大楠
2018年05月22日
瀬戸内海にある「志々島」
私は過去にとりあげたブログの中から日本各地を旅行した記事を再編集し「総集編」としてとりあげてきましたが、今回は久しぶりに旅行した「志々島」を少しでも皆さんに知って頂き、島の振興に役立って頂ければと投稿いたします。
4/21〜22 私の父母を偲ぶ会(16名参加)が福山市仙酔島で実施されました。会が終了後、私はTV朝日「人生の楽園」(楽園の案内人:西田敏行、菊池桃子)で2017.4.8に放映された香川県の瀬戸内海にある志々島に2泊しました。福山から岡山経由で瀬戸大橋を渡り坂出で乗り換え、途中善通寺、丸亀を通過。多度津では一番前の車両に移され、ワンマンカーとなり、詫間で降りる時は前の出口で切符を渡す方式でした。詫間から宮ノ下港に出て船に20分乗ると、志々島に到着しました。志々島 はかっては1000人を超す人が住んでいた花作りの盛んな島でしたが、現在、島で暮らす人は17人だけとなりました。そして行ってから気がついたのですが、この島は「男はつらいよ」(第46作 男はつらいよ「寅次郎の縁談」出演:渥美清、松阪慶子、吉岡秀隆、…)と「機関車先生」(出演:坂口憲二、堺正章、倍賞美津子、…)のロケ地でした。また前に妻と行った奄美大島の南の加計呂麻島(2014奄美大島の旅C )も「男はつらいよ」のロケ地であったことを思い出しました。(第48作 男はつらいよ「寅次郎紅の花」マドンナは浅丘ルリ子)
志々島行きの船(一日3便)に乗る前に宮ノ下港のコンビニで弁当、パン、カップ麺を購入しました。船が16:00に到着すると、下船する人は20人位いましたが、乗船する人は私一人でした。16:15発の船が志々島に到着すると、「人生の楽園」で紹介された素泊まりのみのゲストハウス「きんせんか」を管理されている女性が出迎えてくれました。宿泊施設まで案内し、施設の使い方(調理設備や風呂)の説明を受けました。荷物を置いて島を散策すると、カラフルな案山子とロケ地記念パネル、かってTVで放映された「花の職人たち」記念パネルが目にとまりました。そして海岸沿いに反時計方向に歩くと、いたると所に寝そべる猫に出迎えられ、小さな家を並べたようなお墓群があり、オレンジと赤の花のナスタタチュームが咲き、アニメが描かれた廃ブイが並べられた所がありました。道が終わり磯歩きが開始される所で反転、時計回りに横尾まで歩いたところで夕暮れが迫り帰途につきました。途中宮ノ浦の海岸近くでヤギが放牧されていました。
翌日は朝食後、県指定天然記念物の大楠と島の最高点(横尾の辻)を目指して散策を開始しました。道案内に従って行きましたが途中で道を間違え、島の東の丘(本村)に行くと、高齢の女性が腰掛けておられました。持っていた菓子を食べながらいろいろお話をしました。4年前にご主人が亡くなられましたが、販売目的でなく広大な畑にキンセンカを栽培されていて、見ているとオレンジの絨毯のよう、亡くなった妻はオレンジの花が大好きでフリージヤやヒマワリは特に気に入っていました。お話を聞いていると何か今後私が生きていくためのパワーをもらいました。大楠への道を尋ねると一旦下りて「きんせんか」横の道をそのまま上った方が良いことが分かりました。「きんせんか」横まで来ると男性の方に会い確認の意味で大楠への道を尋ねると、途中まで案内してくれました。城山南の峠から50m程下がると、樹齢1200年、樹高40m、根周り12.2mの大楠が現れ、その姿に圧倒されました。少し窪地にあるため落雷の被害は全くなく、地面に這うような横木は強風による倒木を支えているようでした。そこから案内に従い島の主稜に沿う道を西に進むと横尾の辻(109m)に出ました。記帳ボックスのノートを拝見し私も書いた後、横尾に下がる道を選び、下山。「きんせんか」に戻ると風呂を沸かして入りました。夕方持ってきた釣り道具で餌のいらないさびき釣りを船着き場の防波堤で試みましたが、あたりが感じられず15分ほどで止めました。帰り道、女性の方から空豆の煮物の差し入れを受けました。翌日は小雨のため7:25発の船で帰ることにし、帰り支度をしていると、前日丘の上で会った女性が訪ねて来られ、どっさりとキンセンカとサヤエンドウを持ってきて下さり、波止場で見送りをして下さいました。
24〜25は福山の」弟宅に泊まり、25は弟に案内され、しまなみ街道の島々を訪れました。福山城を見たり美術館では伊藤若冲の絵も見ました。大人の休日倶楽部に入り、JRを利用した旅を楽しみ、26無事帰宅しました。
「ゲストハウスきんせんか」(予約:0875-83-5740)
4/21〜22 私の父母を偲ぶ会(16名参加)が福山市仙酔島で実施されました。会が終了後、私はTV朝日「人生の楽園」(楽園の案内人:西田敏行、菊池桃子)で2017.4.8に放映された香川県の瀬戸内海にある志々島に2泊しました。福山から岡山経由で瀬戸大橋を渡り坂出で乗り換え、途中善通寺、丸亀を通過。多度津では一番前の車両に移され、ワンマンカーとなり、詫間で降りる時は前の出口で切符を渡す方式でした。詫間から宮ノ下港に出て船に20分乗ると、志々島に到着しました。志々島 はかっては1000人を超す人が住んでいた花作りの盛んな島でしたが、現在、島で暮らす人は17人だけとなりました。そして行ってから気がついたのですが、この島は「男はつらいよ」(第46作 男はつらいよ「寅次郎の縁談」出演:渥美清、松阪慶子、吉岡秀隆、…)と「機関車先生」(出演:坂口憲二、堺正章、倍賞美津子、…)のロケ地でした。また前に妻と行った奄美大島の南の加計呂麻島(2014奄美大島の旅C )も「男はつらいよ」のロケ地であったことを思い出しました。(第48作 男はつらいよ「寅次郎紅の花」マドンナは浅丘ルリ子)
志々島行きの船(一日3便)に乗る前に宮ノ下港のコンビニで弁当、パン、カップ麺を購入しました。船が16:00に到着すると、下船する人は20人位いましたが、乗船する人は私一人でした。16:15発の船が志々島に到着すると、「人生の楽園」で紹介された素泊まりのみのゲストハウス「きんせんか」を管理されている女性が出迎えてくれました。宿泊施設まで案内し、施設の使い方(調理設備や風呂)の説明を受けました。荷物を置いて島を散策すると、カラフルな案山子とロケ地記念パネル、かってTVで放映された「花の職人たち」記念パネルが目にとまりました。そして海岸沿いに反時計方向に歩くと、いたると所に寝そべる猫に出迎えられ、小さな家を並べたようなお墓群があり、オレンジと赤の花のナスタタチュームが咲き、アニメが描かれた廃ブイが並べられた所がありました。道が終わり磯歩きが開始される所で反転、時計回りに横尾まで歩いたところで夕暮れが迫り帰途につきました。途中宮ノ浦の海岸近くでヤギが放牧されていました。
翌日は朝食後、県指定天然記念物の大楠と島の最高点(横尾の辻)を目指して散策を開始しました。道案内に従って行きましたが途中で道を間違え、島の東の丘(本村)に行くと、高齢の女性が腰掛けておられました。持っていた菓子を食べながらいろいろお話をしました。4年前にご主人が亡くなられましたが、販売目的でなく広大な畑にキンセンカを栽培されていて、見ているとオレンジの絨毯のよう、亡くなった妻はオレンジの花が大好きでフリージヤやヒマワリは特に気に入っていました。お話を聞いていると何か今後私が生きていくためのパワーをもらいました。大楠への道を尋ねると一旦下りて「きんせんか」横の道をそのまま上った方が良いことが分かりました。「きんせんか」横まで来ると男性の方に会い確認の意味で大楠への道を尋ねると、途中まで案内してくれました。城山南の峠から50m程下がると、樹齢1200年、樹高40m、根周り12.2mの大楠が現れ、その姿に圧倒されました。少し窪地にあるため落雷の被害は全くなく、地面に這うような横木は強風による倒木を支えているようでした。そこから案内に従い島の主稜に沿う道を西に進むと横尾の辻(109m)に出ました。記帳ボックスのノートを拝見し私も書いた後、横尾に下がる道を選び、下山。「きんせんか」に戻ると風呂を沸かして入りました。夕方持ってきた釣り道具で餌のいらないさびき釣りを船着き場の防波堤で試みましたが、あたりが感じられず15分ほどで止めました。帰り道、女性の方から空豆の煮物の差し入れを受けました。翌日は小雨のため7:25発の船で帰ることにし、帰り支度をしていると、前日丘の上で会った女性が訪ねて来られ、どっさりとキンセンカとサヤエンドウを持ってきて下さり、波止場で見送りをして下さいました。
24〜25は福山の」弟宅に泊まり、25は弟に案内され、しまなみ街道の島々を訪れました。福山城を見たり美術館では伊藤若冲の絵も見ました。大人の休日倶楽部に入り、JRを利用した旅を楽しみ、26無事帰宅しました。
toragorou88 at 14:56|Permalink│Comments(0)│
2013年06月23日
1305湯河原〜小田原の旅A
昨年は国民宿舎「箱根太陽山荘」で行われた旧職場のOB会を今年は5/12〜13にホテル「テルマーレ湯河原」で実施しました。 私は宿泊地への行きは湯河原駅の1つ手前駅(真鶴駅)で下車しホテルまで、そして帰りは途中の早川駅で下車して小田原駅までウォーキングしました。 今回はその時の記録を2回に分けて投稿いたします。
10:35 JR真鶴駅に降り立ち、駅を跨ぐような歩道橋を渡ると駅前が見渡せました。 真鶴中学校横の道を北進するとしだいに高度が増し、眼下に初島と伊豆半島が遠望されました。 11:23 ゆめ公園に到着。 この公園は1998.10.25〜27 に国体アーチェリー競技が行われ、施設には実施年月日・大会実行委員会会長と社団法人全日本アーチェリー連盟会長(海部俊樹)の名を記したプレートがありました。 競技が行われたグランド横の木陰下ベンチで持参したパンとポットの飲み物で昼食をとりました。
ゆめ公園から湯河原駅を目指して海側に下山、12:32 有料老人ホーム湯河原ゆうゆうの里 前に出ました。 見晴らしが良く大変立派な施設でしたが… 結構なお値段(一人入居:3078〜4396万円、二人入居:4306〜6438万円)でした。 すぐ側にはゆとろ嵯峨沢の湯 がありました。 湯河原駅を目ざすため地図で東海道線に沿って行こうと思っていた所、線路はトンネルで下を潜っていたため気づきませんでした。 また西側に新崎川が流れていて、これを渡る適当な橋がなかったため、吉浜小学校前から宗徳院に寄り、河口に近い吉浜橋を渡って湯河原の町中に入りました。 国道沿にあるエスポットモール湯河原店 を覗いた後JR湯河原駅に向かいましたが、後で地図を見るともっと近道があったことが分かりました。 13:31土肥實平公並婦人像のあるJR湯河原駅に到着しました。 土肥實平は相模の豪族中村氏の一族で現在の湯河原町と真鶴町を本拠としていた武将で源頼朝の挙兵(1180/8/17)に参加しました。 石橋山の戦い(8/23)では大敗した頼朝を真鶴から安房へ渡らせ(8/28)、その地で源氏は再挙し富士川の戦い(10/20)で平維盛軍に勝利しました。 その後は源義仲を討伐する宇治川の戦い(1184/1/20)に従軍し、一ノ谷(1184/3/20)・屋島(1185/3/22)・壇ノ浦(4/25)の戦いでは源義経と平家討伐で武功をたてました。 駅前通りの一角には湯河原温泉由来の碑がありました。
駅から西へ歩を進めると色々な花に囲まれたお茶とお菓子の店があり、近くにはブーゲンビリアも鮮やかに咲いていました。 13:50 東海道線のガードを潜るとすぐ近くにある五所神社に到着。 この神社は天智天皇の在位期間(668〜72年)にこの地方が開拓された時、総鎮守として天照大神以下五柱の神霊が鎮座されたと伝えられ、1180年には源頼朝が石橋山合戦進発の前夜社前において戦勝祈願の護摩をたいたといわれています。 石段下には楠が植えられ、竜口に柄杓を当てると水が出る装置があり、本殿横には対の狛犬が置かれていました。 楠は「神奈川名木百選」に選定されている樹齢:約600年、幹周:8.2m、樹高:36mの大楠で「神が宿る木なので手で触れてお力を頂きましょう」との立札がありました。 大楠の近くのベンチに腰を下ろしていると本殿の方から下りてくる人がいて、それが何と同宿する友人でした。 二人は大楠の幹に触れましたので1%としても6年寿命が延びたかも… パワーをいただきました。 宿泊ホテルテルマーレ湯河原はすぐ近くでこの後は次回に報告いたします。
toragorou88 at 17:04|Permalink│Comments(2)│