2011年03月

2011年03月17日

東日本大地震

半年振りに書く記事がこんなんとは・・・。
地震が無ければ放置しようと思っていた。



この筆不精による記事が死亡フラグにならない事を祈る。

2011年3月11日14時46分、確かこの時は13時より新設備の
打ち合わせが有り、終了後不明点を仲の良い和歌山の参事様に
問い合わせようとメールを打っていた。

その後15時から始まる会議までに少し時間が有ったので
デバッグルームでマニュアルなんぞを読んでいた。

計器が入っているガラス戸の棚が揺れたのはその時だった。
この会社の構内はちょっと振動が多く、まぁいつもの振動か、と
思っていたら意外に長い。「なんだこれ?」と一応部屋の外に出る。

室外に出て主任様に「結構長いんじゃね?」とか話してると
次第に揺れがやたら大きくなった。急いで外に出ると炉や煙突が
ハンパ無い揺れ。信じられない光景だった。
100m近い高炉の先端が鞭の様にしなる。煙突の先端が1m近く
揺れている様に見える。
ヤバイ!とは思う物の意外と頭は冷静だった。天井を見上げ
落ちてくる錆びた鉄片を避けながら「どこが安全だろ?」とか
「マダー?」とか感じていた。

原料ラインから出ている粉塵で空は真っ黒になっていた。
主任と2人で「ここ大丈夫そうだね」と軽く広い空き地に
仮避難。

その直後だった。2回目の大きな揺れが襲ったのは。

この時ばかりは流石に死を覚悟した。

「普段絶対に揺れない物」が普通に揺れている光景、後方
数100mで爆発したガスタンクの熱と閃光、避難する車の群れ。
悪夢のような数分間だった。


正直2度と見たくない光景だった。


地震発生から間もなく1週間。



文字通り「湯水の様に使ってた」水の大切さを痛感し
「ガソリンの備蓄は十分確保できている」等と政府の
嘘情報を聞き流し、スーパーでキャリアに菓子パンを
山盛りに詰め込む浅ましいババァを哀れむ目で見ながら
いつ来るか分からないメルトダウンの恐怖と戦っている。


もう疲れた。


津波が襲った被災地の方は物資がいろいろ届いているだろうが
茨城県は津波被害はあった物の規模が非常に中途半端なのだ。
その為物資は殆ど無い。電気、水道、ガソリンが無く
避難所生活をしている人も多く、断水戸数は全国一なのに
全く救われない地域なのだ。何とかしてくれ!と叫んでも
どこにも届かない。


今回の地震で得た教訓。

・オイルショックでトイレットペーパーを買い占めたババァは
 現存する。

・政府はこの期に及んでも政権維持の為の活動を止めない。

・白いご飯が食べられるだけで幸せ。

・上を見るとキリが無いが下を見ると後が無い。

・やはり鹿嶋は今も昔も陸の孤島。




では(TДT)ノ













toppi723 at 23:04|PermalinkComments(5)TrackBack(0)