2011年01月21日
2010末〜2011初の出来事L
前々回の茅ヶ崎西海岸・日の出と前回平塚海岸・日没の記事とは
日時が前後しますが2010年末〜2011年始の出来事を投稿いたします。
昨年末の12/28 サクラさんと鎌倉霊園にお墓の清掃をしに行きました。
除草をし墓の中に植わっているツゲを短めに丸く刈り
アジサイやカイドウも大幅に剪定、墓石を清掃後焼香しました。
ワイヤープランツが順調に育ち、美しい緑のカーペット状になりました。
墓参の後鎌倉駅にバスで出て駅横のビル内レストランで昼食を摂り
天気もよし、長谷までウォーキング、鎌倉大仏をお参りしました。
鎌倉大仏で親しまれている高徳院の本尊・国宝銅像阿弥陀如来座像は
1252年から10年前後の歳月をかけて造立されたそうで
尊像は始め仏殿に収められていたものが大風で損壊したらしく
15世紀以降仏殿が再建されて形跡は認められないそうです。
私が初めて鎌倉大仏を見たのは小学校5年の頃で
この時は鎌倉大仏の大きさに圧倒された記憶があります。
大仏参拝後少し歩き長谷寺に行きましたが中には入りませんでした。
長谷寺の前に大きなタブの木があり人力車が側に停まっていました。
参詣道沿いに風鈴やオルゴールを売っている店を見かけました。
そして長谷駅から江ノ島電鉄に乗り藤沢経由で帰途につきました。
12/31 サクラさんがインターネットで頼んでおいたお節料理が到着
父・母が年を新ためる度に正月気分を味わってもらおうと始めたのが
今度は孫に食べさせたくてお節料理の注文を継続しています。
粗悪品を作る悪徳業者もいたと報道されましたが頼んだ物は良品でした。
昨年の料理とよく似ており来年は違う業者も良いかなと思いました。
蜜柑とスイセンの絵は父の友人・かんちゃん6688さん画です。
(画像は削除しました)
12月末から1月中旬にかけて見たTV番組で印象に残ったものをあげます。
「坂の上の雲」は第2部が12/26「広瀬、死す」で終了しました。
真之(本木雅弘)は漸く結婚、日本はロシアと開戦し彼は海軍参謀となるも
親友の広瀬武夫(藤本隆宏)を旅順港閉塞作戦で失います。
ドラマに登場する軍人、政治家、そして国民一人一人が
毎日を必死に生き、一丸となって国難に対処している様が見てとれ
現在の日本の状態はぬるま湯に浸かりすぎている感がしてなりません。
「ゲゲゲの女房」で村井茂の母・絹代役の竹下景子が今度は
秋山真之・好古の母・貞役、おばーちゃん役が定着してしまいました。
連続ドラマ「てっぱん」はヒロインあかり役の瀧本美織と共に
初音役の富司純子の演技が素晴らしく思わず引き込まれてしまいます。
いろんなキャラクターの人物が登場し毎朝見るのが楽しみです。
12/31 恒例の紅白歌合戦の紅組司会者は「ゲゲゲの女房」で
武良布枝役を演じた松下奈緒、音大出身の彼女はピアノ演奏も披露し
テーマ音楽を歌った「いきものがかり」も紅組に出場しました。
1/1 BS2「叙情歌大全集・2010」では加藤登紀子が
娘のYaeさんと一緒に共演、印象に残りました。
1/10 BS2 高橋真梨子のライブコンサートでは彼女の持ち歌以外に
「時間よ止まれ」(矢沢永吉)、「空に星があるように」(荒木一郎)、
「ブルーシャトウ」(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)や
彼女が作詞の「グランパ」他を熱唱、バックの楽団も熱演
彼女の張りのある声と歌の上手さを再認識しました。
その他12/28 女優の高峰秀子が肺がんで亡くなりました(86才)。
彼女を最初に見たのは「24の瞳」であるが、私が特に感銘を受けた映画は
三船敏郎と共演、彼女が吉岡夫人役をクールに演じた「無法松の一生」、
この映画はヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞しました。
往年活躍された方が亡くなっていくのが大変寂しく思われます。
1/7 平塚と小田原の間にある吾妻山をサクラさんと散策しました。
この山は「ぶらり旅1001A(吾妻山)」で紹介したことがありますが
TVやローカル紙で菜の花が見頃との紹介があり、この日は朝から上天気、
前回は富士山がよく見えなかったこともあり再度行くことにしました。
10:57 JR二宮駅前に降り立ち、11:01に町役場横の登山口に到着、
直線上の階段を一気に登るとスイセンが沢山開花していて
さらにアスレチック施設横のなだらかな道を暫く行くと
11:24 枯れ葉状態の芝生の山頂広場に着きました。
西方に雄大な富士山が、そして南方に相模湾が見渡せました。
山頂広場の西斜面には菜の花が植えられ、丁度見頃でした。
平日にかかわらずスケッチをする人、写真を撮る人が沢山いました。
富士山の左肩部にある雲は風で左方向に流れていましたが
気流の関係か同じ所から次々と雲が発生しているようでした。
アングルを下げ、富士山と菜の花を一緒に写し込んでみました。
帰りは長大な滑り台横の道を通り下山しました。