2008年05月

2008年05月31日

「姫路城」

 国宝であり、世界遺産である別名“白鷺城”を見る事が出来た。
昔、司馬遼太郎の「播磨灘物語」を読み、黒田官兵衛に心酔した。
彼らが生き、舞台となった場所であり、一度は見てみたいと思っていた所。
戦国時代の歴史が密度濃く、詰まっている城である。
黒田官兵衛、羽柴秀吉、池田輝政、千姫、・・・等々。
数百年の間、戦、災害で損傷される事無く、今ある事に、興味は尽きない。
ここに秀吉が居たのか、千姫が西の丸に居たのかと思うと、彼らに出会えるような錯覚すら覚える。
小高い丘にそびえ立っている、まさに歴史の街・姫路のシンボルである。
修学旅行生が多い、外人の姿が目立つ。
年輩のガイドさんが一生懸命説明をしている・・・ボランテアかな?
時間がなくて、天守閣中心にしか見る事が出来ず、残念であった。
木造建築で使われている材料は、桁違いに大きい。
長野の松本城の木造も凄いと思ったが、これはさらに凄い。
造らせた権力者も凄いが、造った大工も凄い。
計算機もなかった時代に、数百年も持ちこたえる建物を造ったのだから。
総て人力で造られたのであろう。
それを思えば、今夏、開通する、飛騨トンネル以上かもしれない。
            もう一度じっくり、秀吉や千姫に逢いに行きたい 寅次郎
姫路城1姫路城2姫路城3

torajiro0421 at 09:46|PermalinkComments(0) 歴史 

2008年05月29日

「淡路島」

 “淡路島 通う千鳥の鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守”
百人一首の内の、好きな歌の一つである。
 51年ぶりに淡路島を訪れた。
51年前は高校2年生だった。
県立三原高校で同校主催の全国高校弁論大会が開催され、出場した。
二日間行われ、前日の予選は5位で通過したが、翌日の決戦弁論では敗退した。
記憶は定かでないが、明石港から船に乗り、福良港に入り、三原高校へ行った様な思いがある。
大会のアトラクションで、始めて人形浄瑠璃なるものを見た。
この地が、それの発祥の地である事も始めて知った。
以来、文楽を見ると、淡路島を思い出す。
今回は、所属するクラブの、遠征コンペで渡ったが、高速道で一本道である。
白鳥から5時間で行けたが、当時は10時間以上かかったと思う。
50年の歳月が日本を半分以上に狭く、小さくしたとも言える。
半世紀前は、実に静かな島に思えたが、今は観光華やかな所と化した。
高速道路が、それに一段と拍車をかけている。
           便利になったが、千鳥の声聞く風情は消えたようだ 寅次郎
淡路架橋

torajiro0421 at 22:58|PermalinkComments(0)  

2008年05月27日

「アサヒがいい」

 孫の“優”(9ヶ月)がビールを飲んだ!
赤子の成長は実に早い!
半月前は寝返りもうてなかったのが、今日はハイハイをする。
チョコンと床に座り、倒れない。
機嫌がいいと「アーアー、ウーウー!」とでかい声で、手を上下する。
馬は、生まれて数時間後には、四足で立つと言う。
それ程ではないにしても早い!
歯が生え出して、痒いらしい。
何でも口に入れる。
スプーンを口にして「アウ、アウ、ウウー」と何かをアピールする。
テーブルの上にあるもの、総てに手を出す。
缶ビールをつかんだ!
口に持ってゆく!
カメラ! カメラ! はいポーズ!
誰が教えたものでもない。
                          これも我がDNAか? 寅次郎
優ビール優スプーン

torajiro0421 at 06:46|PermalinkComments(0)  

2008年05月25日

「健康福祉祭」

 健康に感謝し、今年も参加して、元気に戦ってきた。
昨年は一日に4試合を戦い、銅メダル!
へとへとになり帰還したが、今年は2回戦であっさり敗退!
余力を残しての、ご帰還と相成った。
投手力を強化して、今年は金メダルを、と目論んでいたが・・・・。
負けた言訳は、五万とある。
正式審判員の服は着ていたが、一塁塁審は全く、いい加減野郎。
相手チームが、その判定に、ニヤニヤ喜ぶ始末。
それが一度ならず、二度、三度、すべて得点に結びついてしまった。
切れ易い寅次郎は、猛抗議したが聞き入れられず、完全に戦意消失!
きわどい判定は、審判の権限で上等だが、明らかな誤審は、協議すべきだ。
こんな三流審判の試合では、反省会で、酒の肴が増えてしまう。
二試合元気に戦って、陽気に酒が飲めれば、それ以上グズグズ言うな!
ハイ!その通りです!・・・でも・・・。
「くそったれ審判のバカヤロー!!」
「とうふの角で、頭打って、死んじまぇー!」・・・お終い!
                         今日も呑んじゃった 寅次郎
福祉際08

torajiro0421 at 06:39|PermalinkComments(0) スポーツ 

2008年05月23日

「市長・慰労会」

 硲 孝司・初代郡上市長の引退に伴う、慰労会が催され出席した。
郡上市内各界から200余人が集った。
藤井孝男参議院議員、野島征夫県会議員、日置敏明郡上市長からそれぞれ、労いの挨拶があった。
地方自治に携わる事、37年。
奥様共々、本当にご苦労様でした。
日本舞踊・西川流・西川まさこ、演歌歌手・石原詢子のアトラクションは豪華。
でも半数は、それぞれの話に夢中で、観ず、聴かず、もったいない。
慰労会とは、出だしの挨拶だけで、後は社交の場と化す。
日頃ご無沙汰している人、なかなか逢えない人との出会い、挨拶、交流の場となる。
会場内で、顔と名前の一致する人は、約半分である。
酒を勧められれば、断れない性格で、ついつい呑んでしまう。
♪酒の余勢で河内山・・・・。
酔えば、少々敷居の高い人にでも、平気で話し込んでゆく・・・ベラベラと。
翌朝、目が覚め、もらった名刺を見て、逢った事を思い出す?
何ともいい加減な男の、いい加減な話だ。
折角の良い機会なのに、酒に負けてしまう。
酒に負けない、硲 孝司・元市長のDNAが欲しいものだ。
                           お疲れ様でした 寅次郎
慰労1慰労2慰労3

torajiro0421 at 08:08|PermalinkComments(0) イベント 

2008年05月21日

「清流会」

 美谷添生君の郡上市議会議長就任祝賀会を開催した。
そこで、彼との関わりを、自分なりに調べたら、この会(清流会)が出てきた。
青年会議所は直接、政治活動に関与してはいけない、と言う不文律がある。
しかし、郡上青年会議所は設立当初から、政治に興味のある者は多くいた。
会議所で政治を語れないのでは、活力が半減すると考えて、内部に別の会を作った。
郡上青年会議所・政治部会では具合が悪いので、それが清流会と相成った。
青年会議所OBとの関連が強いので、会長はOB会長が当った。
町会議員選挙ともなると、メンバー及びOBの中から、複数が立候補する。
清流会はその調整もした。
この調整が一番難航したのが、1988年の町長選挙。
メンバーの美谷添生君が、時の現職・三島重郎氏に挑んだ時。
郡上JCは、真っ二つに割れて、喧々諤々!
会議を開いたり、根回ししたりしたが、調整は不能となった。
新人に味方する、会長・寅次郎は、その責任を取って、辞表を提出した。
しかし、これとて、辞めろ!辞める事はない!で紛糾。
結局、辞表は棚上げされ、その2年後の1990年にOB会長を辞任した。
当時はもろにぶつかり合った。
それでも、平然としていた。
今、そんな勇ましい話は、微塵も聞かれない。
世の中は確実に変化している・・・・寂しい方向に。
                    今は、思い出だけが生きがいの 寅次郎
祝賀会

torajiro0421 at 17:22|PermalinkComments(0) 政治 

2008年05月19日

「創生会」

 戦国武将で西国の覇者と言われた“毛利元就”は鷹揚な人柄だったとか。
部下が「この件は、こうしたいと存じますが」と進言すれば、
元就公は「あー、そうせい、そうせい」と認可するのが、口癖のようだった。
そこで、ついたあだ名が“そうせい公”。
「創生会」はそうではない。
今から20年前、美谷添生と言う、39歳の町会議員を、町長にしようと目論んだ。
三島重郎・長期政権に果敢に歯向かった、血の気の多い集団の名前である。
“生を育てよう、創ろう”と言う会であった。
首謀者は一応、寅次郎。アジトは、寅次郎の拙宅。
選挙戦に入ったが、肩書きのある者は、誰一人寄りつかなかった。
親類縁者ですら、無謀な事、子供の火遊び、と冷ややか。
テーマソングは、この時はやった、キャンデーズの“春一番”
 ♪古いコート脱いで、出かけませんか・・・もうすぐはるですねぇ・・・♪
古い体制選挙に対抗して、若者・勝手連選挙をぶつけて戦った。
得票率、46,2%対53.8%で敗れた。その差、3.8%!
敗れたけれど、誰一人負けた気はしなかった。
“白鳥町の夜明けだ!”と
「若い者を甘く見ていた!申し訳ない」と自治会長が頭を下げられた。
美谷添生が郡上市議会・第3代目議長になった。
これは、果敢に戦った、20年前が原点であったと思う。
以来、多くの人に支えられてきた。
                     これから、恩返しをする番だ 寅次郎
生議長

torajiro0421 at 08:50|PermalinkComments(0) 政治 

2008年05月17日

「訓 練」

“笑っていいとも”は民放、お昼の長寿番組である。
それほど、面白いとは思わないし、何処にそれだけ長寿の秘訣があるのか?
日本人のレベルもここらあたりか?
サングラスの司会者“タモリ”を、かなり馬鹿にして、暇つぶしに見ていた。
あるゲストがタモリに、こんな事を聞いていた。
「タモリさんは次々と言葉が出てくるが、何か訓練しているのですか?」と
今はやっていないが、若い頃は、徹底的にやったと言う。
「どんな訓練ですか?」
ドライブで、車に乗せて貰った時などは、助手席で、前に映る景色、出来事などを、途切れることなく、実況中継したという。
ほほー、おもしれぇ!・・・寅も実験してみた。
運転しながらやってみた。
意外と難しい・・・・途切れる。
「えーと」「あのー」「うーんと」「そのー」・・・が多くなる。
運転しながら「只今、前方の信号は赤であります、そして・・・」
実況に夢中で、ブレーキを忘れ、交差点に入ってしまった・・・・。
クラクションが鳴った! そして「バカヤロー!」
タモリをくだらないテレビと馬鹿にしていたが、視点を変えれば、答えは違ってくる。
                            口数の少ない 寅次郎
タモリ赤信号

torajiro0421 at 09:49|PermalinkComments(0) 独り言 

2008年05月15日

「警 告」

 立て続けに、空前絶後の大災害が発生した。
ミヤンマーにおけるサイクロン。
5月15日現在で死者38,000人、行方不明者28,000人。
軍事政権の混乱を恐れてか、外国からの援助、救済を拒否していると聞く。
権力保持の為なら、手段を選ばない姿勢に、唖然とする。
人間のする事ではない。
犠牲になり、泣くのは何時も庶民だ。
過去の歴史の中にも、軍事独裁はあった。
しかし、それらは早晩、滅びている。
人間の愚かさに早く目覚めて欲しいものである。
今ひとつは中国・四川省の大地震である。
阪神淡路地震の30倍の規模だと言うから、想像を絶する。
5月14日現在で死者15,000人、生き埋者27,000人。
正確には掌握できていないと言う。
ここは、政府首脳が現地にとび、救済に懸命と聞く。
北京オリンピックを控えて、安穏とはしていられない。
しかし、ここの近辺は、チベット自治区。
権力をめぐって、紛争が絶えない所である。
大自然の前には、人間の権力などは無に等しい。
この二つの災害は、おごり高ぶる人間に対する、地球からの警告ではないだろうか。
                 ささやかでも手助けの方法を考えたい 寅次郎
サイクロン中国地震

torajiro0421 at 08:24|PermalinkComments(0) 自然 

2008年05月13日

「虎の旗日」

 阪神タイガースが勝った翌日、拙宅の玄関に、はためきます。
旗日と言っても、休日にはなりませんが、気分のすこぶる良好なる日。
掲げる時は、聖歌“六甲おろし”を鼻歌で斉唱します。
我が町内には、巨人ファン、中日ファンも沢山おられます。
そして、私同様に、勝った日は、旗を掲げます。
しかし今年、それらの旗は、見るには見ますが、ほんの時々です。
阪神の旗ばかりが、毎日毎日では、その内、石が飛んで来はしないか・・・。
盗まれはしないか・・・・。
燃やされないか・・・・。
チベット:中国になりはしないか・・・。
嫌がらせの電話が来ないか・・・・。
その携帯電話の着メロが、“六甲おろし”だから・・・。
こんな事では、友達が減るんじゃないか・・・・。
・・・たまに負けると、やれやれ・・・・?
          岡田はん、こんなんで、気ぃ許したらあきまへんでー 寅次郎
T・フラッグ携帯JFK1

torajiro0421 at 07:52|PermalinkComments(0) スポーツ 

2008年05月11日

「監督入院」

 仏の戸川監督が入院した。
第12回サクラカップを目前に控えてである。
大会の運営に支障を来たすし、チームとしても戦いに悪影響は必至だ。
足が痛み出し、痺れが来て、歩行困難になったと言う。
家でおとなしくしていても悪くなるばかりで、ついに入院。
様々な検査結果から、重度のヘルニアとの事。
寅にも経験があるが、トイレにすら歩いては行けない。
はいつくばって行った記憶がある。
重度と言う事で、回復は、長期戦になるとの事。
原因?
昨日今日、突然、軟骨が飛び出して来た訳ではない。
ドクター寅次郎の診立てでは、永年に渡る、慢性疲労が主因。
それが重なり、徐々に進んで、ある日突然、神経に触れるようになった。
当らずとも遠からずだが、その治し方は、忘れてしまった。
以後、俺や、喜八が監督代理をしたり、カク八が世話を焼いたり、落ち着かない。
常日頃は、仏の戸川で、控えめであるが、居なくなるとその存在感の大きさに驚く。
こうゆう人が、本物の指導者と言うんだろうなぁ。
不在の今、物事がスムーズに進まない、まとまらない。
俺たちが、如何に役に立たない人間であるか、ハッキリ証明された。
             もう駄々をこねません、早く復帰してください 寅次郎  
戸川監督戸川2

torajiro0421 at 07:50|PermalinkComments(0) 人物 

2008年05月09日

「第3集をめざして」

 何とか第二集が出せる所まできた。
“寅次郎の徒然草”のアクセスは、平均して20件/day 強である。
寅次郎の面が割れてしまい、いい加減な事が書けない感じ。
いい子になりすぎて、自分でも面白くない。
一番楽しい、人の悪口、下ネタがスムーズに出てこない。
いい歳こいて、何を今更、格好つけようとしているのか。
いい歳こいて、昼も夜も、まだまだ現役なのに!・・・ウッソ!ホント?
昼も夜も、大いに、不良老人であるべきだ!
昼も夜も、現役で不良である以上、やりたい事はやるべきだ!
「山の神が、なんだ!」
悔いを残すと、いい後期高齢者にはなれないぞ!
寅の周辺には、後期高齢者でありながら、現役で不良の老人が2〜3人いる。
酒は飲む、女には触る、グダグダも言う・・・・・・尊敬しています。
後輩と致しましては、これ等の後期不良老人をお手本に、生きます。
鼻をつままれようが、嫌われようが、けなされ様が、ひたすら耐え抜いて・・・。
第三集を目指します。
                    世の中を、はすに構えて・・・・寅次郎
県幹部志津野

torajiro0421 at 08:10|PermalinkComments(0) 独り言 

2008年05月07日

「ねんりんピック’08」

 今年も全国大会切符は早々に売り切れた。
この日は、白鳥の春祭りと言う事もあり、メンバーは満足に揃わなかった。
エース不在で戦いに挑んだが、引き分け、抽選負け。
試合は先制して、終始押し気味であったが・・・。
審判のデッドボール・ミスジャッジから流れが向こうに行ってしまった。
それでも、得点するチャンスは何度もあったが、神様はこちらを向かなかった。
今年の全国大会は九州鹿児島だと言う。
「篤姫」に逢いに行きたかったが、夢幻と消えた。
白鳥に帰れば、春祭りの真っ最中!
負けた悔しさも手伝って、痛飲した。
白鳥春祭りは、御輿、山車がメインである。
かっては御輿を担いで、走り回ったが、あれから久しい。
酒が体に満ちてくると、お祭りの虫が、這い出して来る。
見てるだけでは詰らん、来年は造って担ごう! おー! と意気軒昂。
酔った時のから元気?
                           帰宅時間不明の 寅次郎
ねんりんピック08御輿1御輿2

torajiro0421 at 22:16|PermalinkComments(0) スポーツ 

2008年05月05日

「帰らんちゃよか」

大失敗!大事な人に出会っておきながら・・・・。
故佐藤良二氏のご縁で、シンガーソングライター関島秀樹氏と会えた。
さくらカップの大レセプションに飛び込みで来て頂き、自作のオリジナル曲
「てんごの夢」をギターの弾き語りで、歌っていただいた。
事前に、関島氏のパンフレットを頂きながら、キッチリ読まなかった。
さくらカップを終えてから、そのパンフレットを見て、ほぞをかんだ。
何と、この関島秀樹氏は「帰らんちゃよか」の原曲である「生きたらよか」を
創って、歌っている人ではないか!
先日、TVで島津亜矢の「帰らんちゃよか」を聞いて、ホロリとしたばかり。
CDを買って、覚えようとしていた矢先である。
レセプションの時に知っておれば、是が非でも歌ってもらったのに!
軽率なばかりに、千載一遇のチャンスを逸してしまった。
この歌は、都会に出て行った我が子への思いを、切々と歌ったもの。
寅も、かって20年余、親元を離れ、様々な思いを致しました。
そして今、親となり、子供を思いやる立場。
人として、生きとし生けるものとして、しみじみと聴ける歌である。
                   座右の銘ならぬ、座右の歌である 寅次郎
関島秀樹島津亜矢

torajiro0421 at 08:49|PermalinkComments(0) 芸術 

2008年05月02日

「68対0」

 外孫“優”0才(8ヶ月)、美人!?
つい最近まで、家に来ても、ジージの顔を見ると泣き出した。
ジージ以外でも、腹が減っていたり、気分が悪いと、すぐに泣き始める。
そこに行くと長男・大河は全然泣かなかった。やはり男か!
同じDNAでかくも違うものかと、泣き止まぬ美人“優”を眺めた。
ところがジージ68歳の誕生日に訪れた時は、人が変わったように愛想がいい。
「たったったっーたっ!」と腕を振り振り、歌まで歌ってくれた。
歯が生え始めて、痒いのか、盛んにものを口にして噛んでいる。
一月ほど前まで、ほっぺからあごにかけて、よどでただれていて可愛そうだった。
皮膚疾患には、キハダが良く効くと聞いて、親に教えてやった。
それが効いてか、最近はすっかりきれいになり、一段と別嬪になった。
この優が二十歳の成人式の時、このジージは88歳だ。
どんな世の中になり、優とどんな会話をするのだろうか?
「男の選び方・だまし方」等を教えてやろうかなー・・・・。
        早く、その日が来てほしいような、来てほしくないような 寅次郎
優と

torajiro0421 at 08:40|PermalinkComments(0)