た。
 コンコースの真ん中で、現任校・演劇部の生徒に出会って、びっくり。オープン・キャンパスに来たのだという。
 妻に言わせると、きょうはこれで私の知り合いに会ったのが3人目だとのこと。確かにそうだ。一日にこれだけ知り合いに会うのも珍しいかもしれない。

 京急のホームに上がると、快特が来ていて、それに乗り込んだ。上大岡まで一駅。
 さて、創業者が我が寒川出身ということで、3月には浅草にある吉田カバンの記念館に行って、その関係者と話をしてきた妻。その展示会があると昨日いったら、すかさずきょう行くことにしたのだ。
 PORTERのブランドで有名な商品が並んでいたが、どれも個性的で丈夫そうで品があって、見るだけでも目の保養になった。その中で、大型リュックが手頃な値で出ていたので、妻に買ってもらってしまった。

tomtom_poem at 23:10|PermalinkComments(0) mixiチェック アート 

レクチャーと日英語朗読劇「ロミオとジュリエット」&「ハムレット」〜シェイクスピアを愛する愉快な仲間たちの会〜

2018.01.07(日)14:00〜16:15 神奈川近代文学館ホール
共催:シェイクスピアを愛する愉快な仲間たちの会(SAYNK)、横浜山手読書会
機.譽チャー:瀬沼達也
供 ̄儻譴砲茲襯蝓璽妊ング(幕間に日本語の簡単な説明)「Romeo and Juliet」

2018.04.22(日)13:40〜16:20 神奈川近代文学館ホール
共催:シェイクスピアを愛する愉快な仲間たちの会(SAYNK)、横浜山手読書会
機.譽チャー:瀬沼達也
供 ̄儻譴砲茲襯蝓璽妊ング(幕間に日本語の簡単な説明)「Hamlet,Prince of Denmark」
 きょうは、1月に続いて2回目の参加。
 共に、主宰の瀬沼さんの軽快な解説で頭をほぐしてから、リーディング開始。
 幕ごとに日本語によるストーリーの説明があったが、3人以上人物が出てくると混乱し、〈台詞行数表〉(どの役をどの役者が演じるかが一目で分かる表)を見ながら、やっとこさ付いていくようにした。
 1月もそうだったが、音楽のセンスがスチーリー展開とマッチングしていて、それを聞いているだけでも心地よかった、英語の台詞も音楽のように脳に作用した。 
 それでも、オフィーリア(遠藤玲奈)の狂気の演技・台詞まわしや、ラスト・クライマックスのハムレット(瀬沼達也)とレイアーティーズ(井上酖諭砲侶萋ののち、死んでいくシーンには引きつけられ、緊迫感を共にできた。
 この会に導いてくださった阪口美由紀さんは、1月の方が動きも台詞も切れがあったと思う。お嬢様の愛衣さんも2回とも見られてよかった。

 終演後は阪口さんと少しお話しし、パブロフのケーキセットをプレゼント。
 アメリカ山からエレベーターに乗って、元町から石川町駅に出た。
アメリカ山バラ










アメリカ山

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「生誕140年 与謝野晶子展 こよひ逢ふ人みなうつくしき」〜神奈川近代文学館

2018.04.22(日)
 きょうは妻とお出かけ。
 まずは元町中華街駅から地上に出て、中華街脇のフランス菓子店“パブロフ”でおしゃれな昼食。
 パブロフ・セット。上段はしらすや青のりのパン。下段は季節のケーキ3点。コーヒーおかわり自由。
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 コーヒーカップの受け皿には犬のデザイン。
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 谷戸坂はバスでのぼり、港の見える丘公園を通って、近代文学館へ。
港の見える丘公園























神奈川近代文学館

















 文学館では「与謝野晶子展」を見学。
 全問答えると、太宰治バッジがもらえるというので、「晶子展問題集」(A4表裏)に挑戦。解答をさがしながら見ていったら、時間が早く過ぎていった。実はこのあと、2回ホールのイベントに行くことにしていたので。
 晶子の周辺の展示も豊富で、平塚らいてうの顔が美しいことに見とれたり、円覚寺や大磯や鞍馬寺などにも縁があったことを知ったり、晶子の自作歌と絵が秀逸で見とれたり、有意義な時間を過ごすことができた。

 特別展は5月13日(日)まで。
 次の特別展は「詩人大使ポール・クローデルと日本展」で興味深い。ポールは、ロダンの愛人カミーユ・クローデルの兄だったと思う。また、新作能を作ったり、日本の近代文化に大きな影響を与えた人物だったということで。


tomtom_poem at 22:32|PermalinkComments(0) mixiチェック 文学・評論 

2018年04月21日

ITALIA尽くしの明るいコンサート〜横浜シティ・シンフォニエッタ第33回演奏会

2018.04.21(土)横浜市南公会堂(黄金町・阪東橋“南区合同庁舎内”)14:00〜15:40
団長:舟倉雅史 指揮:大貫ひろし 管弦楽:横浜シティ・シンフォニエッタ
演目
機.悒鵐妊襦淵蓮璽謄J圈法峅Φ椶硫峅个硫山據
供.瓮鵐妊襯好勝璽鷭曲「美しいメルジーネの物語」
休憩
掘.蹈奪掘璽法屮▲襯献Г離ぅ織螢⊇」序曲
検.瓮鵐妊襯好勝璽鷂魘繕並4番イ長調「イタリア」
アンコール

 久々に生のオーケストラを聴いて、やっぱり生はいいなぁと思った。
 あのボリュームで身体と脳に響きわたってくる。すっきりした気分になれた。
 高校生の吹奏楽やギターアンサンブルとも違うし、大学生のオーケストラとも違う。大人の、技術に裏づけられた落ち着いた響きがあった。
 曲選びもよかった。みな、イタリア風の明るい音楽。明るい中にも叙情性のある悲しげなメロディも含んでいる。
 とくに「イタリア」の第2楽章が美しく、耳に心地よかった。
 mf氏は団長になったんですね。奥様はコンマスだし。すばらしい、私たちもあやかりたいご夫婦の在り方です。
 たぶんmf氏の影響で、オケの中でファゴットの音に耳を澄ます習慣がついた。そのたびに、この楽器の奥深さを感じています。(きょうは、私が遠い昔にやっていたトロンボーンはいませんでしたね)

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2018年04月13日

水族館劇場「望郷オルフェ ー来るべき追憶の後にー」

2018.04.14(土)新宿 花園神社 境內特設野外儛臺 星の筏 19時10分 劇場外顔見卋(プロローグ)スタート 終演21時40分

 学芸大学駅近く・古本遊戯 流浪堂にて前売り券購入。
 17時にM氏と待ち合わせ、入場整理券は66。昨秋・寿町で初めて観て、その前近代的な前衛芸能手法に驚いたのだが、M氏との話の中で、主宰の桃山邑がかつての曲馬館出身だということを聞いて、少なくともその過激さには納得がいった。曲馬館のテント芝居は、40年前の学生時代に渋谷と白楽で観て、これもかなり刺激的な舞台で驚いていたことを覚えている。


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花園神社境内にあるご神木
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上演前の舞台裏
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臺本・譼督:桃山邑
出演:千代次 、 淺野雅英、サカトモコ、日高良祐、 七ッ森左門、 秋浜立、 臼井星絢、 増田千珠、 松林彩、 石井理加、 南海里、 居原田遥、 羽鳥和芳、 伊藤裕作、 一色凉太、 津田三朗、 風兄宇内
制作:中原蒼二、伊藤裕作 照明:西之一舟 美術:淺野雅英 音楽:鈴木都、山本紗由 音響:下野司 舞台:平岡希樹 劇場:秋浜立、原口勇希、松林彩 衣裳:千代次 車輌:臼井信一、駒田仁志、佐野雅彦 化粧:増田千珠、野原海明 木戸:村井良子、中村三和子 炊事:渡邊紀子、清藤真理 小道具:石井理加 編集:矢吹有鼓 記録:DJ.YOU 舞台監督:古木均 特殊造形:津田三朗 宣伝美術:近藤ちはる 企画製作:Koola Lobitos

 みるなよ/月しろの絕巓が幽んでる/宵闇の水邊に難破したうつろな小舟のように/沈默と叫びに惑いながら
なにかが空に浮かんでる

前芝居が始まる前の雨に濡れカッパに身を包む観客たち
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さあ、前芝居の始まりだぁ
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intro        じゃまぼろしと呼ぶんだね
螢石の夜     もののあはれの声がきこえる
interlude     ちょっとお眠り
琥珀の夜     この卋の外から還るもの 
coda        だれかが夜を越えてくる

 プログラムに桃山が書いていることから抜き出してみる。
――「うたの本体、政治をたすくるためにもあらず。身をおさめるためにもあらず。ただこころに思ふことをいふより外なし。」(本居宣長「排蘆小舟(あしわけおぶね)」)
――わたくしなりの「宣長理解では「恋する虜が孕みもつ善と悪の両義性を超えたところにこそ、もののあはれの風が吹く。只、意にまかすべし。」
――国学と呼び、「日本」という領域を意識させるこの学者の、問題性の根源にほんの一端でも触れられればと考えながら台本を書き起こしました。
――「もののあはれ」という独自の発想は(中略)その思想がはらみもつ、外つ国の排斥にかかわる問題性。(中略)差異ある他者へのおおらかな理解のまなざしを閉じているとしたら。

――わたくしたちの芝居は言葉を持って言葉にならないものを伝えようとしてきたのですから。
――(中沢新一の言った「プロテスト呼ばれるものが芸術としてたちあらわれるならそれは二流のものにすぎない」に対して)水族館劇場は二流で結構、むしろすすんで立派なものからの逸脱をこころみてゆくごろつきたちなのだから。
――わたくしたちが声をかぎりにうたうかなりの部分は「ちからよわい者の抵抗」という歴史の片隅に追いやられた物語に依拠しています。
――わたくしたちの芝居もそう(注:プロテストの叫び)ありたいと思い、流浪する散楽藝能者という仮説をみずからにかぶせてきたつもりです。

 これらの言葉の中には、私が共感できるものもあれば、理解不能のものもある。
 この夜、目撃した芝居の中で、どこがどうつながっていたかもよくわからなかった。宣長さんが出てきたが、なぜか烏滸(おこ)の役どころだった。
 しかし、「ちからよわい者の抵抗」という点や「見世物小屋」としての劇という点では、興味深く観た。

 とはいうものの、月子が、クレーンで下りてきたり、サーカスブランコのアクロバット藝を披露したり。りらとオリベが空中に浮かんだり、フクロウの千里眼が、演じ歌うりらの肩でおとなしく目をしばたたかせたり。まさに見世物としての要素がかなり面白かった。
 前半は、原発誘致と原発事故後の原発ジプシーが強調されていて、それが彼らのなんらかの「プロテスト」メッセージだったのだろうか。しかし、それは後半では世に排斥される藝能者に収斂していったのか。よくわからないまま、役者スタッフ紹介が始まった。



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2018年04月10日

井上弘久・ソロライブ『椿の海の記』第一章「岬」

2018.04.08(日)15:00〜16:40 四谷三丁目・藝術茶房喫茶茶会記 1drink1000円+投げ銭
原作:石牟礼道子『椿の海の記』第一章「岬」
企画・制作・構成・演出・出演:井上弘久
音楽・コントラバス等演奏:吉田水子(みなこ)
作曲:金子忍「不知火海のテーマ」

 井上弘久氏は元転形劇場の役者だったという。ということは、私は舞台でその姿を見たことがあったに違いない。でも、転形の役者といえば、品川徹だったり、瀬川哲也だったり、佐藤道代だったりする。また、わが劇研の先輩・安藤朋子もそうだ。
 井上氏はまた、横浜の青葉区小中高生ミュージカルで、演劇部に入ってくれたHさんを指導してくれた方。
 さらに、前任校の所在する相模原市にお住まいと来て、かなりな(勝手な)縁を感じていた。
 それで一人芝居を続けてこられた氏が、先日亡くなられた水俣の石牟礼道子の幼時の体験記『椿の梅の記』を一人読みして演じるという。さらに、二年にまたがって一ヶ月おきに上演するという。
 これは観に行かねばなるまい。ということで、三軒茶屋に母の見舞いに行ったあと、地下鉄を乗り継いで駆けつけのだ。

 会場は名の如く、黒いアートの雰囲気まんまんのカフェで、その奥に30人も入ったらいっぱいな空間があった。
 もう満員状態で、当日駆け込みなのにかかわらず、やっと一番後ろの椅子に座ることができた。

 はじめに、井上氏の作品に対するレクチャーがあり、下手扉からはけて、照明が暗くなってのち、再び、こんどは4歳のみっちゃんになって登場して始まった。
 朗読でもドラマリーディングでもない、本格的な一人芝居であった。しかし、発せられることばは石牟礼さんのテキストで、登場人物も入れ替わる。
 特に印象に残ったのは、みっちゃんが背中に背負われて両手を肩にのせてぶらぶらさせてみちゆくシーンである。何と表情豊かなのだろうと思った。66歳の井上氏が4歳のみっちゃんになって、昭和初期の自然豊かな水俣から現代の我々に語りかけているように見えた。
 彼女の育った地の花々や木々の、何と清澄な世界なのだろう。石牟礼さんの文体が井上さんの肉体に重なって、「すばらしい旅行」ができた気分である。
 熱演であり、(いままで私が観て感銘を受けた)坂本長利でも小沢昭一でもない、深い一人芝居の世界を構築できていたと思う。

 吉田水子のコントラバス、ハープ、鈴などの効果音楽も、この世界の雰囲気を引き立てていた。
 
 あとの回もぜひ観たいものである。

 今年のスケジュールを載せておこう。
第二章「岩どんの提灯」  6/1(金)3(日)
第三章「往還道」      8/3(金)12(日)
第四章「十六女郎」    10/5(金)7(日)
第五章「紐とき寒行」   12/7(金)9(日)

 


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2018年04月08日

長谷部裕嗣「水を流す」など〜新井高子編集・詩と批評詩「ミて」第142号より

2018.03.31発行
 長谷部裕嗣の物語詩「水を流す」をおもしろく読んだ。というのも、これから高3の授業で安部公房の短編小説「赤い繭」を読もうとしているからだ。共通点を感じた。小説を読んでから、あるいは読む前にこの詩を生徒に提示したら、若い彼らはどう反応するだろうか。

 ここ3年くらい、仕事に追われ、送ってくださる詩誌をちゃんと読めていなかったのだが、今春から立場や職場が変わり、少し読む余裕が出てきたのがうれしい。
 それで、改めて「ミて」を読んだ。
 どの詩にも引きつけられたが、エッセイもかなりおもしろい。
 北野健治「『詩人』のかたち」で紹介されたホドロフスキーの「リアリティのダンス」「エンドレス・ポエトリー」はぜひ観てみたいと思った。筆者の記すことばにも非常に興味を引かれた。
――洋画は、「現実」ではなく「本質」を追求する。
――もし、詩人とは何かと問われたら、現時点での私の答えは、「魂と向き合う人」だ。だから、「詩人」は職業ではない。「在り方」のことだ。

 新井高子「大船渡ノート」の中で、藤井貞和や高橋悠治が「ミて」の元同人だと書いてあるのを見て、びっくりしてしまった。

 本質を突くような感想でなくて申し訳ありません。

tomtom_poem at 01:31|PermalinkComments(0) mixiチェック 詩歌 

2018年04月05日

久米明『朗読は楽しからずや』

2007.4.30初版第1刷 光文社発行  2018.04.06読了
 いやぁ、いろいろ教えられもし、楽しませもせられた珠玉の一冊だった。

第一部 朗讀について
一 朗讀の実際—準備編—
—(森鴎外「山椒大夫」について)親子の生き別れが事もなげに済んでしまうのだ。この船頭たちには良心の欠けらもない。この男たちもこの末法の世にこうして生きる他はないのだ。その現実、平安末期の人間のいとなみを作者は感情を交えぬ客観の筆の運びで浮び上らせるのだ。 P26・27
—地獄に落ちたら運命を甘受する他はなかったのだ。それが中世の社会なのだ。 P28
—厨子王を見送り、安寿は沼に身を投げて死ぬが、死を前にした者のことばとして、いささかの情にも溺れず、激することなく安寿は厨子王に語るのだ。死を覚悟した者のことばはかくも明澄なのだ。そのトーンを讀み手は心の内に噛みしめるべきだろう。 P30
—その結果は涙なしには語れない。しかし讀み手は自分の感情は呑みこんで、この事実の報告者として淡々と、スラリと語り終えよう。鷗外の文体を生かすのはそれしかないのだ。 P31

二 声について
—舌が口の中でどんな位置を示すか、舌面の高さの高、中、低、唇の形と顎の開き方の小、中、大をひとつにまとめ、図形に示したものを母音三角形という。 P45
 前       後
 イ       ウ
   エ   オ
     ア

—六歳から十二歳までが人間の言語習得期、ことばはその時期に形成されて生涯変わらないという学者もいる。 P50
—言語形成期に身についたものはなかなか拭い去るのはむずかしい。 P51

三 緊張について
—緊張と弛緩の中間点、丁度ゼロ地点を見つけなければならない。(中略)すなわちそこが最良の創造的状態と体験的に知っているからだ。 P55
—役者なら演じると同時にその演じている自分を意識して見る目が備わっている。(中略)そこをつかい分けてコントロールするのがプロなのだ。 P57
—内面の動きの全ては声に反映する。 P57

四 マイクを前にして
—朗讀の場合、讀みながらどのように息を継いでゆくべきか、それは讀む内容によって決まる。(中略)原文の句讀点にこだわる必要はない。(中略)文章の区切りとしての句讀点を尊重しつつ、ここはつなげた方が聞き易いとか、一気に讀みつづけた方がリズムがつくとか判断して、讀みの上での間のとり方を工夫する。 P64
—内面の高揚、意志が働かなければ眞の強さ、ピンと張った強さの表現にはならない。心が充実していなければ口先だけにしか聞えないのだ。 P64
—讀み出しの第一声を重々しく出すか、軽くサラッと入るか、それは作品によって決まるのだが、(中略)ズラズラと讀み出すだらしなさだけは御免だ。その呼吸(イキ)がむずかしい。 P65

五 朗讀指導
—(略)一字一句の文字を咀嚼し、消化しないと、口先だけの言い廻しになる。白いものは白いイメージをハッキリもって、断定して言いあらわさなければ聞く人はとまどう。曖昧に言ってはダメなのだ。 P73

—朗讀作品の粗筋を書くことは無駄なことではない。作品を讀みこまなければ書けないからだ。 P80

—讀み手も上すべりしないように、情緒過多にならないように、心しなければならない。内容の深さを伝えるには、文体のリズムを大切にして、感情をおさえて讀む方がいい。
—あの「戦争の時代」の家族の運命をリアルにみつめよう。ノリオの目に映ったものを。
—目で見て声にする箇所の何行か先を、心で追っていなければならない。結末までの見通しを立てておくこと。全体が腹におさまっていないようでは、よどみがない、しかもメリハリの利いた朗讀ができるわけがない。
以上、いぬいとみこ「川とノリオ」朗讀の注意点より P99

—内容とかけはなれた、心のともなわない朗唱になったのでは、詩は泣いてしまいます。声を張り上げ、調子をつけて讀むようなことは絶対にしてはなりません。
—詩人がうたった心を正確に受けとめた上で、自分の感情を正直に出しましょう。
以上、「詩」朗讀の注意点より P100

—何よりも、その作品が好きでなければ、それにほれこまなければ、朗讀はうまくゆきません。
—巧い、へたを越えて、語り手の心の内にあるデーモンが聞き手に感銘を与えるのです。ただし、デーモンに酔いすぎて、ひとりよがりの自己満足に陥らないよう警戒しなければならないのは言うまでもありません。 P101

六 朗讀の実際—実行編—
—朗讀も一期一会のもの、マイクで録音するのは再生目的の記録と心得るべきだ。 P102
—知性と感情と意志、この三ツが相まって、バランス良く調和してこそ演技は成立するのだ。意志こそが声を出して表現する創造行為の司令塔なのだ。 P102

—精一杯稽古したという自信と、(中略)思い切った気魄あるのみである。とにかく、強い意志をもって、こわばることなく、リラックスして立ち向かわなければならない。 P104
—臆することなく視線を客席全体に向けよう。このとき自分が平静に息を吸って吐いているか確かめるゆとりがほしい。/客席を前、中央、後、そして右中左と大きく分割し、それを一ツに包んで自分の意識の中にとりこむことが大切だ。(中略)客席全体に気を配ることを心掛けたい。(中略)観客との間に心が通い、温かい交流が芽生える。この絆が結ばれると打ちとけた空気が生れる。舞台と客席との一体感ができたのだ。 P104・105

—第一声は格別に大切だ。喉をつめないで、最初の音をポンと放り投げるように口を開いて出すことだ。心も身体もリラックスして、(中略)楽々と声は響く。(中略)醒めた目で感じとることも同時に行わなければならない。/気張らず、力まず、スラっと滑らかに紹介することが大切だ。(中略)明るく明快に伝えようとする心がなければならない。 P105

—発音については母音と子音のつながりに注意しよう。例えばトロッコを発音する際には、TOROKKOと母音がOだけであることに注目しよう。口を開いてTOと言う舌の動きと下顎の下げ加減を軽快に行い、次のROが滑らかに転がるように言わないときれいに聞えない。KKOは鼻にかける音だが、力んで言うとKUOになるから注意しなければならぬ。トロッコと全体をたっぷりと、しかも明るく言う気持を心掛けよう。作品の内容がそれを要求しているからだ。 P106

—発声については(中略)自分の声に注意して常に見直す努力を怠るな、と。日常生活の中でどんな声を出しているか意識するのだ。(中略)ふだんしゃべりながらもトーンを上げ下げしたり、ピッチを速めたり、声を思うままに操る修練も加えてほしい。 P107・108

—演劇の創造は形として残らない。生み出すそばから固定されず消えてゆく芸術だ。聞き手、観客の胸の中に刻まれた像、思い出が全てなのだ。 P112

—息継ぎは無難な箇所か、或いは効果のある箇所を狙って、慎重に行わないといけない。 P119

第二部 朗讀の歩み
一 演劇開眼
二 はじめての朗讀
三 登竜門NHK
—(注:劇団の名を)「ぶどうの会」と決定した。ぶどうの名は演劇の神バッカスにちなんでつけられたが、新劇の殿堂「築地小劇場」のマークでもあった。 P139

—日本初のテープレコーダーは一九五〇年東京通信工業(現ソニー)から発賣された。価格十六万円、今の価格に直すと七百万円と言われる。これは重さが四十五キロもあった。 P145
※ラジオドラマ「えり子とともに」一九四九年十月五日放送開始、内村直也作。内村さん作詞の挿入歌「雪の降るまちを」の作曲(中田喜直氏)は今も光を失わない。 P146

四 NHK「朗讀の時間」
—当時は録音であってもはじまったら生放送と同じで止めることが出来なかった(略) P158

五 民間放送開始
※一九五三年は名作朗讀が目立っている。(中略)「夜の文庫」と題したABCの朗讀シリーズのディレクターは東京支社で文芸教養番組を司っていた庄野潤三氏で、 P166

六 テレビ時代到来
※僕個人としてはこの時期からラジオの語りの仕事が急増した。一九五五年の記録を見ても、個人朗讀、ドラマの語り手が目立つ。(中略)四月、「飛べ青い鳥」(電通ラジオ局) P173
※一九五八年(中略)福田善之作、竹内敏晴演出の「長い墓標の列」、 P177

七 ドキュメンタリーの語り
※安水稔和作「ニッポニア・ニッポン 一九六四」の一節である。(中略)このドラマはこの年六四年五月、NHKラジオで放送され、(中略)僕は声一(語り手)を受けもった。/(中略)トキを絶滅寸前に追いやったものは何かを問い、日本人の心の根源に迫るこの詩劇  P180

八 「すばらしい世界旅行」
—東北・東南アジア、オセアニア、北方民族、インド、ヒマラヤ、アメリカ大陸、アフリカなどの地域担当者を決め、そのスタッフは半年以上現地に住み、現地の人と生活を共にしながら、記録撮影を行う。 P198
※この企画に賭ける牛山純一という人のすごさ  P198
※後年タモリ氏に久米節と言われ、物眞似されるようになった  P199
 
—牛山さん(の)映像民俗学への傾倒は氏の偉大な業績となった。  P200
※冒頭のオープニングは手塚治虫氏が徹夜してひとりで手掛けたアニメーションだった。山本直純氏の音楽に乗って P200

九 洋画吹き替えの仕事——ハンフリー・ボガードのこと——
※「カサブランカ」

十 朗讀は楽しからずや

CD ]讀の心得
   ◆峪顎ヂ臧廖廚茲
   「トロッコ」より











  

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2018年04月04日

瀬川拓郎『縄文の思想』

2017.11.20第1刷、2018.2.9第4刷発行 講談社現代新書2454  2018.4.4読了
 縄文やアイヌの思想については昔から興味があり、本も何冊か読んでいた。
 しかし、この本はまず考古学的な証拠から論を導き出していて、説得力があった。
 また、アイヌや縄文人といっても、古層のアイヌの人たちや何段階に分けられる縄文など、知らなかった新たな視点を教えてくれた。
 さらに、宮本常一や網野善彦らが海の民と彼らの民俗・歴史について考察していたが、そういう海民と縄文・アイヌの人たちとの関係もよくわかった。
 「アイヌ・海民・南島…。縄文は、生きている!!! われわれの内なる『縄文性』に迫る、まったく新しい縄文論」と帯文のコピーにある。まさにそういう、刺激的な小冊子であった。

第一章「海民と縄文—弥生化のなかの縄文」
—抜歯とは、縄文時代前期以降、成人儀礼や婚姻儀礼として日本列島全域でおこなわれていた習俗です。 P33
—家船漁民と縄文の抜歯は、成人儀礼という目的も一致しています。(中略)家船漁民の抜歯は縄文習俗の残存と考えられそうです。 P35
—縄文時代のイレズミは、成人儀礼や通過儀礼として男性も女性もおこなっていた。(中略)弥生時代には男性の習俗になった。 P36
—農耕民や王権にとって、イレズミが賤視の対象になっていたことは容易に推察されます。/(中略)/北海道では近代まで、アイヌの女性が成人儀礼として、口のまわりや前腕部に何度かに分けてイレズミをおこなっていました。また南島でも近代まで、同様に成人儀礼として、女性が前腕部を中心に足など体の各所に何度かに分けてイレズミをおこなっていました。 P37

—近年の縄文人の核ゲノムの解読によれば、かれらはアフリカ、ヨーロッパ、東ユーラシア(中国・日本・ベトナムなど)の人びとのいずれにも属さない、孤立的な遺伝子的特徴をみせています。/そのため縄文人は、北東アジア人と東南アジア人の共通祖先が旧石器時代にユーラシア東端の日本列島で孤立し、独自の進化を遂げてきた、現生人類のなかでも古層の集団と考えられています。 P43
—つまり縄文人は、どの現生人類とも異なる孤立的な遺伝子的・形質的特徴をもつ人びとなのであり、したがって私たちのアジア人のイメージとはおよそ異なる、ユニークな外見的特徴をみせていた可能性も考えられるのです。一見ヨーロッパ人的というアイヌと糸満漁民の特徴は、この縄文人の外見的特徴と理解することができそうです。 P43・44

—九州西海岸から南島を中心に濃密に分布し、古代の島原半島や大隅半島でもちいられていたアイヌ語とみられる地名は、いずれも海辺に分布しており、多くは海浜地形の地名です。山田(注:アイヌ語地名研究者山田秀三)が糸島市で指摘したpar(河口)地名は、九州ではほかにも天草諸島に近い鹿児島県阿久根市の山下川河口近くに「波留」があり、これも「海の道」のルート上に分布していることが注目されます。/つまりこれらの地名は、海民と深い関係をもつものであり、縄文性をとどめたかれらのネットワークのなかで残されてきたのではないか、ともおもわれるのです。 P50
—弥生農耕文化は、九州北部の平野部で成立しました。 P51
—つまり海民とは、弥生文化という新たな時代状況のもとで、各地に遍在する高度な縄文伝統の漁猟文化を導入しながら、列島全体で専業的な海洋適応の暮らしを構築していった海辺の人びと、ということができるのです。 P54

第二章「海民とアイヌ—日本列島の縄文ネットワーク」
—弥生時代に成立した専業的な海民は、農耕民と共存しながら縄文伝統を色濃く受け継ぐ人びとでした。(中略)/本州の海民神話とアイヌ神話のあいだに共通性がみられる理由を考えるためにも、本州の海民とアイヌの祖先集団の関係の実態、両者の交流について明らかにしておく必要があるのです。 P64
—(略)北海道が温帯の日本列島に張りだした北の生態系であり、日本列島における北東アジア的な世界であることを示しているのです。 P66

—弥生時代を迎えた本州は、熱帯に起源をもつ水稲稲作という「南の生態系」の文化に塗り替えられていきます。 P67
—しかし北海道の縄文人は、陸海獣や魚類が豊富な「北の生態系」のなかで、「旧石器的生業体系」を持続していきます。 P67・68

—オホーツク人は、四世紀ころサハリンから南下し、その後一三世紀までアイヌの祖先集団と北海道を二分していました。(中略)一〇〇〇年ものあいだ北海道でアイヌと並存していた、北海道史のもう一人の主役といえる人びとなのです。 P89
—両者(注:オホーツク人とアイヌの祖先集団)の交流の痕跡がまったくないわけではありませんが、基本的に疎遠で、潜在的に対立的な関係にあったようです。 P89
—オホーツク人は、まさに典型的な海民といえる人びとだったのです。 P90

—擦文時代(七世紀後葉〜一三世紀)の九世紀後葉になると、道南に押しこめられていたアイヌの祖先集団は、これをはねのけるように全道へ進出します。
オホーツク人の領域を次々と占拠し、かれらを同化していったため、北海道内のオホーツク人の形跡は一三世紀ころにはみられなくなります。 P91
—アイヌは、オホーツク人という北の海民の世界を占め、かれらの産物や交易の利権をとりこむことで、私たちが知るアイヌとなったのです。 P91

※手宮洞窟(注:小樽市)は、(中略)一八六六(慶応二)、ニシン番屋建築のため相模国の小田原からやってきた出稼ぎ石工の長兵衛が、建築用の石材を物色中、偶然発見したと伝えられます。 P111
※余市湾東端の丘陵先端にあるフゴッペ洞窟は、一九五〇年、考古学に興味をもつ札幌市の高校生が海水浴にきていて発見し、大きなニュースになりました。 P112

第三章「神話と伝説—残存する縄文の世界観」
—アイヌの神話・伝説のなかには、(中略)『古事記』『日本書紀』『風土記』の古代海民の神話・伝説と共通するモティーフがいくつかある、と私は考えています。 P128

—エビスといえば、宮本常一は、古代の王権が東北地方の人びとをエミシ(エビス)とよび、また海民の祀る神がエビスとよばれていたのは、もともと海民がエビスとよばれ、エミシの起源にも海民が深くかかわっていたからではないか、とのべています。 P135

—『古事記』における縄文神話のモティーフの徹底的な反転については、このような農耕民のなかで生じた自然発生的な変化とはおもむきが異なっており、通俗的な物語性を高めるための、王権による縄文神話の意図的な改変をおもわせます。/民俗信仰のなかでは、山の女神は醜いとされていますが、これについても、縄文神話では美しいと語られる山の女神を醜い腐乱死体や這いまわるワニに反転した、王権神話の影響と考えてみることができるのではないでしょうか。 P171

—アイヌの伝説と共通する記紀神話は、すべて海民の神話です。つまり、これらの神話をアイヌに伝えたのは海民だったのであり、それは王権によって反転・改変された記紀神話ではなく、海民自身が伝承していた、記紀神話の原型といえるものだったのではないでしょうか。 P175

—(略)日光感精と卵生のモティーフは、アイヌ神話のなかにも認められます。
 (略)この子どもたちは、太陽の神が雲の神の娘に一目惚れし、その想いが娘の体に入って妊娠し、生まれたものとわかる。(略) P181
—アイヌの日光感精神話としてはほかにも、太陽の神がハルニレの女神が美しいのに感心し、ちらっとみたら、それで女神が妊娠した、と伝えるものがあります。 P181

第四章「縄文の思想—農耕民化・商品経済・国家のなかの縄文」
—縄文の世界観・他界観とは、農耕がおこなわれる平地をふくまない、海と山からなる二元的な世界観であり、その海と山を往還する神の観念、またその観念とむすびついた海辺の洞窟と山頂をつなぐ他界観である、とのべました。/奄美や沖縄では、この縄文の世界観が現実の生活空間のなかに具現化され、往還する神が演劇的に可視化されていました。 P192

—海民や山民という縄文的な伝統をもつ人びとは、農耕民が多数を占める社会のなかではマイノリティであり、殺生をなりわいとする点でも被差別的な立場にあったとおもわれます。/それにもかかわらず、かれらは強い呪能と、それにむすびついた芸能の才をもつ人びとと王権から認識されており、そのため王権は、人智を超えた災いや呪いを振り払うかれらのテクネ(技能)と、芸能による言祝ぎを期待していたのです。 P202・203
—隼人や国栖の芸能は王権への服属儀礼とされていますが、(中略)かれらの場合それがなぜ芸能や呪術であったのか、あらためて考えてみる必要があるのではないでしょうか。 P203

—海民とアイヌにとって、魚や獣は神からの贈りものにほかなりませんでした。 P222

—弥生時代以降、自由・自治・平和・平等という縄文の思想をもつ人びとは、外部にとっては無法であり、暴力を帯びた存在にほかならなかったのです。 P240
—ただしそれは、動物の自然状態から長い時間をかけて生みだされてきた、他者とともに生きるための知ではあっても、近代の理念としての自由・自治・平和・平等とは異なる、土俗世界の思想であったといえそうです。 P241



tomtom_poem at 23:00|PermalinkComments(0) mixiチェック 歴史 

2018年04月01日

TOMISANPO第9〜下北沢ー三軒茶屋ー上馬ー学芸大学ー小田急相模原〜

2018.04.01(日)ああ、これがほんとの4月ばかだったらよかったのに。。。
 下北沢で下車し、onacasuita(オナカスィータ)で無農薬紅茶を購入したまでは予定通りだったのだ。
 次も予定通り、代沢十字路の橋倉ビーンズ珈琲店に歩いて行って、水族館劇場「望郷のオルフェ」(新宿花園神社境内特設野外儛臺星の筏)の前売り券を所望すると——申し訳ありません。主人が長らく入院していたもので、今回はチケットを取り扱っていないんです、と丁寧に、他の店や劇団にまで問い合わせてくれたのだ。私が見た劇団のサイトには前売所として出ているが、チラシを見ると、なるほどこの店は出ていない。——ということで、途方に暮れて、ここから一番近いところはどこだということで、目黒区鷹番(最寄りは東横線・学芸大学)の古本屋を目指そうかどうしようかと思案しながら、とりあえずは三軒茶屋第一病院512号室まで歩いて母の見舞いに行ったのだ。
 母の見舞いを30分足らずで切り上げて、あまり目算はないのだが、いつもの如き適当な算段でさらに環7沿いの上馬バス停まで歩いたのだ。ああ、ここは40数年前に通っていた世田谷区立旭小学校の学区なのです。
 行先表示を見ると、案の定、学芸大学駅を通る五反田行のバスがあった!! ところがである。時刻表を見ると、何と! 40分に一本しか来ないのだ。40分間隔なんて、私の地元の神奈中の路線みたい。東京でこんなに来ないバスがあるなんて、とっても驚くと同時に、恐る恐る時刻表と時計を見てみた。すると、何と幸運なことに、あと3分で40分に1本のバスが来ることになっていた。
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 世田谷区民会館発五反田駅行きの東急バスに乗ること約10分で学芸大学駅前についた。珈琲店の電話で劇団の制作の人に聞いたとおりに歩いていくと、あっ、あった、あった、あった!!! 古本遊戯流浪堂。
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 置いてある本も人文系の面白そうな本が多く、つい目が行ってしまい、『愛と哀しみのル・コルビュジェ』なる漫画とエッセイの本を買ってしまったのじゃ。そして、そこではがっちり水族館劇場の前売り券が買えたのじゃ。4月14日に行くぞ。

 さて、それからがまた一筋縄ではいかぬ今日だった。つまり、学芸大学ー自由が丘ー溝の口までよかったが、そこから大井町線からの急行長津田行きにしか乗れなかった。まぁ、長津田から各駅停車で中央林間。そこからも各停で相模大野ー小田急相模原
 で、1時間近く遅れて、エル・トピートに。そしたら、ダメもとで声をかけたMさんがKさんを連れて客として来てくれていました。ちなみに、他に4人に声をかけたのだが、いずれもご都合がつかなかったのだ。
 
 「TASKE企画 さくらエイプリルフール2018」
出演:TASKE、Masafumi Oda(電子音楽)、関西ブルーススターバンド、冨田民人(詩朗読)、星野睦子(歌)、坂本美蘭(詩とパフォーマンス)、前原由美(アコースティックギターと歌)、TASKE(詩朗読と歌)
※私は自作「卒業する君たちへ」田村隆一「木」自作「贈る詩(ことば)」を読みました。

 MさんとKさんはとってもびっくりされていましたが、でも、とっても気にいってもくれて、ピアニストMさんは関西ブルースターバンドとセッションをしようって話をしてました。
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 勢いで、駅近くの”肉の佐藤”で三人で飲んでいると、関西—の面々も入ってきたのでした (笑)
 
 

tomtom_poem at 22:32|PermalinkComments(0) mixiチェック 散歩 

2018年03月31日

「メーデー!Vol.2 厚木市中町、1丁目」「夏芙蓉」at 本厚木”なよたけ”

2018.03.31(土)本厚木・ギャラリー喫茶”なよたけ”
「メーデー!Vol.2 厚木市中町、1丁目」
 昨春、前勤務校の演劇部で上演した劇の第2弾ということで、観に行ったのだ。
 観客が座る四角いテーブル席の間に置かれた丸いテーブルが、4人の役者の主たる場だが、店内全域や店の外までも使った芝居というのは初めて観た。客をも巻き込んで、客と同じ視線で演じられる芝居は、それだけでおもしろかった。役者同士の意思疎通もよく、軽快なテンポで進んでいって、全く飽きなかった。むしろ、肩の力を抜いて観ることができた。5年前の中学時代にそれぞれが思いをはせておしゃべりと遊びに興じる中で、現実の問題にぶつかって悩んでいる姿があぶり出てきて、それはとてもよかった。
 そういう点ではよかったのだが、劇の進行とか内容は首をかしげるところもあった。いちばんのところは、ラストでなぜ古野を幽霊にしなければいけなかったのか、大いに疑問に思った。また、アドリブ(?)の劇中遊戯の処理がもう少し整理されればいいかなとも思った。
 それにしても、若い役者たちは溌溂としていていいな。とっても羨ましくもあったのじゃ。

「夏芙蓉」
 6年前だったか、前々勤務校の演劇部が秋季発表会で上演した、高校演劇の人気台本を、インストラクターの井上崇さんが演出したというので観た。
 千鶴/保井、舞子/川野、サエ/山影、由利/本間、蓮見先生/篠原——というキャスティングだった。この舞台と重ね合わせながら観ていった。生徒たちは努力して稽古して、本番前のゲネでは演出を兼ねた川野が泣き出したということを思い出した。しかし、60分以内になかなか収まらずにセリフの多い舞子がかなり早口になっていた。
 きょうの芝居は、登場人物5人のうち3人が高校3年生だったが、順調に話が進んでいると思われた。しかし、終わってみれば、65分かかっていた。あとで井上さんに聞くと、この本は55分の本だということだ。なぜ10分も多くかかったのか。セリフを言うだけで汲々としている役者もいたり、間延びしたりしているところもあったりした。生きている千鶴と死んでいる3人の対比がはっきりしていなかった面もあろう。いちばん引っかかったのは、舞子が「私たち、死んでる…」を断定的に言っていたところだ。これは演出もあるのかもしれないが、6年前は疑問のニュアンスで言っていて、それがいいだろうと思っていたので、違和感があった。
 細かいしぐさや目の合わせ方など、好感の持てるところもいっぱいあったのですが。

tomtom_poem at 23:46|PermalinkComments(0) mixiチェック 演劇 

2018年03月30日

思い出の3年1組・演劇部

 テニスコート側から、3年1組の教室を見上げてみました。
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 きのうの、春季発表会の本番後、3年からもらったプリザーブドフラワーと、部室に戻って1.2年からもらった部にあったグッズを、自宅の書棚に並べてみました。
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2018年03月29日

上溝南のケヤキ林〜ラスト〜もう若葉をつけている!

2018.03.29(木)明日は退任の辞令交付式と退職記念パーティ。したがって、きょうが上南出勤の最終日となりました。ケヤキ林の上の枝枝にはまぶしいほどの若葉がついています。今度来るのはいつになるかな。でも、思い出の写真だけはいつでも見ることができます。この下を通った生徒たちの顔や顔。

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 桜も満開です。
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 通用門付近の花々も鮮やかです。
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tomtom_poem at 23:54|PermalinkComments(0) mixiチェック 上溝南