2010年03月08日

中華民国(台湾)の旅02(赤嵌楼・龍虎塔)L

11(TOP)



日月潭を後にし40分程走り郷土料理のレストランに入りました。

回転円卓テーブルに8人ずつ座り中華風料理をいただきました。

小海老や魚や肉の揚げ物そして野菜の茹でたり炒めた物が主でした。

緑ガラスに入った台湾ビール(中瓶相当)は100元でした。




12(.赤嵌楼)



15:35 タイナン(台南)のツーカンロー(赤嵌楼)に到着しました。

かつて台湾南部はオランダに占領されており、台南はその拠点でした。

そして台湾北部はスペインに占領されていましたが、

オランダはスペインを台湾から追いだし台湾を支配するようになりました。

ところが中国本土から渡ってきた鄭成功はオランダ人が築いた赤嵌楼を襲撃し

戦いは1661年に終結、オランダ人は撃退されました。

そして彼はこの楼跡を承天府と定め、台湾全島の最高行政機関としました。

1885年台湾の首府を台北に移すまで224年間、

台南は台湾の政治、文化、商工業の中心地でした。


赤嵌楼(Provintia)は1624年オランダ人により築城されましたが

1862年には地震により建物は全壊、城壁の一部が残されていました。

現在ある建物は1879年清朝が建てたものだそうです。

鄭成功がオランダを追放した時の様子を像にした

「鄭成功に降伏するオランダ兵」の碑もありました。

建物の周辺には椰子が茂り南国の雰囲気に満ちていました。




13(延平郡王祠)



16:01 イェンビンジュンワンツィー(延平郡王祠)という廟に到着しました。

この廟は民衆により鄭成功の功績をたたえて1662年建てられました。

彼は38才の若さで死去、当時は「開山王廟」と名付けられていたそうです。

日本が統治時代、開山神社と改称した時期もあったようで、

終戦後、中華民国政府によって現在ある様式の建物に建て替えられたそうです。

鄭成功は、日本の平戸で父鄭芝竜と日本人の母田川松の間に生まれ、

7歳の時中国の福建省に渡り、軍人・政治家として活躍し、台湾に渡りました。

彼の生まれ故郷の長崎県の平戸市では、今でも盛大に聖誕祭が開催され、

平戸と中国の福建省南安市は姉妹都市、日本・中国・台湾が結びつきました。

廟近くには大きなカジュマルの木が茂り、狛犬や砲車が置かれていました。




14(龍虎塔)



17:40 台湾の南部にあり、台北に次いで2番目に大きい街

カオシュン(高雄)にあるツンチンフー(澄清湖)に到着しました。

夕方で暗くなりつつあり、足早に「九曲橋」という魔除けの橋を渡り、

中興塔と圓山大飯店を遠望しました。


18:20 日が暮れて真っ暗なリェンチータン(蓮池潭)に到着しました。

七重の塔が一対になっている「龍虎塔」は暗闇の中に微かにライトアップされ

作法に従い龍の口から入り、虎の口から出てきました。

昼間の写真はインターネットで目に留まったものを使わせていただきました。

今回ガイドをしてくださった男性は日本にも滞在したことがあり

上手な日本語で案内され、日本の歴史や風習もしっかり勉強されていました。

「皆さん昔の日本の人が季節を表す色をご存じですか?」

「春は青、夏は赤、秋は白、冬は黒、今のイメージカラーと違いますね。」

龍や虎にまつわる干支の話、方位の話、曜日の話… 大変参考になりました。

かと思うと、真剣に「お父さんが嫌がる果物は何でしょう?」 パパイヤ

とダジャレまでサービスしていました。




15(夜市A)

16(夜市B)



海鮮料理の夕食後 20:15 オプショナルツアーの夜市に出かけました。

リウフゥアルルゥイエシィ(六合二路夜市)は500m道路両側に

屋台がひしめき、海鮮類・肉類・果物や野菜・惣菜・雑貨が売られていました。

21時頃高雄の宿泊ホテルに到着、長い一日が終わりました。



toragorou88 at 18:13│Comments(0)この記事をクリップ!

コメントする

名前
URL
 
  絵文字