2008年07月

2008年07月30日

「頭内撮影」

 頭の中に造影剤を入れて、克明に写真撮影をした。
約1時間、手術台に固定され、ピクリとも動けない。
まるで、拷問である。
特に頭は、ガムテープ状のモノで、何重にも押さえつけられる。
撮影時は唾も飲み込むなと言う。
何故かこの時、うなぎをさばくのを思い出した。
うなぎの頭をまな板に、釘で刺して固定する状況をだ。
でも奴は殺されるが、俺は救われる為にだと、言い聞かせて耐えた。
右腕に麻酔注射をしてから、管を通してゆく。
右肘内側から出発して、脇の下でUターンして下に向かう。
心臓を通って、ここでもUターンして上に向かい、首の辺りで止まるらしい。
脇の下辺りで「あー通って行くなー」と感じる位で、後は何ともない。
管が固定され、造影剤が投入されると、“カー”と熱くなる。
丁度、打ち上げ花火が開いて、しぼむ位の時間である。
その間に、パシャ、パシャ、パシャと数枚撮るようだ。
これを、あらゆる角度から撮影する・・・・1時間。
途中で先生が手を握り、握り返せという。
状態に変化が無いかを、常に掌握しながらの拷問だ。
最後に「少し長い時間、熱くなるよ」と言った。
なるほど後頭部が“ガガガガー・・・・!」
二尺球位であったろうか?
締め付けた帯を解かれ「お疲れ様」と、先生の声に、不覚にも一筋、涙が・・・。
                        失禁でなくて良かった 寅次郎
点滴カテーテル跡

torajiro0421 at 08:00|PermalinkComments(0) 健康 

2008年07月29日

「右手異変」

 10日程前、突然、右手の指が動かなくなった。
ナイターソフトで負けて、車に乗ろうと、キーを掴もうとしたが掴めない!
何だコリャ?・・・おかしい!?
さっきまで、バットを振り、ボールを投げていたのに・・・・?
家に何とか帰り、風呂を浴び、ストレッチングをした。
徐々に回復してきて、1時間ほどしたら、元に戻り、やれやれ!
一時は、右半身不随になるのか?・・・長島のように、と思った。
ところが、昨晩、同じ状況が起きた。
缶ビール片手に、阪神:中日を見ていた。
今日も阪神の楽勝かと思いきや、6回、一気に6点取られ逆転、ヤバイ!
その頃、右手に異変を感じ出した。
箸が持てない、もっても肴がつまめない。
前回と同じようにストレッチング等で、何とか元に戻った。
三度目起きるのが怖くなって、翌朝、医者に向かった。
ここまで書いて、鷲見病院の門を叩いた。
問診の後、頚動脈に聴診器があたり、左右何度も聴診が繰り返される。
「原因はここだ!」「ここが詰まって、かなり細くなっている」と先生が明言。
予断を許す段階ではない。
様々な検査の結果、即入院となり、家にも戻れず、ベッドに収監された。
自分の言った冗談が、奇しくも先生の言と一致した。
長嶋茂雄と同んなじだと先生も言う!
冗談じゃない、無名の俺が、かの有名な男と、病気だけが同じでは間尺にあわねぇ。
俺は相当に軽くて良いはずだ?
でも、間一髪のようだった。
病院行きを「うるさく勧めた奥さんのヒットだ」とは先生の言。
実を言うと、今日は、高校の友人にゴルフを誘われていた。
何故か、その時(先週末)、すんなりと断っていた。
神はまだ、寅次郎を生かそうと思し召しのようだ。
夕方、大河や優が、病院へ来てくれた。
こいつらの顔を見ていると、まだくたばる訳にはいかんぜよ。
まもなく、消灯時間だという。
今日はひとまずここまで。
                 快調な 寅 鷲見病院に 逮捕され  寅次郎
ベット

torajiro0421 at 20:00|PermalinkComments(0) 健康 

2008年07月27日

「土用丑のうなぎ」

 何処が産地か解からないが、土用の丑と言う事で、鰻をいただいた。
鰻は大好きである。
昔は、親父がよく取ってきて、食べさせてくれた。
夕方、大きなミミズか、小魚をつけた針と糸を仕掛け、翌早朝、揚げにゆくのだ。
時々、親父に付いてゆき覚えた。置き釣り(おきずり)と言った。
大きいのは、身をよじり、糸を切って逃げてしまっている。
残った糸には、鰻の格闘の後である、油がべっとりとついている。
その糸を見て、可愛そうなのと、逃げられた悔しさが、相半ばした。
仕事から帰った親父は、自慢げに、見事にさばいて、食膳にあげてくれた。
原産地、長良川上流、何の汚染もない天然うなぎ!
今はもう、ほとんどお目にかかれない、幻みたいである。
貧乏であったが、ある面では、ものすごく豊かであった!
ところで“土用丑の鰻”の由来は?
 昔、商売がうまくゆかない鰻屋の親父が、平賀源内の所に相談に行った。
源内はエレキテルの発明者でモノ識りである。
「丑の日に“う”の字のつく物を食べると夏負けしない」と言う伝説にヒント。
「本日・丑の日」と書いて、店先に張る事を進めた。
物識り源内の言う事だからと信じて、人々は鰻を競って食べ、店は大繁盛。
                    鰻を見ると親父が思い出される 寅次郎
うなぎ

torajiro0421 at 08:56|PermalinkComments(0) 風習 

2008年07月25日

「関商工ラグビー部」

 先月中旬に高校ラグビー夏合宿のメッカ、飛騨古川を見てきた。
以後、いろいろな人に会い、高鷲・叺高原に、何とか出来ないものかと奔走。
昨日、今日と、関商工ラグビー部が、叺高原グランドで練習をしてくれた。
それに合わせて、現地で関係者に集まっていただき説明をした。
郡上市の商工観光課、高鷲教育委員会、和田郡上市観光連盟会長、スノーパークスキー場・清水支配人、関商工からは今井監督と尾関OBと寅次郎の9人。
今迄のいきさつから始めて、将来展望までを話し、その為の施策を練りたいと説明。
全員、大筋で“結構な話だ”前向きに進めようと言うムードであった。
ここの2面だけでなく、近辺を見て歩き、良さそうな土地の沢山あるのも確認。
東海北陸自動車道全線開通のメリットを、生かす絶好のチャンスだと捉えた。
まずは、企画書を作成すると言う事で、寅次郎がそれを請け負う。
その後、昨日今日と参加している、48名の子供達と監督の練習風景を見た。
炎天下ではあるが、子供達の様子が、下界とはまるで違うと監督が言う。
ここにグランドが完成すれば、京都・伏見工業等も来ると言う。
それに、付随する高校が沢山集ると言うから、何とも楽しみな話だ。
今年の冬は三日間だったが、この地で世界のアスリートを見た。
次は、日本の高校トップクラスのラガーマンガ見られる。
それも、毎年、夏のロングランとしてだ!
                        一流が見たい、三流の 寅次郎
叺G3叺G2叺G1

torajiro0421 at 08:09|PermalinkComments(0) スポーツ 

2008年07月23日

「栢野の大杉」

 樹齢 2,300年の大杉を見た。
所用で小松市に行った帰り、高速に乗らないで国道364号線を永平寺に向かった。
途中、山中温泉のはずれに、菅原神社があり、その境内にそびえ立っている。
昭和22年に昭和天皇が行幸され、ご覧になっている。
境内はこの大杉を保護する為に、木の桟橋が架けられている。
土を踏み固めないようにとの配慮とか。
二本の杉がくっ付いたのか、枝分かれしたのか、5mくらい上で別れている。
その分かれている所に、大きなコブがある。
逆さに見れば、人間の足の付け根にある、男性シンボルのタマに見える。
女性はじっと見てると、恥ずかしいと言う人も・・・・。
でも、大杉をなでている人もいた。
わが町、白鳥町にも、石徹白大杉がある。
樹齢1,800年で、7位にランクされているらしい。
どちらも、白山開帳の泰澄大師が関連している。
我が家にも、二本の杉がくっ付いたテーブルがある。
郡上高原CC造成の時、伐採した根を、加工したもの。
二つが仲良く、くっ付いているのに魅せられて、記念に創った。
我々もくっ付いて40年以上が過ぎたが、何とか持ちこたえている。
                   2,300年には遠く及ばないが 寅次郎

大杉1大杉2杉テーブル

torajiro0421 at 07:50|PermalinkComments(0)  

2008年07月21日

「劇場野球」

 久々にナゴヤドームに行って来た。
鳥谷スリーラン、高橋ツーラン等で圧勝!気分爽快!
これ程タイガースフアンの多い、ナゴヤドームは始めてであった。
無理もない!トラは首位独走、ドラは4位転落の危機では。
トラキチは家を出る時、すでに制服に着替えている。
ドラキチは球場に入ってから、法被に着替える。
トラキチは何処にいても、朝起きたら、すでにトラキチなのだ。
試合が始まる。
“六甲おろし”が、“燃えよドラゴンズ”が、映像と共に響き渡る。
個々のヒッテングマーチにのり、選手が登場する。
ボリュームアップして、場内は興奮してゆく。
野球は劇場型インドアスポーツになってしまった。
“野球”は“野の球“と書くが、今や昔か?
人工芝はイレギュラーを消した。
高く上がったフライは、風に流される事はない。
雨の影響はない。
野球は、野の球でなくなり、機械化されてしまった。
意外性は限りなくゼロに等しく、勝負は自然と淡白になる。
野球は”筋書きのないドラマ”でなくなってきたのでは・・・。
“勝負の女神“も、いたずらのしようがなくなってきた。
夜空に舞い上がる白球を、ビール片手に追う・・・。
火照った顔を夜風が撫でる・・・・風物詩だ。
でも、今夜は勝ったから、グダグダ言うまい!
                     “野の球”はやはり甲子園だ! 寅次郎
観衆金本帰路

torajiro0421 at 05:45|PermalinkComments(0) スポーツ 

2008年07月19日

「マイ・箸」

 友人から、お土産に“マイ箸”をいただいた。
お袋も、ある宗教団体の提唱で、マイ箸運動をやっていた。
最近、その箸を見かけないので、止めてしまった様である。
意味が、きちんと理解できないと、その気にならないので調べてみた。
概略は
 割り箸の使用量、日本では年間、230億膳、一人平均200膳/年。
 その90%が中国から輸入されている。
 中国は皆伐方式で切り出し、森林が消え、災害が起きている。
 その結果、日本が、中国の森林をなくしている事になる。
割り箸は、間伐材で作られるのが、森林を守るのに理想的である。
誤解をしてはいけないのは、
今、世界の森林が消えつつある、と騒いでいるのは熱帯林の事である。
建築資材の乱伐が原因とされる。
箸の材料は、北方材の硬いもので、熱帯の柔らかいものは使えないらしい。
従って、マイ箸運動が成功しても、世界の森林消滅には、ほとんど影響はない。
但し、中国の森林が守られる事は間違いない。
マイ箸運動は、むしろ大量消費型のライフスタイルに、警鐘を鳴らす運動だと思う。
日本も太平洋戦争末期、木材不足で、割り箸禁止の時代があった。
「もったいない」の再認識運動ではなかろうか。
               折角のお土産だ 使わせてもらおうと思う 寅次郎

マイ箸1マイ箸2

torajiro0421 at 08:43|PermalinkComments(0) 雑学 

2008年07月17日

「藤政会チャリティーコンペ」

 岩手・宮城内陸地震への義捐金募集を目的にしたコンペを開催した。
狭い日本の中で、災害で苦しんでいる人達が居る。
漠然と棒切れを振り回して、遊んでんじゃ、申し訳がない。
僅かな事しか出来ないが、気持ちだけでも、と言う気持ちで。
藤井先生ご夫妻も、元気にスタートされました。
でも、数時間後は肩を落として、フィニッシュしてこられた。
災害地の事が脳裏から離れなかったのか・・・・・。
結果は、先生がブービー賞、奥様がホタル賞。
前代未聞であります!
奥様は今迄でも、決してご主人の前に位置することはありませんでした。
何処かの夫婦と違って、奥ゆかしいのです。
しかし、今回は、これ以上は後がない所に、位置されました。
ご主人も、こうまで、奥様を追い詰めなくても良いのでは・・・・・。
議員になりたての頃の先生は、いずれはシングルとまで、噂されたものです。
役職が増え、地位が向上するのに反比例し、スコアはダウンの一途。
これ以上、偉くなると、もっと下手になる!
そうなると、藤政会のコンペも出席されない可能性も充分にありうる。
もっと下手な人を沢山入れて、取り揃えて置かないと・・・・。
義捐金は、お陰様で¥69,080−集りました。
山下会長、川尻委員長が新聞社へ届けると申しております。
暑い中、更に温かい“お心”を、誠に有難う御座いました。
ベスト5は、総て建設関連業者ばかり、構造不況の波は?
             ちなみに寅は4位でした・暇なのでしょうか? 寅次郎
藤政会コンペ08コンペ成績

torajiro0421 at 08:31|PermalinkComments(0) スポーツ 

2008年07月15日

「古田節」

 ・・・・一昨日の続き。
古田知事と加藤先生は、中学3年と1年の先輩後輩の間柄。
知事がお祝いを述べられた。
40年前と言えば、学生であり、東大が紛争し、全学連が安田行動を占拠した頃。
“自己”も確立していないのに、壇上に上がり、“自己否定”ばかり叫んでいたと。
巷では由紀さおりの「夜明けのスキャット」が流行。
「名もなく貧しく美しく」ナイ生活に明け暮れていた。
そんな時に、加藤先生の活動が始まった、と紹介。
加藤先生が、古田先輩からのラブレターを大事に持っていると見せられた。
中身を読み上げられるのではと、知事も冷や汗の一瞬があり、苦笑。
お祝いも出さないで、立派な書をいただいたと、好きな徳川家康の遺訓を紹介。
「人の一生は、重荷を負うて、遠き道を行くが如し、急ぐべからず・・・・・」
知事も今は、飛騨牛の問題に翻弄されているが、何とか3年半が過ぎた。
やり始めた事、やりかけの事が沢山あるので、ここで投げ出せば無責任。
次期も何とか、その気になりましたので、と遠慮気味に決断表明。
「どう逆立ちしても、宮崎や、大阪にはかなわないが・・・・」場内爆笑。
地道にコツコツやりますのでよろしく、と結ばれた。
流暢ではないが、中身の濃い“古田節”に酔った。
その後は、イケガワ兄弟の、フラメンコギターに、5ヶ月ぶりの再会。
知事がイケガワ兄弟のギターをバックに、岐阜県民の歌も独唱!
この2月、スノーボードワールドカップのテーマ曲「桜風」に熱いものを感じた。
                         ふた時のニセ文化人 寅次郎
知事遺訓イケガワ

torajiro0421 at 08:45|PermalinkComments(0) 人物 

2008年07月13日

「加藤としえさん40th」

 “スノーボードFISワールドカップinGUJO”が仲人である。
これがご縁で、すっかりお世話になった 書・絵・詩作家・加藤としえさん。
活動を始めて40年の記念パーテーに、女房と出席させていただいた。
美濃加茂シテーホテル3Fには、関係者約150余名!女性が多い!
ホテル玄関には、先生の揮毫された、屏風が我々を迎えてくれた。
「来た道よありがとう・・・行く道よどうぞよろしく」がテーマ。
舞台の両サイドにあるキャンパスに、先生が絵筆を走らせる。
真夏に咲く、情熱的な、真紅のゆり!「我が人生の花・堂々と今咲く」と添えられた。
加藤先生の、今日の心境を、ためらいなく、素直に表現されたものと拝察。
自分の思いが、いとも簡単に、書けるから凄い!そしてそれが人を引き付ける!
下手な文章を長々と書いても、人には伝わらず、悔しい思いをする、我。
絵も書けないし、詩も作れない、我。
喋れば、誤解をばら撒く、我。
さりとて、この期に及んで、我がスタイルは変えられまい。
土方風情が、文化人を装う等、もっての他、か。
素晴らしいものが、素晴らしいと解れば、それで上等だ。
古田知事も来られて、楽しい古田節も聞けた。
素晴らしかった!・・・続く。
                        ひとときのニセ文化人 寅次郎
加藤としえ絵と詩知事と

torajiro0421 at 07:03|PermalinkComments(0) 文化 

2008年07月11日

「松阪城」

 最後に松阪城跡に歩を運んだ。蒲生氏郷が建てたもの。
城そのものは、台風でなくなって、城の石垣だけであった。
城の高台から見下ろせる所に、「御城番屋敷」と言う、武家屋敷が現存していた。
松阪城は後年、紀州藩に属した。
そのお城を守る紀州藩士と、その家族の住居である。
東西で20棟あり、現在も半分は、子孫の方が住んでみえる。
残り半分は借家となり、その内1棟だけ、一般に開放されていて、視る事が出来た。
そして、その子孫の方が、全体の維持管理をされていると言う。
まさに歴史が生きている所だ。
道路の石畳は、竹下総理時代の故郷創生の1億円で化粧したと言う。
話はそれるが、寅次郎は“辞世”の収集が趣味である。
今までに、380首程集めた。
蒲生氏郷のもある。
千利休が氏郷を、文武両道に長けた、戦国1,2の御大名と称えている。
「限りあらば、吹かねど花は 散るものを こころ短き 春の山風」
40歳で病没しているが、その早い旅立ちの悔しさを、この辞世に見る。
今回、市のご好意で、松阪をつぶさに見せていただいた。
通り一遍の松阪行脚では、味わえないモノを味わった。
高価な松阪牛の味は、すっかり忘れてしまったが、中身の濃い松阪詣であった。
「松阪は牛だけではない」と冒頭言われた、宮村会長の言葉がよみがえった。
ご一緒頂きました、榊原典子様、谷口洋一様、暑い中、本当に有難うございました。
         東海北陸道も、全線開通致しました、一度お運び下さい 寅次郎
城番屋敷石畳城番屋敷1

torajiro0421 at 08:20|PermalinkComments(0) 歴史 

2008年07月10日

「松阪街並」

 三重ミステリーツアーの最終章は、松阪見聞と相成った。
松阪市商店街連合会長の宮村元之さんにお会いし、商店街を歩き、様々な事を伺った。
その前に「夢休庵」なる、ボランテァ中心で運営されているお店で一服。
スタッフは近所の女将さん達。自作の紫芋プリンをご馳走になった。
店の壁に、みんなの似顔絵が、可愛く描かれていたのが印象的。
この商店街には、電柱、電線がない。実にスッキリ!
街の近代化資金を利用して、整備したとの事。
老舗も随所にあり、それが郊外に出ないで、地域を守っている。
歴史が消えたら、地域はお終いだもんねー。
続いて松阪市商工観光課の小泉恵美さんに、町並みを案内していただいた。
ここもメイン通りは、電柱、電線は見当たらない。
古き良きものが、きちんとのこされている。
松阪木綿・豪商の家屋もある。松坂木綿は小規模ながら、今も織られている。
紙問屋の家には、うだつが上がっている。
岐阜の美濃と実によく似ている。紙に何かの共通項があるのだろうか?
こよなく鈴を好んだ国学者・本居宣長もここの出身である。
鈴を松阪のシンボルとして、ベルタウン、ベルライン、ベルファームと活用。
道路に面した建物は、じぐざくに建てられている。
昔、武士が、逃げ隠れする為だったらしい。
今それが、新鮮に感じるから不思議だ。
              ここは“かくれんぼ”発祥の地かもしれない 寅次郎
夢休庵1夢休庵2じぐざぐ

torajiro0421 at 08:42|PermalinkComments(0)  

2008年07月09日

「松坂牛」

 今、岐阜県は“飛騨牛”の偽装問題で大揺れである。
“飛騨牛”等と言うブランド品に縁のない者としては、どうでも良い事だ。
しかし、今回の旅では、“松阪牛”を喰らってみようと衆議一決。
肉は嫌いではないが、あれこれ講釈や、能書きをたれて食す方ではない。
男は「あそこのあれが美味い、何処そこの、これが旨い」等と口にするものではない。
食うモノがない時代に育ったせいか、男の“やせ我慢の美学”と教えられた。
“武士は食わねど、高楊枝”的な影響を受けている。
根が貧乏性、高楊枝派なので、グルメ派ではない。
飲む方は別だ・・・・。
一流の肉を食べよう!とうるさい輩の選んだ店が“肉のまるよし”
すき焼きを食したが、腹いっぱいは出てこなかった。
そのせいか、左程のモノとは感じなかった。
感じる前に、なくなっちゃった!? 俺は質より量の派だ。
一人前が¥7,000を越すという。
後で聞いた話だが、肉の最高級店は「和田金」と言って、一切れ¥10,000とか。
次が「牛銀」と言って、ここは一人前が¥10,000からだと言う。
俺の行く所ではない。
銭の話はしたくないが、数字を書かないと説明が出来ない。
結局、俺達の入った店は松阪で、三番目位のところらしかった。
“飛騨牛”の偽装の話をしながら食べた。
そのせいもあってか、味はよく解らなかった。
解らなかったんじゃなくて、舌がビックリしてたのかもよ。
安くて満腹になる店もあるらしい、今度はそこだ!
                       三重で見栄を食ってきた 寅次郎
松阪牛まるよし

torajiro0421 at 08:20|PermalinkComments(0)  

2008年07月08日

「賓日館」

 二見浦・夫婦岩の近くにある“賓日館”(ひんじつかん)を訪れた。
ここは明治20年、伊勢神宮に参拝する賓客の休憩、宿泊所として建てられた。
近年(平成11年)まで、貴人が宿泊されたらしい。
平成15年、町に寄贈され、一般に公開されるようになった由。
能舞台付き、床の間付き、120畳大広間は圧巻である。
庭園を含め、日本木造建築の粋が、随所に見られる。
この立派な、各部屋が借りられる、と言うから楽しい。
要人の接待、お見合い、デート、宴会等々に。
120畳大広間で、一日¥21,000と言うから、高くはないだろう。
時々、借りて、皇族の気分でも味わえば、少しは品も出も出てこようと言うもの?
無理かなー・・・、元々、品など縁のない輩だから。
資料館もあった。
そこで、明治21年に創刊した、伊勢新聞のコピーを貰って来た。
 日本は今、石油の高騰に翻弄されているが、この新聞にも、似た記事があった。
「横浜では一缶に付き、五円の高価に上がりたる由・・・・云々」と。
日本は明治この方、石油の値上がりは恒常的で、進歩はないのかと、苦笑。
この新聞の定価は1枚1円で、日曜と水曜日に発行とあった。
その他、下ネタの歌などもあったが、正確に読み解けないが、楽しそうだ。
じっくり読んでみたいと、持ち帰った。
建物だけでなく、いろいろな資料に接して、明治は遠くないと思った。
                   「賓日館 風鈴の音 今もなお」 寅次郎
賓日館120畳伊勢新聞

torajiro0421 at 08:39|PermalinkComments(0) 歴史 

2008年07月06日

「海女小屋」

 昼食は近くの、海女小屋でとった。
そこは、かつて海女たちが漁の準備や、体を休めたりした所。
今は観光用に再現し、食事のもてなしをしてくれる。
昔の海女さん三人が、海の新鮮な味を目の前の、炭火で料理してくれる。
彼女達との楽しい会話に、程よく酒が効いてきて、極楽!極楽!
特大のアワビを焼いてくれたが、焼き始めるとアワビが身をよじる! 始めて見た。
「昔はこんなのは沢山取れたが、今は海が荒れて、一日に一個位しか取れない」と嘆く。彼女達が言う「海が荒れる」と言うのは、海が汚染されてきた事を言う。
ここでも確実に、自然破壊が進んでいるのだ。
深く潜る時は、鉛を抱いて沈んでゆくという。
鉛を提げてみたが、20kg以上は充分にある。
浮く時は、それを置いてきて、後で海面にいる、親父が引き上げるらしい。
使う道具も変わってきている。
昔のイメージでは白衣にタライだったが、今はウエットスーツに、網の獲物入れだ。
三人共、70歳を過ぎて潜るのは卒業したと言うが、陽気で、開放的で、多弁である。
一緒に飲もう!と杯を向けたが、駄目だという。
昔から飲まないように、躾けられてきたらしい。
酒、タバコは海女にはご法度、これをやると潜れないと言う。ごもっともだ。
だから今も若々しく、元気が良いのかもしれない。
ここも後継者はいないらしい。職業として、成り立たないからだと言う。
ここでも大事な伝統文化が、一つ消えようとしている。
急速な経済の発展、市場主義がもたらす、負の遺産の一つに間違いはない。
  ・・・・さみしい事だ。
                        海女復活の会・仮会長 寅次郎
海女1海女2海女3

torajiro0421 at 08:29|PermalinkComments(0)  

2008年07月04日

「潮かけ祭り」

 我が白鳥町と友好関係にある、三重県志摩市に伝わる奇祭である。
故事来歴は、別添する新聞記事をご参照願いたい。
友達から聞き、一度は味わってみたいと願っていた。
悪童が集まる、頼母子講の旅行を、これにしようと意見が一致。
山奥の金槌集団が、海の上で暴れようと言うのである。
心配で、前夜眠れない、金槌の真打が言っていた。
「俺は船に乗りたくない」と・・・・・怖いのである。
恐怖心を取り去るのに、まず酒を飲ませて、だましながら全員乗せた。
今年は生憎の曇天で、時折、雨も降り、肌寒かったが、始まったら総てを忘れた。
船上では缶ビールなど、飲み放題だが、自然現象に困るのが難点。
船上には約2時間。ビールを飲む、寒い!すぐにもよおしてくる。
ネイチャーズ コール ミー!自然が呼びに来る。
女性もビールを飲んでいたが、大丈夫だろうかと心配した。
船頭に話したら、したくなったら「海の飛び込んで済ませ!」と言う。
中には、我慢できなかったのか、飛び込んだのもいた。
みんな、全身、服ごと、ずぶ濡れである。
それでいて笑顔である。
日ごろの鬱憤を晴らすが如く、思い切り、潮を掛け合った!
人間とは何とも単純な事をして、喜び、感動をするものなんだなー・・・。
非日常的な事だから、なのだろうか?
終わって、旅館の風呂に入り、潮を落として、実にサッパリ!充実感!
                祭りは見るものではない、やるものだ! 寅次郎
潮賭け祭り1潮かけ2潮かけ2

torajiro0421 at 23:00|PermalinkComments(0) 風習 

2008年07月02日

「落書き0806」

 久方ぶり、白鳥に、2箇所、現れた。
折りしも、イタリアの世界遺産・大聖堂に落書きした、バカ大学生が居た。
ハートマークに相合傘、その下に名前を書いている。
わざわざイタリアまで行き、日本と、てめえの恥をさらしてやがる。
オラの村のは、そんな程度の低いものではない。
東海北陸自動車道、野添付近の、橋脚と擁壁面に書いてある。
絵ではなく、文字だと思うが、読み解きは出来ない。
作者は同一人物だと思う。
これだけのものが描けるのだ。
人目を忍んで書くのではなく、堂々と書かせてやりたい。
テーマを決めるなり、課題を与えるなりして、堂々と。
大きな橋脚、大壁面を大キャンパスにして。
無粋なコンクリート壁面が、楽しいアートに変化すれば、
人が集り、癒しの空間が出来ないかなー。
白鳥には、大キャンパスは沢山ある。
芸術の道、アートロード、落書き芸術村も又楽しからずや。
                     落書き村村長に立候補しよう 寅次郎
壁画4壁画3壁画1

torajiro0421 at 10:30|PermalinkComments(0) 芸術