2011年04月

2011年04月30日

「名古屋城本丸御殿の復元」

 この稿は、東日本大震災の起こる前に見学して、書いておいたもの。
被災地を訪れたり、その関連で、掲載する機会を失ってしまった。
現地で、総ての建物が瓦礫と化した事実と向き合い、呆然自失。
形あるものは崩れるのか・・・。
一朝の栄華にしては、あまりにも儚い・・・総てが。
でも、人間は懲りる事無く、又凄い建築物に挑み続ける・・・。
そんな思いで読み直した。
 本丸御殿は天守閣と共に、国宝であった。
残念ながら、先の大戦で灰塵と化した。
その後、天守閣は昭和34年に間組により、復元された。
この年は、寅が社会人になった年。
伊勢湾台風の来た年でもある。
天守閣は完成時に、この暴風雨の試練にあっている。
今回の本丸御殿も間組他二社JVの施工。
同社のM氏に、案内をお願いし、見学してきた。
百聞は一見に如かず、木造建築の凄さが見られる。
現在は第一期工事で、玄関と表書院が施工中。
木の加工場に入ると、桧の良い匂いに癒される。
今回使われる柱の最高値は、1本が1,000万円するとの事。
面積3,100m2、総工費150億円。平成30年の完成と言う。
坪当たりにすると≒1、600万となる。 へー・・・!だ。
広い原寸場では、複雑な線形と取り組んでいる。
宮大工、これは世界に誇れる技術だ。
木造建築は目に見えない所に、凄い技が潜んでいる。
建築現場は、大型の鉄骨ハウスの中で行われている。
従って雨風は関係ない。昼夜も関係ない。
トンネル工事と同じ条件下である。
石積の復元に手間取ったと言う。
昔の石積はかなり粗雑である。
徳川御三家の威力で、各藩の大名に割振って一気に積んだらしい。
石の面に、丸に十の字が彫られていた。
九州島津藩の紋様だ。他の藩の文様もあるらしい。
石工が休み時間にでも彫ったのか・・・歴史が偲ばれる。
皇居の石積にもあるらしい。
名古屋城天守閣も始めて見物してきた。
近くに居ながら始めてとは、情けない話だ。
近くに能楽堂があり、見学してきたが、これも凄い。
能楽は解らないが、椅子席で堂々たる舞台だ。
狂言は解説付きで、一度見た事はあるが・・・じっくり見て見たい。
ここにも日本の伝統文化が息づいている。
スポーツか、伝統文化か、八百長大相撲もこの近くだ。
                      今日は総てガチンコだった 寅次郎
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torajiro0421 at 18:46|PermalinkComments(0) 歴史 

2011年04月29日

「雪代が・・・」

 先日訪れた、陸前高田市、そこを流れる気仙川。
海から6km上流まで、魔物が荒れ狂った、異様な姿を見せた。
災害前は穏やかに流れ、人々の憩いの場でもあったろうに・・・。
毎日の散歩道である、堤防を歩きながら、災害現場を思い起こした。
ここ長良川は何とも平和である。
川を横断して鯉のぼりが泳いでいる。
すれ違う人は、ダイエットかメタボ位が悩みで、他はなさそう。
歩き終えれば、帰る所は或る。
家族は普段と変わらずにいる。
食べるモノもある。
トイレ、バスの心配はない。
眠る所もある。
学校もある。
友達もいる。
田や畑もある。
働く場所もある。
当たり前の事が、当然と思っている・・我々。
被災された人は「当たり前が」あの日突然無くなったのだ。
この落差は何なのか?
同じ日本人でありながら・・・。
 大日ヶ岳にはまだ残雪がある。
それが解け、白濁りの雪代となり、流れ来る。
そして南へ・・・春が来る。
「雪代が 冬を南に 連れて行く」
その景色は今、陸前高田の気仙川にはない。
ここの春は、何時の事か・・・。
                             忘れ難く候 寅次郎
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torajiro0421 at 21:41|PermalinkComments(0) 独り言 

2011年04月27日

「1円の本」

 東日本大震災で東京都知事選も霞んでしまった。
石原氏は、そんなにやりたそうでなかったのに、なってしまった。
至極、残念である。
 今日年の暮れ、ある筋を通して、石原氏面談を企てた。
その時は希望の持てそうな雰囲気であった。
大半の人は、無理だ、無謀だと嘲笑っていた。
面談できれば、都知事4期目は止めて、国政復帰を願う積りだった。
今の腐りきった日本を立て直せるのは、この男以外にないと見込んだ。
その為に、考えも集約し、更に本も読んだ。
8年ほど前に書かれた本が目にとまった。
題は「石原慎太郎の日本を救う決断」
今読んでも、何の遜色もない。
俺と同じ考えの人がいると、意を強くした。
年が明け、バタバタしているうちに、都知事選に出る出ない・・・。
逢えるのか、逢えないのか・・・イライラ、イライラ・・・。
迷っているようでもあったが、あっさりと出馬の決断。
彼は、この本の様には、動かなかった。
その心は知る由もないが、今更聴きたくもない。
“東京から日本を変える”と言うが、絵空事だ。
彼を総理にしようと言うブレーンはいないのだろうか?
確かに敵も多い。
故に頼もしいのだ。
今迄、彼の発言は凄いと思って聴いてきたが・・・。
今は、犬の遠吠えにしか聞こえない。
田舎大名におさまった男に、魅力はない。
見損なった!
ちなみに「石原慎太郎の日本を救う決断」はアマゾンで1円で買えた。
定価は¥1,500だが、送料共で¥251であった。
それなりの値打ちしかない男にも見えて来た。
日本は益々ダメになる。
                         もう逢いたくはない 寅次郎
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2011年04月25日

「四国巡礼」

 日本縦断は続いている。
今日は四国・愛媛を抜けて、大分に入った。
四国と言えば、「霊場88か所めぐり」が高名。
出発は阿波・徳島の1番札所・霊山寺から始まる。
土佐の高知⇒伊予愛媛⇒讃岐の香川まで。
88番札所大窪寺まで全長1,200kmとか。
寅のルートは県庁所在緒を廻るので、約400kmである。
四国に入ったのが2月24日。
四国を歩き終えるのは4月24日の予定だった。
1日遅れたが、およそ60日の行程。
今日、いよいよ九州に入った。
郡上の九州はサクラがようやく散り始めた時だ。
そう言えば、先日福島・小名浜で見たサクラが脳裏に残っている。
地震で家が潰れ、瓦礫に埋まりながらも咲いていた。
塩水にもたっぷり浸かっただろうが・・・
たくましい生命力に感服。
春めいてきたら、歩く人が急激に増えてきた。
ほとんどの人は挨拶を交わす。
一言二言、時候の言葉を添えながら・・・。
でも、中には、そっぽを向いて、目線を合わさない人がいる。
余程、拙者を警戒しているのであろうか・・・?
これは、おすまし系の美人に多く見られる?
心が貧しいと言うか、これを“美人”とは言えないな。
「心は見えなくても、心づかいはみえる・・・」
                          いや、心も見える 寅次郎
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torajiro0421 at 20:07|PermalinkComments(0) 独り言 

2011年04月23日

「思いやりも・・見えない」

 小さな記事を見て「バカ野郎!」と思った。
政府が避難所に対してアンケート調査をした。
その事は結構な事だ。
そして、それを数字にまとめて、記事にして発表した。
この記事を読んだ人は、何をすればいいの?
「可哀そうになー・・・」と思うだけでいいの?
具体的に、避難所の状態を公表したらどうなんですか?
住所、避難所名、そこで何が不足しているのかを。
これを知れば、心ある人は、そこへ走るか、送るだろう。
事実、自分も避難所へ物資を持って行き、感じた事だ。
大きな所は、丁重だが迷惑気味の応対。
小さい所は、喜んでいただいた。
マスコミが入る有名な避難所は、物資も余り気味。
だが、末端の小さな所が、この記事の様に厳しい状況なのだ。
状況が事前に解っていれば、公平に行き渡るのに・・・。
政府は何の為に調査をしたのか!
目的が解っていない!
思いやりがこもっていない!
調査をしろと言われたから、やっただけか?
それを、記事にした新聞も、何故今一歩踏み込まないのか?
この体たらくだから、厳しい批判を浴びるのだ。
今からでも遅くはない。
是非、公表して頂きたい。
                      最近「バカ野郎!」の多い 寅次郎
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torajiro0421 at 17:24|PermalinkComments(0) 独り言 

2011年04月22日

「フェアプレー」

 昨日の、“脇谷の落球”で、こうも思った。
脇谷がアピールしたのを見て、塁審は右手を上げた。
大観衆を無視した、大根役者の田舎芝居だ。
あそこで脇谷が、思い直して、「実は落としていました」
と、塁審に申告したとすると・・・どうなるの?
審判は、それでも「アウト」と言うの?
本人の申告だから「セーフ」って言うの?

“嘘つき脇谷”にそんな事は出来ないと思うが、
フェアプレー精神の持ち主なら、言うぞ!
自己申告が主体のゴルファーなら、言うぞ!
ゴルフの世界なら、脇谷は完全に失格だ。
ゴルフをやる資格のない人として、相手にされません。
野球は“健全な青少年を育む”と言われるが・・・。
その実は、疑わしい。
塁を盗む“盗塁”
併せて殺す“併殺”“三重殺”
挟んで殺す“挟殺”
ランナーを鉄砲肩で“刺す”
盗む、殺す、刺す、etc・・・かなり物騒な用語が多い。
こんな環境から、“嘘”が生まれるのだろうか?

脇谷、今からでも遅くはない、記者会見しろ!
「落としていました」と。
審判団を含め、野球界全体の事だ!
そして脇谷、東北に謝れ! 
ついでだ、関西にも謝れ!
それが出来たら不問にふす。
                            武士の情けだ 寅次郎
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torajiro0421 at 18:57|PermalinkComments(0) スポーツ 

2011年04月21日

「脇谷の落球」

 東日本大震災を書き続けているが、我慢ならない事が起きた。
伝統の阪神:巨人戦で審判の大きな誤審。
いや、大きな余震だ。
 巨人の脇谷が、セカンドフライをグラブに当て、グランドにこぼした。
それをダイビングで拾い上げ、捕ったとアピール。
一塁塁審は、脇谷の背中越しで見えていない。
脇谷のアピールを受けて、右手を上げた。
見えなかったのは一塁塁審だけだ。
90%以上の大観衆は見ていた。
VTRで見れば、明らかな落球である。
脇谷は「捕りましたよ、自分の中ではスレスレのところでやってますから。
    VTR?テレビの映りが悪いんじゃないですか」と含み笑い。
「バカ野郎!」
プロ野球は今年の開幕で何と言った、
“懸命なプレーを見せる事で、東北に勇気を与えたい”じゃなかったか。
嘘までついてやるプレーに、何の感動があるのかよ?
野球には“フェアプレーの精神”はないのか?
脇谷の機敏なプレーはさすがプロだと思った。
しかし、嘘をついてはいけない。
今、貴方は、してやったりとほくそ笑んでいるかも知れない、
しかし、この先、この嘘を、墓場まで引きずる事になるんだ。
自分の子供や家族に“お父さんは嘘つきだ”のレッテルを背負って・・・と。
目の前で見ていたセンター長野、お前も共犯だ!
原監督のコメント
「これで流れが変わった、追い風が吹き出した」
再度「バカ野郎!」だ
読売ジャイアンツは、こうゆう人達の集団なのですか?
野球は“健全な青少年を育むスポーツ”と言われている。
そうですか? ナベツネさん!
                         東北に対して謝れ! 寅次郎
wakiya 






完全に落球です!・・・・動画
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torajiro0421 at 15:35|PermalinkComments(1) スポーツ 

2011年04月20日

「福島浜通りへ」

 野宿二日目の朝は、宮城と福島の県境、国見SA。
5時に目が覚めたが、グッスリと眠った。
車の中で、寝袋で、窮屈で、等とは無関係に眠った。
トイレと洗顔を済ませ、食堂に行く。
外人の救援部隊が居た・・・迫力がある。
6時15分、国見SAを出発、一路南下する。
 当初の思いでは、南相馬へ行きたかった。
昔、国道6号線工事をやった、原の町を見たかったのだ。
だが、この辺は高速道路がなく、極めて不便と言う事で諦めた。
福島原発に近づいてみようと、南側から侵入する事にした。
東北道を南下し、郡山JCTで磐越自動車道に入る。
この道路に入ると、道の凹凸が極端に激しくなる。
列島を横断する道路だからだろうか?
いわきで降りて、小名浜港に向かう。
ここの被害状況は岩手、宮城よりははるかに軽い。
それでも、道路看板が破損しているから、その高さまでは来ている。
国道6号を北に進路を取る。
海岸沿いの道路へは侵入できない。
道路が寸断されたり、瓦礫の撤去作業が始まっているせいだろう。
みだれ髪で有名な塩谷崎灯台へ向かったが、完全に通行止め。
6号線も四倉まで進んだら、進入禁止の看板が出ていた。
入る車がいたし、警備員も居なかったので進入した。
常磐線広野駅付近まで来たら、完全に止められた。
ここは福島第一原発から23km位の地点だ。
外に居てはいけない地域である。
街に人影がない・・・ゴーストタウン・・・不気味だ。
時折パトカーに出会う、生コン車が列をなして走る。
ここから大きな煙突が見えたが、これは広野火力発電所らしい。
長居は出来ないので、折り返した。
四倉から常磐道に乗り、茨城の大洗港に向かう。
一昨年、大洗の民宿に泊まったが、そこは無事だった。
11:30“えんやどっと丸”なる処で昼食。
¥1,000の海鮮丼はボリュームもあり、お値打!
汚れた顔に作業服で入るには、少々気が引けた。
だが、ここも漁に出られず、新鮮な魚が入らないと嘆く。
大洗磯前神社に参拝。
石の鳥居が危険だと言うので、事前に倒されていた。
ここで孫のお守りを3個買い求めた。
今回、唯一の買いモノである。
北関東自動車道も、地震による地盤沈下が激しく全面補修の最中。
この道路も磐越と同じ横断的な道路で、破損が共通している。
東北の凄惨な所を見たせいか、茨城の被害は軽微に感じる。
壊滅個所では、ボランテアは何も出来ない状況だ。
だが、半壊、床上浸水当たりの所では、人海戦術だろう。
あまりの広範囲に、切り口が見当たらない。
でも、始めなければ進まない。
出来る所から、探して始めるしかないのだろうか?
総合的な旗振りが早急に必要だと感じる。
災害が起きて、やがて40日が過ぎようとしている。
現地は疲労の極致に近づきつつあると思う。
救援物資は何とかなった、次は復旧の手助けだ。
                            拠点を作ろう 寅次郎
kunimikanbanzasyo






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torajiro0421 at 20:56|PermalinkComments(0) 独り言 

2011年04月19日

「女川へ」

 気仙沼を抜けて南三陸町に向かう。
港の方への道路は、一応通行止めであったが、入ってゆく。
早起きだったせいか、11時頃空腹を覚え、道路わきで昼食。
友人の奥さんが作ってくれた稲荷ずしをほうばり、一服。
港の先端を目指したが、途中で完全STOP、ここも全壊である。
あの日TVは、大型トラックの屋根に数人のって流されるのを映した。
その時のトラックが数台残っている。
この先は行けないので折り返し、途中で持参の救援物資を届けた。
この避難所は小泉中学校・・・今朝のTVでその様子を映していた。
ここでの避難生活は過酷だ、仮設住宅の完成までは待てない・・・。
それも300戸必要なのに90余戸しか出来ない。
あの時「岐阜へ来ませんか」と話した人が今朝、TVで語っていた。
行政に頼らず、自分達で隣村に二番目の避難場を捜しました、と。
志津川のはずれで火事があり、消防車が走り始めた。
何と一番のりは、秋田市の消防車だった。
昨日の記事に、ここまでが抜けていたので追記。
その後、カーナビと喧嘩しながら、2時間ほど迷走。
途中でトラックから救援物資を降ろしている光景を見た。
運び込んでいるビルに「ガンバレ!東北!・・日本共産党」とあった。
拠点を設けて、具体的に動いているんだなー、と感心。
俺の所属する党は拠点もない・・・とても立ち上がれない!
石巻と女川の間に万石浦と言う所がある。
ここは浸水しただけで、津波の爪痕がない?
何故?・・・地図を見て納得。
湾の入り口が極端に狭く、津波が入れない天然の要塞になっている。
隣り合わせている同じ海岸なのに、天と地の差である。
石巻を経由して、何とか女川に到着。
ここも、壊れた建物やその残骸が残っているだけに、より凄惨だ。
それに“腐臭”が強く感じられる。
漁港だから、散乱した魚類のモノだとは思うが・・・。
多くの残骸の中には、まだ発見されない不明者が・・・?
15m程の高台に、女川病院がある。
大分県のジャンパーを着た女性数人が、慌ただしく動いていた。
遠くから来ているのだなー・・・。
その高台にある手摺りは、波にさらわれていた。
その付近に、車も数台が横転している。
津波は、この高さまで来たのかと思うとゾーとする。
小さなビルの上に、乗用車が逆立ち状態でいる。
高台から、無残な女川町を眺め、ただ呆然としていた時、
少し離れた所で、一人の女性がひざまずき、瓦礫に向かって祈っていた。
写真の右隅に写っている。
言葉がない・・・心の中で一緒に黙祷を捧げた。
悲しい思いを引きずりながら、夕方5時、女川を後にした。
南下し瑞巌寺を参拝し、松島あたりで野宿をしようと向かった。
しかし、海岸ぶちでの野営は、災害と治安の面で不安を感じ、急きょ変更。
常磐高速を南下し、何処かのSAで寝ようと考えたが、SAがない!
止むなく常磐道から、東北高速道の白石ICへ乗り移った。
少し南下して、国見SAへ夜の9時に到着。
途中のコンビニで銘酒“男山”の1合紙パックを入手。
それを飲み、夕食を済ませたら、急に睡魔が襲って来た。
緊張の疲れか・・・寝袋に潜り込むと、即、天国。
                           俺は生きている 寅次郎
cyusyokuhinanjyoyosai






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2011年04月18日

「気仙沼」

 陸前高田港にあるホテルの大きな円形の柱。
φ1,000はある大きさだが、表面が削られ鉄筋が出ている。
旋盤で削った様に、円形に削られている。
鉄骨の建物は、飴の如く曲げられている。
鉄筋コンクリートの小さなビルは、そのまま横倒しの状態。
土木の重機械が随所で横転。
車等はマッチ箱に等しい。
恐るべき水の力。
これに呑み込まれたら、人間など粉々にされてしまうだろう。
不謹慎な表現だが、不明者は海の藻屑と化しているのではないか。
想像するだけで、身の毛がよだつ・・・。
どうか“安らかに”と祈るしか術がない。
気仙沼港に入り、いきなり大きな船が陸に居る。
倒れないように、鉄骨で応急処置がなされている。
近づいてみたら、地元の人が寄ってこられた。
「解体屋さんですか?」と問われた。
その人曰く「この船の所に、俺の家があったのだ」
早期の撤去を望んでおられての、問いかけだった。
500m以上先の岸壁から、移動してきている。
これだけ大きな船だ、簡単には解体撤去は難しいだろう。
港の方へは進入禁止だったが、入ってみた。
“凄惨”の二文字だ。
陸前高田は、かなりのモノが流されていたが、ここは残っている。
残っているから凄惨だ。
多くの残骸が、異様な形で迫ってくる感じで・・・驚愕を覚える。
漁船の多くが、かたまって山に登ろうとしている。
あるいは高い所で転覆している。
正常な風景ではない。
自衛隊員がゴムボートに乗り、川底を棒で突いている。
遺体の捜索だ。
海岸沿いの道路は、急造の砂利道である。
大型のダンプトラックが砂塵を巻き上げて走る。
自衛隊が多くのテントを張る、駐屯地もある。
戦場の様相だ。
行けども、行けども、被害現場に終点がない。
志津川に入る。
20mくらい上の杉林に、瓦礫が引っ掛かっている。
鉄道はズタズタ・・・線路は見当たらない。
ここは友人の親友が、今だ不明の所。
あまりの広範囲に、捜す術がない。
何も出来ない複雑な気持ちで、女川に向かう。
新北上大橋が通行止めで、大廻りをしないと行けない。
いったん海岸を離れ、石巻経由で向かう。
途中、コンビニに入ったが、僅かな品物しか置いてない。
石巻もひどい。
市街地の道路は凸凹、停電中で、信号が作動してない。
通行可能な道路が少ないせいか、車が集中してきて渋滞気味。
おまけに瓦礫で狭くなり、車を止めて写真等とても撮れない。
この道路状況ではカーナビも役に立たない。
迷いながらも、夕方、女川に着いた。
                           疲労が出始めた 寅次郎
hasirakyosenwarkuman






kurumafuneyamasidugawa






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2011年04月17日

「救援物資」

 午前6時、まったく人気のない中尊寺を参拝。
2時間ほど走り、坂の上から被災地を一望する形で陸前高田に入った。
眼下に広がる残骸の山に呆然とする。
救援物資を届ける為に、避難所を捜した。
最初に着いた所は、陸前高田市立第一中学校。
此処は今回の災害で最初に仮設住宅36戸を校庭に立て始めた所。
TVで良く見る所だった。
校庭の片隅にソフトバンクの移動中継車がアンテナを立てていた。
携帯電話の臨時サービスをしている様だ。
孫社長の100億供出だけではない。
微に入り細に渡る心使い・・・頭が下がる。
本部に行き、話をすると、物資は余り気味の雰囲気・・・。
マスコミが取り上げる所は、どんどん物資が届くようだ。
此処は止めて、他に向かう。
友人の親友が、依然行方不明の志津川へ。
此処に入る前に、小さな避難所を見つけて飛び込んだ。
持参した救援物資は、キャベツ、白菜、ネギを各十数箱とお米90kg。
此処は「不足しています、大変有り難い」と喜んでいただいた。
目的が達成されて良かった!
避難所の体育館内は、仕切りもなく、気の毒な状態。
マスコミの入らない小さい避難所は、総てに不利な感じ。
岐阜にも住宅を用意していますが、疎開しませんか?とたずねたが、
現時点では、此処で何とか・・・との答え。
荷を降ろし、車の後ろが空になり、軽くなった。
されど被災地の道路は凸凹で、砂利道も多く、軽快には走れない。
この先の目的は、我々にも何か出来る事はないか?の模索だった。
しかし、莫大な残骸を見ると、少人数で出来る事等何もない。
例えボランテアが沢山入っても、今は何も出来ない状態だ。
今、動いているのは、自衛隊の人達が主体である。
瓦礫を取り除き、道路の確保の様だ。
その残骸、瓦礫を左右に見ながら進む。
次は“恐怖の映像”で見た、気仙沼港に向かう。
                             緊張が続く 寅次郎
写真は ここを クリックしてください

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torajiro0421 at 22:48|PermalinkComments(1) 独り言 

2011年04月16日

「東北へ」

 あまりにも衝撃的な現実を見て、整理がつかない。
沢山書くことが有るのに、書く気力が起きない。
何から書いてよいのか・・・。
凄惨な現実を表現する言葉がない・・・。
描き表わす力を持ち合わせないと言うのが本音だ。
でも、叩きつけられた現実だけは整理しておかねば・・・。
順を追って書くしかない・・・勇気を奮って。
 4月13日 午前5時半、自宅を飛び出す。
リックに最小限の荷物を詰め、作業服で向かう。
車、新幹線、京浜東北を乗り継いで越谷へ。
そこで友人が救援物資を車に積込んで準備。
夕方、二人でスタート、ひたすら東北道を北上。
途中、昔、工事をした栃木インターで降りてみた。
その時、住んでいた場所を探したが、皆目不明。
40年の歳月は、かくも変化を遂げるものかと一抹の淋しさ。
宇都宮を過ぎる頃から、道路が平坦でない。
地震で地盤沈下・・・波を打っている。
80km/h、50km/hと速度制限の標識が目立つ。
加えて、赤色回転灯の車が列をなして東京方面に走る。
かなりの数、断続的にやってくる、警察関係車のようだ。
サイレンは鳴らしていないが、闇の中、緊迫感が迫ってくる。
SAでは、沢山の自衛隊救援車両も休みをとっている。
災害の物々しさが、伝わってくる。
夜中の11時半過ぎ、岩手に入る。
中尊寺を過ぎ、その先の前沢SAに到着。
そこで寝袋を出して、仮眠の段取り。
車は救援物資を後部座席以降に目いっぱい積んでいる。
従って座席は、少ししか倒せない形での仮眠。
加えて、ある種の興奮状態なのか、なかなか寝付かれない。
ちなみに、災害地付近での仮眠は何かと危険らしい。
二次災害の恐れと、治安面での不安があるとの事。
その点、SAはトイレがあり、洗面が出来、明るく安全だ。
ウトウトとしたら、夜が明けた。
午前5時、トイレと洗面を済ませ、朝食。
                           緊張の朝となる 寅次郎
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torajiro0421 at 21:01|PermalinkComments(0) ボランテア 

2011年04月15日

「無残」

 東北に来て三日目の朝は、東北道国見SAで目覚めた。
車の中、寝袋の睡眠も悪くはない。
SA内にあるパソコンで打ち込んでいる。
陸前高田、気仙沼は地獄絵であった。
的確に表現する言葉が見当たらない。
詳細は帰ってから・・・
             寅次郎
帰ってからの追記
東北道国見SAに備え付けてあるパソコンを使った。
有料で10分間で¥100。
連続して出来ないのが難点。
考えている暇はない。
使い慣れない機種では、うまく打てない。
持参のパソコンは使えない。
野宿をしながら、情報発信とは少々無理がある様だ。
高速道のSA、PA、道の駅位は、NET接続サービスがほしい。
ほとんど無いのが現状。
臨場感をリアルタイムに表さないと忘れてしまう。
携帯電話との接続を勉強するべきか?
               まだまだだ 寅次郎

torajiro0421 at 06:06|PermalinkComments(2) 独り言 

2011年04月12日

「消える風習」

 東日本大震災が、様々な問題を提起している。
大きく括れば、科学万能、便利さ追求が仇となっている。
人事ではない。
我々は試されている・・・考え直すようにと。
日曜日の早朝、お宮の掃除に行って来た。
これは年に数回、区民が総出でやる作業。
1時間弱の仕事であるが、見事に綺麗になる。
かなり昔からの、奉仕作業である。
早朝からみんなが集まり、談笑しながらの仕事。
様々な情報の交換もあり、良い事だと思う。
近年、結婚式、葬式は、自宅やお寺でやらなくなった。
昔は、親類縁者、近隣の人々が、寄り集まって行った。
そこに人が寄れば“結”が出来、“絆”が結ばれた。
近年、この二つは、商業ベースに移ってしまった。
人との交流は消え、儀礼的になってしまった。
お金を出せば、楽に、便利に出来る、となってしまった。
人生の一大事ですら、心を砕く事もなく、機械的に済ます。
今朝の宮掃除も消えるかも・・・。
宮掃除に出ない家は、¥500納めないといけない。
¥500で済むなら、寝てた方がいいと思う人もいるやに聞く。
宮掃除も、その内に、請け負う業者が出て来るやもしれない。
人は皆、自分勝手、孤独に向かいつつあるのではないか?
便利さが故に・・・。
                     神様は天罰を考えるぞ・・・ 寅次郎
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torajiro0421 at 19:30|PermalinkComments(0) 風習 

2011年04月10日

「ボケ防止の副作用」

 ボケ防止にと、女房殿はメールと格闘している。
実家である茨城の被害状況は・・・?
その情報収集にと、カタコト交じりでキーボード叩いている。
動くのは、右手人差し指一本だ。
行き詰まると「お父さーん、ヘイ・ヘルプ・ミー!」だ。
昨今、頼られるのは、こんな時ぐらいだ。
何とか送信が終わると「あー疲れた、肩揉んで!」
ボケは止まるかもしれないが、肩こりが発生する。
パソコンを教えて、肩叩きまで、させられては・・・。
次は、この副作用(肩こり)を消す方法を考えねば・・・。
少し打てるようになったら、生意気を言う。
「私もハンドルネームがほしい」だと。
“土建屋寅子”でもいいからと言う。
「・・でもいいから」とは何だ、バカ野郎!
土建屋と言う屋号は、落語でいえば、古今亭とか三遊亭と同じなんだ。
まだ、駆け出しの新米には早すぎる!
当座は俗名(すみ子)で良い。
どうしてもと言うなら“肩凝亭おすみ”くらいにしておけ!
                        肩が凝りだした 土建屋寅次郎
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torajiro0421 at 19:48|PermalinkComments(0) 健康 

2011年04月09日

「ボケ防止」

 少し遅い気もするが、愚妻がボケ防止を始めた。
最近、女房殿は日に何度も同じ事を言う様になった。
いくら話題がなくなった、会話が少ないとは言え・・・。
同じ事を何度も聞かされては・・・うんざり!
「フン、フン・・」といい加減な返事をしていると、
お父さんは、私の話を真剣に聞いていな!と声高になる。
そこで、古いパソコンを与えて、脳味噌の軟化を図ることにした。
脳軟化症ではないぞえ。
まず、メールに挑戦をしてみろ!と。
幸い、自分の実家や、近所に気楽なメル友が居る。
間違えても、許してもらえる相手だからいいだろうと。
だが、教え込む事は簡単ではない。
かなり気長でないと務まらない。
何せ、ボケが始まり出した人に、教えるのだから・・・。
高齢者の介護を始めたみたいだ。
怒れば拗ねる・・・怒れない。
でも、相手のメル友に通じた時は楽しそうだ。
何とか打てるようになった。
小一の孫と同じ位の文章で・・・。
                 頑張れ!東北、そしてメール一年生! 寅次郎
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torajiro0421 at 20:02|PermalinkComments(0) 家族 

2011年04月07日

「ホームページが消えた」

 昨晩、我がホームページ「茶々でーす!」が突然消えた。
東関東大震災の写真を大量に掲載しようと試みた。
40枚程はOKだったが、残り数枚が、掲載出来ない。
“掲載不可”の表示を最後に、消えてしまった。
大津波にさらわれてしまったのだろうか?
恋人を失ってしまった心境・・・・。
いろいろと治療を施したが、状況は悪化するのみ。
もしかしたらサーバーが悪いのでは?
悪い癖で、人のせいにして、一晩寝て待つ事にした。
翌朝、一番で見たが、ダメ!
いよいよ専門医に見せるか?
専門医「このホームページは無料のですか?」
患 者「そうです」
専門医「解りました!キャパシィテーオーバーです」
このホームページのキャパは100MBでした。
無料だから、仕方がないか・・・。
治療方法として、不要なファイルを大幅に削除した。
“治った!” 何とも、単純な事であった。
キャパオーバーの表示くらい、出してほしいなあー。
無料だから、そんな所まで親切には出来ません?
そうですよね・・・。
でも、少しカルテを見てたら、申請すれば増量可能とあった。
しめしめ、まだこの先、かなり無料で使えるぞ!
でも一時は、かなり焦った。
                               ケチな 寅次郎
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torajiro0421 at 20:54|PermalinkComments(0) 事件 

2011年04月05日

「恐怖の画像」

 関東の友人が宮城に行って来た。
今だ消息不明の友人を探しに・・・。
街ごと消えてしまっていた。
現地を見ると、あきらめざるを得ないと言う。
がれきの山・・・人影が少ない・・・。
手がつけられない・・・。
つける人がいない・・・。
鉄骨が飴の様に曲がっている。
これを見ると、人間はおそらく原形は留めないのでは、と。
「何故に、罪もない人が、こんな仕打ちにあわねばならないのか」
涙が止まらなかったと言う。
ユーチューブの動画を見た。
気仙沼が襲われる一部始終だ。
脳裏を離れない。
                              ・・・・ 寅次郎
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torajiro0421 at 19:30|PermalinkComments(0) 独り言 

2011年04月04日

「悲しみが続く」

 暗いスタートの日曜日であった。
昨夜、我がチーム代表代行が交通事故で瀕死の重傷。
今朝の新聞に載っていた・・予断を許さない状況と言う。
迷ったが、リーグ戦は戦う事として、岐阜の球場に向かう。
静岡に転出された前監督からも、心配の電話。
県連盟の会長も、新聞で知ったと、驚きと心配。
開幕は19名来たが、今日は総勢11名しかいない。
エースも不在で、見事2連敗!
集中できなかった事もある。
でも、全員が出場できて、少しは納得。
帰途、瓢ケ岳PAで、僅かだが募金にも協力した。
家に着いたら、キムチと銘酒・八海山が届いていた。
キムチは瀕死の重傷を負った先輩が、その日の土産として。
今は集中治療室で、命と戦っているのに・・・。
胸がつまる・・・。
八海山は過日、関東の友人に水を送った、そのお返しとかで。
水が酒に化けるのは“養老の滝”だけかと思ったが・・・。
夕方、娘婿が“なまこ”を捕ってきた。
先程、TVでナマコのさばき方を覚えたばかり。
「任せろ!」めったに立たない寅が、厨房で包丁を振るった。
思いがけない事がいろいろあった日曜日。
二連敗で疲れた体に、八海山が程良く染み込んだ。
                          複雑な日曜だった 寅次郎
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torajiro0421 at 21:46|PermalinkComments(0) 独り言 

2011年04月03日

「復興祈願酒」

 ひるがの高原のコンビニに、この酒が売られていた。
「東日本大震災・復興祈願酒」¥1,000.−
大震災に苦しんでいるのに、酒かよ?
どんな味がする?
興味半分で買ってみた。
二合瓶に巻かれた紙に、趣旨が書いてある。
内容は写真をご参照下され。
この酒蔵の杜氏は岩手の出身。
この人達を助けねばならん!
売上金は全部寄付します。
原価は酒屋が背負います。
お願いします!
家に帰り、これを読んだら、勿体なくて飲めなくなった。
飛騨古川の渡辺酒造店さん頑張れ!
もう5,6本買ってくるんだった。
                          人の情けに感服の 寅次郎
sake1sake2sake3






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torajiro0421 at 21:56|PermalinkComments(0) ボランテア 

2011年04月02日

「80歳の頑固者」

 第11回・伊勢志摩ササユリカップシニアソフトボール大会に参加。
我がチームの、志津野守之選手が、当大会で最高齢選手として表彰を受けた。
おめでとう!我がチームの誇りとして祝福!
阪神フアンでもあり、俺の兄貴分だけに嬉しい。
80歳でなおユニフォームを着続けている。
国鉄時代の野球から数えれば半世紀以上だろう。
この間、幾多の選手が引退をし、はたまた世を去って行った。
この元気の源は一体何なのか?
酒はウイスキーのストレートが主体。
タバコはピースを離さない。
食べ物は、飛騨牛の上と卵焼きとニシンとタコ以外、口にしない。
普通の人間の食べるものはほとんど食べない。
従って体はスリムである。
自動車の免許証は持たなから酔っ払い運転の危険はない。
但し、自転車は常に乗っている。
二輪なるが故に、酔うと、この上なく危ない。
今迄に、何度、転倒、転落し、ケガをした事か。
其れでも懲りずに乗り続けている。
ここまで書いた時に、電話。
「志津野さんが救急車で、岐大病院へ搬送された!」
「なにっ!」次の言葉が出ない。
奥さんと法事の帰りに、バスから降りて、近接の車に巻き込まれたとの事。
骨盤骨折、内出血で、今、昏睡状態と言う。
面会謝絶・・・何も出来ない、もどかしさ・・・。
今は最悪の状態にならない事を祈る事しか出来ない。
賞状を届けようとしていた矢先だ。
                            落ち着かない 寅次郎
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torajiro0421 at 22:32|PermalinkComments(0) 人物 

2011年04月01日

「恥ずかしくないですか?」

 3月22日のブログ「何か可笑しい?」でも書きました。
再度ぶり返します。
この度の大震災に、外国からの支援が大きくなっている。
フランスは原発の専門員に、サルコジ首相まで来られた。
アメリカも大々的に救助をしてくれている。
ドイツもロボットを。
その他、遠くから支援の声が、日に日に大きくなっている。
ボーダレスに・・・。
それに引き換え、自民党は何ですか?
「政策合意が出来ていないからダメだ?」
「手を貸せば、長期政権になる可能性がある?」
バカ野郎!てんだ。
よそ様が、何とか助けようとしてる時に、
犬も喰わねぇ、夫婦喧嘩かよ!
谷垣さん!
みんなの意見を聞いてまとめるのがリーダーじゃありませんよ。
そう言うのは、会議の”議長“てんですよ。
自分の考えをみんなに示して「行くぞー!」てのがリーダーです。
ついて来ねぇ半端野郎は、来なくていいじゃありませんか。
今、日本は危機ですよ!
世界が見てますよ!
被災現場が待ってますよ!
起きろ!たちあがれ!
                           ・・・ったく! 寅次郎
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torajiro0421 at 21:18|PermalinkComments(0) 独り言