2010年12月
2010年12月31日
「古稀の年」
60代を終え、古稀を迎える年だった。
論語は60を耳従、70は矩踰とある。
矩踰とは、気ままでも限度を超えないとの意らしい。
その通りになったか? 反省をこめて回顧。
1月:お袋が路上凍結で転倒、入院。痴呆加速の引き金となる。
4月:孫・大河が小学1年生となる。
4月:妻・すみ子、くも膜のう胞で入院、手術。
4月:無事に古稀を迎える。
6月:“寅次郎の徒然草”第4集完成。
7月:参議院選挙、“たちあがれ日本”で東奔西走。
8月:前の畑(約20坪)開墾。百姓志願、自給自足に挑戦。
10月:新幹線会、竜馬訪ねて!高知・土佐CC。3連覇達成!
11月:美夏、凌太郎出産!
11月:すみ子西川流温習会、優も踊る。
12月:伊豆下田の休日。大根田夫妻とゴルフ&観光。
今時、古稀は古来稀でなくなった。
ソフトボールは41試合を無事に戦い終えた。
今年は怪我もなく、フル出場。21勝20敗。
そして今年は良く「凌いだ」漢字一時は「凌」だ。
還暦から、古稀までの10年間は、瞬く間であった。
この先は、がつがつせず、丁寧に、じっくり、そして気儘にと思う。
最低でも県外でなく、戸外・アウトドアを楽しみたい。
そして80過ぎたら、そろそろ仕上げの準備に入りたい。
この一年の健康に感謝!
合掌 寅次郎










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論語は60を耳従、70は矩踰とある。
矩踰とは、気ままでも限度を超えないとの意らしい。
その通りになったか? 反省をこめて回顧。
1月:お袋が路上凍結で転倒、入院。痴呆加速の引き金となる。
4月:孫・大河が小学1年生となる。
4月:妻・すみ子、くも膜のう胞で入院、手術。
4月:無事に古稀を迎える。
6月:“寅次郎の徒然草”第4集完成。
7月:参議院選挙、“たちあがれ日本”で東奔西走。
8月:前の畑(約20坪)開墾。百姓志願、自給自足に挑戦。
10月:新幹線会、竜馬訪ねて!高知・土佐CC。3連覇達成!
11月:美夏、凌太郎出産!
11月:すみ子西川流温習会、優も踊る。
12月:伊豆下田の休日。大根田夫妻とゴルフ&観光。
今時、古稀は古来稀でなくなった。
ソフトボールは41試合を無事に戦い終えた。
今年は怪我もなく、フル出場。21勝20敗。
そして今年は良く「凌いだ」漢字一時は「凌」だ。
還暦から、古稀までの10年間は、瞬く間であった。
この先は、がつがつせず、丁寧に、じっくり、そして気儘にと思う。
最低でも県外でなく、戸外・アウトドアを楽しみたい。
そして80過ぎたら、そろそろ仕上げの準備に入りたい。
この一年の健康に感謝!
合掌 寅次郎










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2010年12月30日
「今朝の一句・仮免総理」
この所、しばらく俳句を捻りだす余裕がなかった。
雑用に追われると、その心境にはなれぬものの様だ。
俳句が詠める人と言うのは、心にそれなりの余裕がある人なのか?
今の菅総理に、詠めと言っても、とても無理だ!
ところが、かつての中曽根総理は、事あるごとに詠んでいた。
して見ると、器の違いなのか?
昨今の総理大臣は、あまりにも忙しすぎる。
それも、くだらない事にだ。
あそこの集まりには顔を出し一言、挨拶。
ここの集会にも出席して、御挨拶。
何々大会にも御臨席、祝辞の一言。
少し著名な人、話題の人、時の人が来れば、御面談etc。
昔、ライオン宰相と言われた、浜口雄幸総理。
彼は週末になると、大磯の別荘に立てこもった。
誰とも会わず、一人で政治を考え、沈思黙考したと言われる。
今時の総理はどうだ。
カカとお手々つないで、ショッピング。
御愛嬌のバーゲンセールだ。
そして、軽口を滑らせている。
庶民の人気取りに必死だ。
まるでピエロだ。
ピエロの方がまだ立派だ。
クラウンは喋らない!
今朝の一句を書こうと始めたが、茶畑に入り込んでしまった。
「北風に 仮免総理よ 何処に行く」
県外・・・?
この冬は、やけに寒い 寅次郎



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雑用に追われると、その心境にはなれぬものの様だ。
俳句が詠める人と言うのは、心にそれなりの余裕がある人なのか?
今の菅総理に、詠めと言っても、とても無理だ!
ところが、かつての中曽根総理は、事あるごとに詠んでいた。
して見ると、器の違いなのか?
昨今の総理大臣は、あまりにも忙しすぎる。
それも、くだらない事にだ。
あそこの集まりには顔を出し一言、挨拶。
ここの集会にも出席して、御挨拶。
何々大会にも御臨席、祝辞の一言。
少し著名な人、話題の人、時の人が来れば、御面談etc。
昔、ライオン宰相と言われた、浜口雄幸総理。
彼は週末になると、大磯の別荘に立てこもった。
誰とも会わず、一人で政治を考え、沈思黙考したと言われる。
今時の総理はどうだ。
カカとお手々つないで、ショッピング。
御愛嬌のバーゲンセールだ。
そして、軽口を滑らせている。
庶民の人気取りに必死だ。
まるでピエロだ。
ピエロの方がまだ立派だ。
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2010年12月28日
「ハーバード白熱教室」
日頃TVを見るのは、ニュース位である。
それ以外に見るとすれば、阪神戦、女子ゴルフ、笑点位。
ところが先日、教育テレビで偶然、凄いのを見た。
“ハーバード大学・白熱教室@東京大学”だった。
ハ・大のマイケル・サンデル教授が安田講堂で、1,000人を相手に展開。
授業と言うより、教授と聴衆者との対話であった。
テーマは「正義」。
過去の哲学者は、「正義」について、難しい定義をしている。
我々凡人には、理解しがたい。
それを教授は、身近な問題に置き換えて話した。
三つの正義について議論した、と言うより対話した。
1、 最大多数の最大幸福~功利主義(ベンサム)
2、 人間の尊厳に価値を置くこと(カント)
3、 美徳と共通善を育むこと(アリストテレス)
この三つでは、チンプンカンプンだ。
これを教授は、日頃の出来事に結び付けて展開した。
1、 イチローの年収は高すぎる?
イチローの年俸は約15億、オバマ大統領の年俸は3,500万である。これは妥当なのか?
2、 19世紀のイギリスの実話。
難破して4人が救命ボートに乗ったが、3人が、衰弱した少年を殺して食べてしまい、3人は生き延びた。この殺人の是非を問う。
3、 東大の合格は、金で買えるか?
東大の合格ラインに近い人で、親が数十億の寄付をするならば、合格にしても良いか?
その寄付金によって、学生達は、数々の恩恵を受けられる。
入れるべきか?入れないべきか?を問う。
サンデル教授の巧みな話術に、様々な意見が引き出され、全員が集中した。
教授の問いかけに、果敢に挙手して、意見を戦わせた。
中には、流暢な英語で、堂々と渡り合う学生もいて、若者を見直した。
今、何故、正義なのか? 21世紀は、再び“哲学の時代”とも言われる。
授業が終わり、スタンディングオペレーションは鳴りやまなかった。
この正月に再放送がある。
1月1日と2日、午後10時~翌日午前3時半まで。
酒を飲みすぎないように、チャンネルを合わせよう。
臨時哲学者 寅次郎





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ところが先日、教育テレビで偶然、凄いのを見た。
“ハーバード大学・白熱教室@東京大学”だった。
ハ・大のマイケル・サンデル教授が安田講堂で、1,000人を相手に展開。
授業と言うより、教授と聴衆者との対話であった。
テーマは「正義」。
過去の哲学者は、「正義」について、難しい定義をしている。
我々凡人には、理解しがたい。
それを教授は、身近な問題に置き換えて話した。
三つの正義について議論した、と言うより対話した。
1、 最大多数の最大幸福~功利主義(ベンサム)
2、 人間の尊厳に価値を置くこと(カント)
3、 美徳と共通善を育むこと(アリストテレス)
この三つでは、チンプンカンプンだ。
これを教授は、日頃の出来事に結び付けて展開した。
1、 イチローの年収は高すぎる?
イチローの年俸は約15億、オバマ大統領の年俸は3,500万である。これは妥当なのか?
2、 19世紀のイギリスの実話。
難破して4人が救命ボートに乗ったが、3人が、衰弱した少年を殺して食べてしまい、3人は生き延びた。この殺人の是非を問う。
3、 東大の合格は、金で買えるか?
東大の合格ラインに近い人で、親が数十億の寄付をするならば、合格にしても良いか?
その寄付金によって、学生達は、数々の恩恵を受けられる。
入れるべきか?入れないべきか?を問う。
サンデル教授の巧みな話術に、様々な意見が引き出され、全員が集中した。
教授の問いかけに、果敢に挙手して、意見を戦わせた。
中には、流暢な英語で、堂々と渡り合う学生もいて、若者を見直した。
今、何故、正義なのか? 21世紀は、再び“哲学の時代”とも言われる。
授業が終わり、スタンディングオペレーションは鳴りやまなかった。
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2010年12月26日
「降る雪や・・・」
今年も、あと残り一週間を切った。
この夏猛暑のあおりで、雪は来ぬかと思いきや、突然に来た!
“降る雪や 明治は遠く なりにけり”
降る雪を見つめていると、そんな感じもしてくる。
今年の後半は、いろいろな“明治”に出会った。
この夏、白虎隊と共に戦った、我が郡上藩凌霜隊の子孫と出会えた。
大半が、隊士の曾孫であったが、生きた歴史に触れた思いだった。
秋には、高知、土佐に、竜馬、弥太郎を訪ねた。
弥太郎の生家を訪ね、地元の人達と話も出来たがじゃ。
桂浜に立ち、竜馬と同じ様に、太平洋をじーっと見たがぜよ。
まっこと竜馬には成りきれんがったじゃ。
70ではのー・・・。
TVは今、“坂の上の雲”をやっている。
坂の上にある雲をめざして、青春を真っ直ぐに駆けている、子規と秋山兄弟。
あの純粋さに心打たれる。
そして先日、伊豆下田を訪ね、開国歴史の一端を見てきた。
吉田松陰が果たせなかった、黒船にも乗ってきた。
明治元年は約140年前である。
Netで楽しい写真を発見した。
明治が凝縮されている写真だ。
改めて、自分の先祖を家系図で訪ねて見た。
明治元年、祖祖父・辰之助は10歳、祖祖母・スミは1歳。
今、この二人を知る由もないが、祖父母に聴く機会は充分にあった。
祖父母生存中に、その気がなかった事が悔やまれる。
こう思うと、そんなに遠い昔の事ではない。
こんな事で、今年は明治が、より身近であった。
連綿と続く歴史を思うと、感慨深いモノがある。
いい加減に生きている己の存在が、貴重にも思えだした。
子供達、孫達に、先祖の事を語り、残しておくべきだと痛感。
“降る雪や、明治はさほど 遠からず”
古稀の実感 寅次郎



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“降る雪や 明治は遠く なりにけり”
降る雪を見つめていると、そんな感じもしてくる。
今年の後半は、いろいろな“明治”に出会った。
この夏、白虎隊と共に戦った、我が郡上藩凌霜隊の子孫と出会えた。
大半が、隊士の曾孫であったが、生きた歴史に触れた思いだった。
秋には、高知、土佐に、竜馬、弥太郎を訪ねた。
弥太郎の生家を訪ね、地元の人達と話も出来たがじゃ。
桂浜に立ち、竜馬と同じ様に、太平洋をじーっと見たがぜよ。
まっこと竜馬には成りきれんがったじゃ。
70ではのー・・・。
TVは今、“坂の上の雲”をやっている。
坂の上にある雲をめざして、青春を真っ直ぐに駆けている、子規と秋山兄弟。
あの純粋さに心打たれる。
そして先日、伊豆下田を訪ね、開国歴史の一端を見てきた。
吉田松陰が果たせなかった、黒船にも乗ってきた。
明治元年は約140年前である。
Netで楽しい写真を発見した。
明治が凝縮されている写真だ。
改めて、自分の先祖を家系図で訪ねて見た。
明治元年、祖祖父・辰之助は10歳、祖祖母・スミは1歳。
今、この二人を知る由もないが、祖父母に聴く機会は充分にあった。
祖父母生存中に、その気がなかった事が悔やまれる。
こう思うと、そんなに遠い昔の事ではない。
こんな事で、今年は明治が、より身近であった。
連綿と続く歴史を思うと、感慨深いモノがある。
いい加減に生きている己の存在が、貴重にも思えだした。
子供達、孫達に、先祖の事を語り、残しておくべきだと痛感。
“降る雪や、明治はさほど 遠からず”
古稀の実感 寅次郎



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2010年12月24日
「延年蜂屋柿」
天気の良い日、朝の散歩道で見かけた。
白鳥名産「延年蜂屋柿」の天日干し作業。
冷えて乾燥した空気が、味のある甘みを作りだすとか。
元は渋柿なのだが、皮を剥き、天日にさらす事により、甘くなる。
干し上がると、表面に白い粉がふきでる。
そのままでも良いが、製品にするには、それを刷毛でふき取ると言う。
一個、一個丁寧に作られてゆくのだと感心する。
昔、食糧不足の頃、各家庭でも作り、軒先に干してあった。
子供の、格好のおやつであった。
大根なども、千切りにして干してあった。
天日を受ける事により、中味ががらりと変わって、美味しくなる。
これらは貴重な保存食でもあった。
少し調べてみたら、こんな効能があるらしい。
食物繊維が豊富で整腸排便を促す。
白い粉は、カロリーの少ない糖分で、脳を活性化する。
ビタミンを多く含み、疲労回復を図る。
アルコールの分解能力が大で、二日酔いに良いとか。
副作用のない、良い薬であるとも言える。
美味しい食べ物が、氾濫する中で“柿等”とバカにしていた。
凄い果実であると見直した。
昔の人は「良いモノを食べていたのだなー」とも感心した。
季節限定販売であり、貴重品でもある。
来客のお茶受けには、恥しくないものだろう。
大、小にもよるが、¥600~900/個、するのが難か?
酒席の多い、年末の常備薬にも最適?
情緒のない二日酔い 寅次郎







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白鳥名産「延年蜂屋柿」の天日干し作業。
冷えて乾燥した空気が、味のある甘みを作りだすとか。
元は渋柿なのだが、皮を剥き、天日にさらす事により、甘くなる。
干し上がると、表面に白い粉がふきでる。
そのままでも良いが、製品にするには、それを刷毛でふき取ると言う。
一個、一個丁寧に作られてゆくのだと感心する。
昔、食糧不足の頃、各家庭でも作り、軒先に干してあった。
子供の、格好のおやつであった。
大根なども、千切りにして干してあった。
天日を受ける事により、中味ががらりと変わって、美味しくなる。
これらは貴重な保存食でもあった。
少し調べてみたら、こんな効能があるらしい。
食物繊維が豊富で整腸排便を促す。
白い粉は、カロリーの少ない糖分で、脳を活性化する。
ビタミンを多く含み、疲労回復を図る。
アルコールの分解能力が大で、二日酔いに良いとか。
副作用のない、良い薬であるとも言える。
美味しい食べ物が、氾濫する中で“柿等”とバカにしていた。
凄い果実であると見直した。
昔の人は「良いモノを食べていたのだなー」とも感心した。
季節限定販売であり、貴重品でもある。
来客のお茶受けには、恥しくないものだろう。
大、小にもよるが、¥600~900/個、するのが難か?
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2010年12月23日
「資源大国」
尖閣列島が教えてくれた。
いや、一海上保安官の勇気が、現実を教えてくれた。
しかし、その保安官は今日、停職処分となり退職した。
この問題は、このままでは納得できないモノを含んでいる。
これまで多くの日本人は、日本は資源のない国と教え込まれた。
従って、資源を輸入して、加工して輸出する国。
加工貿易で成り立つ国だと聞かされてきた。
違うじゃありませんか。
日本のポテンシャルは、
人口は世界で10位。国土面積は第61位。
所が、支配できる海洋面積は世界第6位なのである。
国土面積38万平方キロに対し、海洋面積は447万キロである。
れっきとした海洋国家である。
しかもその海洋にある資源は、世界の3大漁場の一つでもある。
海底資源として、様々な鉱物資源が眠っている事が解ってきた。
これらの開発が出来れば、資源大国となれる。
更に、日本にはきれいな水がふんだんある。
今、中国は日本の山を買いあさりだしたらしい。
水源地の確保だとも聞く。
自給率にきゅうきゅうとする今、科学の力を大いに発揮するべきだ。
核開発禁止、核抑止力等と面倒な事を言うのは止めよう。
核を上回る「モノ」を開発、発明しようよ。
或いは又、核を飛ばしてきたら、瞬時に感知して、それをUターンさせる。
そうゆうモノを作り出そう。
相手の力を利用する発想を持とう。
そして日本は、豊富な資源を基に、科学大国になろう!
その為には、バカな女大臣が言う、二番じゃダメなんだ!
平成のドンキホーテ 寅次郎



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しかし、その保安官は今日、停職処分となり退職した。
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これまで多くの日本人は、日本は資源のない国と教え込まれた。
従って、資源を輸入して、加工して輸出する国。
加工貿易で成り立つ国だと聞かされてきた。
違うじゃありませんか。
日本のポテンシャルは、
人口は世界で10位。国土面積は第61位。
所が、支配できる海洋面積は世界第6位なのである。
国土面積38万平方キロに対し、海洋面積は447万キロである。
れっきとした海洋国家である。
しかもその海洋にある資源は、世界の3大漁場の一つでもある。
海底資源として、様々な鉱物資源が眠っている事が解ってきた。
これらの開発が出来れば、資源大国となれる。
更に、日本にはきれいな水がふんだんある。
今、中国は日本の山を買いあさりだしたらしい。
水源地の確保だとも聞く。
自給率にきゅうきゅうとする今、科学の力を大いに発揮するべきだ。
核開発禁止、核抑止力等と面倒な事を言うのは止めよう。
核を上回る「モノ」を開発、発明しようよ。
或いは又、核を飛ばしてきたら、瞬時に感知して、それをUターンさせる。
そうゆうモノを作り出そう。
相手の力を利用する発想を持とう。
そして日本は、豊富な資源を基に、科学大国になろう!
その為には、バカな女大臣が言う、二番じゃダメなんだ!
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2010年12月22日
「負け組ゴルフ論」
負けたから言うのではない。
この所、真剣にゴルフがしたい、と言う気持ちが湧いてこない。
誘われれば行くけれど、自分から率先して、と言う事はない。
スコアに限界が来たのか?
メンバー的に飽きが来たのか?
ゴルフはスポーツではない、と思い始めたからか?
スポーツは、鍛えた者が強い。
練習量の豊富な者が、勝利する確率が高い。
そこにゆくと、ゴルフはゲームである。
我々のレベルでは、スポーツ性は低いと言わざるを得ない。
ゴルフにスポーツ性があるのは、ドライバーだけである。
我々のレベルでは、飛距離によるアドバンテージは低い。
飛ばない奴に、簡単に負ける様なモノはスポーツではない。
マージャンもゴルフも、回数だけ重ねる者が強い。
そこには、基礎的な鍛錬は必要ない。
体力を要するスポーツとは、そこらが違う所だと思う。
俺はゲームをあまり好きくない。
ゲームは草食系、スポーツは肉食系と、俺は分類している。
従ってゴルフは弱いのである。
結局、負けるから言うのである。
ゲームに弱いのは、体力に頼っているからだろうか?
答えははっきりしている。
頭が悪いのだ 寅次郎



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この所、真剣にゴルフがしたい、と言う気持ちが湧いてこない。
誘われれば行くけれど、自分から率先して、と言う事はない。
スコアに限界が来たのか?
メンバー的に飽きが来たのか?
ゴルフはスポーツではない、と思い始めたからか?
スポーツは、鍛えた者が強い。
練習量の豊富な者が、勝利する確率が高い。
そこにゆくと、ゴルフはゲームである。
我々のレベルでは、スポーツ性は低いと言わざるを得ない。
ゴルフにスポーツ性があるのは、ドライバーだけである。
我々のレベルでは、飛距離によるアドバンテージは低い。
飛ばない奴に、簡単に負ける様なモノはスポーツではない。
マージャンもゴルフも、回数だけ重ねる者が強い。
そこには、基礎的な鍛錬は必要ない。
体力を要するスポーツとは、そこらが違う所だと思う。
俺はゲームをあまり好きくない。
ゲームは草食系、スポーツは肉食系と、俺は分類している。
従ってゴルフは弱いのである。
結局、負けるから言うのである。
ゲームに弱いのは、体力に頼っているからだろうか?
答えははっきりしている。
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2010年12月21日
「願以此例会」
今年最後の例会が、岐阜美濃CCであった。
此処は、過去に良かったためしがない。
狭っ苦しく、広角打法の寅には、相性が誠に悪い。
此処に、大砲はいらない。
飛ばなくても、機関銃のように命中率の良いモノが強い。
今年最後だと言うのに、全員大荒れのスコアであった。
日頃コンスタントに80台の平田が何と107!
原因が解らないと言う。
周戸、仲上が100。野崎、瀬木が99。野々村96と大荒れ!
何れも原因不明のノロワレウイルスに感染か?
そんな中、機関銃の広瀬が95。
地を這うゴロ打法の湯上が、辛うじて92でベスグロとは情けない。
機関銃とゴロでは、外へ出ないのが良かったらしい。
その他の者曰く「このままでは年は越せない、今一度・・・」
今、何度でもいいが、この状況では、ズーと年は越せないのではないか?
優しい・らしい?女性二人(富子&千恵子)の入会は喜ばしい。
されど、平均年齢が下がったと言う話ではない。
生理のある位のは、いないのかい?
白鳥には・・・。(ないしょ!)
トラ年も終わった 寅次郎


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狭っ苦しく、広角打法の寅には、相性が誠に悪い。
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飛ばなくても、機関銃のように命中率の良いモノが強い。
今年最後だと言うのに、全員大荒れのスコアであった。
日頃コンスタントに80台の平田が何と107!
原因が解らないと言う。
周戸、仲上が100。野崎、瀬木が99。野々村96と大荒れ!
何れも原因不明のノロワレウイルスに感染か?
そんな中、機関銃の広瀬が95。
地を這うゴロ打法の湯上が、辛うじて92でベスグロとは情けない。
機関銃とゴロでは、外へ出ないのが良かったらしい。
その他の者曰く「このままでは年は越せない、今一度・・・」
今、何度でもいいが、この状況では、ズーと年は越せないのではないか?
優しい・らしい?女性二人(富子&千恵子)の入会は喜ばしい。
されど、平均年齢が下がったと言う話ではない。
生理のある位のは、いないのかい?
白鳥には・・・。(ないしょ!)
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2010年12月19日
「脳卒中治療の権威」
今朝の中京TVに、お世話になった吉村先生が登場。
“週刊コダワリタイム”という番組。
吉村紳一先生は、岐阜大学付属病院神経外科の臨床教授。
一昨年、愚生が頸動脈狭窄症をカテーテル手術で治療していただいた先生。
最近、マスメディアへの登場頻度が増してきた。
それだけ、脳卒中がクローズアップされてきたのかな。
新技術を駆使される先生が、注目の的になって当然と思う。
それらは、先生のブログを拝見したり、新聞記事を見て感じる事だ。
脳卒中は一刻を争う。
何かの兆候があれば、すぐに診察を受けるべし、と言われる。
愚生も、晩酌中、箸が使えなくなった事が二度あった。
二度とも、しばらくして治ったので、急がなかった。
二、三日して病院に行ったら、問答無用、その場で入院と相成った。
危機一髪の様だった。
脳卒中の軽い前触れとしては、次の三つがあると言う。
1、顔面(口元)の片方の動きが悪い。
2、話ずらくなる。
3、両手を前に出した時、片方が下がる。
この内一つでもあれば七割方、脳卒中の疑いありとの事。
素晴らしい先生に出会えた事に感謝である。
年末となり、不摂生が続きだした・・・。
先生の顔が浮かんでくる 寅次郎




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“週刊コダワリタイム”という番組。
吉村紳一先生は、岐阜大学付属病院神経外科の臨床教授。
一昨年、愚生が頸動脈狭窄症をカテーテル手術で治療していただいた先生。
最近、マスメディアへの登場頻度が増してきた。
それだけ、脳卒中がクローズアップされてきたのかな。
新技術を駆使される先生が、注目の的になって当然と思う。
それらは、先生のブログを拝見したり、新聞記事を見て感じる事だ。
脳卒中は一刻を争う。
何かの兆候があれば、すぐに診察を受けるべし、と言われる。
愚生も、晩酌中、箸が使えなくなった事が二度あった。
二度とも、しばらくして治ったので、急がなかった。
二、三日して病院に行ったら、問答無用、その場で入院と相成った。
危機一髪の様だった。
脳卒中の軽い前触れとしては、次の三つがあると言う。
1、顔面(口元)の片方の動きが悪い。
2、話ずらくなる。
3、両手を前に出した時、片方が下がる。
この内一つでもあれば七割方、脳卒中の疑いありとの事。
素晴らしい先生に出会えた事に感謝である。
年末となり、不摂生が続きだした・・・。
先生の顔が浮かんでくる 寅次郎




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2010年12月17日
「妙雲寺・妙心寺・慈恩寺」
これは寅が書いた文章ではありません。
Netで拾いだしたモノです。
心を打たれましたので、転載させていただきます。
「凌総隊は、慶応4(明治元)年5月、会津藩の命により、3ヶ月間、下野の塩原(栃木県那須塩原市)を守備していました。
7月、塩原「妙雲寺」での盆踊りには、隊士らも故郷の「郡上踊り」を披露した由。
会津若松に危機が訪れ、塩原一帯を焼き払い、退却の命が会津藩から出された。
地元住民は、せめて菩提寺だけは焼かないでくれと懇願。
凌霜隊はそれを承知し、本堂から離れた所で薪を焚いて、寺を白煙で覆い、架空の放火と装い塩原を後にしました。
その結果、塩原の「妙雲寺」は焼けずに 残ったといいます。
その後、凌霜隊は、会津藩と共に鶴ヶ城で戦ったが、落城により武装解除。
郡上藩の役人は、隊士らの家族のいる江戸には戻さず、郡上に連れ戻し幽閉した。
郡上藩は新政府に気遣い、凌霜隊を、脱藩した叛逆者と位置づけたのです。
その頃、塩原の「妙雲寺」の住職は、凌霜隊の機転によって残った寺の事を、京都の本山妙心寺へ報告しました。
妙心寺はそれを郡上にある末寺の「慈恩寺」に伝え、隊士達に礼をする様伝えたところ、慈恩寺からは、彼らが罪人として幽閉されていることが伝えられました。
慈恩寺住職は、本山の後押しで、郡上内の寺によびかけ、助命嘆願をはじめました。
郡上郡内のお寺は、宗派を越えて、支援の輪が広がりました。
明治2年9月、隊士の禁錮が解けて自宅謹慎、半年後、赦免となりました。
手のひらを返したような郡上藩の仕打ちに、打ちのめされ隊士達。
住民の冷たい視線を浴びて、郡上におられず、他県に移っていったといいます。
故郷の為に戦争に行き、帰ってきたら故郷から冷たい仕打ちを受ける。
時代の犠牲になった若者たちがいたのです」
忘れる事は許されません。
合掌 寅次郎




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心を打たれましたので、転載させていただきます。
「凌総隊は、慶応4(明治元)年5月、会津藩の命により、3ヶ月間、下野の塩原(栃木県那須塩原市)を守備していました。
7月、塩原「妙雲寺」での盆踊りには、隊士らも故郷の「郡上踊り」を披露した由。
会津若松に危機が訪れ、塩原一帯を焼き払い、退却の命が会津藩から出された。
地元住民は、せめて菩提寺だけは焼かないでくれと懇願。
凌霜隊はそれを承知し、本堂から離れた所で薪を焚いて、寺を白煙で覆い、架空の放火と装い塩原を後にしました。
その結果、塩原の「妙雲寺」は焼けずに 残ったといいます。
その後、凌霜隊は、会津藩と共に鶴ヶ城で戦ったが、落城により武装解除。
郡上藩の役人は、隊士らの家族のいる江戸には戻さず、郡上に連れ戻し幽閉した。
郡上藩は新政府に気遣い、凌霜隊を、脱藩した叛逆者と位置づけたのです。
その頃、塩原の「妙雲寺」の住職は、凌霜隊の機転によって残った寺の事を、京都の本山妙心寺へ報告しました。
妙心寺はそれを郡上にある末寺の「慈恩寺」に伝え、隊士達に礼をする様伝えたところ、慈恩寺からは、彼らが罪人として幽閉されていることが伝えられました。
慈恩寺住職は、本山の後押しで、郡上内の寺によびかけ、助命嘆願をはじめました。
郡上郡内のお寺は、宗派を越えて、支援の輪が広がりました。
明治2年9月、隊士の禁錮が解けて自宅謹慎、半年後、赦免となりました。
手のひらを返したような郡上藩の仕打ちに、打ちのめされ隊士達。
住民の冷たい視線を浴びて、郡上におられず、他県に移っていったといいます。
故郷の為に戦争に行き、帰ってきたら故郷から冷たい仕打ちを受ける。
時代の犠牲になった若者たちがいたのです」
忘れる事は許されません。
合掌 寅次郎




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2010年12月16日
「郡上藩凌霜隊」
凌霜隊の事は今年の夏、フォーラムに参加した時に書いている。
7月23日「道は一筋なり」、7月29日「凌霜隊140年」の2回。
今回、もっと知りたくて、川口半兵 著「郡上凌霜隊」を読んだ。
これは史実に基づき、不明な点は、著者が推理を入れたもの。
セミノンフィクションだと思う。
最初は、藩命により、四十数名が江戸を脱藩する。
途中、戦いながら、会津若松に入り、官軍と戦い、降伏する。
ここまでは、戦いの描写が多く、面白くない。
明治元年の暮れ、江戸に返され、更に郡上に護送される。
この辺りから、何の為に戦ったのか、苦労したのかが出てくる。
お国家老の、二股膏薬作戦の犠牲になったのは事実。
しかし、それを命じた者が、それを消しにかかる。
青山藩自体が、隊士を罪人扱いにしている。
郡上に護送される途中、朝比奈隊長は言っている。
「江戸を脱走する時は、藩の為、死を覚悟して働く決意だった。
死は怖くなかった。
しかし今、私は生きたいと思っている。
死を恐れるのではない。
藩が我々を、今後どのように処置するのか、それを見極めたい。
これは武士として、はしたな執念でしょうか?」と。
獄に繋がれた隊士は、何の弁明もしなかった。
そして明治3年、釈放された。
隊士達は、次々に八幡の町を去って行った。
そして、誰も二度と八幡へは帰って来なかった。
凌霜隊員は、最後の“武士道”を貫いた人達として、涙が出た。
そして、地元に居る者として、一種の“恥ずかしさ”をも覚えた。
ごめんなさい 寅次郎



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7月23日「道は一筋なり」、7月29日「凌霜隊140年」の2回。
今回、もっと知りたくて、川口半兵 著「郡上凌霜隊」を読んだ。
これは史実に基づき、不明な点は、著者が推理を入れたもの。
セミノンフィクションだと思う。
最初は、藩命により、四十数名が江戸を脱藩する。
途中、戦いながら、会津若松に入り、官軍と戦い、降伏する。
ここまでは、戦いの描写が多く、面白くない。
明治元年の暮れ、江戸に返され、更に郡上に護送される。
この辺りから、何の為に戦ったのか、苦労したのかが出てくる。
お国家老の、二股膏薬作戦の犠牲になったのは事実。
しかし、それを命じた者が、それを消しにかかる。
青山藩自体が、隊士を罪人扱いにしている。
郡上に護送される途中、朝比奈隊長は言っている。
「江戸を脱走する時は、藩の為、死を覚悟して働く決意だった。
死は怖くなかった。
しかし今、私は生きたいと思っている。
死を恐れるのではない。
藩が我々を、今後どのように処置するのか、それを見極めたい。
これは武士として、はしたな執念でしょうか?」と。
獄に繋がれた隊士は、何の弁明もしなかった。
そして明治3年、釈放された。
隊士達は、次々に八幡の町を去って行った。
そして、誰も二度と八幡へは帰って来なかった。
凌霜隊員は、最後の“武士道”を貫いた人達として、涙が出た。
そして、地元に居る者として、一種の“恥ずかしさ”をも覚えた。
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2010年12月14日
「かいけつゾロリ」
孫・大河(7)のお絵かき教室に付き合わされた。
お母さんが、妹・優(3)の看病で手が離せず、急遽ピンチヒッター。
大河は、8時に家に来て、前の畑で一緒に百姓をやった。
着替えもせず、そのまま会場である、ふれあい創造館へ。
お絵かきが始まって、暫くして気がついた。
大河の座っている、足元が、泥で黒くなり始めた。
畑の土を付けたまま、来てしまったのだ。
部屋が乾燥していて、乾くと、土がポロポロと落ちる。
本人は、何も知らずに、お絵かきを楽しんでいる。
後ろのジージだけが、気をもんでいた。
「かいけつゾロリ」をジージは始めて知った。
原作者は、原ゆたか。
擬人化した動物達が暮らす、異世界を舞台に物語は展開する。
主人公はキツネのゾロリと、子分の猪である、イシシとノシシ。
彼らが修行の旅をしながら、行く先々で活躍するストーリー。
今回は作者が来て、直接、子供達にお絵かきを教える。
応募は抽選だったとか。
今年は、ゲゲゲの鬼太郎がブームだった。
我々の年代には理解の出来ない、キャラクター達。
今回のお絵かきも、当初やや抵抗を感じた。
出来れば、桃太郎、金太郎等、日本の童話を書いたらと思った。
しかし、一緒に聴いていて、見ていて、少し納得した。
未知なるキャラクターを生み出す方法を教えている。
想像力を豊かにする手法の様だ。
喰わずして、知らずして、批評をしてはいけないと悟った。
明日からは“怪傑ジージロー”だぞ! 寅次郎





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お母さんが、妹・優(3)の看病で手が離せず、急遽ピンチヒッター。
大河は、8時に家に来て、前の畑で一緒に百姓をやった。
着替えもせず、そのまま会場である、ふれあい創造館へ。
お絵かきが始まって、暫くして気がついた。
大河の座っている、足元が、泥で黒くなり始めた。
畑の土を付けたまま、来てしまったのだ。
部屋が乾燥していて、乾くと、土がポロポロと落ちる。
本人は、何も知らずに、お絵かきを楽しんでいる。
後ろのジージだけが、気をもんでいた。
「かいけつゾロリ」をジージは始めて知った。
原作者は、原ゆたか。
擬人化した動物達が暮らす、異世界を舞台に物語は展開する。
主人公はキツネのゾロリと、子分の猪である、イシシとノシシ。
彼らが修行の旅をしながら、行く先々で活躍するストーリー。
今回は作者が来て、直接、子供達にお絵かきを教える。
応募は抽選だったとか。
今年は、ゲゲゲの鬼太郎がブームだった。
我々の年代には理解の出来ない、キャラクター達。
今回のお絵かきも、当初やや抵抗を感じた。
出来れば、桃太郎、金太郎等、日本の童話を書いたらと思った。
しかし、一緒に聴いていて、見ていて、少し納得した。
未知なるキャラクターを生み出す方法を教えている。
想像力を豊かにする手法の様だ。
喰わずして、知らずして、批評をしてはいけないと悟った。
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2010年12月12日
「下田の休日ー感動」
明治維新の舞台であった“下田”をじっくり見たかった。
朝6時、朝風呂は、地下の洞窟風呂へ。
しばらくすると、東の水平線が朱に染まり始めた。
これはご来光が見られると言うので、海岸に出た。
昨日、アイアイ岬で別れた太陽が、今朝は伊豆七島の先から出てくる。
我々は昨晩も酒を飲んで、ぐっすりと休んだ。
しかし、彼・太陽は休むことなく、正確に東から顔を見せた。
何とも申し訳ないようであり、不思議な気分でもあった。
下手な筆舌では表現できない素晴らしいサンライズ。
・・・・カメラに頼った。
ホテルの朝食時に、東京に嫁いだ同級生の女性を見た。
こちらと同じ、二組のカップルである。
待てよ?彼女は今夏、主人をガンで失ったばかりだが・・・。
そんな事で、声をかけるのを一瞬ためらった。
我々テーブルの少し離れた所を、すまして通り過ぎて行った。
翌日電話で聞くと「下田に居ました」と言う返事。
世間は狭いと言う実感と、下衆のカングリに自省。
我が家の夕食より豪華な朝食を、ゆっくり頂いた。
終り頃、今回ご一緒した旧友の旦那が切り出した。
「誠に差しでがましいけれど、ホテル代は私の方で・・・」と。
ここのメンバーだから、言いだしっぺだから、と言う訳にはゆかない。
今は互いに苦境のさなかだから「それはダメだ」と断った。
しかし、どうしてもと言う。
彼曰く「自分が今日あるのも、貴兄の影響力である、
それに報いる、ささやかな気持ちです・・・」と。
何を寝ぼけた事を言うか・・・と、二人を見た。
まじである・・・奥様は心なしか眼が潤んでいる。
俺もそこまで言われると、正直、「グッ」となった。
お金の問題ではない・・・。
次の言葉が出ず、しばし無言であった。
多感な青春時代を共にしただけである。
悪い影響こそあれ、良い影響等あろう筈がないと思ってきた。
何とも言いようのない一瞬であった。
その時、故郷の女性が、目の前を通り過ぎて行ったのである。
今日は、朝から、何なんだ?
驚く事が二つも同時に、起きてくるとは・・・。
帰ってきて思った事だが、彼女に声をかけなくて良かった。
我々二組の夫婦が、貴重な時間を共にして人生を語っている時、
彼女が割り込んできたら、どうだろう。
その奇遇に話題がそれ、折角の語らいが消えてしまう。
我々は同郷人だから話は弾むだろう。
しかし、旧友夫婦には、何の関係もない人だ。
その場は、白けたモノとなっただろう。
折角の時間が、無駄なものになってしまう。
日頃、一期一会と言う言葉を軽く使っている。
人と一生懸命逢っている時、そこへ別人が現れては、一期一会は消えてしまう。
安易に、声をかけなくて良かった・・・愚妻と話した。
ホテルのロビーに朝市が立つ。
下田の新鮮なものが多い、みやげを調達し、下田歴史探訪に向かう。
まずは岐阜を出る時から狙っていた「黒船」に乗る。
吉田松陰がアメリカ密航を企てた、弁天島が見える。
当時、日本人は外国へ出る事を禁じられていたのだ。
僅か150年前の事である、信じられない。
今で言えば、俺が宇宙旅行を企て、ケネディー宇宙センターへ潜り込む様なものか?
それでも殺される事はない。
船が港を離れると、カモメの集団が追ってくる。
かっぱえびせんを投げると、見事にくわえる。
指先のモノも器用に取る・・・鳥と友達になった感じで楽しい。
陸に近い所ではトンビが沢山いたが、沖に出るとカモメに代わった。
トンビは陸の鳥で、泳げない事が原因らしい。
下船して、了仙寺に向かった。
ここは日米和親条約の付録、下田条約が交わされた所とか。
本殿正面に、当時の模様を描いた絵があった。
ペリー一行は、画家まで随行させ、この絵を描かせている。
その余裕に驚きを覚えた。
寺庭の片隅に「お吉塚」がひっそりとあった。
了仙寺正面から下田公園に向かって“ペリーロード”がある。
小さな川に沿って道があり、両側に家が立ち並ぶ小さな通りだ。
川沿いに柳がゆれて、当時の建物が随所に残っている。
ちょんまげに袴姿の竜馬が飛び出してきそうな気配すら感じる。
歴史が息づいている。
まだまだ見たい所は山ほどあるが時間がない。
後ろ髪引かれる思いで、下田を後にする。
西海岸を、一路、三島に向かう。
途中、雪をかぶった富士山が突然に現れて「ハッピー!」
道路と川沿い、6kmに及ぶ見事なサクラ並木がある。
それが終わると松崎町。
30年ほど前、長八記念館に来たが、その時見忘れたモノがあり再訪。
様子はがらりと変わっていた。
美術館が新しく建てられ、今はこちらが主力になっている。
伊豆の長八は、漆喰を得意とする左官職人。
200年程前の時代、鏝と漆喰を芸術の域まで高めた男。
その漆喰で、実に繊細な絵を描いている。
人間はこんな事まで出来るのか!
入館する時、大きな虫眼鏡を渡してくれる。
これで詳細を見て下さいと・・・・“驚嘆”の二文字だ。
建物の外に“鏝塚”がある。
これは現代の名工左官が使い古した鏝を納める所。
正面に“鏝塚”の二文字を、小泉純一郎が揮毫している。
小泉と長八の関連は? 聞くのを忘れた。
傍らの記念碑には歌手の“新沼健二”の名があった。
彼は歌手デビュー以前、左官職人だった由。
前回訪れて見忘れたモノは、彼の辞世だった。
「我が秋や 月一と夜も 見のこさす」 天祐
少し時間があったので、戸田港回りで、三島に向かった。
戸田に入る少し手前の御浜海岸で、富士山が間近に迫った、パチリ!
ここいらの人は、毎日こんな雄大な富士山を見て、贅沢だ!
戸田港で、当漁港直産の、海の幸を求める。
17時、名残は尽きないが、再会を約して、車中の人となる。
そう言えば、夕食の乾杯時に彼は、こう言ってくれた。
「古稀の祝いと、奥さんの全快に対し、乾杯!」・・・と。
何かを、考えていてくれたのだ。
今回、のんびり、ゆったりした中に、琴線に触れるもが多々あった。
筆舌に尽くせぬもの多かりし!
素晴らしい時間と厚意の提供に、感謝、多謝、深謝、謝謝!
良き隣人に恵まれた 寅次郎
















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朝6時、朝風呂は、地下の洞窟風呂へ。
しばらくすると、東の水平線が朱に染まり始めた。
これはご来光が見られると言うので、海岸に出た。
昨日、アイアイ岬で別れた太陽が、今朝は伊豆七島の先から出てくる。
我々は昨晩も酒を飲んで、ぐっすりと休んだ。
しかし、彼・太陽は休むことなく、正確に東から顔を見せた。
何とも申し訳ないようであり、不思議な気分でもあった。
下手な筆舌では表現できない素晴らしいサンライズ。
・・・・カメラに頼った。
ホテルの朝食時に、東京に嫁いだ同級生の女性を見た。
こちらと同じ、二組のカップルである。
待てよ?彼女は今夏、主人をガンで失ったばかりだが・・・。
そんな事で、声をかけるのを一瞬ためらった。
我々テーブルの少し離れた所を、すまして通り過ぎて行った。
翌日電話で聞くと「下田に居ました」と言う返事。
世間は狭いと言う実感と、下衆のカングリに自省。
我が家の夕食より豪華な朝食を、ゆっくり頂いた。
終り頃、今回ご一緒した旧友の旦那が切り出した。
「誠に差しでがましいけれど、ホテル代は私の方で・・・」と。
ここのメンバーだから、言いだしっぺだから、と言う訳にはゆかない。
今は互いに苦境のさなかだから「それはダメだ」と断った。
しかし、どうしてもと言う。
彼曰く「自分が今日あるのも、貴兄の影響力である、
それに報いる、ささやかな気持ちです・・・」と。
何を寝ぼけた事を言うか・・・と、二人を見た。
まじである・・・奥様は心なしか眼が潤んでいる。
俺もそこまで言われると、正直、「グッ」となった。
お金の問題ではない・・・。
次の言葉が出ず、しばし無言であった。
多感な青春時代を共にしただけである。
悪い影響こそあれ、良い影響等あろう筈がないと思ってきた。
何とも言いようのない一瞬であった。
その時、故郷の女性が、目の前を通り過ぎて行ったのである。
今日は、朝から、何なんだ?
驚く事が二つも同時に、起きてくるとは・・・。
帰ってきて思った事だが、彼女に声をかけなくて良かった。
我々二組の夫婦が、貴重な時間を共にして人生を語っている時、
彼女が割り込んできたら、どうだろう。
その奇遇に話題がそれ、折角の語らいが消えてしまう。
我々は同郷人だから話は弾むだろう。
しかし、旧友夫婦には、何の関係もない人だ。
その場は、白けたモノとなっただろう。
折角の時間が、無駄なものになってしまう。
日頃、一期一会と言う言葉を軽く使っている。
人と一生懸命逢っている時、そこへ別人が現れては、一期一会は消えてしまう。
安易に、声をかけなくて良かった・・・愚妻と話した。
ホテルのロビーに朝市が立つ。
下田の新鮮なものが多い、みやげを調達し、下田歴史探訪に向かう。
まずは岐阜を出る時から狙っていた「黒船」に乗る。
吉田松陰がアメリカ密航を企てた、弁天島が見える。
当時、日本人は外国へ出る事を禁じられていたのだ。
僅か150年前の事である、信じられない。
今で言えば、俺が宇宙旅行を企て、ケネディー宇宙センターへ潜り込む様なものか?
それでも殺される事はない。
船が港を離れると、カモメの集団が追ってくる。
かっぱえびせんを投げると、見事にくわえる。
指先のモノも器用に取る・・・鳥と友達になった感じで楽しい。
陸に近い所ではトンビが沢山いたが、沖に出るとカモメに代わった。
トンビは陸の鳥で、泳げない事が原因らしい。
下船して、了仙寺に向かった。
ここは日米和親条約の付録、下田条約が交わされた所とか。
本殿正面に、当時の模様を描いた絵があった。
ペリー一行は、画家まで随行させ、この絵を描かせている。
その余裕に驚きを覚えた。
寺庭の片隅に「お吉塚」がひっそりとあった。
了仙寺正面から下田公園に向かって“ペリーロード”がある。
小さな川に沿って道があり、両側に家が立ち並ぶ小さな通りだ。
川沿いに柳がゆれて、当時の建物が随所に残っている。
ちょんまげに袴姿の竜馬が飛び出してきそうな気配すら感じる。
歴史が息づいている。
まだまだ見たい所は山ほどあるが時間がない。
後ろ髪引かれる思いで、下田を後にする。
西海岸を、一路、三島に向かう。
途中、雪をかぶった富士山が突然に現れて「ハッピー!」
道路と川沿い、6kmに及ぶ見事なサクラ並木がある。
それが終わると松崎町。
30年ほど前、長八記念館に来たが、その時見忘れたモノがあり再訪。
様子はがらりと変わっていた。
美術館が新しく建てられ、今はこちらが主力になっている。
伊豆の長八は、漆喰を得意とする左官職人。
200年程前の時代、鏝と漆喰を芸術の域まで高めた男。
その漆喰で、実に繊細な絵を描いている。
人間はこんな事まで出来るのか!
入館する時、大きな虫眼鏡を渡してくれる。
これで詳細を見て下さいと・・・・“驚嘆”の二文字だ。
建物の外に“鏝塚”がある。
これは現代の名工左官が使い古した鏝を納める所。
正面に“鏝塚”の二文字を、小泉純一郎が揮毫している。
小泉と長八の関連は? 聞くのを忘れた。
傍らの記念碑には歌手の“新沼健二”の名があった。
彼は歌手デビュー以前、左官職人だった由。
前回訪れて見忘れたモノは、彼の辞世だった。
「我が秋や 月一と夜も 見のこさす」 天祐
少し時間があったので、戸田港回りで、三島に向かった。
戸田に入る少し手前の御浜海岸で、富士山が間近に迫った、パチリ!
ここいらの人は、毎日こんな雄大な富士山を見て、贅沢だ!
戸田港で、当漁港直産の、海の幸を求める。
17時、名残は尽きないが、再会を約して、車中の人となる。
そう言えば、夕食の乾杯時に彼は、こう言ってくれた。
「古稀の祝いと、奥さんの全快に対し、乾杯!」・・・と。
何かを、考えていてくれたのだ。
今回、のんびり、ゆったりした中に、琴線に触れるもが多々あった。
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2010年12月11日
「下田の休日ーゴルフ」
我が家の夕食以上に豪華な朝食で、戦う前の腹ごしらえ。
生ジュースが前夜の酒を消してくれる。
ここ数日、下田の空は雷混じりで、荒れていたとか。
今朝はどうだ! 紺碧の海と空! 無風温暖!
心掛けなんてなもんじゃない!
富士山に向かって深呼吸、そして第一打!
ありゃ?真っ直ぐ飛ばない!何故だ・・・天気と富士山に負けたか?
体と緊張がほぐれて来たら、実力が時々?出てきた。
あっ、そうだ、今日は戦いではないのだ・・・保養なのだ。
我々と年相応のチャーミングなキャデーさんも良かった。
いくつ? 地元なの? ここ永いの? 事情聴取をした後、
パットで「ラインを教えて」と聞いたら「やーだよ!」だって。
冗談の応酬で楽しくプレーが出来た。
終わって、石廊崎に向かった。
ここは新婚旅行で来た、思い出の場所。
あれから40年・・・我々はきみまろになってしまったが、
石廊崎もすっかり衰退していた。
観光施設が軒並み廃墟と化している・・・何故?
最先端まで足を運んで、神社に参拝し、伊豆七島を遠くに見てきた。
陽は傾いた・・・急遽、展望のよい、あいあい岬へ。
今まさに沈まんとする、サンセットにジャスト間にあった。
これは筆舌に尽くしがたい・・・写真に納めた。
こんな素晴らしい大自然があるのに閑散としている・・・何故?
今宵は夕陽を肴にホロ酔った 寅次郎





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今朝はどうだ! 紺碧の海と空! 無風温暖!
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ありゃ?真っ直ぐ飛ばない!何故だ・・・天気と富士山に負けたか?
体と緊張がほぐれて来たら、実力が時々?出てきた。
あっ、そうだ、今日は戦いではないのだ・・・保養なのだ。
我々と年相応のチャーミングなキャデーさんも良かった。
いくつ? 地元なの? ここ永いの? 事情聴取をした後、
パットで「ラインを教えて」と聞いたら「やーだよ!」だって。
冗談の応酬で楽しくプレーが出来た。
終わって、石廊崎に向かった。
ここは新婚旅行で来た、思い出の場所。
あれから40年・・・我々はきみまろになってしまったが、
石廊崎もすっかり衰退していた。
観光施設が軒並み廃墟と化している・・・何故?
最先端まで足を運んで、神社に参拝し、伊豆七島を遠くに見てきた。
陽は傾いた・・・急遽、展望のよい、あいあい岬へ。
今まさに沈まんとする、サンセットにジャスト間にあった。
これは筆舌に尽くしがたい・・・写真に納めた。
こんな素晴らしい大自然があるのに閑散としている・・・何故?
今宵は夕陽を肴にホロ酔った 寅次郎





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2010年12月10日
「下田の休日ー伊豆の踊り子」
久々に、関東時代の旧友夫妻と、伊豆の下田でのんびりした。
親父同志は時々会って、酒を飲んでいたが、奥方連は何十年振り?
積もる話は、盛沢山だった。
東海道三島で落ち合い、伊豆路を車で南下。
貴方と越えたい“天城越え”を口ずさみながら、天城峠を越える。
今はトンネルが新しくなっていて、やや風情に欠ける。
豪快な河津七滝ループ橋は、我々土建屋にして、凄いと思わせる。
これを下り終え、左に入ると、河津七滝。
第四の滝まで約15分、渓谷沿いの散歩道。
途中に人形が二体、こちらを見ている。
近づくと、伊豆の踊子と学生像。
この学生が、後の川端康成だと言うのは、今日、始めて知った。
川端は、幼少期に身内を総て失い、天涯孤独となる。
一高生(今の東大)の頃、人生に絶望して、伊豆へ旅に出る。
そこで旅芸人の踊り子と出会い、人の温かさを感じ、孤独から抜け出して行く。
自分自身の青春時代を描いたものとは、知らなかった。
川端は、この物語を、湯ヶ島の旅館に四年半滞在して、書き上げたと言う。
この間、宿賃をほとんど払わなかったらしい。
繊細の様で、豪放な一面があった様だ。
湯ヶ島、天城峠を越えて、下田に向かう時に、二人は道連れになったのだ。
今回、我々夫婦二組も、同じルートで、下田に向かった。
しかし、名作となる様な物語は出来なかった。
幸か不幸か、孤独でなかったから・・・。
夕闇せまる頃“ホテルジャパン下田”に草鞋を脱いだ。
ホテルのロビーでは“咸臨丸”が出迎えてくれた。
明治維新を身近に感じる!
久々の再会に、グラスを逢わせ「乾杯!」
下田の夜、話は尽きなかった 寅次郎




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親父同志は時々会って、酒を飲んでいたが、奥方連は何十年振り?
積もる話は、盛沢山だった。
東海道三島で落ち合い、伊豆路を車で南下。
貴方と越えたい“天城越え”を口ずさみながら、天城峠を越える。
今はトンネルが新しくなっていて、やや風情に欠ける。
豪快な河津七滝ループ橋は、我々土建屋にして、凄いと思わせる。
これを下り終え、左に入ると、河津七滝。
第四の滝まで約15分、渓谷沿いの散歩道。
途中に人形が二体、こちらを見ている。
近づくと、伊豆の踊子と学生像。
この学生が、後の川端康成だと言うのは、今日、始めて知った。
川端は、幼少期に身内を総て失い、天涯孤独となる。
一高生(今の東大)の頃、人生に絶望して、伊豆へ旅に出る。
そこで旅芸人の踊り子と出会い、人の温かさを感じ、孤独から抜け出して行く。
自分自身の青春時代を描いたものとは、知らなかった。
川端は、この物語を、湯ヶ島の旅館に四年半滞在して、書き上げたと言う。
この間、宿賃をほとんど払わなかったらしい。
繊細の様で、豪放な一面があった様だ。
湯ヶ島、天城峠を越えて、下田に向かう時に、二人は道連れになったのだ。
今回、我々夫婦二組も、同じルートで、下田に向かった。
しかし、名作となる様な物語は出来なかった。
幸か不幸か、孤独でなかったから・・・。
夕闇せまる頃“ホテルジャパン下田”に草鞋を脱いだ。
ホテルのロビーでは“咸臨丸”が出迎えてくれた。
明治維新を身近に感じる!
久々の再会に、グラスを逢わせ「乾杯!」
下田の夜、話は尽きなかった 寅次郎




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2010年12月06日
「かんぽの宿in羽島」
今年度岐阜県シニアソフトボール連盟の納会を開催。
県下各地より、幹部クラスが34名集まった。
今年の7月に亡くなられた里見前会長に黙祷を捧げた。
会長を退き、半年後のご逝去である。
続いて表彰式。
里見前会長が育て上げた、シルバー岐阜がチャンピオンに輝いた。
草葉の陰で、盃あげてニッコリでしょう。
今年度、特筆すべきは“アスカ各務原”チーム。
その戦績は、26戦して、24敗2引き分け。
26戦は、リーグで最多試合数であった。
まさに“参加する事に意義あり”のアマチュアリズムのど根性!
これに対し、連盟は「敢闘賞」を贈った。
このチームが、一番みんなから愛されたチームである事は間違いない。
来年からは、“嫌われるチームをめざす”と酒を飲んで豪語!
我が白鳥シルバースターズは14チーム中の第5位に終わった。
ベストスリーの壁は厚い!
戦いを離れ、元気に飲み、語り、かんぽの宿の夜は深けた。
飲むほどに、酔うほどに声だかになる、恐るべき不良老人共!
老いを知らない!
翌朝は、近くにある、お千代保稲荷に参拝。
商売の神様に、勝負事をお願いしてきた?
油揚げの効能や如何に 寅次郎






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草葉の陰で、盃あげてニッコリでしょう。
今年度、特筆すべきは“アスカ各務原”チーム。
その戦績は、26戦して、24敗2引き分け。
26戦は、リーグで最多試合数であった。
まさに“参加する事に意義あり”のアマチュアリズムのど根性!
これに対し、連盟は「敢闘賞」を贈った。
このチームが、一番みんなから愛されたチームである事は間違いない。
来年からは、“嫌われるチームをめざす”と酒を飲んで豪語!
我が白鳥シルバースターズは14チーム中の第5位に終わった。
ベストスリーの壁は厚い!
戦いを離れ、元気に飲み、語り、かんぽの宿の夜は深けた。
飲むほどに、酔うほどに声だかになる、恐るべき不良老人共!
老いを知らない!
翌朝は、近くにある、お千代保稲荷に参拝。
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2010年12月03日
「二通のハガキ」
心洗われる二つの文面に接した。
一つは、葬儀の時に出される“御会葬礼状”
普通それは、葬儀屋が作る、万人共通の簡素なものである。
それは儀礼的な役済ましで、せいぜい故人の年齢を知る位のモノ。
所がこの度の礼状には、故人の心、喪主の真心が溢れていた。
人がひとり、この世を去るのである。
昨今の葬式は、ベルトコンベアー式で、何の感傷もない。
昔は“花切”と言って、関係者全員が一日がかりで準備をした。
その準備をしながら、故人を語り、偲んで、それが又、供養となった。
今は全て葬儀屋に任せ、あるのは空々しい儀式だけである。
こんな中、一通のはがき礼状に、心を打たれた。
素晴らしい人間愛だ・・・と。
今一つは、年末に来る喪中の挨拶状。
年賀状は、毎年いろいろ工夫して出すが、喪中挨拶状はマレである。
マレであるならば、一層心をこめて書いてはどうかな?と思う。
99%が印刷屋の見本に、固有名詞を入れて済ませている。
何とも、寒々とした世の中になってきたと、淋しさを禁じ得ない。
身内の事を、人様にご報告する事まで、人任せではやはり淋しい。
この二つの悲しい挨拶状の中に、素晴らしい人柄を見た。
忘れていた事を思い出したような気持であった。
(二つの文面は添付写真をご参照下さい)
良き隣人に深謝 寅次郎



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一つは、葬儀の時に出される“御会葬礼状”
普通それは、葬儀屋が作る、万人共通の簡素なものである。
それは儀礼的な役済ましで、せいぜい故人の年齢を知る位のモノ。
所がこの度の礼状には、故人の心、喪主の真心が溢れていた。
人がひとり、この世を去るのである。
昨今の葬式は、ベルトコンベアー式で、何の感傷もない。
昔は“花切”と言って、関係者全員が一日がかりで準備をした。
その準備をしながら、故人を語り、偲んで、それが又、供養となった。
今は全て葬儀屋に任せ、あるのは空々しい儀式だけである。
こんな中、一通のはがき礼状に、心を打たれた。
素晴らしい人間愛だ・・・と。
今一つは、年末に来る喪中の挨拶状。
年賀状は、毎年いろいろ工夫して出すが、喪中挨拶状はマレである。
マレであるならば、一層心をこめて書いてはどうかな?と思う。
99%が印刷屋の見本に、固有名詞を入れて済ませている。
何とも、寒々とした世の中になってきたと、淋しさを禁じ得ない。
身内の事を、人様にご報告する事まで、人任せではやはり淋しい。
この二つの悲しい挨拶状の中に、素晴らしい人柄を見た。
忘れていた事を思い出したような気持であった。
(二つの文面は添付写真をご参照下さい)
良き隣人に深謝 寅次郎



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2010年12月01日
「お神酒徳利」
四国・高知に行く機会があり、その時、読んだ本。
岐阜羽島駅の売店で目にとまった。
何時もは週刊誌なんだけれど、今回は何故か違った。
作者は山本一力。
この名前、何処かで見たか、何処かで聴いた。
そして“何かが”モノ覚えの悪い、我が脳裏に残っていた。
それに彼は、高知出身である。
今、愚生も高知に向かおうとしている。
酒の名前が付いているから、気楽な読み物だろう。
てな事で、買い求め、車中の人となった。
おもしろい!痛快!
江戸は深川の駕籠かき二人の物語。
一人は、大店の跡取りだが、訳あって勘当された、火消しあがりの新太郎。
今一人は、安房勝浦漁師の倅、相撲取りをめざしたが心優しく、挫折した尚平。
駕籠かきは今で言えばタクシーの運転手。
いろいろな人と出会うし、事件にも絡む。
駕籠かきは“雲助”と言う、悪いイメージだが、この二人は違う。
職人気質で正義の男。
弱者の味方!
下町人情、満載!
モノ、カネ崇拝の昨今に、作者は、時代小説で警鐘を鳴らしている。
この時代の方が、豊かであったのかもしれない。
愚生の友人に、この二人にそっくりな男がいる。
千葉の柏に住み、江戸の土建屋で禄を食んでいる、上林寅次郎。
実によく似てる・・・女に弱いところまで・・・。
一力が好きなった 寅次郎


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岐阜羽島駅の売店で目にとまった。
何時もは週刊誌なんだけれど、今回は何故か違った。
作者は山本一力。
この名前、何処かで見たか、何処かで聴いた。
そして“何かが”モノ覚えの悪い、我が脳裏に残っていた。
それに彼は、高知出身である。
今、愚生も高知に向かおうとしている。
酒の名前が付いているから、気楽な読み物だろう。
てな事で、買い求め、車中の人となった。
おもしろい!痛快!
江戸は深川の駕籠かき二人の物語。
一人は、大店の跡取りだが、訳あって勘当された、火消しあがりの新太郎。
今一人は、安房勝浦漁師の倅、相撲取りをめざしたが心優しく、挫折した尚平。
駕籠かきは今で言えばタクシーの運転手。
いろいろな人と出会うし、事件にも絡む。
駕籠かきは“雲助”と言う、悪いイメージだが、この二人は違う。
職人気質で正義の男。
弱者の味方!
下町人情、満載!
モノ、カネ崇拝の昨今に、作者は、時代小説で警鐘を鳴らしている。
この時代の方が、豊かであったのかもしれない。
愚生の友人に、この二人にそっくりな男がいる。
千葉の柏に住み、江戸の土建屋で禄を食んでいる、上林寅次郎。
実によく似てる・・・女に弱いところまで・・・。
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