2008年06月

2008年06月30日

「新緑の大白川」

 昨年は橋梁の復旧工事だった。
今回は治山工事がある、と言うので下視に行った。
大白川の本線から外れての枝道は、始めてのドライブ。
河を渡ったが、その水の色には感動するものがあった。
人里離れた山奥にしか、こんな色の水、川は見られない。
本線からは視野に入らない所で、崩落が随所にある。
長年かけて、復旧がなされてもいるが、難工事が多いようだ。
上空から調査がなされて、崩落箇所が発見されるのだろう。
これらが放置されると、崩落は大きくなり、山が荒れてくる。
今、日本は、山を見直し、山を守る空気が強まってきた。
大切な資源であり、自然保護、環境保全の空気である。
今朝の新聞に、岩手・宮城地震で変わり果てた清流の写真があった。
自然の崩壊は、美しいものを奪い去ってゆく。
コンクリートで固めるのではなく、その場所に合った形の復旧でありたい。
新緑の空気、それを映す清水、これらに接すると、人は純粋になる。
情報渦巻き、騒乱の現代社会に埋没している我々。
月に一度位は、情報の届かない山奥に、ボンヤリする時間があってもいい。
そこは、財布など何の価値もない所だ。
                            携帯の嫌いな 寅次郎
大白川清流

torajiro0421 at 08:28|PermalinkComments(0) 仕事 

2008年06月28日

「何故、阪神なの?」

 小学校4年生の頃、ガキ大将番付の、関脇に位置していた。
いわゆる番長は張れなくて、NO,3だったのだ。
プロ野球の応援をするに当って、先ず、番長が「俺は巨人だ」と言う。
すると、NO,2は「俺は中日」と言う。
NO,3の俺は、本当は一番強い巨人と言いたかったが、許されない。
「阪神タイガース」と言うしかなかったのだ。
以下、力の弱い連中は、好きなチーム、好きな親分の所を選べば良いのだ。
そして共通項を持った、仲良しグループが幾つも出来る。
俺達は“相撲部屋”も持っていた。
力士も何人か抱えていて、雪の運動場では、土俵を各部屋毎に造り、稽古をした。
これとて、選ぶ基準は、野球と同じ事。
俺は、春日野部屋で、当時はまだ前頭に上位だった、栃錦の大ファンであった。
今でも春日野部屋の力士は、気にかかる。
野球は阪神の、藤村。相撲は小兵で技能派、栃錦。
ラジオにかじりつき、一喜一憂したものだった。
腹が減って、何もなくても、楽しく元気に遊んだ頃が懐かしい。
てな訳で、今もって“阪神・命”なのである。
只今、ペナントレース独走中!
                そろそろ、中祝いの準備をしなくっちゃ 寅次郎
寅狂栃錦

torajiro0421 at 08:33|PermalinkComments(2) スポーツ 

2008年06月26日

「カタログのお返し」

 二人目の娘の結婚式で、引き出物選びで、議論した。
この所、他所様の祝言に御呼ばれして、そのお返しはカタログが多い。
俺はこれが嫌いだ。
このカタログの中から、お好きなものをお選び下さいと言うのだが・・・。
一見、合理的に見え、無駄がなくて良いように思える。
でも、送る側の“気持ち”が全然伝わってこないのだ。
高いお祝い金を出して、安っぽいカタログの中から、どうぞご自由に・・・。
俺に言わせれば「慇懃無礼!」だ。
結ばれる二人が、よく吟味して「これを記念にしていただきたい!」
と言う品物であれば、例え家でダブった品物でも、その心、気持ちはダブらない。
よしんば、値段の高低などは論外だ。
贈る側の二人が、自分達の愛を確かめる作業の、第一歩でもあるのだ。
それを、人任せのカタログとは「何事か!」と言いたい。
それでは、自分達の愛も、人任せの薄っぺらなモノに他ならない。
偉そうに御託を並べたが、手めえの結婚式の引き出物は何だったのか・・・?
記憶は薄れ“愛”も色あせてきた、40年もたてば・・・。
                 その頃はカタログはなかったとエバル 寅次郎
カタログ2カタログ1

torajiro0421 at 10:37|PermalinkComments(0) 風習 

2008年06月24日

「第二集の終章」

 晩酌ちびちび、書きながら、酔いに任せて言っちまう。
酒が覚めれば、後悔、懺悔・・・・。
思い起こせば、恥ずかしき事の数々、今はただ、反省の日々を・・・寅。

「それを言っちゃおしめえよ!」
おしめえだろうが、おっぱじめだろうが、口から出ちまったんだ。
元にぁ戻れねぇんだ。
屁と同んなじさ。
ただ、臭いか、臭かねぇかの違いなんだ。
屁も臭うから、おもしれぇんだよ。
おもしれぇから書くんじゃござんせん、書かないと体に悪いんです。
屁も出ないと苦しいんです。
「おしめぇよ!」と言われようが、出る屁は、法律でも止まらねぇんだ。
罰せられる事はござんせん!
この屁の出る限り、寅次郎は健康です。
お忙しい中、屁みたいな文章に、毎度お付き合いいただきまして、御免なさい。
ひたすら健康の為、3年目の“放屁”に向かいます・・・反省をしながら。
                      屁っぴり腰の ヘルニア寅次郎 拝
それを言っちゃ

torajiro0421 at 08:59|PermalinkComments(0) 独り言 

2008年06月22日

「チャレンジセミナー2008」

 今年のゲストは甘利通商産業大臣が予定されていた。
サウジアラビア国王が、世界的な原油高を懸念して、急遽、産油国と消費国のトップ会談を世界に呼びかけた。
日本も福田総理と甘利大臣に出席要請があったらしい。
総理は23日に沖縄戦没者慰霊祭があり、これは欠かせないという事で甘利大臣のみ出席。
という事で、甘利大臣はビデオメッセージという形の講演と相成った。
講演も良かったが、サウジアラビア国王の機を見たリーダーシップに大きく期待したい。
世界の人々の生活に直結している、石油の値段を議論する大事な会議だ。
何故、マスコミは取り上げないのだろうか?
新聞には、一行たりとも載っていない。
福田総理も、世界がそして日本中が抱える、喫緊の問題だと位置付け出来ないのか?
沖縄の人々には誠に申し訳ない、後日改めて、懇ろにおうかがいをさせていただくと言うお願いを、沖縄に出来なかったのかと残念に思う。
セレモニー化のする洞爺湖サミットより、緊急課題の石油会議の方が大事ではないか。
総理は機を失した! いや、機と思っていない、鈍感力。
                            ご立派です! 寅次郎
セミナー1セミナー2セミナー3

torajiro0421 at 10:44|PermalinkComments(0) 政治 

2008年06月20日

「第二集出版」

 ブログを始めて、二年が過ぎた。「アッ!」と言う間だった。
“恥を忍んで懲りもせず”第二集を出した。
ブログを書き出して変わった事は
1、 カメラが手放せない・・・盗撮クセが出てきた。
2、 野次馬根性が旺盛に・・・触るクセが出てきた。
3、 たえずメモをとっている・・・痴呆症の初期?
4、 行動的になった・・・ずーずーしくなった。
5、 睡眠欲はあるが、睡眠不足・・・大奥とは起床、就寝すれ違い。
6、 食欲は旺盛だが・・・性欲は不足気味。
7、 読書をしなくなった・・・エロ本すら読む時間がない。
8、 テレビも見ない・・・もちろんビデオも・・・。
9、 喋らなくなった・・・ひたすらに、かくだけ・・・一人で。
10、ゴルフが下手になった・・・ラフ(裸婦)の方に寄ってゆく。
この事は、良い事なのか、悪い事なのか?
一つ言える事は、山ノ神殿のご機嫌が、必ずしも良くない事だ。
品性(貧性?)豊かに、と高邁な理想に燃えて書き始める寅次郎文学だが?
書いているうちに、その方向は、いつもあらぬ方に向いてしまう。
酒を飲みながらのせいであろうか?
第三集は、まじめにと思う・・・これは、寅の辞世だったはずだ。
                         すぐに初心を忘れる 寅次郎
寅次郎第二集

torajiro0421 at 08:57|PermalinkComments(0) 独り言 

2008年06月18日

「ラグビー場」

 ひるがの高原にラグビー場が作りたい!
漠然とした思いで、先ずは先進地を見学しようと、数河高原にとんだ。
ここは夏場に、高校ラグビークラブが集り、合宿をしている所。
もう30年の歴史があると言う。
寅次郎は岐阜工業高校3年の時に、ラグビー部の立ち上げに参加した。
立ち上げただけで、練習は一度もやらなかった。
やがて50年、半世紀が過ぎる。
今は、関商工にTopの座を奪われて久しい。
その関商工ラグビー部OBに友達が居て、酒席の冗談が、動き出した。
人気はサッカーに押され気味だが、力・技・スピードはラグビーが上。
加えて、伝統的ジェントルマン・シップは健在である。
野性味が薄れつつある昨今、その復活をラグビーに求めたい!
小学校の時、雪の上で、初めてラグビーを教わった。
その時受けた、先生の強烈な“タックル”が、今も脳裏にある。
                               前へ! 寅次郎
ラグビー場

torajiro0421 at 07:59|PermalinkComments(0) スポーツ 

2008年06月16日

「岩手・宮城地震」

 6月14日午前8時43分岩手県南部にM7.2の大地震発生。
土曜日でもあり、家の仕事をしながら時折、TVを見た。
ある民放は、予定番組を変更して、総てを地震の情報番組にした。
民放にしては、大きな決断を、迅速にやったと敬服。
被害は、時間を追うに従い大きくなってくる。
これは、新潟中越沖地震を上回り、阪神淡路に次ぐと言う。
これが都市であれば、大惨事は必至である。
山の滑り面を見て、ふと、白川村の“帰雲城”を思った。
この城が大地震で埋没したのは、本能寺の変の3年後である。
庄川も堰き止められ、300余軒、数百人が城と共に埋没したとされる。
山の滑り面は、現在も写真の如く残っている。
今回の地震の滑り面と、実によく似ている。
今、帰雲城は、やや伝説化されているが、実在したと思いたい。
民放は必至で、情報を流していたが、NHKはプロ野球を放送していた。
                     これも民営化が必要なのか? 寅次郎
岩手宮城地震帰雲城

torajiro0421 at 09:23|PermalinkComments(0) 事件 

2008年06月14日

「飛騨高山」

 白鳥から1時間の距離になった。
近くに居ながら、高山をじっくり見た事がない。
その昔、金森藩の足軽に瀬木満右衛門、と言う名前を歴史書で見た事がある。
我が家の先祖は、瀬木茂右衛門である。
そのルーツを高山に訪ねようと、兼ねがね思っているが、暇がない。
今回、女房の実家(茨城県石岡市)から、娘の結婚式に数人が来てくれた。
折角の機会だからと、高山に案内した。
自分も、皆と一緒になって、観光をした。
高山陣屋は、昔より格段に良くなっているのに驚いた。
古い町並みも歩き、塩を盛った、酒蔵の升酒は評判が良かった。
屋台会館は自分も始めてで、見応えがあった。
隣の桜山日光館には、東照宮の1/10模型があったが、凄い!
高山の木彫り職人の技が、造り上げたものなのだろう。
時間切れで、多くは見られなかったが、からくりの実演場もあった。
大事な、八幡宮本殿も参拝できなかった。
この先、瀬木のルーツを知る為にも、高山通いは必須の様だ。
               酒の好きな“左甚五郎”師匠も知りたいし 寅次郎
陣屋升酒忠孝

torajiro0421 at 08:20|PermalinkComments(1)  

2008年06月12日

「ささやかに」

 長女の結婚式はささやかに、身内だけの予定だった。
ところが、当日になったら、多くの皆さんが来ていただいた。
華やかな旅立ちとなり、うれしい反面、戸惑いもあった。
岐阜での式典、披露宴も50人ほどのこじんまりしたものだったが
それがかえって盛り上がりを見せた。
白鳥に戻り、留守番をお願いした人達と、あと拭きの宴会を始めた。
次々に、親しい人達が駆けつけてくれて、大宴会に盛り上がった。
飲むは、歌うは、しゃべるは、踊るは・・・・。
女房の身内の茨城組は、ビックリ仰天!
特に女性陣の元気の良さに、完全に脱帽!
茨城では想像もつかないと言う。
地元民謡が始まり、太鼓を打ち始めたら、孫の大河が、そばを離れない。
生まれて初めて聞く、音響に、これまた圧倒されたか、正座して視ていた。
慣れてきたら、バチを貸せと言い出して、自分でも叩き始めた。
ささやかにスタートした慶事であったが、盛況の内に締める事が出来た。
楽しい仲間、皆さんのお陰であり、多謝、多謝、多謝!
                     久々に人の情けが身に沁みた 寅次郎
門出宴会太鼓

torajiro0421 at 08:13|PermalinkComments(0) 家族 

2008年06月10日

「行っちゃった」

 二人目が嫁に行っちゃった。
二人目だから、バタつかないと思ったが、駄目だった。
花嫁が仏壇をお参りする。
その後ろに控えて、その姿を見ている頃から、涙腺が緩んできた。
三つ指ついて、頭を下げ「・・・永い事お世話になりました・・・・」
頭を上げて、視線が合う。顔がぼやけてしまう・・・。
「何時までも仲良く、元気にお暮らし下さい・・・・」 けな気に言う。
奥歯を噛んで、必死に涙腺をおさえた。
隣に座っている女房は、鼻をすすっている。
日頃は“いい加減に嫁に行け!”と心中思っていた。
だが、いざとなると、このザマだ。
 式、披露宴は、和やかに、楽しく進んだ。
式の終盤、花嫁が読むお礼の言葉、時折、むせびながら・・・。
又しても、こみ上げてくる。奥歯を、きしむ位に噛んだ。
出会い別れは、人の世の常とは言え、かくも辛いものか・・・。
二人目なのに・・・。
平凡で良い、子供を沢山つくり、にぎやかに暮らしてほしい。
                 「花嫁や 空梅雨なのに 袖の濡れ」 寅次郎
別れ言葉親子

torajiro0421 at 08:47|PermalinkComments(0) 家族 

2008年06月08日

「二人目」

 二人目が嫁に行く。
7年前、最初の娘が嫁に行くときは、総てに緊張した。
その時は、半年前から、挙式当日までの工程表まで作った。
最も、その時の娘本人は、次女でのんびり屋でもあったせいもある。
大切なお客様に、失礼があってはならないと、カカと喧嘩しながらやった。
今回二人目はどうかと言えば、俺は、至極のんびりと構えている。
娘当人が、かなりシビアに計画し、口を挟む余地がなさそうなので。
俺は、自分の守備範囲だけ、堅実に守っていれば良い、と言う感じである。
余裕があると言えば、そうかも知れないが、やや物足りなさも感じる。
娘が家を出てゆくのである。
肩の荷は下りるが、淋しさは禁じえない。
男子ばかり5人もうけた我が親は、嫁を貰うばかりの立場を経験してきた。
出す方の気持ちは知らない。
近くに出すのならば、左程でもないだろうが・・・・。
40数年前、茨城から岐阜に来た、我が女房。
その時の親の気持ちが、今にして解かる心地がする。
                        総てに気付くのが遅い 寅次郎
石岡組式前日

torajiro0421 at 06:08|PermalinkComments(0) 風習 

2008年06月06日

「家 紋」

 我が家の家紋は「丸に橘」である。
その由来は解からない。
NHK大河ドラマ「篤姫」に彦根藩主・井伊直弼が登場してくる。
その井伊家の家紋が、「丸に橘」で、我が家と同じなのである。
井伊家と瀬木家では月とすっぽんで比較にならないが、家紋は何故か同じなのだ。
故事来歴が知りたいものである。
幕末、開国論者の井伊直弼は、尊皇攘夷の水戸藩浪士により、桜田門外で暗殺される。
水戸と言えば、下総の国(茨城)であり、我が愚妻の出身地。
「丸に橘」が「水戸」に討たれるとあらば、クワバラ、クワバラである。
明治百年を契機に、彦根市と水戸市は“親善都市”を提携している。
この歴史的わだかまりを超えて、提携を結んだのが、昭和43年。
その前年の昭和42年に、我々は結婚をしている。
両者の、怨念、わだかまりを越えるが如く?
結婚以来40年が過ぎた今、わだかまりが、ぶり返しつつあるやにも・・・。
歴史は繰り返すとも言われる。
寝首を掻かれる、かもしれない・・・・熟睡は出来ない。
                      逆らわないようにしている 寅次郎
家紋瀬木和服井伊直弼

torajiro0421 at 08:41|PermalinkComments(0) 歴史 

2008年06月04日

「キャディ」

 最近はセルフプレーが多くなり、キャディさんとは縁遠くなった。
今回は始めてのコースなので、贅沢ではあったが、キャディさんをお願いした。
グリーンの芝目、傾斜等々を、細かに教えてもらった。
ある程度は自分でも読めるが、自分のは如何に、いい加減かがよく解った。
一口にキャディと言っても、ピン・キリである。
今回のキャディさんは、ゴルフの腕前は、我々以上とお見受けした。
 前日の最終ホールで、2連発のOBを打った。
今日も最終ホール一つ手前で、同じ球筋のミスショットで、OBラインギリギリ。
そこで、キャディさんが言った。
「球に近づいて立て!」
「疲れてくると、球から離れ、上体だけで打ちにゆくから」と。
最終ホール、優勝のかかったショットだった。
言われたとおりに立って、思い切って振り抜いた!
Good Shot! ドラコンまでいただいて、優勝出来た!
キャディ様々!神々しい女神に見えた。
長いゴルフ人生で、キャディに、スイングを指摘されたのは始めてだった。
こんな人が身近に居れば、俺はシングルになれる、とまで思ってしまった。
                      すぐ調子に乗る、単細胞の 寅次郎
キャディ

torajiro0421 at 09:24|PermalinkComments(0) スポーツ 

2008年06月02日

「完全優勝」

 春の白鳥クラブ遠征コンペで初日、二日目共に優勝し、総合完全優勝を果たした。
数年前に、九州宮崎でも成し遂げて、今回は2回目である。
初日は兵庫県淡路島・洲本GC。
始めてのコースで、とにかく無理をせず、ボギーペースでやろうと決意。
44,46=90。最終ホールで左に2発のOBを打ったが、予定の90。
H’capが19で、1アンダー。2位に1打差で逃げ切った。
二日目は琵琶湖畔の名門、瀬田GC・東コース。
前日の、夕食懇親会席上、優勝スピーチで「完全優勝をやる!」と、生意気に、
酒の余勢で言い切ってしまった。
ここも始めてで、雨は降る、前夜の酒は残っている・・・。
集中できぬままスタート・・・いきなり4パットのトリプルボギー・・・アアー。
生意気な事を言うんじゃなかったと、気持ちが萎えてきた。
48で前半終了。他の者は、41や44が居るという。
後半は42で上がれば、目標の90だ。
「よし!」と生ビールを一気にあけて、気合を入れなおした。
するとどうだ!17番まで何と、2アンダーではないか!
そこで、昨日の最終ホール、OB2発の“9打”が頭をよぎった。
その時、キャデーが「ボールに近く立って振り抜け!」と言う。
美しい女性の言う事は、素直に聞くのが寅次郎だ!
振った!ややフエードかかったボールは、ドラコンの旗を僅かに越した!
結局、セカンドを失敗してダボになったが、40だ!88だ!3アンダーだ!
今日も2位に、1打差で逃げ切り、2連勝! 総合のVと相成った。
司馬遼太郎“播磨灘物語“の主人公・黒田官兵衛の“粘り”に学んだ勝利かな?
                「姫路より 淡路、琵琶湖と 勝ち戦」 寅次郎
洲本GC

torajiro0421 at 08:14|PermalinkComments(0) スポーツ