2006年08月

2006年08月30日

「8年目の石和」

“ブドウと温泉の街・石和”も不景気だと言う。
全国シニアソフトボール石和大会も、今年が8年目で、我が郡上白鳥シルバースターズは皆勤賞である。
第1回の開会式の印象は今も鮮明である。
地元芸者衆が白足袋、短パン、胸をサラシにまいての法被姿で2台の女御輿を開会式場へ威勢良く担ぎ込んできた。
チームのプラカード持ちも、その粋な姿の姐さん方である。
やんや、やんやで、開会式の挨拶など、誰も聞く者などいなかった。
宿での宴会も、そのお姐さん方を呼んで、派手に盛り上がった。さすが湯の町、色の街。
ストリップ劇場も小さな街に5件もあったという。
これが楽しみで、8年皆勤の選手も我がチームには沢山いる。
ところが、今年はその通い慣れた愛しの劇場が消えていた。
宿の女将に聞くと倒産だという。
やむなく少し遠い所で、唯一生き残った別の劇場に行った。
そこは競争相手がいなくなったのか、盛り上がりが今一であった。
再び女将に聞いた話では、お客さんは家族連れが多くなり、色街は用が無くなったという。
お金も落とさなくなり、飲み屋も減り、活気は全く無くなってしまったと。
男にとって魅力は半減した石和としか言いようがない。
弱い男のささやかな楽しみを潰し、町の活力を失くし、踊り子までも路頭に迷わせる・・・これを改革政治と言うのか!
ここまで小泉の弱者いじめが及んだとすれば、由々しき事だ!
                           踊り子の味方 寅次郎
石和女子高

今年のアトラクションは
ハツラツ女子高生の
チアガールダンス!

torajiro0421 at 09:14|Permalink  

2006年08月28日

「石和で善戦」

 全国レベルの投手から1点を取った!
第8回目となる、シニアソフトボール石和大会に今年も参加してきた。
第1戦は長野県の「オール小海」を8:6で降した。
ここには58歳になる女性選手が堂々とレギュラーをはり、投手と遊撃手をつとめていた。
小柄ながら機敏な動きは基本に忠実で、なかなかうるさい存在でもあり、学ぶものを多く持った選手だと思った。
第2戦は山梨の「小淵沢体協シニア」。なかなかの好投手であったが、これを見事に打ち砕き、投手の好投も相まって5:0の完封勝利。
翌日の第3戦は東京の「オール福生シニア」。
190cmになんなんとする、大型投手が、腕をしなやかに振り、大きなステップで12mの位置から快速球を投げ込んでくる。
今年シニア入りした新人である。
昨年までは実年で東京大会を制して、何度も全国大会を戦ってきた投手だという。
今回も完封で勝ち上がってきていた。
「バットを短く持ち、ボックスの最前で、コンパクトに鋭く叩け」と前夜に監督の指令が出た。
空を切るものも居たが、俺はセカンドゴロエラーで出塁し、バントを絡めて、ついに1点を奪取した。
素晴らしい投手と対戦できたのは一種の喜びであった。
試合は負けたが、塁上で相手を撹乱し、気持ちは負けていなかった事が大きな収穫であった。
                 我々の甲子園を爽やかに終えた 寅次郎
石和1石和2

torajiro0421 at 13:11|Permalink スポーツ 

2006年08月24日

「四つのテスト」

 テストと聞いて、ニッコリする者は少なかろう。
「四つのテスト」とは、ロータリークラブにある、一つの信条のようなモノだ。
・・・言行は、これに照らしてから・・・
* 真実かどうか
* みんなに公平か
* 好意と友情を深めるか
* みんなの為になるかどうか
これが、歌になっていて、例会によく歌われる。
この「四つのテスト」を俺は、ロータリークラブに入る前に、何処かで、出会い、何処かで聞いていた様な気がして仕方がなかった。
始めてのような気がしなかったのだ。
間違いなく何処かで、これと出会っていると漠然と思ったが、思い出せなかった。
昨日、古いアルバムを紐解いていたら、何とこれが出てきたのだ。
これを見たときは、初恋の人に出会ったような、上気した気分になった。
それは昭和33年、俺が高校3年生の時に岐阜の、とある公園で写した写真だった。
思えば、高校時代は体調を崩し、野球をあきらめ、弁論部に所属したのだったが、そこで先輩に、この「四つのテスト」を守り、原稿を書き、行動をするようにと、仕込まれたのだった。
仕込まれただけで、それを“守った”と言う事とは、又 別のお話。
思えば、俺はこの時すでに一部分ロータリアンであったのかも知れない。
それから40年近くの歳月が過ぎて、正式にロータリーの門を叩いたのだが、残念ながらロータリークラブは7年でケツを割った。
しかしそんな事があり、この「四つのテスト」だけは今も愛着がある。
                          古きをたずねた 寅次郎
四つのテスト


18歳の寅次郎

torajiro0421 at 08:21|Permalink 独り言 

2006年08月22日

「早実おめでとう」

 先発オーダーを見て、これで早実が勝ったと思った。
炎天下で、延長15回、見事な戦いぶりであった。
今大会は打力が活発で、逆転劇が随所で見られ、感動のドラマが多く生まれた。
その最後の決勝戦は、打力ではなく、1:1の息詰まる投手戦。
野球は筋書きのないドラマと言われるが、これは人間が演出できるものではない。
神が演出しているとしか思えないものであった。
死力を尽くしてみよ! と。
その神の演出に、駒苫は少し背いたと思った。
先発投手に二番手投手を当ててきた。エースを温存しての作戦に出てきたが、そこが神の気に食わないところとなった。
小細工をしてきたのだ。
神は、そして大観衆は、昨日のままの姿の再試合を望んだのだ。
気力での戦いに、負けたともいえる。オーダーを見て、寅はそう直感した。
 優勝の決まるその日、我々も炎天下で、二試合を戦った。
遠来の三重県・宇治山田シニア、岐阜・可児シニアをひるがの高原に迎えて戦った。
「心頭滅却すれば、火 自ずから涼し」とまではゆかないが、試合に、プレーに、白球一投一打に集中すれば、暑さを覚えている暇はない。
時折「暑いなー」と感じるときがあるが、その時は集中が途切れているときである。
体力は勿論必要であるが、最後のここ一番と言うときは、“気力”だ。
18歳の高校生も、60を越えた若者(?)も、“気力”は共通だと思った。
我々の方の結果は一勝一敗に終わったが、宇治山田戦は4:0で負けていて、終盤追い上げて4:3まで迫った。甲子園と同じ様な展開をしたが、我々は駒苫と同じように敗れた。しかし、高校球児に負けないくらいの爽やかな汗であった。
宇治山田、可児の皆さん有難うございました。又、来年元気に来てください。
                     気合だ、気合だ、気合だの 寅次郎
宇治山田


宇治山田の皆さんと

torajiro0421 at 08:51|Permalink スポーツ 

2006年08月20日

「大樹の陰」

 安倍の独走である。
前回の小泉も独走であった。格差の大拡大である。
寄らば大樹の陰、勝ち馬に乗ろう!勝ち組に入ろう!その魂胆は、政権の主要ポストにありつこうと言う以外何ものでもない。
己の政治信条、信念、政策は二の次、三の次、四の次・・・・・どうでもいいのだ。
「偉大なるイエスマンで何が悪いのか!」と居直る奴、そう言われても、何も出来ない周りの人達、・・・・世も末だなぁ。
ただいたずらに、永田町に永く生息することのみに、その身を削っているとしか見えない。
そんな中で、谷垣、麻生の二人の心意気は良しとはするが、これとて小泉の傘下にいて、今回、怖々立候補している感じだ。
大臣なんぞは、とっくに辞めて、小泉から離れて「俺の話を聞いてくれ!」とはっきり自己主張すればいいのに。
小泉改革を継承するの、しないのと、ぐずぐず言ってないで、「俺は日本をこうしたいんだ!」と。
小泉を継承するのなら、小泉は辞めることはない。続けてやればいいんだ。
昔 読んだ本だから記憶が正しくないかも知れないが、司馬遼太郎の「龍馬が行く」の中で、龍馬は「衆人皆善を成さば、我独り、悪を成さん、天下の事、みな然りだ」と言って新しい日本建設に奔走している。
人を引っ張る立場の者は、この心意気で、人々の先、先を読んで、突き進むべきだ。
今の政治は、ポピュリズムとか何とかで、人気商売に成り下がっている。
議員になる事、大臣になる事は「目的」ではありませんよ!
それは手段なんですよ!何かを成すための!
大口叩いても、この人達を選んだのは、他ならぬ俺達だから・・・・・ああやだ、やだ。
龍馬大好きの 寅次郎
大樹

torajiro0421 at 23:01|Permalink 政治 

2006年08月18日

「幕下力士」

 「バチーン!」と言うか「バシッ!」と言うか気持ちいい音がする。
毎年 名古屋場所が終わり、7月の下旬から8月の10日頃まで、ひるがので、大相撲 陸奥部屋を中心に合宿が行われる。
今年が4年目との事。
今年は陸奥・立浪・湊の三部屋が合同でやっていて、賑やかであった。
相撲の稽古は、あまりの激しさに、その力士の親御さんには絶対見せられないと言われる。
ぶっ倒れて、息も絶え絶えになっても、竹刀で叩かれ、髷をつかんで引きずられ、気合いを入れられて、ぶつかってゆく。
過保護な親なら気絶するだろう。
華やかな土俵の陰には、壮絶な稽古があり、それを乗り越えた者が、綺麗な化粧回し、鮮やかな締め込み姿で、戦えるのである。
ぶつかり稽古の体と体が正面から当たる音は、何とも気持ちよく、相撲の醍醐味とも言える。他のスポーツにはない、素晴らしい「音」だ。
去年、首を怪我して鷲見病院へ連れて行ったモンゴル出身の「白馬」は幕下上位まで来て、後 一場所勝ち越せば、十両入りが望めると言うから、楽しみだ。
確か去年、牧歌の里で、我が孫「大河」を抱いてくれたのが、霧の海だと思ったが、彼は陽気な男である。今年もバーベキューの席で一緒になったが、人をよく笑わせる。
その他、北京出身の子もいたが、日本に来て7年になるという。
明るく、日本語は上手い。
日本人の方がどちらかと言うと、暗い感じがする。
彼らは、角界では今のところ下っ端だが、その内に出てくる楽しみがある。
それと、普通では滅多に出会えない男達である。
下っ端とは言え、すごい男達なのだ。「頑張れー!」
                    一段と相撲が好きになった 寅次郎
四股幟

torajiro0421 at 07:54|Permalink スポーツ 

2006年08月16日

「靖国参拝」

 予想通りであった。
当ブログの8月8日付けの「靖国と西郷」で、総理は羽織袴に意義を正して、正々堂々と靖国を参拝し、公約を果たされたらどうですか、と書いたら、その通りになさいました。
前の年は平服で行かれ、今年は考え直して、式服で。
豪放に言い放ちながらも、世間体は気になるのか、そこら当たりにブレが感じられる。
今まで参拝する日も、まちまちであった。
今回事前に、参拝の賛否を調査させたという記事も読んだ。
一見、信念の人のように見えるが、所詮はポォピュリストか。
そして今回は、小泉劇場の大詰め、最後のパフォーマンス。
鮮やかでした!と結びたかった。
がしかしだ、この人の思考はガキ大将クラス。
8月15日の参拝を、果たしてこなかった。
これをやらないと嘘つきと言われる。
沽券に関わると、最後に来て、くだらない公約を、粋がって守って見せた。
拍手は、まばらだった。
「この程度の公約なんか守らなくても、たいしたことはないんだ」と国会で暴言を吐いていたが、8月15日参拝の公約も、その程度の部類なだよ。
靖国の参拝問題の本質は、ただ参拝することではないのだ。
誰が参拝しても、誰からも異論が出ず、参拝するのがもっともだと言われる、状況にすること、そうゆう環境造りに努力することが、本当の公約なのだ。
参拝する事のみの、思考しか出来ない人が、日本の大将とは淋しい。
ある面では尊敬できる資質は充分だが、側近が駄目なのか、残念である。
国粋主義者と思われる中曽根元総理が、自身、8月15日参拝後、東南アジアからの声に耳を傾け、その後、参拝を取りやめた。
これが大人だ。これが政治家です。
                 ガキ大将にも成れない、が・・・寅次郎

小泉参拝

torajiro0421 at 11:14|Permalink 政治 

2006年08月13日

「福祉自販機」

 テレビを見ていたら、どこかの福祉学校で考えた斬新なアイデアだ、と報じていた
事が気になった。
それは、例えば150円のジュースをその自販機で買うとき、200円を入れる。
普通なら50円のお釣りが出てくるがその自販機は、「10円寄付します」と言うボタンが
あり、それを押すと、お釣りは40円返って来るという仕組み。
1000円札を入れると、「100円寄付すます」、と言うボタンもある。
100円を押すとお釣りは750円返ってくる寸法だ。
なるほど、これは上手く考えたなーと感心した。・・・・が待てよ?何か気になる。
福祉とは自販機で買えるモノか?
福祉を機械的に処理してもいいものなのか?
福祉とは人間同士が温かく交流する中から生まれ出るモノではないのか?
いや待てよ、もう一つの見方がある。
人知れず寄付をすることこそ福祉ではないか。
誰も見ていないところでの善意こそ、究極の福祉ではないのか。
寅次郎は迷った。
そこで「福祉とは」を調べてみた。
福祉の語源は、「福は富なり、……神の恩恵によって豊に恵まれること」
「祉は、神がそこに足を止めたもうの意味」とのこと。
また、逆に書いて「祉福」は、神から受けたしあわせ。
神がそこに足をとめて福を与える。
と、いろいろあるが、これがまだしも解りやすかった。
誰も見てはいないが、神様が自販機を見てるからいいのか・・・・・・・・・。
と自分に言い聞かせたが、何となく10÷3の気持ちである。
割り切れないテレビであった。
                                迷える寅次郎



自販機

torajiro0421 at 21:45|Permalink 独り言 

2006年08月11日

「友、遠方より来る」

 東京にある準ゼネコン土建屋を辞めて、田舎に帰り、30年が過ぎた。
1年に一回は当時の悪ガキどもが集まり、旧交をあたためる為に、泊りがけで酒を飲み、下手なゴルフに興じている。
この際、ゴルフの上手下手などは、何のアドバンテージにもならない。
曲がってもいいが、飛ぶ奴が褒められ、うらやましがられる。
「おめぇはまだまだ元気だ」・・・と。
そんな友達の一人M氏が、我が儲からない、小さな喫茶店「茶々」にひよっこりと現れた。
インターネットで見て、宣伝文句に騙されて、一度行って見たいと思い、岐阜に来たついでに寄ってくれたのである。
喫茶店店主である女房も、同じ会社に居たので、昔話にしばし花が咲いた。
良きにつけ、悪しきにつけ、昔の話は楽しい。加えて、話してる間いだだけでも昔にかえった感じになり、若返る。
せっかく来ていただいたのだ、我が故郷の名所旧跡でも案内しようとしたが、「ない!」
M氏は、山とか歴史に興味がありそうだったので、「白山文化歴史博物館」に案内した。
内緒の話だが、拙者も入るのは始めであった。女房も。
故郷文化をろくに知らずして、偉そうな事は言うものではないと、中に入って己を強く戒めた。
M氏はどう感じたかは知らないが、俺達夫婦は来て良かった思った。
今迄、おぼろげであった白山文化、白鳥の歴史が鮮明になったからだ。
駆け足で見たが、じっくりと見に来たいとも思った。
M氏は岐阜に向かうというので、八幡へ送り、八幡城を案内した。
八幡城主青山氏の家紋が非常に珍しい青山菊で、末娘が嫁いだ上村家と同じなのを発見して驚いた。
八幡は郡上踊りの時節なのか、観光客で賑わっている。
来る度に、何か新しい事に出会うと、何となく得した気分になる。
いつも店に閉じこもっている女房も、M氏のおかげで気晴らしになったと言う。
「友、遠方より来る、又、楽しからずや」
             M氏の来訪でリフレッシュした 寅次郎&内儀
森氏青山菊

torajiro0421 at 15:56|Permalink  

2006年08月09日

「長崎原爆忌」

 8月9日、今日も日本人としては決して忘れてはいけない日の一日です。
61年前、午前11時02分、6日の広島に続いて、長崎市に原爆が落とされ、市は一瞬のうちに地獄絵図となり、瓦礫の廃墟と化しました。
74,000余人が無くなり、75,000余人が負傷しました。
先の大戦で中国・韓国等は日本を大変に恨んでいます。
原爆を2発も落とされておきながら、日本はアメリカに同じような憎悪の念を抱かないのであろうか?日本人はお人好しなのだろうか?
今日の式典で長崎市長の平和宣言の中に、核開発には科学者が必要だ、科学者が人類を思い、開発に拒否をしていただきたいと言う一節があった。
政治家が醜い国家間闘争に明け暮れるなら、それを阻止できるのは、純粋な科学者ではないだろうかと、同感した。
長崎もこれまでに二度訪れた。二つのモノが脳裏にある。
一つは、平和の像の前方にある、噴水正面の、水を求める碑が記憶に残っている。
今一つは、如己堂である。
そこは、わずか畳み2畳の部屋だが、被爆した 永井 隆博士が妻を失い、幼子二人と共に住み、見つめ「この子を残して」を著し、47歳で亡くなったとあるが、胸が締め付けられ、言葉が出なかった。
今日の式典で、その永井博士の作詞した「あの子」を子供達が懸命に歌った。
61年後の長崎の空は、抜けるような青空であった。
                     この姿よ、永遠なれと願う 寅次郎
長崎石碑如己堂

torajiro0421 at 17:59|Permalink 歴史 

2006年08月08日

「靖国と西郷」

 大事な事なのに逃げている。
自民党の総裁選挙は事実上、日本の総理大臣を決めるもの。
小泉政権を引き継ぐ、安倍官房長官で決まりの出来レース感が強い。
今、注目を集めている「靖国参拝」を争点にしないという。
逃げているのだ。
西郷隆盛は西南戦争の賊軍だと言うので、靖国神社には祀られなかった。
がしかし、明治維新の立役者であり、これを祀らないとはどうゆう事かと、当時大論争になった。
そこで時の総理大臣、山県有朋は上野のお山に西郷ドンの銅像を建てた。
これで国民をうまく治めた。・・・・・逃げていない。
山県有朋はこの案を、しばし芸者の膝枕で沈思黙考し、考え抜いたとも言われる。
オペラに酔い、プレスリーに浮かれている人気取り男には、妙案は浮かぶまい。
8月15日に靖国参拝を広言して、いまだ果たしていない。
「参拝して、何が悪いのか」と居直るなら、羽織袴に威儀を正して、正々堂々と参拝されては如何ですか。
最近は普段着で、本殿にも上がらず、ズボンのポケットから裸銭を出して、チョンチョンと拍手打ってお終い。
世界が貴方の一挙一動を見ているし、聞いているのですよ。
「心の問題」等と抽象的で訳の解らない事で逃げては無責任と言う他ない。
最近、石油高騰で庶民生活は悲鳴を上げ始めた。
これこそ外交問題の最たるもではありませんか。
国際社会にあって、島国のお山の大将では、そこに住む国民が哀れだ。
                       靖国問題は分祀論者の寅次郎

靖国西郷

torajiro0421 at 07:55|Permalink 政治 

2006年08月06日

「広島原爆忌」

 8月6日、日本人が永久に忘れてはならない日の一つである。
今朝、8時15分、サイレンの音と共に、南に向かい、1分間の黙祷をした。
始めて広島を訪れたのは、戦後13年目の高校三年生の時である。
広島大学が主催する、全国高校弁論大会に岐阜から一人で参加した。上位5人に残り、即席弁論、質問に受け答えし、優秀賞を得た。
終わって平和公園に行き、人間の愚かさ、惨さに呆然とした記憶がある。
地元広島の女性弁士から沢山の折り鶴をいただいた。
映画“千羽鶴”の一環で。
その後、広島へは1987年に全国PTA研修大会に、更に1999年に会社の旅行で、訪れた。いずれの時も、平和公園に行き、こうべを下げ、ささやかではあるが不戦を誓ってきた。
しかし、訪れるたびに感じられることは、確実に風化が進んでいる。
周辺があまりにも、綺麗になりすぎている。
日本で唯一の「負の世界遺産」であるが、これを認証の際、アメリカがなかなか「OK」を出さなかったと言われる。
人間の愚かさを正す、歴史上の大きな証拠物件である。
大切にしたい。
今朝の新聞に、そのアメリカの中学生が、原爆をテーマに映画を作り、コメントを出している。
アメリカで原爆投下を悪い事と思わない人がいるが、それは、「よく知らないからだ」と指摘し「史上最悪の決断だった、二度と繰り返してはならない」と言う。
もっと多くの人が、何回も訪れるべき所だと思う。
                       岐阜空襲で生き残った 寅次郎
広島原爆

torajiro0421 at 10:56|Permalink 歴史 

2006年08月04日

「落書き?発見」

 今度の落書きは白鳥町二日町の長良川鉄道をくぐる、ボックスカルバートの壁である。
しかしこれは落書きではない。
何故ならば、壁面の左隅に「協力:長良川鉄道」と記してあり、書くことの承諾がとれているからである。
無粋なコンクリート壁面の有効利用を考えたもので、戸外の大きな掲示板であり、ギャラリーとも言える。
題は「有意義な“土・日”の過ごし方!!」として、北側の壁に保護者の部、南側の壁に児童の部とわけて、それぞれが作った、標語のような短文が書いてある。
作者名も記されていて、ほほえましく見る事が出来る。
暇があれば、前のブログに出したものと併せて、足を運んでみてください。
書かれている文面は写真で紹介します。下記アドレスで、ご参照下さい。
http://cyacya.o-oku.jp/rakugaki.html
落書き二日町

torajiro0421 at 07:50|Permalink 芸術 

2006年08月02日

「大河 三歳」

 楽しい!実に楽しい!
外孫「大河」が家に来ると、空気は一変する。
少しもジーッとしていることはない。
絶えず動いている、体も口も。
この頃、時々生意気を言う。
「あのねぇ、今日ねぇ、僕ねぇ、オシッコ教えたんだ!」
8月2日でまる三年が過ぎたのだ。
人間て、三年で、こんなにも成長するものかと驚く。
「大河」の名は、命名の時に、新祖父として応募して、採用されたものだ。
みんなが忘れない為にも、本人の為にも、ここに記しておこう。
両親に、応募します
“ 両親の結婚式はどしゃ降りの大雨。
この時期の雨は生命の源。
大地を固める雨。
集まって大河となり、大海にそそぐ。
悠々と大きく、
     そんな人間に、そして、そんな人生を。
この日に結ばれた事にちなんで、
     そして、この日を忘れない為に。
今一つは
今年は多くの予想を裏切り、
念願の強いタイガースの誕生。そのタイガ。
この年に生まれ、多くの人に愛され
そして強く育て!と念じて。“
平成15年8月4日
              新祖父 土建屋寅次郎
「大河」が何歳になるまで、一緒に人生を送れるか知れないが、その日の一日も長からん事を、念ずるのみである。
                       「大河」命の寅次郎
大河三歳

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