2006年07月
2006年07月31日
「市会議員」
暴力を振るった。盗みを働いた。サボった。セクハラに及んだ・・・・。
新聞の何処かに、何処かの市会議員さんの不祥事が出てくる。
新聞に出ないものでも、巷の噂で、それに近い話題が聞こえてくる。
そんな時、仲間のT君が“市議会行政改革特別委員会懇談会”に呼ばれて、10分間の時間を与えられた。
お前らの話を聞いてつかわすから、何かモノ申せとの、お達しらしい。
お題目は *議員定数について *選挙区について *議員報酬について の3点也。
そこでT君は、我々の頼母子講にその意見を求めてきた。
ありきたりな意見は省いて、少し変わったものを記す。
* 議員定数については
現在が30人、法定では26人だが、これを20人にする。
* 選挙区について
旧町から2人ずつの6人、旧村から1人ずつの4人と大選挙区から10人、計20人。
* 議員報酬について
岐阜市は倍以上の60万円だが、何がこうなるのか知りたい。
* 余分な議題として、頭初に書いた議員の資質について
市会議員に立候補するに当たって、予備試験を行う。
“教養”“一般常識”“モラル”等を柱にした試験に合格した人が、候補者になれる。
立派な人が、真摯に活動するなら、報酬を上げることに吝かではない。
* 市民から、建前上、話を聞いたというだけのポーズには、真剣に答える気がしない。
* 議員定数を減らすと、みんな、仲良し談合体質になる危険性がある。
* 夕張市を思うと、言ってること総てが甘いんじゃねぇのか。
* 10年先は人工が大幅に減少する。それを見込んで、今から減らすべきだ。
これには反論が来た。先細り論に合わせるとは何事か、そうならないように、英知を絞るのが、議員先生の力量と言うものではないか!・・・・・etc。
「酒の余勢で河内山」じゃないが、議論はエスカレートして、久々に活力のある頼母子講であった。
何時もは、やれ儲かった、損した、あれが美味い、外国はどうのと、成金趣味的かつ教養論より栄養話が主流だが、今回はまともであり、昔、町長選挙を戦った当時に戻った感じで楽しかった。
話題を提供したT君に敬礼する 寅次郎

新聞の何処かに、何処かの市会議員さんの不祥事が出てくる。
新聞に出ないものでも、巷の噂で、それに近い話題が聞こえてくる。
そんな時、仲間のT君が“市議会行政改革特別委員会懇談会”に呼ばれて、10分間の時間を与えられた。
お前らの話を聞いてつかわすから、何かモノ申せとの、お達しらしい。
お題目は *議員定数について *選挙区について *議員報酬について の3点也。
そこでT君は、我々の頼母子講にその意見を求めてきた。
ありきたりな意見は省いて、少し変わったものを記す。
* 議員定数については
現在が30人、法定では26人だが、これを20人にする。
* 選挙区について
旧町から2人ずつの6人、旧村から1人ずつの4人と大選挙区から10人、計20人。
* 議員報酬について
岐阜市は倍以上の60万円だが、何がこうなるのか知りたい。
* 余分な議題として、頭初に書いた議員の資質について
市会議員に立候補するに当たって、予備試験を行う。
“教養”“一般常識”“モラル”等を柱にした試験に合格した人が、候補者になれる。
立派な人が、真摯に活動するなら、報酬を上げることに吝かではない。
* 市民から、建前上、話を聞いたというだけのポーズには、真剣に答える気がしない。
* 議員定数を減らすと、みんな、仲良し談合体質になる危険性がある。
* 夕張市を思うと、言ってること総てが甘いんじゃねぇのか。
* 10年先は人工が大幅に減少する。それを見込んで、今から減らすべきだ。
これには反論が来た。先細り論に合わせるとは何事か、そうならないように、英知を絞るのが、議員先生の力量と言うものではないか!・・・・・etc。
「酒の余勢で河内山」じゃないが、議論はエスカレートして、久々に活力のある頼母子講であった。
何時もは、やれ儲かった、損した、あれが美味い、外国はどうのと、成金趣味的かつ教養論より栄養話が主流だが、今回はまともであり、昔、町長選挙を戦った当時に戻った感じで楽しかった。
話題を提供したT君に敬礼する 寅次郎

2006年07月29日
「高校野球」
筋書きのないドラマとはこの事か!
9回二死まで勝っていて、一球で逆転された、岐阜城北の尾藤投手。
悔やみ切れまい。終生この一球は残るだろう。良い方向に向けてほしい。
でも、今年春の選抜は楽しませてもらった。
我が白鳥中学校出身の尾藤投手が岐阜城北高校を準決勝まで引っ張った。
寅も準々決勝、準決勝と行き、雨の日も行った。
高校野球には思い出がある。
47年前、寅・岐阜工業高校3年の夏、岐工は高木守道のいる岐商を破り、多治見工業と、二日間に渡る延長再試合の死闘を演じた。
結果は、後に中日のエース格になった河村に負け、甲子園は夢と消えた。
あの二日間の青春は、今でも鮮明に脳裏にある。
白鳥から岐阜に働きに出てきている人達も、応援に来てくれた。
今年の城北高校を見ていると、昔の映像とダブってきて懐かしかった。
準決勝 横浜高校戦は力の差が歴然としていた。
その原因の一つは、横浜は野球留学生が9人中6人、岐阜は一人。
高校野球の人気の一つには、「郷土の栄誉・名誉にかけて」と言うのがあると思う。
小学校、中学校、高等学校とその県に学び、育った子供達ゆえに、身近に感じ、応援にも一段と力が入ると言うもではないのか?
大学は好きなところを選んでもよいと思うが、高校野球は各県、地域を代表して出て来て戦うのである。
他県からいくら優秀な選手が来て強くても、俺は応援する気にはなれない。
小泉流の格差拡大だ。
小泉ならば「それの何処が悪いか」と言うだろうが、所詮は銭で集めた選手だろう。
細かい理由はどうでもいい、生理的に俺はいやなのだ。
高野連の意見が聞きたい。
姑息な寅次郎

9回二死まで勝っていて、一球で逆転された、岐阜城北の尾藤投手。
悔やみ切れまい。終生この一球は残るだろう。良い方向に向けてほしい。
でも、今年春の選抜は楽しませてもらった。
我が白鳥中学校出身の尾藤投手が岐阜城北高校を準決勝まで引っ張った。
寅も準々決勝、準決勝と行き、雨の日も行った。
高校野球には思い出がある。
47年前、寅・岐阜工業高校3年の夏、岐工は高木守道のいる岐商を破り、多治見工業と、二日間に渡る延長再試合の死闘を演じた。
結果は、後に中日のエース格になった河村に負け、甲子園は夢と消えた。
あの二日間の青春は、今でも鮮明に脳裏にある。
白鳥から岐阜に働きに出てきている人達も、応援に来てくれた。
今年の城北高校を見ていると、昔の映像とダブってきて懐かしかった。
準決勝 横浜高校戦は力の差が歴然としていた。
その原因の一つは、横浜は野球留学生が9人中6人、岐阜は一人。
高校野球の人気の一つには、「郷土の栄誉・名誉にかけて」と言うのがあると思う。
小学校、中学校、高等学校とその県に学び、育った子供達ゆえに、身近に感じ、応援にも一段と力が入ると言うもではないのか?
大学は好きなところを選んでもよいと思うが、高校野球は各県、地域を代表して出て来て戦うのである。
他県からいくら優秀な選手が来て強くても、俺は応援する気にはなれない。
小泉流の格差拡大だ。
小泉ならば「それの何処が悪いか」と言うだろうが、所詮は銭で集めた選手だろう。
細かい理由はどうでもいい、生理的に俺はいやなのだ。
高野連の意見が聞きたい。
姑息な寅次郎

2006年07月27日
「決勝で敗退」
四国は遠かった
第一回ハイシニアソフトボール全国大会は10月に四国・徳島が開催予定地である。
その岐阜県予選で我が郡上白鳥シルバースターズは、決勝で宿敵 各務原クラブにやられて、全国大会の夢ははかなく消えた。
前週に強敵・岐阜クラブを破った勢いで、決勝も突破しようと、意気込んだが、意気込みが空転して、逆効果となってしまった。
各務原クラブは連合チームと聞いたが、チームプレーに徹していた。
ボールは絶対に振らない。
大振りをしないコンパクトなセンター返し。
それにバントを絡めた多彩な攻撃で攻めきった。
ソフトボールの基本に忠実であった。
対する我が方は、それとは全く逆で、なすすべもなかった。
新幹線で四国行きの切符を買いに、名古屋駅の窓口までは行けたが、お金を出すまでには至らず、四国は遥かに遠かった。
各務原クラブの四国での健闘を祈ります
阿波踊りがアワと消え、消沈の寅次郎


第一回ハイシニアソフトボール全国大会は10月に四国・徳島が開催予定地である。
その岐阜県予選で我が郡上白鳥シルバースターズは、決勝で宿敵 各務原クラブにやられて、全国大会の夢ははかなく消えた。
前週に強敵・岐阜クラブを破った勢いで、決勝も突破しようと、意気込んだが、意気込みが空転して、逆効果となってしまった。
各務原クラブは連合チームと聞いたが、チームプレーに徹していた。
ボールは絶対に振らない。
大振りをしないコンパクトなセンター返し。
それにバントを絡めた多彩な攻撃で攻めきった。
ソフトボールの基本に忠実であった。
対する我が方は、それとは全く逆で、なすすべもなかった。
新幹線で四国行きの切符を買いに、名古屋駅の窓口までは行けたが、お金を出すまでには至らず、四国は遥かに遠かった。
各務原クラブの四国での健闘を祈ります
阿波踊りがアワと消え、消沈の寅次郎
2006年07月25日
「踊り・シーズンin」
久々に浴衣を着た。
7月22日、旧白鳥役場前広場で、白鳥踊り発祥祭&白鳥食祭りが賑やかに開催された。
梅雨の合間でお天気も良く、食べ物、飲み物の店も沢山出て、楽しい夕涼みの一時であった。
顔見知りの人達も、こうした催しが無いと、なかなか出会えないものだと実感。
「オーオー、ヤーヤー」で、「まずは一杯やるか!」
焼きたてのイワナを頬ばりながら、生ビールをキューッと・・・・・・。
都会では味わえない、故郷に居ることの、素晴らしさ、有り難さが、これまた実感。
この日は、藤井孝男元運輸大臣の奥様「南七子」さんが、白鳥踊りを一度経験したいと、輪の中に入り、踊られました。
エネルギッシュな踊りに、汗だくになり、「少しはやせたかしら・・・・?」と、ビールにイワナを美味しそうに食しておられました。
リ・バウンド確実を保証!
「ななの会」のみなさんも沢山参加され、オリジナルな団扇が、ひときわ目を引きました。
小生も昨年、大相撲陸奥部屋とご縁が出来、浴衣地をいただき、今年始めて袖を通してみた。着ている本人は解りませんが、写真で見る“霧島”の文字は日本情緒・相撲情緒があるなー、と自己満足。
不景気で元気のない日本。
昔を思い出して、みんなが集まり、踊り出せば、しばしかも知れないが、多少の元気、そして、日本の良さ、故郷のありがたさが出てきますよー!
浴衣を着て日本人を再認識した 寅次郎

7月22日、旧白鳥役場前広場で、白鳥踊り発祥祭&白鳥食祭りが賑やかに開催された。
梅雨の合間でお天気も良く、食べ物、飲み物の店も沢山出て、楽しい夕涼みの一時であった。
顔見知りの人達も、こうした催しが無いと、なかなか出会えないものだと実感。
「オーオー、ヤーヤー」で、「まずは一杯やるか!」
焼きたてのイワナを頬ばりながら、生ビールをキューッと・・・・・・。
都会では味わえない、故郷に居ることの、素晴らしさ、有り難さが、これまた実感。
この日は、藤井孝男元運輸大臣の奥様「南七子」さんが、白鳥踊りを一度経験したいと、輪の中に入り、踊られました。
エネルギッシュな踊りに、汗だくになり、「少しはやせたかしら・・・・?」と、ビールにイワナを美味しそうに食しておられました。
リ・バウンド確実を保証!
「ななの会」のみなさんも沢山参加され、オリジナルな団扇が、ひときわ目を引きました。
小生も昨年、大相撲陸奥部屋とご縁が出来、浴衣地をいただき、今年始めて袖を通してみた。着ている本人は解りませんが、写真で見る“霧島”の文字は日本情緒・相撲情緒があるなー、と自己満足。
不景気で元気のない日本。
昔を思い出して、みんなが集まり、踊り出せば、しばしかも知れないが、多少の元気、そして、日本の良さ、故郷のありがたさが出てきますよー!
浴衣を着て日本人を再認識した 寅次郎
2006年07月23日
「自己中」
久しぶりに弟が来た。
新しい嫁さんと、長女とその長男と、臨月間近い第二子をお腹に抱えて、四人半で来た。
いきなり、「これがS子さんです、宜しくお願いします、とある女性を紹介した。
7月7日に入籍を済ませました。又、今月末に長女が第二子を出産します。
9月下旬には三女が結婚します。いろいろと宜しくお願いします」と立て続けに、である。
いきなりの一方的な話に、盆と正月が団体で来るようで、羨ましい限りでもあったが、
何とも理解できない部分が沢山あった。
少し間をおいて、
「ところで入籍の披露はするのか?」と問えば、
「そのつもりはない」との答え。
「きちんとしないと、彼女が可哀そうではないか?」と言いたかったが止めた。
様々な事で、2年半前に俺に話しに来たが、その時も事後報告だけで、相談ではなかった。
その時俺が、きつい事を言ったら、丸2年半、家には寄り付かなかった。
今回も相談ではない、自分の都合が悪くなるので、報告に来ただけの事である。
思えば、5年前の不幸から、かなりの時間も経過した。
相談に来れば、快く祝意を示そうと思っていたが、素直にそれは出来なかった。
俺のとってきた道は、さも正しかったのだと言わんばかりの、高飛車な報告だ。
聞く耳持たぬ者に、俺は「語らず」を決め込んで、あいづちのみで終えた。
前妻の一周忌法要の折、お寺様が言われた一節が、今も耳に残っている。
「今あげたお経の“仏説観無量寿経”は、ある物語であり、自己中心的な事を戒めたものである」と説法された。
それを覚えていれば、今回は、みんなで、お祝いを出来たのでは・・・・と悔やむ。
俺だけは自己中でないと錯覚している 寅次郎

新しい嫁さんと、長女とその長男と、臨月間近い第二子をお腹に抱えて、四人半で来た。
いきなり、「これがS子さんです、宜しくお願いします、とある女性を紹介した。
7月7日に入籍を済ませました。又、今月末に長女が第二子を出産します。
9月下旬には三女が結婚します。いろいろと宜しくお願いします」と立て続けに、である。
いきなりの一方的な話に、盆と正月が団体で来るようで、羨ましい限りでもあったが、
何とも理解できない部分が沢山あった。
少し間をおいて、
「ところで入籍の披露はするのか?」と問えば、
「そのつもりはない」との答え。
「きちんとしないと、彼女が可哀そうではないか?」と言いたかったが止めた。
様々な事で、2年半前に俺に話しに来たが、その時も事後報告だけで、相談ではなかった。
その時俺が、きつい事を言ったら、丸2年半、家には寄り付かなかった。
今回も相談ではない、自分の都合が悪くなるので、報告に来ただけの事である。
思えば、5年前の不幸から、かなりの時間も経過した。
相談に来れば、快く祝意を示そうと思っていたが、素直にそれは出来なかった。
俺のとってきた道は、さも正しかったのだと言わんばかりの、高飛車な報告だ。
聞く耳持たぬ者に、俺は「語らず」を決め込んで、あいづちのみで終えた。
前妻の一周忌法要の折、お寺様が言われた一節が、今も耳に残っている。
「今あげたお経の“仏説観無量寿経”は、ある物語であり、自己中心的な事を戒めたものである」と説法された。
それを覚えていれば、今回は、みんなで、お祝いを出来たのでは・・・・と悔やむ。
俺だけは自己中でないと錯覚している 寅次郎

2006年07月21日
「命のバトン」
ある法要にて
自分が生まれるのに、父と母で二人。
その父と母の両親で四人。その又両親で八人。その又両親で16人。
こうして数えてゆくと、10代前で、1,024人。
20代前では・・・・・何と100万人を越すのです。
過去果てしない無量の「命のバトン」を受け継いで、今ここに、自分の番を生きている。
それが、あなたの命です。
それが、私の命です。
何と、尊いものではありませんか、と住職は説いた。
少し考えてみた。
一世代を30年としてみると、10代で300年、20代前だと約600年(室町時代)前になり、自分の誕生までに、実に、1,048,576人の「命」を受け継いでいることになる。
「今ここにいる」事は、「かけがえのない命」「貴重な命」に思えてきた。
先祖に感謝をすると言う事は、「今、自分が存在する事」に感謝するのだろう。
子孫を残さないのは、連綿と続いてきた命を、そこで断ち切る事だ。
あってはならない事に思えてくる。
その法要の時、住職は次の事も言われた。
「若さ感」
老いをなげく老人に、私は言った。
「過ぎ去ったもの、失ったものを、嘆いても仕方がない。
私の残された人生の中では、今日が一番若い!、今が一番若い!
よし!頑張ろう!と、思うようにしております」と。
「あしーたがある!あしーたがある!・・・・・」
お斎の酒をたらふくよばれ感謝の一日だった 寅次郎

自分が生まれるのに、父と母で二人。
その父と母の両親で四人。その又両親で八人。その又両親で16人。
こうして数えてゆくと、10代前で、1,024人。
20代前では・・・・・何と100万人を越すのです。
過去果てしない無量の「命のバトン」を受け継いで、今ここに、自分の番を生きている。
それが、あなたの命です。
それが、私の命です。
何と、尊いものではありませんか、と住職は説いた。
少し考えてみた。
一世代を30年としてみると、10代で300年、20代前だと約600年(室町時代)前になり、自分の誕生までに、実に、1,048,576人の「命」を受け継いでいることになる。
「今ここにいる」事は、「かけがえのない命」「貴重な命」に思えてきた。
先祖に感謝をすると言う事は、「今、自分が存在する事」に感謝するのだろう。
子孫を残さないのは、連綿と続いてきた命を、そこで断ち切る事だ。
あってはならない事に思えてくる。
その法要の時、住職は次の事も言われた。
「若さ感」
老いをなげく老人に、私は言った。
「過ぎ去ったもの、失ったものを、嘆いても仕方がない。
私の残された人生の中では、今日が一番若い!、今が一番若い!
よし!頑張ろう!と、思うようにしております」と。
「あしーたがある!あしーたがある!・・・・・」
お斎の酒をたらふくよばれ感謝の一日だった 寅次郎

2006年07月19日
「60の手習い」
65歳以上のソフトボールをハイシニアクラスと言う。
その全国大会の県予選が行われ、我が郡上白鳥シルバースターズも参加した。
第一戦は因縁浅からぬ宿敵「岐阜クラブ」。
このチームは自他共に許す優勝候補だ。
陰では、「白鳥をコールドで下して、兄弟チームの各務原クラブと優勝を争うのだ」と勝手にささやいている風聞が、伝わってきた。
そう言われても仕方がない程、チーム力に差はあるやに思われてきた。
がしかしだ、6年前ねんりんピック岐阜県予選で、誰もが、岐阜クラブの優勝を信じて疑わなかった時、白鳥シルバースターズは決勝で何と、6:0で岐阜クラブを完封したのだ。
“夢よ今一度”と密かに念じて戦いは始まった。
先頭打者、寅次郎はいきなり三球三振!前途に暗いものを感じた。
それでも、2回表に連続二塁打で1点を先行。
3回表に寅が出塁、悪送球で2塁へ。次の送りバンドがフィルダーチョイスで一・三塁。
竹下のライト前で2点目!6年前の再現か!
・・・・・明るさが見えてきた。
相手も再三 塁に出る。そして手堅く送りバントをしてくるが、我が鉄壁の内野陣は、これをことごとくフォースアウトに屠り、進塁を許さない。
結局、これが相手に点を許さない結果となり、相手ホームランの一点のみに抑え込んで、2:1で勝ってしまった。
このフォースプレーは、毎年行く、山梨県石和の全国大会で経験し、それを練習して、身につけてきたものだ。
「この歳になって、そんなの出来ないよ!」と言う声も出たが、「同じ歳で、鮮やかにやっているチームがあるではないか、やろう!」と練習を重ねた。
名手、島尻三塁手が沈着冷静に相手バントを処理し、相手の攻撃を食い止めた。見事だ!
投手陣が弱体と言われる中で、古参エース井上は、丁寧に、バックを信じて投げきった。これまた天晴れである。
そして全員が守りきった、守りの勝利だった!
やれば出来る!そして出来た!
久々に味わう感動であった!
介護保険に頼っていては、この感動はないと言う 寅次郎

その全国大会の県予選が行われ、我が郡上白鳥シルバースターズも参加した。
第一戦は因縁浅からぬ宿敵「岐阜クラブ」。
このチームは自他共に許す優勝候補だ。
陰では、「白鳥をコールドで下して、兄弟チームの各務原クラブと優勝を争うのだ」と勝手にささやいている風聞が、伝わってきた。
そう言われても仕方がない程、チーム力に差はあるやに思われてきた。
がしかしだ、6年前ねんりんピック岐阜県予選で、誰もが、岐阜クラブの優勝を信じて疑わなかった時、白鳥シルバースターズは決勝で何と、6:0で岐阜クラブを完封したのだ。
“夢よ今一度”と密かに念じて戦いは始まった。
先頭打者、寅次郎はいきなり三球三振!前途に暗いものを感じた。
それでも、2回表に連続二塁打で1点を先行。
3回表に寅が出塁、悪送球で2塁へ。次の送りバンドがフィルダーチョイスで一・三塁。
竹下のライト前で2点目!6年前の再現か!
・・・・・明るさが見えてきた。
相手も再三 塁に出る。そして手堅く送りバントをしてくるが、我が鉄壁の内野陣は、これをことごとくフォースアウトに屠り、進塁を許さない。
結局、これが相手に点を許さない結果となり、相手ホームランの一点のみに抑え込んで、2:1で勝ってしまった。
このフォースプレーは、毎年行く、山梨県石和の全国大会で経験し、それを練習して、身につけてきたものだ。
「この歳になって、そんなの出来ないよ!」と言う声も出たが、「同じ歳で、鮮やかにやっているチームがあるではないか、やろう!」と練習を重ねた。
名手、島尻三塁手が沈着冷静に相手バントを処理し、相手の攻撃を食い止めた。見事だ!
投手陣が弱体と言われる中で、古参エース井上は、丁寧に、バックを信じて投げきった。これまた天晴れである。
そして全員が守りきった、守りの勝利だった!
やれば出来る!そして出来た!
久々に味わう感動であった!
介護保険に頼っていては、この感動はないと言う 寅次郎

2006年07月17日
「メッセ」
「メッセ」(MESSE)
灼熱の岐阜へ行って来た。
「IT CITY MESSE in GIFU」 と 「河川環境メッセin岐阜」を見に、である。
最近やたらとメッセばやりだが、「MESSE」とはドイツ語で「見本市」との事。
表題の前者は、英語+ドイツ語。
後者は、日本語+ドイツ語+英語での表現である。
こう言うのも、国際化と言うのだろうか?田舎者の日本人としては淋しい・・・・。
昨年は一人で行ったが、今年は4人で行った。
IT関係は知りたい事が沢山有りながら、専門知識が今一の自分は、弱冠、及び腰になる。
それでも、トンチンカンな質問を繰り返しながら、相手を困らせ、最後は記念品をGetしてくる。
時と場所によって、目的が簡単に変わる自分が解らない・・・・?
建設関係のIT展示ブースは、閑古鳥状態。
原因は仕事がない。それとある程度、理解され、行き渡った感がする事の二点だろう。
今までの建設関係のITは、今やっている仕事をIT化してきたが、やることが少なくなった今、ITにより、次なる仕事を作り出す方向に向かえないだろうか?
河川環境メッセの方は、新しい製品、仕事を作り出す方向に気持ちは向いていた。
しかし、これとて、フルモデルチェンジではなく、せいぜいマイナーチェンジ程度で、画期的なものはなく、これを生業の基にするものは見あたらなかった。
でも、いろいろと、楽しいヒントは沢山あった。
みんなも、方向転換を模索しながら、あれこれ考えているんだなー・・・が、実感。
工事が無く、暇なのか、作業服の技術屋さん風の姿が一段と多く見られたのは気のせいか?
自分もその中の一人だと、気が付かない 寅次郎

灼熱の岐阜へ行って来た。
「IT CITY MESSE in GIFU」 と 「河川環境メッセin岐阜」を見に、である。
最近やたらとメッセばやりだが、「MESSE」とはドイツ語で「見本市」との事。
表題の前者は、英語+ドイツ語。
後者は、日本語+ドイツ語+英語での表現である。
こう言うのも、国際化と言うのだろうか?田舎者の日本人としては淋しい・・・・。
昨年は一人で行ったが、今年は4人で行った。
IT関係は知りたい事が沢山有りながら、専門知識が今一の自分は、弱冠、及び腰になる。
それでも、トンチンカンな質問を繰り返しながら、相手を困らせ、最後は記念品をGetしてくる。
時と場所によって、目的が簡単に変わる自分が解らない・・・・?
建設関係のIT展示ブースは、閑古鳥状態。
原因は仕事がない。それとある程度、理解され、行き渡った感がする事の二点だろう。
今までの建設関係のITは、今やっている仕事をIT化してきたが、やることが少なくなった今、ITにより、次なる仕事を作り出す方向に向かえないだろうか?
河川環境メッセの方は、新しい製品、仕事を作り出す方向に気持ちは向いていた。
しかし、これとて、フルモデルチェンジではなく、せいぜいマイナーチェンジ程度で、画期的なものはなく、これを生業の基にするものは見あたらなかった。
でも、いろいろと、楽しいヒントは沢山あった。
みんなも、方向転換を模索しながら、あれこれ考えているんだなー・・・が、実感。
工事が無く、暇なのか、作業服の技術屋さん風の姿が一段と多く見られたのは気のせいか?
自分もその中の一人だと、気が付かない 寅次郎

2006年07月14日
「孫のおもちゃ」
今年の八月で3歳になる。
バースデープレゼントに女房は、いきなり自転車を買ってきた。
後ろを親に支えてもらい、ハンドルを動かしている。
まだ、自分で漕いで動くことは出来ない。
うれしそうではあるが、何となく戸惑いみたいなものも、その表情にうかがえる。
転倒防止は付いてはいるが、自転車は少し早いかな?と言う感じだ。
思えば、ジジ・ババが或は親が、あれこれと、おもちゃを買ってきて、与えている。
飽きてくると、次の新しいもの、更に次なるものと・・・・・。
いろいろと新しいものを与えられ、その時、その時は子供も興味を示すが、必ずしも全部が全部に、続けて興味を示している訳ではない。
今迄、買い与えた中で、一番長く、今でも持ち歩くものに、小さな土の掘削機(ユンボー)がある。外に持ち出せば、土を掘ったり、あけたり・・・・同じ事を飽きもせず、繰り返し、繰り返して遊んでいる。他のものはすぐに飽きてしまうが、これだけは違う。
機械の各部分が、それなりに動くし、土と言う形の変化するものに面白みを感じるのだろうか?ちなみにこのユンボーは¥900位であった。
我々の頃は、何もなかった。
自然の草木、草花相手に棒切れを振り回していた記憶がかすかにある。
今はまさに飽食。過剰である。
この頃、ふと考える。
孫は求めもしないのに、どんどん一方的に、与えられている。
知恵をつける為、発達を促すならば、それも一理かもしれないが、何か危うさを感じる。
雨上がりの夕方、小さな長靴を履かせて、お手てつないで散歩に出かけた。
途中で、孫は、水溜りを見つけて、手を振り解き、そこへ恐る恐る入っていった。
見ていたら、長靴が半分程の深さと解ると、そこで跳ねだした。
水が飛び散るのが楽しいらしく、動きはだんだん激しくなる。
嬉々としている。
長靴の中は、水で一杯、半ズボンも大半はびしょ濡れ。
いっこうに構わない。止めると、水の中を走って逃げ回る。
孫としては、未経験の世界、新しい世界なのであろう。天真爛漫!
この嬉しそうな表情は、おもちゃで遊ぶときの比ではない、と感じた。
ずぶ濡れになった姿で帰ってきても、親は怒ってはいけない。
ましてや、同伴者の俺をにらむ等、お門違いもはなはだしいと言うもんだ。
孫に教えられる 寅次郎

バースデープレゼントに女房は、いきなり自転車を買ってきた。
後ろを親に支えてもらい、ハンドルを動かしている。
まだ、自分で漕いで動くことは出来ない。
うれしそうではあるが、何となく戸惑いみたいなものも、その表情にうかがえる。
転倒防止は付いてはいるが、自転車は少し早いかな?と言う感じだ。
思えば、ジジ・ババが或は親が、あれこれと、おもちゃを買ってきて、与えている。
飽きてくると、次の新しいもの、更に次なるものと・・・・・。
いろいろと新しいものを与えられ、その時、その時は子供も興味を示すが、必ずしも全部が全部に、続けて興味を示している訳ではない。
今迄、買い与えた中で、一番長く、今でも持ち歩くものに、小さな土の掘削機(ユンボー)がある。外に持ち出せば、土を掘ったり、あけたり・・・・同じ事を飽きもせず、繰り返し、繰り返して遊んでいる。他のものはすぐに飽きてしまうが、これだけは違う。
機械の各部分が、それなりに動くし、土と言う形の変化するものに面白みを感じるのだろうか?ちなみにこのユンボーは¥900位であった。
我々の頃は、何もなかった。
自然の草木、草花相手に棒切れを振り回していた記憶がかすかにある。
今はまさに飽食。過剰である。
この頃、ふと考える。
孫は求めもしないのに、どんどん一方的に、与えられている。
知恵をつける為、発達を促すならば、それも一理かもしれないが、何か危うさを感じる。
雨上がりの夕方、小さな長靴を履かせて、お手てつないで散歩に出かけた。
途中で、孫は、水溜りを見つけて、手を振り解き、そこへ恐る恐る入っていった。
見ていたら、長靴が半分程の深さと解ると、そこで跳ねだした。
水が飛び散るのが楽しいらしく、動きはだんだん激しくなる。
嬉々としている。
長靴の中は、水で一杯、半ズボンも大半はびしょ濡れ。
いっこうに構わない。止めると、水の中を走って逃げ回る。
孫としては、未経験の世界、新しい世界なのであろう。天真爛漫!
この嬉しそうな表情は、おもちゃで遊ぶときの比ではない、と感じた。
ずぶ濡れになった姿で帰ってきても、親は怒ってはいけない。
ましてや、同伴者の俺をにらむ等、お門違いもはなはだしいと言うもんだ。
孫に教えられる 寅次郎
2006年07月12日
「決断」
小雨が降っている。
日曜日、午前5時半、トイレに起きて外を見れば、細い雨が降っている。
今日は、岐阜県シニアソフトボール連盟のリーグ戦が白鳥で開催される。
昨日の夕方から、グランドを整備、ラインも引き準備は万全であった。
午前6時にグランドに幹部が集まり、開催するか、止めるかの決定をしなければならない。
グランドコンデションは、今は大丈夫だが、これ以上降り続くと駄目になる。
西の空は心持ち雲も切れて、明るいが、東の空は暗い。
雲は北上を続けている。
幹部は6人居たが、大半は、無理だ、「止めよう!」と言う。
止めるのは簡単だ、しかし、ソフトの好きな連中が12チーム約200人弱が、やる気で待っているのだ。
空も少しは明るい。予報もそれ程悪くはない。今現在、出来るのである。
「やろー!」と主張した。駄目だったら、謝ろう!・・・で渋々開催となった。
続々選手は集まってきた。「おーこれなら出来る!」の声・声・声・・・にやや安堵。
定刻、9時に試合開始。今日の予定は全チーム二試合。
ところが、二試合目目が始まってまもなく、降り出して来た。
中断・・・・待機・・・・グランドに水が浮き出した。
15分位待って、中止を決定した。その15分位後に、雨は止んだ。
後は降らなかったが、グランドはぬかるみだ。
何か、いじめにあったような感じで、後味が悪かった。
でも、選手達は、「一試合でも出来てよかったよ」と言ってくれた事に、ホッとした。
誰かが「決断」しなければならなし、悪ければ誰かが「責任」を感じなければならない。
みんなの声を聞いている余裕などはない。
悪かったときの「責任」を押し付けられる事を、恐れていてはいけない。
みんなの思いを感じ取って、「決断」はするものだろうと思った。
今日の決断に100点を付けた 寅次郎

日曜日、午前5時半、トイレに起きて外を見れば、細い雨が降っている。
今日は、岐阜県シニアソフトボール連盟のリーグ戦が白鳥で開催される。
昨日の夕方から、グランドを整備、ラインも引き準備は万全であった。
午前6時にグランドに幹部が集まり、開催するか、止めるかの決定をしなければならない。
グランドコンデションは、今は大丈夫だが、これ以上降り続くと駄目になる。
西の空は心持ち雲も切れて、明るいが、東の空は暗い。
雲は北上を続けている。
幹部は6人居たが、大半は、無理だ、「止めよう!」と言う。
止めるのは簡単だ、しかし、ソフトの好きな連中が12チーム約200人弱が、やる気で待っているのだ。
空も少しは明るい。予報もそれ程悪くはない。今現在、出来るのである。
「やろー!」と主張した。駄目だったら、謝ろう!・・・で渋々開催となった。
続々選手は集まってきた。「おーこれなら出来る!」の声・声・声・・・にやや安堵。
定刻、9時に試合開始。今日の予定は全チーム二試合。
ところが、二試合目目が始まってまもなく、降り出して来た。
中断・・・・待機・・・・グランドに水が浮き出した。
15分位待って、中止を決定した。その15分位後に、雨は止んだ。
後は降らなかったが、グランドはぬかるみだ。
何か、いじめにあったような感じで、後味が悪かった。
でも、選手達は、「一試合でも出来てよかったよ」と言ってくれた事に、ホッとした。
誰かが「決断」しなければならなし、悪ければ誰かが「責任」を感じなければならない。
みんなの声を聞いている余裕などはない。
悪かったときの「責任」を押し付けられる事を、恐れていてはいけない。
みんなの思いを感じ取って、「決断」はするものだろうと思った。
今日の決断に100点を付けた 寅次郎
2006年07月10日
岐阜空襲
61年前、5歳の時、布団をかぶって、梅林公園の裏山へ逃げ込んだ。
1945年(昭和20年)7月9日 午後11時過ぎ、熊野灘当たりから侵入してきた、アメリカ爆撃機 B−29は岐阜を襲撃。午後11時過ぎ、135機のB29は、琵琶湖上で方向を変え、関ヶ原を通り岐阜市へ侵入。一夜にして、岐阜を廃墟と化した。
この空襲による被害は、死者は約900人、負傷者約1200人、焼けた家約2万戸(約50%)、住む家を失った人は約10万人で市民の約60%。たった一夜の出来事だった。
小生は父母と弟、四人で岐阜市竜田町に住んでいた。
弟は岐阜空襲3ヶ月前に、病死した。
栄養失調が病を重くした様である。
ラジオで、大本営発表!大本営発表!
本日、我が帝国海軍は南方海上において、敵軍艦を撃沈せり、・・・。とラジオ放送を、流暢に真似ていた、微かな記憶がある。
それまで岐阜には、たびたび空襲警報が鳴り響き、その都度、逃げる準備をした。
しかし、実際に空襲はなく、この夜も又、空騒ぎだろうと、お袋は逃げる段取りはしなかった。
だが、今夜は間違いなく敵機は来襲する、逃げないと間違いなく死ぬ、と町内会長に言われ、慌てて準備して逃げた。
その時、真夜中で、布団をかぶって逃げるのだけれど、白い敷布は敵機に発見されるから剥いでしまえ言われ、剥いだ布団を母子でかぶり、同じような格好をした近所の人達と手を繋いで、梅林公園の裏山に逃げ込み、少し平らなところに、かぶってきた布団を敷き、座り込んで、燃える岐阜市街を見下ろしていた。
一晩まんじりともせず、やがて東の空が明ける頃、ようやく空襲警報「解除」のサイレンが鳴った。
食べるものもなく、のろのろと山を下り、自分の家を探して歩いた。
総てが焼けてしまっているので、どこが自分の家か見当がつかないのだ。
ところが、我が住家は玄関を入ったところに、畳が子供の背丈ほど積んであったのだ。
それが、積まれたままの形で、灰の状態で残っていたのだ。
これを見て、これが我が住家の玄関だと親たちが話して、途方に暮れていたのを思い出す。
防空壕に逃げ込んだ人は、大半が死んでいた。
沢山の死体を見たが、何故か恐怖心は無かった。
総てが無くなったが、我々親子は幸運にも、生きている。
それだけで十分だったのかも知れない。
その時に、政治が悪い、アメリカが憎い等という感情は、大人達にも無かったのではないか。突然突きつけられた現状を、認識するしかなく、この先、如何に生きるかで、頭は一杯でなかっただろうか。
それから先、我々親子三人は、知人宅を泊まり歩きながら、父母の故郷・郡上白鳥に舞い戻ったのである。
本当に何もない、貧乏のどん底からのスタートだったようだ。
その後、弟も3人と増え、貧しいながらも、元気に生きてきたのだ。
様々な思いが去来するが、微かな戦争体験を風化させたくない思いで、ブログにその一部を残しておきたいと、綴ってみた。
(ネットで探していたら、「岐阜空襲のあらまし」と言うのがありました)
戦争を忘れない為にも是非、下記のアドレスを参照してみてください。
http://www1.ocn.ne.jp/~yosisi/newpage7.htm
丸物(旧近鉄)百貨店から
長良橋通りを北へ望む
1945年(昭和20年)7月9日 午後11時過ぎ、熊野灘当たりから侵入してきた、アメリカ爆撃機 B−29は岐阜を襲撃。午後11時過ぎ、135機のB29は、琵琶湖上で方向を変え、関ヶ原を通り岐阜市へ侵入。一夜にして、岐阜を廃墟と化した。
この空襲による被害は、死者は約900人、負傷者約1200人、焼けた家約2万戸(約50%)、住む家を失った人は約10万人で市民の約60%。たった一夜の出来事だった。
小生は父母と弟、四人で岐阜市竜田町に住んでいた。
弟は岐阜空襲3ヶ月前に、病死した。
栄養失調が病を重くした様である。
ラジオで、大本営発表!大本営発表!
本日、我が帝国海軍は南方海上において、敵軍艦を撃沈せり、・・・。とラジオ放送を、流暢に真似ていた、微かな記憶がある。
それまで岐阜には、たびたび空襲警報が鳴り響き、その都度、逃げる準備をした。
しかし、実際に空襲はなく、この夜も又、空騒ぎだろうと、お袋は逃げる段取りはしなかった。
だが、今夜は間違いなく敵機は来襲する、逃げないと間違いなく死ぬ、と町内会長に言われ、慌てて準備して逃げた。
その時、真夜中で、布団をかぶって逃げるのだけれど、白い敷布は敵機に発見されるから剥いでしまえ言われ、剥いだ布団を母子でかぶり、同じような格好をした近所の人達と手を繋いで、梅林公園の裏山に逃げ込み、少し平らなところに、かぶってきた布団を敷き、座り込んで、燃える岐阜市街を見下ろしていた。
一晩まんじりともせず、やがて東の空が明ける頃、ようやく空襲警報「解除」のサイレンが鳴った。
食べるものもなく、のろのろと山を下り、自分の家を探して歩いた。
総てが焼けてしまっているので、どこが自分の家か見当がつかないのだ。
ところが、我が住家は玄関を入ったところに、畳が子供の背丈ほど積んであったのだ。
それが、積まれたままの形で、灰の状態で残っていたのだ。
これを見て、これが我が住家の玄関だと親たちが話して、途方に暮れていたのを思い出す。
防空壕に逃げ込んだ人は、大半が死んでいた。
沢山の死体を見たが、何故か恐怖心は無かった。
総てが無くなったが、我々親子は幸運にも、生きている。
それだけで十分だったのかも知れない。
その時に、政治が悪い、アメリカが憎い等という感情は、大人達にも無かったのではないか。突然突きつけられた現状を、認識するしかなく、この先、如何に生きるかで、頭は一杯でなかっただろうか。
それから先、我々親子三人は、知人宅を泊まり歩きながら、父母の故郷・郡上白鳥に舞い戻ったのである。
本当に何もない、貧乏のどん底からのスタートだったようだ。
その後、弟も3人と増え、貧しいながらも、元気に生きてきたのだ。
様々な思いが去来するが、微かな戦争体験を風化させたくない思いで、ブログにその一部を残しておきたいと、綴ってみた。
(ネットで探していたら、「岐阜空襲のあらまし」と言うのがありました)
戦争を忘れない為にも是非、下記のアドレスを参照してみてください。
http://www1.ocn.ne.jp/~yosisi/newpage7.htm

丸物(旧近鉄)百貨店から
長良橋通りを北へ望む
2006年07月08日
「きっぱずけ」
岐阜県は郡上地方の方言。
「さしあたり」「後の事はさておいて・・・とりあえず」の意。
今年に入り、知人が親しい者だけのゴルフコンペを始めた。
その会の名前を、きっぱずけ「きっぱずけ」にしたのである。
怪我以来、100が切れなくなったと、嘆く俺を哀れんだのか、お声がかかってきた。
首謀者はシングルクラスの人なので、少し教えを請おうかと、何時になく謙虚に入った。
この7月で4回目位になろうか、当初は4組位だったが、今回は8組と倍になった。
その中に、元町長N君がいる。腕前はなかなか100が切れないクラス。
上達を阻んでいる原因は「頑固者で、人の教えに耳を貸さない」ところは衆目の一致。
過去のプライドが許さないらしい。悲しい性とでも言おうか。
これが消えない限り「100」は未来永劫切れないことは、経験上、この寅が保証する。
今回のコンペ懇親会は、彼の家の庭でバーベキューとかで、初めてお邪魔した。
家の前に倉庫が並んでいる。その倉庫を覆うように、何故かネットが張ってある。
ここは人里離れた一軒家だ。周りの目を気にすることなく、過去のプライドもかなぐり捨てて、ひたすら、ネットに球をぶっつけているのだろうか?
そう言えば、このバーベキュー用に、屋外ライトが庭木に設置してあったが、これも反対に向ければ、ネットの方に向く。
夜な夜な、黙々と汗を流しているのだろうか?・・・・・・我流で?
近くに、プロゴルファーの弟がいる。教えに行ってやれよ!内緒で。
懇親宴会は続いていたが、乱れてはいかんと、早めに辞してきた。
別れ際に彼は「又、動き出したのでよろしく」と謎めいた言葉。
この「きっぱずけ」が回を追う事に人数が増えてゆくのは、目的がそこにあるのか?
来年の選挙?
当然と言えば当然か。勝てるのかなー?・・・・・・・ゴルフじゃないよ。
それの、とっかかりの一つとして、きっぱずけ、「きっぱずけ」から始めたのか?
きっぱずけ「きっぱずけ」から始めたが、何時までも「きっぱずけ」がきっぱずけで終わらないように、きっぱずけ、何をするか、きっぱずけ考えるのも、「きっぱずけ」の役目?
(翻訳出来ますか?これは「きっぱずけ」の正しい表現使用法?です。形容詞と名詞の多段活用と言う方法で、特に、青森地方で多く使用されております。・・・・深く考えないで。)
俺もこんな言葉遊びやってる程、暇じゃねぇんだ。
ゴルフの練習をやらなきゃ、彼と一緒の「100叩きの選手」になってしまう。
100以上、もう叩かないと 百八つ(ひゃくやっつ) 寅次郎

「フォアー」
「OB?」
いいフォームだがなー
「さしあたり」「後の事はさておいて・・・とりあえず」の意。
今年に入り、知人が親しい者だけのゴルフコンペを始めた。
その会の名前を、きっぱずけ「きっぱずけ」にしたのである。
怪我以来、100が切れなくなったと、嘆く俺を哀れんだのか、お声がかかってきた。
首謀者はシングルクラスの人なので、少し教えを請おうかと、何時になく謙虚に入った。
この7月で4回目位になろうか、当初は4組位だったが、今回は8組と倍になった。
その中に、元町長N君がいる。腕前はなかなか100が切れないクラス。
上達を阻んでいる原因は「頑固者で、人の教えに耳を貸さない」ところは衆目の一致。
過去のプライドが許さないらしい。悲しい性とでも言おうか。
これが消えない限り「100」は未来永劫切れないことは、経験上、この寅が保証する。
今回のコンペ懇親会は、彼の家の庭でバーベキューとかで、初めてお邪魔した。
家の前に倉庫が並んでいる。その倉庫を覆うように、何故かネットが張ってある。
ここは人里離れた一軒家だ。周りの目を気にすることなく、過去のプライドもかなぐり捨てて、ひたすら、ネットに球をぶっつけているのだろうか?
そう言えば、このバーベキュー用に、屋外ライトが庭木に設置してあったが、これも反対に向ければ、ネットの方に向く。
夜な夜な、黙々と汗を流しているのだろうか?・・・・・・我流で?
近くに、プロゴルファーの弟がいる。教えに行ってやれよ!内緒で。
懇親宴会は続いていたが、乱れてはいかんと、早めに辞してきた。
別れ際に彼は「又、動き出したのでよろしく」と謎めいた言葉。
この「きっぱずけ」が回を追う事に人数が増えてゆくのは、目的がそこにあるのか?
来年の選挙?
当然と言えば当然か。勝てるのかなー?・・・・・・・ゴルフじゃないよ。
それの、とっかかりの一つとして、きっぱずけ、「きっぱずけ」から始めたのか?
きっぱずけ「きっぱずけ」から始めたが、何時までも「きっぱずけ」がきっぱずけで終わらないように、きっぱずけ、何をするか、きっぱずけ考えるのも、「きっぱずけ」の役目?
(翻訳出来ますか?これは「きっぱずけ」の正しい表現使用法?です。形容詞と名詞の多段活用と言う方法で、特に、青森地方で多く使用されております。・・・・深く考えないで。)
俺もこんな言葉遊びやってる程、暇じゃねぇんだ。
ゴルフの練習をやらなきゃ、彼と一緒の「100叩きの選手」になってしまう。
100以上、もう叩かないと 百八つ(ひゃくやっつ) 寅次郎

「フォアー」
「OB?」
いいフォームだがなー
2006年07月06日
「冷戦」
アメリカとソ連の話ではない。
日本の岐阜県の郡上市の白鳥町の我が家の山ノ神との、些細なおはなし。
夕食を前にしての事である。
山の神「ゴルフコンペの案内を何通出したの?」
寅「30通、全員に出した」
山ノ神「AさんとYさんにも出したの?」
寅「出した」
山の神「あの二人は、先月で、この会を辞めると言ってたでしょ!」
寅「聞いてねぇなぁ」
山の神「全く、人の話を、ろくに聞いてイナ居んだから、先月言ったはずよ!」
ここで会話は途切れた。
思い起こせば、辞める話を、かすかに聞いたような覚えもある。
だが、「そうだったなぁ」とは素直に言えないのである。何故だろう?
女が、こうゆう物言いをし始めたら、御終いだね。
じゃ、何て言えばいいのか?って。
山ノ神「お父さんも元気そうだけど、忙しすぎるのねぇ、あまり早く
ボケないでよ私が遊べなくなるから」
寅「何言ってやがるんだ、ボケるのは、テメェが先だ」
山ノ神「冗談よっ!」
この後なら、「そう言えば、辞めるような事を言ってたなぁ」と会話は続くのだが・・・。
他の例でも多々ある。
寅「インターネットで茶々を大々的に売り出そう!」と言えば
山ノ神「そんな事言ったって駄目よ、誰も見ないわよ」と、のっけに、否定してくる。
これでは、やはり会話は途切れるのだ。
途切れなければ喧嘩になるのだ。喧嘩を売ってるみたいなものだ。
山ノ神「そうねぇ、やってみても面白いかもね、でも見る人はどれくらいいるのかね?」
こう来れば、話は続くだろう。
会話とは、まず相手の話をよく聞いて一旦認める、その後で、自分の思いがあれば、それを穏やかに言う事ではなかろうか、ましてや女は。
相手の失敗を、これ見よがしに突いてくる。
考えを、いきなり否定してかかる。
元気あって良いかも知れない、しかし、その後に残るものは空虚と沈黙だ。
私が正しいのよ、と勝ち誇ったような会話には、
毒はあっても愛はない。
無教養者に黙秘する 寅次郎

日本の岐阜県の郡上市の白鳥町の我が家の山ノ神との、些細なおはなし。
夕食を前にしての事である。
山の神「ゴルフコンペの案内を何通出したの?」
寅「30通、全員に出した」
山ノ神「AさんとYさんにも出したの?」
寅「出した」
山の神「あの二人は、先月で、この会を辞めると言ってたでしょ!」
寅「聞いてねぇなぁ」
山の神「全く、人の話を、ろくに聞いてイナ居んだから、先月言ったはずよ!」
ここで会話は途切れた。
思い起こせば、辞める話を、かすかに聞いたような覚えもある。
だが、「そうだったなぁ」とは素直に言えないのである。何故だろう?
女が、こうゆう物言いをし始めたら、御終いだね。
じゃ、何て言えばいいのか?って。
山ノ神「お父さんも元気そうだけど、忙しすぎるのねぇ、あまり早く
ボケないでよ私が遊べなくなるから」
寅「何言ってやがるんだ、ボケるのは、テメェが先だ」
山ノ神「冗談よっ!」
この後なら、「そう言えば、辞めるような事を言ってたなぁ」と会話は続くのだが・・・。
他の例でも多々ある。
寅「インターネットで茶々を大々的に売り出そう!」と言えば
山ノ神「そんな事言ったって駄目よ、誰も見ないわよ」と、のっけに、否定してくる。
これでは、やはり会話は途切れるのだ。
途切れなければ喧嘩になるのだ。喧嘩を売ってるみたいなものだ。
山ノ神「そうねぇ、やってみても面白いかもね、でも見る人はどれくらいいるのかね?」
こう来れば、話は続くだろう。
会話とは、まず相手の話をよく聞いて一旦認める、その後で、自分の思いがあれば、それを穏やかに言う事ではなかろうか、ましてや女は。
相手の失敗を、これ見よがしに突いてくる。
考えを、いきなり否定してかかる。
元気あって良いかも知れない、しかし、その後に残るものは空虚と沈黙だ。
私が正しいのよ、と勝ち誇ったような会話には、
毒はあっても愛はない。
無教養者に黙秘する 寅次郎

2006年07月04日
「二割弱」
俺のソフトボールでの打率の事ではない。
母校(岐阜工業高校)土木科同級生のゴルフコンペを一泊泊まりで、
三重県の安いところでやるから出て来い、と言う指令が来て出かけた。
交通費などを考えると、三重県ではどう考えても安くは上がらない。
しかし、久々に旧友と一献傾けられるのに大いなる魅力を感じ、遠路を走った。
そこに集まったのは二組の8人。
当時の土木科は全員で49名であった。この8人が、二割弱なのだ。
まだ他にも何人かはゴルフをやる者がいるようだが、全部でも二割強に過ぎない。
健康と時間等に多少恵まれた者が二割と判断してもいいのかな?
この数字は今後、減る事はあっても増えることはない。
反面、物故者も8人で二割弱。それに消息不明者を加えると2割強なのである。
今現在、この二つの現象は、ほぼ同じであるが、後者は間違いなく
増えて、近い将来間違いなく、十割になる。
そんな事を、酒の肴に焼酎をあおり、今、生きていることを確認し、語り合った。
この年にしては、物故者が多いらしい。
競争の厳しい建設業界を、日夜違わず生き抜いてきた事が、
寿命を縮めているのではとしんみり言う者もいた。
当たらずとも遠からずと言うのが実感だ。
一昨日も、橋本元総理が急逝した。
人生後半でかなりの心労があったのではと推察する。
我々は、大半が第一線を退き、余生の部に入っている。
この先は、争い事を避け、ストレスを除けながら、安穏とした日々を
送りたいモノだと酒酌み交わし、旧交を温めたが、少し飲み過ぎた。
「友、遠方より来る、又楽しいからずや」
翌日、天気は良かったが、頭は二日酔いで、曇天状態。
それでも「いざ勝負!」と昨夜の「争い事は避けて・・・云々」の
言葉は忘れて、気合いを入れて「争い事に」入っていった。
芝生上の争いは終生続けたい 寅次郎

白山ビレッジ
(三重県)
母校(岐阜工業高校)土木科同級生のゴルフコンペを一泊泊まりで、
三重県の安いところでやるから出て来い、と言う指令が来て出かけた。
交通費などを考えると、三重県ではどう考えても安くは上がらない。
しかし、久々に旧友と一献傾けられるのに大いなる魅力を感じ、遠路を走った。
そこに集まったのは二組の8人。
当時の土木科は全員で49名であった。この8人が、二割弱なのだ。
まだ他にも何人かはゴルフをやる者がいるようだが、全部でも二割強に過ぎない。
健康と時間等に多少恵まれた者が二割と判断してもいいのかな?
この数字は今後、減る事はあっても増えることはない。
反面、物故者も8人で二割弱。それに消息不明者を加えると2割強なのである。
今現在、この二つの現象は、ほぼ同じであるが、後者は間違いなく
増えて、近い将来間違いなく、十割になる。
そんな事を、酒の肴に焼酎をあおり、今、生きていることを確認し、語り合った。
この年にしては、物故者が多いらしい。
競争の厳しい建設業界を、日夜違わず生き抜いてきた事が、
寿命を縮めているのではとしんみり言う者もいた。
当たらずとも遠からずと言うのが実感だ。
一昨日も、橋本元総理が急逝した。
人生後半でかなりの心労があったのではと推察する。
我々は、大半が第一線を退き、余生の部に入っている。
この先は、争い事を避け、ストレスを除けながら、安穏とした日々を
送りたいモノだと酒酌み交わし、旧交を温めたが、少し飲み過ぎた。
「友、遠方より来る、又楽しいからずや」
翌日、天気は良かったが、頭は二日酔いで、曇天状態。
それでも「いざ勝負!」と昨夜の「争い事は避けて・・・云々」の
言葉は忘れて、気合いを入れて「争い事に」入っていった。
芝生上の争いは終生続けたい 寅次郎
白山ビレッジ
(三重県)
2006年07月02日
チャレンジ21セミナー2006
日中・靖国・国益は如何にと・・・・前回、自民党総裁選を小泉、亀井と共に戦い、負けた者同士二人(藤井元運輸大臣、高村元外務大臣)が大いに語った。
6月30日、場所は名古屋マリオットアソシアホテル16F。
藤井先生は昨年9月の衆議院選挙で苦杯をなめてから、10ヶ月ほど経過したが、
その政治的活動は一向に衰えを見せず、益々盛んである。
今は「充電の時」と位置付け、国民の目線でと、東奔西走の毎日のようだ。
驚くべき事は、藤井孝男事務所、秘書の数は、地元も東京も、現職時と変わることなく続いていることだ。
このセミナーも然り。依然同様の財界トップクラスが世話人に名を連ねている。
神田・愛知県知事、松原・名古屋市長も駆けつけ、メッセージを送られた。
「力がある」のであろう。
今回も、一流ホテルである。
先月は、女房ともめたので、あまり気が進まなかったが、今回はオーソドックスに、スーツにネクタイ姿で行って見た。
参加者のほとんどは、ネクタイをつけていたが、何とゲストスピーカーの高村正彦・元外務大臣がクールビズではないか。
ホテルの出入りは、常に「スーツにネクタイ」と、こだわる女房の考えは時代遅れか?田舎者か?・・・・・・・よく解らなくなった。
しかし、藤井先生はクールビズ提唱者の小池環境大臣が気に入らないのか、ネクタイ派である。
あの雰囲気では、ネクタイ派の方が、マッチしていると、やや女房寄りになったが・・・・・・。
「もう少し落ち着いた政治を」と藤井先生が言うように、クールビズ一つを取っても、一部の政治家が浮かれてやっているだけにしか写らない。
国民には浸透していない様に思う。
何時も作業服を着ている者が、ある日突然、場違いの所に行くには、それなりに気を使うモノだ。
悲しい性かも知れないが、一方、見えないモノが、見えてくる事もある。
作業着派 寅次郎
(講演内容についての個人的なまとめは、下記アドレスをご参照下さい。)
http://touseikai.moo.jp/cyarenji21-06.html

6月30日、場所は名古屋マリオットアソシアホテル16F。
藤井先生は昨年9月の衆議院選挙で苦杯をなめてから、10ヶ月ほど経過したが、
その政治的活動は一向に衰えを見せず、益々盛んである。
今は「充電の時」と位置付け、国民の目線でと、東奔西走の毎日のようだ。
驚くべき事は、藤井孝男事務所、秘書の数は、地元も東京も、現職時と変わることなく続いていることだ。
このセミナーも然り。依然同様の財界トップクラスが世話人に名を連ねている。
神田・愛知県知事、松原・名古屋市長も駆けつけ、メッセージを送られた。
「力がある」のであろう。
今回も、一流ホテルである。
先月は、女房ともめたので、あまり気が進まなかったが、今回はオーソドックスに、スーツにネクタイ姿で行って見た。
参加者のほとんどは、ネクタイをつけていたが、何とゲストスピーカーの高村正彦・元外務大臣がクールビズではないか。
ホテルの出入りは、常に「スーツにネクタイ」と、こだわる女房の考えは時代遅れか?田舎者か?・・・・・・・よく解らなくなった。
しかし、藤井先生はクールビズ提唱者の小池環境大臣が気に入らないのか、ネクタイ派である。
あの雰囲気では、ネクタイ派の方が、マッチしていると、やや女房寄りになったが・・・・・・。
「もう少し落ち着いた政治を」と藤井先生が言うように、クールビズ一つを取っても、一部の政治家が浮かれてやっているだけにしか写らない。
国民には浸透していない様に思う。
何時も作業服を着ている者が、ある日突然、場違いの所に行くには、それなりに気を使うモノだ。
悲しい性かも知れないが、一方、見えないモノが、見えてくる事もある。
作業着派 寅次郎
(講演内容についての個人的なまとめは、下記アドレスをご参照下さい。)
http://touseikai.moo.jp/cyarenji21-06.html
2006年07月01日
「クールビズ」
難しい服装である。
過日、ある生命保険会社のセミナーと称して、有名な政治評論家の講演会があった。
基本的には顧客の招待であったが、空きがあるから行かないかと誘われて、これ又、有名ホテルへ三人で出かけた。
講演会が終わってから、顧客に感謝を込めたデナーがあるという。
なるほどあった。その前に、保険の説明が少しあった。
テーブル席は90余有り、全員で1,000人近くいたのではないか。
説明では、この保険会社は保留資産が何兆円とかで、すごく儲かっているんだなーと感じられた。それを聞き、豪華な料理、飲み物も、遠慮なく、腹一杯ご馳走になれた。
俺は顧客でもないが、総てタダである。
でもここに入るとき、所番地と名前を書かされたから、これは後ほど、請求書の代わりに、保険の勧誘があるなと感じた。
以上は余談で、問題は、一流ホテルで、デナー付きのセミナーに、どんな服装で行けばよいのかと言う事で、帰ってきてから、女房ともめた。
三人で行ったが、三人ともバラバラだった。
顧客でもある一人は、ネクタイにスーツの正装。
もう一人はポロシャツ姿。
俺はクールビズで半袖の柄シャツにノーネクタイにブレザー。
自分としては、講演会を聴いて、半分は勉強の気分であり、クールビズは流行の最先端だと、自信を持って、参加したつもりであったが、翌日、女房に笑われた。
一流ホテルの出入りは、ネクタイにスーツは今でも常識だと。
カカアの言う、常識が古めかしいのか、俺流最新のクールビズがまだまだ認知されないのか、ややこしいところである。
昔から、俺は、服装には興味がないし、こだわらない。
「俺流でいいのだ」、と言えば、「私が笑われる」と女房が言う。
笑いたいのには笑わせておけ。
俺はフッションショーに行ったのではない、偉い人のハナシを聴きに行ったのだ。
男は中味だと言う 寅次郎
(偉い人の話はこのブログの「三宅節」をご参照下さい)

過日、ある生命保険会社のセミナーと称して、有名な政治評論家の講演会があった。
基本的には顧客の招待であったが、空きがあるから行かないかと誘われて、これ又、有名ホテルへ三人で出かけた。
講演会が終わってから、顧客に感謝を込めたデナーがあるという。
なるほどあった。その前に、保険の説明が少しあった。
テーブル席は90余有り、全員で1,000人近くいたのではないか。
説明では、この保険会社は保留資産が何兆円とかで、すごく儲かっているんだなーと感じられた。それを聞き、豪華な料理、飲み物も、遠慮なく、腹一杯ご馳走になれた。
俺は顧客でもないが、総てタダである。
でもここに入るとき、所番地と名前を書かされたから、これは後ほど、請求書の代わりに、保険の勧誘があるなと感じた。
以上は余談で、問題は、一流ホテルで、デナー付きのセミナーに、どんな服装で行けばよいのかと言う事で、帰ってきてから、女房ともめた。
三人で行ったが、三人ともバラバラだった。
顧客でもある一人は、ネクタイにスーツの正装。
もう一人はポロシャツ姿。
俺はクールビズで半袖の柄シャツにノーネクタイにブレザー。
自分としては、講演会を聴いて、半分は勉強の気分であり、クールビズは流行の最先端だと、自信を持って、参加したつもりであったが、翌日、女房に笑われた。
一流ホテルの出入りは、ネクタイにスーツは今でも常識だと。
カカアの言う、常識が古めかしいのか、俺流最新のクールビズがまだまだ認知されないのか、ややこしいところである。
昔から、俺は、服装には興味がないし、こだわらない。
「俺流でいいのだ」、と言えば、「私が笑われる」と女房が言う。
笑いたいのには笑わせておけ。
俺はフッションショーに行ったのではない、偉い人のハナシを聴きに行ったのだ。
男は中味だと言う 寅次郎
(偉い人の話はこのブログの「三宅節」をご参照下さい)