2022年06月

2022年06月30日

映画「ベイビー・ブローカー」〜疑似家族版ドライブ・マイ・カー〜

2022.06.30(木)12:30〜15:10 イオンシネマ茅ヶ崎
原題:Broker
監督・脚本・編集:是枝裕和 
撮影:ホン・ギョンピョ 美術:イ・モグォン
音楽:チョン・ジェイル
出演:ハ・サンヒョン(釜山のクリーニング屋)/ソン・ガンホ ユン・ドンス(赤ちゃんポストのある教会の職員)/カン・ドンウォン ムン・ソヨン(ポストに赤ちゃんを捨てた女)/イ・ジウン
アン・スジン刑事/ペ・ドゥナ イ刑事(スジンの相棒)/イ・ジュヨン
2022年製作/130分/韓国 配給:ギャガ

 それぞれの人間の心の変化がよく描けている映画だった。
 感動の中にもところどころに笑いがあり、非常に人間味を感じた。

 特に関係や相手への思いが変わっていく後半では、役者の表情や演技が絵画のように思える場面がいくつもあった。
 たとえば、車の中で正面を向くドンスに対してサンヒョンが斜め上を向くシーン。
 観覧車の中で告白するドンスに対してやさしげに拒否するソヨンのどこか晴れ晴れした表情を見せるシーン。
 海岸でスジン刑事が捨てられた子と遊ぶシーン。

 バックドアが閉らぬほど古いワンボックス・カーで人身売買の客を求めて旅をする。
 「釜山で暮らすブローカーのサンヒョンとドンス、そしてベビー・ボックスを利用する母親ソヨンは、赤ん坊を立派に育ててくれる里親を探すため、釜山から韓国の東海岸の港町を北上。各地を転々とする様は、ロードムービー」(https://www.konest.com/contents/korean_life_detail.html?id=31453より。以下の地名も同様)
 釜山(プサン)
   ↓
 浦項(ポハン)
   ↓
 盈徳(ヨンドク)の江口港(カングハン)
   ↓
 三陟(サムチョク)市の小さな漁港にある湖山小学校ノシル分校(廃校)[ドンスが育った児童養護施設]
   ↓
 KTXに乗車してソウル駅に
   ↓
 仁川(インチョン)市「月尾島(ウォルミド)」にあるミニ遊園地「月尾テーマパーク」の「大観覧車」
・・・・・・観客が、まるで韓国東海岸ドライブをしているようだった。
 そういえば、「ドライブ・マイ・カー」のラストも韓国東海岸をドライブしていた。その流れでもこの映画を観ることが出来た。

 「ベビーボックス」は「2009年に韓国内で初めて設置したのが始まりです。
 2022年現在、韓国内に3か所設けられ毎年200人以上の赤ちゃんが預けられるものの、養子縁組の成立が難しく、18歳まで児童養護施設で過ごし」ているそうだ。
・主の愛共同体教会 (ソウル特別市 冠岳区 新林洞)
・新カナアン教会 (京畿道 軍浦市 山本洞)
・弘法寺 (釜山広域市 金井区 杜邱洞)

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tomtom_poem at 16:10|PermalinkComments(0) mixiチェック 映画 

2022年06月29日

映画「響―HIBIKI―」〜天才少女の心の重さ〜

2022.06.29(水)夜 Amazonprimevideoで鑑賞
監督:月川翔 原作:柳本光晴 脚本:西田征史
スーパーバイザー:秋元康
撮影:鍋島淳裕 照明:かげつよし
美術:五辻圭 編集:穗垣順之助
音楽:伊藤ゴロー 主題歌:平手友梨奈 劇中曲:小島裕規
出演:鮎喰響(高1文芸部)/平手友梨奈 花井ふみ(編集者)/北川景子 祖父江凛夏(高2文芸部)/アヤカ・ウィルソン
山本春平(万年芥川賞候補の青年)/小栗旬 田中康平(花井ふみと新人賞同時受賞の若者)/柳楽優弥
鬼島仁(元芥川賞作家)/北村有起哉 矢野浩明(雑誌記者)/野間口徹
2018年製作/104分/G/日本 配給:東宝

 なぜ少女はこんなに強いのか。 
 少女の家族が一切出てこないのはなぜなのか。

 欅坂46の平手友紀奈の主演映画で秋元康が関わっている。

 そんなことより、主人公・響(平手)や編集者(北川景子)、文芸部の先輩(アヤカ・ウィルソン)や作家志望の青年(小栗旬)、そして雑誌記者(野間口徹)の人間がよく描かれていて、ドラマに引き込まれていった。

 展開も、新人賞選考、芥川直木賞選考など、ハラハラドキドキ・シーン(山場)がいくつもあって、自ずと引き込まれた。

 花井ふみは、純粋な思考・嗜好によって行動し、大人批判を繰り広げるのが爽快ではあるが、
 大人が非を認めないと、行動を制御できずに暴力に走ってしまう。
 
 そういうハラハラドキドキもあった。
響

  
 


tomtom_poem at 23:30|PermalinkComments(0) mixiチェック 文学・評論 

2022年06月28日

佐相憲一詩集『サスペンス』〜現代社会をトータルにミステリアスに俯瞰するニュースな詩集〜その奥深くには詩と人への愛が!〜

2022.06.23 文化企画アオサギ 発行
2022.06.24(金)読了
装丁:高島鯉水子

 巻頭詩「埠頭」からして、詩集全体を象徴していたと思う。
 たとえば、次の詞章――「夜風に立ち続けることで聴こえてくるのは/宇宙のうた//夢の底にわたされた桟橋みたいに/生きていることの旋律が流れている」(「埠頭」)

 作者は文化企画アオサギを主宰されているが、作者とアオサギはどのように強くつながっているのだろうか。――「ユーラシアやアフリカやこの列島を飛ぶ/アオサギが涼しい顔で佇んでいるのです」(「愁いをワクチンにする腐葉土の森」)「アオサギが飛び立つ/コウモリも鴨も鵜もハトもカラスも共存しているが/ヒトの気配に危険を感じて西空へ/だがさらにその上空は横田基地の軍用機だ」(「玉川上水」)

 「遠くから奥多摩連山の影が夢を励ます」「振り向けば/解熱剤のような月だ」(「玉川上水」)も印象に残る表現だ。

 第1部を締めくくる「ある日のまちの詩」も力作で、いろんな表現に気が引かれた。
 「誰だって誰かになる可能性をもっている/それで人はサスペンスを見るのだろう」を読み、サスペンスを見る理由について、作者の説をもっと詳しく聞いてみたいと思った。
 さらに「おのれの中のやりきれない部分を犯人に重ね/かなしみに何かが浄化されていく」「ちゃんと裁かれる安心感/なぜ人は道を逸れていくのか/(中略)/サスペンスとは詩そのものだろう」と述べ、「奥に何が見えるか/漂って感じられるニュアンスは何か/本質はどこにあるのか/知りたいから詩集を読むのだろう」と言う。これについては、そうだろうか。私はそのようには読まないと思い、違和感を抱いた。きっと、サスペンスを見る理由にしても、詩集を読む理由にしても、私は浅薄なのだろうと思った。
 「ミニスカートの女子高生たちよ/そんなにお化粧して肌が荒れるよ/素顔の方がかわいいだろうに」といった風俗批判も描かれるのだが、高校の現場で彼女たちを見ていると、彼女らはそうせざるをえないからそうするのではないかと、私は思ってしまうのだった。車内での化粧を見かけるようになったのはバブル以降だろうかとも思った。
 最終連に近い「遠くの山々の何かが深層にしみいる/そうして地球が詩を書いている」には、考えさせられた。「深層」は何なのだろう。地球が書く「詩」とは?   

 第2部には「壁の前に立っていた」と「壁の中に立っている」が置かれている。
 若い頃に訪問したベルリンの壁のことを題材にしているが、題の付け方が巧みだと思う。
 詩のテーマとは外れるが、「壁の前に立っていた」の「ボヘミアの冬風が/これが始まりだとぼくに告げた」が気になった。ドイツ・ベルリンは「ボヘミア」だったのだというのが、私の知らないことだった。私は、詩誌「山脈」最新号に発表した「キタベップ・ド・ヴォルザーク」に書いたように、ドボルザークの故郷・ボヘミアが好きで、憧れつづけている。それは、いまのチェコ共和国の北と西の地方で、その隣がドイツだから、ドイツもボヘミアというのだろうかと思ったのだ。

 「壁の中に立っている」では、「壁は誰がつくっているのだろうか/ぼくたちひとりひとりはこの壁だらけの世をどうやって/打ち消し再生させればいいのだろう/振り向いて尋ねても/ゲーテもヘッセもリルケもブレヒトも直接は答えてくれない/けれどたえず世界の深部には人の心の流れがきらめいている/ベルリンの壁が打ち壊されたように/現実はいつも内側から風穴を開けられるのを待っている」と、真実を探る「サスペンス」を感じる。

 「ホシの足どりを追え」の「日本各層から響いてくる現代詩の万華鏡」「地獄か天国か、愛というホシだけが残されていた」に、何てカッコイイのだろう! と感嘆した。

 第3部「真冬」の「朝刊が過去からのタイムマシンであるように」の表現からは、新たな真実を教えられた。「朝刊」(に代表されるニュース記事)はすべて「過去からのタイムマシーン」とも言えるのだなと。

 詩集を結ぶ「うすくれないの帰り道」には新たな表現による情景描写に魅力を感じた。
 たとえば「見渡すと/人体解剖図みたいな/夕暮れのまち」とか「本が閉じられるときが来て/すべてがミステリーのままだったとしても/この人体解剖図みたいな世界の奥深く/痛みごとわたしは抱きしめるだろう」とか。

 朝焼けをイメージした高島鯉水子の装丁がいい。高島さんに聞いたら、詩集の内容にふさわしい図柄にしたのだという。
 なるほど、混迷なる社会から新たな世界への夜明けへの希望を描いているのだろう。
サスペンス

tomtom_poem at 01:17|PermalinkComments(0) mixiチェック 詩歌 

2022年06月26日

渡辺知明 表現よみ独演会「特集=人と人びと、そして社会」〜梶井「路上」、賢治「注文の多い料理店」、太宰「猿ヶ島」、漱石「猫」より

2022.06.26(日)14:00〜16:30 大崎事務所南部労政会館第一会議室
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1部
ヽ甍羇霄]此嶇上」               テキストは左手に持って
宮沢賢治「注文の多い料理店」          テキストは譜面台に置いて

2部
B精房「猿ヶ島」                テキストは左手に持って
げ凸權石「吾輩は猫である」より「野球騒動の巻」 テキストは譜面台に置いて

 身体を揺らしながら読んでいた。
 浅い声から深い声を出すためにだろうか。
 その身体からコトバの空気のリズムが流れてきた。

 会の後の反省会(?)で、テキストの持ち方・置き方がなぜ違ったのかを質問すると、
 渡辺さんの答えがじゅうぶん納得のできるものだった。
 ―作者が前面に出ている作品である「路上」と「猿ヶ島」は、手に持って、作者が出るように読んだ。
 ―他の2作は、作者が後方に下がり、話を語っているので、置いて読んだ。

 声のプロを目指す若い人が3人来ていて、渡辺さんといろいろお話をしていた。
 そういう交流が、私もできればいいな。

 渡辺先生、きょうもいろいろと学ばせていただきました。
 ありがとうございました!

 

 
 



tomtom_poem at 22:25|PermalinkComments(0) mixiチェック 朗読・表現読み | 文学・評論

2022年06月25日

二人のヴォイスと一台のトランペットのための水城ゆうの世界〜詩人・水城ゆうの音読療法

2022.06.25(土)18:30〜20:30 下北沢・レディジェーン
野々宮卯妙:朗読 カルメン・マキ:朗読 伊勢崎賢治:tp
1部
Even You Are My Enemy
待つ
Him

○トークタイム

2部
あめのうみ
繭世界
きみは星々の声を聞いている

3声での即興セッション。
マキとウタエの二重協奏曲。
声の舞踏。
布の弱音器付きのトランペットは砂の架け橋。
水城ゆうのテキストが、このセッションで、融解し昇華した。

マキさんの深いところから沸き出でる軽やかな響きは
(この軽やかさは、天井桟敷時代にはもっていなかった)
マキさんの宇宙に連れていってくれ
卯妙さんの貫禄のある艶やかな声音は
重心の強い世界に導かれ
マキさんを深い森だとすれば
卯妙さんはそれを包み込む霧
それでいて、音の高さはほとんど同じで
ぶつかり合っても受け入れ合い
溶解した世界が噴出する

その世界をやさしく受け継ぎ
なだらかな高原に誘うのが賢治さんのトランペットだった

賢治さんはクラシック好きのチェリストで森の交響を楽しんだ宮沢さんと同姓だ
これはこじつけなんだろうけど、伊勢崎の賢治さんはアフリカ・シエラレオネやアフガニスタンでジャズやトランペットに出会ったのだそうだ
紛争地の賢治さんのトランペット

こんな体験、初めてだった!

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2022年06月24日

茅ヶ崎熊澤酒造“天清”ランチコース3600円〜予約でいっぱい〜99部限定の堀口大学詩画集!〜

2022.06.23(木)11:30〜13:00
 事情があって繰り上げた、誕生日の高級ランチ。
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 酒蔵を改造した建物が何棟かある。ここもそうかも。館内も風情がある。
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 壁に本棚があり、大型本・稀覯本・英語本など、古い貴重そうな本がずらり。
 何と、堀口大学の99部限定の大型詩画集『ユモレスク』を発見。二人で興奮して見入ったのだった。
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 館内にはこんな古いものが。
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 敷地内は、まるで熊澤ランドのよう。
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2022年06月23日

水族館劇場の半魚人たち〜「水の通信」にも蠢く光彩〜

「水の通信」74号
編集:千代次 発行:水族館劇場

1 怪人伊藤裕作(黒和尚鯰入役。本業は風俗ライター)「三人の阿国」
――阿国が慶長5(1600)年、ややこ踊りを京都の公家の家で舞ったという記録があり、それが“阿国かぶき”となって京都の五条東詰めなどで隆盛を極めるようになるのが慶長8(1603)年から約10年。/(中略)遊女屋による多額の資金を投入しての大掛かりな舞台を設える“遊女かぶき”が登場、これが主流となっていった。/そして、寛永6(1629)年「女かぶき禁止令」が出されたのを機に、阿国は京から出雲に帰り、実家の菩提寺である安養寺に身を寄せて、尼僧になる。

――祖母の名前は“くに”、その父は“源之丞”といい、三重県の片田舎・椋本村に旅芝居の一座を呼んで、その勧進元をやるような人だったと、祖母から聞いて、私は育った。
――今年で風俗ライター歴47年目になる私にとっては、ストリッパー一条さゆりと同様に出雲神社の神楽舞だった阿国も、私の取材対象というわけである。
――72歳になり「水族館劇場」との縁をさらに深めつつ舞台に立つ喜びを感じ始めている私のルーツは、前述したように旅芝居の呼び屋を父に持つ“伊勢のおくに”で、私はその不肖の孫である。

*彼の迷優ぶりは、水族館劇場の名物でもあるのだが、
 今宵も、何度もセリフを風兄宇内からプロンプされたり、自作のカンニングメモを見たりして、客を沸かせたのだが、
 はて、どこか別の場所での既視感があって、帰宅後確認したら、
 昨年末の「流山児★事務所 高取英メモリアル2021「帝国月光写真館」」記事で、「伊藤裕作の存在感が半端でなかった。他の役者たちが遠慮し合うようにも見えた。」と書いている方だったのだ!!
 しか〜し、本業は役者でなく、風俗ライターなのだという。

2 千葉大二郎(密漁船の水夫の父とロシア人の母を持つ、孤児の傭兵リュウ役。本業は美術作家)「今年の雨は崩壊降りとでもいふべきや」
――羽村を駆けめぐる水流と、野戦攻城においてまつろわぬ民らに降りかかる洪水の演出が私の脳髄を通過した

 「まつろわぬ民」とは、東北の「民」でもあったことは、風煉ダンスと東北の歌姫の芝居にもあった。

3 七ツ森左門(名護屋山三役。本業も水族館劇場)「ドラクエのサントラ」
――水族館劇場に入った後、臼井さん(注:臼井星絢)の影響で美空ひばりや三橋美智也などの昭和歌謡にハマったときに、グループサウンズなどに氏が多くの作品を提供していたのを知って驚き、羨望はいや増すばかりでした。

4 二見彰(大神役。本業は古書店主)「流浪する古書店」
――店とは、(中略)誰かにとって必要不可欠な、アジールのような存在なのだ。/冷たい現実から逃れることができたり、抱える寂しさを少し忘れることのできる、(誰かにとっての)ささやかな心の拠り所「場=店」は、店員とお客人という、友達でも恋人でも家族でもなく、話しても話さなくてもいい不思議で微妙な距離感の関係性によって成り立っている。
――水族館劇場は、出雲阿国がそうだったように、世界がどうでも歌い踊ることをやめない。彼女彼らは紛れもなく民であり、自らのため、そして場に集った民衆のためにやるべきことを遂行するのだ。

5 翠羅臼(山師の金蔵役。本業は劇作家、元曲馬館主宰)「花という武器をもった乞食たちの群れ」
――かつて私は水族館劇場についてこのように書き記した。「一言でいうと彼らはエロス的存在である。歌舞伎の元祖・阿国と名古屋山三の末裔に属する浮かれ人の群れである。(以下略)」(盗賊たちのルナパーク・パンフレット)
――1972年(中略)当時の私は(中略)政治主義的な(沖縄解放論)に流されていたノンセクト学生の一人に過ぎなかった。けれどもこの年、若松孝二監督(脚本・・出口出(足立正生))の「天使の恍惚」と、上野不忍池で上演された状況劇場の「二都物語」、特に課長役の大久保鷹の芝居を観たことが、政治主義のアポリアからの脱却を促した。それが、前年に三里塚・東峰十字路の闘いに同伴し、衝撃のあまり悄然と時を過ごしていた私に芝居者たらんことを決意させ、翌年に鬼瓦屍や千代次らと共に曲馬館を旗揚げする契機の一つとなった。
――沖縄の底辺の実情について蒙を啓いてくれたのは、布川徹郎監督の「沖縄エロス外伝・モトシンカカランヌー」(1971年)だった。(中略)廣末保の「辺界の悪所」や林屋辰三郎の「歌舞伎以前」を座右の書とし、「全国に悪場所を蔓延させ、制度・秩序を逆包囲しよう!」と揚言していた当時の私には、コザの吉原や照屋が究極の悪場所であると感じられた。
――悪場所は蔑視と聖性の両義性を宿す場処であり、そこに棲み、〈制外者〉と蔑視された芝居者と遊女の原初の出自は同根であった。
――「反国家の凶区」とは羽村の宗禅寺に出現する。出雲阿国らが飛び跳ね、舞歌う悪場所の謂に他ならないと私は確信している。

*曲馬館の翠羅臼様が水族のご一行にいらっしゃるとは思いもよらなんだ。
 私は若い頃に曲馬館の超過激なテント芝居を二度観ている。渋谷・道玄坂近くの空き地と、白楽・神奈川大学キャンパスでである。天皇の首をちょん切る芝居はこれっきりである。
 若松孝二や布川徹郎の映画や状況の「二都物語」は未見だが、
 私は廣末保「辺界の悪所」も読んでいたし、林屋辰三郎の「中世藝能史の研究」も読み、さらには小沢昭一に傾倒し、卒業論文では「日本芸能の起源」について書こうとしたのだった。
 
 なるほど、水族館劇場は、辺界の悪所で光を放つ河原乞食の芸能の魂を受け継ぐ者たちなのかもしれない。


6 桃山邑(水族館劇場副司令官、病気のため今公演を持って引退予定。作・演出)「難破船を慈しむように――水族館劇場とはなにか」
――ぼくに残された時間はそれほど多くない。
――師と敬愛する翠羅臼の曲馬館をアングラの極北と呼ぶなら在籍したぼくは、その領域に分類されるのかもしれないけれど、赤テントや黒テントより、歌舞伎や文楽、新派悲劇に憧れたぼくは、別の世界観でもうひとつの芝居の獣道を歩きとおして来たのだと思う。
――この百年間、人間社会の歴史のなかで、左翼と呼ばれた革命的実験はつぎつぎと敗れ去り、世界は凶悪な資本主義の暴走にのみこまれたまま末期的な様相を晒している。人類が乗った共通の箱船である「地球」という生命をはぐくむ水の星それ自体を毀すほどに。そういう時代に水族館劇場は「発展至上主義」を憂う者たちを支配し、統治する為政者が握った権力のパラダイムに抗うための戦いを撰んだ。政治に従属する「芸術」に「藝能」という概念を対置させてシフトチェンジを目論んだ。(中略)演劇の本質としての「スペクタクル」「テアトロン」の原義を追い求める集団のすがたにすこしずつ周囲が気がついてくる。(中略)おそらく水族館劇場はじぶんたちが想定している以上に、どこにもない、いままで誰もあゆまなかった「藝能」の本体を拡充し、酷薄さをいやますこの世界の片隅で、なおも希望の螢とみえる、ひとすじのひかりを発光しているのだ。
――インターネット社会は誤用され、パノプティコンからシノプティコンへと怪物化する。
――現代河原者を自称する役者徒党は、存在自体が管理社会への抗いであり、野戦攻城という坐を建立するたびごとに、抵抗の火矢を放ってきた。
――ニック・ランドを嚆矢とする加速主義(そのダークな魅力は認めますが)が人間そのものを否定してゆく。
――げんざい正式なメンバーは、この現象をよりよく展開してゆく運営委員みたいなもの。全国から集う準メンバーの役者、スタッフは水族館劇場といううつほ舟に乗って幻想の航海を旅するサイドクルーにほかならない。
――篠田正浩という映画監督がいる。(中略)藝能と社会のかかわりを深く洞察したまなざしは物語にさして影響のない場面でも観るものの想像力を刺激してやまない。
――今回の野戦攻城の、破の幕で剽窃した「夜叉が池」の異類のスペクタクル。村落共同体とサクリファイスの問題が、鐘を撞く(自然=もうひとつの世界への慰撫)という魔物との約定のはざまに挟まり、人間の身勝手な欲動へ対する自然の復讐となってせりあがる。
――キエフ生まれの亡命者、船乗りにして世界文学者のコンラッドが最晩年に刊行した海賊小説『放浪者』に描かれた「帰郷」というテーマをそろそろ引き受けなければ。ぼくが帰る故郷はどこにもない。そのことを覚悟しそれでも舳先を懐かしい匂いのする方向へと向けるために。桃山を消尽したのち、ふたたび名も無き難破船が錨をあげるために。

*病に倒れた桃山の、渾身のエッセイだった。
水の通信・出雲阿國航海記

tomtom_poem at 01:39|PermalinkComments(0) mixiチェック 演劇 | 文学・評論

2022年06月22日

奥津さちよ詩集『ハンス』〜いろいろとおもしろくてたのしい詩集〜

1998.11.11詩学社第1刷発行
2022.06.18読了
 24年前に出版された詩集だが、たいへんおもしろく読ませていただいた。
 全編のどこかに線を引くほど、どの詩にも詩のエッセンスが散りばめられていた。
 「ブタが飛ぶ絵」「コイン」は、すべての言葉が好きだ!

 「ブタが飛ぶ絵」第1連では「アンデルセンの少女」が「マッチを擦り続けた」が、作者はこの少女に「あらゆるこの世の添え物は見えなかった」と視点を変え、実際に見た、「アウシュビッツ強制収容所で/こどもたちが描いた絵」へと読者を向かわせる。「無言の叫びで/無言の存在証明で/突き刺されたブタが/丸ごと 宙を 飛んでいた」という、その超現実主義的な絵について「添え物や形容詞はなかった」と、戦争で犠牲になったこどものことを思いやるのだ。

 「コイン」は、「広大な/古い宮殿の/向かいの」「貧しいジプシーの丘」の夜の、「顔もなく国もなく昨日も」ない人びとが「ギターを弾き」「うたいだす」「手拍子を打ち鳴らす」「踊りだす」。そして「聴衆も輪になって/首を振って/足を踏んで/口笛が飛ぶ」。ラスト5行が無国籍な楽の圧巻だ――「誰かがギターを裏返した/コインを/とびっきりの/大きいコインを/投げたよ オーレ」!!

――動くもの 白いけものだ/目と目が激しくぶつかった/そのとたん やつの体はのび 大きく飛んだ/狭くてひろいひいろい畑のうえ/ふわっと 自由そのものに/そしてそれから 網と男はどうする?/ぽかんと見ている 夜と月はどうする? (「捕獲 あるいは」)・・・「大きく飛んだ」ものに対して「網と男」や「夜と月」はどうする? なんて、内容以上にそのユーモラスな情景に微笑んだりした。

――星だって オナカが いっぱいになるよ/波だって/そうやって そこで/満ちた者のように眠った (「テントで探す」)・・・「星」と「波」の擬人法も洒落ている。

 「あまさの/やわらかさ」「帆のような目」「やわらかさの 意味は 多きい」(「キューバの砂糖」)の対比の重ねや「帆」と「目」の視覚的相似も目で楽しんだ。

 「ペトロが 美しい道だ というと/風景が変わった」(「ペトロに手紙を書くときは」)の転換の妙。

――熱で医者にゆくときは/自転車がまがってしまう/はじめてのスキーのときには/板がまがってしまった
――テニスで 右の腕が強くなり/泳ぐとき/左にまがってしまうこともあった
――ああ 人生は/何の軌跡 それとも/ただの み・ず・の・あ・わ/ゆらゆらうねうね (「辞書」)・・・ユーモラスなリフレインや「み・ず・の・あ・わ/ゆらゆらうねうね」の音や表記の面白さ。

――どこかでロケットが打ち上げられるとき/陸橋が架けられるとき/キリマンジャロに夕日が沈むとき/大陸をバッファローが疾駆するとき/誰かが世界を揺すっている(「ロープウェイ」)
――石は すわっている/ 古い地下通路の石は/(中略)/それら石たちは すわって見ていた/(中略)/そして 石も/みずからの時間のうちに/ 気流のように 果てるのだろう//頭上には/いくまん時間の/空//輪切りになった空間  (「遺跡」)・・・共に、最後の行のキメの言葉にたましい揺すられた。

――むかし/月が 近くにあったとき/海は大きく揺すられて/たったひとつのはじめてのさいぼうがこの世に/     生まれ落ちた (「ロープウェイ」)・・・全ひらがなの強調法。

――ひつじは ふくらんで/街いっぱいに ひろがって//グラン・ピア通りを ひつじの群れがゆき/時計塔は まばたきを止め/恋人たちは 歩くのを止め//太っちょの肉屋は包丁研ぎの手を休め/ハンサムなポリスと/顔なじみの厚化粧の女は 口論を止め/(中略)/旅行者も 買物客も/タクシー運転手も 門番も/屋外レストランのボーイも/鳥売りも/
――時間は 濡れて//強い日射し 乾いた空気/グラン・ピア通りで みんな 濡れて (「首都マドリッド」)・・・ただただ楽しめた異邦の風景だった。

 「それで そこが駅だとわかった」(「駅」)「端正な鍵が 拒絶していた」(「鍵」)「午後の突堤で空気がポンとはじけた」(「突堤」)「ちょうど朝が朝になりきるまえの/ほんのすこしの時間のすき間の 黒い瞳」(「山道」)「石には ひとの顔が刻まれた」「石はおどりだす」(共に「ひとつの石に」)「しまった/太陽を背中に忘れていた」(「飛び込むまでの十一分」)「わたしは自分の自転車を降り/見たことを忘れ/わたしの朝をつづける」(「通る、朝」)「はるか昔に森と別れた人間を/ねらっているのだ」(「地図から森が」)・・・これら多くの表現にドキッとさせられ、夢中になった。

――  目のなかの海のちいさなさざ波/  うぶ毛を吹くひとすじのひかり
――こころがはだかのとき(「ハンス」)・・・「ちいさなさざ波」とか「ひとすじのひかり」とか、印象的な事物で細部を表現していて、ほんとうに感心した。
 
 竹野静雄は解説に当たる「さちよ詩の余響」で、奥津さちよの詩想の傾向として「家族・農事・作物」「小市民・弱小なるもの」「社会批評」「宇宙・原初への飛翔」があると述べる。
 そして、「日常性を超える旗」「弱者に対する配慮」「人種・国籍・地位を超えた『固有のわたし』をうたうこと」を念じている。
 内容的には確かにそうだが、
 私は、何より“表現の卓越さ”“言葉の操りの面白さ”を奥津さんの詩群に大いに感じたのである。
ハンス

tomtom_poem at 00:30|PermalinkComments(0) mixiチェック 詩歌 

2022年06月21日

中村不二夫「横浜地蔵王廟」〜横浜市中区簑沢から地蔵王廟へ〜

 Amazonprimevideoで観たwowwowドラマ「荒地の恋」で、家を出た北村太郎(豊川悦司)が住んだ横浜の丘の上の古いアパートがあったのが、“大芝台”であった。ここである女性との恋が行われる。
 「大芝台ってどこだ?」私は地図を見て、一昨年の秋に、その日根岸のインバーハウスである、あるライブに行く予定になっていた場所から程近いことを調べた。
 バス停“山元町二丁目”で下りると、(港の見える丘公園に続く)山手本通りの脇道の坂を上りつづけた。
 左に地蔵王廟があり、さらに上ると、根岸の共同墓地が広がっていた。この辺りが“大芝台”のようだ。
 しかし、ドラマに映っていたような墓地の長い塀に続く尾根道は見当たらないので、墓地の手前の狭い路地に足を踏み入れた。
 道の下は崖になっていて、家々が潜まっていた。
 しばらく行くと、住居表示が“簑沢”とあった。

 川崎で開かれた現代詩セミナー朗読会(6/18)で、中村不二夫さんは幼少期に横浜の“簑沢”に住んでいたと言われた。「ここだ!」と思った。
 ちょうどそのころ、近くには詩人・北村太郎が一人で住んでいたのだと思った。

 そのことも加わり、ひじょうに興味深く、氏の詩「横浜地蔵王廟」に聞き入った。
 
 2年前の散策では、帰りに、坂の途中にある“地蔵王廟”に入ってみた。
 丘の上の墓地と坂の下の町の中間に浮かんでいる、奇妙な場所であった。

 「横浜地蔵王廟」は、西安滞在中に現われた、中国の少女から、幼少期に生家の近くの地蔵王廟に住む、中国の姉妹との交感を思い出すという、内容であった。瑞々しい異邦を感じさせる詩で、魅せられた。
 
 私がその辺りを散策して感じていたのは、そういう異邦の趣だったのかも知れない。
 
 参考までに、ブログ記事2020年11月01日「Tomisanpo〜横浜大芝台・根岸インバーハウス〜北村太郎「荒地の恋」の散策とちぇこかっぽ〜そしてジャック&ベティ」のアドレスをあげておきます。http://blog.livedoor.jp/tomtom_poem/archives/53370645.html#comments 

地蔵王廟

tomtom_poem at 23:03|PermalinkComments(0) mixiチェック 詩歌 | 散歩

2022年06月19日

池田修を偲ぶ6日間「都市に棲む―池田修の夢と仕事」〜

2022.06.18(土)
 川崎での現代詩セミナー・朗読会の帰途、横浜の現代アート発信拠点だったBankART設立・代表で、今年3月に65歳で亡くなった(私と同学年)池田修の仕事を一望する展覧会が新高島の地下にあるBankART Station(ここでは安藤朋子さんらのARICA公演を観た)で行われている(この情報も安藤さんから)というので、行ってみた。
 池田氏の履歴と献花のコーナーと、ゆかりのアーティストたちの作品が展示されていた。
 思ったよりボリュームが少なかった。面白い作品がいくつかあった。
 外壁にはこれまでの開催イベントのポスターなどが多数貼られていた。
 中では、舞踏公演や、舞台美術の朝倉摂(先月、葉山の美術館の展覧会に行ってきた)の催しもあったようだ。
 私は、もう随分前に、横浜スタジアム近くの会場で、確か谷川俊太郎らの朗読会に行ったり、増山麗奈の過激な作品を観たりした。
池田修展










池田修image0











池田修image1

tomtom_poem at 00:17|PermalinkComments(0) mixiチェック アート 

2022年06月18日

横浜詩人会2022現代詩セミナー〜光った! 新沢まやの朗読〜

2022.06.18(土)13:30〜16:30 ラゾーナ川崎プラザソル会議室
第1部
座談会 パネラー:柴田千晶
         藤森重紀
         光冨幾耶
    コーディネーター:佐相憲一
第2部
自作詩朗読 田村くみこ
      新沢まや
      井嶋りゅう
      今鹿仙
      うめだけんさく
      長田典子
      草野早苗
      中村不二夫
      松浦成友
      若尾儀武
司会:服部剛

 私が横浜詩人会の会員になってから初めてのイベント!

 川崎駅改札口を出てから、会場を探すのに困ったほど、開発が進みすぎていて、戸惑った。

 朗読では、新沢まやのパフォーマンスが良かった。
 朗読では、テキストを手にして読む人が圧倒的に多いが、彼女は暗記した自らのコトバを、身体を動かしながら表現していて、感動した。
 長田典子と中村不二夫の朗読は、幼少期の記憶のなかの、現在は失われてしまった故郷をうたい、しみじみとした。
 松浦成友の詩と朗読が、渋く異彩を放っていた。

 会では皆さん方が先輩なのに、敬称を略させていただきました。

 これからよろしくお願いします。
現代詩イベント

tomtom_poem at 23:30|PermalinkComments(0) mixiチェック 詩歌 | 朗読・表現読み

2022年06月17日

エリザベス・アセヴェド作 田中亜希子訳『詩人になりたい わたしX』

2021.01.25 初版第1刷小学館発行
2022.06.12 読了。
詩人になりたいわたしX













全米図書賞カーネギー賞受賞。

高3女子が母や教会への反発を家族や友人・恋人との関わりなどを詩の言葉にして、スポークンワードに出場して乗り越えるお話。
お話としても面白かったが、お話がすべて彼女が綴った詩によって進行するという手法も興味深く、アメリカでの詩パフォーマンスの現在もうかがえて、詩愛好者としてとても楽しい一冊だった。

何より、人数は少ないものの、高校の部活動にスポークンワードポエトリー部が作られているのにびっくり!
その顧問が若いガリアーノ先生で、英語の授業の課題が「人生でいちばん衝撃を受けた日について書きなさい」で、後から出る課題もそうした作文で、まるで生活綴り方だなと思った次第。

以下、印象に残った表現を羅列する。
―あなたの父親が目の前にいるからって、/本当にいるとはかぎらないってこと。 (「パピについて」)P79・・・「パピ」はドミニカ(スペイン)語で「父親」のこと。う〜ん、自分の父親としての影の薄さが思われて、心に痛い。

―スポークンワードは言葉を話すこと。ポエトリーは詩。この部では、詩を書いて覚えて自分の声や体を使って表現することを目指すらしい。 (「ガリアーノ先生への質問」)P91
―よく知らない人のことを、どんな人物か見極めようとしている顔。/壊れた時計を相手に、チクタクの音を翻訳しようとしている、といったところだろう。 (同上)P91

―頭に浮かんでいたのは、授業で見たあの詩のビデオ・・・・・・。//言葉を舌の上でしっかりかたちづくる。/手を使って“ ”(パンクチュエーションマーク)や//(スラッシュ)や、.(ピリオド)を表したり、手と手を押しつけあったりする。/最後は体に、空間を使いたいだけ思いきり使わせる。//頭をふりあげたり、顔をしかめたり、/歯を食いしばったり、ほほえんだり、にぎりこぶしをつくったり、/手と足のひとつひとつが/注目を集めようとがんばる役者になる。 (「体のなかに詩を抱きながら」)P95

―アマーンについて考えるたびに/わたしのなかで詩がいくつもできあがっていく。/まるでいろんな比喩が書かれたレゴブロックをひと箱プレゼントされて、/どんどん、どんどん、組みたてているみたい。 (「Aについて」)P119

―アマーンが詩だったら、/生物のレポートをさらさら書いているアマーンの手は、比喩。/アマーンの笑顔は、最高にやさしい、陳腐じゃない直喩。 (「堅信クラスでカリダーにいわなかったこと」)P124

―わたしはずっと、ニッキー・ミナージュは人をひきつける力がとてもあると思っていた。(中略)ラップという男性優位の世界で、ミリオンセラーを飛ばしたアルバムをいくつも作っている女性だ。(中略)社会がつくった型にうまくはまらない女の子たちの味方になってくれているのではないだろうか。 (「宿題(3)の提出原稿」―「社会に誤解されている人について」)P206・207

―思わずツインをひじで押しのける。/わたしのいらだつ手がまわりのすべてを傷つけそうで/怖かったから。 (「出ていくこと」)P244

―それも、固くにぎられ、/こぶしになる手。/きゅっと縮こまるもの。/レーズンみたいに、/きついTシャツみたいに、/丸めた指みたいに。/なのに、その指をつつんでくれる/もう片方の手はない。/だからその指は/自分に食いこむだけ。 (「わたしの心は、手」全編)P266

―(注:出演したオープンマイクから帰宅後)「シオマラ。マジ。すごかった」/(中略)/ツインのいいたいことが、すごくよくわかる。//だって、今夜聴いた、ものすごくたくさんの詩は、/どれも少し自分たちの物語のように見えたから。/(一行略)/それをわたしも他の人に感じさせたんだとしたら、/それって、そうとうヤバくない? (「招待」)P325・326

―愛は絆になりうるんだよ、と。/その絆は無理に引っぱれば切れてしまう。/でも、最高にめちゃくちゃな状況を/包みこめるくらいは伸びるんだよ、と。 (「マミとわたしは」)P397

―ガリアーノ先生がわたしにいう。//言葉はありのままの自分を解き放つものなの。//わたしがいちばん必要としていたのは、/まさにそういうことを語っている詩じゃないだろうか。 (「詩の競技会(スラム)の準備」)P402

―詩の最初の言葉にふれてみた。/しぼんでいた言葉がふっくらして、//口のなかで広がっていく
 (「詩の審査」)P406

―ほんと、マミのいうとおり。/さがるステップはもういらない。/だから、わたしはふたり(注:パピとマミ)に笑顔を向けると、/前にふみだした。 (「わたしのお祝い」)P414
 
―自分言葉の力を信じられるようになったことで、人生を盛大に解き放つことができた。まぶしいほどの光を得られたのだ。そして、それこそが詩というものではないだろうか。詩は暗闇で輝くランタンの光なのだ。 (「宿題(5)」の提出原稿―「いちばん好きな格言について述べなさい」)P416




tomtom_poem at 01:24|PermalinkComments(0) mixiチェック 文学・評論 | 詩歌

2022年06月14日

野外劇団楽市楽座「ゆりあげ」〜鎌倉・由比ヶ浜公演〜風に熱い夫婦芝居!〜

2022.06.13(月)19:00〜20:35 由比ヶ浜公園スポーツ広場
作・演出・音楽・出演:長山現 出演・演奏:佐野キリコ
宣伝美術・衣裳・小道具・制作:佐野キリコ 舞台美術:長山現、佐野キリコ
協力:野ざらし荘

 今日は午後から横浜に出張。
 せっかく横浜に来たのだからと、まっすぐ帰らずに横須賀線で鎌倉へ。
 鎌倉駅・・・御成商店街・・・由比ヶ浜通り・・・喫茶・食事“”で食事(老マスターによるバーベキューライス)・・・由比ヶ浜(沿道には高級リゾートホテルが建ち並び、目の保養をする)・・・スポーツ広場

 18時40分頃に入場、2列目の木の長椅子に着席。水を張った回転ステージの向こうでは、長山現がピエロ姿でギターかき鳴らし、歌口ずみ、海の風舞う夜空の下の極小の空間を和ませていた。
 客には子ども連れも多く、浴衣姿もいて、比較的客層が若い。
 水族館劇場(このチラシをもらった芝居)や小劇場の中高年客層とは、ちと雰囲気が違う。

 19時になって、私の右後ろから登場したのが、厚い白塗りで白系の奇抜な衣装の佐野キリコ!
 長山もかしいで水中を回る円形舞台に上がってきて、
 華麗なる水中幻想夫婦(めおと)舞台のはじまりはじまりぃ。

 長山はウミガメで、キリコはクラゲで、
 海洋ゴミが打ち上げられる浜で、ふたりは出会って、恋に泳いだのでありましたぁ。

 私は折り紙に包まれた投げ銭が、こんなに投込まれたのを初めて見たのでありました。
 投げ銭折り紙貼り付けて、ふたりのらぶは夢の世界へ、ゆっくりまわり回り舞台。

 数十分ほど経って、芝居が中断され、ふたりが投げ銭を拾い集めたあと、
 何と、鎌倉盆踊り道中の蛇味線・三味線の演奏に、浴衣女性連現われて、揺れる円形舞台囲んで陶酔の盆踊りタイムなのでした。

 後半は、長山は派手な衣装のタコかあさんで登場し、
 やがてウミガメ元とクラゲキリコはかたく契りを結ぶのでしたぁ〜。

 長山のギター語りも叙情だが。
 キリコの多芸なこと、感心しきり。
 ダンスもすれば、タップもうまい
 横臥して身体をくねくねさせる筋肉力
 鳴らしものに鍵盤ハーモニカ
 魅力たっぷりの、
 現代河原姫!!

 私は初めてこの野外劇を観たのだが
 地域との連携も密にして
 全国津々浦々を旅する
 現代の“河原乞食”に
 ホントは乾杯したかったのだ。

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 ちょいと早く着いたので、浜辺を散策。
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 ・・・由比ヶ浜ー〈江ノ電〉ー藤沢ー茅ヶ崎

 労働の合間の夢舞台を観たのでした。

 羽村での水族館劇場でもらったちらし。
楽市楽座「ゆりあげ」

tomtom_poem at 00:22|PermalinkComments(0) mixiチェック 演劇 

2022年06月09日

映画「アイヌモシリ」〜少年の目でとらえた現代アイヌの人たちの生き方〜

2022.06.09(木)午前 日本テレビ地上波放送(2022.06.03深夜)録画を視聴。
監督・脚本:福永壮志
音楽:クラリス・ジュンセン、OKI
写真:斎藤工
出演:カント[阿寒湖畔コタンで暮らす中学3年生]/下倉幹人 カントの母エミ[民芸品店を営むムックリ奏者]/下倉絵美 亡父の親友デポ[1975年以来途絶えていたイヨマンテの復活を企画する]/秋辺デポ
亡父[木彫りの名手]/結城幸司 亡父の友人[トッコリ奏者]/OKI
吉田先生[シャモ(和人)の中学教師]/三浦透子 記者[シャモ(和人)の記者]/リリー・フランキー
2020年製作/84分/G/日本・アメリカ・中国合作 配給:太秦

 世界で活躍するアイヌの民族楽器トッコリの奏者であるOKI(一昨年、渋谷に奄美島唄の朝崎郁恵らとのジョイントコンサートに行ったことがある)が出演し、劇中でも演奏していた。
 下北沢のライブ・ハウス“レディージェーン”(今月、現代朗読のセッションがあり、私も観に行く)の外壁に、この映画のポスターが貼ってあった。
 詩人・長田典子さんが地上波放送を教えてくれた。

 アイヌの少年の視点で描いた、アイヌ民族の人々の現在地が、繊細な映像とドラマで描かれていた。

 地方の少年が都会に出て行くのは、日本列島のどこでも見られるのだろうが、
 この少年には、アイヌの血(伝統と文化)という特別な因子がある。
 それで少年は劇中で「こんな特別な暮らしはいやだ」と反抗する。
 しかし、そこに住むアイヌの大人たちには、’特別’なのではないのだ。

 アイヌの宗教観の象徴でもある、イヨマンテ(熊送りの儀式)は阿寒では1975年以来、行われていない。
 アイヌの自然への考えを継承しようと、デポたちは復活を試みる。
 少年は、餌を与えつづけてきた熊を殺すイヨマンテには反対し、儀式に行かないで部屋に閉じこもる。
 しかし、そこで、1977年二風谷でのイヨマンテの映像をDVDで観る。
 ―この映像が、私も観たことのある、民族文化映像研究所のDVDのようだった―

 少年の心も揺れているのだ。

 ラスト近く、死者たちが住むとデポに言われた洞窟をのぞき込むとき、振り返ると亡き父が現われ、抱擁する。
 ラストでは、動物園でしか見たことのなかった、アイヌにとってクマと並んで大切な神の化身であるフクロウが大木の上にいるのを少年は見る。
 さて、この後アイヌの少年はどのような選択をするのだろうか。

 知識ばかりあって、全くの部外者である私は、複雑な思いで観終わったのである。
アイヌモシリ



tomtom_poem at 19:36|PermalinkComments(0) mixiチェック 映画 

2022年06月07日

花組芝居創立35周年記念公演 第一弾「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」〜きゃーッ素敵ぃー!〜

2022.06.07(火)19:00〜21:00 北沢タウンホール地下・下北沢小劇場B1
原作:四世鶴屋南北
脚本・演出:加納幸和
出演:薩摩源五兵衛(実は不破数右衛門)/小林大介
船頭三五郎(実は仙太郎)/丸川敬之
芸者小万(実は民谷召使いお六)/永澤洋
徳右衛門同心了心/船頭お先の伊之助/役人出石宅兵衛//北沢洋
富森助右衛門/古道具屋甚介/十二軒の内びん虎蔵/夜番太郎七//山下禎啓
家主くり回しの弥助(実は民谷中間土手平)/賤ケ谷伴右衛門(実はごろつき勘九郎)//八代進一
回し男幸八/判人長八(実はごろつき五平)/里親おくろ//磯村智彦
若党六七八右衛門/芸者菊野//武市佳久

 二方の客席から見下ろされたステージは花と贈り主名の札で囲まれ、右端には葬儀の祭壇があって白布を被せられた人が横臥している。そして、祭壇には写真が飾られていた。
 はて? この写真は一体誰なのだろう? 通夜振る舞いから物語が進んでも分からない。
 殺人鬼と化した源五兵衛(小林大介)に殺された人物の葬儀の夜に何人かが持ち歩いた提灯には「水下家」とあった。 ???。
 終演後の主宰・加納幸和の説明で、初めて、8年前になくなった元座員・水下きよし(1959年12月11日 - 2014年1月24日、54歳で没)が写真の主であることが明らかにされた。
 さすれば、この、血みどろのぐしゃぐしゃの今宵の芝居は、彼への追悼の意味も込められていたのか、と、合点がいったのである。

 80年代後半から90年代にかけての小劇場演劇は、興味はあったものの、仕事や家事に追われ、第三舞台とか青年団とか、今まで観た体験がなかった。
 花組芝居も同様であった。
 小劇場でのこぢんまりした花組ヌーベルだが、初体験になった。
 いやぁ、おもしろかった!
 鶴屋南北4世の原作も傑作なのだろうが、ところどころ飛び出すギャグとかセリフが笑わせた。
 (歌舞伎は、学生時代に何回か観て以来、もうずいぶん観ていないのだが、現代のネタをちりばめていた)
 役者も、個性派ばかりの8人で、それぞれの息づかいを堪能したのだった!

 最初と最後の輪舞が、絵本『かいじゅうたちのいるところ』のように実に楽しげに見えて、面白かった。
 
 周りのお客様方も、数人のおじさま(私も含めて)を除いて、女性の方が多かったですね。

花組芝居「盟三五大切」表

























 終演後の撮影会。みなさん、おちゃめだこと!
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tomtom_poem at 23:30|PermalinkComments(0) mixiチェック 演劇 

2022年06月06日

映画「つむぐもの」〜石倉三郎初主演作!〜

2022.6.05(日)夕刻 Amazonprimevideoで鑑賞
監督:犬童一利
脚本:守口悠介
撮影:伊集守忠 照明:大久保礼司
美術:吉川都和 編集:佐々木弥生
音楽:茂野雅道 主題歌:城南海
出演:剛生(越前市の老和紙職人)/石倉三郎 ヨナ(韓国・扶余からワーキングホリディで剛生の介護にやって来たフリーター)/キム・コッピ
涼香(介護福祉士)/吉岡里帆 宇野(東京から和紙の修行に来た若者)/森永悠希 
山下/宇野祥平 蓉子(介護福祉士)/内田慈 石川(介護福祉士)/日野陽仁
2016年製作/109分/G/日本 配給:マジックアワー

 和紙の職人魂と韓国の若い女性との文化交流と結びつきがテーマかと思って観たのだが、それは背景に過ぎなかった。
 介護の問題、外国からの労働者派遣の問題などの社会的テーマが浮き上がって見えた。

 ワーキング・ホリデー制度とは,「二つの国・地域間の取り決め等に基づき,各々の国・地域が,相手国・地域の青少年に対して自国・地域の文化や一般的な生活様式を理解する機会を提供するため,自国・地域において一定期間の休暇を過ごす活動とその間の滞在費を補うための就労を相互に認める制度」(日本ワーキングホリデー協会HPより)だそうです。余り知りませんでした。

 昨日体験した水族館劇場「出雲阿國航海記」では、福井の山奥・夜叉が池が舞台の一つになっていたが、同じ福井の越前和紙の映画を観るとは、偶々なのだが、奇遇な気もした。

「つむぐもの」

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2022年06月04日

水族館劇場「出雲阿國航海記」〜水族館は水が変わるのか変わらぬのか〜

臨済宗建長寺派 宗禅寺 第二駐車場 特設野外儛臺 天飈の鹿砦
剽窃・謀術:桃山邑
出演:沖縄のおばば・旅芸人一座出雲阿國/千代次 沖縄のおばば・吉祥天の姉・黒闇天女/風兄宇内
嘉手納基地から根室ルートでオホーツク諜報船にのり、ソ連に亡命した祖父を追う戦場カメラマンはびら/西表カナタ 長崎から京へ母を尋ねる混血少女金平糖/藤井七星
沿海州から中央アジアに強制移住させられた高麗人の末裔キム・ニコライ/高野幸雄[美術作家] 
密漁船の水夫として生存不明のままハバロフスクの収容所に送られた父とロシア人の母を持つ傭兵リュウ/千葉大二郎[美術作家] 
ワクチン開発の研究者ドクター・石井/癸生川栄[eitoeikoディレクター] AV監督有田音松/伊丹宗丞 
天狗の少年/癸生川鳩 
筍・傾き公家・旅芸人一座/秋浜立 跋折羅侍・旅芸人一座/七ツ森左門
阿国を追う狸丸/臼井星絢 出雲の出で狸丸と一座を組むとっぱ/松林彩 
夜叉が池の龍神の化身白雪姫/石井理加 夜叉が池の鐘撞堂に住み着く鉱山師・金蔵/翠羅臼[元曲馬館・劇作家]
水の物の怪黒和尚鯰入/伊藤裕作[風俗ライター] 夜叉が池を抱く三國岳の又鬼/二見彰[古書店主] 
劇場設計・車輌・舞台:秋浜立
※[ ]内は本職

 1970年の沖縄
 太平洋戦争開戦前夜の1941年
 夜叉が池は大正(1922-1935)時代
 出雲阿國一座の1600年代

 沖縄-東京-満州-シベリア-武漢

 これらの時空を旅する水族館劇場一座は
 熱量変わらず
 鯉も泳いで顔出す池や
 滝登りのごとく激しく吹き出す水龍に
 最前列の私たちは目を和ませ透明ビニールでしぶきを避け
 最大限にしぶきを避けると
 突然一座は武漢について、その後どこに行くのか予測も蹴飛ばし
 役者たちが総出になって、終わったのだ!!
 
 以下、チラシの宣伝文句――
「桃山から江戸への転換期、出雲阿國の一座が歌舞妓踊りを持って評判をとる」
「皇紀二千六百年(1940年)、東京を追われた左翼劇団は満洲へと出雲阿國を題材にした舞台をもって慰問の旅を続ける。辿りついた先は長江の流れる武漢の戦場。」
「正体不明の病原菌が世界を覆い尽くし、神々の怒りをかったかのように水の星が天変地異にさいなまれる現代。土蜘蛛と呼ばれた敗者の一族の巫女が時間を超えた航海の涯に、出雲阿國として復活する。」
「みっつの時代を自在に往還する水族館劇場のスペクタクル・ロマン、乞うご期待! 」とチラシの前宣伝文句だが、「夜叉が池」は大正の時代なのであった。

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 前芝居
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tomtom_poem at 01:52|PermalinkComments(0) mixiチェック 演劇 

2022年06月03日

宮沢賢治の世界🌙金曜ライブ「なめとこ山の熊」と小品・ゲスト村野美優〜「虔十公園林」とピアノと詩〜

2022.06.03(金)14:00〜16:00 反町“ギャラリー カオル&カフェ”
機 帷塀集園林」 朗読:野口田鶴子 ピアノ:末邑わかこ

供 團殴好肇魁璽福次媚輜読:村野美優 ピアノ:末邑わかこ
 ‖写酥優「ひつじ草―眠れぬ夜のために」
 ▲蹈戞璽襦Ε妊好離后癖)「オシロイバナ」日本語訳
              「La Bell-de-Nuit」原語
 ジャック・プレヴェール(仏)「鳥の絵を描くために」日本語訳
 つ硬長亜屮蹈轡△凌垢粒─廖福愆饑廖愁潺薀ール』より)
 ツ硬長亜屬やすみなさい」(同上)
 β写酥優「ひとりぐらしのあかんぼう」

掘 屬覆瓩箸鎧海侶А廖]読:野口田鶴子

[感想]
機]読のスピードがゆっくりで、盛岡弁のセリフ以外はほぼ聞き取れました。文末の「〜しまった」などの「しまっ」で十分ためて、「た」で息を抜くのができていて、リズムも強弱も効果的に聞こえました。
 ピアノは、常時奏でるのでなく、一つの区切りの場面の語りが終わったところですーっと自然に入ってきました。語りの声のイメージを音楽に変換したみたいで、とても心地よく聞けました。
 悪役の平次が出てくるときに使った、円形金属打楽器・シンギングボウルが印象的でした。
 奥のピアノで演奏され、その手前で野口さんは立って読まれました。
 このカフェの、客から見てピアノの向こうの奥と左の壁面には、陶器で造られた色彩豊かな仮面がたくさん飾られていました。その顔は、アフリカやサーカスをイメージさせる、キュビズムのような変顔で、ガラスなので冷たいふうでなく、温もりがありました。
 その壁の下方に小窓があり、そこからは外の草原が見えました。
 「虔十」の語りと音楽を聴きながら、仮面の顔や窓外の緑やピアニストや朗読家のお顔を交互に見ながら聴いていると、自然に心が洗われるようでした。
 耳と同時に、目でも楽しめたのでした。

供‖写遒気鵑亮作「ひつじ草」では、村野さんのやさしい声と、ピアノの不協和音と変則ハーモニー(?)の交錯が素敵でした。
 プレヴェールの鳥たちは、楽しそうでした。私は、自分の詩のなかの鳥はいつも「辛そう」だったなと、少し反省しました。
 長田弘の詩では、座って読みました。
 「ロシアの森の絵」には、19世紀ロシアの風景画家イワン・シーチキンは森の絵が好きだった。
 現代の「私たちは、ツユクサのツユを集めて顔を洗うことを忘れた」
 というフレーズが印象に残りました。
 「おやすみなさい」は、繰り返される「おやすみなさい」を音程を変えて読んでいました。
 ラスト、「ひつじを数えて」「希望を数えて」で、詩の声は聞こえなくなりました、素敵に。
 最後の自作詩は、まるで絵本のページをめくるようでした。
 「きっと死ぬまであかんぼう」、よい詩はさいごの言葉が強く伝わってきます。
 村野さんの読みは、力が抜けていてやさしいのに、滑舌がよく、とても聞きやすかったです。

掘‘匹濟呂瓩訌阿法譜面台に置かれた台本に「床山」と書かれていて、あれっ、落語と関係があるのかなと思ったりしたのですが、その本を手に持たれたとき、「那米床山」とあって、野口さんも「これでなめとこやま」と読むのですよと、おっしゃいました。
 野口さんは座って読み始めました。ピアノなしの一人語りです。しかも、台本なしで読みました。
 30年前に授業で扱ったことのある作品ですが、もうずいぶん忘れていました。
 しんみりとしました。
 すばらしかったです。
野口田鶴子














 「虔十公園林」は、一昨年の暮れ、本厚木のカフェ“なよたけ”での、井上崇さん主宰イベントの幕間に読ませてもらっていたのですが、恥ずかしいかぎりです。
 もう一度チャレンジしようかなと思います。


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