2017年12月
2017年12月24日
TOMISANPO第6(mini)〜茶沢通り
2017.12.24(日)午後、母の見舞いに出発する。
ひしわ(名古屋・菱和園)の無農薬紅茶が気に入って職場で飲んでいるのだが、もうすぐ無くなりそうなので、売っているオナ・カスィータに行くために下北沢で下りる。しるこサンドなるビスケットも一部の人に好評だったので購入。これは今週のクリスマス発表会で出そう。
1月公演の流山児事務所「オケハザマ」を予約したのだが、チラシがないかと会場のザ・スズナリや本多劇場に行ったのだが、なかった。
さて、これから千歳船橋や成城学園前まで小田急でもどるのもどうかと思い、思いきって三軒茶屋まで茶沢通りを歩くことにした。
北沢川のせせらぎに架かる橋が橋場橋。白い花が護岸に咲いていた。
立派な民家に鬼灯のような赤と黒の花。
反対側の家の塀が砕け、大木がめり込んでいた。が、その木は尖端を二箇所剪定されていた。
太子堂の歩行者天国に入る。巨大ゴリラがくっついているビルがあった。K1で活躍した魔裟斗のジムらしい。
三軒茶屋の交差点を渡り、世田谷通りのバス停へ。ちょうど成城学園前行きのバスが来た。
関東中央病院前で下車、母のいる病室へ。
きょうの母はしきりに「バターボールが食べたい」「肉まんが食べたい」「バターボール買ってきて」「肉まん買ってきて」と言っていた。無理もない。腸に穴が開いて血管が炎症を起こしていて、固形物を食べると腸が動いて痛みが走る。これはもう治らない。だから、医者から何も食べてはいけないと言われている。栄養などは鼻から摂っている。飴ぐらいだったらいいと聞いていて、森永ミルクキャラメルの黄色い空箱があったので、附設のコンビニで買ってきた。
帰るころは暗く、庭のイリュミネーションがきれいだ。時間外に病棟から外に出る渡り廊下から先に、その輝きが見える。
広い駐車場を横切ろうとしてふと振り返ると、正面玄関の大きな窓ガラスにイリュミネーションが映って、まるで化野(あだしの)の灯火のような美しさだった。
ひしわ(名古屋・菱和園)の無農薬紅茶が気に入って職場で飲んでいるのだが、もうすぐ無くなりそうなので、売っているオナ・カスィータに行くために下北沢で下りる。しるこサンドなるビスケットも一部の人に好評だったので購入。これは今週のクリスマス発表会で出そう。
1月公演の流山児事務所「オケハザマ」を予約したのだが、チラシがないかと会場のザ・スズナリや本多劇場に行ったのだが、なかった。
さて、これから千歳船橋や成城学園前まで小田急でもどるのもどうかと思い、思いきって三軒茶屋まで茶沢通りを歩くことにした。
北沢川のせせらぎに架かる橋が橋場橋。白い花が護岸に咲いていた。
立派な民家に鬼灯のような赤と黒の花。
反対側の家の塀が砕け、大木がめり込んでいた。が、その木は尖端を二箇所剪定されていた。
太子堂の歩行者天国に入る。巨大ゴリラがくっついているビルがあった。K1で活躍した魔裟斗のジムらしい。
三軒茶屋の交差点を渡り、世田谷通りのバス停へ。ちょうど成城学園前行きのバスが来た。
関東中央病院前で下車、母のいる病室へ。
きょうの母はしきりに「バターボールが食べたい」「肉まんが食べたい」「バターボール買ってきて」「肉まん買ってきて」と言っていた。無理もない。腸に穴が開いて血管が炎症を起こしていて、固形物を食べると腸が動いて痛みが走る。これはもう治らない。だから、医者から何も食べてはいけないと言われている。栄養などは鼻から摂っている。飴ぐらいだったらいいと聞いていて、森永ミルクキャラメルの黄色い空箱があったので、附設のコンビニで買ってきた。
帰るころは暗く、庭のイリュミネーションがきれいだ。時間外に病棟から外に出る渡り廊下から先に、その輝きが見える。
広い駐車場を横切ろうとしてふと振り返ると、正面玄関の大きな窓ガラスにイリュミネーションが映って、まるで化野(あだしの)の灯火のような美しさだった。
2017年12月17日
神奈川県高等学校美術展その他
2017.12.16(日)
下溝から約30分歩いて会場の女子美大へ。
思いのほか面白くって、1時間も観てしまった。おかげで詩人クラブの例会(14時開始)には間に合わず、ふと友人がカンツォーネを歌う会があったのを思い出して、イタリア文化会館へ行く。
女子美大−相模大野−新宿−飯田橋−九段下・・・イタリア文化会館
“イタリア語と音楽の日 2017”。友人の歌は、“Funiculi Fnicula”と“Surrient d’e nnammurate”を聴けた。
16時20分に会場を慌て出て、九段下から地下鉄に。九段下−神保町−芝公園・・・東京グランドホテル
日本詩人クラブ忘年会に山脈同人が集結。なべくらますみさんともお話ができて良かった。終宴後、近くの中華料理屋で、山脈有志7名だけの二次会。写真は、その近くにあった、笛吹く少女と猫の像。
下溝から約30分歩いて会場の女子美大へ。
思いのほか面白くって、1時間も観てしまった。おかげで詩人クラブの例会(14時開始)には間に合わず、ふと友人がカンツォーネを歌う会があったのを思い出して、イタリア文化会館へ行く。
女子美大−相模大野−新宿−飯田橋−九段下・・・イタリア文化会館
“イタリア語と音楽の日 2017”。友人の歌は、“Funiculi Fnicula”と“Surrient d’e nnammurate”を聴けた。
16時20分に会場を慌て出て、九段下から地下鉄に。九段下−神保町−芝公園・・・東京グランドホテル
日本詩人クラブ忘年会に山脈同人が集結。なべくらますみさんともお話ができて良かった。終宴後、近くの中華料理屋で、山脈有志7名だけの二次会。写真は、その近くにあった、笛吹く少女と猫の像。
2017年12月15日
「ハイル・ターイハ(さすらう馬)」(シリアの演劇)〜紛争地域から生まれた演劇9
2017.12.14(木)19時〜20時 東京芸術劇場アトリエウエスト
作:アドナーン・アルアウダ 翻訳:中山豊子 構成・演出:坂田ゆかり
出演:ハイル/松山愛佳(文学座) ターイハ、カウデリーヤ/稲継美保
ムハンマド、フワイデー、フーザンほか/林周一(風煉ダンス)
歌、ターイハの母ほか/白崎映美 作編曲・演奏、村長/大平清
アフタートーク:坂田ゆかり、中山豊子、アーヤ・ハリール、松山愛佳、稲継美保、林周一、白崎映美、大平清
UNESCO傘下の国際演劇協会(ITI)に加盟する各国センターは、「紛争」を通して、世界各地に存在する解決困難な現実に目を向け、文化的背景の異なる地域やグループ間の対話と理解の促進を目指す試みをしている。ITI日本センターが二〇〇九年以来実施してきたリーディング企画「紛争地域から生まれた演劇シリーズ」は、世界と日本の現実に対する省察を深め、共同創作の機会やオープンな議論の場を提供してきたという。
今回はその九回目で、シリア出身の作家とパレスチナ出身の作家の作品を二日ずつに分けて上演した。私は、シリア北部の出身でオランダ在住のアドナーン・アルアウダの「ハイル・ターイハ」(中山豊子訳・坂田ゆかり演出)を観た。
なぜこの公演が目に留まったのか。元・上々颱風(シャンシャンタイフー)で、東北六県ロールショーのヴォーカル・白崎映美と、彼女を主演に迎えて東北の独自の民族性と自律を舞台化した「まづろわぬ民」を上演した風煉ダンスの林周一が出演するからだった。
もとの戯曲は、現代を生きる主人公と死者とが対話をする、能のような構造を持ったアラブ演劇の古典「マカーマート」(一〇世紀から十一世紀)の形式で書かれた長編を一時間に圧縮して日本語に訳したテキストである。それをシンプルな抽象的な空間で、最小限の動きを付けたリーディングの公演だった。
最初の数分間、空爆で破壊されたシリアの都市や丘陵の実写ビデオが映され、観客は中東の現実に引き込まれていった。
劇の冒頭、山中にある、偉大な思想家の霊廟で、若いハイル(松山愛佳)が小学校の先生だったパレスチナ人のムハンマド(林周一)と会う。次にハイルの母・ターイハ(稲継美保)が登場する。彼女はハイルと同じくらいの年ごろである。遊牧民の娘だったが、両親とはぐれ、被差別民族だったシャワーヤー族のフワイデー(林)に育てられ、クルド人のフーザン(林)と結婚するが、彼は殺される。ターイハは夫の敵討ちが遂げられるまで人の声を失い、小鳥のさえずりで娘のハイル(馬の意味)と会話する。これらの物語が回想シーンと現実のシーンとが繰り返されながら進行していった。そして、最後は再び霊廟でハイルとムハンマド先生が再会し、老いた先生は去っていく。残されたハイルは現実の生活に戻る――。
ターイハの母も演じた白崎はクルド語で二曲歌った。彼女の声の迫力は抑制した哀しみを響かせた。劇中村長役もこなした大平清は、五弦のウード、三弦のサズ(トルコの楽器)と小型の太鼓演奏でアラブの風味を舞台に加えていた。
約一時間の上演後、出演者全員と訳者、演出家と、監修をしたシリアからの留学生による、アフタートークが行われた。
シリアの共通語はアラブ語だが、作者の出身である北方は少数言語。クルド語は話してはいけない言葉だった。それは小鳥のように聞こえ、理解できない言葉だったということがこの物語の背景にあるという。白崎は「(登場人物の)傷みを知りたい」と言っていた。
2017.12.14(木)池袋・東京芸術劇場アトリエウエストにて観劇。
(文章は、詩誌「山脈」第二次第19号演劇コラムに掲載)
作:アドナーン・アルアウダ 翻訳:中山豊子 構成・演出:坂田ゆかり
出演:ハイル/松山愛佳(文学座) ターイハ、カウデリーヤ/稲継美保
ムハンマド、フワイデー、フーザンほか/林周一(風煉ダンス)
歌、ターイハの母ほか/白崎映美 作編曲・演奏、村長/大平清
アフタートーク:坂田ゆかり、中山豊子、アーヤ・ハリール、松山愛佳、稲継美保、林周一、白崎映美、大平清
UNESCO傘下の国際演劇協会(ITI)に加盟する各国センターは、「紛争」を通して、世界各地に存在する解決困難な現実に目を向け、文化的背景の異なる地域やグループ間の対話と理解の促進を目指す試みをしている。ITI日本センターが二〇〇九年以来実施してきたリーディング企画「紛争地域から生まれた演劇シリーズ」は、世界と日本の現実に対する省察を深め、共同創作の機会やオープンな議論の場を提供してきたという。
今回はその九回目で、シリア出身の作家とパレスチナ出身の作家の作品を二日ずつに分けて上演した。私は、シリア北部の出身でオランダ在住のアドナーン・アルアウダの「ハイル・ターイハ」(中山豊子訳・坂田ゆかり演出)を観た。
なぜこの公演が目に留まったのか。元・上々颱風(シャンシャンタイフー)で、東北六県ロールショーのヴォーカル・白崎映美と、彼女を主演に迎えて東北の独自の民族性と自律を舞台化した「まづろわぬ民」を上演した風煉ダンスの林周一が出演するからだった。
もとの戯曲は、現代を生きる主人公と死者とが対話をする、能のような構造を持ったアラブ演劇の古典「マカーマート」(一〇世紀から十一世紀)の形式で書かれた長編を一時間に圧縮して日本語に訳したテキストである。それをシンプルな抽象的な空間で、最小限の動きを付けたリーディングの公演だった。
最初の数分間、空爆で破壊されたシリアの都市や丘陵の実写ビデオが映され、観客は中東の現実に引き込まれていった。
劇の冒頭、山中にある、偉大な思想家の霊廟で、若いハイル(松山愛佳)が小学校の先生だったパレスチナ人のムハンマド(林周一)と会う。次にハイルの母・ターイハ(稲継美保)が登場する。彼女はハイルと同じくらいの年ごろである。遊牧民の娘だったが、両親とはぐれ、被差別民族だったシャワーヤー族のフワイデー(林)に育てられ、クルド人のフーザン(林)と結婚するが、彼は殺される。ターイハは夫の敵討ちが遂げられるまで人の声を失い、小鳥のさえずりで娘のハイル(馬の意味)と会話する。これらの物語が回想シーンと現実のシーンとが繰り返されながら進行していった。そして、最後は再び霊廟でハイルとムハンマド先生が再会し、老いた先生は去っていく。残されたハイルは現実の生活に戻る――。
ターイハの母も演じた白崎はクルド語で二曲歌った。彼女の声の迫力は抑制した哀しみを響かせた。劇中村長役もこなした大平清は、五弦のウード、三弦のサズ(トルコの楽器)と小型の太鼓演奏でアラブの風味を舞台に加えていた。
約一時間の上演後、出演者全員と訳者、演出家と、監修をしたシリアからの留学生による、アフタートークが行われた。
シリアの共通語はアラブ語だが、作者の出身である北方は少数言語。クルド語は話してはいけない言葉だった。それは小鳥のように聞こえ、理解できない言葉だったということがこの物語の背景にあるという。白崎は「(登場人物の)傷みを知りたい」と言っていた。
2017.12.14(木)池袋・東京芸術劇場アトリエウエストにて観劇。
(文章は、詩誌「山脈」第二次第19号演劇コラムに掲載)
2017年12月10日
ろりえ第11回公演「桃テント」
2017年12月9日(土)18時30分〜20時43分 下北沢駅前劇場 予約3,800円
脚本・演出:奥山 雄太
出演:
SP護闘/後藤 剛範、SP/徳橋 みのり(ろりえ)
元CAナッツ子/加藤 夏子、CA七味みみみ/七味 まゆ味(柿喰う客/七味の一味)、機長/岡野 康弘(Mrs.fictions)、副操縦士/鈴木 研(第27班)
ARIKI/安藤 理樹(PLAT-formance)、雲丹/洪 潤梨、異色肌ギャルゆうこ/奥山 雄太(ろりえ)
尾倉店長/尾倉 ケント、尾倉の妻/岩田 恵里、尾倉の母/久保 亜津子(向陽舎)
護闘の母/木村 香代子、護闘の弟ミッちゃん/満間 昂平(犬と串)
中東の女ジャミーラ/神戸 アキコ、中東の男/山本 周平
ナッツ子の父/松下 伸二
声/森田甘路(ナイロン100℃)
落ちて上がって走って走って上がって走って落ちて。
はまりたいがはまらない、はまろうとしてはまらない、もどろうとして(もどれない)物語だと“感じた”。
女が躓いたとき、男は女を背負ってあげた
筋肉もりもりの男が躓いたとき、きゃしゃな女はその男を背負って
あげられた
前半は地上での家庭劇
後半は雲海を超えての“現実に起こりそうな”奇想天外国際劇
転換の5分間が(なんと)休憩だったのだ[つまりは、役者にとっては客入れ時からの無休超特急芝居なのであった]
場面転換や二重場面の同時進行など、随所に舞台技術が詰まってもいた。
しかし、何より私が注目していたのは、2016年に渋谷のライブハウスで開かれた第1回ポエトリー・スラム・ジャパンで優勝し、フランス世界大会に出場した岡野康弘の芝居だったのだが・・・・・・期待以上におかしなおかしな表情感情便乗豊かな機長を演じきっていたのだった!!
岡野さんの頁にツイートした。「(再び生きる)力をもりもりもらった」とね。
脚本・演出:奥山 雄太
出演:
SP護闘/後藤 剛範、SP/徳橋 みのり(ろりえ)
元CAナッツ子/加藤 夏子、CA七味みみみ/七味 まゆ味(柿喰う客/七味の一味)、機長/岡野 康弘(Mrs.fictions)、副操縦士/鈴木 研(第27班)
ARIKI/安藤 理樹(PLAT-formance)、雲丹/洪 潤梨、異色肌ギャルゆうこ/奥山 雄太(ろりえ)
尾倉店長/尾倉 ケント、尾倉の妻/岩田 恵里、尾倉の母/久保 亜津子(向陽舎)
護闘の母/木村 香代子、護闘の弟ミッちゃん/満間 昂平(犬と串)
中東の女ジャミーラ/神戸 アキコ、中東の男/山本 周平
ナッツ子の父/松下 伸二
声/森田甘路(ナイロン100℃)
落ちて上がって走って走って上がって走って落ちて。
はまりたいがはまらない、はまろうとしてはまらない、もどろうとして(もどれない)物語だと“感じた”。
女が躓いたとき、男は女を背負ってあげた
筋肉もりもりの男が躓いたとき、きゃしゃな女はその男を背負って
あげられた
前半は地上での家庭劇
後半は雲海を超えての“現実に起こりそうな”奇想天外国際劇
転換の5分間が(なんと)休憩だったのだ[つまりは、役者にとっては客入れ時からの無休超特急芝居なのであった]
場面転換や二重場面の同時進行など、随所に舞台技術が詰まってもいた。
しかし、何より私が注目していたのは、2016年に渋谷のライブハウスで開かれた第1回ポエトリー・スラム・ジャパンで優勝し、フランス世界大会に出場した岡野康弘の芝居だったのだが・・・・・・期待以上におかしなおかしな表情感情便乗豊かな機長を演じきっていたのだった!!
岡野さんの頁にツイートした。「(再び生きる)力をもりもりもらった」とね。
2017年12月06日
2017年12月04日
渡邊十絲子『今を生きるための現代詩』
2013.5.20 講談社現代新書刊 2017.12.04読了(予定)
これもとても刺激的な内容。難解と言われる現代詩の数々を日常におろして興味をそそらされた。
―もっと素朴に一字一句のありさまをじっとながめて、気にいったところをくりかえし読めばいいと思う。 序章「現代詩はこわくない」P12
―ここには、そもそもわたし自身がよくわかっていない詩ばかりを引用した。 同上P14
―レベルをおとして改変したものはすべてつまらないのである。 同上P16
―現実にはありえない場所や光景のリアリティをこしらえてしまったという魔術をわたしは感じたのである。(中略)/13歳のわたしはただあまりの格好よさに呼吸をするのもわすれて見とれていただけだ。この詩(注:谷川俊太郎「沈黙の部屋」)の意味なんて考えたこともなかったし、考えたってなにもわかりはしなかった。 第1章「教科書のなかの詩 谷川俊太郎のことば」P37
―詩を読むことは、効率の追求の対極にある行為だろう。/(中略)いまやわれわれは効率のあじけなさを知り、効率を最優先にした行動がいかに人間的なこころをだめにするかも知っている。 第2章「わからなさの価値 黒田喜夫、入沢康夫のことば」P71
―じつは人間の目にうつるものの像は、カメラのとらえる像とはかなり異なる。たとえば人間の目は、視野の全域にピントをあわせておくことができない。だから、いま注目している小さな範囲以外は、視野という構図のなかにあっても、ぼんやりとかすんでいるのだ。ピントをべつのところにあわせると、さきほどとは構図そのものがちがってきてしまう。 第3章「日本語の詩の可能性 安東次男のことば」P89
―各行のおわりの文字を線でつなげば、絵画的で感じのよい曲線があらわれる(詩人はあまり言わないけれど、これは詩にとってたいせつなことのひとつである)。文字の部分を線でかこむと、なにかのかたちが現れるのではないかと思ったりもした。 同上 P89
―〈漢語においては、個々の音が意味を持っている。それを日本語のなかへとりいれると、もはやそれらの音自体(セーとかケーとか、あるいはコーとかヨーとかの音自体)は何ら意味を持たず、いずれかの文字をさししめす符牒にすぎなくなるのである。/しかも日本語は音韻組織がかんたんであるため、漢語のことなる音が日本語ではおなじ音になり、したがって一つの音がさししめす文字が多くなる(たとえば日本語でショーのおとを持つ字、小、少、庄、尚、昇、松、将、消、笑、唱、商、勝、焦、焼、証、象、照、詳、章、憔、掌、紹、訟、奨、等々。これらは漢語ではみなことなる音であり、音自体が意味をになっている。これらが日本語ではすべて「ショー」になるので、日本語の「ショー」はもはや特定の意味をつたえ得ない)。〉(中略)〈・・・言語学が着目するのは、音韻と語法と意味である。〉(引用はすべて高島俊男『漢字と日本人』文春新書より) 同上 P95〜97
―もうすっかり暗くなった知らない町、知らない道で、知らないバスに乗ったわたしは、自分というものにかつてあった「意味」がすべて漂白されてなくなってしまったような気がした。/わたしは幽霊のようだった。/その場のどんな人とも、物とも、関係がなかった。 第4章「たちあらわれる異郷 川田絢音のことば」 P136
―詩を書いて生きていくというのは、人から遠く遠くはなれたところに飛んでいき、目のくらむような、光りかがやく孤独を手にいれることなのだろう。
グエル公園 川田絢音
わっと泣いていて/夢からさめた//夏の列車/知らない人に寄りかかって/眠っていた/汗をかいて/グエル公園に登ると/りゅうぜつらんのとがったところで/鉄の棒をもった少年たちが/コツコツ 洞窟のモザイクをはがしている//青空に 近い広場で/好きな人を/ひとりづつ 広場に立たせるように思い浮かべていて/酢みたいなものが/こみあげた/ここで みんなに 犯されたい 一九七六年 詩集『ピサ通り』 同上 P151・152
―その頃流行していた「ほんとうの自分というものがあり、それこそは無上の価値なのでなにがあっても守りぬくべきである。変わらぬ自分こそが真実の自分だ」というメッセージ(それはポップ・カルチャーのあらゆるシーンに氾濫していた)を肯定することではないか。 第5章「生を読みかえる 井坂洋子のことば」 P159
―人は変わっていくもので、不変の自分というのはときに有害なフィクションである。 同上 P159
―そこまで考えるのに何年かかったか、もう思い出せないほど長い年月だったのはたしかだ。 同上 P159
―井坂洋子の詩においては、「わたし」の像がいつも揺らいでいる。 同上 P160
―井坂洋子の詩のなかの「わたし」は、はっきりとした人間のかたちをとらないのである。/人はみな、自分自身のすがたを知っていると思いこんでいる。鏡をのぞきこまない日はないし、写真にうつった群衆のなかからでも自分自身を容易に発見する。人間にとって自分の像は、こころにふかく刻みこまれた、不動のものであるように思える。/しかし、自分の表情、しぐさ、姿勢やふるまいなど、ほんとうはどれをとっても自分自身には見えないものだ。わたしは、カフカの書いた奇妙な主人公のように、人から見れば一匹の巨大な虫なのかもしれないのだ。 同上 P160・161
―われわれは自分が人間であることにあまりにも自信をもちすぎているので、鏡にうつる自分がとても虫のようには思えないというだけなのである。しかし、すぐれた表現物は、われわれが虫である可能性を稲妻のようにひらめかせ、それを忘れていた苦みとともにわれわれに思い出させる。 (→井坂洋子「山犬記」を引用) 同上 P164
―力士(注:安美錦)だけではない。すりの男も、夕刊売りの少女も、企業のなかで力をもちたいとこころから願った女たちも、社会のすみの塵だったわたしも、人生のどこかで「人のおきて」の卑小さから遠ざかるタイミングがある。/神が決めるそのタイミングを聴け、自分ひとりのちっぽけな頭がえがく硬直した自分像にこだわるなと、安美錦の相撲も、井坂洋子の詩も、いっている。 同上 P195
―詩は、たぶん、「言いあらわしたいこと」より「ことばの美的な運用」が優先されるものなのだ。だから、書いた本人も自分がそんなことを書くなんて思いもよらなかったことが書かれることもあるし、書いた本人だからといってその一篇の詩を完全に読みとけるわけでもない。/(中略)/詩を書くとき、人は謙虚になる。自分が自分の表現をすべて把握し、コントロールするということができないからだ。自分の知覚、自分の思考、自分で責任をとれることばを、詩はいつも超えてしまうのである。 終章「現代詩はおもしろい」 P200・201
これもとても刺激的な内容。難解と言われる現代詩の数々を日常におろして興味をそそらされた。
―もっと素朴に一字一句のありさまをじっとながめて、気にいったところをくりかえし読めばいいと思う。 序章「現代詩はこわくない」P12
―ここには、そもそもわたし自身がよくわかっていない詩ばかりを引用した。 同上P14
―レベルをおとして改変したものはすべてつまらないのである。 同上P16
―現実にはありえない場所や光景のリアリティをこしらえてしまったという魔術をわたしは感じたのである。(中略)/13歳のわたしはただあまりの格好よさに呼吸をするのもわすれて見とれていただけだ。この詩(注:谷川俊太郎「沈黙の部屋」)の意味なんて考えたこともなかったし、考えたってなにもわかりはしなかった。 第1章「教科書のなかの詩 谷川俊太郎のことば」P37
―詩を読むことは、効率の追求の対極にある行為だろう。/(中略)いまやわれわれは効率のあじけなさを知り、効率を最優先にした行動がいかに人間的なこころをだめにするかも知っている。 第2章「わからなさの価値 黒田喜夫、入沢康夫のことば」P71
―じつは人間の目にうつるものの像は、カメラのとらえる像とはかなり異なる。たとえば人間の目は、視野の全域にピントをあわせておくことができない。だから、いま注目している小さな範囲以外は、視野という構図のなかにあっても、ぼんやりとかすんでいるのだ。ピントをべつのところにあわせると、さきほどとは構図そのものがちがってきてしまう。 第3章「日本語の詩の可能性 安東次男のことば」P89
―各行のおわりの文字を線でつなげば、絵画的で感じのよい曲線があらわれる(詩人はあまり言わないけれど、これは詩にとってたいせつなことのひとつである)。文字の部分を線でかこむと、なにかのかたちが現れるのではないかと思ったりもした。 同上 P89
―〈漢語においては、個々の音が意味を持っている。それを日本語のなかへとりいれると、もはやそれらの音自体(セーとかケーとか、あるいはコーとかヨーとかの音自体)は何ら意味を持たず、いずれかの文字をさししめす符牒にすぎなくなるのである。/しかも日本語は音韻組織がかんたんであるため、漢語のことなる音が日本語ではおなじ音になり、したがって一つの音がさししめす文字が多くなる(たとえば日本語でショーのおとを持つ字、小、少、庄、尚、昇、松、将、消、笑、唱、商、勝、焦、焼、証、象、照、詳、章、憔、掌、紹、訟、奨、等々。これらは漢語ではみなことなる音であり、音自体が意味をになっている。これらが日本語ではすべて「ショー」になるので、日本語の「ショー」はもはや特定の意味をつたえ得ない)。〉(中略)〈・・・言語学が着目するのは、音韻と語法と意味である。〉(引用はすべて高島俊男『漢字と日本人』文春新書より) 同上 P95〜97
―もうすっかり暗くなった知らない町、知らない道で、知らないバスに乗ったわたしは、自分というものにかつてあった「意味」がすべて漂白されてなくなってしまったような気がした。/わたしは幽霊のようだった。/その場のどんな人とも、物とも、関係がなかった。 第4章「たちあらわれる異郷 川田絢音のことば」 P136
―詩を書いて生きていくというのは、人から遠く遠くはなれたところに飛んでいき、目のくらむような、光りかがやく孤独を手にいれることなのだろう。
グエル公園 川田絢音
わっと泣いていて/夢からさめた//夏の列車/知らない人に寄りかかって/眠っていた/汗をかいて/グエル公園に登ると/りゅうぜつらんのとがったところで/鉄の棒をもった少年たちが/コツコツ 洞窟のモザイクをはがしている//青空に 近い広場で/好きな人を/ひとりづつ 広場に立たせるように思い浮かべていて/酢みたいなものが/こみあげた/ここで みんなに 犯されたい 一九七六年 詩集『ピサ通り』 同上 P151・152
―その頃流行していた「ほんとうの自分というものがあり、それこそは無上の価値なのでなにがあっても守りぬくべきである。変わらぬ自分こそが真実の自分だ」というメッセージ(それはポップ・カルチャーのあらゆるシーンに氾濫していた)を肯定することではないか。 第5章「生を読みかえる 井坂洋子のことば」 P159
―人は変わっていくもので、不変の自分というのはときに有害なフィクションである。 同上 P159
―そこまで考えるのに何年かかったか、もう思い出せないほど長い年月だったのはたしかだ。 同上 P159
―井坂洋子の詩においては、「わたし」の像がいつも揺らいでいる。 同上 P160
―井坂洋子の詩のなかの「わたし」は、はっきりとした人間のかたちをとらないのである。/人はみな、自分自身のすがたを知っていると思いこんでいる。鏡をのぞきこまない日はないし、写真にうつった群衆のなかからでも自分自身を容易に発見する。人間にとって自分の像は、こころにふかく刻みこまれた、不動のものであるように思える。/しかし、自分の表情、しぐさ、姿勢やふるまいなど、ほんとうはどれをとっても自分自身には見えないものだ。わたしは、カフカの書いた奇妙な主人公のように、人から見れば一匹の巨大な虫なのかもしれないのだ。 同上 P160・161
―われわれは自分が人間であることにあまりにも自信をもちすぎているので、鏡にうつる自分がとても虫のようには思えないというだけなのである。しかし、すぐれた表現物は、われわれが虫である可能性を稲妻のようにひらめかせ、それを忘れていた苦みとともにわれわれに思い出させる。 (→井坂洋子「山犬記」を引用) 同上 P164
―力士(注:安美錦)だけではない。すりの男も、夕刊売りの少女も、企業のなかで力をもちたいとこころから願った女たちも、社会のすみの塵だったわたしも、人生のどこかで「人のおきて」の卑小さから遠ざかるタイミングがある。/神が決めるそのタイミングを聴け、自分ひとりのちっぽけな頭がえがく硬直した自分像にこだわるなと、安美錦の相撲も、井坂洋子の詩も、いっている。 同上 P195
―詩は、たぶん、「言いあらわしたいこと」より「ことばの美的な運用」が優先されるものなのだ。だから、書いた本人も自分がそんなことを書くなんて思いもよらなかったことが書かれることもあるし、書いた本人だからといってその一篇の詩を完全に読みとけるわけでもない。/(中略)/詩を書くとき、人は謙虚になる。自分が自分の表現をすべて把握し、コントロールするということができないからだ。自分の知覚、自分の思考、自分で責任をとれることばを、詩はいつも超えてしまうのである。 終章「現代詩はおもしろい」 P200・201