2011年07月

2011年07月31日

「訃報が続く」

 本家筋の長男が亡くなった。
72歳と言うから、俺の一つ上である。
近所であり、ガキの頃は一緒に走り回り、遊んだ仲。
小柄ではあったが敏捷で、スポーツは万能であった。
酒は飲まなかったが、糖尿病が引き金になったようだ。
ここ数年は、入退院、そして寝たきりが続いていた。
その長男(32)は独身ながら、しっかり者で、見事、葬儀をやりきった。
その二週間前、俺の従兄が旅立った。
若い頃は、俺の親父が運転するトラックの助手を務めていた。
今時のトラック運転手は一人であるが、昔は助手が必要だった。
当時のエンジンはクランク棒で始動した。
木炭車の場合は、木炭を燃やす役目があった。
荷の積み込みは、全て人力。
依って、トラック運転手と助手は、かなりの偉丈夫だった。
共に酒が好きで、楽しい人であった。
 最近の傾向なのか、二つの葬儀とも、挨拶は喪主自身が行った。
その他、大半は葬儀屋が取り仕切り、お手伝いする事は無くなった。
その分、経費は大きくかさんでくる。
今迄、生花の名前は、重瀰のミツが彌に略されるのが常だった。
パソコンで簡単に出てこない字だ。
今回は、何とか探し出して、正しく書いてくれた。
昔は「花切り」と言って、町内と親類縁者が一日がかりで準備。
準備しながら、故人を偲ぶのが、供養でもあった。
便利と引き換えに、情緒は無くなってゆく。
何とも味気ない世の中になったもんだ。
                        昭和も遠くなってゆく 寅次郎
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torajiro0421 at 08:28|PermalinkComments(0) 風習 

2011年07月29日

「宗教感」

 “真道大青教”白鳥道場のご神体を拝見した。
永年外観は見て来たが、御本尊は恐れ多いと見てこなかった。
“来てみれば、左程の事無き富士の山、釈迦や孔子も、かくやあるらん”
見てしまって、不遜にも、ふと、この歌を思い出した。
実に質素なものである・・・それ故に尊いのか。
写真に納めたが、ここでの公開は慎むことにした。
この道場、最近10年位の変遷を調べていて、次の文章が日記にあった。
「1999年10月31日 “大青教 秋の礼祭”
弟達が早朝から準備してくれて、滞りなく礼祭は終わった。
直会で祭司の佐藤先生が、大青教のルーツの一部を話された。
当時(戦前)、神道13派、仏教53派が認められていた。
その中で、大青教は無許可で立ち上げたものだから、当局に捕まった。
1年6ヶ月の懲役となり、獄舎で経典を作り上げたとの事。
元祖先生と、NO,2である祖父・昭元との出会いを聴いたが、あいまいな答えだった。
しかし犬山・入鹿池にある総本山の造成は、大半が祖父・昭元が成したと聞いた」
当時、重機械はなく、総てが手作業であったろう。
この事は始めて知った。
戦後の混乱期は“信心・加持・祈祷”で人を導いていた。
数年前、参拝者の、ある長老曰く。
「親鸞が仏教を広めた頃は、無学文盲の者が多く、布教には左程の困難はなかったのではないか。それに比べ、教育水準が上がり、情報が溢れる昨今、時代のニーズに合わないと無関心となる。宗教とて不変のものではない。今は、むしばまれた心の修復みたいなものが必要になりつつあるのではないか」と。
物で栄え、心で滅びる時代と言われて久しい。
時代にあった宗教が必要になってくるのではないか・・・。
御神体を拝見して、宗教のあり方を少し考えた。
                      年老いてきたのであろうか 寅次郎
taiseikyo1haiden101103






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torajiro0421 at 09:10|PermalinkComments(0) 宗教 

2011年07月26日

「ゆかた会・23」

 孫・優(3)が、おどりデビュー!
師匠は、我が家のバーバとあっては、見に行かないと危険を感じる!
孫は、踊りが天性、好きなようだ。
これは祖祖父・正三の血が、母に受け継がれて、流れている。
白鳥踊りが鳴り出すとステップを踏み出す。
お稽古の時は、祖母であっても、一応先生である。
「先生、よろしくお願いします」とひれ伏す。
ものおじしない天真爛漫の3歳は見ていても気持ちがいい。
邪心がない。
でも、舞台は少し緊張をしてたみたい。
見事、踊りきった!
一番安心したのは、師匠のバーバか。
このお師匠さん、この“ゆたか会”で自然ダイエット状態。
子供を教えなきゃならん・・・。
自分の踊りも、稽古しなきゃならん・・・。
準備段階からの割り当てられた段取りも、こなさねば・・・。
性格的に、のめり込む体質なのか、余裕がなくなる。
このところ、体重が落ちて行くとポツリ。
病では・・・?
世の女性は、目方が減れば喜ぶのに、この人は逆だ。
踊りを趣味に選び、豊かな人生をと目論んだのに・・・。
このところ、これが重荷になってるのか?
身をすり減らして挑む“踊り”。
当初とは、少し方向が違ってきたのかな?
でも「温習会」「ゆかた会」等々を超える毎に、充実感もある様だ。
でも、ほどほどいい加減に、楽しむ方向にしないと・・。
                            太めの好きな 寅次郎
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torajiro0421 at 21:25|PermalinkComments(0) 家族 

2011年07月24日

「今朝のTVから」

*平和な都市・オスロで銃乱射、80数名死亡。
 どんな主義だか思想だか知れねぇが言語道断。
 こんな奴は、東北へ連れて行き、現場を見せろ。
 人の命の何だかを、知らしめろ!
 甘ったれるんじゃねぇ!
*エリアメール
 携帯電話は、全て受信できると思ったが違った。
 今のところドコモだけが受信できる。
 余分な機能は要らない、大事な機能こそ全社搭載すべきだ。
 気仙沼でボランテラ中に、エリアメールを受信した。
 これはテレビ、ラジオを持ち歩いているに匹敵する。
*今日の正午でアナログテレビが消えると言う。
 誰かの都合で進んでいる事に、漠然と反感を覚える。
 もったいない!
 我が家にアナログTVは2台あるが、消えなかった。
 何だか釈然としない。
*民主党がマニュフェストを見直すと陳謝。
 謝れば、謝ったで、次には、信を問え!と自民。
 政権獲得ゲームしか頭にない不毛な議論。
 こんな奴等こそ、乱射されても寅は意を唱えない。
 昔は、暗殺という方法があった。
 若者がそれをやった!
オスロの乱射魔よ、前途有望な若者を殺して駄目だ!
今ある映像の90%は消えても意を唱えない。
                      なでしこだけ映ればいい! 寅次郎
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2011年07月22日

「お上の都合」

 今月の24日でもって、アナログ放送は終了すると言う。
総務省は地上デジタル放送の受信普及率は95%に達した、と。
このままでは我が家からテレビは消える。
テレビがあまり好きでない愚生はそれでも構わぬ。
静かになっていい!
だが、山の神殿は、「イ・ホ・・様に逢えない!」と愚図る。
止むなく、いろいろと物色して、1台は買って来た。
まだ他の2台は、そのままの状態であるが、何の不便もない。
もったいない!
本当に、25日から、映らなくなるの?
何故かあやふやなので、Netで調べてみた。
話が違うぞ!
2011年7月24日以降もアナログ放送は続く!
この先、短くて3年半は、継続する!
と言う、一説もある。
何故か?・・・Net曰く。
まだ買い替えが、それほど進んでいない。
映らない場所があり、それらが解決されていない。
その他、様々な環境が整っていない。
環境が整うまで、デジタルを→アナログに変換で流すらしい。
従って、家からテレビは消えない!
もし万が一消えたら・・・最初に困るのは、お上だ。
視聴料が取れない。
国民に情報を流せない、国民コントロールが出来ない、等々。
映っても映らなくても、全ては、お上の都合で動いている。
いや、家電業界もグルだ。
視聴者・国民の意見は、完全に無視されている。
こんな事は、そう簡単にチェンジ出来ない、と思うが如何に・・・。
7月25日の朝が楽しみである。
                    アナログは消えない方に賭ける 寅次郎
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torajiro0421 at 21:44|PermalinkComments(0) 独り言 

2011年07月20日

「大和撫子」

 東北へのボランテアに没頭してたら、明るいニュースが!
“ナデシコジャパン”あっぱれ!
東北へ最大の贈り物!
大和撫子とは、か弱いながらも、凛とした所のある、日本女性の美称とある。
見た目は弱々しく可憐で、内面はしっかりして、我がままでない女性とも。
残念ながら、我が周辺には見る事は出来ない。
撫子の花言葉は「純愛」「大胆」「勇敢」との事。
正直、どんな花か知らなかった。
二週間ほど前、散歩の途中で撮った花が「撫子」だった。
決して豪華な花ではない。
道端に咲く、小さな草花だ。
今回の「ナデシコジャパン」は総てに凄い!
安い報酬で、環境は決して良くない。
ゴルフの女子プロと比較すると、まったく気の毒だ。
それが日本を、そして世界を「アッ!」と言わせたのだ。
戦後、水泳の古橋広之進、力道山は日本に夢を与えた。
東洋の魔女・日紡貝塚が世界を征したのを思い出した。
蓮舫大臣「二番じゃいけないんですか?」
お前ェさんに「おめでとうと言われたくねェンだ!」
あんたは「ナデシコ」が負けた時に言えばいいのだ。
二番でおめでとうと!
経済効果は1兆円とも言われる。
スポーツ振興金をごっそり仕分けしておいて、よくも言えたもんだ。
枝野も然りだ・・・こうゆう人達が日本の中心に居るとは・・・。
蓮舫はナデシコにはなれない、臭いドクダミだ。
薬草ドクダミに失礼かな・・・?
綺麗でも、小利口な女は嫌いだ。
                  大和男(おのこ)の遠い、はしくれ 寅次郎
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torajiro0421 at 22:32|PermalinkComments(0) スポーツ 

2011年07月19日

「東北いろいろ」

 1回目の東北行きは、震災後一ヵ月の時。
この時は、知人の安否確認、支援物資の届けと、惨状を視る事だった。
今回は、現地での労働支援、銘酒“男山”の買い付けと、大きな絵の送付だった。
その他、
*現地の人達の、生の話も伺った。
 メデアには報じられない話も沢山聞けた。
 中には、奥さんを亡くされて方もおられた。
*気仙沼魚市場も、一部動き出していた。
 この近辺は70cm程、地盤沈下し、満潮では水没すると言う。
 新鮮なカツオもいただけた。
*銘酒“男山”は今秋開催するソフトボール大会に、100本使う予定。
 男山酒造も、津波で一階部分が無くなっていた。
*陸に上がった大きな船は、今回もそのまま居た。
 これを記念のモニュメントにして、そこいら一帯を公園に、と言う話も聞いた。
*運んだ大きな絵は、多くの子供達と共に、岐阜県知事も加筆されたもの。
 加藤先生の友人の手で、石巻市役所に飾られた。
*新しく世界遺産になった、中尊寺も参拝出来た。
 そこに、我が石徹白から運ばれた、植木にも出会えた。
 毛越寺までは行けなかったが、これは次回を約束。
*働いた家は、ドラキチだったのも何かの縁。
*阪神タイガースのレストランもあった。
 THのマークは、もしかしたらトーホクの意?
*仮設の家で、商売を始めた店も見た。
*M−7,4の発生で、実際に避難もした。
*帰路、トイレがなく、畑でもよおし、地主にこっぴどく叱られた。
 自然現象には勝てず、ご免なさい!
*帰路、福島の国見SAは懐かしかった。
 ここは前回の時、寝袋で野宿をした所。
 放射能なんか怖くない!とサクランボを沢山買い込んでいた。
 食べても、影響のない年齢の諸君たち。
 これも支援!
まだまだ、表に出せない秘話もあった。
                        充実の72時間だった 寅次郎
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torajiro0421 at 20:00|PermalinkComments(0) ボランテア 

2011年07月18日

「この世に客に来たと思えば・・・」

 書・絵・詩作家 加藤としえ先生が一筆振るわれた。
畳み一畳の大きさのもの。
大きなアジサイに、文字が踊っている。
これを、東北・仙台へ持って行ってほしい、と。
これを避難所に掲げ、少しでも勇気付けになればと願い。
そこに書かれた文言は、
東北・仙台藩の初代藩主、伊達正宗公の遺訓。
これは三大遺訓の一つと言われる。

仁に過れば弱くなる
義に過れば固くなる
禮(礼)に過れば諂(へつらい)となる
智に過れば嘘をつく
信に過れば損をする

気長く心穏やかにして萬に
倹約を用いて金を備ふべし
倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり
この世の客に来たと思へば何の苦もなし
朝夕の食事うまからずともほめて食ふべし
元来客の身なれば好嫌は申されまし
今日の行きおくり子孫兄弟によく挨拶して
娑婆の御暇申たがよし

受取人は、加藤先生の友人で宮城県在住のS原さん。
彼女は、NPO法人「全国移動ネット」の中心にいて、東奔西走中のお方。
秋保温泉蘭亭へご足労願い、ロビーで初対面、お話しを伺いました。
震災以来の長きに渡り、努力をされている事に、頭が下がります。
様々な支援の方法があるモノと、勉強させられました。
我々は、通り一遍の客に似たり。
好嫌申さば、政宗公にギョロリ!
偉大な先輩が青葉城で睨んでおります。
頑張って下さい!そして我々にも、ご指導ください。
                               配達人 寅次郎
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torajiro0421 at 20:45|PermalinkComments(0) ボランテア 

2011年07月17日

「沿岸無残」

 気仙沼に程良い宿がないという。
やむなく、仙台の秋保温泉まで150km程、南下。
高速はやめて、沿岸を走る事にした。
前回自分が来て、見た所を、皆も是非見るべきだとルート変更。
国道45号を海沿いに下った。
「こんな所までやられている!」
「何だこりゃ!」
「ウッソー!」
「ウンー!」
段々言葉が出なくなる。
シャッターを切る事さえ忘れていた。
非現実的な世界である。
僅かの時間でこれ程までの事を成す、自然の力に、呆然。
南三陸町志津川はまだ何も片付いていない。
鉄道・気仙沼線もズタズタ、影、形もない所がある。
も少し南下すれば、石巻に入り、北上川にぶつかる。
そこは児童の108人の内74人が亡くなった大川小学校。
更には女川へと続くが、時間がなく、志津川から内陸に入った。
昨晩は雑魚寝であったが、今日はホテル。
風呂のありがたみを噛みしめてから、夕食の宴会。
そこで、一人一人感想を述べた。
様々な事を考える、意義あるボランテァ研修だったと。
気仙沼の銘酒「男山」を六升買い込んで、力一杯頂いた。
                      「男山」で酔って貢献した 寅次郎
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torajiro0421 at 21:55|PermalinkComments(0) ボランテア 

2011年07月16日

「トイレの神様」

 「この家の清掃をお願いします」と担当者は言った。
外観は何事もなく見えたが、内部はドロンコ。
泥が隅々まで行き渡っている。
これでも一度は、ドロだしをしたと言う。
部屋の片隅に、野球のバットが数本立てかけてあった。
奥の部屋の書棚には、汚れた本が、乱雑にあった。
その中の二冊に目が行った。
「ドラゴンズ物語」「ドラゴンズ栄光への道」である。
何が悲しくて、俺はこの家を美しくせねばならんのか?
東北にもへそ曲がりのバカな家族がいるもだと感心。
今更、阪神フアンの被災者を探すわけにもゆかない。
今日は、日が悪かったとあきらめ、仕事に取り掛かった。
最初は、前面ドロだらけの風呂場に挑戦。
壁には、油混じりのドロ海水が浸み込んでいる。
洗剤を用いても落ちない。
ブラシで擦りながら、ここの家族はどんな人達なのだろう?
時には、あらぬ想像をしながら、浴槽のドロと格闘した。
何か楽しい事を考えていないとやりきれない。
不愉快と不快感の汗が、どんどん噴き出る。
風呂場を終えて、隣のトイレに向かった。
幸いな事に、トイレの汚臭はしなかった。
マスク等は息苦しいだけで、とても付けていられない。
便器をこじ開けたが、ドロで詰まっている。
水をドンドン注入し、棒で突いた。
暫く続けたら、抜けた!
便秘が一気に治った感じ。
使用できるまでに仕上げた。
植村花菜の「トイレの神様」を信じて便器を擦った。
これで寅次郎もベッピンになれる・・・。
終り頃は、敵の家である事すら忘れていた。
                         汗のしたたるいい男 寅次郎
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torajiro0421 at 20:29|PermalinkComments(0) ボランテア 

2011年07月15日

「避難勧告」

 午前10時、突如サイレンの音。
消防車、パトカー、自衛隊の車が動き出した。
携帯に、エリアメールが入った。
「気仙沼市沿岸に津波注意報が発表されました、
 海岸付近には、近付かないようにして下さい」と。
野外の広報無線も、何度か、繰り返す。
その内、注意報が、警報に変わった。
10時50分、再度、エリアメールが入る。
「・・・沖合に水位の変化が見られる、高台へ避難を・・」と。
無線も、消防車もパトカーも、避難せよ叫ぶ。
避難勧告の発令である。
近くに、3階建ての学校があった。(気仙沼南小学校)
その屋上に一応避難した。
その屋上から、岐阜の家に電話をかけた。
「南三陸沖で大きな地震が発生!」とテレビが伝えている、と言う。
我々現場には、テレビ、ラジオはない。
外部の方が、情報は的確に流れている事を実感。
その小学校も、津波の被害を受けて、今も授業は出来ない。
グランドには、スクラップになった車が、山と積まれている。
被害の物凄さを、如実に物語っている。
この学校には当時、300人余が取り残され、自衛隊の救助を待った、と。
児童も亡くなったと聞いた。
校庭の片隅に、半分泥のついたソフトボールを見つけた。
流されずに頑張ったのか!
その白さが、やけに眩しかった。
11時半頃、津波の気配がないので、作業現場に戻った。
暫らくしたら、エリアメールも、避難勧告解除を知らせてきた。
事は、何事もなかったけれど“凄い経験”の様に感じた。
しかし、疑問が一つ残った。
気仙沼市当局は、いろいろな手段で、情報を流している。
ところが、一般住民は、ほとんど反応していない。
反応したのは、他所者である、我々だけだった。
反応しない情報提供・・・狼少年?・・・問題を感じた。
泥を除去した一室で、車座になり、弁当を開いた。
                          噛みしめて食べた 寅次郎
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torajiro0421 at 20:31|PermalinkComments(0) ボランテア 

2011年07月14日

「戦闘開始」

 宿泊した避難所の夜明けは早かった。
午前4時には早くも、ゴソゴソと動き出す者が居た。
昨日見た、悲惨な現場を思うと、寝ていられなかったのか・・・。
我々の宿舎の前は、小高い丘になっている。
そこに学校があり、そこは自衛隊の駐屯地、車が盛んに出入りする。
午前6時、全員集合し、ラジオ体操でウオーミングアップ!
午前7時、ようやく朝食。
軒下あたりに思い思い陣取り、弁当を開ける。
7時30分、3班に分かれて、それぞれの現場に向かう。
被災現場に向かう車中である者が言った。
「私は今から戦場に行く気持です!」と。
当初の天気予報は雨で、全員合羽を用意していた。
予報は大きく外れた。
梅雨明けを思わせる、強い日差しまで出てきた。
我が班の作業内容は、築2年、平屋家屋の清掃だ。
津波はこの家の天井近くまで入り込んでいた。
壁は総て、泥が付着している。
床は泥が積り、床下も泥が入り込んでいる。
この泥との闘いが、今日の仕事である。
キッチン、バス、トイレのユニットには細部まで泥が入り込んでいる。
床下は、床板を剥がしてから、泥の撤去である。
幸いこの家は、電気と水道が回復していた。
油混じりの泥海水は、水で洗剤しても簡単には落ちない。
風の通らない家の中は、蒸し風呂状態。
暑さとの闘いでもあった。
汗が出る⇒水分補給⇒汗になる⇒水分補給・・・これの繰り返し。
これだけ水分補給しても、トイレにはほとんど行かない。
最初は喋りながらやっていたが、次第に寡黙になってゆく・・・。
突然、サイレンが鳴り始めた!
南三陸沖でマグニチュード7,4の地震発生!
                            緊張が走る! 寅次郎
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2011年07月12日

「yandasou-love hado」

 2度目の東北行きあった。
1回目は、震災後の一ヶ月目、この時はまだ寒かった。
今回は、四ヶ月目、梅雨明け間際の炎天下で暑かった!
5月下旬に、籐政会で現地に行こうと言う狼煙が上がった。
幾度となく会合を重ね、実現を見た。
「YANDASOU−LOVE HAND」(やんだそう−愛の手を)が
キャッチフレーズとなった。
帽子、ビブ、ネームタグに表示。
YANDASOUは郡上の方言で「さし出す」の意です。
三省堂の英語辞典には載っていません。
参加者はメンバー15名、一般の方10名、計25名であった。
7月9日、午前5時、大型バスは白鳥を後にした。
東海北陸道を北進、北陸道に出て日本海沿岸を北上。
新潟で磐越道に入り、11時、阿賀野川SAで昼食。
更に、郡山JCTで東北道に入り、平泉前沢で高速を降りた。
今、東北自動車道は無料である。¥39,500がタダとは助かる。
折角と言うので、新米の世界遺産である“中尊寺”へ。
源義経が郡上の石徹白を経て、平泉への逃避行で縁のある所。
白山神社があり、石徹白から運ばれた木が植えられていた。
この度の安全を祈願して一路、気仙沼へ。
18時に目的の“千葉誠”さん、に到着。
まだ明るい。被害の状況が見たいと気仙沼を一周。
ここで初めて、無残な状況をみて、一同唖然とする。
想像を絶する状況に「うんー・・・何だ、これは・・・」
「こんな状況で我々には何が出来るのだ・・・」
1時間ほど、悲惨な現場を見せてもらった。
夜は地元の人達と、野外バーベキューでの懇親会。
中には、肉親を亡くされた方もおられた。
「罪のない人々を、かくまで苦しめて、神は何が言いたいのか!」
様々なお話を伺い、遅くまで語った。
最後はお互いの民謡を披露しながらお開き。
宿泊場所は、バス、トイレ、キッチン等の並んでいるショールームの一角。
この夜は風呂なしで、雑魚寝であった。
ここは震災当時、避難所として使われていた所。
横になり、しばらくしたら「ドドーン!」と一発、地震が来た。
緊張の夜だったが、疲れからか、すぐ夢路を辿った。
前回は、車の中での野宿だったが・・・。
                     今回は被災者と同じ所で寝た 寅次郎
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torajiro0421 at 23:18|PermalinkComments(0) ボランテア 

2011年07月07日

「七 夕」

 今年の七夕は、大震災を嘆くが如くの雨空である。
年に一度の、美しい逢瀬は見えない。
仙台の七夕飾りは日本一。
大災害にもマケズ、今年も飾られた。
独身時代、福島に居た頃、一度見に行った事がある。
仙台の飾りは、アーケード内が多く、雨はあまり関係ない。
絢爛豪華の一語に尽きる。
平塚の七夕も有名で、関東一だと思う。
これは女房と恋人時代に、見た記憶がある。
ビールにほろ酔い、夕風に頬をなでられながら・・・。
仙台も平塚も、その道の専門職が飾り付ける、豪華なモノ。
自分の小さな願いなど、吊るす雰囲気ではない。
 今日、孫の“優”が小さな竹飾りを、保育園から持ち帰った。
子供が成長してから、七夕などは、すっかり忘れていた。
その小さな飾り短冊に
「おおきくなったら ケーキやさんに なりたい」とあった。
何故か、ものすごく新鮮に感じた。
“今の日本には何でもある、だが希望だけがない”と言われる。
仙台、平塚の豪華ではない、孫の小さな一枝。
その短冊にある、平凡な一行の言葉。
この希望に、孫の顔がダブり、眩しく見えた。
家族でも、皆で願いを飾りあうべきだなー。
希望を消しているのは、大人達だ。
季節の行事を、省略しているのも大人達だ。
大事な事を忘れている、大人達。
そんな大人達に“神聖な逢瀬”を見せる事はない。
と、織り姫は夜空で、つぶやいているに違いない。
                           思いつきの彦星 寅次郎
 古い写真を引っ張り出した。
 カラーが昭和38年頃の仙台七夕(23歳)
 白黒が昭和42年頃の平塚七夕(すみ子24歳)
tanabata1tanabata2BlogPaint






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torajiro0421 at 20:04|PermalinkComments(0) 風習 

2011年07月05日

「ちびた客人」

 松本復興大臣は「客人を待たせるとは不届きだ!」と吠えた。
震災の現場へ来て、テメェが「お客様」だと言うから、トンチンカンだ。
言った場所が、伊達正宗公が築いた・仙台。
その伊達政宗公の遺訓の中に、

「この世の客に来たと思へば何の苦もなし
 朝夕の食事うまからずともほめて食ふべし
 元来客の身なれば好嫌は申されまし
 今日の行きおくり子孫兄弟によく挨拶して
 娑婆の御暇申たがよし」

県知事が、俺(松本大臣)より遅れて来るとは何事ぞ!
客を待たすとは、言語道断!
と、のたもうた。
復興大臣が現場に来て、お客かよ?
笑らぁせんじゃねぇ!
現場を治さなきゃいかん、主人じゃねぇのかよ!
それでも、テメェが客だと思うなら、政宗公の遺訓を読め!
仙台に来て言う言葉じゃねぇ!
世が世なら、テメェの首は、とっくに、胴から離れているぞ!
                             切腹しろ! 寅次郎
 ここまで書いてテレビを見たら“松本辞任”と映った。
 今回は珍しく早かった!
 これでは、俺の原稿は、賞味期限が過ぎちゃうじゃねぇか。
 書いている内に、念力が通じたか?

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torajiro0421 at 21:42|PermalinkComments(0) 政治 

2011年07月03日

「テレビの買い替え」

 パソコンの事は自分流に使いこなしている。
だが、新しいテレビは、何とも難しい。
もうすぐ、テレビが映らなくなると言う。
何故? 今、こんなにきれいに映っているのに・・・。
お上の都合だと言う。
アナログ電波はこれ以上増やすと、渋滞を起こすらしい。
それをデジタルにすると、スキスキになるらしい。
そうすると、携帯とか公共電波とかが、楽になるらしい。
家電の安売り店をいろいろ覗いてみた。
意味の解らない言葉がどんどん出てくる。
地上アナログ放送、地上デジタル放送、BSデジタル放送、
110度CSデジタル放送デジタルアンテナ、ワンセグ、スカパ−、
ブロードバンド契約、LED,ハイビジョン、それにフルがつく・・・etc。
買ってきて、自分でアンテナを繋ぎにかかったが・・・ウーン!
テレビを見るのはタダだ、とばかり思っていたが、NO-GOOD!だ。
いろいろと選択肢があり、お金がいるようになっているんだ。
くだらねぇ番組を、高い銭出して見るこたぁねぇ!
それほど俺は暇じゃねぇ!
こんなものぁ、世の中、最低限のものさえ見えりゃいい!
てなことで、ここまで買わずにきた。
でも、お上の都合でんで、やむなくテレビは買い換えた。
だが、この先も、深く付き合う気はない。
但し、カカァが「韓流ドラマのイ・ホ・・・」と、うなされている。
そういや、新しいテレビに映る女は、綺麗に見える?
「気のせいよ!」と女房。
                          目のせいかな・・・寅次郎
kanryusakuranhk2






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torajiro0421 at 21:47|PermalinkComments(1) 独り言 

2011年07月01日

「奇跡の退院」

 我が先輩、瀕死の重傷から≒80日で、退院してきた。
事故から、丁度三カ月の今は、通院療養である。
奇跡に近いとも言える。
事故の時は、一瞬だが、諦めた。
これは、葬式だ・・・と。
本人曰く
「俺は樺太生まれ、十四の時から、炭鉱で働いた。
 そん所そこらの、やわな野郎とは、訳が違う」
酒はウヰスキーのストレート。
たばこはピースで、フィルターなんぞは邪道だと。
総てに、筋金入りである。
今回の事故でも、骨盤に3本の筋金を入れた。
これで一段とハクがついた。
たやすくは死なない。

吾がチームの代表代行であり「勘定奉行」である。
選手からの信望も厚い。
酒席では陽気になる。
飲まないでいると「こら!呑め!」と盃が飛んでくる。
カラオケ演歌は、小指を立ててマイクを握る。
ダンスは得意!
トラ狂である。
若い者が追いつけない、元気な“八十路不良老人”。
全快祝いを盛大にやる日は近い!
                           見習うべきか? 寅次郎
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torajiro0421 at 21:37|PermalinkComments(0) 人物