2019年06月14日

「toragorou88の生活」総集編(熊本1)

総集編の続きです。詳しい記事はリンクサイトをクリックしてご覧下さい。諸事情により売りを検討していたトラ五郎小屋のある土地をイトーピア湖畔別荘地と関係深い(株)白橋工務店さんに売却依頼しました。


総集編熊本01s

総集編熊本02s


2014年9月、大学の同窓会が阿蘇で実施され、その時折角九州に行くので、熊本・天草・福岡もサクラさんと一緒に旅をしました。阿蘇では懐かしい友に会え、震災前の立派な熊本城も十分に見ることが出来、その後天草・福岡を訪れることができました。まずは阿蘇・熊本について投稿いたします。

9/4 4:55自宅を出発。JRで横浜に出てリムジンバスで羽田空港に向かいました。バスは運転席のすぐ後ろに座ったため、フロントガラス越しに横浜ベイブリッジが見えました。6:25 羽田空港着。7:25発JAL303便に搭乗。9:10福岡空港に到着しました。(小雨で窓越しの撮影のため飛行機部分画像が流水で歪んでいます)地下鉄で博多駅に出てJR快速荒木(久留米)行きに乗車。ここで乗り換え熊本に向かいました。JR九州は型がいろいろな車両が走っていて、車両の中もヘッドレストの付いた座席でした。12:09 熊本駅着。会が実施されるホテルの送迎バスが来る乗り場を確認後在来線駅東口に移動しました。駅前には市電や熊本城周遊バス(しろめぐりん)が走っていました。熊本城の絵が描かれたマイクロバスしろめぐりんに乗車。13:23 桜の馬場城彩苑で下車しました。熊本県下の特徴のあるお店が勢揃いする桜の小路を散策。イメージキャラクターのくまモンやひごまるもありました。その後お城を一周して熊本駅に向かうバスに乗車。お城を一周して再び城彩苑に着くとバスは私達だけとなりました。バスの座席は木製のベンチで車窓から熊本城と白黒のコントラストが美しい長塀や加藤清正像が見えました。14:28 JR熊本駅に到着。ここでサクラさんと分かれました。
15:00 JR熊本駅のホテル送迎バスが来る駐車場で7人の友と再会。16:07 熊本空港に寄り3名が加わりました。16:43ホテルグリーンピア南阿蘇に到着。乗用車やレンタカーで駆けつけた友も加わり、古希を過ぎた15名の友と再会しました。宿泊は2名の友と同室。窓からはやや霞んだ阿蘇の景色が見えました。入浴後18:00から会食。順に近況報告をし歓談。その後も場所を移し二次会をしました。


総集編熊本03s

翌朝は雲のたなびく阿蘇外輪山を望見。朝食後、再会を約して9:00 発のホテル送迎バスに乗車しました。10:49 ホテルの送迎バスはJR熊本駅に到着。友と分かれた後白い駅舎の在来線駅東口に移動しサクラさんと再会しました。前日はしろめぐりんで熊本城を外側だけ見ましたが折角来たので中も見学することにしました。11:28二の丸駐車場で下車。備前掘横を通り西大手櫓門(桁行23m×梁間8m×高さ12.6m)に到着。1632 加藤家に代わって肥後に入国した細川忠利はここで駕籠を降り敷居を押しいただくようにして「謹んで肥後54万石を拝領仕りまする」と深々と頭をたれたと伝えられています。そして頬当御門を潜ると目前に大小天守閣が迫りました。熊本城は1601(諸説あり)に加藤清正が築城に着手し1607 に落成。現在の天守閣は1960 に再建されました。大天守閣は石垣から27.5m、外観3層内部6階地下1階。小天守閣は石垣から19m、外観2層内部4階地下1階の建造物です。


総集編熊本04s

11:38 五郎の首掛石前を通り城に近づくと赤い傘を持った案内者がいましたので写真を撮らせていただきました。城内に入ると闇り通路と呼ばれる地下通路を通り本丸御殿に行きました。鶴之間(60畳)・梅之間(35畳)・櫻之間(28畳)・桐之間(24畳)が連なる大広間は広大で荘厳。昭君之間は付書院を備え王昭君(中国の前漢の時代の悲劇の美女)の物語を描いた障壁画や天井画があり華麗でした。加藤家、細川家、西南戦争の資料を展示してある部屋には大天守閣の鯱のレプリカも置かれていました。天守閣からの眺望を堪能した後熊本城を後にしました。

熊本城見学を終えその後関連情報をいろいろ調査しました。加藤清正は豊臣秀吉の死後、関ヶ原の合戦では、石田三成、小西行長らとの確執から東軍につき、小西滅亡後は肥後南半国も領して54万石の大大名となりました。しかし豊臣家に対する清正の想いは並大抵のものではなく、1611 二条城で秀吉の遺児秀頼と徳川家康をとりもつことに奔走。会見に成功し熊本に帰る船中で発病。熊本城で亡くなりました(享年50歳で清正の没4年後に大阪夏の陣で豊臣家は滅亡)。加藤清正の子 虎熊、熊之助は幼くして死に、三男の忠広が加藤家を継ぎました。若くして家督を継いだ忠広は家臣をまとめきれず、気性が荒く問題が多かったといわれます。そして忠広の長男の光広は嘘の謀反の連判状を作って家臣をあわてさせて喜ぶという遊びを行い、これが幕府にもれて、諸々の罪状を加えられ、熊本藩加藤家は改易。1632 豊前小倉城主細川忠利(祖父:細川藤孝、父:細川忠興、母:明智光秀娘玉:別名ガラシャ)が入封しました。豊臣秀吉そして加藤清正が後継者へのバトンタッチがスムーズにいっていたら日本のその後の歴史はかなり違ったものになっていたろうと感慨深く思いました。



ブログの廃止とトラ五郎小屋の売却について。

現在投稿している「toragorou88の生活」は私をとりまく諸般の事情により、現在投稿中の総集編終了をもちまして、幕を閉じたいと思います。 そしてテレビドラマ「北の国から」に登場する五郎さんの石小屋に魅了され、情熱を傾けて建設した、トラ五郎小屋のある伊豆の土地も手放すことを決意しこの度(株)白橋工務店さんのHPに売却記事をUPしました。  その他詳細は「toragorou88の生活」をご覧下さい。


toragorou88 at 00:17|PermalinkComments(1) 総集編