2007年08月

2007年08月30日

「Inspection」

インスペクション1 インスペクション=点検 の事らしい。
スノーボードワールドカップ開催に首を突っ込んだら、やたらと横文字が多くて、ぼうまいする。
“郡上でやるんやで、郡上弁でやらんかな”と、こいたら、“しゃーなことすりゃ、通訳が二人もいるわなー”・・・・・“ええわな、おもしろーて”。
FIS(国際スキー連盟)から、レースディレクターのマーセル・ルース(オランダ)と、テクニカルアドバイザーのデビット・ニー(スエーデン)、SAJ(全日本スキー連盟)からは
山崎スノーボード部長、田村技術運営委員長、佐々木普及委員が来られて、8月23日〜26日まで、スキー場、宿泊関係、交通アクセス等を中心にインスペクションが行われた。
通訳は、キリスト教精神の誇り高き、金城学院大学の才女・お二人にお願い。
スノーボード関連の専門用語に加え、時折出る郡上弁に、ぼうまいのご様子でした。
本番までに、専門用語と郡上弁の理解、修得が必須か。
この二点が、私めのインスペクション結果でした?
                            郡上弁通訳者 寅次郎
インスペクション2インスペクション3

torajiro0421 at 09:02|PermalinkComments(0) イベント 

2007年08月28日

「三連敗!」

開会式 


我々の甲子園・山梨県石和の暑い夏は終わった。
屈辱的な三連敗で・・・・。始めての経験である。
初戦は埼玉県の吉川シニアに15:2で惨敗。
二戦目は山梨県相川体協シニアに5:3で惜敗。
二つのチームとも、互角であったが、打撃力において負けた。
二日目、長野県の小海シニアは、昨年、我々が楽に勝ったチーム。
そのチームに、最終回2点差をひっくり返されての敗北。
小海シニアは8年間、石和に来て、総て負けていたという。
そこに負けたのだ。
何も言う事はない・・・・。
戦いの場は、石和高校のグランドであった。
その入り口に、笛を吹く少女のブロンズ像が・・・・。
・・・・満身創痍の我々を少しは癒してくれたか?
山梨は今、風林火山一色である。
山本勘助に、勝つ兵法を学ばねば、来年は危うい。
                        笛吹けど踊れなかった 寅次郎
勘助笛乙女

torajiro0421 at 08:52|PermalinkComments(0) スポーツ 

2007年08月26日

「的 矢」

 それは高速道路の男子トイレにあった。
トイレの落書き、注意書きはよく目にするが、1個の絵で総てを促しているのに感心した。
放水先はここですよと“的矢シール”が便器に張ってあった。
このシールが女性のシンボルなら、命中率は上がる事必至、と邪念。
絵もいいが、トイレの落書きは、やはり文字がいい。含蓄がある。
今まで見た、きれいなものを二つ三つ書いてみつ。

「急ぐとも 心静かに 手をそえて 外にこぼすな 松茸の露」

「急ぐとも 心静かに 殻を開け そーと潮吹く 磯のハマグリ」

「自信がある人も もう一歩前に 出ましょう」

「スピードより コントロール」

「東から来る人あり 西から訪れる人あり 
又 南から立ち寄る人もある だから 北なくしてはいけない」

「よく来たなー まぁ座れ!」

・・・・・ついつい長居をしてしまう。
                         落書き者を尊敬する 寅次郎
的矢1的矢2

torajiro0421 at 19:51|PermalinkComments(0)  

2007年08月24日

「捜索二題」

 美濃市・長良川ほとりの、とある館で会議をしていたら、ヘリコプターが川の上を盛んに旋回し始めた。
ゴムボートも出動してきた。水難事故のようだ。
午前中から続いた会議の、私の席は窓際だったので、捜索模様の一部始終を見ることが出来た。
午後2時過ぎに会議は終わったが、捜索は続いている。
河畔に出て、しばらく見ていたら、酸素ボンベを背負ったダイバーが、5〜6人ロープで連なって、上流左岸から一斉に川に潜った。
2〜3分したら見つけた。
そこにゴムボートが急行し、川底から引き上げた。
急いでシャッターを切った。
捜索が始まってから約2時間が経過していた。
ここは毎年数件の事故が発生しているという。
それにしては、捜索に時間がかかったと思ったが・・・・・・。
 翌々日の夜、近所のおばあさんが夕方から行方不明。
80を越した、痴呆症気配の方だという。
組内は勿論、町内消防団も出て大掛りな捜索となった。
不明後4時間ほど経過した10時半頃、最初の地点から数キロメートル離れた所で、無事発見された。
発見の決め手は、目撃情報であった。
想像も付かない方角で目撃され、それを信じて捜した結果であった。
この二件の捜索で思ったことは、当事者が体に情報を発信出来るチィップを身に着けていて、パソコン上でその位置が確認できるシステムがあればと思った。
そんなに難しい事ではないと思うが・・・・。
高齢化の今、時代が要求しているもののTopではないだろうか?
俺がボケる頃には完成されているだろう?
                          酒を飲むと必要な 寅次郎
捜索1捜索2

torajiro0421 at 06:41|PermalinkComments(0) 事件 

2007年08月22日

「白鳥おどり」

 徹夜の白鳥踊りを久々に味わった。
“踊る阿呆に、見る阿呆”の今回は、見る阿呆側で、楽しく踊り子を拝見した。
スノーボードワールドカップのキャンペーンで、そのグッズ売り、チラシ配りと並んで、
生ビールを売りながら・・・飲みながら。
8時から、宝暦義民太鼓が始まり、そのフィナーレが“源助さん”を踊りながら、踊り屋台に向かい、踊りの輪を作り、白鳥踊りの始まりとなる。
昔は、二重、三重、四重と踊りの輪が太く、長々としていたが、十数年前から衰退の一途。
それが今日拝見した限りでは、復活の兆しが感じられ、うれしかった。
午後10時頃までは、子供連れの親子で賑わい、それが引き上げ、日付の変る12時頃から、人が増え始めてきた。
若者が出てきたのだ。
“郡上の白鳥踊りにござれ じいじもばばさも ちょいと孫連れて・・・”
今一つ淋しいのは、地元の人達の顔が見えないことである。
「俺の知っている人は、誰もいない!」と東京から帰省した同級生が、唯一、俺の顔を見つけて文句を言ってきた。
久しぶりに帰った故郷に、山河はあったが、心の故郷がなかったと・・・・。
                   きゃーなこっては だしかんなー 寅次郎
白鳥踊り白鳥おどり

torajiro0421 at 08:57|PermalinkComments(0) 歳時記 

2007年08月20日

「優」

 二つ目の宝物がこの世に生まれてきた。
平成19年8月10日AM10:52。3,067g。
我が末娘・寿枝が上村家に嫁ぎ、長男に続き、長女を出産した。
その名は“優”。
長男・大河の命名は、我がたっての希望を叶えてもらったが、いつもいつも年寄りがしゃしゃり出てはいけないので今回は控えた。
昨年、皇室で“悠仁”親王殿下が誕生され、その“悠”にあやかったのと、人を憂うる事の出来る、優しい女の子に育ってほしいと言うのが願いとの事。
この外に、8月10日生まれなので“はと子”“鳩子”“羽都子”があったらしい。
長男・大河が「“ゆう”がいい」と言って落ち着いた由。
4歳になった、命名者・長男・大河の責任や重大だぞー!
“優・良・可”の優か?と聞いて古いネーと笑われた。
                 天才ゴルファー“上村 優”を夢見る 寅次郎
命名者優

torajiro0421 at 08:29|PermalinkComments(0)  

2007年08月18日

「恩師の野菜」

 小学校2年の時に、1年間だけ習った先生が健在である。
栗田紀代子(旧姓:小河)先生。我々と一回り上の辰年だから79歳だと思う。
小学2年の時だから、何を教えてもらったのか、記憶は定かでない。
かすりのモンペをはいた若くて、きれいな先生だったことが唯一の記憶である。
我々が伊豆へ還暦記念旅行をした時に、お呼びして、親しく話が出来た。
先生は出てくる料理は総て平らげ、酒もビールも、何でもOKだった。
小柄ではあるが、我々より丈夫でたくましい。
以来、8月になると、先生自作の野菜が送られてくる。
“赤いたまねぎ”が主体に、ダンボールに詰められてくる。
白鳥近辺に在住する人に分けてくださいと言って。
当時、誰が同じクラスに居たかも定かでなく、勝手ながら解かった人だけに分配している。
先生曰く「百姓は健康的で楽しいが、中腰でやる梱包作業がきつい」と。
かなり、方々にに発送してみえるようだ。一箱がかなりの重量である。
たまねぎは、血液をさらさらにすると言われる。
この歳になっても、いろいろと教わっている。
この分では、こちらが先にくたばるかも知れない。
                      オニオンスライスが好きな 寅次郎
小河先生たまねぎ

torajiro0421 at 09:12|PermalinkComments(0) 人物 

2007年08月16日

「墓掃除」

 お盆を前に、墓掃除に行った。
何時もは、周りの雑草を取り、ほうきで掃くぐらいだったが、今年は墓石や台座を洗ってみようとバケツやスポンジを持って出掛けた。
文字が彫り込んであるところは、なかなか綺麗にならない。
間知石で積まれたハカマ部分の台座には苔が生えている。
女房はそれをせっせと取っている。
自宅の前にある石の苔は決して取らないのに。
”苔”それ自体は自然美であるからだろう。
又、苔は微生物の住む絶好の“家”だとも言われる。
自然界には微生物は絶対必要なものであり、生態系の一員なのだ。
ところが周囲の墓を見ても、苔は綺麗に取り除かれている。
金のたわしでこすり取っているとも聞く。
少し離れた所では、洗剤を使って、積石をブラシで泡立てて洗っている。
そして、それをそのまま水をかけて洗い流している。
苔は擦り取る、洗剤は垂れ流す・・・先祖の棲み家も環境破壊の憂き目だ。
俺が墓に入ったら、時々草をとり、時々水をかけ、お盆にビールを供えてくれば充分である。
洗剤など使ったら、化けて出るぞ!
                  環境破壊×異常猛暑=生ビール上昇 寅次郎 
墓参1墓参2

torajiro0421 at 09:19|PermalinkComments(0) 歳時記 

2007年08月14日

「大相撲コレクション」

断髪 わが町白鳥町大島、谷口肥料店の2階に、それはある。
店主の谷口哲朗氏は、大の相撲好きで、強烈なトラキチである。
トラキチのよしみで、我が家にも24代立行司・式守伊之助書の掛け軸と、大型の額をいただいている。
拝見して驚いた。正直言って、これほどのモノがあるとは思わなかった。
ここにしかないもの、この世に2点しかないもの、数点しかないもが等が、集められている。その内に、何でも鑑定団に出すものもありそうだ。
第22代横綱・太刀山の書いた富士山、吉葉山・鏡里・千代の山・栃錦の四横綱にそれぞれの露払い、太刀持ちが一枚の写真に納まっているモノは国技館とここしかないという。初代・増位山が日展に入選した墨絵もある。あるあるある・・・・。
斜め向かいの、日本土鈴館も凄いが、肥料屋の2階も凄いぞ。
ここで紹介するより、一見にしかずである。是非見られたし!
我が父・正三も白鳥神社秋祭り奉納相撲でとっていた。
その血が流れているのか、俺も相撲は大好きである。
                   栃錦を前頭時代から応援していた 寅次郎
太刀山横綱4

torajiro0421 at 09:42|PermalinkComments(0) スポーツ 

2007年08月12日

「二人目の孫」

 予定日通り8月10日、午前10時52分、我が娘が女子を産んだ!
3,067g、母子共に健在との報。寅次郎にとっては二人目の孫である。
その日の夕方、踊るがごとく、病院へ対面に赴いた。
4年前、初孫・大河が4,000gを超えるジャンボベイビーであった為、今回の子は3,000gを越えていても“小さくて可愛い”というのが、率直な第一印象であった。
今回も生後6時間目の対面であったが、手足も元気良く動かし、口元に産着が触れると、盛んに吸う仕草をみせ、生命力のたくましさを感じさせる。
親子4人の喜びの写真を撮りながら、新生児を見つめていると、何とも不思議な気持ちになった。
こうして時代は進み、流れ、歴史は刻み、造られてゆくのだなー・・・・。
10日は、父・正三の月命日である。
親父の生まれ変わりなら、歌が好きで、器量良しの人気者になるだろう。
但し、少し太めになるかな?
                   この子の嫁入りまでは生きるぞ! 寅次郎
長女4人家族

torajiro0421 at 10:52|PermalinkComments(0)  

2007年08月10日

「長崎’07」

長崎平和公園8月9日〜日本人が忘れていけない日の一つだ。
原爆投下の地へは過去5回訪れている。
その内、広島は敗戦後13年目の1958年、高校3年の時、次は1988年、日本PTA全国大会の参加時、そして1999年は観光旅行での計3回。
その後、長崎へ2001年と2003年の二度行っている。
平和公園、原爆資料館はその都度、立ち寄っている。
自分自身が、忘れない為でもある。
今年の長崎は大事件が二つ起きている。
一つは市長選挙中に、伊藤前長崎市長が銃弾に倒された事。
伊藤前市長は原爆の犠牲になった「この子らに何の罪があるのか」と世界に訴え続けた人。
二つ目は初代防衛大臣になった長崎県出身の久間大臣が「原子爆弾投下は“しょうがなかった”」と発言した事。
これには長崎市民ならずとも、怒り心頭であった。
久間発言は「昭和も遠くなりにけり」なのだろうか?・・・・情けない。
自分の思考が曖昧にならないように、定期的に、広島・長崎の原爆資料館には足を運ぶべきだ。そこへ行くと姿勢が正される。
アメリカのアカデミー賞受賞経験のある映画監督、日系3世ステーブン・オカザキ氏が「ヒロシマ・ナガサキ」と言う映画を作った。
「今作らなければ、今伝えなければ」原爆の悲惨さが風化されてしまうと製作し今夏、全米で放映されると言う。
原爆を落としたアメリカ発の反核運動・平和運動である。
                       久間先生とくとご覧あれ・寅次郎
長崎市長安倍長崎
映画「ヒロシマ・ナガサキ」の詳細はここをクリックしてください。

torajiro0421 at 10:19|PermalinkComments(0) 歴史 

2007年08月08日

「キャンペーン」

 大阪西成区の区民祭りに参加した。
スノーボードワールドカップ郡上開催のキャンペーンとして、チラシ配布、公式グッズや郷土物産の販売を試みた。
郡上のスキー場へは、関西からの入り込みが多いと言う事で、初の県外キャンペーンであった。
結果は、予想を大きく覆すものだった。
お祭りの参加者は多かったが、大半がお年寄りと家族連れで、若者は皆無に等しかった。
スノーボードなど何の関係もないのである。
従って、岐阜―郡上・・・それって何処?・・・何?て感じ。
人が沢山集まりゃいいてもんじゃない。事前の調査不足であった。
 今月下旬から、大阪は世界陸上を開催する。
そのキャンペーン部隊が、我々より大きなブースでさかんにPRをしていた。
TVも盛んにコマーシャルしているが、今一盛り上がらない、チケットが売れないと言う。
地元で開く世界のビックイベントですら、こうなのだ。
何なんだろう・・・・と考え込んでしまう。
関係者だけの自己満足に酔っているだけではないのか?
世界選手権だから、ワールドカップだから、大衆は関心を寄せるだろう、と勝手に思い込んではいないか?
昔、世界が遠かった時代は関心を持ったかも知れないが、メデアがリアルタイムに情報を流し、簡単に海外に行ける昨今、“世界”はそれ程珍しいモノではなくなったのか・・・。
我々こそが、井の中の蛙 そのものではないのか?
人が素通りして行くのを前に、ふと“男はつらいよ”の寅さんが、口上宜しく、たたき売りする場面が浮かんできた。
彼流でやってみようかと思ったが、口上の準備もなく出来なかったが、楽しくやるには、一考しても良いかなと思った。
柴又の寅さんも言ってるように「そんなに甘いもんじゃないよ」・・・実感でした。
                        少しは利口になったか 寅次郎
西成1西成2







露天商

torajiro0421 at 07:56|PermalinkComments(0) イベント 

2007年08月06日

「原爆詩集」

 日本人なら永遠に忘れてはならない日の一つ。
8月6日・広島に原爆が投下された日。
62年前のこの時、広島市民35万人のうち、14万人が死亡という悲劇の日。
この詩集の作者:峠 三吉〜被爆8年後に36歳でなくなる。
自ら被爆しその直後、広島市内を歩き、悲惨な状況を目の当たりにして、トルーマン大統領へ抗議を込めて、この原爆詩集を作った。
この詩集の“序”として、次の詩がある。

“ちちをかえせ ははをかえせ  としよりをかえせ こどもをかえせ
 わたしをかえせ わたしにつながる  にんげんをかえせ
 にんげんの にんげんのよのあるかぎり  くずれぬへいわを へいわをかえせ“

今年はあるキャンペーンに行き、大阪のホテルで8月6日を向かえた。
そこで平和の式典をTVで見た。
その式典の中で子供達は誓いました。
「私達はあの時に苦しんだ人々を助ける事は出来なかった、けれども未来の子供達は救うことは出来ます。それは広島を忘れないで、永遠に伝え続けることです」と。
その後、安部総理が挨拶に立ちました。
当時の悲惨な状況を型通り述べ、非核三原則の堅持、核廃絶云々と何時も同じ、誰でもが言える文言しか並べられない、役済まし挨拶など、聞くに値しない。
「我が国は憲法9条を守り、核を許さない!」と言えば、人々の心に響き、拍手は出たものと思うが、参加者は無表情であった。
拍手も出ない総理の挨拶。
「しようがない」 とはこうゆう時に使う言葉なのですよ・・・・総理。
                         TVに向かい黙祷の 寅次郎
峠 三吉氏について、下記ををご参照下さい。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/toogesannkiti.htm
1958
広島581999広島99

torajiro0421 at 18:55|PermalinkComments(0) 歴史 

2007年08月04日

「大河・4才」

“Happy Birthday Mr,大河”(My Quarter)
自分の歳も言えるし、ローソクの数も解かり、自分でケーキに立てることも出来、
ハッピーバスデーの歌もしっかり歌えました。
保育園に行きだしてから、郡上弁が上手くなってきました。
4年前4000gを越える大型ベービーとして生まれた君。
4年後の今日は、身長105cm・体重19.5kg・足サイズは17cmと成長し、
依然大型化の勢力は衰えていないと言う。
中身も同じように成長して、これからも伸びてゆく事を願う。
君の誕生日に阪神タイガースが負ける訳はない。
今宵も逆転して、君の誕生日を祝い、優勝圏内にまで上昇してきた。

“もう一週間もすると、君はお兄さんになるのだ。
弟か妹かはわからないが、君の子分が出来るのだ。
甘えられるのは、あとわずかだ。
兄貴として、いろいろと学ばなければならないのだ。
人生の荒波に向かって・・・・・だ“
                          誰よりも君を愛す 寅次郎
大河4才

torajiro0421 at 09:49|PermalinkComments(0)  

2007年08月02日

「カヌー」

 川遊びも変わってきたものである。
白鳥から行って、八幡の入り口に、八幡自然公園がある。
その公園の前の長良川で大勢の子供達がカヌーを楽しんでいた。
黄色い歓声が川面にこだましている。
長良川のカヌーは美並から下流では良く見かけるが、郡上八幡では始めて見た。
それも、小学生の高学年達の様である。
地元の子供達ではないように見えた。
おそらく、ここのキャンプ場に来て、裏の山に遊び、前の川で水と戯れ、大自然を満喫しているものと思われる。
我々の時代は浮き袋すらない時代で、ひたすら泳ぐ事で、水と自然を楽しんだ。
カヌーに乗っている子達は泳げるのだろうか?
長良川に直接触れ、自然の中に溶け込める我が故郷は、自慢の出来る環境だ。
カヌーも素晴らしいが、川で泳ぐ事の楽しさも、この機に是非教えてほしいと願う。
                    小3で溺れてから泳ぎを覚えた 寅次郎
カヌー1カヌー2

torajiro0421 at 10:40|PermalinkComments(0) 自然